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2014年10月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
高規格道、水沢インター実現を、地元11地区が協議会設置  10月31日号
 原発事故など防災避難道路の重要ルートとして急浮上する地域高規格道「六日町―上越」快速道路。今月、その難関箇所だった八箇峠道路・八箇峠トンネルが貫通し、3年後の供用開始が決まっている。地元十日町市・津南町にとっては、その先、十日町インター(仮称)の設置が最大の関心事。今月27日、その有力候補地の水沢地区で「水沢地区インター推進協議会」の地元組織が立ち上がった。八箇峠道路は国直轄で行い、その先の「十日町道路」も国直轄での継続を求めている。設立総会に出席の県担当者は「今年度航空調査を行い、ルートの具体化は来年度以降になる」としており、地元では2年程度でルート選定したい方針だ。高速道に縁遠かった十日町・津南エリア。準高速道となる快速道の実現は、妻有エリアの念願でもあり、さらなる住民運動と地元行政の取り組み強化が求められる。

 市町村合併前、高規格道の十日町インターは、水沢エリアにと、旧6市町村で合意し、国や県への誘致運動を展開した経過がある。その核となったのが県立十日町病院の改築、インター近くへの誘致だった。だが、合併後、病院誘致の実現が困難となり、この構想の実現性が薄れてきていた。だが、八箇峠トンネルの実現、貫通で十日町インターの実現性が増し、さらに新潟県が今年度、調査費2500万円で調査実施するなかで、水沢地区地域振興協議会で主導し、今回のインター実現への協議会結成を実現した。

 今回の協議会には、かつてインターの有力候補地だった伊達地域の各集落を含む11地区の代表で構成し、地域一丸となってインター誘致に取り組む体制を整えている。来賓出席の関口市長は「地元協議会設立は嬉しい。十日町道路として国直轄での継続を強く望む。近くいくつかのルートが示されるだろう。さらに国や県に強く要望する覚悟で、共に取り組みたい」と期待感を込め、市としえも実現に向けた取り組み姿勢を見せている。

 さらに、村松県議は地域高規格道が国事業になる前の苦労談にふれ、「ミニ高速道と呼び、当時の建設省若手の勉強会で始まった事業。同盟会の初代会長、真島一男先生の特別の配慮は今に通じている。地元からの声を重ねることが大切」と同道の誕生を話し、インター実現への協力を述べた。さらに尾身県議は「29年に八箇峠道路は完成するが、野田―六日町インター間が課題。十日町道路は、調査区間を早く整備区簡することが重要。原発事故時の避難道路として重要性が増している。まさに『命の道』であり、早期に実現したい」と必要性を強調し、実現への強い姿勢を示した。

 一方、県の十日町地域振興局・地域整備部・小泉良彦部長は「地域医療や原発災害対応など十日町道路は地域にとって極めて重要。今年度予算で航空測量調査を行い、地形など詳細調査し、住民意見を受ける機会を作る。(十日町道路は)数百億の工事になる」と方針を話す。高規格道全線の地図では八箇峠から十日町インターまで約3`。県では今年度2500万円予算で航空調査を行い、地域の詳細地形などを調べ、来年度以降、複数のルートを示し、住民意見を聞き、具体化したい方針だ。地元水沢では「2年前後でルートを決めたい」としており、今回の協議会長に付いた水沢地区振興会・上村國平会長は「新幹線も高速道もなく、災害時の孤立化、救急救命では1時間半をかけて長岡に行かなくてはならない。まさに命の道だ。水沢インターの実現に地域上げて取り組む」と実現への積極姿勢見せている。

 なお、十日町道路は現在調査区間。工事着工に必要な整備区間への格上げには、具体的なルート、さらに工事担当者(国直轄は県代行か)の具体化が前提で、『命の道』実現への近道は、地元住民運動の盛り上がりと、強力な政治力が求められる。

写真・インター設置を関口市長に要望する上村國平会長(左・10月27日)

やっと「観光放流」、全量返還を、清津川分水問題  10月31日号
 清津川分水問題でわずかな進展が見られた。東京電力が発電用水として清津川から取水し、別水系の魚沼川に放流している分水問題は、90年来の「水争い」となっているが、27日開催の第15回清津川・魚野川流域水環境検討協議会で十日町市が要望していた紅葉シーズンの増量「観光放流」が実現。東京電力の合意が前提だが、早ければ来月から最大で毎秒0・489d増量する。ただ、増量期間は紅葉期に限られ、10、11月の1日から15日までの期間限定で、今後の本格増量への弾みになるか関心が集まる。地元では「ようやくというか、いまさらというか、余りにも遅い対応だ」と疑問の声も聞こえる。

 分水問題は、東京電力・清津発電所で清津川から取水し、さらに下流の2つの発電所で発電用水として活用後、南魚沼地域の魚野川に放流している問題で、合併前の旧中里村時代に本格的に表出し、住民運動を含め行政が前面に出て、「水返せ運動」を展開。合併後、十日町市が引き継ぎ、水利権者の東京電力、さらに流域で利水する南魚沼市が加わり、国土交通省、新潟県が主導し協議を進める。一方で4年前に泉田知事の仲介で本格協議のテーブルが設けられ、県・十日町市・南魚沼市の3者協議も並行して進んでいる。

 湯沢取水ダムから清津川への放流量は1年を13期間に分け、細かく放流量(0・334d〜1・078d)を定めている。27日の協議会では、前回協議会で十日町市が要望した「秋の紅葉シーズンの増量」を協議し、南魚沼市側が魚野川の流量に余裕がある時期として増量を受け入れた。これにより今後、10月1日から15日の間は、毎秒0・341d増の0・978dを放流。さらに11月1日から15日の間は0・489d増の1・467dを放流することになった。実施時期は東京電力が合意後だが、早ければ11月初めから実施する。

 だが、分水放流する最大毎秒6・121dの抜本的な協議はこれからで、今回の増量は暫定的な措置。地元の「ふるさと清津川を守る会」事務局の藤ノ木信子局長は「観光放流は全国どこでもやっていることで、いまさらの感が強く、かなり遅い対応だ。来年が試験放流最後の年になるが、南魚沼地域の水利用の見直しが一番現実的な対応で、すぐにできることではないか」と話している。特に泉田知事の仲介でスタートしている3者協議について、「知事は6d全量返還のために3者協議を立ち上げており、その前提は崩さないでほしい」と県の姿勢にも関心を寄せている。
 

診療情報を共有、登録で安心ネット、魚沼エリア12病院連携  10月31日号
 急患や救急搬送で圏域のどこの医療機関に行っても患者の医療情報が現場の医師に分かる医療ネットワークを魚沼エリア5市町で整備し、今年4月から利湯者登録を開始し、県立十日町病院では今月27日から説明員を病院内に配置し、登録受付を進めている。この「魚沼地域医療連携ネットワーク」『うおぬま・米(まい)ねっと』は、新潟県内で佐渡地域に次ぐ設置で、医師不足による山間地医療を補うシステムとして大きな期待が寄せられている。
 
 このネットワークシステムは、救急搬送時に受け入れ病院の医師が患者(登録者)の診療情報をその場で確認でき、適切な医療処置が可能になり、救命率の向上にもつながる。この背景には、魚沼エリアの医師不足の現状がある。人口10万人当たりの医師数で魚沼圏は122・1人と新潟県内6圏域で最低。県平均166・9人、さらに全国平均230・4人を大きく下回っている。このため医師1人が多くの患者を診療する現状にあり、特定の病院の勤務医の負担が増している。

 4月からスタートしている同ネットワークシステムは、十日町市・南魚沼市・魚沼市・津南町・湯沢町の5市町で構築。圏域の医療機関12病院、診療所31、保険薬局33が加盟。この医療機関が登録者の診療情報を共有し、急患や救急搬送に役立てる。
 共有する診療情報は、病院や診療所での検査結果、映像資料、さらに薬情報、病院対応になるが病歴情報などで、登録者カードにより、IT端末で診療情報が分かるシステムだ。事務局では「情報を共有することで検査や投薬の重複を防ぎ、別の医療機関に行っても共有情報により安心して診療が受けられる」と登録を呼びかけている。

 4月からの登録数は28日現在5960人。登録受付は十日町市役所や津南安置役場など市町担当課や十日町病院、津南病院、松代病院、上村病院など加盟病院。本人確認の運転免許証・保険証が必要。登録料は不要だ。
 運営はNPO魚沼地域医療連携ネットワーク協議会が行う。理事長は六日町病院・吉田和清院長、十日町病院・塚田芳久院長や小出病院・布施克也院長などが理事。事務局は南魚沼市役所内に置く。米ねっと協議会事務局рO25‐788‐0485(南魚沼市役所内)。
 

宇宙をめざす火柱、段丘花火  10月31日号
 〇…夜空に河岸段丘を浮かべる津南町のアート「第9回ジオ河岸段丘花火」は25日に点火。苗場山麓ジオパーク構想を支援、昨年から信州秋山郷の切明をスタートラインに全53ポイントで直線花火「虎の尾」を打上げ。わずか1分、日本一短い花火。一瞬の花火アートは晩秋の津南名物となっている。

 〇…自分で花火を点火できるのも魅力のひとつ。今年は120人余のボランティアスタッフが参加。山形・米沢市から秋の旅行中の5人は、高校の同級生。十日町・津南地域に旅行を計画。ウェブでイベントを探した所、同花火の開催を知り興味を覚え、花火オーナーとなり打上げを申し込んだ。旅行幹事の鈴木学さん(38)は「ネットで調べたら次々に花火が上がるのが凄くロマンチック。初めて津南に来て特殊な地形だと思った。点火時の緊張感が良いですね。また来たい」と満足そう。

 〇…第3回大地の芸術祭で造形作家・景山健氏(53、鎌倉市)が考案。2回目から地元の地域活性化グループ・Wa(わ、福原章子代表)が主幹となり継続。来年の第10回記念花火は、景山氏と連携しながら盛り上げる計画だ。福原代表(43、外丸)は「続けることが大事と思い、来年はもう10年です。節目の年、大きくアピールしますよ」とすでに来年に向け検討を重ねる。一方、打上げに2年振りに参加した景山氏は「地元の方が花火を受け継ぎ、作家の意図を越え発展させるこんな地は他にはない。第1回大地の芸術祭から津南に関わり来年で15年目。個人的にも節目の年。地元の方の協力を得て何かやりたい」と語った。

(撮影・内山義幸さん、清津川対岸の市之越から映す。星の軌跡は75分露光、10月25日)

10代のまなざし「久保田夏生さん・十日町総合高2年・17歳」沖縄での出会い
 初めての沖縄は、直撃した台風で「ハプニングと出会いがあり、とても思い出深い修学旅行でした」。今月9日からの3泊4日の日程が、台風で交通機関がストップ、4泊5日の旅になった。

 農家民泊は特に思い出深い。当初の1泊が台風で2泊に。気温25度、湿度85%、時々停電。夫婦と「おばぁ」の3人家族に女子4人で民泊。「自分の子は男の子だけだったと言い、私たちを歓迎してくれました」。シークワーサー畑で取れたての生ジュース。「最高に美味しかった」。家族と48時間一緒。「もう帰る時は、みんな号泣でした。最高の思い出です」。津南産魚沼コシヒカリをお礼に送る予定だ。

 大戦で多くの犠牲者が出た沖縄戦。子や女性らの多くの悲話が残るガマ(洞窟)。「真っ暗。本当に何も見えない中での語り部の方の話は怖かったです。二度とあんな悲劇はあってはならないです」。17歳の心に、何かがインプットされた。
 2歳上の姉はネイルなど美容系の専門学校に通う。「姉の影響もあると思いますが、美容系に進もうと考えています。でも、必ず津南に帰ってきます。ここが好きですから」。美容師資格を含むトータルビューティーをめざす。  

 「でも、寒いのはちょっと苦手なんです」。だが心配ない。『ちょっぱー』が毎夜暖かさを提供してくれる。 「捨て猫なんです。父は反対だったんですが、私が連れて帰ってきて、それから家族です」。今夏には『ちゃちゃまる』も仲間入り。ちょっぱーは、夏生さんの布団に潜り込み、朝までぐっすり。「癒してくれます」。      (恩田昌美)

津南(つなん)と津南(つみなみ)が交流、ロータリークラブ  10月31日号
 名称が同じことから23年前から交流する津南ロータリークラブ(樋口賢一会長・会員24人)と三重・津南(つみなみ)ロータリークラブ(長谷川顕一会長・会員46人)の交流会を20日、ニュー・グリーンピア津南で開き、交友を温めた。

 津南町を来訪したのは長谷川会長ら6人。津南RCの例会に出席し、樋口会長から「三重・津南との交流は海と雪の交流で、子どもたちの相互訪問など行った思い出が多い。これを契機にさらに交流を深めたい」と歓迎の言葉。これを受け三重・津南RCの長谷川会長が「私は2回目の津南町訪問。スキー交流など貴重な体験をさせていただいた。今後も節目節目のつながりを大切に、さらに長い交流・交友を続けたい」と歓迎に感謝した。

 懇親会では両メンバーが近況報告などを行い、「津南の地酒がうまいですね」や「さすが魚沼コシヒカリ、本場で食べると違いますね」などと歓談した。なお、三重・津南RCは来年度創立50周年を迎える。記念式典を平成28年5月22日に行い、津南RCから出席することになっている。

にんにくパワー村起こし、栄村農業青年  10月31日号
 にんにくパワーで村に元気を―。26日、栄村収穫祭。地元農家ら30点余りが出店するなか、簡易コンロで大粒のにんにくと肉の串焼きを焼く、若い衆の店舗に人だかりができた。コンロには「栄村にんにくマン倶楽部」のペンキ書き。「ほくほくで美味しい」と人気。若き農家担い手による、新特産物開発に関心が集まっている。

 農家の担い手不足が深刻な栄村。一方、「農業で生計を立てる」という意思をもつ若者たちも多く、そこへ、JA北信州みゆきが声をかけた。「にんにくを作ってみたらどうか」。栄村の若手農家・畜産業の5人が、農協、役場、農業普及センターの支援を受け新しいグループ「栄村にんにくマン倶楽部」結成。青森がブランド地の品種・ホワイト六片の栽培を開始。忙しい農作業の傍ら、昨年8月から勉強会を重ね、9月に播種。にんにくは畑の中で約10ヵ月間育てる。雪の下ですくすく育ったにんにく、今年6月下旬に初収穫。同月の村内の山菜祭に出品し好評。手ごたえ感じた。

 にんにくの栽培は難しく、保存方法がうまくいかず、収穫したものを腐らせてしまったことも。さらに種は決して安くないが「換金性がよく、収入になる」と来年に向けてすでに動き出している。代表の斎藤充紀さん(33、天地)は、「失敗経験を生かし、来年も今年と同じぐらいの収量をめざしている。うまく採れれば農協出荷、しょうゆ漬けなどの加工もやっていきたい」。新しい栄村特産農産物化に、期待が高まる。

免税店で外国人誘客、来春認可を、クロステン   10月24日号
 十日町広域の特産を販売する『道の駅クロステン』は、今後期待できる外国人旅行者をターゲットにした免税コーナーを来春開設に向け準備を進めている。国は今年10月から、外国人旅行者が購入できる消費税免税品に新たに食料品など消耗品を加えた。購入金額の制限はあるが、これまで食料品は対象外だったため、制度改正で酒類、米なども対象となる。中国や韓国などアジア圏からの旅行者が増えており、特に新潟の酒、米の人気は高い。クロステンでは「来年の芸術祭、さらに東京オリンピックなど今後さらに外国人旅行者は増えるだろう」と見ており、特産販売での免税コーナーの新設は「新たなセールスポイントになる」と開設を急いでいる。

 消費税免税品の拡大は、国の「外国人旅行者2千万人目標」の一環で今年10月から実施している。ただ一定の条件があり、食品、飲料、薬品など消耗品は、国内で使用せずに国外に持ち出すことを書面サインで約束する。このため販売店には、開封したら分かる指定の包装を義務付けている。購入額は、一日に同一店での購入合計を5千円〜50万円。消耗品以外は1万円以上。一方空港にある免税店は、酒税・たばこ税などを免税する専門店。

 クロステンでは、免税店の許可を得るため管轄の十日町税務署に相談し進めており、『輸出品販売場』の許可が必要だ。
新潟県内では、新潟三越、新潟伊勢丹や大型家電量販店が免税店の許可を受けているが、道の駅など特産販売所での免税店許可をまだ数少ない。クロステンは今月、新潟三越に行き、免税コーナーや包装設備、さらに接客などの状況などを視察している。

 クロステンの岩船真人専務は、2年前の第5回大地の芸術祭で約50万人来場のうち約10%、5万人が外国人旅行者というデータを基に、「芸術祭は回を経るごとに外国人が増えている。来年の第6回ではさらに増えるだろう。特に東南アジア圏。免税品を扱うことが一つのセールスポイントになり、消費税が10%になれば、さらにメリットは大きい」と見ている。クロステンの外国人旅行者数は増加傾向にあり、これまでのデータによると、外国人購買額のトップは中国人で、一度の来店で1人平均20万円、次がアメリカ人の約10万円。中国の富裕層の旅行先が地方に向いていることが伺える。

 この傾向は大手旅行会社の動きでも分かる。東南アジア圏からの誘客商品を企画、実施しており、クロステンでもJTBなどと提携し商品化を進めている。特に『雪』が大きな商品価値になっている。「中国の富裕層は、すでに東京、京都など国内の主要観光地には行き、今は地方の特色ある地を求めている。その中で雪が大きな魅力になっている。雪の十日町、大きなビジネスチャンスだ」と岩船専務は見ている。

 免税店の許可は、申請から1ヵ月ほどで認可される見通しだが課題もある。専用売場の設置、指定包装設備、さらに対応できる語学力を持った人材など。「英語の人材はいるが、できれば中国、韓国からの旅行者に対応できる人材を確保したい」(岩船専務)としており、専用設備と共に人材確保を進める方針だ。

星峠の棚田守る会、プロジェクト始動、日芸・鞍掛教授グループと住民が  10月24日号
 全国有数の棚田として知られる十日町市「星峠」地区。なだらかな傾斜地に大小の畳を重ねたように広がる「星峠の棚田」。戸数30世帯57人が暮らし、約20fの棚田がある。知名度が上がり来訪者が増加する一方で、進む高齢化が棚田耕作の継続を難しくしている。星峠地区で2006年の第3回大地の芸術祭で『脱皮する家』で作品展開し、その後も交流する日大藝術学部・鞍掛純一教授グループは、星峠棚田で増える耕作放棄地の耕作化に乗り出し、今春6月、荒廃した田んぼを起し、5年ぶりに田植え。その待望の稲刈りを今月12、13日、地元民と学生が協力して行った。ぬかるむ田んぼに苦戦しながらも快晴の12日、収穫を終了。沓掛教授は「取り組みを広げることが大切。来年、芸術祭がある。つながりを広げたい」と話す。里山で始まった芸術活動。そこでの交流は、里山を守る運動に発展している。
 
 日藝の活動は、芸術祭を通じて関係が深まった。2006年の「脱皮する家」が話題を集め、集落民と運動会や祭り交流を重ねた。一方で棚田の景観が人を呼ぶ観光要素になり、「星峠の棚田」は、全国のカメラマンの撮影スポットとなり四季を通じ来訪者が増えている。
 だが、その棚田を耕作することは大変。傾斜地の狭い道路、機械が入りにくい田、畦の草刈など高齢化する集落にとって棚田の維持は「過酷な重労働」になっている。

 昨年春、「棚田を守る会」(山岸公男代表)が誕生。地元と芸術祭や地域活動支援するNPO越後妻有里山協働機構、そこに日藝・鞍掛グループが加わり、「先ずは荒廃田を耕し、稲を作る」ことから取り組んだ。今春6月、学生45人が地元民の指導を受け、田2枚の約15eに初の田植え。水管理は地元民で行うが、多くが「天水田」の星峠の棚田。限られた水での耕作は、ベテランでも難しい。
 今月12日。初の稲刈り。学生12人で取り組み、地元民の協力で14俵ほどの収穫を得た。地元の牧田信二さん(63)は同地で7f、約百枚の田を耕作。「よくやってくれるが、大変さが分かったと思う。複雑な思いもあるが、こうして田に稲が育ち、米になるということが続けられることが大事だ」。

 NPO越後妻有里山協働機構の竹中想さんは、守る会の事務局。「どう活動を広げるかです。棚田は残したいが、作り手の高齢化は避けられない現実がある。芸術祭での関係性の広がりが、新たな動きになってほしい」と期待する。

 星峠と関わり続ける日芸・鞍掛教授。「広がりでしょう。生きること、食べること、そのことを棚田の活動を通じて広げること。芸術祭などを通じて確実に広がっている。これをさらに広げたい」と話し、国内外で作品受賞する沓掛氏の活動そのものを発信力に、星峠プロジェクト活動を広げたい方針だ。

特産化に自信、わさび栽培成功、鈴木丑三さん指導   10月24日号
 見事なわさびが収穫された。3年前から栄村北野の湧水を活用し、試験栽培に取り組む住民グループは20日、指導を受けていた全国わさびマイスター・鈴木丑三氏(82・静岡天城湯ヶ島在住、津南町出身)を招き、初の本格的な収穫を行った。小石と砂を敷き詰めた栽培田に植えた2百株余りは、しっかり根を張り、一株ずつ収穫すると茎長さ18aほどに育ったわさびが次々と採れた。わさび作り60年の鈴木氏がびっくりするほど見事なわさび。このうち10`ほどを長野と大阪の市場に出荷し、市場評価を受ける方針だ。住民グループでは「実験は大成功。見事なわさびができた」と自信を深めている。試験田の場所を提供した栄村も関心を寄せ、行政や民間、さらに住民レベルでの本格栽培を視野に、12月には鈴木氏の栽培地を視察する方針だ。

 試験田は北野天満温泉敷地内からの湧水を活用し、5b四方の実験田で3年前から試験栽培を開始。指導は全国わさび栽培のリードする静岡天城湯ヶ島で60年間、わさび栽培に取り組む津南出身の鈴木氏。その功績で叙勲や大日本農会紫白を受賞している。昨年5月、鈴木氏が開発した優良種「登録3号」の苗2百本余を植えた。積雪期は簡易なカバーをかけただけで管理。水温11度前後、初年度に栽培が可能と実証し、今回の本格栽培となった。

 20日の収穫では、しっかりと根を張ったわさびが次々と砂地から姿を現し、その度に鈴木氏は「これはすばらしい。この緑色がなかなかでない。あとは味だろう」と早速、摺り鉦で摺ると、すぐにわさび特有の香りが出て、ひと口食べると、「うー、利くー」と参加のグループ関係者皆が顔を見合わせた。「味もいい。これほど良質なわさびができるとは思わなかった」と太鼓判を押す鈴木氏。収穫のうち5`を鈴木氏が出荷する国内有数のわさび市場、大阪中央青果・中青市場に出荷。グループは長野市場に出荷し、市場評価を受ける方針だ。

 鈴木氏は知人を通じて全国名水百選の「竜ヶ窪」でも試験栽培している。水温が9度前後の竜ヶ窪では、さらに良質なわさびができることが実証されている。「津南でも栄村でも十日町市でも、私にとっては皆ふるさと。なんとか郷土に恩返しをしたい。この地は良質なわさびができる水がある。地域の取り組みを期待したい」と、長年蓄積してきた栽培技術、苗などを提供する意向だ。

 今回、試験田を提供した栄村の島田茂樹村長は12月上旬、鈴木氏の栽培地を視察する方針だ。

初の痴漢撃退講習会、十日町署が  10月24日号
 撃退法を伝授―。十日町署(佐藤公夫署長)は「県犯罪のない安全で安心なまちづくり旬間」(11〜20日)に合わせ17日、女性対象の「痴漢から身を守るための防犯教室」を初開催。会場の市総合体育館に接客業、金融機関、行政職員など人と接する機会の多い助成30人余が参集。手を掴まれた時の外し方、首を絞められた際の抜け方、さらに自衛のための反撃方法など伝授。病院勤務の看護師で友人と参加の諸原幸恵さん(26)は「いざやってみると、コツを知れば意外と簡単に掴まれた手を外せました。職場の皆にも伝えたい」と熱心に練習を重ねていた。

 今月15日夜、埼玉・入間市で女子大生が刺殺されるなど、女性を狙う犯罪は多発。県内では強制わいせつ事件は近年のピークは平成18年の174件、昨年は71件発生。県警では被害者のカウンセリング対応、医療費負担制度など支援制度を取っており「決して泣き寝入りしないで。女性警察官が秘密を厳守し対応します」と呼びかける。十日町署・佐藤署長は「声かけ、ひったくり、ストーカー事案の予兆は管内でも報告がある」と夜の外出、携帯や音楽鑑賞などのながら歩きの危険性など訴えている。

雪玉と津南方言で新キャラ、デザイナー・萌子さん創作  10月24日号
 ◎…「ふっつぁだっけの〜」、「あちこたね」…、懐かしい津南方言が、個性的な『雪玉キャラクター』と共にインターネットの「ライン・スタンプ」になった。イラストレーターでデザイン事務所を主宰する津南町の滝沢萌子さん(Biko代表)がインターネットアプリ「LINE(ライン)」アップしている。第一弾では40種の津南方言と雪玉の表情たっぷりのスタンプをあげている。
 
 ◎…ライン・スタンプは、LINEで相互通信の時に、会話や画面に使うアクセント・スタンプ。個性的なスタンプ需要が高く、同世代や友達同士での通信などに多用されている。「最近、あまり使うことがなくなりましたが、方言を使うといっきに仲良しになれます。そんな橋渡しに慣れれば」と滝沢さん。キャラクターの雪玉は雪国イメージ。方言により雪玉が表情豊かに言葉の意味を表現している。

 ◎…ご無沙汰の意味の「ふっつぁだっけの〜」は雪玉の笑顔。大丈夫の「あちこたね」は元気いっぱいの雪玉。「さべられたー(叱られた)」はしょんぼりする雪玉など、方言が表情豊かに描いている。この方言キャラクター、活用の広がりが期待できる。津南オリジナル包装紙、名詞のカット、手ぬぐいデザインなど「津南ブランド」の一つに期待される。「会話で方言を使うと、すぐに仲良しになれます。皆さん、懐かしさがあるのでしょうね」と滝沢さん。使用など問合せはBiko・滝沢萌子さんрO25‐765‐3777。

マナズルが飛来、十日町で初確認   10月24日号
投稿(南雲敏夫さん)

今月16日の3時過ぎ、川西の信濃川河川敷の田んぼの中で「マナヅル」を発見。 最初はツルなんてと思ったのですが、やはり形はツルの形で大急ぎで家に戻り、撮影した次第です。調べたらマナヅルで、県内でも佐渡や海岸部では過去にも撮影
されていますが、山間地では撮影されていない様子で、十日町市史の鳥編でも記載されていませんでした。出水平野でしか見られないと思っていたツル、 台風の影響なのかは判りませんが、ただ驚くばかりです。

妻有リポート「中越地震から10年」 進む高齢化、震源地に近い願入地区を訪ねる  10月17日号
 震度7の直下型激震は突然だった。「中越大震災」から今月23日で10年。震源地は長岡市川口(旧川口町)。昭和39年の新潟地震以来の激しい揺れが妻有地域を襲った。震源地に一番近い十日町市東下組の願入地区。同集落でさらに一番近い民家を改めて訪ねた。中越地震後、各地で取り組みが始まった『自主防災組織』。東下組を含む下条地区は、市内に先駆けて地区防災を束ねる『連合自主防災会』を5年前に立ち上げ、「平素からの防災意識を」合言葉に活動する。一方、中越地震の7年後、激震に襲われた長野・新潟の県境地域。主産業の農業に震災の後遺症が残り、さらに高齢化が『集落の存続』にも迫っている。中越地震から10年の今をリポートする。 (恩田昌美)


 「あの時は、ちょうど風呂に入っていた。ものすごい揺れで、パンツ一丁で外に出た」。集落の高台、いちばん奥に水落弘逸さん(86)の家はある。冬支度で忙しかった秋の一日、疲れを癒す風呂に入っている時だ。
10月23日午後5時56分。震度7の激震が中越地域を襲った。震源地は旧北魚沼・川口町。直線で数`の願入地区を含む十日町市東下組は激しく揺れた。同地区7集落は、国道からの生活道が部分的に寸断、一時孤立状態になった。

 着の身着のまま和江さん(87)と避難。集落内の平坦地に住民が集まり、車に乗り合い不安の一夜を明かした。翌日から旧東下組小体育館に移り、10日間ほど避難生活した。
 「家に帰ったが、自分たちでどうにかなるというものじゃなかった。壁はほとんど崩れ、障子やガラス窓が割れ、家具は倒れ、家の中はめちゃくちゃだった。その中で自分たちが寝る場所を作り、寝泊りした」。幸い石油ストーブが使え、寒さはしのげた。
 水落家の過去帳には享保17年の記載があり、3百年以上の歴史を刻んできた。屋号は『甚太郎』。昭和28年に茅葺を改築、それが今の家。地震で玄関前に30aの段差、集落道が崩れ、頼りにしてきた井戸水は地震で出なくなったが、3年後に再掘削し消雪に使っている。

 眼の病気で農業が困難になり、地震の前年から米作りを人に委託。埼玉の長男、上越の長女の家族は地震発生後すぐに駆けつけた。眼の手術を行い、回復したが、「もう歳には勝てない」と5年前から長男方に冬場は移住。
 「あの地震のせいとは思わないが、息子の世話になるという思いは年々強くなってきたな」。11月初めから5月連休まで願入を離れる。「いつまで住み続けられるか分からないが…。先祖から3百年続く住み慣れた所がいいに決まっているが、自分の歳を考えると、そうも言っていられないな」。震災の跡が残る家を背に、写真を撮らせてもらった。あの時のように、冬支度がまた始まっている。 

10代のまなざし「石橋健哉さん・新潟県央高校2年。甲子園へ行く」  10月17日号
 親元を離れ、三条市での下宿生活も2年目。洗濯や部屋の掃除など自分でこなすのも慣れた。
 「部活で疲れているなかしなきゃいけないので大変でした。親のありがたみがわかりましたね」。
 津南中卒業後、甲子園出場をめざし、新潟県央工業高に進学。
 「6年前に甲子園に行った県央工業高。野球が強い学校に行きたかったんです。中越や日本文理にも声をかけられたんですが、当時の鈴木春樹監督に引かれ決めました」。
 ポジションはピッチャー。昨年の北信越に繋がる秋大会で高校公式戦デビュー。十日町総合高相手に12奪三振を奪い、2―0で完投勝利した。
 「高校野球の9イニングはとても長く感じました。初先発初完投、嬉しかったですね」。

 最高球速は142`。速球派だ。強気のストレートが持ち味。今夏の県予選は長岡大手高との4回戦で登板。今春から同高を率いるのは、恩師の鈴木監督だった。 
 「こちらを知り尽くしている監督ですが、逆に『勝って恩返ししよう』とチーム一丸となり、5|4で勝ちました」。
 今夏はベスト8で終わり、チームは世代交代。エースの重責を負う。さらに4番打者に抜擢され、先月の練習試合で初ホームランを記録。

 「今まで支えてくれた人たちに恩返しするため、甲子園に行きたい。役割は重いですが、その分やりがいがあります。将来の夢はもちろんプロ。厳しい道ですが、諦めるつもりはありません。来年、勝ちますよ」。  (石沢修一)

ノーベル賞の中村修二氏、津南・栄村で語った、9年前に中高生へ  10月17日号
 2014年ノーベル物理学賞は「青色発光ダイオード(LED)」の開発・製品化に成功した3人の日本人に贈られたが、その一人、中村修二氏(60・カルフォルニア大学サンタバーバラ校教授)は9年前の2005年7月29日、栄村文化会館ホールで栄中学、津南町・上郷中学の生徒など中高生を対象に開いた「世界物理年信越講演会」に出席し、ステージでダイオードが少ない消費電力で発光する実験を見せ、「夢を追い続けて」とメッセージを贈った。講演会には2002年ノーベル物理学賞受章の東京大学特別名誉教授・小柴昌俊さんも同席した。

 中村氏は講演会で生徒たちに語りかけた。『高校まで社会や国語など文系科目で50点以上を取ったことがない』。『好きなことをするために大学へ入ったが一般教養をやらされた。物理がやりたいと、1週間大学に行かず部屋に閉じこもり、好きな物理の本を読み漁った。あの1週間で目が覚めた』。学生時代の実体験は中高生に響いた。

 さらに日本教育の課題、問題点も指摘。『アメリカは幼稚園から選択科目制で、自分が好きなことをずっとやっていられる。だから好きな分野の勉強が嫌いになるわけがない』。『皆さんも小学生の頃は夢ややりたいことがはっきりしていたでしょ。それが中学、高校と進むうちにはっきりしなくなる。大学受験が皆のやる気を失わせている』。『今の日本は、この大学受験制度をなくさない限り、何も変わらないだろう。先生方も個性的なことをやりたいと考えているが、それができない。今の日本の教育は、ロボット人間を生んでいる』。9年前の厳しい指摘は、今の日本の教育環境にも通じている。

 当時、上郷中学2年の時に中村氏の講演を聞いた久保田愛さん(23)は今年4月から町立津南病院の看護師。「すごい人が来て、講演するということが話題になっていました。その方が今回ノーベル賞受賞、すごいです。夢を追い続けなさいなどの話を覚えています」。久保田さんは小さい頃からの夢を求め続け看護師になった。
 

全国から21000人、立正佼成会・生誕地まつり、初の灯籠流しも  10月10日号
 ◎…幻想的な「灯籠流し」を今回初めて行った第38回生誕地まつり。立正佼成会の庭野日敬開祖の生誕の地、十日町市菅沼の大池で11日、全国32教会から千2百人余が参加し、湖畔から願いを込めて灯籠を流した。庭野日鑛夫妻や関口市長も灯籠を流し、湖面に淡い灯籠の光が広がり、厳かな祈りとなった。同日夜にはクロス10で「ふるさと交流会」を開き、庭野日鑛会長、関口市長らがステージに上がり、会場一体となり「十日町小唄」の演舞。松本教会から参加の神戸良枝さん(64)は「十日町は温かい街ですね。もてなしの心に感謝しています」と共に笑顔で踊っていた。

 ◎…快晴の12日は市本町通りでの「市中行進」。全国58教会から7千人余が参加。纏(まとい)と万灯の舞を道路いっぱいに繰り広げ、よちよち歩きの子から若者、壮年まで揃いの衣装で行進。山梨・大月教会から孫、娘の親子3代で参加した武藤安代さん(63)。「毎年楽しみにしています。これも開祖様のお引きだと感謝しています」。閉会式の「追い込み」は市駅通りに4千人余が集い、纏、万灯を囲み熱狂的な演舞を繰り広げた。

 ◎…閉会式に来賓出席した泉田知事は「この熱気が十日町のエネルギー。この十日町から出土の火焔型土器を、2020年の東京オリンピックの聖火台にしようと頑張っている。全国から来られている皆さん、ぜひ協力を」と呼びかけ、庭野日鑛会長も「東京オリンピックは26歳の時、開祖様と一緒に開会式にいた。世界最古の土器といわれる火焔型土器。聖火台に使われることは、十日町からの世界への発信になり、とても大きなことだ」と話し、参加者から大きな歓声を受けた。2日間で2万1千人の人手だった。

高規格道・八箇峠トンネル、ついに貫通、来年完成へ 10月10日号
 来年の完成をめざす八箇峠トンネルが14日貫通した。全長2840b、地域の期待がかかる同トンネルの見通しが具体的に見えてきた。
 同トンネルは、南魚沼市側から平成20年7月に掘削開始。22年から十日町市側からも工事に着手した。2年前には南魚沼市側のトンネル内でガス爆発事故が発生し、1年間工事が中断されるなどのアクシデントもあったが、昨年6月から掘削を再開し、ようやく貫通した。同トンネルを含む八箇IC(仮称)―六日町、野田IC間約6`は29年度の供用開始をめざしている。

 同線について地元からは「柏崎・刈羽原発から30`圏外を通過し、周辺の道路を補完する災害発生時の重要路線」や「魚沼期間病院につながる『いのちの道』だ」として全線の早期開通を求める声が高まっている。

福島・浪江町からの避難生活者、復興支援員が来市、全国で30人活動  10月10日号
 3年7ヵ月前の東日本大震災の大津波と福島原発事故で全町避難し、現在も避難地域が3分割されている福島・浪江町。いまも7千3百世帯を超える2万1千人余が全国47都道府県で不自由な避難生活を送っている。

 浪江町からは十日町市や津南町にも避難しており、今月7日、浪江町が全国10拠点に配置する「浪江町復興支援員」の女性2人が両市町を訪れ、避難者を訪問し、浪江町の情報や困っている事などを聞き取る一方、地元行政に協力などを要請した。復興支援員の2人は「震災から3年半以上が経ち、忘れ去られようとしていますが、被災者の支援はこれからが大切です。地元行政の支援をお願いします」と話している。

 7日、両市町を訪れた小田知恵子さんと原田利恵子さんは、新潟・栃木・群馬の3県を他の長野正明さん、横田かよさんと共に4人で担当。3県には千百人を越える浪江町民は避難する。高崎に拠点事務所を置き、2人1組で3県の避難者訪問を行い、生活相談や精神的なケア、さらに浪江町への要望などを聞き取り、福島・二本松市の仮本庁舎の「生活支援課」に報告している。

 十日町市には成人の家族4人1世帯、津南町には1世帯1人が避難。浪江町復興支援員の訪問は初めで、十日町市の避難者方では2時間余り懇談し話を聞いた。「3年半が過ぎ、あの大震災の記憶が世間で薄れていることは、避難者にとってとても辛いことです。まして浪江町から遠く離れて暮らすわけですから孤立化しがちのため、精神的なケアがとても大切です。なんでも話せる相手、浪江町のことを話せる相手が必要です。そうした役割が復興支援員です。とにかく何でも話し、なんでも聞いています」。3・11で人生観が変わったと言い、「自分にできることは」と復興支援員に応募した
群馬生まれの小田さんと原田さんは話す。

 事故があった福島第一原発から20`圏を町の半分以上を占める浪江町。現在、津波被害と共に原発に近い立ち入り制限の「帰還困難区域」、不要不急の立ち入りを控える「居住制限区域」、帰還できる準備を進めている「避難指示解除準備区域」に3分割されている。
 浪江町では全国47都道府県に避難すると町民をバックアップするため今年4月からそれまでの5拠点を全国10拠点に増やし、復興支援員30人を10拠点に配置し、『どこに住んでいても浪江町民』を合言葉に避難先での生活支援に取り組んでいる。なお、新潟県には487人、栃木県451人、群馬県168人となっている。

写真・10月7日。十日町市を訪れた浪江町の復興支援員の女性2人

子育て支援に空き教員受託を町営住宅に、津南町  10月10日号
 津南町は閉校などで使用しない教員住宅を活用し、『子育て支援住宅』として町営住宅化し、子育てをバックアップする。統廃合で空いた同住宅5棟10世帯分の入居を今月20日から募集する。来春の入園・入学に間に合わすため入居環境を整える改修を行い、来年2月末か3月初めには入居できる見通し。家賃は月額2万円を予定する。

 子育て支援住宅に活用する教員住宅は、三箇・津南原・中津・上郷(小・中学)の5棟10世帯分(建物は1棟2世帯)。木造2階建て、1階に車庫と風呂場、2階はダイニングルームと和室2室(6畳・5畳)。入居時敷金4万円。入居は3年更新で3年ごとに入居審査を行う。契約更新できるが末子が高校卒業まで。電気・ガス・上下水道・除雪費(2戸で負担)などは自己負担。

 入居基準は、中学生以下の子を持つ家庭(母子父子家庭も対象)。母子手帳交付の妊娠家庭も対象。ただ入居後、何らかの理由で親独りになった場合は翌月末までの退室を義務付けている。入居選考は町営住宅選考委員会が行、町長が最終決定する。

 今回の『子育て支援住宅』は町周辺部に多く、入居時に「集落の仲間に入り、集落活動にも参加を」などと入居者に申し入れる方針。来春閉校の外丸小教員住宅は構造・面積が異なるため別途募集する。なお他の町営住宅は正面住宅(月額5万円、所得基準あり)、リバーサイド中津(同4万円、同)、美雪町住宅・大船団地(所得基準により同5千円から)などとなっている。

のど自慢に2100人が、十日町でNHK番組  10月10日号
 69年の歴史を迎えたNHK「のど自慢」は中越地震復興10年、なかさとアリーナ竣工記念で5日、十日町市で開催。予選会出場237組の中から20組が全国生放送で出演。うち十日町市8組、津南町1組の地元勢計10人がテレビに登場。お昼のお茶の間の話題をさらった。入場自由の4日の予選会は住民の関心が高く約1200人、本選の5日は約900人と計2100人余が観覧した。

 様々なドラマを持つ住民が出演するのが同番組の魅力のひとつ。お馴染みの鐘で決まる合格は6組、うち十日町市からは3組を選出し、チャンピオンは旅行会社勤務の小宮山英樹さん(45、本町7)が獲得。歌うツアー添乗員として人気の実績を引っ提げ、選曲は今回のゲスト・細川たかしさん『望郷じょんから』。「久々に上手い歌を聞いた」と細川さんが絶賛するほどの熱唱だった。小宮山さんは「あっという間に出演時間は過ぎたが、チャンピオンは最高の思い出。細川さんらしい、高く迫力ある声が出せるこの曲が好きで選んだ。お客さんに請われたらバスで歌いたい」と満面の笑み。他の市内在住の合格は災害が続く新潟を元気にと地元バンド・宮中楽団でボーカルを務める瀧澤ちなみさん(25、重地)、ストリートでのライブ経験があり結婚10周年を記念し出場の田辺孝一さん(32、松之山)だった。

 一方、惜しくも鐘二つだった津南町の滝沢一秀さん(35、赤沢)。2年余交際した彼女と11月1日に入籍を記念し出場。会場にいる3歳下の彼女に向け米米CLUBの『君がいるだけで』を歌った。「自分もようやく結婚するので、彼女への愛を伝える曲にしました。一生の思い出であり、この歌の気持ちを忘れず結婚生活を送りたい」と照れ臭そうに語った。
 なおNHKのど自慢は旧松代町で行った平成9年以来、十日町エリアでは17年振りの開催。今回は市内外749組の出演応募があった。

やっぱり十日町小唄だね、東京十日町会60周年式  10月10日号
 ◎…世界的な写真家で富士山を生涯のテーマに追い続けた岡田紅陽氏が初代会長を務めた東京十日町会(春日寛会長)の60周年記念式を4日、東京上野の精養軒で開き、3百人近くが参集。十日町に合宿所を持つ女子レスリングの金メダリスト・伊調馨、浜田千穂の両選手やソチ五輪出場の宮沢大志選手らも出席。さらにブルーコメッツ時代から十日町と縁が続き、春日会長と交友がある指揮者・三原綱木氏が特別出演。最後は十日町小唄で盛り上がり、60周年の節目を祝った。

 ◎…春日会長は、阪神大震災や東日本大震災に駆けつけるボランティアの若者らの言葉を引用し、「彼らはなぜ行くのか、返ってきた言葉は『しっちゃかめっちゃか楽しい』だ。若者のエネルギーはすごい。あらゆる場面で若者エネルギーが求められている」と、ふるさと十日町に若者ら都市住民を送り込もうと訴え、「上野駅は終着駅ではなく、十日町への出発駅にしようではないか」と呼びかけ大きな拍手を受けて。これに応え関口市長は安倍政権が掲げる『地方創世』を引用し、「東京十日町会はじめふるさと郷人会が組織拡大することが地方創世の一つの大きな道である」と支援を促した。

パンダは魅力いっぱい、津南出身・阿部展子さん(上野動物園市域担当)、母校で講演  10月10日号
 「パンダのうんちは臭くないんだよ」と袋に入れた朝採れたての糞をそっとかざす。児童たちが恐々嗅ぐと、「ホントだ―」と嬌声が響いた。

 開校140周年を記念し津南町の中津小(近藤哲夫校長、42人)は、同小出身者で現在上野動物園パンダ飼育員として働く阿部展子さん(30、前倉出身)を招き講演会を3日実施。来年4月に統合する津南小5・6年生も参加、計150人余の児童を前に阿部さんはパンダの生態をスライドで紹介。「パンダは消化が弱く竹を50`食べても、そのうち20`はうんちで出て来ます。しかも食べた鋭い竹が体に刺さらないよう透明な液が出てうんちを包むので、臭くないんです」と解説。さらに今年2月に関東圏で大雪が降った時、パンダが雪遊びで転げまわっている動画を見せ「大きくなってもこんなにはしゃぐ動物は他にいません。これもパンダの魅力」などと興味深く語った。

 今でも大切にしている、祖母から貰ったパンダのぬいぐるみが宝物だった展子さん。十日町高時代に進路を考えた時、何も浮かばず母の幸子さん(63)に相談。「好きなパンダに関係する仕事に着いたら」との助言を受け、中国語を学ぶため杏林大に進学。それからは夢に一直線。中国留学、成都のパンダ基地勤務、4年前から上野動物園で働き、昨年4月から正社員となった。この日は母の幸子さんも登壇。「自分の目標、夢を叶えるため常にアンテナを立てろ、と言いました。自分で中国でコネを作り就職先を見つけた時、親の役割は終わったと思いました」と振り返った。

 学校の先輩が夢を叶えた軌跡を聞いた6年の橋怜文さんは「パンダの仕事に就くためにずっと諦めないところがすごい」と刺激を受けていた。

初のネイチャーラン、全国から220人、標高差552bに挑む  10月10日号
 河岸段丘地形を活かし、全国有数の最大高低差552bを駆ける「第1回めざせ! 苗場山麓ジオパークネイチャーラン」は5日、ニュー・グリーンピア津南を発着点に開催。津南初の42・195`のフルマラソン始め4コースに220人余が出場。あいにくの雨模様だったが参加者は秋の津南高原初レースを楽しんだ。

 ネイチャーランはNPOスポーツエイド・ジャパン(埼玉・毛呂山町)が主催、津南町が共催。同NPO企画の「日本横断・川の道フットレース」で町内旅館をレストポイントのひとつにしている縁があり、ニューGPを中心に近隣の大場、太田新田地区、さらに小松原農地までを走る新たなランニングイベントが実現。同NPOスタッフが何度も津南を来訪し信号機のない、一部トレイルランを含むコースを設定。同NPOの館山誠代表は「今はフルマラソンなど、長い距離を走るのがブーム。きつければきついほどランナーは好む。津南は自然が豊かで、標高差552bは日本有数。まだまだ参加者が集まる可能性がある」と積極姿勢を見せる。

 第1回大会は北は北海道、西は京都府まで13都道府県から愛好者が参集。津南町芦ヶ崎出身の内山武彦さん(60、静岡)は還暦記念のマラソン大会開催地を探していた所、ネイチャーランを知り参加。「まさか地元でこんな面白いマラソンがあるとは思わなかった。良い記念だね」と懐かしい故郷情緒をフルマラソンで満喫していた。

十日町市と湯沢町、境界線問題で論議。2010b高山の命名も難航  10月3日号
 十日町市(旧中里村)と湯沢町の境界線問題が再浮上している。昭和21年の公図には境界線が入っていたが、同28年公図から境界線が消えた。以来、国土地理院地図に境界線は描かれていない。その場所は、苗場山系の高石山から清津川の猿飛橋付近を挟んだ対岸の高津倉山(ガーラ湯沢スキー場山頂付近)までの直線約6・5`。清津川ダム計画で平成2年に湯沢町から当時の中里村に協議開始の申し入れがあり、資料収集や共同調査、意見交換などを行ったが、清津川ダム計画の中止決定により、境界線協議は中断。市町村合併後の平成24年12月、湯沢町からの申し出により協議を再開。今月2日の担当者会議を含め、これまで11回、協議の場を持っている。湯沢町は「年度内決着を」求め、十日町市は「慎重な対応が必要」とする。自治体の面積に関係する問題で、交付税算定要素にも影響することから、境界線問題の成り行きに関心が集まる。

 両市町とも、「交渉事なので詳しくは話せない」とするが、中里村時代の資料によると、戦後の昭和21年公図には、境界未定地には境界線が入っていたが、その後の地形図調査で精度差が生じ、同28年公図から境界線は消えた。昭和の合併後の32年、当時の中里村、湯沢町の両職員立会いで当時の建設省が現地調査を行ったが、根拠となる資料が乏しく、調査は未定に終わっている。

 再熱したのは清津川ダム計画。流域調査の中で「境界線が不明」に直面し、平成2年、湯沢町と中里村との協議が再開。両町村独自に資料収集や調査を行い、当時の営林署など関係機関への共同調査などを行い、担当者レベルで意見交換している。だが、平成14年にダム計画の中止決定により、調査・協議は中断した。

 平成の合併を経た同24年12月、湯沢町からの申し出で協議を再開。十日町市は総務課行政管理係が、湯沢町は同課財政管財班が担当し、担当者会議を今月2日を含め、11回の協議を重ねている。

 湯沢町の関秋光総務課長は「デリケートな事なので慎重に進めているが、両自治体にとって長引かせるべきではない問題であり、早急に解決したい」と年度内の決着を求めている。一方、十日町市の中村亨総務課長は「拙速な判断で将来に禍根を残すことがあってはならない。長い歴史のある課題であり、お互いに譲れない所があり、これまで決められなかった経過があり、慎重に対応していきたい」と話す。

 境界線問題は、未定部分は最終的には県知事が決定。地元関係市町村に意見を求める。この地元意見は市町村議会の議決が必要となる。これを受け知事が総務省に申請し大臣告示で決定となる。一方、境界線変更は、地元市町村議会の議決後、県知事に申請し、県議会議決により決定する。今回の境界線未定は直線で約5`、一方、湯沢町が求める境界線変更は約1・5`。この全長約6・5`が争点になっている。
      

 一方、この境界線問題に関係し、十日町市に「標高2010bの山」の存在が明らかになった。この山には、まだ公式の名前はない。山頂は十日町市、津南町、湯沢町の境界点になっている。愛称はあり、旧中里村倉俣地域では「大日陰山」と呼び、湯沢町の三俣地区では「雁ノ倉」と呼ぶ。津南町はその手前に「日陰山(三ノ山・みつのやま)があり、愛称はない。

 「十日町市に2千b級の山がある」。この指摘は9月市議会で太田祐子氏が取り上げた。命名し、新たな山岳観光になると取り組みを促した。だが、この山の命名をめぐっては、過去の歴史は困難性を物語っている。

 当時の中里村時代、国土地理院に「大日陰山」を申請しようとしたが、湯沢町が難色を示し断念。一方、湯沢町も「雁ノ倉」で命名を試みたが、今度は中里村が難色を示し、これも断念。以降、「名無しの山頂」になっている。

 この境界点の山頂は、小松原湿原と日本百名山・苗場山(2145b)を結ぶ縦走ルート上にあり、苗場山から神楽峰、無名の山頂、霧の塔を経由し小松原湿原に通じる。縦走では、秋山郷・小赤沢―苗場山―神楽峰―霧の塔―小松原湿原が人気ルートになっている。

 命名には、境界点に関係する自治体の合意が前提になる。つまり命名を求める場合、十日町市、津南町、湯沢町の3市町の合意を受け、国土地理院に申請することが求められる。十日町市、湯沢町ともに「境界線問題が先決」として、決着後に命名に取り組む方針だ。毎年、小松原湿原を清掃登山している「清津山の会」事務局の桐生正芳さん(58)は「中里に2千b級の山があるとは聞いていたが、命名の話は初めて聞いた」と今月の同会例会で話題にしたいとしている。    (恩田昌美)

歩道整備遅れ惨事、117号・下条で交通事故、全盲者重体、盲導犬死亡  10月3日号
 全盲の女性を悲劇が襲った。先月28日午後11時20分頃、十日町市下条栄町の国道117号線。盲導犬を連れ歩行中の下条桑原の無職・池田幸子さん(44)と下条新光寺の会社員・藤巻智史さん(34)運転の普通車が衝突。池田さんは長岡日赤病院に搬送、頭と強く打ち骨盤を骨折するなど2日朝現在、意識不明の重体。池田さんは全盲で、盲導犬「わかば」は死亡。衝突地点は車道だった。近隣住民から「歩道があれば事故は防げた」と早期改良を求める声が高まっている。

 事故現場は下条栄町交差点を小千谷方面に向かい2百b余過ぎた、信号機のない交差点付近。車は小千谷方面に進行中で、池田さんは信濃川側の西側を歩いていた。現場に駆け付けた45歳男性は「車道に倒れている池田さんの意識はなく、ぐったりしていた。盲導犬はそのかなり先まで跳ね飛ばされていた」と話す。
 池田さんは幼い頃に緑内障を患い視力を失った。父母、夫、娘3人の7人家族。昨年9月から盲導犬を伴っていた。直線距離で6百b余先のコンビニまで、家族や盲導犬と共に買物する姿がよく目撃されている。普段は自宅付近から国道117号と並行する農道を歩き、点字ブロックのある国道252号に出てからコンビニに向かっていた。

 この農道には交差点が二つある。池田さんの自宅から見ると、一つ目は左折するとむつみ幼稚園を経て国道117号に出る交差点。二つ目が国道252号に出て左折すればコンビニに向かう交差点。この一つ目の交差点を曲がると、事故現場付近に出る。親戚によると事故があった夜、池田さんはコンビニに行くと告げ、家族が「一緒に行こうか」と声をかけたが「大丈夫」と言い家を出た。その後家族に携帯電話で「道に迷った」と連絡があり、行方を探していた矢先の事故だった。

 池田さんは10年前の中越地震時、停電により自宅が真っ暗になった際、全盲ながら幼い娘ら家族を屋外に避難させるなど、住民は「まじめで責任感が強かった」と声をそろえる。近所の75歳女性は「盲導犬をずっと探していて最近も犬のトレーナーと一緒に歩行訓練をしていました。まじめな方だから自立しようと思っていたのだと思います。早く元気になってほしい」と回復を祈った。

 事故現場の下条地内国道117号線の西側は歩道が無く、路側帯は70a余と狭い。一方、西側には小中学校や幼稚園、医院や特養ホームなど施設が集中。以前から改良を求める声があり、下条本町と中央通り両地区住民で平成22年に「国道西側歩道設置検討委員会」(近藤紀夫委員長)を発足。改良案の協議を進めていた。近藤委員長(74)は「歩道と点字ブロックがあれば事故は防げた可能性が高い。改めて危険だと感じた。住民や地権者の理解を得て、来年には改良を求める要望書を出せるようにしたい」と話している。池田さんの両親は「二度とこんな惨事が起きないように歩道整備を急いで」と要望している。
 
写真・池田さんといつも一緒の盲導犬「わかば」は亡くなった。

マウンテンパーク津南、来年3月業務委託切れ、一方で圧雪車購入に疑義  10月3日号
 10年間の業務委託契約が来年3月末、更新期を向かえるマウンテンパーク津南。上村町長は「現状のままの経営形態での更新はない」と方針を出しており、4月以降の取り扱いに関心が集まる。一方、津南町教育委員会は同津南にあるクロスカントリースキーの全日本公認コースは継続使用する方針で、老朽化する圧雪車に加え、新車1台を購入する。だが地元関係者からは「契約満了後の運営方針が決まっていないなか、高額な新車購入は問題。リースなど暫定措置で対応できる」と疑問を投げかけている。

 業務を受託する「クロスマイル」(梅邑太郎社長)は来年3月末が契約満了。上村町長は町議会で「現状のままの経営形態での契約更新はありえない」と厳しい姿勢を見せる。一方、同津南は県内中学、高校のアルペン・クロスカントリーのスキー大会会場として新潟県スキー連盟では重要視し、大会開催継続の要望が出ている。

 特に全日本公認クロカンコースは、12月の降雪を待って、「マンパクに行けば雪がある」と多数が練習に来場するため、コース整備が課題。昨シーズンは老朽化した圧雪車1台で「いつ故障するか不安」の状態だった。このため町は先月の町議会に購入費の補正予算3456万円の提案、可決した。新車の町購入を条件に助成される県補助(上限1200万円)を見込む。残額は過疎債で対応する。

 多額支出となる補正予算に反対した地元上野の町議、津端眞一氏。「来年4月からの姿が見えないなか、高額な圧雪車購入は疑問だ。リースという方法もある。県補助で町支出は抑えられるが、その後の保守点検費用を加えれば年間相当額が必要。今季の圧雪車購入は考え直すべきだろう」と町の姿勢をただす。 
町教委は補正予算可決を経て今月中に入札に入る。国産と外国メーカー2社を指名。町教委では「リースも検討したが、5年間で試算した場合でも補助金を受けての購入が財政負担が少ない」としている。

 来年1月中旬には県中学、県高校大会を同津南で行う。クロカン関係者からは「5年後に全国中学大会が吉田で開かれる予定。FIS公認を吉田が取り、その近隣の津南は練習コースや県レベル大会には最適。ジュニア育成のためにもマンパク存続は必要だ」とする。同津南で育った小林由貴選手(津南中―十日町高―早早稲田大―岐阜日野自動車)の活躍が後輩を育てている。

写真・老朽化する圧雪車。使用できるのは左の1台だけ。

関口市長、ニューヨークで「十日町に投資を」  10月3日号
 「雪室による冷熱利用、温泉熱活用などゼロ・エミッション(排出ゼロ)の事業所開設もできる」。経済産業省と日本貿易振興機構(ジェトロ)が先月23日、ニューヨークで実施した「対日投資セミナー」で十日町市の関口市長は、『ART』の街を全面に打ち出し、世界が認める大地の芸術祭、織物文化、さらに地球にやさしいエネルギー社会づくりなどの取り組みを紹介。リゾート開発、環境配慮の事業所開設、米国版CCRCによる高齢者総合福祉住宅の3点での進出の優位性を協調し、ビジネスチャンスの地である十日町市をきもの姿で英語でスピーチし、積極姿勢を印象付けた。

 同セミナーには日本からは関口市長のほか、仁坂吉伸・和歌山県知事、門川大作・京都市長、萩原誠司・大阪美作市長が参加し、持ち時間15分でプレゼンテーションした。会場のニューヨーク市・ヒルトンミッドタウンには米国内の企業や投資家2百人余が参加。関口市長は、十日町市の四季の様子をプロジェクター映像で流しながら、十日町市を「City of ART」とイメージ化し、芸術のARTだけではなく、「芸術家」「職人」さらに「地球にやさしいエネルギー」に取り組み自治体の活動をアピール。さらにオーストラリアやクロアチア、イタリア・コモ市との交流実績なども紹介。

 プレゼンの焦点は企業や投資家へのアピール。『リゾート開発』では、大地の芸術祭やスキー場、温泉や棚田風景など豊富な地域資源と心温かい人的資源がリゾートに活用でき、県や市の支援が用意されているとアピール。

 一方で環境に配慮する取り組みでは、雪室や冷熱利用、温泉熱活用などによるバイナリ発電、バイオマス燃料利用などによる「ゼロ・エミッション」事業所開設を促した。さらに高齢化する市の実態などを説明し、米国で普及するCCRC(元気なうちに入居し、最期まで暮らす生活共同施設)の導入による「高齢者向け総合介護福祉施設」の開設を求めた。

 関口市長は「日本の介護制度と連携したCCRC事業には多くの関心を集め、ビジネスチャンスとして受け止めたのではないか。やはり十日町市の個性でもある雪にも関心を示し、リゾート開発にも関心を寄せた」と話している。バックアップした経済産業省では、特区認定などで自治体の取り組みを支援する意向だ。プレゼンの様子は十日町市のウェブサイトで見ることができる。

御嶽山噴火、そこに居た十日町・樋口良三さん証言  10月3日号
 全国を震撼させた長野・岐阜県境にある御嶽山(3067b)の噴火。先月27日午前11時53分だった。当日、十日町市の夫婦が山頂付近を登山していた。同市千代田町の樋口良三さん(76)とミチさん(74)。「もう少し登る時間が遅ければ、もろに噴火に巻き込まれた。これも運だと思っている」と胸をなで下ろしている。

 樋口さん夫婦は、紅葉の御嶽山を楽しもうと26日から1泊2日の日程で入山。27日、御嶽ロープウェイコースで女人堂から早朝に出発、午前8時半ごろ山頂に着いた。「快晴で遠くは富士山も見えた。最高の眺望だった」と登山歴50年の良三さん。その時、ミチさんは「ちょっと硫黄の臭いがした」という。ふたりは山頂から北側にある二ノ池に行って早めのお昼を食べ、登りとは別ルートで再び女人堂に向かった。途中、数十人のパーティーが次々に山頂をめざして登っていた。山頂から3`ほど下った時だった、辺りが急に暗くなり激しい雷が鳴った。「雨だと思ったら灰だった」。懐中電灯を取り出すと同じ下山途中の夫婦が「きっと噴火したんです」と話した。山頂は全く見えなかったが、下山ルートは灰で足が埋まるような状態だった。

 女人堂に着くと、避難してきた登山者でいっぱいだった。ロープウェイはストップし、歩いて下山した。近くの旅館に一泊、翌朝山頂付近を見ると、噴煙が見えた。「あの時、山頂に向かっていた人たちは大丈夫だったろうか」。多くの死者が出ているとのニュースに、樋口さん夫婦は「まさかこんなことが起こるとは。死者が出て残念」と複雑な心境をのぞかせている。

写真・噴火3時間前に御嶽山頂に立った樋口さん(先月27日午前8時過ぎ)
 

十日町織物の隆盛期象徴、旧滝文、解体へ  10月3日号
 十日町の昭和、ここも消滅に―。昭和12年建設の木造3階建ての商家建築、十日町織物業界を象徴する旧滝文の建物が近く取り壊されることになった。同市では所有者の呉服卸・GSIクレオスの通告を受け、今年8月から保存の方向で交渉を進めてきたが、解体計画も進み木造3階建てという消防法の課題などがネックとなり、先月上旬に保存を断念した。

 建物は間口7間半、奥行6間。明石ちぢみの大流行で繁栄、関芳、睦と並び御三家のひとつと言われた社屋。平成14年には当時の滝沢信一市長が市民に保存の意見を求めたこともあった。市では市街地活性化の一環として保存を模索したが「保存について様々な検討を行ったが、断念せざるを得なかった」(中心市街地活性化室)としている。
 十日町織物歴史研究家でもある瀧澤栄輔さんは「十日町のランドマークで昭和のシンボル。保存を訴えてきただけに残念だ」と話している。

世界が認めた「吉田」、FIS認定で選手育成に弾み  9月26日号
 国体や全日本選手権、高校総体インターハイなど国内トップレベルの大会開催の実績を持つ十日町市の「吉田クロスカントリースキーコース」が国際スキー連盟(FIS)の公認コースに認定された。関口市長は「国際大会の誘致ができ、認定は市としても嬉しいこと」とFIS公認を歓迎する。スキー関係者からも喜びの声が上がっている。十日町スキー協会の小山勇蔵会長は「十日町の財産がまた一つできた。この国際認定をジュニア育成つなげたい」と認定を喜び、吉田コースの今後の知名度アップと共に「スキー王国・十日町」への取り組みを強化したい考えだ。
 
 吉田コースは、平成元年から3年連続、全国ジュニアオリンピックの開催を契機にSAJ(全日本スキー連盟)認可のクロスカントリーコース整備に取り組み、ジュニオリ開催の前年にSAJ公認を取得。コース整備の圧雪車を整備し、全県レベルの大会開催で実績を積んだ。
 大きな転機は平成19年からの3大大会の決定。19年・全日本選手権、20年・高校総体インターハイ、21年・国体。十日町スキー協会・井川純宏理事長らが主体となり整備活動に取り組む。全日本開催の4年前から取り組み、A・Bコース整備、競技本部ハウス、クロスカントリースキーハウス、さらに瞬時に記録を表示する電光掲示板など20年までに約10億円で整備。雪不足なった21年の国体では、大会2日前の降雪のわずかな雪でコース整備し、国体運営本部が驚く整備で無事、国体終了。大会後、「十日町の運営整備はすごい」と大きな評価を受けた。翌年には世界でも稀な「スタートハウスが完成するなど、競技場整備は進んだ。

 吉田こース関係者がさらに上を目指した。「FIA公認を取ろう」。スキー協会や同協会・運営企画部(児玉守部長)などが連携し、2年前から申請準備を進めた。今年4月21日から3日間、FIS認定員・和田明氏と高橋誠一氏が十日町・吉田コースを公認視察員として来市。和田氏は国内唯一のFIS認定員。80大ながら吉田の全コースを歩きて審査。コース幅などの今後の課題はあったが、8月18日、現状でのFIS認定が決まった。

 認定員に同行した井川理事長は、「アジア大会など国際大会が開ける忍耐を受けたことを、吉田コースは今後、どう活用するかが課題。クロスカントリースキーは国際的には『見せる競技』になっている。吉田もスプリント1・5`が認定コースになったが、もっと教示が見られる会場作りが求められる。それが競技人口のアップにもつながり、ジュニア育成にもつながるはず」と認定を喜ぶ一方で課題を挙げる。

 同様に和田認定員に3日間同行した小山会長は、『スキー王国』としての十日町市の取り組みの必要性を語る。「世界が認めるコースができたことは、十日町の大きな財産になる。これは地域のジュニア育成にもつながりる。世界トップ選手が走るコースで練習できる環境がここにできた」と好影響を期待する。冬シーズン以外の活用策にも地元の吉田クロスカントリー競技場利活用運営協議会(吉田CCネット・庭野鉄雄会長)と連携し、サッカーやゲートボール大会、さらにポールうーキングなど、夏場の利活用を伸ばしており、FIA認定を契機にさらに活用策を広げたい方針。来年1月末には第93回天皇杯・全日本スキー選手権が吉田で開催する。同大会をFISポイント大会にするため、関係者は動いており、実現性が見えてきている。

 国内のFIS認定のクロスカントリーコースは、北海道・札幌、音威子府、長野・白馬、青森・大鰐で国内5地区目が十日町吉田。来年1月には全日本選手権開催が決まっており、FISポイント大会になるよう大会本部に要請している。

写真・2013年1月の日本選手権のスプリント一斉スタートで


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