お問い合わせへジャンプ!
広告掲載のご案内へジャンプ!
購読のご案内へジャンプ!
トップページへジャンプ! 今週の津南新聞へジャンプ! テーマ別掲示板へジャンプ! なんでも掲示板へジャンプ! 妻有に生きるへジャンプ! ねっとわーくへジャンプ! リンク集へジャンプ!
home > 今週の津南新聞トピックス

2015年07月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
マンモスだぁー、校庭に現る  8月㏦号
 ○…猛暑が続く真夏。今年3月に閉校した外丸小グラウンドに出現したマンモス。毛皮代わりに付けた杉葉はしっかり日焼けし茶褐色となり、まるで本物の毛皮に見える。訪れた幼い子が呟いた。「マンモスさんも暑そうだね」。

 ○…町内穴藤で出土した、約110万年前の古型マンモス臼歯。「実際にマンモスがいた津南。そのことを子どもたちに伝えたい」と製作したのは外丸の地域活性化グループ・八本杉(涌井稔章代表)。約4bの高さがあり、背中は展望台となっている。登ると外丸地区の象徴である矢放社にそびえる八本杉が目に飛び込む。「地域を見直すきっかけになればいいかな」と政策発案者の中山弘さん(大割野)。津南に流れるはるかな時間を感じさせるマンモスと八本杉。夏日を浴びながら今日も住民を見守っている。

神秘のヒメボタル   7月24日号
 ◎…体長6_〜9_で奥山に生息し、生息地を移動しない蛍の仲間で、ピカピカと黄色を帯びた光をフラッシュ状に点滅する「ヒメボタル(姫蛍)」を、プロカメラマンの阿部宣彦氏(37)が撮影に成功した。場所は栄村。阿部氏は栄村大久保出身で現在は長野市を拠点に国内外で活躍している。今月15日午後8時頃、山奥の漆黒に近い林脇の暗闇。ピカッと1匹が光り出すと、次々に呼応するようにフラッシュ状に点滅。真っ暗の林の中は、無数の光が飛び交い、幻想的な世界を見せた。

 ◎…雌雄ともに光るがメスは飛ばない。そのため生息地を移動することはなく、森林奥にひっそりを生きる。本州以南に生息するが多くが山奥のため、人目につくことは稀だ。「生まれ育った栄村に生息しているとは知りませんでした。栄村の宝ですね。でも、しっかりした知識で、しっかり後世に守り伝えることが、さらに大切です」と阿部さん。(写真データ、30秒多重露光、阿部宣彦氏撮影)

来年秋、津南で全国公共政策フォ−ラム、県立大・田口教授らが  7月24日号
 来年秋、津南町で日本公共政策学会の「公共政策フォーラム2016」が開かれることが決まった。今年は10月17、18日、北海道・釧路公立大学で開かれる。その学会メンバーの新潟県立大・田口一博教授の学部生らが16、17日、津南町を訪れ、ユリ栽培や米農業の現場、さらに観光資源などを見て回り、農業法人代表や観光関係者らと懇談し、現場の声を聞いた。来秋の同フォーラムの準備を兼ねたフィールドワークで、学生は農業現場で直接声を聞き、さらなるテーマを考えていた。

 水田の受託を含み約73fに取り組む農業生産法人グリーンアース津南の桑原健太郎代表を訪ねた学生たちは、その耕作面積の広さと共に、「消費者の顔が見えることで、さらに一生懸命に作ろうと、私たちは思います」という言葉だった。
 広大な面積に取り組む営農法人だが、その農業は「顔が見える農業」。今期からグリーンアースでは、首都圏の大手デパート・小田急と提携し、「水田のオーナー制」を実施。シーズンに4回ほど現地を訪れ、グリーンアースと交流する。「田植えの時、私たちの取り組みを話すと、とても興味深く聞いてくれた。私たちの米を食べてくれる人たちの顔を思い浮かべ、米作りすることが、旨い米作りに通じるはず」。桑原さんの米作り哲学だ。一般流通より1俵1万円ほどの流通価格の差があるという。

 説明を受けた学生たち。津南町出身の根津郁美さんは、「米需要が減っており、津南町全体も米需要が減っていると思っていましたが、実は逆で米作り農家が足りてないよいう現実が分かり、農家現場の課題が見えてきました」と、生産現場の実態に驚いていた。同じ3年の秋田・羽後町出身の篠木玲菜さんは「後継者問題が深刻で、集落単位で取り組むまないと、水路や農道など基本部分の維持が大変になっていることが分かり、共同営農を集落単位で取り組む必要が分かりました。それが地域農業の継続につながることになるんですね」と感想を話している。

 来年の公共政策フォーラムのテーマは今後決まるが、同学会メンバーの田口教授は、「新潟県内どこでも感じるが、アカデミズムが地域に関わるようになれば、もっと色々な事ができるはず。30市町村で、アカデミズムとの関わりが最も遠いと感じたのが津南町。農業と高齢化という日本の地方圏に共通する問題があり、かなり良い取り組みもあるのに、そこに学術や知恵といった機能が乏しいので、それらを発信することができればと考えた」と話す。津南町でと上村町長に打診し、快諾し実現となった。なお同学会の会長は小澤太郎氏(慶応大)、副会長は後房雄氏(名古屋大)、塚原康博氏(明治大)、事務局長は金子憲氏(首都大学東京)。

真夏にサンバ、松代で  7月24日号
 ○…「暑さなんてへっちゃらよ」―。30度を越す炎天下の中、ウキウキするような心弾むリズムにのって華やかな衣装で街を踊り通すサンバカーニバル。妻有地域の夏の風物詩のひとつにもなっている松代観音祭のイベントのひとつとして20日、盛大に繰り出した。

 ○…恒例となっている東京世田谷のサンバグループ・ノバからダンサー6人とリズム隊などが歩行者天国となった松代本町商店街で子どもたちを呼び込みながらサンバの踊りを披露。華やかでちょっとエロチックなスタイルで沿道からやんやの喝采の中、暑さを吹き飛ばす熱気で盛り上がった。

リオ五輪めざし、全日本女子重量挙げ合宿、ニューGP津南で  7月24日号
 ロンドン五輪女子ウェイトリフティング48`級銀メダリスト・三宅宏実選手(29)、今年6月の全日本選手権で三宅選手を破り53`級優勝の八木かなえ選手(23)ら全日本女子ウェイトリフティングチーム7人が15日から30日まで、ニュー・グリーンピア津南で強化合宿に入っている。リオデジャネイロ五輪の出場枠がかかる11月のアメリカ・ヒューストン世界選手権に向け、気合の入った練習が続く。
 三宅選手と女子日本代表の三宅義行監督(69)は、9年前から同津南で合宿を継続。その縁もあり、5年前から全日本女子の夏強化合宿は恒例となっている。間近に迫るリオ五輪を前に選手たちは日中トレーニングで汗を流し、夜は天然温泉と美味しい食事で回復。三宅選手は「11月の世界選手権は五輪出場枠の4枠をしっかり取れるようにしたい。津南の自然のなか、温泉で体を癒しながら焦らず鍛え大会に挑みたい」と意気込みを話す。
 なお同津南では来月2〜12日は全日本男子が強化合宿を行う。

Welcome、外国観光客対応のパンフ・料理メニュー作成  7月24日号
c○…いよいよ26日開幕の第6回大地の芸術祭を前に、外国人にも奥信越PRをと外国語表記のマップ製作が進んでいる。信越秋山郷会の地域連携部会(小林幸一部会長)は秋山郷探訪マップの英語版を2万刷発行。地元在住の外国人のアドバイスを受け、紅葉の見倉橋や森の巨人・オオトチの木など外国人が興味を引く写真を選択。さらに簡単な周遊コースを紹介。英語表記は地元に住む秋山郷の地域おこし協力隊・坪内大地さん、栄村教委のロバート・クリフトさんが協力。小林部会長は「せっかく多くの外国人の誘客が期待される夏。手に取って秋山郷を巡る人が増えれば」。両町村の観光協協会などで頒布する。

 ○…津南町観光協会は今月末、町内飲食店でも外国人観光客が容易に食事注文ができるようにと、日本語・英語・中国語・韓国語の4ヶ国語で記したメニューマップを発行する。表のおすすめ料理の紹介に加え、裏面は『お手洗いはどこですか』『大盛りはできますか』など、簡単な意思疎通ができるように4ヶ国語標記の指差し会話シートを添付。デザイン・企画のパラドックス・内山義幸代表は「芸術祭時に飲食店からの外国人対応を簡単にできる方法があればという要望があり作った。外国人の方も津南の食事を楽しんでくれれば」と話している。

芸術祭がやってくる 「蓬莱山、雨が降り、霞が出て、滝が流れる」蔡國強氏  7月17日号  
『世界で一番有名な作家』と北川フラムが形容する蔡國強。15年ぶりに作品展開する。第1回芸術祭で来場者トップクラスだった『現代ドラゴン美術館』を津南町で作品展開。その名誉館長として2回以降、「僕が気になる作家」を指名し、現代ドラゴン美術館で毎回、作品展開している。
 開会式会場であり、今回の芸術祭メイン作品となる蔡の作品。キナーレ回廊の中央部、50b四方の空間に『島』が出現する。作品『蓬莱山』。回廊中央部に水が張られ。そこに島が浮かぶ。いまも作品作りが進む。

 第1回の現代ドラゴン美術館の製作で出会った出あった蔡と造園士・志賀孝(60)。今回、蔡は製作者に志賀を指名。「16年以上の付き合いになる。世界的に有名な方だが、決して偉ぶらず、気さくな方。だから15年以上も付き合いが続いている」。志賀の家にも泊り、時には一緒に温泉にも行く。
 作品『蓬莱山・島』は、蔡独特のユーモアを散りばめる。仙人が住み、不老長寿の薬があるという蓬莱山。それを島に仕立て、キナーレ中央部の空間に出現させる。水が張られ、大海に浮かぶ島が出現する。
 スケール感をどう出すか。造園士の腕の見せ所。山に這える期には、葉の小さな2種のツゲの幼木を使用。樹高1bから1・5b。その数1600本。蓬莱山は高さ12b。島は幅20b。その山には滝もあり、仙人が住むだけに、時には霞がかかり、雨も降る。
 「なかなかいい感じになった。仙人が住む山、その雰囲気が出ている」。志賀は2日に一度、1600本のツゲに4時間かけて水やりを行う。

 島を囲む回廊には、わら細工1000点が宙に舞う。なぜ、ワラか。「軍艦や飛行機、戦車など、人間が作り出した戦いの道具や、車や列車などいろいろある。だが所詮はワラ細工。そこに彼独特のジョークがあるんです」。長年の付き合いから、思いがすぐに共有できる。
 開会式の前日。この作品の前で、蔡の火薬画の公開制作が行われる。第6回芸術祭を代表する作品は、その形が姿を表し始めている。       (恩田昌美)

国道353号十二峠・猿倉スノーシェッド連結し、通行安全を、新トンネル実現まで  7月17日号
 昨春の大規模な土砂崩落で全面ストップし、復旧作業中の今春、再び崩落し、時間規制の片側通行の不便が続く国道353号十二峠・猿倉スノーシェッド地区は、不安定土砂のすべて撤去し、安全性が確保されたことから15日、朝6時から午後8時まで全面通行ができるようになった。だが現場の夜間監視ができないため、今月下旬までは夜間通行止め。だが管理する十日町地域振興局では大地の芸術祭の開幕を控えていることから、今月25日の開幕前日までには夜間通行も可能したい方針で復旧作業を進めている。ただ、片側交互通行は全面復旧が終わる見込みの来年秋までは続く。一方、今回の土砂崩落災害を受け、十日町地域振興局では、猿倉スノーシェッドのを、「冬の雪崩発生を想定した研究を行い、シェッドの延長を検討する」としている。これは、「新規事業となるため、今の復旧工事の継続的にはできない。新たな要望から始まる」とする。国道353号の抜本改良を求める動きがある一方で、現在の道路の安全確保が急務の課題で、猿倉スノーシェッドの延長整備は、「地元の協力が必要」であり、強力な政治力が求められる事業でもあり、清津峡など地元からは「政治の出番だ。市町議、県議、国会議員の強い政治力を見せてほしい」と期待感を込めている。

 15日から昼間通行規制解除の説明は13日、十二峠エリアの2地区で実施。説明では今春の崩落で残った不安定土砂を遠隔操作重機など6台、搬出ダンプ20台を投入しすべて撤去。崩落の危険性がなくなったため15日から規制解除した。今後は高さ150bの最上部から国道まで法枠工・植生工などにロックボルト打込みを加え、補強し安全性を高め、斜面に排水路を設ける。今月下旬までに急斜面部分に落石防止の金網張りを行い、完了と共に夜間規制も解除する。
 今後は、来年秋をメドに補強工事完了をめざし、秋の紅葉シーズンには片側交互通行規制の解除をめざす。今回の事業費は約12億円を予定し、今後予定の損傷したスノーシェッド取り替えを含めると全体事業費約14億円を見込んでいる。

 昨春と今春の土砂崩落で国道353号十二峠の危険性が広まった形だ。急斜面の地形だけに冬期の雪崩の危険性も排除しきれていない。そこで十日町地域振興局では、今回の崩落場所、猿倉スノーシェッド(第1、第2、第3)3基の延長を研究する。特に今回、土砂崩落の直撃を受けた第2シェッドの延長を、雪崩発生シミュレーションを行い延長部分を研究する。
 だが、現場は急峻の崖の下に国道が走り、斜面の段切や法枠工事が行われているが、部分的な危険性の排除にとどまっている。
 地元関係者は指摘する。「あの3基のシェッドをつなげることはできないのか。シェッドとシェッドの間が空き、そこに雪崩や土砂が落ち、通行止めになる」とシェッドの連結を求める。小出地区の桑原清区長(清津館社長)は「抜本対策の新トンネルはぜひ実現してほしいが、それまでの現道の安全性が重要。今回の土砂崩落で十二峠は危険という情報が流れた。それを払拭するためにも安心して通れる対応策が必要だ」と話す。

 これを後押しするのが国道353号・新十二峠トンネル開削期成同盟会長の水落敏栄参院議員。11日の尾身孝昭県議の議長就任祝賀会の挨拶で、
 隣りの泉田知事を「国道353号十二峠の抜本策が必要」と念を押す場面があり、泉田知事は指を頭にあて「考えます」のポーズを取っていた。同盟会長の水落氏は、「国道353号は原発事故の避難路であり、その難所、十二峠の改良は最重要課題」としており、地元の改良運動も盛り上がりを促し、地元行政、市町議員、県議、さらに国会議員の連携による早期改良実現を必要性を強調している。

語り継がねば「福原ユキエさん・86歳・津南町」 父戦死、我慢の塊になった母    7月17日号
 父の出征。その日は、3月だというのに雪が降る寒い日だった。あの日が父の最後の姿だった。
「あの杉の木を見ると思い出すんだ。私が作ってやったスッポンを履いて、チョコチョコと雪道を歩く弟の姿と、列車に乗り込む父の最後の姿」。父親がどこへ行くのかも分からない10歳違いの弟の無邪気な姿。父との今生の別れとなったあの日。70年余たっても、目に焼きついている福原ユキエさん(86)。
 昭和17年3月。父・孫一さん出征。35歳。同い年の母、高等科2年の15歳のユキエさん。弟との間に2人の男の子がいたが、「ハシカ」で二人とも幼くして死去。一番下の2歳の弟を背負い、あの日、父が出征する飯山線・北外丸駅に向かった。いま駅はないが、杉の木は今も立っている。

 「教育というものは、すごいもんだなぁ」。当時を振り返ると、つくづく思う。毎日学校では日本軍の戦況が話され、それを毎日聞いていると、『日本は戦争には絶対負けないんだ、という気になるんだね。あの頃は毎日、戦争のことばっかだった』。学校に赴任後、すぐに出征した校長の1人は真冬、子たちを裸足で外に出し、その場を踏ませ、そこで全員に軍歌を歌わせた。「小学1年や2年は泣いていた。先生も何人も出征していった」。
 父の出征は高等科卒業の3月。高田連隊に行き、しばらくは手紙が来たが、その後まったく音信不通。翌年の夏。突然、父戦死の知らせが届く。その年の5月29日、北方アリュリーシャン列島のアッツ島で戦死した。
 戦死の知らせを受けた母の姿が忘れられない。がっくりした母。でも「我慢しなくちゃ、我慢しなくちゃ」と口にしながら、せわしく動き、涙を人に見せなかった。「父の戦死後、母は我慢の固まりのようになった」。食糧不足、物不足のなか、男手のない家庭の苦労をすべて背負った母。

 とにかく母と一緒に働いた。寝たきりの祖母の世話。弟たちの世話。「1円でも稼げればと、どこへでも働きに行った。発電所工事の堤防作りも、春先のソリでの堆肥運びも、母と一緒に働いた」。
 食糧不足は当たり前。米の年貢納め後に残った「アラモト」を石臼でひき、その粉にヨモギを混ぜた「粉餅」、山野の草も「毒以外のものはなんでも食べた」。空腹で食べた粉餅のうまさは、今も口のなかの感覚と共に覚えている。
 手ぬぐい一枚手に入らない時代。「日の丸の赤い部分以外の白生地を縫い合わせ、手ぬぐいを作ったりした」。寝る間もなく働いた母。その母を助けたい一心で懸命に働き、冬は軍用工場で働いた。
 「あの苦労は相当なものだったと思う。よくぞ母は、あの時代に私たちを育ててくれたと思う。連れ合いを奪った戦争のために、あれほどの苦労を母はしなければならなかった」。
 
 23歳の時、近所の徳重さんと結婚。母も喜び、10歳違いの弟も喜んだ。60歳定年まで働いた夫は絵や写真に取り組む。だが難病に罹り、12年の闘病の末、2年前に死去。 
 あの「ひもじい」生活を、近所の同い年仲間とのお茶飲みで時々話す。いまは笑いながら話せるが…。「本当に、馬鹿げた時代だった。食うもんがないから、家の周りの草は、食われらんはみんな食った。いまは賞味期限とかなんとか、まぁーず、もったいないて」。あんな時代は、二度とごめんだ。福原さんは最近のこの国の動きが気になる。「みょうに、なってらんだねェべか」。  (恩田昌美)

文月の表情 「タイムトンネル?」 大倉スノーシェッド   7月17日号
 雨が少なく、梅雨らしくない。どんより天気が続く。ここはどこ?。「国道117号、最後に残された難所」と呼ばれた津南町の大倉スノーシェッド(雪覆工)。この脇に大倉バイパスが3年前に完成、いまは通る車、人は少ない。バイパス開通と共に、町に移管され現在は町道。あれほど頻繁に車が通った道路が、今は静まりかえっている。

 この530bの雪覆工道路は「ランニングにちょうどいいんです」。この道路はいわば全天候型。雨でも雪でも走れる。歩くと分かるが、道路脇の歩道の脇は、信濃川の切り立った断崖。この時期、時おり『キョロロロー』が聞こえる。アカショウビンだ。この「特別な場所」で大地の芸術祭の後半、9月5、6日、劇団「指輪ホテル」が公演する。『あんなに愛しあったのに〜』。津南中等校の学生も共演。新たな劇場空間の誕生だ。

ムラの記憶を後世に、出身者が新祠を建立、津南町下日出山  7月17日号
 人の営みがあった証を後世に―。津南町の下日出山集落。かつては10戸余が住んだが高齢化が進み、現在は2世帯3人、いずれも80代後半を越え消滅が目の前にあるなか「お宮の御神体を次代のため残したい」と今年鉄筋コンクリート造りの祠を建築。今月4日、大正6年建立の集落の鎮守・十二社から御神体2体の移管式を執り行った。「ここにルーツを持つ人が訪ねた時、御神体を祀る祠があることで何か感じるものがあれば」と願っている。

 冬期は4bを越える雪がある同所。神社の屋根が痛み修繕が必要になるなか、出身者らの頭に浮かぶのはやがて見える廃村。「なんとかしたい」と同集落出身の山本龍徳さん(75、大割野)が中心となり、新たな祠への移管を住民、出身者らで協議し祠の新築を決めた。山本さんは「集落が無くなるのはやむを得ないだろうが、御神体は先祖代々祀って来た1つの文化。ここに縁のある人が来た時、何もないのは寂しい。なんとか集落の記憶を次代に繋ぐ道を考えたかった」と想いを話す。全員の了解を得て、ムラの公共事業用に積み立てていた基金のうち約66万円で新たな祠を作った。

 立てた場所は集落が一望できる小さな丘。昭和63年に移転した、観音堂跡地だ。4日は地元住民ら10人余が集まり、祈りを捧げた。出浦から嫁ぎ、65年同地に暮らす山本キクヨさん(86)は「神社も住んでいる者だけではもう何もできなかった。こうやってお宮の御神体が残そうとしてくれるのはありがたい。動けるうちはこの住み慣れた地に住み続けるよ」。妻と2人暮らしの岡本平次さん(89)は「大正3年の大水で住民5人が流され亡くなり、鎮魂もあり神社を作ったと聞いた。それから百年余、その神社の御神体が残せるのは嬉しい」と感慨深そうだった。
 祠は普段は閉じられているが、同集落秋季祭礼の8月16日は開帳する予定だ。

栄村直売所「かたくり」オープン、3施設連携が課題  7月17日号
 ◎…「新鮮で安全な手作り野菜、いかがですか」。国道117号道の駅「信州さかえ」となりに栄村農産物直売所「かたくり」が10日、いよいよオープン。地域の農業者が自家用などに丹精込めて育てた野菜などを販売。運営は栄村農産物販売所出荷運営組合(滝沢総一郎組合長)はオープン時は組合員58人でスタートし、随時組合員を広げる方針だ。滝沢組合長は「農業に取り組む方々が高齢化しているなか、品数と種類の豊富さが第一。まだまだだが今後、生産の幅を広げ、同時に訪れる方々と交流し、情報を得る中で特色ある直売所にしていきたい」と運営方針を話している。

 ◎…道の駅・信州さかえは、国土交通省の第1回認定(平成6年1月)で、現在、全国には1059の道の駅がある。先発の栄村物産館またたびでも、地元農産物を販売し、建設中の民間施設でも仕入れ販売するなど、同道の駅は、地元農産物などの販売拠点になる。オープン式で村議会・福原和人議長は「3店が連携し、栄村の特色ある販売拠点に育ってほしい」と、相互の連携を促していた。テープカットした島田茂樹村長は「またたび、かたくり、共に頑張ってほしい。特に直売所は農業に取り組む人たちの生きがいの場になってほしい」と話している。

 ◎…直売所かたくりでは、毎日出荷を求め、持込みできない生産者には集荷に行く。商品はすべて生産者が価格をつけ、POSシステム(バーコード)で管理。出荷手数料20%で組合運営を行う。同組合には野菜生産部会と加工品部会があり、部会活動を通じて活動幅を広げたい方針。オープン時に来店した村内森の60代の女性は「地元野菜が帰るにはありがたい。いろいろな加工品もほしいですね」と野菜を求めていた。直売所は通年営業の方針だが、冬期間は今後検討する。直売所には厨房設備があり、今後、加工品試食・販売にも力を入れる方針だ。

温泉でほんのり「湯治豚」、松之山温泉  7月17日号
 湯上りの、ぽっちゃりとした桜色。温泉につかり柔らかでうまみがぎっしり。名付けて妻有ポークの「湯治豚」―。温泉を活用したバイナリー地熱発電の実証実験に取り組む日本三大薬湯のひとつ・松之山温泉で、10日から湯治豚の本格的な提供を始めた。同時に地元の魚沼コシヒカリを使った米粉と温泉水などによる「米粉バケットの囲炉裏焼き体験」も企画。地域の活性化に取り組む合同会社まんまの柳一成代表は「温泉を食にも生かしました。入浴や食、そして発電、融雪など、温泉をまるごと活用した松之山温泉を楽しんで下さい」と呼びかけている。
 湯治豚は、日本農業賞大賞など受賞している地元銘柄豚・妻有ポークを使用。バイナリー発電後の毎分120g、約60度の廃湯を有効活用し、古民家を再生した体験交流施設「湯守処・地炉」に設けた調理場で、真空パックで2時間ほどかけ低温調理する。低温による長時間加熱で肉は柔らかくなり、うまみが凝縮。各温泉旅館や飲食店では同施設で湯治豚を作り、アイデア豊かな料理を提供する。
 一方、米粉バケット体験は、地元・星峠産の魚沼コシの米粉と温泉水などを材料に、国内パンづくりの第一人者、松之山出身の志賀勝栄シェフ(世田谷区)監修の米粉パン生地を使う。湯守処・地炉を会場に、竹の棒に巻いて、囲炉裏でぐるぐると回しながら焼きあげる。体験は今月18日から8月末までで、申し込み、問合せは松之山ビジターセンター(рO25‐595‐8588)。
    ○
 バイナリー発電は、6年前から環境省の実証試験として行い、今年度が最終年度。出力は約87`h(一般家庭50世帯程度)を発電し、すでに売電している。今秋には廃湯を利用し、温泉街の消雪パイプにも利用する計画だ。

芸術祭がやってくる「自然と人と災害のモニュメント」津南町三箇地区  7月10日号
「あれは、なんだ」。巨大な建造物が目に飛び込んでくる。国道353号・津南町辰之口を抜け、スノーシェッドを抜けると視界が開け、その巨大なものが迫ってくる。
大地の芸術祭の第1回から関わる作家・磯辺行久氏は、この巨大なものを作品に仕上げる。『土石流のモニュメント』。4年前の3月12日。東日本大震災の翌日発生した長野新潟県境地震で、この『トヤ沢』は大崩落。2b余の雪が残る一帯を埋めた。国道353号も周辺の水田も埋まった。

 磯辺氏は語る。『自然と人と災害。そこには命の育みがある。人間が自然の中で生きていくために培ってきた創意や技、知恵こそ、人間と自然が関わる美術なのではないのか』。
 芸術祭の開催地とは知っていたが、その地に暮らし始めている自分に驚く。今春、地域おこし協力隊で同地に赴任した松本江美子さん(27)。磯辺氏の作品への思いを聞き、協力隊として自分がこの地に来たかった思いと重なった。
「自然と共に暮らしてきた人たち、それがとても魅力的で、そこに生きる原点があるのかなぁと、感じています」。千葉・船橋市で育ち、都会暮らしの日々。だが保育士として子たちと関わるなかで、「これでいいのかなぁ」と抱いた小さな疑問符が次第に大きくなり、協力隊へと自分を導いた。

 磯辺氏の作品は4年前の大崩落の跡を黄色のポールで描く。240本の色塗り、設置作業には地元民など120人余が手伝った。
 巨大の円筒系のものは『セルダム(砂防ダム)』。高さ15b余、砂防工事は今も続く。この建造物を含む一帯の空間を、磯辺氏は『土石流のモニュメント』の作品にしている。
「夜はライトアップしポールの先端が光ります。昼間と違った雰囲気です」。松本さんは訪れた人たちがどう感じるか、と思う。
 大崩落した山、地元で三角山(烏帽子山)と呼ぶ山頂に地元民と一緒に登った。「人間が、かないっこない自然の強さに圧倒されます」。芸術祭の期間中、『裏メニュー』で、三角山登山を地元の人たちと考えている。
           (恩田昌美)

10代のまなざし「水落一衣さん・下条中学1年」  7月10日号
凛とした室内。きもの姿でおもてなし。お茶道具を揃え、お客の前で清めたあと、お茶を点てる。
 「すごく緊張しました。お点前はまだ2回目だったんです。でも失敗しなでできたと思っています」
 母の勧めで小学1年から茶道を習っている。稽古は月2回。大人と一緒に学んでいる。
 「お稽古では、座り方からお辞儀のしかたなどの立ち居振る舞いなどが基本です。習い始めの時から『人前に出て恥ずかしくない作法を身につけることができますよ』といわれています」
 茶道の精神を表す「和敬清寂」。「和」は人との和らぎを意味し、「敬」は相手を尊敬し敬うこと、「清」は清潔さ、「寂」は侘び寂を尊ぶということ。相手においしいお茶を飲んでもらおうというおもてなしの心。
 「秋には市民茶会があります。昨年は、その市民茶会で初めてお点前を担当したんです。十日町雪まつりで行う雪上茶室では、小学3年の時からお茶を運ぶ係りをしています。喜んでもらえるのが一番うれしいです」
 静と動。学校では陸上とクロカンスキーに取り組むスポーツ好き。
 「陸上は好きなので続けていくつもりです。郡市大会では、1年リレーで1位になりました」
 自宅近くの旧東下組小学校。今夏の大地の芸術祭でも作品が展示される。
 「クラスのみんなで手伝ったりしています。始まるのが楽しみです」
      (村山栄一)

シリーズ語り継がねば「関澤清勝さん・少年飛行兵の教育担当」  7月10日号
 軍の命令は絶対だった。15、16歳のあどけなさが残る顔が、戦闘機の操縦席にいる。「終戦の間際だったと思うが…」。特別攻撃隊、『特攻隊』が、彼の地、満州でも軍の司令で飛び立った。
 満州・公主嶺(コウシュレイ)の第8398隊(第2航空気象連隊)の航空要員教育隊の下士官だった関澤清勝さん(91)。あの少年飛行隊員のことが忘れられない。
 出撃命令。限られた燃料しか補給していない戦闘機に乗り込み、飛び立つ少年たち。「離陸後、左に一回旋回し、主翼を左右に振っていくことになっていたが、それすらできない未熟な飛行で、空の向こうに飛び去って行った。敵艦がいる海までたどりつけるはずもないのに…」。

 関澤さんも少年飛行隊に志願したひとり。祖父の仕事に伴って一緒に暮らしていた秋山郷小赤沢で、少年飛行隊員を求めるパンフレットを見る。「お国のため、天皇陛下のため、愛国心が絶対の時代でしたから、私は飛行隊に憧れました」。昭和17年9月、入隊後に配属されたのが満州・新京の第8398隊。19歳だった。訓練を積むなかで上官に認められ、航空要員教育隊に配属。まもなく下士官になり、入隊してくる少年飛行兵の教育を担当した。
 忘れられないのは終戦の昭和20年の春。少年飛行兵の教育を『20時間以内で仕上げろ』と命令が出た。「とても無理。ただ飛び上がって、まっすぐに飛んで行くだけ、それが精いっぱい。だが命令には逆らえない」。すでに2千時間近い経験を積んでいた関澤さん。それだけに「無謀だ」と感じたが、命令は絶対だ。

 特別攻撃隊、いわゆる特攻隊を公主嶺では『降魔隊』と呼んだ。1隊16人編成。夏までに2隊を送り出した。
 出撃の前夜。「真新しい飛行服を用意したが、誰ひとり受け取らなかった。『帰ることはないのですから、古い服で充分です』と言った。皆が抱き合って泣いていた」。どうすることもできない自分が、そこに居た。
 翌朝、真っ青な空の下に並ぶ16機の九七式戦闘機。航続距離630`余、かろうじて日本海に届く。『別れの盃』を交わし乗り込む少年たち。エンジン全開状態で、車輪止めと尾翼引きを一斉に解放するとスーッと離陸。約束通り上空を左旋回。だが主翼は振らなかった。「20時間では飛ぶだけが精いっぱい。そのまま空に消えていった」。
 真っ赤な夕焼けが空を染める頃、『出撃全機、責務完遂』の連絡が入る。それが何を意味しているか、誰も口にしなかった。

 終戦。関澤さんはソ連兵の捕虜となり、約千人と共に「シベリア抑留」となる。4年後の12月末、なんとか生まれた地の津南に、生きて帰った。
 大雪の年、ふとシベリア時代を思い出す。そして『彼ら』の顔が目に浮かぶ。「本当に気のどくなことをした…」。
                   (恩田昌美)

小さくても輝く自治体全国フォーラム、さらに連携を  7月10日号
 合併せずに「小さくても輝く自治体」をめざす全国の町村が参加し、今月3、4日、栄村で全国フォーラムを開き、2日間で4百人余が参加。国が進める「地方創生」への一定の評価が出たが、一方で「今年10月までに総合戦略計画を策定する自治体には手厚い交付金を出すなど、政府の手法には依然として中央集権を感じる」など懸念を表明。20回の記念フォーラムの位置づけから、大会では「真の地方創生の主役は農山漁村の小規模自治体であり、この国を支えているのは農山漁村の町村である」と、小さくても輝く自治体全国フォーラムを今後の継続開催する方針を決めた。

 同フォーラムは12年前の2003年2月22、23日、真冬の栄村で第1回を開催。以来、国が進める市町村合併に頼らない全国の町村で開催し今回が20回大会。スタート時から活動を支える東京大・大森彌名誉教授は、人はなぜ都市に集まるのかと疑問を投げかけた。「人を管理できる社会を作ろうとする、それが都市。都市の便利さは管理されている社会である。だが人が管理できないものがある。それが自然。その中で育つことが、本来人間が持つ能力を引き出してくれる。その中で育った人間こそ、いま必要とされている」と自然豊かな町村の価値を語り、国が画一的に進めた市町村合併の問題点を話し、独自路線で歩む町村の有用性を強調する。

 フォーラムでは、12年前の設立発起人によるシンポジウムも開催。地元栄村の高橋彦芳前村長は、「行政は地域の知恵や技を分かっていないと、その村や町の能力をしっかり引き出せない。知恵や技を持つ人をすぐに10人くらい上げられないトップは問題にならない。潮目を変えることは、よその風に合わせないこと。地域の力がそこで役立つ」などと持論を展開。一方で矢祭町の前町長・根本良一氏は、「やはり地元で金が取れないと人は住まない。住民に金をしっかり取らせること、これが行政の役割だ」と、地域経済あっての自立であると率直な持論を述べた。

 同フォーラムには全国の70町村が加盟。活動を支えてきた大阪市立大の加茂利男名誉教授(立命館大教授)は、人口20万人余の市を「母都市」とした『連携中枢都市』として近隣町村が行政サービスを補完し合う取り組みを提唱する。この背景は地域エリアからの人口流出をくいとめ、エリア内での経済交流、人的交流をはかる広域連合的な地域づくりの必要性を話す。加茂名誉教授は「小規模な町村がしっかりと住民の声を聴き、町村としての意見をしっかり述べ、お互いの広域圏のあり方や均衡を取っていくことで、小規模自治体の課題が克服でき、良さをさらに伸ばすことができる」とアドバイスした。

キーパーソン「当間高原リゾート新社長、真保社長語る」  7月10日号
 丘陵大地に通じる坂道を上がると、いっきに視界が広がる。「解放感というのでしょうか。あの感覚、とても好きですね」。先月26日の当間高原リゾート株主総会で、7代目社長に就任した真保敏一社長(47)。
 「この自然です。手を加え過ぎず、それでいて要所、要所はしっかり手が行き届いている、この感じがとてもいいです」。東京電力からの出向。一昨年、非常勤取締役に就いた。当時から当間担当として、ほぼ毎週ベルナティオを訪れていた。 

 当間高原リゾート・ベルナティオ。十日町市南部の丘陵地に1996年10月開業。510fの広大なエリアにリゾートホテル、ゴルフ場、さらに自然散策エリアが広がる。
 経営する株式会社・当間高原リゾートは第3セクター。新潟県や十日町市、東京電力、鹿島建設、県内銀行などが出資する。
 法人会員制リゾートだが、最近は一般利用も増えている。「シニア世代のご利用が増えています。特に女性です。この自然を満喫されています」。87歳の女性が信濃川ラフティングに挑戦し、『楽しかったわ、来年も来ますよ』。その言葉通り、翌年、88歳でも挑戦し、川下りを楽しんだ。「アクティブなシニアの方々、皆さん元気に楽しまれています。時にはアクロバティックな楽しみもされています」。

 全社体制で来訪者ニーズに応えている。今春からスタートした「ワンコイン・ネイチャーツアー」。朝9時ホテル出発、約3時間のバスのミニツアー。そのガイドは社内公募した社員たち。「クローバー」と呼ばれ、ツアーの企画から、バスガイドまで行なっている。現在15人が登録。松之山の美人林、星峠の棚田、全国名水百選竜ヶ窪などルートをめぐる。費用はワンコイン500円。参加2人から実施する。
 「自分の得意分野を取り入れたオリジナルガイドです。とても好評です」。普段、調理を担当している社員ガイドは、行く先々でその地の食材や伝統料理の話を行うなど、女性参加者には特に好評だ。

 今期、順調な入込みで開業以来初の『宿泊10万人突破』が確実だ。昨年4月から運営委託先を「ナクア ホテル&リゾーツマネジメント」に。同社から佐野智之総支配人を招き、営業活動を進める。「ご宿泊者数は過去最高になる見込みですが、収益向上はこれからです」。7代目社長の手腕が期待される。
 ホテルの評価は高い。昨年9月の「じゃらん」クチコミ調査『お部屋の良かった宿ランキング』関東甲信越エリアにおいて椿山荘など名だたるホテルと同列で4位にランクイン。世界最大の旅行サイト「トリップアドバイザー」では3年連続優良認定を受けている。さらに「ウェルカムベビーのお宿」では過去最高94点で認定を受けるなど、オール・ベルナティオの全社体制が高い評価を受けている。

 宿泊者数が落ちる冬の取り組みも積極的だ。父が県内加茂市出身で雪国事情はよく知る。近隣の当間スキー場、さかえ倶楽部スキー場と連携し、中学・高校・大学のスキー研修も営業展開する。
さらに『かまくら挙式』にチャレンジ。年間を通じて挙式を受ける中で、冬の挙式をさらに魅力アップする。「雪の中で挙式を挙げたいと首都圏などから要望があります。そこで今期は『かまくら挙式』で営業に入っています」。ブライダルスペース『フィオリア』はAACA賞(日本建築美術工芸協会賞)を受け、人気は高い。
「この自然の魅力を、もっとアピールしたい。まだまだやれることはあります」。 
            (恩田昌美)

いよいよ甲子園への夏、十高に期待、県央工・高橋(津南出身)も  7月10日号
 待ってろよ、甲子園―。第97回全国高校野球選手権新潟県大会は10日開幕。90校86チームが甲子園出場をめざす。妻有勢の初戦は11日に「有恒・安塚・川西」合同チームが上越総合技術(三条パール金属スタジアム)、松代が長岡商(同)、13日は十日町が松代―長岡商の勝者(同)と、14日は十日町総合が糸魚川白嶺と対戦(長岡悠久山球場)する。

 注目は春季大会ベスト4で14年ぶりの甲子園出場をめざす十日町。183aの長身から投げ下ろす角度のあるボールを低めに集めるエースで4番の高橋克幸(3年)が投打の中心。また右横手投げの変化球投手・渡辺一茂(同)、左腕・小林大蔵(2年)の投球にも期待がかかる。打線では、勝負強い5番・山田貴一(3年)の前にランナーをためられるかがキーポイントになりそうだ。

 十日町はベスト16まで勝ち進むと第6シード・長岡工との対戦が濃厚。この試合を有利に進め勢いをつけたい。さらに準々決勝に進むと、春季ベスト8・開志学園と第6シード・柏崎工の勝者との対戦が予想される。開志学園とは春の準々決勝で3対1で破ったものの緊迫したゲームだった。対戦が決まった場合、雪辱を期して挑んでくるだけに気を抜けない試合になることは確実。

 準決勝まで進むと、別ブロックは春準優勝の新潟県央工、甲子園常連ともいえる日本文理、新潟明訓など強豪校が揃い、どのチームが上がってきてもおかしくない。
 春の覇者・中越とは決勝まで当たらない。「春の借りを返したい」と意気込む十日町。好機を着実に生かすことができるかが大きなポイントだ。
     ○
 津南中出身のエース・石橋健哉(3年)を擁す春季準優勝の新潟県央工は13日の初戦で正徳館―柏崎の勝者と対戦(柏崎市佐藤池球場)する。強豪校が揃う『死のブロック』で、厳しい試合が続きそうだ。予想では、ベスト16まで勝ち進むと新潟私学の雄・新潟明訓と、準々決勝では強豪・日本文理と対戦することになりそう。重いストレートが武器の石橋。打線がどれだけ投手陣を援護できるかが勝負を左右することになる。

究極のクールビズ誕生、からむしでジャケット   7月10日号
 ◎…越後上布に使われ、きものの街、十日町を代表する素材「からむし(イラクサ・苧麻)」を横糸に使った究極のクールビズ・スーツとジャケットが販売された。昨年のビジネスコンテストの予選会で日大「チームからむし」が発表した『からむしスーツ・ジャケット』のアイデアを十日町市の加工事業「ネオ昭和」(村山好明社長)が事業化し6日から販売を開始している。デザインは横浜在住で慶応大学生ながら会社(アレ・モコレ)を起業している野口智瑛さん(21)。「麻の良さを出しながら機能性を考えた」とする。今秋募集の「トオコン2015」に、新たな事業プランで応募する計画だ。

 ◎…からむし活用に取り組むネオ昭和の村山社長。2年前には県内5市町で『新潟県からむしネットワーク』を設立すると共に、地元水沢小の体験学習に協力、さらに被災地の岩手・大槌町のNPOと連携し、地元の子どもたちと共同栽培、さらに長野・麻績村にも十日町産のからむしを提供するなど活動が広がっている。村山社長は「若い感性には、からむしのさらなる活用が期待できる。十日町の特産になる」と期待する。同社ではこれまでに麺やボディタオル、アンダーシャツ、茶などオリジナルからむし商品を開発。なかでも「からクルシャツ」は人気を呼び、今回のジャケット・スーツとのセットでさらに評判を呼んでいる。

川西高校、募集停止、1万1千余の署名届かず    7月3日号
 新潟県教委の高校再編3ヵ年計画で「平成28年度募集停止」が出され、同窓会や十日町市、小千谷市の関係者で1万1千人を超える存続要望署名を県教委に提出している県立川西高校の存続問題は、今月県が公表する高校再編計画で再び28年度募集停止が示されることが明らかになり、来年度28年度の募集停止が決まる方針だ。2年前の募集停止方針を受け、地元関係者で立ち上げた「川西高校の存続を求める会」の仲嶋英雄会長は「高校教育は数の論理ではないだろう。5年前から特別支援学校高等部が併設され、それが良い教育効果を生んでいる。これほど特色ある高校を、なぜなくさなければならないのか」と改めて県教委の方針を問題視し、同時に県教委方針に賛同する地元行政の姿勢も疑問視している。

 川西高校は十日町高校川西分校として開設し、昭和52年4月、独立校・川西高校が開校。同58年には5学級体制まで生徒数が増えたが、平成19年から毎年学級減が進み、21年から2学級体制。現在全校194人、各学年2学級。最近は入試の定員割れが続いている。同存続を求める会では昨年5月27日、県教委に1万1193署名を提出し、存続を直接要望している。
 県教委の募集停止方針を十日町市教委でも情報を得ているが、これまで市教委は「県教委の方針は理解できる」(蔵品教育長)など市議会で答弁している。

 一方、同存続を求める会は、十日町市や隣接の小千谷市関係者と取り組みを行うが、地元行政の方針とかみ合わないのが現状。仲嶋会長は、高校の存在は「地域の拠り所」という。特に平成22年4月から併設の「小出特別支援学校ふれあいの丘分校高等部」との相乗的な教育効果を評価する。「特色ある高校が出来ている。多感な成長期にある子どもたちにとって、とても良い環境だ。教育は数の問題ではないだろう」と県教委の方針を疑問視する。隣接の小千谷市真人地区などから30人余が通学する実態もあり、バス路線維持と共に、高校の存在は大きな地域問題としている。

 さらに第1期卒業生であり同校同窓会の上村保弘会長は「署名提出から事態を静観してきたが、方針が決定とするなら、我々の思いが通じず非常に残念だ。受皿の問題など多くの問題が表出する。地元行政の対応を注視したい」としている。県教委は今月6日、高校再編計画を公表し、この中で川西高校28年度募集停止が明記されている。なお、同計画では十日町総合高校が1学級増加することも表記されている。

10代「山谷忠光   7月3日号
 新潟県教委の高校再編3ヵ年計画で「平成28年度募集停止」が出され、同窓会や十日町市、小千谷市の関係者で1万1千人を超える存続要望署名を県教委に提出している県立川西高校の存続問題は、今月県が公表する高校再編計画で再び28年度募集停止が示されることが明らかになり、来年度28年度の募集停止が決まる方針だ。2年前の募集停止方針を受け、地元関係者で立ち上げた「川西高校の存続を求める会」の仲嶋英雄会長は「高校教育は数の論理ではないだろう。5年前から特別支援学校高等部が併設され、それが良い教育効果を生んでいる。これほど特色ある高校を、なぜなくさなければならないのか」と改めて県教委の方針を問題視し、同時に県教委方針に賛同する地元行政の姿勢も疑問視している。

 川西高校は十日町高校川西分校として開設し、昭和52年4月、独立校・川西高校が開校。同58年には5学級体制まで生徒数が増えたが、平成19年から毎年学級減が進み、21年から2学級体制。現在全校194人、各学年2学級。最近は入試の定員割れが続いている。同存続を求める会では昨年5月27日、県教委に1万1193署名を提出し、存続を直接要望している。
 県教委の募集停止方針を十日町市教委でも情報を得ているが、これまで市教委は「県教委の方針は理解できる」(蔵品教育長)など市議会で答弁している。

 一方、同存続を求める会は、十日町市や隣接の小千谷市関係者と取り組みを行うが、地元行政の方針とかみ合わないのが現状。仲嶋会長は、高校の存在は「地域の拠り所」という。特に平成22年4月から併設の「小出特別支援学校ふれあいの丘分校高等部」との相乗的な教育効果を評価する。「特色ある高校が出来ている。多感な成長期にある子どもたちにとって、とても良い環境だ。教育は数の問題ではないだろう」と県教委の方針を疑問視する。隣接の小千谷市真人地区などから30人余が通学する実態もあり、バス路線維持と共に、高校の存在は大きな地域問題としている。

 さらに第1期卒業生であり同校同窓会の上村保弘会長は「署名提出から事態を静観してきたが、方針が決定とするなら、我々の思いが通じず非常に残念だ。受皿の問題など多くの問題が表出する。地元行政の対応を注視したい」としている。県教委は今月6日、高校再編計画を公表し、この中で川西高校28年度募集停止が明記されている。なお、同計画では十日町総合高校が1学級増加することも表記されている。

歯科廃止、町立津南病院の今後を方針   7月3日号
 地域医療の拠点のひとつ、町立津南病院の今後のあり方を諮問された「町立津南病院運営審議会」(会長・草津進町議・委員6人)は29日、上村町長に答申書を提出。この中で受診者が年々減少する「歯科廃止」を提言。日平均8人余の同歯科は地域内の開業歯科医院で対応でき、高齢化による口腔ケアは歯科衛生士の訪問活動でカバーできるとしている。一方で課題の看護師確保は、採用年齢を50歳以下(現行45歳以下)とし通勤者対応の住宅整備の必要を提言。非常勤医師による病院運営コスト増加の解消に、常勤医の確保が最優先課題と上げており、協力関係の深い東京慈恵会医大との連携をさらに強め、常勤医の派遣をさらに要請するなど提言している。

 町立津南病院は現在一般62床、療養型52床の114床体制。看護師不足により、今年度退職予定者を含むと年度末に看護師基準数を8人下回り、現状の病床数の維持が困難になる。答申書では「看護師不足を打開し、2つの病棟体制を維持すべき」と強く提言。
 だが現状は厳しい。今年度末で4人が定年退職予定で、これまでの看護師不足と合わせ年度末に8人の不足状態となる。このままの状態が続くと、28年度は病床数の休床に迫られる。一方、町医学生等修学資金制度により現在、看護師をめざす12人が同制度を受ける。今春、同制度受給の新卒看護師を採用するなど成果を上げる。提言では「就職助成金、就労支援等の制度創設」を求めている。

 一方、医師確保も課題。現在、内科医4人(東京慈恵会医大)の常勤医だが5人体制を求める。さらに外科、整形外科、小児科の常勤医1人の設置を求める。この背景は現状の非常勤医師体制は病院運営コストに大きく影響する現状がある。町がコンサル委託した報告書によると、常勤医師報酬に比べ交通・送迎費用を含む非常勤医師報酬の費用が約3倍を要す実情がある。非常勤医師は月平均延べ90人に及ぶ。

 答申を受けた上村町長は「病院運営に長く関わる審議委員により広く、深く協議していただいた答申を尊重し、病院運営に反映したい」と話し、来年度には具体的な対応をする方針で、年内には方針を出す予定。一方、津南病院の阪本琢也院長は「看護師など医療スタッフは一般病院の3割増で働いている。今回の協議の中で再認識したのは、絶対に守らなければならいと改めて実感した。守るべきものははっきりしている。ネットワークの見直しも必要だが、私としてはむしろやる気が湧いてきている」と積極姿勢を見せている。

英語でおもてなし、十日町市英会話B寺子屋塾スタート  7月3日号
「大地の芸術祭では外国人客に英語でおもてなしを」―。放課後寺子屋塾に続き、先月26日から土曜英語寺子屋塾が十日町市でスタートした。入塾した小中学生たちは「外国人とスムーズに会話ができるようになりたい」と意欲を見せている。

 同塾は昨年度から本格実施。今年度から習熟度に合わせ小学生は「入門」と「挑戦」コース、中学生は英検「4級」と「3級」コースの各2コースを設けた。会場は中央公民館と千手中央コミュニティーセンターで、小学生は29人、中学生は15人が参加し来年2月まで24回学んでいく。

 講師の関口仁彦さんは「英語を自分の道具として使えるようになってほしい」、また高橋貢さんは「国際化に対応を」と期待。塾長の蔵品教育長は「大地の芸術祭や東京五輪は外国人と話をするチャンス。英語で人生が楽しくなるよう期待します」と呼びかけ、これを受け塾生たちは「英語は好き。外国からの観光客と話したいし、外国にも行ってみたい」などと話していた。


COPYRIGHT (C)2004 TSUNANSHINBUN-ONLINE. ALL RIGHTS RESERVED
!-->