細く、柔らかく、引っ張れば切れる藁(ワラ)を、束ね、編み込んでいくと、丈夫な縄になる。馬を引く手綱(たずな)、井戸水を汲む桶を引っ張る「井戸綱」など、生活に欠かせない道具を先人たちは作り、伝えてきた。「わら文化」は、雪国独特の生活文化であった。
あった、と過去形になってしまっているわら文化。だが、しっかり技術を伝えようと、あらん限りの技術と知恵を次代に引き継ぐため、石沢今朝松さん(83)は、この冬も「ワラ細工」に取り組んでいる。
「これまでで、一番難儀なワラ細工になるかな」。今月の小正月頃から取り組む「ツグラ」。かつて親たちは、野良仕事などに出る時、この中に2歳くらいまでの子どもを入れ、仕事に出た。誰も子どもの面倒を見る余裕がなく、このツグラが子守り役だった。
円形の直径は70aほど。出来あがると高さは30aほどになる。「コシヒカリのワラは弱くてだめだ」とワラ細工専用の稲(品種はミドラズ)を栽培。密集して植えることで、細く柔らかい稲が育ち、細工に適したワラができる。9月中旬に稲刈り、ハザギに掛けて乾燥。「そうだな、50束か60束くらいできるかな。だいぶ少なくなったな」。
ツグラは、猫ツグラが知られるが、本来のツグラは、小さな子を入れ、子守をする生活用具。「ツグラは、一代一つといわれた。一代で持ち回りで使った。だから相当丈夫だった。力仕事だ」。
細いワラを2、3本、胴体に通し、ツグラのふちにワラの束を重ね、それを力いっぱい編み込んでいく。「もう年だな。2時間もすると、腕が痛くなる。力で編まないと、丈夫なツグラができない」。厚さ5aほど。触ると硬く締まっている。
ワラ細工技術の復元に取り組み30年余り。16年前に、同世代の仲間たちと「津南わら工芸部」を作った。毎週集まり、技術を伝え合い、分からない所を探り合い、かつてのワラ細工の復元に取り組んでいる。メンバーには女性も入り、津南町の農と縄文体験実習館なじょもんで、講習会などを開く。
ワラ工芸は、古都・奈良の安堵町の歴史民俗資料館・橋本美紀学芸員との出会いを生み出し、交流が続く。石沢さん製作のワラ工芸は、県内外の博物館で展示され、奈良の資料館には今も展示されている。
「縄ないがすべての基本。孫じさがよく言ったもんだ。『縄ないができれば一人前だ』と。そうだな、30種類くらいの縄ないがあり、それぞれ用途によって違う。昔の人たちは、本当にすごい」。
伝統文化を次代に引き継ぎたい。「記録を取るが、書いても分からない部分が出てくる。見て、手で覚えないと分からないことが多い。それが伝統文化なんだろうな」。
昨年、大手デパート伊勢丹から「ぞうり」を頼まれた。父の日のプレゼント用という。蒲(がま)で作った特注ぞうりは、完売した。今年も予約が入っている。
商品として売れるが、石沢さんはちょっと疑問だ。「売るための製作になってしまうと、どうも技術的にも違ってくるようだ。伝統文化は、受け継いできたことをしっかり伝えて、はじめて伝統だ」。
人の暮らしと共に、姿を消しつつあるワラ細工。地域の「手仕事師」は、80代が大部分。「なんとか、伝えていきたいね」。
(恩田昌美)