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2014年01月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
世界に発信「雪国観光圏」、新潟・長野・群馬の県境7市町村が連携、ブランド観光認定めざす  1月31日号
 積雪地帯で人が暮らす地としては世界でも稀な多雪地である特性をアピールし、世界的な観光地のブランド化をめざす取り組みが本格化している。新潟・長野・群馬の3県の県境地域7市町村(十日町市・津南町・栄村・湯沢町・南魚沼市・魚沼市・みなかみ町)が連携し、国の観光庁が認定する「ブランド観光地域」の2年後の登録認定をめざすため、「雪国観光圏推進協議会」を立ち上げ、「雪国」という「個性」を全面に出し、日本代表する観光エリアへの実現に臨む。29日には7市町村長が十日町市で初会合を開き、細部の検討が必要な部分はあるが、「連携して世界的な雪国観光地をめざす」ことで合意し、2年後の国認定実現に共同歩調を取ることになった。

 観光庁に申請した全国49観光圏の中から、2年前に6観光圏が「グランド観光地域準備地域」の国指定を受け、雪国観光圏も認定された。7市町村で作る協議会の会長に就いた湯沢町・田村正幸町長は「日本の顔となる観光地の認定を受けるべく、7市町村が連携し実現をめざしたい」と連携を呼びかけた。
 7市町村長が揃った初のトップ会議では、雪国観光圏事業を実質的に進める「一般財団法人・雪国観光圏」の井口智裕代表理事は、「雪国という名称は冬だけをイメージするが、真夏でも雪を体感できるプログラムなど、年間通じた雪国体験プログラムを作り、建物や観光案内板、商店街づくりなどトータルで、すべてが関連する事業化をめざす」と、基本的な方針を話した。
 協議会では、運営組織や運営費負担金、さらには事務局体制など、行政が関わる分野を協議し、「連携して一歩前に進む」ことで同意した。ただ、事務局体制や負担金の根拠など細部の検討不足もあり、再度協議会を開き、さらに熟度を高める方針だ。

◇◆◇◆

 雪国観光圏の事業説明が28日午前の津南町から7市町村で始まっている。同日午後には栄村、31日には十日町市で開く。事業説明は、協議会長の田村湯沢町長、一般社団法人・雪国観光圏の井口代表理事らが行い、観光庁が進める「ブランド観光地域」認定にも関わるJTB総合研究所顧問で立教大観光学部特任教授・清水愼一氏も同行している。
 「豪雪という言葉は、この地から生れた言葉だ。雪国文化は世界でここにしかない」。清水氏は津南町や栄村での説明会で強調した。特に、津南や十日町に多数ある縄文遺跡に注目。「1万年前から人が暮らす地に今も人が暮らし、この雪深い地に暮らし続けていることは、世界では信じがたいこと。この豪雪地に世界の目が向いている。世界一の豪雪地だからこそ育まれた雪国文化がある」。この『個性』とも言える特性に、地元が気付いていないと指摘する。

 「1千万人の観光客が外国から来ている。2兆円が日本に落ちている。観光庁は2千万人をめざす、5兆円の経済効果が出る。これまでは東京や京都、奈良、富士山だったが、いま外国からの観光客は魅力ある地方を求めている」と観光状況を話し、「その新たなブランド観光地域の認定に観光庁は取り組んでいる。今回準備地域に認定された6観光圏のなかで、雪国暮らしが全面に出ているのは雪国観光圏だけ」と期待感を示した。
 その取り組み姿勢として、「その地域の宝物を住民自身がしっかり認識すること。雪国文化が育む人であり、食であり、自然であり、景観であり、この地に暮らす住民が、その魅力を先ずしっかり認識することが第一」と話す。

 具体例が興味深い。「その地の子どもに聞けば良く分かる。『ここはどんな所?』と聞き、『なんにもないし、おもしろくない所』という答えが返ってきたら、そのまちは終わりです。子どもは親や周りの大人から日常的に聞かされていることを、正直に話す。まず住民が自分のまちの魅力をしっかり認識すること、これがスタートです」。
 清水氏は、青森・大間のマグロの成功例や佐世保・小値賀の民泊の家族総ぐるみのもてなしなど、全国に事例を話し、連携と工夫の必要性を話した。

写真・連携する7市町村長(左から栄村課長、上村津南町長、関口十日町市長、田村湯沢町長、大平魚沼市長、井口南魚沼市長、岸みなかみ町長。

10代「福島孝佑さん・十日町高1年」 心に響いた言葉  1月31日号
 「良いことは良い、悪いことは悪い」。明確な言葉が、心に響いた。中学3年間、取り組んだ野球。顧問の松井晃一先生は、生活指導の先生でもあった。2年の時、応援団副団長に立候補。毎朝、松井先生と共に学校玄関に立ち、衣服の乱れなどを注意した。『悪いことを見て、注意できないという後ろめたさを感じる人がいる。周りの人にそういう気持ちにさせるようなことはするな』。今も憶えている言葉だ。直接的に注意する言葉ではない説得力を、今も感じている。

 中学時代の出会いが、高校、そして大学、めざす進路に導いている。「人の役に立ちたいです」。その姿を警察官という職に見い出している。『良し悪し』という考え方を実感した先に見えた進路だ。「しっかり大学で勉強し、人の役に立ちたいです」。物静かな雰囲気に、秘めた信念を感じる。

 自宅から5分ほどに十日町情報館がある。「よく行っています。勉強しようと思って行っても、気になる本が目に入ると、手にとって読んでしまい、気がつけば勉強そっちのけです」。米澤穂信や西尾維新などが好きで、中学時代までにハリーポッターはすべて読んだ。「小さい頃、絵本をよく読んでもらいました」。今は『学園もの』に熱中。「でも、勉強が第一ですよね…」。本好きは、当分続きそうだ。

明日へ「ワラ工芸、雪国が育んだ生活民具」、石澤今朝松さん(津南町駒返り)  1月31日号
 細く、柔らかく、引っ張れば切れる藁(ワラ)を、束ね、編み込んでいくと、丈夫な縄になる。馬を引く手綱(たずな)、井戸水を汲む桶を引っ張る「井戸綱」など、生活に欠かせない道具を先人たちは作り、伝えてきた。「わら文化」は、雪国独特の生活文化であった。
 あった、と過去形になってしまっているわら文化。だが、しっかり技術を伝えようと、あらん限りの技術と知恵を次代に引き継ぐため、石沢今朝松さん(83)は、この冬も「ワラ細工」に取り組んでいる。

 「これまでで、一番難儀なワラ細工になるかな」。今月の小正月頃から取り組む「ツグラ」。かつて親たちは、野良仕事などに出る時、この中に2歳くらいまでの子どもを入れ、仕事に出た。誰も子どもの面倒を見る余裕がなく、このツグラが子守り役だった。
 円形の直径は70aほど。出来あがると高さは30aほどになる。「コシヒカリのワラは弱くてだめだ」とワラ細工専用の稲(品種はミドラズ)を栽培。密集して植えることで、細く柔らかい稲が育ち、細工に適したワラができる。9月中旬に稲刈り、ハザギに掛けて乾燥。「そうだな、50束か60束くらいできるかな。だいぶ少なくなったな」。
 ツグラは、猫ツグラが知られるが、本来のツグラは、小さな子を入れ、子守をする生活用具。「ツグラは、一代一つといわれた。一代で持ち回りで使った。だから相当丈夫だった。力仕事だ」。
 細いワラを2、3本、胴体に通し、ツグラのふちにワラの束を重ね、それを力いっぱい編み込んでいく。「もう年だな。2時間もすると、腕が痛くなる。力で編まないと、丈夫なツグラができない」。厚さ5aほど。触ると硬く締まっている。

 ワラ細工技術の復元に取り組み30年余り。16年前に、同世代の仲間たちと「津南わら工芸部」を作った。毎週集まり、技術を伝え合い、分からない所を探り合い、かつてのワラ細工の復元に取り組んでいる。メンバーには女性も入り、津南町の農と縄文体験実習館なじょもんで、講習会などを開く。
 ワラ工芸は、古都・奈良の安堵町の歴史民俗資料館・橋本美紀学芸員との出会いを生み出し、交流が続く。石沢さん製作のワラ工芸は、県内外の博物館で展示され、奈良の資料館には今も展示されている。
 「縄ないがすべての基本。孫じさがよく言ったもんだ。『縄ないができれば一人前だ』と。そうだな、30種類くらいの縄ないがあり、それぞれ用途によって違う。昔の人たちは、本当にすごい」。
 伝統文化を次代に引き継ぎたい。「記録を取るが、書いても分からない部分が出てくる。見て、手で覚えないと分からないことが多い。それが伝統文化なんだろうな」。

 昨年、大手デパート伊勢丹から「ぞうり」を頼まれた。父の日のプレゼント用という。蒲(がま)で作った特注ぞうりは、完売した。今年も予約が入っている。
 商品として売れるが、石沢さんはちょっと疑問だ。「売るための製作になってしまうと、どうも技術的にも違ってくるようだ。伝統文化は、受け継いできたことをしっかり伝えて、はじめて伝統だ」。
 人の暮らしと共に、姿を消しつつあるワラ細工。地域の「手仕事師」は、80代が大部分。「なんとか、伝えていきたいね」。
                   (恩田昌美)

103歳の現役画家逝く、高橋勉氏(津南町出身)  1月31日号
 橋勉氏(たかはし・つとむ、新象作家協会創設メンバー、津南町出身)が今月25日、入院先の東京・中野区の病院で肺炎のため死去。103歳。故人の意思で家族のみで密葬。亡くなる直前まで絵筆を持ち、国内外で発生する天災や紛争に心を痛め、人の愚かさと希望を独特の画風で表現、生涯現役の画家として絵筆をふるった。自宅は東京・杉並区。喪主は長男・橋皐(のぼる)さん、長女・濱田蓉(よう)さん。

 明治44年、津南町十二ノ木に生まれる。新潟師範で絵を学び、中国・大連芸大でさらに絵画を専攻。終戦の翌年昭和21年、引き揚げの混乱のなか生まれ故郷の津南へ。この時、十二ノ木の自宅から見える信濃川対岸の風景を描く。1949年の春。『故郷の春』。中国引揚げで大連時代の作品はすべて没収。いま手元に残る橋氏の一番古い作品だ。「日本に持ち帰ったのは、ポケットに入れていた絵の具のチューブ数本だけ」。その絵の具で描いのが「故郷」。
日本にシュールレアリスムを持ち込んだ福沢一郎氏(1992年没)とは大連時代からの盟友。引揚げ後、偶然、東京山手線の電車内で再会。「おまえ、生きていたのか」、「一緒にやろう」。絵の仲間たちと『美術協会』を立ち上げ、今に続く『新象作家協会』を創設。3年前の第50回記念展に『天災一過』を出品、大きな反響を呼んだ。

 3年前、「百歳の現役画家」を訪ねたのは、梅が咲き始めた2月中旬。自宅庭にはこの地に家を建てた時に植樹した大きな白梅があり、メジロの訪問を楽しんでいた。 
『オニ』を描いていた。「人の中に潜むオニ、誰でも持ちえている。自分の内なる不可解さと向き合う、その一面がオニだ。人間そのものがオニ。社会現象の一つを自分の潜在意識に結びつけることで、とんでもない自分に出会う。そのために、自分と向き合う」。毎日2、3時間、絵と向き合っていた。
 ふるさと津南、特に1万年余前にこの地でくらした縄文人への想いを強く抱いた。独特の世界観で縄文を描いた『縄文幻想』。百歳の前年には「次代を担う子どもたちのために」と自作の76点(30号から100号)を津南町に寄贈し記念展を開き、語った。寄贈作品には、原爆投下の黒い雨、三島由紀夫の自死に寄せた作品など、橋作品の前期のシュールレアリスム作品など貴重な作品が多い。
いつも、子どもたちに目が向いていた。「子どもの描くものは面白い。描きたくなるものがあるから、子どもは描く。だから子どもの絵は面白い。優劣をつけてはだめだ。描いた絵を飾る、人に見てもらう、これが大事なことだ」。

 1年前、福祉施設に入所。だが絵筆は握り続けた。亡くなる前日、長女の蓉さんにうわごとにように語った。『雷が怖いな』。「きっと、子どもの頃の津南の雷を思い出したんでしょうね。安らかな最期でした。ありがつございました」。雪消え後の春、4年前に亡くなった妻が眠る津南の地に、帰ってくる。      
                       (恩田昌美)
※※
津南町教育委員会では今春5月頃、高橋勉氏の遺作展と画家の長男・皐氏との「親子展」を開く計画だ。

写真・2011年2月、高橋氏の自宅で。「自分と向き合うのが絵だね」。

世界一の雪国をアピール、初の豪雪モニターツアー  1月31日号
 ○…日本一の豪雪地を家族で楽しもう―。奥信越観光協議会(十日町市・津南町・栄村)では初の「豪雪体感モニターツアー」を25、26日に開催。関東から11世帯37人が参加。中国やタイ、韓国など外国人家族の姿も。ベルナティオ、萌木の里、北野天満温泉でかまくら作りなど雪遊びを満喫。なお同内容のツアーは2〜3月末の毎週末、JTBの「旅いく」サイトで参加者を募集中だ。

 ○…萌木の里は3世帯11人が雪体験。積雪2b余の秋山郷に入り、カンジキウォーキング、天然雪で冷やして作る特製アイスキャンディ作りなど体験。神奈川・川崎市から家族4人で参加の庵明宏さん(41)は「スキー場とは違う、人が住んでいる地で子どもたちに雪遊びをさせたかった。日本の四季を知るいい経験」とにっこり。日本在住15年目、8歳と4歳の兄弟と共に来た趙会娟さん(40、中国・山西省出身)は「これだけの雪が降る地に人が住んでいるのは世界でも珍しい。雪国は魅力的。交通の確保が良ければもっと人が来ると思います」と雪遊びに夢中の息子を見て満足そうだった。

入札不落、開業時期に影響懸念、新十日町病院建設で  1月24日号
 来年12月に外来棟が部分開業する計画で全面的な改築工事が始まる県立十日町病院。新年9日に県発注の十日町病院改築工事の業者入札が行われたが、衛生・空調設備以外の本体工事、電気工事は2回の入札ともに不調に終わり、担当業者が決まらない異常事態になっている。関係者によると安倍政権・アベノニクスの景気浮揚策による建設資材の高騰、4月からの消費税増税などで資材や賃金アップが進み、建設コストが上昇傾向にあり、県の予定価格を上回る入札となった。県では入札項目2百点余を再点検し、「仕切り直し」で再度入札を行うが、着工の遅れは避けられない。新病院開業を待望する妻有地域の住民からは、開業の遅れを心配する声が上がっている。 

 今月19日、十日町市の高山地区振興会(高橋成明会長)賀詞交歓会で県会副議長・尾身孝昭県議が明らかにした。十日町病院改築の総事業費は約100億円。今回の入札(制限月一般競争入札)では、衛生設備工事が7億7480万円で落札(三建・拓越・山田商会特定共同企業体)。だが、外来棟本体、電気設備の両工事は、2回の入札で県予定価格をいずれも上回り不調(不落)に終わった。今回の入札で担当業者が決まれば、2月県会で請負契約締結議案が提案され、すぐに着工の予定だった。計画通り進むと来年12月までに外来棟が完成、部分開業する計画だ。

 入札が不調に終わった「本体工事」と「電気設備工事」は再入札を行うが、尾身県議によると再入札には今回の入札結果の検証を行い、約2百項目余の点検が必要という。「早くて9月県会、間に合わないと12月県会になる可能性がある」と尾身県議は話す。だが関係者によると、再入札を早急に行い、「臨時議会」での承認もあるという。

▽▼▽▼

 なぜ入札が不調に終わったのか。尾身県議は、賃金や建設資材の高騰などが原因と見ている。「2回入札ともに不落ということは、業者は、県設定の予定価格では工事ができないということ。2年前、魚沼基幹病院の入札では業者間の競争で本体工事が予定価格より6億円も低く落札された」と先例を紹介。さらに「この2年間でアベノミクスや東京五輪を見越した経済効果が出て、建設資材と人件費が上がっている。今回は着工から完成まで5年余の長い工事期間となり、業者が色々と考える要素があるのか。さらには県の設計価格が低すぎたのか。いずれにせよ着工の遅れは避けられない。これが開業の遅れに影響しないように県にしっかり要望したい」と事態の深刻さを話した。

 関係者によると、今回の入札には、本体工事では国内の大手3社、十日町市内の大手3社などによる3つのJV(特定共同企業体)が入札に参加した。「県が積み上げ試算した以上に、建設資材や賃金がアップしており、今回の入札価格は、業界としては妥当な数字だったはず」と見ており、県が再入札で予定価格をどうするかが、工事業者の決定に大きく影響する。ただ「大切な財源を使う病院の建設工事であり、県もそう簡単には増額しないだろう」とも見方もあり、新十日町病院の全面改築工事は、スタートから多難な状況になっている」。なお、現病院は昨年末までに入口付近の厚生棟を解体し、建設準備が始まっている。

上村町長「これからの4年間を」、出馬決意  1月24日号
 今年7月8日に任期満了を迎える津南町の上村憲司町長(64)は、昨年来の後援会からの再出馬要請に応える形で、19日の後援会役員会で「集大成のこれからの4年間、しっかりと一緒に歩いていくことを決意させていただいた」と明言しなかったが、次期町長選への出馬姿勢を見せた。公式的な出馬表明は3月定例会の新年度予算議会になる見込みだ。

 後援会役員会には、本部支部役員40人余のほか町議11人が出席。大平豊道会長は「町長は大変なものだ。孤独というが、確かに孤独な町長。だが、後にこれだけの人間が支援し、期待していることを考え、その責任を果たしてほしい。今度の町長選は選挙になると思う」と改めて再出馬を要請した。
 これに応え上村町長は「この3年半の間、津南町の基盤づくりにしっかり取り組めた。ジオパークはじめ、すでに私の手を離れたがファミリーマートとの提携。一つ一つが明日の津南に向って歩く足がかりとなり、種となってくれると胸を張って報告できる」。さらに「着実が、町政の最大の課題であるが、いつ、誰が町政を引き継いでも、間違いのない町政ができる、そういう町政を築かせていただいた」と1期への自信を見せた。

 再出馬には、「次をどうするのか、まったく考えず無我夢中でやって来て今年を迎えた。大切な予算編成に1円たりとも私情が入ってはならない。おかげさまで17日までに新年度予算の大枠を決めた。収支は堅調だ。8・5億円で引き継いだ財政調整基金は、今年度末で16億円を越える見込みだ。足がかりはできた。巨額の予算事業が始まる東京五輪で地方財政は厳しい局面が予想され、地方財政を脅かす事態なるだろう」と見通し。さらに、「昨年の夏以降、後援会4役の皆さんが何度も何度も来てくれ、私を熱い思いにさせていただいた。自問自答を重ねた。誰より、どこよりも、最初に伝える場が、この場と思っている。もう一度、俺でいいのか、本当に俺でいいのかと検討してほしいと話した。皆さんの思いは決して無駄にしないことを約束する。自分を含め、家族皆、おかげさまで健康である。皆さんと共に30年近く一緒に歩いてきた。その集大成となるこれからの4年間、しっかり考えていく決意を固めさせていただいた。一緒に歩いていくことを決意させていただいた」と再出馬への強い決意を示し、大きな拍手を受けた。
  

きもの女王、十日町雪まつり本選会に12人出場  1月24日号
 第65回十日町雪まつりは来月14、15、16日開催。注目の「きもの女王2014」の1次審査で選ばれ、雪まつり当日の本選会に出場する12人が発表された。今回初めて外国女性が本選会に出場する。
 きもの女王には今回46人(前回55人)が応募。内訳は未婚32人、既婚14人で18歳から63歳までが応募。帰省別では十日町市9人(前回19人)、県内37人(同36人)。

 エントリーの12人は(写真左から)長津典子(十日町市)大島亜由美(同)堀江夏希(三条市)志賀杏奈(新潟市)浦田茉莉(同)宮沢優美恵(十日町市)稲垣早香(上越市)笹川英莉(新潟市)石田つばさ(阿賀野市)上森茜(柏崎市)関沢美奈子(上越市)メアリー・コリンズ(十日町市)

東京進出の「ごはん」、新会社で日本橋出店、三井不動産が要請  1月24日号
 有機栽培など独自の安心安全な米作りで大手デパートや流通店などで高い評価を受ける津南町の米生産・加工会社「株式会社ごはん」(大島知美社長)は、東京・日本橋で三井不動産が「江戸情緒の『和』をコンセプト」に再開発する室町エリアに3月20日誕生する「COREDO(コレド)室町」への出店が決まり、同社生産の魚沼米やモチ米などを使った商品販売を行う。その店舗は「魚沼・津張屋」。運営は、ごはんが米提供し、名古屋などで飲食店チェーン展開する40代社長と大島社長(59)の共同出資で設立した「株式会社SOIL(ソイル)」が行う。出店するコレドは室町の日本橋三越、日本銀行側。道路反対側のエリアは高島屋を中心とした再開発を三菱グループが行うなど、首都圏再開発の最前線の場所。大島社長は「日常のショッピングと共に観光要素も生まれ、外国からの誘客も見込めるエリアが誕生する。津南産の魚沼米など『津南ブランド』を提供したい」と話す。

 共同出資で設立した「ソイル」は、名古屋で「豆屋のりのり」など和食飲食店8店を経営する松井敬道社長(42)。ごはん生産の魚沼米取引で交友が始まり、今回の日本橋進出で新事業への共同事業化が実現。新会社ソイル本社は津南町ごはんに置き、代表取締役会長は大島社長が就いた。
 「魚沼・津張屋」が入るコレド室町は、地下鉄銀座線・三越前駅の真ん前。地下鉄駅から通じる地下ショッピングモール内。約12坪の店舗で客席も設置。事前調査では毎日、店前を2万人余が通るという。同ショッピングモール内には110店の出店を予定。「魚沼・津張屋」は津南産モチ米を使った「オハギ」(餡、きな粉・胡麻・季節に応じた桜・抹茶)、おこわ、稲荷などを主体に販売。ごはんの津南産魚沼米・モチ・味噌などと共に、旬の雪下ニンジンなど野菜も販売する計画だ。

 今回の出店は、再開発を進める三井不動産から出店要請があった。日本橋三越を中心とする室町エリアには、富くじ発祥の地・福徳神社があり、同エリア一体を「江戸情緒を感じる和の雰囲気を感じる」都市開発に取り組んでいる。大島社長は「アンテナショップ的な要素が大きい。1日2万人が通るという。消費動向をリサーチするには最適。さらなる展開への大きな足がかりになる」と首都圏のど真ん中での出店に期待を寄せる。

◇◇◇◇

 一方、大島社長は8年前から進出する台湾でも事業展開を進める。現地法人「台湾御飯有限公司」を昨年12月に設立。大島氏が社長に就き、現地の三越13店との販売契約を結び、ごはんの魚沼米や加工品などを販売。三越店内には大島社長主導で「新潟特産コーナー」を開設し、自社製品以外にも津南産など県産品を販売する計画だ。
 大島社長は語る。「この地域含めて、総合的に動かすためには、すべにおいて循環が成り立たなくては、物も人も経済も動く世界はできない」。さらに「ごはんは、求められる米作りに専念し、農業生産法人に特化する。ソイルは販売戦略を担い、店舗を通じ消費者動向と商品開発など営業活動する。台湾の現地法人は、国際化を見越した取り組みで輸出入の橋渡しとなる。将来的にはそれぞれが独立した事業展開の方向性をめざす」と、ごはんグループの将来戦略を話している。

 なお、3月20日開店の日本橋「コレド室町」に出店の「津張屋」は12坪の店舗ながら年間売上1・2億円をめざす。さらにテレビでも通信販売にも積極的だ。BS・CS放送のテレビショッピング専門会社「QVC」と契約し、昨年9月から通販にも乗り出し、魚沼米だけでもすでに10dを販売している。

写真・日本橋出店で新たな営業展開に挑む大島社長

ソチ五輪、宮沢選手決定、十日町から3人  1月24日号
 宮沢選手、ソチ冬季五輪に出場決定―。全日本スキー連盟は20日、距離男子の代表選手として十日町市出身の宮沢大志選手(22、早大4年)を選んだ。

 宮沢選手は昨季の世界選手権リレーで日本チームの1走として出場、8位入賞に貢献。今季ワールドカップでは団体スプリント・クラシカルで6位に入るなど活躍した。

 宮沢選手は今月7日、十日町市で開かれた女子バイアスロン五輪出場選手らとともに激励壮行会に出席。「世界選手権以上の成績をあげ、あっと驚くような戦いをしたい」と意欲を語っていた。現在、イタリアでの高地トレーニングに取り組んでおり、来月3日にはソチ入りし、16日の男子リレーに挑む。

「中里・道の駅」、住民説明会で意見続出  1月24日号
 国道117号と同353号が交差する十日町市の中里・山ア地区。ここに国土交通省認定の「道の駅」を建設する計画を地元中里まちづくり協議会と住民組織が進め、15日の地元山ア・上山地区の説明会に続き、19日には全中里エリアを対象の説明会をUモールで開いた。十日町クロステンの大規模リニューアルを手がけた新潟市のコンサルタント・掛川光太郎氏が素案や考え方を説明し、「道の駅は商圏という概念がない。大部分が車で来る。一方で地域の人たちの生きがい、日々の楽しみを作っていく場。この地域らしさ、ここだけの物など、皆さんが意見をどんどん出し合い、皆さんが取り組むことで魅力あるものが実現する」と、住民主導が事業の魅力アップにつながると積極参加を呼びかけた。

 十日町市では、1年前の中里地区賀詞交歓会で関口市長が「中里地区でも中心地域の活性化事業に取り組む」と方針を示し、ショッピングセンター中里Uモールの再生を含む構想プラン素案をまとめ、まちづくり協議会の下部組織的な住民組織を設置し、計画実現を進めている。

 住民説明会で示した素案は、新潟市でワイナリーとレストランを経営する「カーブドッチ」の企画運営を手がける掛川氏。「道の駅は国土交通省認定で地図には必ず載り、道路標識が必ず出る。全国から来るまで人が来る、これが道の駅。最大の特徴は地元の人たちが関わる施設で、地元の消費を救い出す拠点となり、運営組織になっている」と説明。特に地元住民との関わりの深さを強調し、「趣味でやっていること、それが売れる。いろいろな地域から、いろいろな物を求めてくる人が道の駅に来る。ここにしかないもの、この地域らしいもの、これが一番大切」と住民参加を呼びかけた。

 説明会では、「なぜ中里の一等地に建設するのか。Uモールとの一体化の必要性は」など5人から意見、質問が出た。市行政からは、「(国道が交わる)この地域で中地域の活性化事業に市として取り組む」と再開発エリアを同地に決めている方針を示した。さらに、Uモールとの一体開発について掛川氏は「既存の施設の改修によって、さらに皆さんの利用の幅が広がる。農産加工所や食を提供するレストランなど、施設整備することで、さらに一般利用などの幅が広がり、地域の人たちの楽しみが広がる」など相乗効果を強調する。

 今後、さらに青年層や女性、業種ぐるーぷなどとの意見交換会を開き、さらに住民の関心度を高める方針。担当する中里支所では「2017年開業にこだわるものではないが、大地の芸術祭や小原バイパス開通などとの関係も視野に入れたい」としている。建設事業は各省庁の補助金制度を複合的に活用して取り組む方針だ。

十日町でスノーモビル体験、東京はとバス初ツアー   1月24日号
 十日町をスノーモービルのメッカに―。「はとバス」が主催しMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)公認で行う初の「スノーモービルスクールツアーin十日町市」が始まった。第1回は18、19日、当間高原のクロアチアピッチで開催。首都圏の10歳の小学生から77歳まで男女20人余が参加。最高時速70`余、排気量300ccのマシンで雪原を駆け抜けた。最高齢参加の川越市の高梨修一さん(77)は「20年前に北海道で乗って以来。面白そうで申し込んだ。十日町は初めて来たが風景がいいね」と颯爽と雪原を走っていた。

 同ツアーはベルナティオとMFJ傘下の県スノーモービル部会が昨年から冬の誘客と競技PRをねらいに検討、市スポーツコミッションが仲介し実施。指導役は昨年10月発足の住民有志「スポーツモービルTEAM十日町」(中島浩幸代表)。現在20人余が所属、インストラクター資格を取得し今回が初仕事。昨年4月の残雪期にスノーモービルに乗り魅力に目覚めたという中島代表(52)は「2時間余の講習を受ければ誰でも乗れる。全身運動で生涯スポーツともなり、豪雪地に最適。いずれも全日本のレースを誘致できるようにしたい」と意欲を語る。
 なお今後のはとバス主催のツアーは日帰りが来月2・26日と3月8・16日、ベルナティオ宿泊プランは来月8、9日と3月8、16日。申込ははとバス予約センターрO3(3761)1100。

[「よく来たね」、冬の津南を満喫、横浜国大附属鎌倉小学校、三箇地区で  1月24日号
○…「よく来たねぇ」と再会の笑顔が溢れた。津南町三箇地区(138世帯)と5年前から交流が続く横浜国立大付属鎌倉小。今期は5年生120人が昨年10月に3日間、さらに今月16〜18日に来町。宿泊はニュー・グリーンピア津南、日中は同地区で雪遊び。児童は「秋と全然風景が違う」と2b余の積雪に埋もれた民家を見てびっくり。初めてかんじきを履き雪原散策した川喜田丈くんは「秋もそうだけど、津南に来るといつもと違う経験ができます。雪がいっぱいあるのもうらやましい」と嬉しそう。さらに秋に訪問体験した21戸を訪ね住民と再会。地元の板場龍次さん(67、辰ノ口)は「みんな雪に夢中になっている。地元の子でも今はこんな姿は見ない。都会の子は元気だね」と一緒にカマクラを作るなど交流した。

 ○…受入れを進める「三箇地区都会との交流を進める会」(恩田稔会長)。2年間の国補助を受け活動資金にしている。鎌倉小との交流が5年目を迎えるなか恩田会長は「都市部児童の受入れの形が見えてきた」と語る。今月25日には三箇校舎で宿泊体験を指導してきた歴代教諭らと鎌倉市で意見交換会を行い、教育現場が求める受け入れ態勢は何かなど語り合う予定だ。恩田会長は「廃校舎に泊まり柔軟な対応ができるのが三箇の魅力となっている。受入れは地元高齢者の生きがい作りにも繋がる。受入れ農家も30戸まで増やしたい」と意欲を話している。

明日へ「五輪選手生んだコース整備20年」児玉守さん  1月17日号
 朝3時、静々(しんしん)と降る雪のなか、コース作りに家を出る。大会規定ではスタート2時間前に、コースオープンしなければならない。SAJ(日本スキー連盟)公認の十日町市の吉田クロスカントリースキーコース。施設整備部長の児玉守さん(45)は、圧雪幅7bの世界最大の大型圧雪車に乗り込む。高校時代までの選手経験が、コース整備に生きる。「選手がどういうコース取りをしたいのかを考え、滑りやすいコース作りを常に心がけている」。

 吉田コースは、2007年の全日本選手権、08年の全国高校スキー大会・インターハイ、09年トキめき国体と、3年連続のビッグ大会で全国に知られるクロスカントリースキーコースとなった。 
 大会後の評価が、その真価を物語っている。『コース整備が素晴らしい』『大会運営や対応が良く、なにより安全で、安心して競技に集中できた』など、全国トップレベルの評価を受けた。
 吉田コース整備を担当して20年の児玉さん。小学校でクロスカントリースキーを始め、十日町総合高でジャンプと距離の混合競技「コンバインド」選手として活躍。それだけに『選手の立場になってのコース整備』ができる。

 コースは日々の整備が重要という。今でこそ土日の大会は行政が担当するが、それまでは十日町市スキー協会がすべてボランティアで担当。「12月のクリスマス頃から3月31日まで毎日、コース整備する。日々の整備が最高のコンディションを維持することにつながる」。
 シーズン中、スタッフ20人、3人1班の交代制で毎日コース整備。「大会の時は、朝一番先に会場入りし、一番最後に会場を出る。この20年で若いスタッフが育ち、この吉田の伝統は、しっかり引き継がれていくでしょう」。

 その吉田コースで育った3選手が、来月7日開幕のソチ五輪に出場する。大部分の小学生のクロカン大会デビューは、吉田コースだ。3選手を成長させたコースであり、見守ったのも、吉田コースだ。「このコースでインターハイ優勝をした中島選手はじめ3人とも皆が良く知っている選手。これで『オリンピック選手が誕生した吉田コース』と言える。ジュニアの大きな目標ができた」。大学4年の長男・翔平さんもクロカン選手。今季、イタリアでのユニバシアード大会に出場。「次の韓国をめざすようです」。

 吉田コースには、大きな目標がある。FIS(国際スキー連盟)の公認コースになること。多彩なコース設定が可能、世界に例がないスタートハウスなど、会場環境はほぼクリアしているが、地元にFIS役員がいることが条件となる。「FIS公認になると、ワールドカップが開かれる。世界に挑戦する選手が誕生した吉田で、FIS大会をぜひ実現したい」。

 『キング・オブ・スキー』の称号が与えられているクロスカントリースキー。全国屈指の整備環境が整う吉田コース。「選手経験者の若いスタッフが育っている。全国のどこにも負けない整備環境ができる。ウィンタースポーツ・クロスカントリースキーの拠点にできる」。20年間の実績が、確信ある言葉となっている。来月1日、十日町市スキー大会を同コースで開く。「未来の五輪選手が育っていますよ」。
              (恩田昌美)

世界へ挑戦、ソチ五輪へ、中島・宮澤・小林選手  1月17日号
 期待に応えられるよう頑張ります」―。ソチ五輪に出場するバイアスロンの中島由貴選手(23、冬戦教)と小林美貴選手(26、同)、そしてクロカン団体戦出場が確実視されている宮沢大志選手(22、早大4年)を迎えたソチオリンピック冬季大会出場選手激励壮行会が11日、十日町市民会館ホールで開かれた。選手たちは、参集した4百人余りの市民らからエールを受けながらソチ五輪での健闘を誓った。

 同市から冬季五輪に出場する選手は初めて。壮行会ではワールドカップに出場中の小林選手は欠席で、父親が代理出席。関口市長は「厳しい練習の成果を発揮し、上位入賞をめざしてほしい。市民挙げ、精一杯応援させていただくので、世界の舞台で活躍してほしい」とエール。来賓挨拶で全日本スキー連盟クロスカントリーナショナルチームの佐藤志郎部長は「宮沢選手は五輪出場は確定ではないが、出場は間違いない成績。爆発的な力を持った選手なので本番では去年の世界選手権以上の成績を出してくれることだろう」と期待感を語った。

 決意表明で中島選手は「多くの指導者や十日町地域の皆さんが支えてくれたお陰でオリンピックに出場できるのだと思っています。自分らしいレースをして皆さんに恩返しができるよう頑張っていきたいです」と話し、宮沢選手は「今シーズン、思うような滑りができなかったのは、皆さまからのプレッシャーが大きかったのかな」と会場を笑わせながら「五輪では、あっと驚かせるような滑りをして皆さまの期待に応えたいと思います」と意気込みを語った。
選手たちは海外で高地トレーニングを積むなどしながら来月3日にはソチ入りする予定だ。

NORAGIで女子力発信、農ギャル女子会がオリジナル野良着を企画・製作  1月17日号
 都市部から移住し、農業に取り組む女性や地元の若き農業女性らで作る「農ギャル女子会」の交友関係から、新たな農作業着が発信された。その名も「NORAGI(のらぎ)。妻有地域に農業体験に来た服飾デザイナーとの交友で1年半前から試作を重ね、このほど同女子会メンバーや農業体験に訪れる首都圏在住者などメンバー4人の「NORAGIプロジェクト」が、機能性に優れた女性の農業作業にぴったりの「つなぎ」を試作。妻有地域では津南町で展示を開始し、東京でも同時展示を始めた。メンバーは「農業現場の声を取り入れたのらぎです」と、改良した8点をアピールポイントに、来月末までに60着の予約をめざす。農業に取り組む「女子力」で企画・製作した「NORAGI」、話題を集めそうだ。

 十日町市の山間地・池谷で水田など55eを耕作する坂下可奈子さん(26)は、四国・香川生まれ。大学卒業後、池谷へ。来月で4年目に入る。大学院卒業後、津南町に帰り、20代で町議になった桑原悠さん(27)も農業に取り組む。さらに1年半前、池谷に農業体験に来た服飾デザイナー・大鋸幸絵さん。農作業の大変さを話し合う中で出たのが『野良着』。「女の子向けの可愛く、機能性に富んだ農作業着があってもいいよね」。デザイナーの大鋸さんを中心に、交友する農ギャル女子会メンバーと試作作りへ。

 試作NORAGIは、ジーンズタイプやコットンタイプなどでロングとキュロット形など4回ほど試作。この間、国内最大級の展示イベント「エコ・プロダクツ」に2年連続出展し、「野良着」を進化させた「NORAGI」の試作品を展示。ブースは人気を呼び、「男用のNORAGIも作って」など要望が出るほど関心を集めた。

 完成した試作品は、大鋸さん勤務の服飾メーカー「フットマーク」が企画協力。縫製も専門メーカーが担当。試作は3色6着を製作。このプロジェクトに関心を寄せた北越銀行津南支店・赤松孝幸支店長が、同支店ロビーを開放。14日から試作品「NORAGIプロジェクト展」を開始し、実物3着を展示している。
 NORAGIの最大の特徴は、実際に農作業しながら改良点を探り作り出したこと。上下運動が多い農作業を考え、腰には伸縮性ある素材を取り入れ、腕まくりが簡単なマジックバンドを装備。携帯を入れるポケットはずり落ちないチャックに、襟は日焼け防止ができるようにした。

 「市販の女性用作業着は、男用のものを改良しただけで機能性が悪いです。本気で農業に取り組む女の子が、これを着ることで気分的にも変わり、都市部の思いある女性たちとを『つなぐ』役割を担えたら嬉しいですね」と坂下さん。「実用面と機能性を重視し、加えてカラーにちょっとこだわりました。農ギャル女子の思いを込めた一着です」と桑原悠さん。2月末までにネットなどで予約を受け付け、当初は100着限定で販売する。

 カラーは、津南のトウモロコシをイメージする黄色系の「もろこしイエロー」、坂下さんが生産するサツマイモから「おいもパープル」、中間色の「じゃがブラウン」の3色を試作した。
 製作資金は、ネット上で出資を募る「クラウド・ファンディング」を立ち上げる計画だ。目標額は60万円。「NORAGI」は肌触りや発汗性に優れた綿素材を使い1着1万円。ネット予約を受け付けている。問合せは旧池谷分校「山のまなびや」рO25・761・7009。アドレスはkawa.nora.girl@gmail.com

10代のまなざし「岡澤香里さん・十日町高2年」吹奏楽で全国めざす  1月17日号
 「目標は初の全国大会出場です」。高校の吹奏楽コンテストA部(55人以下編成)で、2011年から2年連続西関東大会に出場。昨年も県大会で高評価を受け金賞を受賞しながらも西関東大会出場権を逃した。県内のレベルもぐんと上がっている。
 「私たちの吹奏楽部は、練習でリーダーが指示したりするのではなく『一人ひとりがリーダー』と取り組んでいるんです。全員が部長なんです」

 出身は頚城中。先輩の演奏する姿が格好よかったと、小学4年から音楽部で木管楽器などに取り組み、中学では迷わず吹奏楽部に。高校は高田北城にするかどうかで迷ったが、マーチングがなく西関東大会まで進んだ実績がある十高を選んだ。
 「入学時は中学と違って練習量も多く、先輩も厳しくて大変だと感じたけど、すっかり慣れて楽しく練習しています」
 全国につながる県吹奏楽コンテストは8月。例年より早く自由曲「科戸の鵲巣(じゃくそう)」も選んだ。

 「どうモチベーションを高めたまま取り組むかが課題で、どうしたらいいかを話し合ったんです。そして『伸びるために自分が変わろう』って」
 気持ちをひとつに演奏をというものの、実際に気持ちを合わせて演奏するとなると難しい。そこで考えたことがある。
 「演奏曲にストーリーを付けるんです。そのシーンを思い描いて表現しようと」
 将来は警察音楽隊や楽器リペアマンなど音楽に関係した道に進みたいという。そのためにも、充実した高校吹奏楽部生活をと意欲を高めている。         (村山栄一)

雪を楽しみ、雪の挑む、スノーモビル「騎寒暴」、今季も全日本選手権に参戦  1月17日号
 冬場のモータースポーツ、スノーモビル人気が高まっている。津南町の社会人グループ「越後連合グループ・騎寒暴(きかんぼう)」は、今季も全日本選手権に出場する。マシンも、メカニックもすべて自前。仕事の合間をぬっての参戦で、メーカー支援の選手とは一線を画す。第1戦を今月26日に迎える。「スタート後、最初のーナーをトップで回った時の爽快感は忘れられない」と醍醐味を語る。20年を越える戦歴の同グループ。「豪雪地、津南の名を全国に広めたい」と意欲を燃やす。

 スノーモビル愛好者は全国に多いが、本格的に全日本級の大会に出るのは少なく、MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)登録は全国でも百人余り。騎寒暴メンバーは現在5人。全員社会人で、働きながら参戦費用、マシン整備などすべて自前で大会臨む。
 今季第1戦は今月25、26日、新潟県内の胎内市の胎内スキー場。クラスは排気量などで分類。最上位クラスのスーパーA級はショーアップ的な見せ場を作る部門。スピードとテクニックを競うA級、B級の3部門。大会チャンピオンと共にポイントレースのシーズンチャンピオンが選ばれる。

 スノーモビル暦21年の磯部定敏さん(40)は、昨年の長野大会で4位入賞の実力者。今季はB級S2という排気量600CC以下にエントリー。「スタート後の最初のコーナーをトップで入る『ポールショット』を取った時の快感は忘れられない。病みつきになります」という。
 同じキャリアの入沢英美さん(40)は、1999年に念願のA級入りを果たした実力者。全日本ランキングインを果たし「普段の生活では体験できない緊張感がたまらない」と話す。
 一方、キャリア18年余の桑原修氏(46)。「雪が嫌だという人もいるが、雪と遊ぶことは面白い。自分の限界に挑戦する、妥協しない、そんな世界に魅かれる」。メカニックに詳しく、チームのマシン整備を引き受ける。
 このほかに桑原善夫さん(51)は、BS3部門で排気量500CC以上に参戦。3年前にメンバー入りした山田孝さん(40)。大会感覚をつかむシーズンとなる。 

 騎寒暴メンバーは 第一線と長野・斑尾での第2戦(来月1、2日)に参戦する予定だ。3戦から最終戦5戦はすべて北海道。「北海道にも行きたいが、ちょっと無理かな。コース整備さえできれば、津南でも開けるのだが」とメンバー。以前、シーズン第1戦をグリーンピア津南で開催した。関係者から「あの会場は最高だった。最初のカーブは、他の会場にはない臨場感だ」と今も語り草になっている。

伝統の鳥追い、子どもたちがスゲボウシで  1月17日号
 ○…「あの鳥どっから追って来た…」と、1・5b余の雪壁に包まれた集落を子どもたちの声がこだました。田畑を鳥害から守り豊作祈願する小正月「鳥追い」。津南町割野地区(177世帯)と美雪町地区(44世帯)は毎年子ども会事業で、伝統を次代にと活動する。

 ○…雪国に伝わる伝統行事が途絶えるなか、両地区では20年余前に青壮年が中心となり復活。町観光協会からスゲボウシを借り、昔ながらの雰囲気ある鳥追い神事を再現。今年は13日夕に行い、小学1〜6年の28人が集落巡り。世話役の小野塚美勝さん(44)は「我々も幼い頃行った行事。せっかくの伝統、子どもたちも覚えていてほしいね」と想いを話した。

まるで冷凍庫、最低気温マイナス11度  1月17日号
 ◎…「さむーっ」。今冬一番の寒い朝となった15日、津南町役場観測所でマイナス6度(朝8時半)を記録。秋山郷の結東でマイナス8度。屋根の軒先から太く、長いツララが下がり、道路はツルツル、室内に置いたバケツの水が凍るなど、街全体が冷凍庫状態となった。気温は、太陽が出ても上がらず。日中も雪は降らないがマイナスの真冬日。軒先のバケツの氷が溶けることなく、終日、マイナス気温だった。

 ◎…さらに低音を記録したのは十日町市の小泉アメダス。15日朝6時にマイナス10・7度を記録。まさに冷凍庫状態。津南原アメダスでも夜明け前の15日午前3時にはマイナス9・8度と、今冬の最低を記録。川の水温の方が高くなり、川霧が発生していた。今冬は、降雪は平年並みかやや少なめだが、気温は低温傾向が続いている。町内大割野の役場近くの70代の女性は、「寒いですね。いつもの冬より、ずっと寒く感じます」と手をこすりながら、話していた。

写真・大きなツララが下がった(津南町大割野で、15日)

寒さに負けず雪中の寒稽古
 十日町空手道協会(西野弘幸会長)の新春恒例の寒中稽古が13日、市武道館脇の雪上で行われた。午前10時、武道館内には市内の小学生から高校生、約50人が集まり、西野会長と樋口紀行師範の指導により型稽古などで身体を十分に温め、 正午前に西野会長の号令で子どもたちは新雪を裸足で蹴散らして屋外に飛び出した。「寒い」「冷たい」と喚声が飛んだが、西野会長の気合とともに突き、蹴りの荒稽古を行った。市内中条の小学1年生・藤木あいさんは「初めて雪の上で稽古をした。足が冷たく痛かったが、来年もやってみたい」と話した。

 西野会長は「今は武道館で寒稽古を行っているが、かつては元旦に諏訪神社まで裸足で駆け上がり境内で初稽古を行った。今は生活面でも辛抱できない子どもが多い。辛さを耐えることで他人にも優しくできるようになる」と意義を語った。

服部兄弟、箱根で大活躍、東洋大優勝に貢献  1月10日号
 「その1秒をけずり出せ」―。第90回東京箱根間往復大学駅伝(東京・大手町―神奈川・箱根町往復10区間217・9`)は2、3日開かれ、東洋大が復路で新記録をマークするなど歴代2位の記録となる10時間52分51秒で2年ぶり4回目の総合優勝を飾った。同チームには腕にスローガンを記した中里出身の服部勇馬選手(2年)、7区には弾馬選手(1年)の兄弟が出場、ともに快走し優勝に大きく貢献した。
     ※
 各チームのエースが揃う花の往路2区(23・2`)。出場した兄の服部勇馬選手は終始、先頭集団で力走、1時間8分43秒の区間3位の快走で3区につないだ。
 勇馬選手は昨年の大会で復路9区に出場、1年生ながら3位の好記録でチームの準優勝に貢献した。しかし、東洋大は昨年からの駅伝5大会で、いずれも2位という結果だったことから、「やっと優勝できて本当にうれしいです」と喜んだ。

 今大会では「エース区間ということもあり、プレッシャーのかかるなかで、ほぼ設定通りのタイムで走ることができました」と振り返る。区間賞は逃したもののエース区間で3位と健闘、文字通り、優勝に貢献する走りをみせた。
 来年は東洋大の中心選手として迎える勇馬選手。「来年、また優勝して連覇できるように精一杯頑張る」と決意を見せ、さらに「7年後の東京オリンピックでメダルをめざしたい。そのためにこの1年間、自分に何ができるのかをしっかりと把握した上でステップアップしていきたい」と大きな夢を抱いている。
    ※
 7区(21・3`)に出場した弟・弾馬選手は、1年生とは思えない冷静な走りでピッチを刻み1時間3分27秒と区間賞を奪う走りで、追う駒沢大を引き離す活躍を見せた。
 自分自身を奮い立たせようと腕に記したチームスローガン「その1秒をけずり出せ」。それを見たメンバーが全員、同じように腕に書いた。苦しい時、この言葉を思い出し1秒でも早くタスキを繋ごうとの思いからだ。

 弾馬選手は昨年度の高校駅伝で、仙台育英高から移籍した豊川高で全国優勝。迷わず兄がいる東洋大に進んだ。大学でもぐんぐんと実力をつけ、1年生ながら正メンバー入り。初出場となった今大会でも「駒澤大学のライバルでもある西山には絶対負けたくなかったし、離してやろうと思っていた。6区の日下さんが離して来てくれたので、リラックスして走ることができた」と余裕さえ見せた。
 「服部兄弟」の名が全国に知れ渡ったなか、「来年も兄とともに走って連覇するために、自分がエース格になれるよう頑張りたい」と早くも次への意欲を見せている。  (村山栄一)

もうひとつの箱根駅伝「原発事故から避難3年目の箱根」 津南に移住の南相馬市・日下さん  1月10日号
 年末の雪が道路わきに白く残る箱根の山道。大きなストライドで快調に駆け下りる我が子が、目の前を通った。「佳祐―、ここからだぞー」。
 箱根駅伝2日目。復路最初の6区、山下り。往路優勝の東洋大を総合優勝候補の駒澤大が追う。その差は59秒。東洋大6区を任された身長176aの4年生・日下(くさか)佳祐選手。昨年もエントリーされたが、出番はなかった。「最初で最後の箱根」となった。同じ福島県出身の酒井俊幸監督の期待通り、スピードに乗った快調なペースで山下り。追ってくる駒澤との差をさらに広げ、1分17秒差をつけ、区間4位で7区にタスキを渡した。

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 3・11、東日本大震災。佳祐選手の父・日下洋一さん(49)は、三尾製作所・福島工場に勤務。震災後、工場は閉鎖。福島第一原発から約16`の自宅は、立入禁止区域に。妻と母と3人で避難所を転々。震災から1ヵ月余り後の4月20日、三尾製作所グループの津南町にある「津南油圧」への勤務が決まり、妻・佳代子さん(45)と共に津南へ移住。母は仮設住宅へ。福島原発事故で家族がばらばらになった。
 その年、津南は大雪に襲われた。正月、佳祐選手も津南に来たが、 『ありえない雪の量だね』とびっくり。久々の家族の時間。毎日1時間以上走るのが日課だったが、大雪で走れず、翌日、仮設住まいの祖母の所へ。夫婦の津南町での避難生活は、まもなく3年目をむかえる。

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 懸命に山を下る佳祐選手。6区の残り3`地点。下りからいっきに平坦の道路に。「ここがいちばん辛いはず」と、箱根湯本駅近くの沿道に、洋一さんと佳代子さんはいた。大きなストライドで、目の前を風のように通り過ぎた我が子。「59秒差で迫る駒澤に追われるという相当なプレッシャーがあったと思うが…」。それでも洋一さんは感じた。「大人になったなぁというのか、成長したなぁというのか、目の前を通った息子の印象でしたね」。

 中学まで野球少年だった。3年の時、陸上部監督に誘われ、福島県中学校駅伝、さらに市町村対抗駅伝など駅伝3大会に出場。なんと、いずれも区間賞を獲得。佳祐選手は地元の小高工業高校に進学後、駅伝部顧問に誘われ「都往路」をめざす。 小高工業高の先輩には順天堂大の山登りのスペシャリスト・今井正人選手がいて、同じ福島出身の東洋大・柏原竜二選手の存在と共に、佳祐選手は「箱根」を意識し始めた。福島県の長距離強化選手の指定も受けた。  高校3年間、すべて1区10`を走ったが全国には一歩届かなかった。だが、その存在を見ていた人がいた。同じ福島出身の東洋大・酒井俊幸監督。『伸び代がある選手
ですよ』。監督の言葉を信じた。佳祐選手の希望も東洋大だった。

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 今週末、1年ぶりに福島へ帰る。母が避難生活を送る仮設住宅に、久々に家族が揃う。地元福島のTV取材を佳祐選手が受ける予定だ。
 「見通しなど、まったく立ちません。除染作業を見たが、とてもあの程度ではだめでしょう。目に見えないものへの不安です」。三尾製作所・福島工場は今春再開の予定だ。
 南相馬市の小高区の我が家は震災の3年前、全面的にリフォームしたばかり。「どうしたらいいのか、悩みますね。ふるさとへの思いは強いが、おそらく家には住めないでしょう。津南もいいですが…」。
 力走する息子の姿は、一瞬、悩みと不安を吹き飛ばしたが、現実は変わっていない。「原発城下町でした。それだけに影響は大きいですね」。
             (恩田昌美)

10代のまなざし「高橋さつきさん、津南中等校5学年」 看護師になります  1月10日号
 医療の現場に立ち、思いがさらに強くなった。 昨年8月、東京研修で訪れた日本医科大病院。多くの医療スタッフが忙しく動く現場。「白衣を着せていただきました。ちょうどICU(集中治療室)に救患が入り、対応する医師や看護師さんを間近で見て、これだと感じました」。進路への思いが、確信に変わった瞬間だ。
 小さい頃、母を病気で亡くす。「寂しかったし、辛かったです。そういう子どもたちを支えられる看護師になりたいと思っています」。

 津南町内に勤務する会社員の父の負担などを考え、通学が容易な津南中等校に進む。当然、めざす看護師へのステップを進むためにも選んだ。「あらゆる面で経験値が高いです。友だちもいっぱいできたし、6歳の世代の差を学校で経験できることが、とても刺激的だと思います」。

 4学年で行った海外研修で、大きな自信を得た。「ホームスティ先に1歳違いの同世代の女の子がいました。日本語を専攻していて日本留学を考えているそうです。日本で会いたいですが、私も大学に入ったら、ホームスティした家をもう一度訪れてみたいです」。ニュージーランド研修で英語への関心を増し、向学心をさらに刺激している。

 癒しはポンタ。5年前から家族の仲間入り。辛いことがあった時などギュッと抱きしめる。「すごく癒されます。ちょっと太っちょですが、私にとって大切な存在なんです」。
 入試真っ只中の先輩に来年の自分の姿を重ねている。進む道は明確だ。「看護師になります」。
                      (恩田昌美)

安心安全の証し、津南産野菜に統一マーク  1月10日号
 ◎…このマークを知っていますか―。流通市場には昨春からお目見えしているが、一般消費者が目にすることは少ない。だがスーパーなどの店頭販売のニンジン袋にはすでに登場しており、今春の「雪下ニンジン」には、同マークがすべて張られる見込みだ。「このマークは、美味しい野菜の証明です」と作成した津南町関係者は話す。

 ◎…「つなん産野菜」。全体を緑色で新鮮野菜のイメージを表現。一昨年、ネットなどでデザイン公募、189点寄せられた。県内三条市・三巻保征さんのデザインに決まった。本格使用は昨春から行い、アスパラ、ニンジン、スィートコーンの出荷箱に使っている。現在はJA津南町、フジミヤ、大地が使用している。市場の知名度アップと共に、「美味しい野菜産地・津南町」を市場関係者に印象づけるねらいもある。

 ◎…市場への出荷箱などへの使用が主だが、アスパラやトウモロコシ、キャベツなど消費者向け出荷商品にも張りたいとしているが、手作業などコスト面の課題があり、町など関係者で研究している。

妻有の台所を支える十日町市場、初せり  1月10日号
 十日町市高山の地方卸売市場(十日町生鮮食品株式会社・平野政満社長)には旧十日町市をはじめ松代、松之山、津南町等からも買受人(卸売業者から買い受けた生鮮食品等を店舗等で消費者へ販売)が集まる、言わば妻有地方の台所だ。5日に業界盛運を願って初セリが行われ、関口芳史市長、JA十日町経営管理委員会の澤口茂利会長も列席。舟に盛られた商品に高額な値が付くと、大きな拍手が起こった。

 平野社長は「昨年の政府の財政金融政策で大手企業や輸入関連では好成績が報告されている。しかし私達の業界では一部に高価格帯への動きが見られるが、全体的に低価格と節約指向に向いているようだ。輸入商品の値上がりと4月の消費税増税で消費動向が心配される。ただ昨年暮れに私たちの扱い商品に関係が深い『和食』がユネスコの世界無形文化遺産に登録され喜ばしく思う」と、日本人自身が和食を再認識する期待を示す。「昭和48年の十日町市場開場から今年で41年を数える。社会は大きな変化が続いているが、生産者から消費者への橋渡しとして大事な役割を担っている。生産者、買受人、卸と協力し利用しやすい市場にしていかなくてはならない」と語る。

 かつて十日町地域には水産品と青果品の卸が3社ずつあったが、県の農林水産部の指導もあり、大型化してより良い品を提供しようと統合を決意。昭和47年頃話を具体化し、48年12月、現在地に青果、花卉(かき)、水産の市場を開場した。現在、業者に小分け販売をする仲卸を含む約4百人が買受人として登録する。
 かつては各地区に大小10〜15店程あった食料品店。だが大型店舗法改正などが要因で減少。鮮魚店は無くなり料理店に業態が変わった。取り扱う水産品はタラ、イワシ、サンマなどの大衆魚から、刺身、焼き物に使う魚に重点を置いた。

 市場では毎月会議を持ち関係者で諸問題を検討している。平野社長は「今後も地域の要望をより多く収集して買受人と消費者の満足度を高め、価格、品質、納品ときめ細やかに対応して市場の価値を高めたい」と社会情勢の変化に対応する意欲を見せた。

雪原を馬そりで、ニュー・グリーンピア津南で冬限定企画  1月10日号
 ○…全国でも津南だけのオリジナル体験―。ニュー・グリーンピア津南は今季、飼育している馬「道産子」を活用した「馬そり体験」をスタート。最大4人が乗れるポーランド直輸入の雰囲気ある馬そりで雪原を周回するこの体験。全国唯一の取組みで人気を集める。

 ○…自然体験に力を入れる同津南は、グリーンシーズンは乗馬や馬車体験など行う。さらに「冬の新たな名物に」と、元々荷物運搬に秀でた道産子を使った新企画。樋口明支配人は「雪原を馬に引かれ眺められる場所は全国でここ津南だけ。家族でどうぞ」。馬そり体験は土日祝日に実施(1回5百円)。平日は事前申込で受付。同津南рO25(765)4944。

人気の新雪マラソン、全国から500人  1月10日号
 「きらめく新雪けって! 心弾む新年のスタート」をキャッチフレーズに、豪雪地の暗いイメージを走りで吹き飛ばそうと35回目となる十日町新雪ジョギングマラソン大会が新年早々の2日、十日町中学校を発着点に開かれた。

 当日は大会名称にふさわしく雪が降る中、幼児から80代の高齢者まで全国から5百人を超すマラソン愛好者らが参加。沿道からの声援を受けながら3`、5`、10`、ハーフの4クラスでタイムを競った。ハーフでの優勝者は、交流している世田谷246ハーフマラソンに招待される。

 今回のゲスト選手は、一昨年6月の千歳JAL国際マラソンで優勝した木下裕美子選手(セカンドウインドAC)。参加者と一緒に軽快な走りを見せていた。なお、大会は新座地区が全面支援。会場設定や餅つき、トン汁サービスなどの接待も行い、参加者から喜ばれていた。
 上位結果は次の通り。
 『男子』▼3`@柳悠(十日町市)10分46秒A松岡竜也(燕市)B久住玲央(十日町市)◇敢闘賞・石口広和(十日町市、5歳)▼5`@大橋直(十日町市)17分37秒A島岡駿(長岡市)B柳秀人(十日町市)◇敢闘賞・池田蛍太(十日町市、8歳)▼10`@山田亮太(津南町)33分0秒A柳恵汰(十日町市)B大橋健(同)◇敢闘賞・反田健二郎(長岡市、81歳)▼ハーフ@中村徹(柏崎市)1時間12分52秒A志賀文也(津南町)B村山京平(同)◇敢闘賞・佐藤俊明(燕市、68歳)

思い出の音、甦る、旧三箇小のピアノ、福祉施設へ  1月10日号
 ○…再び響く、思い出のピアノ―。少子高齢化が進み、小学校統廃合が相次ぐ十日町・津南地域。かつて学校で使われた楽器の数多くが眠るなか、1台のピアノが十日町市身体障がい者センター(江村久センター長)に昨年末寄付された。実はこのピアノ、津南町の旧三箇小で使われていたもの。所有者の樋口良造さん(63、津南町辰ノ口)が、中里「波輝」の池田靖啓さんの仲介で寄贈し同センターで利用されることになった。

 ○…平成5年の現三箇校舎完成時、住民から新たにピアノの寄贈があり、不要となった旧ピアノを当時幼い子どもがいた樋口さんが引き取っていた。ピアノはヤマハ製で61年前に製作。樋口さん(昭和37年度卒)は小学時代にこの音を聞き育ち、さらに我が子も使った、思い出深いピアノ。「人間の歳で言えば還暦、再出発するにふさわしい年齢。母校で響いていた音色が、今度は利用者の方の心の糧のひとつになれば嬉しいね」と樋口さん。

 ○…年末26日、樋口さんに同センター運営の妻有福祉会(樋口誠理事長)が感謝状を贈呈。合わせて地元の全盲のピアニスト・池田幸子さんが『シューベルトの子守歌』など2曲を披露。かつて多くの児童を育てたピアノが、20年振りに公の場で音を響かせた。江村センター長は「文化活動は利用者の生きがいや成長に繋がる。活用していきたい」と感謝。同センターには他にも旧六箇小、旧清津峡小などで使われていた楽器があり、今月31日には眠っていた楽器を使う「歌声喫茶」の集いを開く予定だ。


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