お問い合わせへジャンプ!
広告掲載のご案内へジャンプ!
購読のご案内へジャンプ!
トップページへジャンプ! 今週の津南新聞へジャンプ! テーマ別掲示板へジャンプ! なんでも掲示板へジャンプ! 妻有に生きるへジャンプ! ねっとわーくへジャンプ! リンク集へジャンプ!
home > 今週の津南新聞トピックス

2016年01月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
キラリ看板娘「橋本恵理子さん・小泉工業}  1月29日号
 ○…工事費を構成する費用を積み上げ、全体の工事費を計算する方法の「積算」や帳簿付けには欠かせない「簿記」の資格を取るため、「毎日が勉強です」と事務仕事に向かっている。昨年4月から現在の仕事に。「それまでも建設関係の事務など行ったいましたが、子どもが小学校に通うようになったので」。細かな事務仕事も多いが「とにかく間違えないようにと気をつけています」。

 ○…中学時代に取り組んだソフトテニス。「子どもがもうちょっと大きくなったら、再びテニスなどしてみたいですね」。その子どもは小学4年と2年の姉妹。川西のスイミングスクールに通い、体を鍛えている。夫はサービス業でなかなか休みが一緒にならないという。毎年のように行って楽しんでいたディズニーランド、「去年行けなかったので、今年は家族で行きたいです」。(小泉工業)

明日へ「そば職人、えざし」 地域おこし協力隊・真弓裕行さん」  1月29日号
 フノリとヤマゴボウ(オヤマボクチ)を使った、地域伝来のそば技術を学びに1人の青年が津南に訪れている。昨年10月着任の地域おこし協力隊・真弓裕行さん(32、千葉・松戸市出身)。津南駅内「かねさま蕎麦店」を運営する苗場農産(滝沢元一郎社長)で修行中。「将来は自分の店を持ちたい」と、日々そばを相手に励んでいる。

 前職は土質調査試験機のプログラミングをする技術会社勤務だった真弓さん。ただ昔から田舎暮らしに憧れがあった。「自然が好きで田舎に移住したいとずっと思っていたんです。転職を考えた時、津南で隊員募集をみつけ、田舎で暮らしながらそば打ちの技術を学べると知りここだ、と感じました」。そば打ちは初めて、そば栽培の畑仕事も未経験。「飲食店の調理担当で働いた経験はありますが、全然違います。農業は特に難しい。でもやりがいがあります」と笑う。

 津南に来て3ヵ月。そば打ち職人の滝沢社長(64、巻下)らの指導を受け、そばをこね伸ばすなど、一から基礎を叩きこまれている真っ最中。「お店が閉まった後、自主練習するんですがどうも社長とかに比べると美味しくない。全然ダメです。練習を重ねるしかありません」。失敗作は責任を持ちしっかり胃の中に収める。そば職人への道はまだまだ遠い。「そば技術を学びたいと思ったのは会社で誰かの支持を受け仕事するのではなく、この道で俺は食っていく、という芯になるものが自分に欲しかったんです。職人になり、いつか自分の店を持ちたい」。

 春からは畑仕事も始まる。苗場農産では今年も休耕地を活用、20f余を栽培予定。滝沢社長は話す。「まずはしっかり基礎ができることが一番大切。1年も学べば形になる。技術に加え、原料がどうできるか学び、一連の流れを覚えればどこでも店を出せる生業となる」。真弓さんが一人前になり、のれん分けできる日が来るのを待ち遠しく思っている。

「リーダーになって」、小学生が議会制度学ぶ  1月29日号
 県の「未来への扉を開くキャリア教育推進事業」の指定を受けている芦ヶ崎小(富井茂校長、児童45人)の6年生7人が25日、「日本で一番若い町議会副議長・桑原悠さんから話を聞こう」と町役場で職場訪問学習を行った。桑原副議長は議場で議員活動を紹介しながら「津南には若いリーダーが少しづつ増えている、それが魅力です。大学などで外に出ても、また戻って津南で仕事をして下さい」などの話に児童たちは「いろいろ勉強になりました」などと感想を話していた。

 年間を通して職場体験や見学などを行っている同小では今回、「ふるさとに戻って議員の道を選んだ桑原副議長の話を聞こう」と計画。児童たちは実際に議場で議長や町長、議員席に座って質問と答弁を行うなど体験。議長席に座った石澤広気君は「見下ろして全体が見えるので、偉くなった感じがしました」と感想。児童たちは「東京と津南、一番違うと感じているところはなんですか」、「小学校の頃、何を一番頑張って取り組んでいましたか」など次々に質問。桑原副議長は「東京との違いは雪が降ることですね。屋根雪とか、仕事に行く前に行き片付けしたりとか、大変だと思っています」や「運動が苦手で、でもクロスカントリースキーに取り組みました。泣きながら練習しましたが、それがくじけずに続けるという気持ちを育ててくれました」などと話しながら、「津南はみんなの原点です。家族や先生、地域の人たちに支えられて育ったんだということを忘れないで活躍していってほしいです」と呼びかけた。

 富井校長は「桑原副議長は教え子のひとりで、うれしかった。津南への思いが語られ、子どもたちにとってよいふるさと教育になったと思います」と話した。

一足早く春、県立津南中等校で合格発表   1月22日号  
 ひと足早く春を迎えた小学6年生たち。17日、県立津南中等教育医学校の4月入学の合格者を発表した。今期は倍率0・78と8年ぶりに定員割れで受験者63人全員が合格した。午前10時、同校生徒玄関前に合格番号が提示されると、友だちと抱き合い喜ぶ小学生たちの歓声が響いた。「夢の実現」を開校理念の同校。4月入学する思いを聞いた。

 角山芳斗君(南魚沼・赤石小)英語力をつけ、人を助ける仕事をしたい。特に日本人の見方と外国人の見方は違うので、それを理解し合えるような仕事で人の役に立ちたい。この学校で自分が進む道を見つけたい。

 橋萌杏さん(倉俣小)夢の実現という学校の目標に魅かれました。私は薬剤師をめざしたいです。テレビで世界で活躍する薬剤師を見て、自分も困っている人たちの役に立ちたいと思います。
小林勇仁君(南魚沼・北辰小)宇宙に関係した分野に進みたい。小さい頃から宇宙に関心があり、宇宙ステーションで働くためにも、宇宙飛行士をめざしたい。

 石澤真優さん(水沢小)4年生の時にこの学校に来たいと決めました。国家公務員をめざし、国のために役立ちたいと思います。税金に関心があり、将来国税庁で働きたいです。この学校でしっかり勉強し、英語の勉強が楽しみです。

 吉楽采士君(千手小)新潟県庁で働きたいと思っています。子どもたちの遊ぶ場所や多くの人たちが交流できる場など、多くの人たちが楽しく暮らせるような場を創り出していきたいです。外国の人たちも多く訪れるので、英語をしっかり勉強したいです。

 山口風人君(東小)僕の夢は医学者になる事で、世界で困っている人たちを助けたい。ノロウイルスなどの研究をして、世界で困っている智たちを助けたい。4年生の海外研修が楽しみです。

 山岸美月さん(津南小)小学4年の時の総合学習で地球環境の温暖化を勉強し、自分も地球温暖化防止に役立ちたいです。この学校には科学部があり、好きな科学と数学を勉強したい。外国にも行きたいので英語をしっかり勉強したいです。

明日へ「箱根の夢実現、やればできるを実感」帝京大・原由樹人選手  1月22日号
「あきらめないでやれば、できる」。この実感を抱いたのは、念願が叶った箱根駅伝出場の1年前、3年生の12月だった。大学の記録会で1万bの自己ベストを出した。「29分45秒」。なぜ自己ベストが出せたのか自問した。『やることをやっていれば、結果はついてくる』。それは、自分の原点を確認することだった。

 全校児童20人余の三箇小から津南中学へ。迷わず入部した陸上部。その日が箱根へのスタートの日だった。帰宅後、毎日走った。雨の日も、雪の日も。津南中学3年の時。箱根でヒーローになった服部勇馬、弾馬兄弟の中里中学と新潟県中学駅伝で全国出場を競った。伝統のチーム力で津南中学は追い上げる中里を引き離し全国切符を手にした。山口での全国大会。強豪の強さを感じると共に、思いがさらに増した。「箱根を意識した時です。1年生の時から夢は箱根でした」。

 箱根をめざし親元を離れ東京学館新潟校に進学。「先輩に連れていってもらいました」というが、1年生でメンバー入りし、県駅伝で優勝し京都・都往路4区を走る。先輩を追い帝京大に進み、迷わず駅伝競技部に入る。

 同部60人余は走力に応じて3棟の寮に入る。1年時は強いメンバーの寮に入れなかったが、2年で最強チーム寮に入る。親と同年の中野孝行監督は選手の気持ちをつかみ、生活面を含め指導。先輩と後輩の2人部屋。競い合うと共にチーム力アップが狙い。
 あっと言う間の3年間。その年の12月。駅伝メンバー選考の要素となる大学内記録会で自己ベストを記録。その年はメンバー入りできなかったが「なにか自信をつかみました。やることをやれば、タイムと結果はついてくると」。

 ラストチャンスの4年生になり、安定してタイムが出せるようになった。「自分の変化というより、原点に返った感じでした」。中学時代の毎日のランニング。その結果の全国大会出場。あの思いがよみがえった。

 12月初め。箱根の1次エントリーに入り。その伏線はあった。夏の7月、9月の試走で6区山下りを2回走った。年末29日の最終エントリーで中野監督から「6区を頼む」。

 往路の青学の驚異的な走りで、復路は9位の帝京大以下が一斉スタート。「最初は声援や景色を見る余裕はありましたが、中間付近からきつくなり、声援も聞こえる状態ではなかったです。地元から多くの皆さんが応援に来られていると聞いていましたが、後半にはその余裕はありませんでした」。

 6区20・8`のラスト2`付近に両親はいたが「分かりませんでした」。次の7区は後輩の3年生。1秒でも早く早くと懸命の走り。走り終わって吐いた。「吐いたのは初めてです。緊張感がすごかったんですね」。死力を尽くした走り。その思いは以降のランナーに伝わり、帝京大は10位でシード権獲得。「目標タイムより30秒ほど遅かったため、僕で2つ順位を落としてしまった。申し訳ない気持ちです」。「目標にしていた箱根を走ることができたのは、支えていただいた多くの皆さんのおかげです」。

 中学時代、ライバルだった服部勇馬選手は五輪をめざす。「来月の東京マラソンに出場します。僕は競技生活に区切りをつけましたが、勇馬はずっと応援します」。4月から、首都圏に本社を持つ流通会社で社会人生活をスタートする。 (恩田昌美) 

キラリ看板娘「田中ひとみさん・津南町森林組合」  1月22日号
 ○…「いままで仕事が長続きしなかったけど、ここはもう8年目。職場は温かい人が多いんです」。特産部きのこ販売課の事務になって4年。なめこを担当し、注文に応じて町内の農家への発注をかける。毎朝・夕方に在庫をチェック、発注の調整も行う。「秋と年末が繁忙期。やっと落ち着いてきたところです」。商品が足りなくなったことも。「農家さんに電話をかけ続け、確保できた時はほっとします」。

 ○…昨年5月に津南町に引っ越してきた。ご近所さんとの交流が楽しい。「おすそ分けをいただいたり、『慣れたかい?』と声をかけてくださったり。雪を片付けていたら除雪機を出してくれました」。地域の人の温かさに触れながらの生活。4月に入籍予定。8月の結婚式に向けて準備を始めたばかり。「これから忙しくなりそうです」。(津南町森林組合)

10代のまなざし「福原清文さん・飯山北高校2年」森林官をめざす  1月22日号
 静寂の会場に響く読み手の声。最初の言葉でサッと素早く手が空を切る。百人一首に魅かれる。入学の前年に、それまでの同好会が「百人一首部」に昇格。現在部員7人。17日に北信大会の地区大会が須坂市であった。昨夏7月には滋賀県での全国高校百人一首大会に出場した。「やはり全国、僕はまだまだです」。

 理系が好きで中学時代は科学部に所属。「高校ではまったく違ったことをやりたかったんです」。真逆の古典的な文系、「百人一首部」に入る。百人一首には覚え方がある。北高にも伝統の覚え方がある。「早い人は1、2ヵ月で百句すべて覚えますが、僕は3ヵ月かかりました」。今では最初の言葉で、スッと手が出る。

 『このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに』。菅家・菅原道真の句が好きだ。「最後のまにまにという表現が気に入りました」。兄と弟は理系のため、家族で百人一首をすることは少ない。昨夏の全国大会は個人戦に出場。「さすがに全国大会です。すごい人たちばかりです。負けは悔しいですが、刺激になりました」。部活では対戦形式で練習を積むと共に、「腕の動かし方や手さばきなども練習します」。素早い動きは、練習の成果だ。
 今春から高校最後の3年生。「早いですね。進学準備のため7月で部活は終わりです」。すでに進む道は決めている。林野庁や森林管理局の国家公務員で、森林を守り山を守り自然を守る『森林官』をめざす。
                   (恩田昌美)

少雪、「十日町方式」奏功、除雪費前払いで業者支援  1月15日号
最高で3bを超えた昨冬の積雪状況から一変し、今冬は小雪模様が続いている。除雪や排雪など雪関連の事業者は、土ぼこりをあげる道路を恨めしそうに見て、天を仰ぐ日々が続いている。冬観光のメインのスキー場は、これまでの雪でなんとか滑走可能の状態を維持しているが、「このあと数日でも気温が高い日が続けば、あっという間に土が出てしまう」と雪頼みの日々だ。最高積雪が1b以下は「平成18年豪雪」の翌年に記録している。十日町市・津南町・栄村の小雪の今冬の今をリポートする。

十日町市の対応
暖冬少雪のなか、除雪業者の大きな力になっているのが市独自で行っている「除雪基本料の前払い」事業だ。
 除雪オペレーターの確保や除雪機会の維持・整備は、雪の多少に関わらず、委託を受けた建設業者が取り組むことになっており、少雪となった場合、「出来高払い」では業者の負担が大きくなる。このため、市では平成25年度から同事業を取り入れ、毎年11月末に平年並みの除雪経費の約7割を前払いしている。対象業者は生活道路を担当する個人を含めると約150社・個人に上り、金額は約7億円。少雪で作業実績額が基本料金を超えなかった場合でも差額分の精算は不要で、逆に作業実績が基本料金を超えた場合は、その後の委託単価は90%の支払いとする「単価変動制」を採用している。
 同市の除雪市道は約450`。昨年度の除雪委託料は約27億3千万円で、過去10年間の平均は約16億円となっている。
 市道除雪や屋根雪除雪も請負っている業者のひとつ、大村建設の杉谷清之社長は「常に除雪要員を確保する必要があるので除雪基本料の前払いは助かる。しかし屋根雪除雪などの作業はないので収入も減り厳しさはある。やはり冬は雪が降らないと困る」と話している。

写真・今冬の少雪で道路はご覧の様子(1月13日、津南町正面で。次ページの写真と比較すると小雪がよくわかる)

少雪、スキー場キャンセルも、除雪業者開店休業  1月15日号
津南町の対応
 津南町の除雪費用は今季、車両購入費や燃料費など含め一般会計予算で約1億8千万円を計上。大雪模様だった昨年は補正予算2500万円余り追加し2億1千万円だった。十日町市のような除雪基本料の前払い制度はない。町道の除雪路線は全106`。うち20`を6除雪業者に委託。委託費は約4500万円。この委託路線は年間と実稼働の2契約に別れる。特に実稼働契約は出動回数で支払うため、小雪だと除雪業者に入る金額は少なくなる。なお例年、除雪費は平均1億5千万円余が平均値だが、タイヤドーザー購入などで今年度は増額している。
 今季の町役場前の最高積雪は12月29日朝の63a。昭和38年に始まる観測記録のなか、最高積雪が1b未満なのは昭和46年、同63年、平成18年の過去4シーズンしかない。最低積雪記録は18年の64a。今季、このまま積雪が少なければ、最低記録を更新することになる。
 小雪により地元経済の影響も出ている。年末に積雪が足りず、初滑りを予定していた予約者のキャンセルが830人余でたニュー・グリーンピア津南。現在は全リフトを運行するが、一部ゲレンデは積雪が少ないため滑れない状況が続く。樋口明社長は「年末のキャンセルは大きかった。いまも小雪でリフトが動かせない他のスキー場も多い。うちもあと50a余降れば安心し営業ができるのだが」と話す。一方、船山新田地内で給油所を営むかねと商店・風巻良夫社長は「小雪で除雪車や融雪屋根も動かず、石油関係の利用は低調」と指摘。大割野商協理事長でもある風巻社長。地元商店への影響も懸念する。「除雪関連の費用が回らないと地元の飲食店や小売店にも影響が出てくる。やはり毎年雪が3b余積もるのが当たり前の津南では、雪が降った方が経済は回る」と話した。

栄村の対応
貝立山山麓のスキー場最高地点からは秋山郷連山、越後三山はじめ北アルプスなど大パノラマが展開する「さかえ倶楽部スキー場」。12日現在の積雪は40a。平日はファミリーゲレンデのリフトは休止。「ゲレンデ部分は圧雪車が入れるが、コースわきは茅などが見えている。ゲレンデコースも地形の影響で滑らかにならないが、おかげさまでこの連休も前年比8割ほどの入込み。とにかく、あと一降りならぬ三振り、四降り、雪がほしい」。
 一方、栄村の今期の除雪予算は約1億4千万円(昨冬実績約2億円、除雪車更新含む)。今冬はこれまでに420万円(燃料費別)の支出にとどまる。村道除雪(一部県道除雪も受託)は村内5事業者が受託する。初出動は昨年の17日。以来、数回程度しか出動していないのが実態。県道除雪は「待機料」があるが、村道除雪は「出来高支払」で、除雪出動に応じているため、受託業者は「開店休業」の状態。これは要支援世帯以外の屋根除雪を受ける業者・個人も同様。「除雪する雪がなければ、我々の出番はない。日銭も稼げない」と天を仰いでいる。
 栄村は全国の先進でもある「要支援世帯」の除雪を担当する『雪害救助員』を村が冬期雇用している。今冬は屋根雪処理170戸、玄関前道扶80戸を担当。出動に応じて労賃が支払われるが、今冬は出番が少なく、最低保障だけの賃金支払いとなっている。
 一方、小雪で比較的、来客が続いているのが昨年7月オープンの栄村農産物直売所「かたくり」。品薄になる冬場だが、生産者が知恵とアイデアを出し合い、様々な加工品や薬草やきのこ乾燥品、豆類、越冬じゃがいも、ねぎ、こんにゃく玉など各農家が積極的に商品を出す。「雪が少ないせいか車での来客が続いています。来店の皆さんとの会話も楽しんでいます」など『おもてなし』の気持ちで取り組んでいる。

写真・昨年の同じ場所。2bを超える積雪だった(昨年2月9日、津南町正面で)

服部勇馬選手インタビュー、「東京五輪めざす」、トヨタ自動車へ入社  1月15日号
「実業団で実力を積み、マラソンで東京五輪をめざしたい」、改めて決意を示した―。箱根駅伝で東洋大の主将としてエース区間の2区に出場、2年連続の区間賞をマークした中里出身の服部勇馬選手(22)が帰省中の8日、取材に応えた。

 ―箱根駅伝を振り返って一番感じていることは。「2区で日本人3人しかいない1時間6分台をめざしたが及ばず悔しかった。詰めの甘さを感じている。(チームとしては)当然、優勝をめざしていた。優勝した全日本駅伝の流れ、そのままの走りをしようとしたが、逆転できなかった」
 ―地元から応援団がバスに乗って駆けつけた。声援は届いたか。
 「ウォーミングアップの時から声援は耳に届いた。やはり声援は大きな力になる。自分ひとりでここまで来たんじゃないんだな、みんなの力でスタートラインに立てたんだな、と改めて感じ『応援に来てくれた人たちが、いい思いをして戻れるような走りをしたい』と思いました」

 ―来月28日に東京マラソンに出場しますね。
 「はい。初マラソンになります。去年は故障で出ることができなかった、やっとスタートラインに立つことができます。出場できることのありがたさを感じています。2時間10分を切れればいいなと思っていますが、タイムや順位など気にせず、まずは自分の走りができればいいと思っています」
 ―大学卒業後は今年のニューイヤー駅伝で2年連続優勝した実業団の強豪・トヨタ自動車へ入社するということですね。
 「そうです。自分で選びました。もちろん駅伝が強いチームということもありますが、仕事を通して人間性を磨くことが大事だと思っています。教養を高めていくことができる仕事、それが選んだ一番の理由です。仕事をしながら成長していきたい」

 ―リオ五輪、そして東京五輪があります。
 「リオ五輪はもちろんめざす対象ですが、まだスタートライン。東京五輪までまだまだやるべきことは沢山ある。4,5年としってもそんなに長くはないですね。大会直前には2時間6分台で走らないとダメです。最高のパフォーマンスを出せるよう頑張りだいです」
 ―地元の子どもたちにひと言を。
 「子どもの時は、とにかくいろんなスポーツをやってほしい。僕も小学生の時はサッカーが中心で、高校に入ってから本格的に陸上を始めたようなもの。いろんな動き、体の使い方を知ることで、自分に合っているスポーツが見つかると思います。めざす目標はそれからでいいと思います」

写真・今月9日、十日町市内で

キラリ看板娘「富井千晶さん・28歳」  1月15日号
 ○…自動車販売から整備・修理、保険などクルマ全般が仕事場で、お客さんと直接、応対するフロント係を務めようやく4ヵ月余りになる。「次男が誕生し、再び仕事ができるようになったので、昨年9月から働いています。フロント係なので、笑顔でお客さんを迎えるように心がけています」。今年は「自動車保険の資格取得に挑戦です」。もの忘れが多いというものの、「嫌なことも引きずらないタイプなんです」。周りからうらやましく思われることも。

 ○…長男は3歳、そして1歳の次男。家族は3世代6人と、各世代2人ずつ。賑やかな毎日だ。「今は子どもに手がかかって、ほかに何もできません。子どもへは、周りに迷惑をかけるようなことがないよう成長していってほしいです」。子どもたちが、もう少し成長したら旅行などもできるものと楽しみにしている。

スノボ・佐藤夏生選手、レカム入社、五輪めざす  1月15日号
 中学卒業と共にカナダ留学し、スキー・スノーボード選手として世界転戦し実力をつけ、カナダ公立高校卒業後に帰国、国内で活躍し全日本ナショナルチーム強化指定選手の佐藤夏生選手(22)は、JOC日本sオリンピック委員会が取り組む「アスナビ」(アスリート就職支援ナビゲーション)を活用し、情報通信機器販売の東証上場「レカム株式会社」に入社が決まり、ワールドカップや世界選手権など大会出場し、来年の韓国・平昌(ピョンチャン)五輪出場をめざす。

 佐藤夏生選手(津南中―カナダ公立高校卒)はカナダ時代に実績を積んだスノーボード種目「スロープスタイル」と「ビッグエアー」の選手。JOCのナショナル強化選手に妹・亜耶選手(津南中―津南中等校―早稲田大)と共に指定され、昨年末にはアメリカ・コロラドで強化合宿し、今月13日からアメリカ・マンモスマウンテンでのワールドカップを初戦に、外国での大会を転戦する計画だ。

 夏生選手は「本番で自分らしく滑りきることを課題とし、今回のワールドカップでは入賞を目指しています。今シーズンのワールドカップ遠征で結果を残し、来シーズンからのオリンピック選考へ向けてステップアップしていきたいと考えています」と今期への思いを話し、来年のピヨンチャン五輪出場に向け、大海でも実績を積む方針だ。今月は米国でのワールドカップ大会なそに出場し、来月は2018年韓国・平昌五輪のプレ大会、平昌ワールドカップに出場し、k3月には群馬・尾瀬戸倉での全日本選手権などに出場を予定している。同じ強化指定選手の妹・亜耶選手(20)は学業との両立をはかりながら平昌ワールドカップや全日本選手権出場を予定している。

東京女子プロレス・中島翔子選手(十高卒)。後楽園ホール・メインイベンターに  1月15日号
 妻有地域出身の女子プロレスラー・中島翔子選手(24、上郷中―十日町高卒)。DDTプロレスリングの女子事業部・東京女子プロレスに所属し2年が過ぎ、団体トップ戦線で争うまで成長。今月4日に同団体初の後楽園ホール大会では創設されたベルト『TOKYOプリンセス・オブ・プリンセス』王座をかけメインイベンターとしてリングへ。惜しくも敗れたが「いつかベルトを取る」とさらなる闘志を燃やしている。実家帰省に合わせ、インタビューした。

 高校卒業後に吉本興業・東京NSCに入門、元芸人志望と言う異色の経歴を持つ中島選手。22歳でプロレスの門を叩いた。「格闘技経験もなく、あまり運動神経もいい方じゃないんです。だから工夫をしないとすぐ負けちゃう。だから常に研究しないと」。食事中もプロレスの動画を見て学び、休日もジムに通うなど研鑽の日々。「ただ大きなケガはなぜかありません。打ち身やねんざはケガのうちに入りませんし」。いまは四六時中、いかに強くなるかを考えている。

 目標とするのは全世界で大人気の団体・WWEの元選手のデイブ・フィンレー。関節技や組技を重視する『ランカシャースタイル』に憧れる。「いま、このスタイルの選手は少ないんです。格闘技のバックボーンがない分、他の人がやらないことをしないと」。いま、プロレスの興業は月2回余。それだけでは食べていけないため、アルバイトも続ける。独り暮らしであり食事なども自分で調整している。

 147aの小柄な体格で挑む、過酷な女子プロレスの世界。だが、辞めたいと思ったことは一度もない。「試合の度に新しい発見があります。試合運び、腕の決め方とか。そして何より、固定のファンが増えて来てくれたりするのが励みになります。いまは中学生のファンもいるんですよ」。プロレスラーにとって一番大事なこと。「まずプロレスが好きじゃなきゃ。プロレス愛があれば誰でもなれます」。いま、プロレスを心から楽しんでいる。

飯山線全線にSL運行、今秋11月、沿線協議会のJR要望が実現  1月8日号
 44年ぶりに飯山線全線(長岡―飯山)に今秋、SL運行が実現する見通しだ。JR東などへの取材で明らかになった。6日には十日町市・関口市長が定例会見で「今年秋を目標に飯山線全線100`にSLを走らせる取り組みを開始する。客車3両で2日間を使って往復する。(定期運行により)観光誘客を大きなキラーコンテンツになるはず」と運行実現に積極姿勢を見せる。関口市長が副会長の沿線で作る「飯山線沿線地域活性化協議会」(会長・足立正則飯山市長)で実現に向け取り組み方針だ。

 飯山線のSL運行は昭和47年で営業運転を廃止。4年前、地元要望を受ける形で「長岡―十日町」間で40年ぶりにSL運行が実現し、全国から多数をSLファンや地元民らが40年ぶりの雄姿に感動した。
 今回のSL運行計画は、昨年春、同沿線協議会がJR東に「2016年度中にSL運行」を要望し、JRは沿線の警備や燃料補給など地元協力があれば運行可能としていた。

 一方で民間レベルでもSL運行実現で運動している。4年前のSL運行を署名運動などでバックアップした十日町市の市民グループ「飯山線SL運行を応援する市民の会」(会長・木村善郎会長)は、4年前の運行後、すぐに「今度は飯山線全線での運行を」とさらに署名運動を広げ、飯山市の賛同者と連携し、活動を広めている。昨年6月には沿線協議会総会に合わせ、市民の会としてSL運行の要望書を提出。これに連動するように飯山市に同市民の会「飯山支部」を年末までに誕生させ、連携してSL運行実現に取り組んでいる。

 市民の会の木村会長は「今年の秋には期待できる的な情報は入っているが、実現できれば嬉しいことだ。実現には沿線の熱意が大事で、沿線が一本化して連携し取り組み事が必要」と話し、「SLは幅広い年代層を集める。親子三代で来てくれる。それだけに効果はすごい。4年前の運行でそれは実感できるはず。とにかく地元が盛り上がることが大切」と話す。

 一方、昭和47年の「飯山線SLラストラン」を自宅前で見て、記録し、中学3年から全国のSLを写真記録する津南町押付の高橋徹さん(63)は「全線運行は沿線の観光に大きく資するだろう。ただ最近の写真撮りのマナーが心配。定期運行につなげるためにも今回の運行を万全に行う必要がある。試運転を含め乗車の地元枠をぜひ確保して、地元を盛り上げてほしい」と運行実現に期待を寄せる。

 実現に向けては課題は多いが、JR東広報部ではJR東広報部「今年11月頃に飯山線にSLを走らせたいと取り組みを始めている。昨年には沿線で作る飯山線沿線地域活性化協議会に、SLを走らせた場合の沿線の警護や沿線での『おもてなし』対応などを項目的にお願いしている。今後、安全対策やSL車両や乗務員の確保など詳細を検討し取り組んでいく」としている。ルートは飯山線全線となる「長岡―飯山」を予定している。

捨身・4年前のSL運行。大きな感動をもたらした(2012年11月、十日町駅で)

10代のまなざし「近藤 愛さん・下条中学3年」  1月8日号
 新しい年の幕開けは、17日に京都で開かれる全国都道府県女子駅伝で始まる。中学生区間に抜擢、県代表として出場する。
「長距離、特に3`は得意。チームに貢献できるよう頑張ります」
 昨年は充実した1年間だった。陸上では1500bで県4位、駅伝県大会ではアンカーを走り区間賞を獲得。11月には東日本女子駅伝にも出場した。また春には『ひの社会教育センター』の国際語学交流としてカナダ・ビクトリア春休み語学ホームスティ体験に参加。2週間余り「海外」を肌で体験してきた。

 「英語は好き。だけど言いたいことをうまく伝えられず、もっと英会話を学びたいです。ホームスティ先は60代の、とても優しい夫婦でした。高校に入ったらイタリア・コモ市へ交換留学生として行ってみたいです」
 海外体験が将来への夢を一段と高めている。
 「まだ漠然としていますが、国際舞台で働く仕事をしたいと思っています。新聞などによく世界で働いている人たちが紹介されていますが、刺激を受けます」

 今年一番の目標は高校受験合格。地元の高校をめざしている。
 「陸上は続けるつもりです。でもスポーツだけでなく、英会話の向上など勉強もしっかりしたいです。それが夢につながっていくと思います」
 好きな言葉は『笑う門には福来る』。陸上・長距離を通して、自然に身に付いたこと。苦しい時こそ笑顔で。今年も笑顔で夢に向かって挑戦していく。
                  (村山栄一)

30年の社員研修、「QC活動」に取り組む津南油圧、業績アップ  1月8日号
 継続的な社員教育で業績を伸ばしている企業がある。昭和47年創業の三尾製作所グループ・津南油圧(三尾義男社長)は30年前から社内研修「QC活動」に取り組み、業務改善と品質向上の成果を上げている。昨年末の19日、今期で30回になる記念のQC活動発表会をニュー・グリーンピア津南で開いた。東京本社副社長や系列の福島工場、連携の上越市の企業などから役員らが出席。11グループに分かれた社員がPC資料などを使い発表し研修を深めた。三尾社長は「ここ数年、若い人材が入社し、QC活動が従業員のチーム力を作り上げている。品質のクォリティ―が上がり、業績アップにつながっている」と30年続く社員教育活動に期待している。

 社内研修のQC活動を取り入れたのは同社創業時、工場長だった滝沢正義常務。「会社は従業員の気持ちが一つにならないと伸びない。日常業務の中で、なぜ、なぜと自分で課題を見つけ、検証し、解決することが会社全体の良くする。QC活動は、そのチームワーク力を作ってくれる」。スタートには4班だったが、業績アップと共に社員数が増え、30回記念発表会は7、8人編成の11班が担当する業務の改善や課題解決を発表した。

 チーム名は伝統の名称。業務内容を反映した「新旋組」「みがきやクラブ」や思いを込めた「パイオニア21」「ドラえもんのポケット」「みらくるサークル」など先輩からの名称を引き継ぐ。1年間の総合テーマを決め、1月から12月まで年間計画で取り組み、年末に全体発表会を開く。

 発表では、「NC旋盤の仕事の偏り削減」や「部品出庫ミスの削減」、「溶接作業の能率UP」など業務での課題をテーマに取り組んだ成果などを発表。その場で質問を受け、発表者は改善点に気がつくなど社内全体で業務改善に取り組む姿勢が出ていた。同会には系列の福島工場や同業の上越市・太陽丸互シリンダも参加し、発表交流している。

 30回記念発表会で5年連続金賞を獲得した「ふぁじいサークル」の発表者・村山秀樹さん(44)は「日頃の業務の中で、QC活動で組めるテーマを皆で考えている。仲間作りにもなっている」と話す。同グループは5年連続の金賞。さらに「新旋組」で発表した久保田勇斗さん(22)は
「先輩との研修活動で業務に役立つことが多く学べる。日常業務の見直しになっている」と話す。

 審査講評で三尾製作所・会田和男部長は「30年はまさに継続は力。マンネリ化を防ぐためにも他社や外部グループとの交流が必要。30回記念を機にさらなる活動の充実に期待したい」と話した。例年の賞金のほか30回特別プレゼントを用意した滝沢正義常務。「まさに企業は人なり。人材を育てることが、会社全体がのぶることに通じる」と実感を込める。社員研修に取り組む企業は多いが、年間テーマを設定し、全社員でQC活動に取り組みのは十日町管内でも稀で、同活動が企業イメージ向上に結びつき、企業価値を高めている。

写真・1年間の活動成果を発表する社員。企業イメージアップにつ    ながっている

明日へ「とういちの ひとり言」、想い、そのまま言葉に  1月8日号
 ふと独りになった時によみがえる情景や言葉、仏前に向い手を合わせた時に浮かぶ想い、日常生活で思い出す懐かしい風景や言葉や忘れられない思いなど、思い浮かぶそのままを綴った「つぶやき集」が人から人へ、静かな感動を伝えている。 

 『とういちの ひとり言』。3年前に妻を亡くした島田東1さん(74・十日町市倉俣)。昨秋、その「ひとり言」をまとめた。わずか170部の作成だが、手にした人たちから「私も同じ思いです」、「同じ体験をしましたが、私は言葉にできませんでしたので、そうだ、そうだと何度も読み返しています」など便りが寄せられている。

 表紙は、趣味で描く墨画の「達磨」。めくると「はじめに」。「…妻を亡くしてから生活は一変しました。『寂しい』の一言です」。そして「失ったものは多いですが、考えることは数多く与えてくれました」。
 わずか28nの小冊子。だが、その言葉、その短文からにじみ出る想い、文末に置かれた言葉には、「あの日、あの時」の想いが、そのまま、そこにある。

 3年前の夏。 8月13日、お盆目前に妻ヨイさんは他界。「今年、金婚式だった。亡くなる前日の夜、48年の連れ添いの中、きっと一番話をしたなぁ」。妻への想いが綴られる。『押入れから箱に納めてあった50年前の手紙が出てきた。二晩かけて全部読み返した。次の日、亡き妻に『ありがとう』と言って、墓に納めた。妻に届くだろうか』。
 20年ほど前から、手元のメモ用紙や便せんなどに、ふと思いついた言葉を書くようになった。「特別なことを書くわけではないが、ふと思ったこと、ちょっと気になったことなどを書いてきただけ」。

 メモ帳や半紙に書いた「ひとり言」が旧友でもある元編集者の女性(津南町在住)の目に留まったのが2年前。阿部幸子さんは「素直な、そのままの想いが言葉として綴られています。その素直さが読み手にそのまま伝わります」と、その言葉に魅かれた。

 「ひとり言」は、父、母、妻、息子、娘、さらに祖父母への想いが綴られ、時には季節の移ろい、「孤独死」や「人生は足し算?引き算?」など社会的なことまでつぶやく。30年ほど前から「座禅」を組む。ひとり言の最後は、この座禅。妻への傷心は癒えないが、『私はまだまだ修行が足りない身である。だから、しばらく俗界に身を置くのがふさわしいと思っている』。 
 淡々と綴られる言葉が切れ切れの想いを、そっと束ねてくれる。


COPYRIGHT (C)2004 TSUNANSHINBUN-ONLINE. ALL RIGHTS RESERVED
!-->