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2014年08月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
妻有リポート 「独り暮らし、歳には勝てないな」、十日町市が高齢者支援サービス  8月22日号
 4年前に妻・ミチさん(81)を亡くした市内東下組・平集落の小島重行さん(82)。2人の娘は見附市と新潟市で暮らす。月に一度は顔を見せてくれる。
戸数12世帯、37人が暮らす平(たいら)地区。小島さんは昨年、バイク免許を返納した。家の車庫の軽トラックは、「あれは婿が農業の手伝いで使うんだよ」。30eの田んぼ管理や近くの畑で自家野菜を作る。平地区には移動販売車は来ない。「買物はしないな。娘が来た時に何か買って来てくれるぐらいだな」。自分で作るコシヒカリ、野菜などが日々の食事だ。

 実は東京生まれの小島さん。小学1年の2学期まで渋谷区で育ち、「どういう事情があったか聞いたことはないが、ここに来た」。『坊っちゃん』と呼ばれていた地から、一転、父の生まれた地に帰ってからは農業一本。
15頭の乳牛を飼育し酪農で生計を立てる一方、1fの田を耕作。縁あって新潟市生まれの妻・ミチさんと26歳の時に結婚。二人三脚で農業を営み、娘2人を育て、自分の山の杉を切り出し、自ら設計し、その材で家を新築した。
 10年前、妻が発病。5年間、自宅で介護した。「自分で家を改造した。万一の場合を考えて、すぐにミチを連れ出せるように」。それは10年前の中越地震の教訓からだ。
 あの10月23日。発病した妻をちょうど病院へ連れて行き、短期入院させた日だった。小島さんは娘の所に。震源地に近い平地区は、激震に襲われた。「ミチが寝ていた部屋の壁が、そっくり落ちていた。そこにいたら、ダメだったろう」。かつて冬仕事で出かけた大工技術を活かし、自力で妻のいる部屋を改造した。

 4年前、入所先の福祉施設での事故で妻は他界。以来、独り暮らし。「あの終戦前後の混乱を経験した者は、困ったこと、辛いこと、何でも経験している。だから今の生活でも、自分で何とかしてやっている。だが、歳には勝てないな」。
 昨年、前立腺ガンが発覚し、放射線治療で数値が平常値に下がり、来年5月の経過観察で終了する。「元気だが、やっぱり疲れやすくなったな」。

 十日町市が10月からスタートする「高齢者安心サービス事業」。まだ詳しい説明は聞いていないが、「そうだな、困ったら考えるかな」。
 十日町市の独り暮らしは4月1日現在で565世帯、高齢者だけは2268世帯。年々増えており、今度の支え合い事業の成果に関心が集まる。
                (恩田昌美)

10代のまなざし「金山優樹さん 小嶋屋・19歳」  8月22日号
 ツルッとしたそば。その店ならではのつゆにつけてズルズルと食べる。腰の効いた独特なそばの味と風味豊かなつゆ。思わず、「うん」とうなる。脇に添えた天ぷらもソバを盛り立てる。当たり前のうまさだが、この当たり前という陰には、厨房に立つ人の職人魂がある。
 「天ぷらひとつ取っても奥が深いです。ころもを付け過ぎてはお客さんに嫌われるし、かといって少なすぎても嫌う人も多いです。難しさはこのさじ加減ですね」
 株式会社小嶋屋本店の厨房に入って5ヵ月。研修期間を含めてもまだ8ヵ月だ。天ぷらを揚げるのがメインの仕事だが、どんな仕事でもこなせるようにしたいとの前向きな姿勢がある。
 「例えばエビの天ぷら。ボリューム感、勢いのよさが感じられるように揚げるにはどうしたらいいか。そういうのは機械任せではできないこと。日々勉強です」

 自宅は長岡市。毎日、車で通っている。高卒後、長岡市内の栄養調理専門学校で1年間学んだ。レストランやラーメン店、いろいろな就職先があったが、親に連れられ何度か入ったことがある小嶋屋長岡川崎店が頭をよぎり、決めた。
 「十日町名産に関わる仕事、汚すわけにはいきません。へぎそばの盛り付けも上手になってきました」
 仕事の手順ミスで怒られることも度々。ガクッと落ち込むが、次の日まで引きずらない性格。
 「先ずは信頼されること。そして店長になることを目標に頑張ります」
            (村山栄一)

アレルギー対応製菓、JR東が十日町に新工場  8月22日号
 十日町産コシヒカリの米粉を使い、食物アレルギー対応ケーキや菓子類を販売するJR東日本の洋菓子工場「十日町すこやかファクトリー」(上新井)が20日に竣工。本格稼働は来月1日から。一般商品とアレルギー対応商品を2ラインで製造。一般商品はJR東の駅中コンビニ「NEWDAYS」や「ベックスコーヒー」などで販売。アレルギー対応商品は技術指導を行った「タカキベーカリー」(本社・広島市)からの受託製造で、同社の通販で販売。将来的には地元十日町を含めた独自ルートでの販売拡張も視野。職員は6月から試験稼働、年末のクリスマス商戦に向け研修を積んでいる。なお来月9日の千手発電所一般公開日に同工場製造の商品販売コーナーを設置、来場者に提供する。

 JR東の地域共生策の一環で計画をすすめ、妻有大橋の信濃川左岸、千手発電所近くの敷地に鉄骨平屋建1266平方bで建設。総事業費は約6億円。運営はJR東100%子会社の「日本レストランエンタプライズ」(本社・東京)。JR東のアレルギー対応の食品工場は初。従業員26人体制でスタート。正社員8人、うち地元雇用3人。パート・アルバイト18人は地元採用。初年度は米粉5dを地元のJA十日町から納入し製造。「10才以下人口の3%、30万人にアレルギーがあるとされる。またペット関係でも広がる可能性がある分野。販路拡大を進めたい」(JR東)とし、生産量拡大に伴い雇用を増やす方針。

 竣工式はJR東・一ノ瀬俊郎常務、同新潟支社・関森多市郎支社長、日本レストランエンタプライズ・浅井克巳社長、地元の関口市長やJA十日町・田口直人経営管理委員会長ら40人余が参列。一ノ瀬常務は「我々の理念『地域に生きる、世界に伸びる』を実現するもの。販路拡大を全力で進める。アレルギー対応の食品工場は初で、我々にとっても挑戦」と積極姿勢。関口市長は「4年前にJR東からの申し入れがあり実現できた。今後の伸びが期待できるマーケット。米粉など当地の農産業に直接結びつき、未来の飛躍も期待できる」と話した。

逆境をチャンスに、栄村で真夏の成人式  8月22日号
 ◎…真夏の成人式として毎年、終戦記念日に開催する栄村。今年も該当者19人(男7、女12)のうち13人が出席、村文化会館ホールで島田村長らの祝福を受けた。成人代表の藤木政貴さんは、城西大駅伝部で箱根をめざす思いを述べた。「毎日30`余り走る。東京都の高校駅伝で17秒差を抜けずに2位になった時の、前を行く選手の背中が今も夢に出てくる。全国出場できなかった逆境を打ち負かせるように、今後も精進したい」と語り、「逆境をチャンスに、ピンチをチャンスにするのが自分たちの役割、その先駆者になりたい」と思いを訴え、新成人としての決意を表明した。

 ◎・・・新成人門出への祝福は小学校、中学校時代の恩師からも届いた。当時の担任など8人がビデオレターを寄せた。小学時代の懐かしい写真と共にメッセージが流れ、笑いが起こる場面も。この日は中学3年間の担任だった高橋加奈教諭が松本市から出席。3年間の記録をDVDで流し、BGMには当時の生徒たちの合唱。「進路選択の時にあの震災に襲われた。それを乗り越えた皆さん、それを誇りとしてほしい。それがこれから皆さんが前進する大きな力になるはず」と激励した。島田村長は「震災から3年5ヵ月、ライフラインはすべて復旧した。あの震災を後世に残すため震災記録体験集を来月中旬に発刊する。常に感謝の気持ちを忘れずに」と祝福。最後はノンアルコールで乾杯し、節目を祝った。

若き感性、思いを語る、十日町・津南「わたしの主張」  8月223日号
「わたしの主張」十日町・中魚沼地区大会が19日、十日町市民会館で開かれ、管内の中学12校の代表が参加、日頃感じていることや将来への思いなどを語った。

 審査の結果、「優しさのある世界」をテーマに発表した中条中3年、田愛さんが最優秀賞を獲得。来月20日、村上市で開かれる県大会に出場する。また優秀賞は小野塚史人くん(松之山中3年)と瀧沢美咲さん(水沢中3年)、十日町記者クラブ特別賞には中嶋翔くん(吉田中3年)が選ばれた。

 審査発表で十日町市教育委員会・庭野三省委員長は、一人ひとりに感想を話しながら「みなさんの発表に感動した。地域の将来への力になるだろう」と講評。田さんは「最優秀賞にびっくり。県大会でも伝えたいことを大きな声でしっかり発表したいです」と抱負を語った。

雪国ベンチャー、温泉トラフグに注目  8月13日号
 豪雪の地で温泉を活用して特産化をと、中里の温泉施設「ミオンなかさと」で3年前から使用中止となっているプール棟を活用して事業化する「とおかまち温泉トラフグ」の養殖が18日から本格的にスタートする。中里商工会が全面的にバックアップし、地元や川西商工会などの商工業者19事業者が共同出資して新会社を設立、12月の初出荷をめざす。市でも公共施設を提供しバックアップするなど地域の期待を背負っての船出。「稚魚は順調に育つのか」「経営的に大丈夫なのか」、初めての養殖事業だけに不安視する声もあるなか、今後の事業経営に注目が集まっている。

 温泉トラフグは、地域の商工関係19事業者が出資して設立した「株式会社エヌプラス」(杉谷清之社長)が取り組む。国の6次産業化事業やものづくり中小企業支援事業などを導入し、出資金2千万円で養殖用の10d水槽を7槽設置するなど設備改修。うち5棟で養殖する。温泉を活用することで、養殖に最適とされる水温18〜24度を、光熱費をほとんどかけず年間を通して保てる。経営的には、年間3700尾の出荷で約1300万円の売上を見込む。経費や人件費など差し引くと「決して楽ではない」(杉谷社長)と言い、「手探りで開始した事業。県内ではここだけで、シェアを確保するチャンス。5年後には何とか経営的にもやっていけるようにしたい。そのためにも地域の特産化をめざしたい」と話す。
     ○
 本格養殖を前に11日、養殖7ヵ月、体長20a余のトラフグ40尾が養殖用の水槽に入れられた。今後1週間、水温や水質が適しているかなど育成試験を進めていく。養殖技術は、温泉トラフグの元祖「株式会社夢創造」(野口勝明社長、栃木県那珂川町)の全面的な技術提供を受け、飼育指導や採算性の評価などコンサルタント業務も担当。稚魚は同社から仕入れ、「売れ残り」が出た場合は全量、同社が買い上げる。「夢創造の全面的な技術支援で、計画通りの養殖は可能だろう。またそうしなければならない」と養殖担当の山崎紀久一郎さん。
 フグは、食物連鎖によって毒化するため、養殖など毒のない餌では毒を持たない。しかし、トラフグをさばくには「フグ調理師免許」が必要だ。山崎さんは「無毒をアピールしたい。販売は平均すれば1日10尾ほどで、妻有地域だけでまかなえるのではないか」と見通しを示している。
    ○
 一方、販売では、契約店舗に卸す共販会システムを取り入れ、販売の安定化をめざす。先月からは共販会の前身ともいえる温泉トラフグ研究会(会員27人)が12店舗でモニター調査を実施。県商工会連合会の補助金を活用して低料金で夢創造社から仕入れた「ふぐ刺し」など提供。各店百人を目安にアンケート調査を実施している。結果は専門業者に依頼し、11月にはまとめたい意向だ。ミオンの江口清司料理長は「独特の歯応えなどあり反応は上々だが、高級魚だけに仕入れ値が問題。地域の特産にするためにも、各店で特別な料理を考えていく必要があるだろう」と話している。

 

明日へ「小宮山希消防士・十日町広域消防」 災害現場が仕事場  8月13日号
 あの感触は、いまも手の中に残っている。初めての火災現場。燃え上がる作業所。初の放水。ホースにかかる圧力。燃える火の熱さ。『災害現場が仕事場』の小宮山希(のぞみ)消防士(27)は、あの緊張感を忘れない。

 「女性消防士」。それだけで注目される存在だが、消防士の世界では関係ない。十日町地域消防本部では2人目の女性消防士。現在、「警防隊」の一員として消防車に乗り、5回目の夏を迎え、災害出動している。
 「十日町から外に出て、ここの良さを実感しました。それに、ちょっと体力には自信がありましたから」。山梨大3年の時が転機。教育人間科学部でスポーツ指導員をめざし、社会体育実習などを受けるなかで、「思い描いていたイメージと、ちょっと違っていました」。

 そこで沸々と湧いてきたのが、『十日町に帰る=地域に役立つ仕事=動くのが好き=体力には自信がある=消防士』というシナリオ。決断は早い。十日町地域消防本部の受験を決める。
 新潟県内でも応募数の多さで知られる十日町地域消防。1次試験は筆記試験と体力テスト、2次は面接。超が付く難関をみごと突破。翌年の4月から6ヶ月間、新潟県消防学校初任科で消防士への一歩を学び、集団生活を通じて「仲間の絆」の大切さを体感。同期76人、女性3人。新発田、燕・弥彦に在職している。
 3年前の豪雨災害は、自然の脅威と夜間現場の困難性を思い知らされた。「119番通報が鳴り止みませんでした。次々と指令が来て、消防車で現場を次々と転戦するなか、浅川原で、増水した川で家が崩れそうな現場に遭遇し、すぐに家人の救助を補助しましたが、自然災害は待ったなしです」。一方で地域の高齢化が深刻。火災や災害現場の活動では新たな課題が増え、高齢者救助など想定訓練も多様化している。

 『消防が最後の砦』。消防学校や職場の先輩から、常に言われている言葉。そして『初心を忘れず』。 
 「私たちは災害現場が仕事場ですが、地域の方々は119番通報することは、人生で何度もあることではありません。この事をしっかり頭に入れておけと、隊長にいつも言われています」。地域の信頼感と責任感をいつも背負っている。
 リフレッシュは、中条中時代に始めたバレーボール。十日町高、山梨大でも続け、今も女性チーム「十日町クラブ」に所属。さらに250ccバイク。「ひとりで走ります。最近、あまり乗る機会がありませんが」。白と赤の「カワサキNINJA(忍者)」が愛車。

 来年2月から、救急車乗務のための県消防学校救急課程に2ヶ月間入学する。「いまはまだ決めていませんが、救急救命士を考えることになると思います」。24時間勤務の3交代。『災害現場が仕事場』の消防士の日々は続く。   (恩田昌美)

10代のまなざし「羽鳥未来さん・川西中学3年・14歳」 8月13日号
 ヒップホップダンスに夢中だ。十日町のDSSダンススクールに小学4年から入り5年が過ぎたが、毎週ある練習がいつも待ち遠しい。
 「練習して、イベントとかでステージに立ち、誰かの前で上手く踊れた時はすごく気持ちがいいんですよ」。
 最初は『EXILE』のバックダンサーのかっこよさに憧れ、テレビのライブ映像を見ながら自己流で踊っていた。
 「自分と同じぐらいの子がキッズダンサーで出ていてやりたいと思ったんです。十日町にも教室があると知り、自分から申し込みました」。

 今や覚えた曲は40曲余り。十日町、津南地域のイベントにも積極参加。
 「最近は新潟市でも踊りました。地元と違う場所でも踊りだせば関係ありません。楽しい気持ちでいっぱいになります」。
 ダンスを続けることで、自分の変化も感じている。
 「昔は視線を集めるのが苦手で、人前だと緊張し過ぎていたんです。いまは全然平気。一番変わったのはそこかな」。
 今月30日、『24時間テレビ』に合わせたTeNYのダンスコンテストがあり、教室内のオーディションに合格。選抜された中高生6人と共に挑む。
 「すごく楽しみなんです。予選で上位に入れば、テレビに出られるかも。頑張らないと」。

 受験生でもある今年。中学生活も残りわずか。
 「高校に進学しますが、将来の夢は決まっていません。ただダンスは間違いなく続けます。世界で活躍している人たちと、いつか一緒に踊ってみたいですね」。
                  (石沢修一)

三度笠で100`、限界に挑戦、小学生13人が  8月13日号
 ○…「出きる! 出きる! 必ず出きる」を合言葉に郷土を4泊5日かけ歩き、自分自身や仲間と向き合う「第6回越後つまり百`徒歩の旅」は7〜11日に行い、今年は小学生13人が極限の旅に挑戦。キナーレを出発点に龍ヶ窪、ひまわり広場、マウンテンパーク津南、ナカゴグリーンパークなど一日20`余を三度笠姿で走破。「イチ、ニ、イチニ」など互いに声を出し、励まし合った。初参加の中津小4年の中澤仁成君は「親に勧められ、面白そうと思い出ました。歩くのは辛いけど、いろんな友だちができたよ」と河岸段丘地形を歩き、汗だくになっていた。

 ○…高温、雨にも負けず日中はひたすら歩く。夜は各地域の小学校で宿泊、食事はデリバリー。テレビもない、ゲームもない、親元を離れた非日常の旅。少し年上の学生ボランティアがサポート役。今年は助上悦教育大や県立看護大、北陸学園などから12人が協力し、共に百`歩いた。十日町市本町出身で小学校教師をめざす尾身綾香さん(19、上教大2)は「地元の子と触れ合える貴重な機会と考え申込みました。想像以上にきついですが、子どもたちと一緒に乗り越え、自分の成長に繋げたい」とお姉さん役を一緒懸命に務めた。

 ○…同旅は今年全国18ヵ所で行い、県内では十日町・津南と燕三条エリアの2ヵ所。十日町地域では6年前に十日町青年会議所主体で始まり、4年前から住民有志の実行委員会形式で継続。6年前に同会議所理事長時代に初企画、以後すべて子どもたちと同行し歩く澤野崇団長(43、四日町)は「限界まで体力を使った時、仲間の大切さ、普段自分を支えてくれる人がいると子どもたちが知るのが大切。今までの自分の殻を破り、一回り成長する旅なんです」と話す。同旅は真夏の名物として今後も継続する。

ようこそ津南へ、韓国ヨジョ市から交流団  8月13日号
 「こんにちは」「アニョハセヨ」。子どもたちは日本語と韓国語でしっかりと挨拶を交わした。津南町と友好交流14年目の韓国・ヨジュ(驪州)市の相互ホームスティの訪問団が8〜11日まで4日間来町。韓国の小中学生20人が町内14戸に滞在。子どもたちは日本語、韓国語、さらにスマートフォンの翻訳機能を使いながらコミュニケーションし、国際交流を深めた。

 ヨジュ市と津南町は友好交流締結の翌年から相互ホームスティを継続。韓国訪問団はイ・ヨンハ(李英夏)副市長ら行政職員3人と小学9、中学11人の計23人。対面式は9日に町役場で開催。昨年はヨジュ市に滞在、今夏は受入れ家庭となった芦ヶ崎小6年の鈴木一葉さんは、初めて会ったヨジュ市の中学生に韓国語であいさつ。「去年行った時はあまり話せず、もっと知りたいと思い、今年から韓国語講座に通っています。動物が好きなので、韓国の動物についてたくさん聞いてみたい」と満面の笑みで隣国の友人を迎えていた。

ピクニック気分で野外クラシック満喫  8月13日号
 ◎…ピクニック気分でクラシック音楽を楽しむ「清津ピクニックコンサート」を9日、中里・清津スキー場で開き、家族連れら千百人がライトチェアなどで寛ぎ、世界的な音楽家らの演奏を満喫。昨年に次ぐ開催で「ヨーロッパでは毎年開かれているが、国内ではめずらしい」(実行委員会)。ウクライナ国立オーケストラ首席指揮者を務めた草川幸雄氏によりビゼーのカルメン、モーツァルトの魔笛など2時間半の熱演。連続全国出場の地元貝野小リコーダー部も共演。友人と来場した市内の宮澤和代さん(50)。「昨年は仕事で来られなかったですが、野外でリラックスして音楽が聞かれるのは良いですね。ぜひ続けてほしいです」。

 ◎…台風11号が迫るなか開催を決め、その決意を後押しするように雨は上がった。今回はJR東のほか文化庁も支援。市内外から飲食10店が出店。一家8人で来場した上村順久さん(38)。「野外だと子どもたちも気軽に連れて来られます。トトロの曲に喜んでいました」。来年の開催は今後だが、来場者からは「ぜひ第3回を」の声が聞こえていた。

「よろっき」で川を知る、信濃川で住民交流会  8月13日号
 ○…「川の恵みの再認識を」と9日、信濃川沿いの津南町外丸川原で第1回「よろっき祭」を開催。対岸に正面段丘の絶壁、住民が「大滝」と呼ぶ釜堀川が信濃川に流れ込む滝が一望できる同所に地元住民ら50人余が参集し川っぺり交流。ラフティングでゴミ拾い、川原清掃作業、さらによろっき(流木)を集めた組み木でキャンプファイヤーするなど交流。川原でよろっき拾いした田中歩夢君(津南中1)は「普段は近付けない信濃川。流木が思った以上にあり驚きました。川っておもしろい」と興味深そう。

 ○…思い出話にも花が咲いた。地元の福原貞治さん(80)。「年間で使う薪炭は自分の林だけでは足りず、川のよろっきを拾った。氾濫したあと、川岸で鳶(トビ)口で流木を寄せて取ったんだ。ガスも石油も少なかった時代、大切な燃料だった」。江村宗一郎さん(71)も若い頃よろっきを拾った1人。「拾った木は積み上げ石の目印を置いた。皆大切な燃料と知っているから誰も盗らなかった。火が無ければご飯も食べられない。皆が川の恩恵を受けていた」。川談議は尽きることなく続いた。

 ○…地元住民を中心に実行委員会形式で初企画。福原雅浩実行委員長(49、外丸)は風呂の薪用によろっきを拾った経験がある。「水力発電のダム取水で水が失われ、恵みをもたらす豊かな川が生活に密着していたことを皆忘れてしまった。川の近くになぜ我々の祖先が住んだのか、考え直す契機にしたい」。同祭は今後も継続する予定だ。

122日ぶりに通行再開、国道353号・十二峠、秋には昼間全通を  8月8日号
 雪解け時期の4月5日に大規模な土砂崩れで通行止が続いていた国道353号・十二峠道路は5日、災害発生から122日ぶりに仮復旧による通行再開した。当面、日中の5時間、片側交互通行だが、秋の行楽シーズンには日中12時間、通行可能にする方針で復旧工事を進めている。地元清津峡の温泉宿泊施設では「ようやくという感じだが、観光の最大ピークの秋には日中の全面通行をお願いしたい」と待ちに待った通行再開を話し、行楽最盛期を迎える10月上旬には日中の全面通行を要望している。

 通行可能時間は午前7時〜8時、午前11時〜午後2時、午後6時〜7時の計5時間の片側交互通行。当面、誘導員による交互通行で中里側の猿倉第3スノーシェッド坑口から塩沢側の猿倉第1スノーシェッド坑口の約250bで通行規制する。

 今回設置したコンクリートブロック道路(約4b四方、長さ21b)は、土砂崩落現場の猿倉第2スノーシェッド坑口に設置。車体長さ12bの2階建て大型観光バスも通過できる。地元清津峡の温泉旅館・清津館の桑原清社長(59)は「日中の5時間通行を一日も早く日中全面通行できるようにしてほしい。秋の行楽シーズンには間に合わせるとのことだが、通行できる見通しを早めに情報を流してほしい」と観光のピーク、秋の行楽シーズンへの対応を求めている。

 崩落現場は高さ180b、幅50bが崩れ、約5千dが土砂崩落。梅雨期と重なり、2度ほど土砂流失し、スノーシェッド上部にはまだ約2千dの土砂が体積している。崩落で支柱の約半分17本が損傷し、屋根部分と共に取替え工事を来年末まで行う予定だ。

 山斜面の崩落箇所は、上部を法面補強し、下部はグランドアンカーという杭を打ち込む補強工事を行い、すべての補強・改修工事は来年末までかかる見通しだ。管理する十日町地域振興局地域整備部・近藤友成副部長は「厳しい環境の現場で、休日返上で取り組んでいる。転石や土砂排出を行い、これ以上の土砂崩落の危険がなくなった。地元の皆さんの協力を受けここまでくることができた」と地域の理解と協力に間謝している。なお、夜間通行止(午後7時〜翌朝午前7時)は当分続く見通しだ。

写真・通行再開した十二峠道路。右前方がボックス道路、左は支柱を支える油圧ジャッキ(8月6日午前11時)。

街中に大クマ出没、津南町役場から150b、警戒続く  8月8日号
「まさかこんな街中でクマが出るなんて」。3、4日にかけ、津南町の陣場下や船山でクマが出没、自家栽培のスイートコーン畑などが荒らされたのを確認。特に陣場下では民家から5b余の近接地。町役場からは直線距離で150b余の住宅街付近。町や十日町署ではパトロール体制を強化し「夜間の外出時や農作業中は周囲に十分な注意を」と警戒を呼びかける。

 3日朝、町内陣場下の柳澤茂さん(85)は自宅前の畑を見て驚いた。収穫直前のスィートコーン畑が荒らされ、きれいに食べ残された芯が残されていた。町猟友会、十日町署、町職員が調べ、クマの仕業と判明。足跡は陣場下から正面原側の田んぼまで続き、中深見方面の林に逃げ込んだとみられる。「もう何年もスィートコーンを作っているが、今までクマが出たことはない。まさかこんな街中まで出てくるとは」と驚く。翌4日午後11時頃、同所の町道を徒歩で帰宅中の町民が「クマを目撃した」と十日町署に通報。体長は2b余で、町道を横切り正面原方面に逃走。同じクマとみられる。

 町は翌日に広報無線で全町にクマ出没を一斉放送。近隣の津南小、津南中等校、中津小に連絡し警戒を呼びかけ。同署も巡回を強化。町猟友会もクマが逃走した付近の調査を行う方針だ。町地域振興課では「クマを集落に近づけないため作物残さを畑などに置かず、山に入る時はラジオや音の出る鈴など持って行動を」と促している。

写真・荒らされたトウモロコシ畑。民家の軒先だ(8月5日、津南町陣場下で)

10代のまなざし「福原有佑くん・十日町2年・津南町」 マウナケア山頂で満点の星を  8月8日号
 この、こんがり日焼けが、この夏の充実ぶりを物語る。炎天下、陸上部の練習は続く。『百bのスピードと千5百bの持久力が必要』といわれる4百b走に挑む。先月の大会で自己ベスト57秒を出し、さらに3秒、4秒の短縮が見えている。「50秒を切るのがまず目標。来年のインターハイ出場を仲間たちとめざしています」。同時に4百bハードルにも挑戦している。

 先日、友だちの誕生祝いに手作りケーキを贈った。あるいは夜中、明かりのない場所を見つけ、獅子座流星群やペルセウス座流星群などを見にひとりで出かけるなど、多彩な顔を持つ。 「小学生の時、小林敦子先生が様々な事に取り組ませてくれ、その時の楽しい体験が今に通じています」。三箇小時代、自分たちで栽培したサツマイモで「スイートポテト」作り。今も得意なスイーツの一つ。
 星は小学生の頃から好きだった。高校1年の学年末、文系か理系かの進路選択で、「天文関係かシェフやパティシエか迷いました」。文系に決め、イタリアンシェフをめざす。「でもいつか、ハワイのマウナケア山頂で満天の星を見たいです」。

 2年前の夏。津南町の中学生代表の一人として広島平和記念式典に参列した。「爆心地の原爆ドームに強烈な印象を受けたことを今も覚えています。昨年も今年も、この時期になるとあの時の気持ちがよみがえります」。14歳のあの夏の日は、しっかり心に刻まれている。
 多感な16歳。高校3年間の折り返しの夏休み。「1年があっという間です。目標に一歩でも近づきたいです」。
                 (恩田昌美)

ヒョウ被害、津南と栄村で1000万円被害、出荷最盛期を直撃  8月8日号
 突然の強風、雹(ひょう)が県境地域を31日夜に襲い、農作物被害が出ている。津南町では中子や相吉地区などで強風と雹により、野沢菜やユリが傷つき計855万円の被害。栄村では北野、坪野、極野、原などの地域で強風と雹で出荷最盛期のキュウリやズッキーニ、花卉などが被害に会い約百万円の損害。限られた地区での降雹に「これだけの被害は近年にない」と関係者は肩を落とす。両町村と農協で被害をまとめている。

 津南町では午後9時から30分余に降雹。葉物の野沢菜の被害が大きく、相吉や中子地区の野沢菜約8fで葉が割けるなど約5百万円の被害。中子地区ではユリ切花パイプハウス5棟が強風で倒壊、内部のユリの葉や茎が雹で傷つき被害額約325万円など、町内で計855万円の被害を確認。さらに強風で中子地区などのスイートコーン畑約15fが倒伏。今後の収穫に影響が出ている。野沢菜3fを栽培する山本光一さん(54、中子)は「葉物は雹に弱く、大きく作物が割けてしまった。一反歩ほどはもう出荷できずうない込むしかなかった。自然災害で仕方ないが、かなりの痛手だ」と天を仰ぐ。

 一方、栄村では突風を伴う1a大の大きな雹(ヒョウ)が31日夜8時半頃から30分ほど降雹。畑約5900平方b、うち原向地区が面積5千平方bの被害と集中。農協に出荷する9農家がキュウリ、ズッキーニなど約百万円の損害を受けた。北野天満宮の隣集落・極野の農業委員、藤木虎勝さん(69)によると、31日夜8時半過ぎ、突然強風と雨が降り、すぐに「バリバリと凄い音がした。戸を開けると1aほどの雹が家の中に飛び込んできた。突風と雹で、とにかくすごかった」。この雹で、藤木さんらが段丘地の原向の作付けする出荷用の花栽培やキュウリ畑に、大きな被害が出ている。原向に約40e、花栽培する藤木さん。「ちょうどお盆用の花を出荷しようとした矢先の被害。なんとも悔しい。半分以上はダメだな」とショックを受けている。

写真・突然と1aほどのヒョウで穴があいたトマトハウス(8月1日、栄村原向で)

明日へ「奥脇よついさん・松代、菅刈でカフエ、手作りパン提供」  8月8日号
 太い柱が吹き抜けの屋根裏まで伸び、その空間が涼感を創り出す。器に盛られた5種の手作りパン。「今日は旬のトマト入りです」。奥脇よついさんは、笑顔でひとこと添える。サルナシのジャムとラズベリーも。

 かつて農耕の牛や馬と共に人が往来したであろう坂道。国道252号から松代・菅刈(すがかり)への道は大きくカーブする。坂道を登ると眼下に、渋海川が蛇行を繰り返し造り出した瀬替えに田が広がり、箱庭のような景色が。急な曲がり坂を登ると視界が開ける。
 戸数24戸。時間がとまったような静かさ。集落中央の高台に「ベーカリー&喫茶 よつ葉」がある。築100年の古民家。「本当に昔の家そのままです。初めてきた時は、煤で真っ黒でした」。独特の太く曲がった梁。「この集落のたたずまい、古民家の雰囲気を感じていただけたらと思います。何かほっとしますね」。

 上越市で暮らす中でパン作りへの興味が深まり、全国組織「ホームメイド協会」に入会。東京の学校にも通い、いつしか同協会の講師に。「そうですね、もう30年になるでしょうか。どんどんはまっちゃったんですね」。
 パン、ケーキ、パスタ、和菓子など次々に取り組む。「用具がどんどん増えちゃったんです。どうしようか、なんて思っているうちに、どんどんイメージが膨らんでいきました」。お店をやろう、年々思いが募り4年前、上越市周辺で空き家を探した。
 だが、所有者探しなどで困難を極め、不動産情報誌で今の家と出会う。成人した子たちも背中を押してくれた。

 パン作りは、バターと卵を使わない「バルバリ」(中近東の塩パン)や「イギリスパン」をメインに、その時々の旬の野菜や果樹を練り込んだオリジナルパンを提供。「今はトマトやキャロット(にんじん)ですが、これからはパンプキン(かぼちゃ)など美味しいですね」。
 添え物も趣向を凝らす。自家栽培のハーブを素材にケーキやドリンクを提供。「この水はミントのフレッシュハーブを入れました。さっぱりしますよ」。

 金曜日が仕込み日。営業は土曜、日曜、月曜の3日間。午前10時に開店。ランチメニューも用意、夕方5時には店仕舞い。スイーツのケーキも手作り。「今はさっぱりのレモンパイやラズベリーケーキなどです」。
「やはり自分が楽しくないと、お客さんをしっかりおもてなしできませんね。街の中ではなく、こうした山村の地でお店を開きたかったんです。少しずつですが、常連さんが増えています」。
 古民家の居間の窓際に3席、テーブルに4席だけ。時間を気にしないで過ごすプライベートタイムには、最高の空間だ。
               (恩田昌美)

あの頃を想い「からす踊り」、ふるさと会3団体共催で  8月8日号
 ◎…「ハアー、からす踊りを踊らねか〜」。お盆や祭りの定番、哀愁をおびた懐かしい曲調の「からす踊り」が25年間、東京上野で続いている。東京津南郷会、東京松之山会、東京栄村会が連携して毎年8月第一日曜、上野の新潟県人会館で「からす踊りの集い」を開く。今年も3日、県人会館には3つのふるさと会から百人が参加し、約3時間に渡って、手作り山菜料理やふるさとの地酒を交わし、秋山郷出身の藤ノ木辰三郎さんの音頭取りで会場いっぱいに輪になって、体に染み付いたからす踊りを踊った。

 ◎…からす踊りは長野・千曲川が信濃川に名を変える県境地域だけに伝わる民衆芸能の一つで、発祥は栄村といわれ、特に津南郷地域で伝え踊られている。津南郷会の元会長で今は亡き篠原武威一氏(樽田出身)と松之山会の橋秀夫前会長(中尾)との出会いで集いはスタート。初めの頃は20、30人前後の参加だったが、年々参加者が増え、25周年の今年は百人を超える参加数に。創設メンバーのひとり、松之山会前会長の橋秀夫さん(80)は「武一さんと話し合い、よしやるかぁーと、ふるさと料理一品持ち寄りで始めた。あれから25年、あっという間だね」。同じく当初から関わる元栄村会長の石澤秀信さん(86)は「いまでは田舎に帰っても、からす踊りを踊る人が少なくなった。あの頃は毎晩、あっちのムラ、こっちのムラへと行ったもんだ」。

 ◎…毎回、からす踊りの音頭取りをする津南郷会の藤ノ木辰三郎さん(75)。「そうだな50番くらいまでは覚えているが、あとはアドリブ。次々と歌詞が浮かんでくる」。この日も3時間の中で3回音頭を取り、名調子に参加者全員で踊りの輪を作った。津南町赤沢出身の渡辺ノブさん(68)は「忘れないよこの踊りは。これを踊ると田舎での暮らしを思い出す。だから毎年、8月のこの日は必ず参加している」と、きもの姿で雰囲気たっぷりに踊っていた。
 なお、からす踊りの集い25周年を記念し、来年5月には開通まもない北陸新幹線を利用し、飯山駅経由で栄村に行き、「からす踊り・山菜の集い」を3団体の共催で栄村で開く計画だ。

「素材は十分。物語性が課題」、ジオパーク現地審査  8月8日号
 貴重な地質や文化など住民が再認識し、地域振興を図る「苗場山麓ジオパーク構想」を進める津南町と栄村。3、4日に認定団体の「日本ジオパーク委員会」(委員長・尾池和夫京都造形芸術大学長、13人)の審査員の産業技術総合研究所・佃栄吉地質調査総合センター代表と明治大学の黒曜石研究センター・小野昭センター長、審査補助員の3人が現地調査に来訪。河岸段丘地形の視察や秋山郷など巡り、地元住民ガイドの説明を受けた。今月28日の同委員会で認定の可否を決める。

 認定への一番のハードルが現地審査。日本有数の多雪地帯、河岸段丘に代表される地質、縄文文化など、奥信越の川と火山が作り出したジオパーク(大地の公園)をアピールする両町村。佃氏は「湧水や雪など、今までのジオパークにはないメカニズムがあり素材は素晴らしい。あとはいかに楽しく伝えるか。ガイドが自分の言葉で語ってほしい」と行楽客とふれあう時間が長い優れたガイド育成の必要性を強調。一方、小野氏はジオサイトの充実を評価する一方、課題に「もう少しストーリィ性を。(地質や地形などの)ジオだけでなく、なぜこの地に縄文の遺跡があるかなど、人間活動を含め取り込む必要がある。ここを強調すると特徴的なジオパークになる」と指摘した。

 同構想は2年前に研究者を中心に検討委員会を発足、実現に向け動き出した。昨年12月に両町村の官民で作る「めざせ! 苗場山麓ジオパーク振興協議会」を設立。今年3月に7エリア57ジオサイト(景勝地)を記した申請書を提出。4月に横浜市で行った公開プレゼンでは高い評価を受けた。同協議会長の上村町長は「認定の可否に関わらず、審査員の方々と話し、この地域が魅力的で、まだ伸び代があると再認識した」と期待感。一方、副会長の島田村長は「審査員の印象は良いと感じており、認定になると思う。新年度には担当課を決め、広域連携を進めたい」と話した。

 現在日本ジオパーク26、世界ジオパークは6ヵ所を認定。新潟県では佐渡が日本、糸魚川が世界。長野県では南アルプスが日本認定。4年に一度再審査され、取組みが減退した場合は認定取り消しもある。なお今年は九州・天草地方や青森・下北半島など6ヵ所が申請している。

増水で逃げ遅れ2人救助、十日町・田川で  8月8日号
 急な増水であわや大惨事に―。6日午後3時43分、十日町市下川原付近の飯山線鉄橋下の一級河川・田川の中州で、護岸工事のためパワーショベルを操作していた市内在住の土木会社社長(60代男性)と、その作業員(同)の2人が増水で取り残されたと通報。2人は重機のオペレーター室で水が引くのを待つなか、十日町地域消防本部が岸からパワーショベルに梯子を渡し救出。ケガはない。

 同時刻に市内での降雨はなく、上流に強い雨が降ったとみられる。急激な増水は逃げる間もなく、パワーショベルのキャタピラ部分が一気に川水で埋まるほどだった。

写真・増水した田川から作業員を救助する消防士(6日午後4時ごろ)

ひまわりウエディング、愛を誓う   8月1日号
 ○…50万本のヒマワリの前で愛を誓う―。広々とした高原地帯でもある津南町沖ノ原台地・ひまわり広場で27日、「ひまわりウェディング」が開かれ、夏の花と友人、親戚、観光客らに囲まれたふたりが愛を誓った。

 ○…挙式カップルは、長岡市のリバーサイド千秋で共に飲食店の店長を務めている大村博明さん(37)と大村奈津子さん(34)。今年1月に入籍し、8組の応募の中から選ばれた。イベントは国際ホテル・ブライダル専門学校(新潟市中央区)が授業の一環でプロデュース。今年が10回目の節目。朝からの雨はイベント直前に止んだが、会場はぬかるみ、主催した専門学校生たちは泥んこになりながら準備した。ふたりは「企画した皆さんに感謝。ヒマワリのように笑顔で暮らしたい。よい思い出になりました」と感激していた。

十二峠新トンネル、原発避難路で早期開削を  8月1日号
 土日返上で通行止の復旧作業が続く国道353号十二峠。今月6日の仮復旧・通行再開に向けた作業が連日続く。計画では土砂崩落した猿倉第2スノーシェッドから中里側約20b、仮設のボックス道路を設置し、交互通行による通行再開をめざす方針だ。
 現場は急峻な崖を切り立ち、不安定土砂の排出に手間取る一方、梅雨の豪雨(時間20ミリ前後)に襲われ、先月22日と今月16日に大量の土砂流失が発生し、復旧工事を遅らせた。

 先月24日、通行止で不便を強いられている土倉、倉下地区と清津峡地区で管理する十日町地域振興局が今後の説明会を開いた。地域整備部の近藤友成副部長によると、「8月6日の通行再開に向け突貫工事を進める」と、今月6日の通行再開が確定的となった。
 通行は日中だけで、7時〜8時、11時〜14時、18時〜19時の時間帯は通行でき、片側交互通行。夜間は通行止。ただ今月13日〜17日は朝7時〜夜7時までは全時間帯が通行できる。同振興局では、復旧作業の段階ごとに通行可能時間を広げていく方針で、秋の観光シーズンまでには危険箇所の除去を行い、日中の通行止を解除する予定。なお路線バスは湯沢行が3本、森宮野原駅行が1本、十二峠経由で走る。

 一方、大規模な土砂崩れで損傷した同スノーシェッドは、取り替え工事が必要で崩落面の保護など含めた恒久工事は来年末までかかる見通しだ。

写真・前方スノーシェードから手前20bにボックス道路を設置(31日朝、十二峠の現場で)
                               

明日へ「滝沢政則さん・久田里そば、古民家の我が家で開業」  8月1日号
 140年余の歴史を持つ古民家。「天井を張ったくらいで、なにも手を加えてない。柱は真っ黒だ」。囲炉裏の上には火棚(ひだな)。懐かしい生活民具が下がっている。屋号(下り)をそのまま付けた「久田里そば」を手がける滝沢政則さん(76)。代々伝わる手打ちそばを、伝わるそのままを、熊皮が敷いてある囲炉裏の居間で、もてなしている。

 急峻な秋山郷渓谷の懐に、すっぽり包み込まれるような津南町結東(けっとう)。中津川対岸の苗場山系の金城山が、いつも集落を見守り、見下ろしている。
 26戸がひっそりとたたずむ。その中央に旧中津峡小学校で、現在は宿泊施設・かたくりの宿がある。そのすぐわき、茅葺屋根に赤いトタンをふいた古民家。ここが「久田里そば」。
 「最近でこそコシヒカリが作れるが、昔は町場のように旨い米ができなかった。客のもてなしやめでたい時などに、自分で作ったそばを振る舞った。これが秋山の習わしだった。だからそばは、ご馳走だったんだ」。そば打ち道具の「打ち板」も「のし棒」も、どこの家にもあった。

 昭和40年代。十日町織物の盛況期。秋山郷にも出機が広がり、滝沢家も内職で出機をした。だがオイルショック後、急速に織物業が衰退。その波が秋山郷にも押し寄せ、親会社倒産で出機も中止。
 「そんな時、横根のそば屋に行き、これだと思った。昔ながらのそばでやってみようと」。親たちが代々伝えてきた「そば打ち」。その再現に取り組み、そば栽培、つなぎの「ヤマゴボウ(オヤマボクチ)」栽培。そばつゆは、妻まさいさん(72)が担当。築後140年の家をそのまま「そば屋」にし、年代を感じる囲炉裏の居間でそばを振る舞う。

 店開きは34年前の昭和55年。「めずらしかったのか、NHKや評論家などいろいろな方が来てくれた。だが、秋山郷の狭い道が影響してか、だんだん少なくなった。それでも5月の連休と秋の紅葉時期には、おかげさまで来てくれる」。
 手打ちそばと共に、久田里そばの魅力は、滝沢さんの昔話。高い天井を見上げると、太い梁(はり)が見える。「あの柱は、チョウナという柱を削る大工道具で削って、組み上げた」など、秋山郷の民家づくりの話が始まる。居間に敷かれる熊皮。熊猟に出ていた頃の興味深い経験談も聞かれる。手打ちそばと共に、味わい深い話に引き込まれる。

「いつ開いているんだとよく言われ、『幻のそば屋』なんて言われているが…」。いまは予約を受けている。秋山郷産そば、自家で引くそば粉、昔ながらの手打ち。もちろんメニューは「久田里そば」だけ。自家野菜や山菜の加工品も出る。夫婦の味が、そこにある。
              (恩田昌美)
秋山郷・久田里そば025‐767‐2023。

インサイドリポート「1年後改選の津南町議会」、いま何が起こっているのか   8月1日号
『特別委員会を12回、出雲崎町議会へも視察、町民アンケートも実施。定数削減のメリット、デメリットがあり、委員の意見が拮抗した。よって併記報告とする』。津南町議会7月定例会の最終日の先月24日、議員定数特別委員会の大平謙一委員長は、苦渋の選択を報告した。その30分ほど前、本会議場の議員は、2つの議題で賛否を問われた。『津南町地酒で乾杯を推進する条例』、『集団自衛権の行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定の撤回を求める意見書提出に関する請願』。2件とも賛否が拮抗した。地酒条例は「6対9」で否決、集団的自衛権の意見書提出は「7対8」の最少差で否決。「結論を導き出せない特別委員会」、「二分する意見」。そこには思惑と利害が複雑に交錯する姿が透けて見える。いま、津南町議会で何が起こっているのか。

 「議会としての一体感というのか、そういうものが希薄で、それぞれの議員が、それぞれの立場でいいじゃないか、という雰囲気を強く感じる」。3年前、初当選した議員のひとりは話す。
 『地酒条例』でも感じた。提案者は地元酒蔵の取締役の議員。今春4月の月例全議員協議会で、条例化を初めて全議員に説明。町長選がなければ「県内初の条例化」が見えていた。だが6月定例会は町長選後、7月22日開催。この間、長岡市が県内初の「乾杯条例」を制定。県内初の話題性は持っていかれた。
 議案審議は冒頭から疑問視する意見が相次いだ。「住民が本当に必要と思っているのか」、「(飲酒など)嗜好は個人の自由ではないのか。乾杯を謳う条例は町民の理解を得られない」、「条例というものが持つ意味は重いものだ」。賛同意見はなく、採決では「賛成6、反対9」で否決。賛成議員は桑原悠、恩田稔、津端眞一、根津勝幸、吉野徹、伊林康男の5氏だった。
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 なんとも言えない不安定な空気が漂うなか、次の議案審議が始まった。『集団的自衛権の閣議決定の撤回を求める意見書提出の請願』。請願者は全国組織につながる『つなん九条の会』(代表世話人・関谷今朝次氏ら4人)。世話人に名を連ねるメンバーは、戦争体験記「女たちの戦争」を発刊したメンバーの女性、政党関係者などだ。
 先月14日提出の同請願は、開会初日の22日、総文福祉常任委員会(草津進委員長・7人)に付託、24日まで審査・協議した。その報告を議会最終日24日に行った。草津委員長は「意見が真っ二つに分かれ、投票結果は3対3。継続審議も考えたが、委員長採決で『不採択』とした」と報告。
 これを受けた質疑で、いま津南町議会が抱える体質的が側面が見えた。請願反対の議員は、言ってのけた。「九条の会は護憲派として、社民、共産が背後にある。…日本国憲法はアメリカ製の憲法。国民自ら定めたものではない。使い勝手のよい解釈で使ってもいいのではないか。解釈変更で極端に戦争をする国になるものではない」。政権与党に籍を置く議員は、県・国との関係性を重視するため、「政権与党に不都合なことはしない」と、野党政党が関係する議案にはデリケートに反応する。
 この意見書提出は、新潟県内では新潟市・新発田市、五泉市、加茂市、阿賀野市、魚沼市、聖籠町、湯沢町の8市町が可決、意見書提出している。
 一方で中間的な正論も出る。「外交は国会で話し合うべきと思う。地方議会は保守派多数が現実。手続き重視の民主主義の中で、急ぎすぎているように思う」。「同類を殺しあうのは人間だけ。70年間で日本人は戦争のせつなさを忘れてしまったのではないか。武力で平和ができたということは聞いたことがない」。
 採決では「賛成7、反対8」の1人差で否決。安倍首相への意見書提出に賛成したのは桑原悠、風巻光明、繻エ洋子、中山弘、滝沢茂光、藤ノ木浩子、大平謙一の7氏。
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 議会最終日24日に審議した3件に対する議員の姿勢に、議会の現場でしか伝わらない何かがあった。
 特別委員会まで設置して取り組んだ議員定数問題。だが、中途半端な結論と決定力不足は、住民代表の議員資質の問題にも通じる。「アンケートは参考資料」としたが、結局、アンケート結果がすべてだった。12回の委員会を経た結論が「両論併記」では、住民代表の議員は不要だ。結論を出し、責任をすべて背負って本会議に報告することが特別委の責務。議会結論は本会議の場だろう。
 『地酒条例』を否決した議会。いや議員たち。これが地元酒蔵2蔵の条例制定請願だったら、どう判断しただろうか。「個人の嗜好」というが、条文は『酒類に対する個人の嗜好および飲酒に対する個人の意見は尊重する』と明記している。
 なぜ否決か。「条例を誰が提案したか、それが問題」という声を聞く。
 これは、『集団的自衛権の閣議決定の撤回を求める意見書提出』請願にも現れている。政党を色濃く感じる代表世話人、さらにその紹介議員。「同じものを戦争体験記をまとめた団体など女性グループが提出したら、どうだったか」。同じような声が聞こえる。
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 住民代表の議員で構成する議会。津南町議会は1年後、改選期を向かえる。「議員のあり方」「議会のあり方」、さらに「事の本質。いま何が大切なのか、それをしっかり見る目」、この本質論議こそ、いま、津南町議会に求められている。
     (恩田昌美)

協力隊退任後の定住支援策を、池谷を衆院委員会訪問  8月1日号
事業スタートして5年の国の「地域おこし協力隊」を初年度から積極導入する十日町市はすでに36人を受け入れ、現在16人が市内各所で地域活動に取り組む。全国的にも最多受け入れの実践活動を視察するため、衆院総務委員会(高木陽介委員長・委員8人)が28日、同市を訪れ、若者定住で限界集落を脱した『奇跡の集落』といわれる池谷地区などを訪れ、現役の協力隊やすでに退任した定住者などと今後の協力隊事業などについて意見を交わした。定住者からは「3年間の協力隊後の定住へのステップアップの取り組み支援が必要」など、協力隊を担当する総務省職員も同行した視察団に要望した。

 同委員会は高木陽介委員長(公明)はじめ橋本岳(自民)、原口一博(民主)、塩川鉄也(共産)など超党派8氏。池谷地区の旧分校「やまのまなびや」で意見交換。10年前の中越地震の復興支援を機に協力隊が入った。同地の曽根藤一郎さん(78)は「高齢化で70歳以上が大部分だったが、若い人が来てくれ、本当に皆が若返った。特に女の子たちが本気で農業をやりたいという気持ちがあり、我々も本気で農業を教えた」と当時を振り返る。2010年に家族で池谷に移住した多田朋孔さん(36)は、「空家を改修するなど受入れる本気度を池谷に感じた。ただ人が住み続けるには人と住まい、仕事と収入が必要。これは日本の農村が抱える問題そのものではないか」と問題提起。さらに「3年間の任期後、どう定住につなげるか、そのシステムを作る必要がある。定住後のフォローアップ制度が早急に必要だ」と国や地元自治体と取り組みの必要を強調した。

 さらに、協力隊ではないが池谷に23歳で移住し、全くの素人から農業に取り組み4年の坂下可奈子さん(27)は「集落をつなぐことは農業をつなぐことで、地域と人をつなぐこと。大切なものが残っているこの地を、次につながってほしい、その思いです」と話す。この定住活動が11月に一つ結実する。市内男性と結婚する。
 80分余の意見交換だったが、高木委員長は「5年目を迎えている協力隊事業だが、3年後のフォローが重要だ。定住化への制度的な支援が必要だ」と池谷での意見交換後、同委員会としての取り組み課題を話した。  

10代のまなざし「小柳 七夏海さん・十日町中学3年)  8月1日号
 中学時代最後の夏休み。入部している文化総合部は今年度、理科の実験が主体。10月に十日町情報館で開かれる科学研究発表会に向け、いま「調味料の塩分量調査」に取り組んでいる。
 「運動系はちょっと苦手で、小さい時から絵を描くのが好きだったので中学では迷わず文化総合部を選びました」
 理科室は醤油と味噌の焦げた臭いが立ちこめている。塩分量を調べるため、水分を蒸発させるなどの実験を進めているためだ。実験はデジカメなどを使い、こまめに記録していく。
 「春はバイオリアクター(生体触媒を用いて生化学反応を行う装置)を使って人工イクラを作る実験をしました。結果が出るので面白いです。理科は楽しいんだなって」

 同部は総合的な文化ということで、担当する顧問の専門科目が大きく影響する。1年の時は裁縫が中心で、2年では美術、そして3年が理科系。
 「キルトにはまった時もあったし、編み物でマフラーを作って楽しむのも好きだったので、裁縫も楽しむことができました。絵が好きなので美術もよかった。そして今は理科の実験と、様々な体験ができ文化総合部に入ってよかったです」
 高校では、好きな絵をもっと描きたいので美術部に入る予定だが、将来は看護師になりたいと思っている。
 「身近に障がいがある人もおり、自然に看護に関心を持つようになりました。看護師になって多くの人の手助けをしたいです」                  (村山栄一)

阿部知事、栄村復興を約束、知事選で初来村   8月1日号
 任期満了に伴う長野県知事選は先月24日告示され、現職で再選をめざす阿部守一氏(53・無・長野市)と、新人で信州大名誉教授の野口俊邦氏(71・無・上伊那郡南箕輪村)、さらに告示日に突然届け出た元中野区職員で会社社長の根上隆氏(64・無・さいたま市)の3人の争いになっている。事実上は阿部氏の信任投票の色合いが濃く、1期4年間の阿部県政がどう評価されるかに関心が集まっている。
 阿部知事は30日、告示後、初めて栄村に入り、同日朝8時、飯山線森宮野原駅前で村民50人余りを前に、支持を訴えた。
 同村は3年4ヶ月前、東日本大震災の翌日、3月12日に震度6強の激震に襲われ、震災関連死2人を含む民家や農地などに大きな被害を受けた。

 阿部氏は30日早朝に栄村に入り、復旧工事が進む中条橋や被災した農地、家屋などを見て回り、8時から駅前で街宣。長野県の市町村数を表す「ABE77」が書かれた白いワゴン車の街宣車横で阿部知事は「あの震災の時、30分後には県庁に行き、国の目が東北に向いているなか、栄村で大きな被害が出ている事を国に知らせた。今日も中条橋などを見た。外景的には元に戻りつつあるが、3年前のショックや自宅をなくした思いなど、心の中の傷が残っている人が多いのでは。この栄村がますます元気になるように、心の傷が早く良くなるように頑張りたい」と話し、集まった一人ひとりの握手。村民からは「頼みますよ」と声が飛び、阿部知事は大きく肯いていた。
投票は今月10日。
3候補の略歴は次の通り。
【阿部守一氏=あべ・しゅいち】横浜市副市長、総務省過疎対策室長、長野県副知事、東大法学部卒、53歳。
【野口俊邦氏=のぐち・しゅんぽう】日本科学者会議常任幹事、県公共事業評価監視委員長、九州大農学部卒、71歳。
【根上隆氏=ねがみ・たかし】東京中野区元職員、日大卒、会社社長、64歳

ふる里への想い、「おかえりトーク」で主張、津南まつりで  8月1日号
 故郷を出て国内外で活躍する5人が、自分の想いを語った。第35回津南まつりの新企画に「おかえり津南! トークショー」。お笑い・うしろシティの金子学さん(33、陣場下出身)、大ヒット映画「キル・ビル」や「ルパン三世」のアニメ原画、国内外のCMも手がけるクリエイターの中澤一登さん(46、上段出身)、横浜の「くらき永田保育園」看護師の池田亜也さん(27、豊郷出身)、ピョンチャン五輪をめざすスノーボーダー・佐藤夏生(21)・亜耶(19)姉妹(正面出身)の5人が登壇。自分の現状、故郷への想いなどを語った。

 男性陣からは変わらない故郷を求める声が出た。お笑い界で上をめざす金子さんは「津南は今まで通り、逆に何もない方がいい。でも僕らが人気者になれば皆津南の良さを知って貰えると思う」。自身が音楽映像を手がけたバンド『リンキン・パーク』が世界最大のミュージックチャンネルMTVのビデオミュージックアワードを受賞するなどしている中澤さんは「雪が降ったあとの晴れた日は信じられないほどキレイで、死んでもいいかなと思うぐらい。外にいる人間のエゴだが、変わってほしくない」と強調する。

 一方、女性陣。保育園勤務の看護師として子育てに関わる池田さんは「津南はゆったりしていて子育てには良いが、内しか見ていない閉鎖的な部分もある。視野をもうちょっと外に向けてほしい」と指摘。津南中卒後カナダ留学、現在は埼玉で妹の亜耶さんと暮す夏生さんは「学校帰りのカラオケとかプリクラに憧れた。でも離れた今、田んぼを歩き知らないおばあちゃんと立ち話するようなことは津南でしかできないことと分かった」と人と人が近い魅力に言及。昨年トルコで開催の世界ジュニア選手権でハーフパイプ5位入賞の亜耶さんは「本当に津南が大好き。これから頑張って次のオリンピックをめざしたい」と夢に向かっての意気込みを語った。

来月6日、通行再開へ、国道353号・十二峠土砂崩れ  7月25日号
 大規模な土砂崩れで国道353号が通行止になっている十二峠は当初、「夏休み前には仮復旧」としていたが、梅雨が長引き、集中的な豪雨が再三あり、その度に移動した土砂が流失するなどして復旧工事を妨げ、十日町地域振興局では「お盆前の仮復旧は必須項目」と休日返上で復旧作業を進めている。今後の雨などにもよるが、「来月6日の通行再開」をめざしている。

 春先の雪解けなどの影響で4月5日に土砂崩れが発生した十二峠・第2猿倉スノーシェッド。急峻な山側上部が崩れ、大量の土砂が同スノーシェッドを埋め、支柱などを損傷した。不安定な現場のため、無人の遠隔操作重機を導入し、土日返上で復旧作業を進める。
 だが、梅雨時期が重なり、現場の雨量観測計で時間雨量20_前後の豪雨に再三襲われ、その度に、排出移動した土砂が道路に流失するなど、復旧工事を妨げてきている。22日に梅雨明け宣言が出されたが、今後の豪雨が心配される。

 現場を担当する十日町地域振興局・地域整備部では24日夜、地元の倉下・土倉地区と清津峡地区で地元説明会を開催。今後の工事方針と仮復旧見通しなどを説明した。同部によると、今後の雨にもよるが、「来月6日の通行再開」をめざす。通行可能時間は午前7時〜8時、11時〜14時、18時〜19時の3時間帯。夜間は通行止め。

 通行再開は、同スノーシェッドから中里側に20bのボックス型道路(幅・高さ4b)を設置し、その中を通行する。通行は交互通行となり、このボックス道路は山側防護工事が完了する来年末まで使用する計画。さらに現場の状況により、通行止の基準(時間雨量・連続雨量、降雪量)の半分程度で規制する方針だ。

写真・十二峠土砂崩れ現場。ボックス道路は前方スノーシェッドから手間20bに設置。通行再開は来月6日を見込む。(23日朝撮す)
 

日本食研・大沢会長、「津南町森林組合を日本一に」、4年ぶり津南訪問  7月25日号
 グループ売上1千億円企業が目前の食品大手・日本食研ホールディングスの大沢一彦会長は19日、4年ぶりに津南町を訪れ、前小林町長と約束した『日本一の森林組合にする』事業達成を改めて約束し、津南町森林組合との連携強化を強調。上村津南町長に協力要請し、日本一実現へ総力戦で取り組む意気込みを見せた。今回、大沢会長主導で取り組んだ「津南産商品拡販コンテスト」で優秀表彰された全国の営業社員15人を同行させ、営業力のパワーアップを示し、津南町森林組合には「新商品の開発が重要。津南には良い素材がたくさんある」と積極的な商品開発を促した。

 日本食研グループと津南町森林組合の交流会を19日、ニュー・グリーンピア津南で開き、2百人が出席。日本食研は社員家族も出席するのが慣習。昨年度、同社員3千9百人とグループ営業社員を対象に「津南商品拡販コンテスト」を大沢会長提案で行い、優秀社員1420人に総額3千4百万円の報奨金を支給。その上位優秀社員15人を今回、津南に招待同行。同コンテスト事業に対し、津南町森林組合は大沢会長に感謝状を贈った。

 4年ぶりに来町した大沢会長。いつもの笑顔で挨拶した。「前小林町長と津南町森林組合を日本一にしたいと取り組んできた。今年、会社全体で8%の伸び、津南町森林組合との取引も5%伸び、今年は組合は13億円くらいの売上になるのではないか」とコンテスト効果を話した。

 さらに「すべてで日本一をめざすが、日本国内の森林組合の中で、売上、利益、職員数のランキングを調べる必要がある。そして今、津南町森林組合が売上での順位、利益で、職員数での順位を頭に入れてほしい。我々も努力するが、津南町森林組合も職員に周知徹底し、目標に向かって努力していただきたい」と改めて『目標・日本一宣言』を掲げた。

 さらに「日本食研は今年880億円売上、仕入れ商品3百億円ある。あちこちで買っているが、津南町森林組合からもっと買えると思うので、新商品を次々と作ることで売上が増えるはず。商品開発に力を入れてほしい、私どももお手伝いする。研究し、努力し、早く日本一になれるようにしたい。私は74歳になり、老い先が短いので早く日本一になりたい、このステージで滝沢組合長と抱き合って喜び合いたい」とがっちり握手し、大きな拍手を受けた。

写真・「日本一に」と連携強化を話す大沢会長(中央右、19日、津南町で)


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