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2013年12月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
挑戦する酒蔵、三菱食品とも取引、津南醸造  12月27日号
 津南醸造の挑戦が続いている。新社長・古澤有三氏(越路商事社長)を迎えて2シーズンが過ぎ、3年目の酒造期を迎えており、今季はすべて地元津南産・五百万石を使い、700石(約13万g)を酒造する計画。従来の「全方位的営業」から「重点得意先」営業に展開し、その中には最大手・三菱食品も含まれているほか、津南町が連携協定を近く結ぶコンビニ大手「ファミリーマート」とも交渉を始めている。

 前期9月期の決算によると売上は約6千万円。今季は4割アップの8500万円の売上が目標。仕込みに使う五百万石1500俵はすべて津南産で、任期の純米酒を増量するほか、ロンドン酒チャレンジで金賞受賞酒を全面に打ち出していく方針だ。
 4割アップの売上はすでに視野に入っている。すでに純米酒が5千本予約が入り、限定販売の金賞受賞酒の販路も見込めるほか、昨年から人気が続くロンドン金賞の「ユキギニモノガタリ」も好調を維持している。

 前期の決算では1640万円ほどの欠損だったが、この中には突発的な酒造工場の屋根修繕が9百万円以上かかり、実質的な欠損は3桁台となっている。今月7日の株主総会では「減反見直しが迫られるなか、この酒蔵は津南の米生産の将来のために始まった事業。我々も頑張るが、経営陣も頑張ってほしい」と激励の意見も出た。古澤社長は「積極的な営業展開で臨みたい」と話し、約束の「3年目に黒字」の実現に取り組んでいる。
津南醸造は資本金3億7千万円余、筆頭株主はJA津南町で5400万円出資、津南町も581万3千円を出資している。

震災から2年9ヶ月、やっと復旧、栄村中条橋  12月27日号
 2年9ヵ月前の長野新潟県境地震で被災し、その年の大雪で崩落した栄村青倉の「中条橋」がようやく復旧し25日、住民参加で渡り初めを行い、2年ぶりの開通を祝った。崩落前は毎日のように橋を使った地元青倉の島田さん(72)は、「やっと元に戻って良かった。これで役場へ行くのに遠回りしなくてすみます」と開通を喜んでいる。
 同橋は、県境地震で両橋台が被災し通行止。その年の冬の豪雪で、震災で損傷した橋が雪の重さに耐えられずに30b下の中条川に崩落したと見られる。復旧した中条橋は長さ110b、事業費約4億円で架け変えられた。

ソロシンガー・高野千恵さん、休業宣言、「ちょっと休憩です」  12月27日号
走り続けてきた。「ちょっと、休憩です」。
笑顔で話すソロシンガー・高野千恵さん。すらりと姿勢よく話す姿は、変わらない。今月3日、自身のブログで「しばらく休むことに決めました」と、休業宣言した。

張りのある声。リズミカルな曲に乗り、思いを込めた言葉を、特には熱っぽく、特にはさりげなく。何も変わらないが、変化の兆しは、感じていた。
「自分や、周りを見つめなおす時間が必要なのかな、そんな感じです」。

メジャーデビューから7年間、突っ走ってきた。「とびっきりの7年間の時間でしたね。応援していただいた皆さん、特に地元の皆さんへの感謝の想いが、この7年間の私のエネルギー源でした。最高の時間をいただきました」。

あの日が、忘れられない。日時もはっきり憶えている。2007年9月29日。デビューしてまもなく、地元で初のライブステージ。
そのステージは、地元の同級生たちがセットしてくれた。『千恵のデビュー祝いだよ』。チケット・チラシ・ポスターなど、すべて同級生たちの力で取り組んだ。
 ステージに立った、その瞬間から、震えが止まらなかった。十日町クロステンの大ホールに集まった千人の想いを感じた。

中学時代、安室奈美絵などソロシンガーに憧れ、「歌手になる」と勝手に思い込んだ。親からは「手に職を」と言われ、介護福祉士の資格取得と共に、本格的なボイストレーニングを始めた。
 デビューは突然決まった。『海と潮風』。想いを込めた言葉、独特の雰囲気を紡ぐ自作の歌詞が、話題になった。年間ライブ100回、シングル、アルバム30枚を出した。

 ライブは楽しく、充実感を体全体で感じられる。でも…、と感じ始めた自分が、そこにいた。
 「そうかな」、と感じる自分を見る、自分がいた。 
「ちょっと休憩ですね。この7年間は私の宝ものです。だらか、これからの時間を歩み出せるのだと思います」。

 好きな音楽、体の一部になっている音楽、新たな歩みも、音楽…。

東京電力信濃川発電所で火災、初の事故  12月27日号
 22日午後1時20分、津南町三箇地区の東京電力信濃川発電所での火災発生の通知が入り、現場は一時騒然となった。出火はないが、電子コイルの巻き替え作業中、送電ケーブルの一部に許容量を超えた電流が送られ、ケーブルを覆うビニールテープが燃焼したとみられる。消防署員が消火器を使い、約1時間半後に鎮火を確認。同発電所での火災は、昭和14年の発電開始以来初めて。東電・信濃川総合制御所は「津南町や地元の皆様にご心配をかけ真に申し訳ありません。原因究明と共に設備の点検に取り組みます」と謝罪している。

 火災は町内大割野の同制御所で発電所の火災報知器の作動を確認、消防へ通報。燃焼したケーブルは発電機の電子コイルに繋がるもので、99年に設置。同発電所は10月から電子コイル巻き替え作業などの工事が行われており、出火時に業者が使用したコンプレッサーやポンプの使用台数など出火当時の状況を急ぎ確認している。東電では火災の翌23日に地元の鹿渡・鹿渡新田両区長と地元消防団部長、24日に津南町総務課を訪ね、お詫びと状況説明を行っている。同制御所では「ケーブルは同じ事態を防ぐため、全体のチェックをしていく。原因が分かり次第、町や地元の方々に説明したい」と話している。

珍しいカッパ土偶、十日町市博物館で展示  12月27日号
 ○…国宝・火焔土器が出土した十日町市の「笹山遺跡」の第10次発掘調査の速報展が21日から同市博物館で開いているが、出土例が極めて少ない「カッパ形土偶」が関心を集めている。頭部のへこみから名づけられている。さらに縄文期特有の竪穴住居跡からは雪国の立地を想起させる柱構造を類推させる柱跡が見つかり、完全復元できる土器3個体も発掘されるなど、第10次調査では2万点以上の貴重な資料を確認している。

 ○…大きさ4aほどの「カッパ形土偶」は、頭部だけが出土しているが、頭のへこみが特徴で、市文化財課では「他での出例が少なく、めずらしい土偶」としている。さらに竪穴住居跡からは、従来の柱跡の両脇に、比較的浅い柱跡が見つかり、「積雪地での縄文人のくらしぶり、住居構造を研究する手がかりになる」と重要性を話している。同展は2月2日まで開催。十日町市博物館025・757・5531。

明日へ「手作り料理で子育て、卵使わずパンづくり」 津南町・阿部和子さん  12月20日号
 中学生と食事の準備をしながらの会話に、驚いた。「夕食は、コンビニに行き、好きなものを買って食べているんですね。あり余る世の中に、なりすぎていますね」。
 都市部の中学生を、農業・農村体験で受け入れるグリーンツリーズム。津南町も6年前から東京や埼玉、千葉などから農家民泊で受け入れる。

 食育。言葉では聞くがその重要性はなかなか浸透していない。新潟県認定の農山地域生活アドバイザーになり12年。津南町では現在12人が登録。毎年、小学校に出向き、子たちと一緒に料理を作りながら『食育』の大切さを教える。「食品添加物や米のパワーなどを分かりやすく話します。子どもたちはよく聞いていますよ」。米粉を使った蒸しパン作りを行い、米粉の有効性を教える。
 我が子の子育てで実践してきた。「なるべき手作りのものを」。忙しい中、手作り品を与え育てた。「おやつは、大判焼などあんこも手作りで、子どもが自分で作れるように用意しておきました。子どもたちは自分で作るのが当たり前になり、ちゃんと作っていました」。甘い菓子や飲料、味が濃い食材はなるべき与えず、手作り品を毎日の食卓に乗せた。母親の姿を見て育った娘は、調理師資格を取り、介護福祉士として働いている。

 北海道生まれ。「おやつはジャガイモでした」。津南のかあちゃんとなり40年。「何か作るのが好きですね」。平成11年、漬物加工場の免許を取得。その後体調を崩し、5年後の免許更新はしなかった。だが、健康志向と共に「米粉」活用が広がり、所属のJA津南町女性部活動の中で「米粉教室」を指導する立場に。昨年、自宅で『菓子製造工場』の免許を取得。『お菓子工房・美穂・パレット』の看板を掲げた。美穂(みほ)は、夫婦で暮らす集落名。米粉パンやお菓子作りに取り組む。
大きな特徴は『卵を使わない米粉パン』。アレルギー体質の子たちが増えている。小麦粉や卵アレルギーの子たちが増加している。
 「時間を置くと少し硬くなりますが、小切りにし冷凍保存し、食べる時にレンジで加温すると焼きたて風味になり、とても美味しいですよ」。現在、関東圏利用者が多いニュー・グリーンピア津南や当間高原ベルナティオで販売している。

 「小中学時代は、体づくりの大切な時期。手作りの食べ物を与えてほしいですね。そうして育った子たちは、必ずや我が子もそう育てるでしょう」。今を生きる大人たち、次代にどんなメッセージを伝えるのか、

10代のまなざし「小島駿さん、津南小6年) バスケとアルペンを  12月20日号
 共に小学3年から始めた競技。ひとつはチームプレーのミニバス。15日の第29回南魚沼郡市大会でミニバス・津南Bスリーは現チームでは初の優勝。個人ではMVPに選ばれた。
 「長年一緒にバスケを続けた仲間と初めて優勝でき、凄く嬉しかったです。バスケは力を合わせて勝つのが最高です」。
 冬はアルペン、自分との闘いが重要なスポーツ。昨年は町大会の大回転種目で優勝。SAJ(全日本スキー連盟)ポイントレースにも出場。今期は今月7日から練習が始まった。

 「まだ感覚が取り戻せないけど、早く慣れてどんどんタイムを上げたい。一番の目標はジュニアオリンピック出場です。どの大会でもトップをめざしたい」。
 年末29日〜1月4日は親元を離れ岐阜・ほおのき平スキー場の強化合宿に申し込んだ。
 「津南の小学生では一人だけみたい。小千谷の人と一緒なんですが、初めての長期合宿。スキー漬になって上手くなりたい」。
 今の弱点は、スキー場が変わると普段と異なる場所でフォームが崩れてしまうこと。
 「ちょっとびびっちゃうんです。力をどの大会でも出せないと目標に届かないので、早くなんとかしないと」。
 団体でも個人競技でも、負けず嫌いは変わらない。
 「バスケとアルペン、両方大好き。これからもずっと続け、両立していきたい」。
 

震災地に三度目の冬、「道つけが大変だ」、震災住宅で独り暮らし  121月20日号
 今冬初の真冬日となった15日。栄村青倉の集落内道路は車の輪だちが残るほか真っ白。高橋てふさん(82)が暮らす公営の震災復興住宅は、その道路から10bほど中に入る。「夏場はいいが、この道つけがちょっと大変なんです」。この日も、朝と昼、スコップで除雪しながら道つけ。
昨年11月26日から完成したばかりの住宅に暮らす。「本当に皆さんの世話になっています。おかげさまで、やっと落ち着いたかな、という感じです」。  
震災から3度目の冬を向えてえる。
 
 3・11、東日本大震災。その13時間後の翌12日午前3時59分に発生した「長野新潟県境地震」。震度6強の激震の直撃を受け、高橋さんの高床式3階住宅は「大規模半壊」の被害を受けた。
 前日の東北の津波被害を見て、同じ集落に暮らす長男夫婦の娘が様子を見に来て、泊まってくれた。その夜だった。
 「最初、何が起きたか分からなかった。孫娘の『地震だよー』と声で分かったが、部屋の壁がみんな落ちて、そのホコリでよく見えなかったが、じいちゃん(夫)と一緒にとにかく外に出た」。何度かの強い余震のなか、夜着のまま隣の同年代と抱き合いながら幹線道路に出て、車に乗り合って村役場へ行った。

 震災を知った長野市の次男がすぐに来た。てふさん夫婦は長野へ。40日間余り次男方に留まり、被災の自宅片付けのために、同じ青倉ながら被害が少なかった長男の家へ。 
 「心労が重なったんだろうか」。同い年の夫・幸太郎さんは、栄村に戻り5日目、脳内出血で倒れた。救急搬送、半身不随の後遺症が残った。
 「この状態では、とても仮設住宅には入れないので、高床式の長男の1階車庫を改造し、そこを住まいにしたんです」。車イス生活になった夫を支え、地震の後片付けなどに取り組むが、今度は自分の膝の具合が悪くなった。震災の翌年春、膝の手術。震災住宅が完成後、夫は福祉施設に入り、住宅に独り暮らし。 「もう元気に動けなくなったな。それでも夏は前の家跡の畑で野菜作りをしているんだよ」。長男家族は3日に一度は顔を出す。隣人や百bほど離れた別の震災住宅の仲間とお茶飲みが日課だ。
 「これから3月までは、お茶飲みが仕事だね」。自作の野菜での漬物が炬燵の上に並ぶ。「やっと年賀状を書き終えたんだよ」。55枚の住所を手書きし、「ひと言、添えるんですよ。書くのは好きなんでね」。村保健師が年3回ほど開く「にこにこ教室」や地元の人たちが企画するお楽しみ会、長野市や飯山市のボランティアグループの交流会の集いなど、「いろいろな行事を計画してくれています。25日にはクリスマス交流会もあるんだよ」。

 ようやく落ち着いたという高橋さん。青倉にある震災住宅10世帯ありうち9世帯が独り暮らし。「冬が一番心配だね。外に出る機会が少なくなるし、雪ばかり見ていても仕方ないからね」。
 震災前まで、バイクで駆け回っていたが、震災後、バイクは手放した。「地震でいろいろあったが、こうして暮らせていることは、ありがたいことなんですよ」。3度目の冬。正月に孫や曾孫の顔を見るのを楽しみにしている。

国道117号・灰雨バイパス、早期改良を、住民が再び直訴  12月20日号
 命の道、早期着工を―。国道117号線の最後の難所・津南町の灰冷めスノーシェッドの早期改良を求め18日、住民が町内外から集めた260署名を合わせ、泉田知事宛のトンネルバイパス化改修要望書を十日町地域振興局・長谷川一成地域整備部長に手渡した。長谷川部長は「重要性は理解している。地元の要望に応え検討を進めている」と話した。

 今回の要望書は上郷地区在住の世話人4人(島田正八代表)の連名で提出。同局に島田代表と地元住民2人、石橋亮一町建設課長、桑原悠町議が同行。津南町始め十日町市、栄村、野沢温泉、飯山市などで集めた署名、さらに老朽化で錆び落ちた同シェッドの手すりを持参し要望。島田代表(72)は「住民の声をまず届けなければ始まらない。迂回路がない道路、早く具体化を進めてほしい」と強調。さらに県境地震で栄村横倉スノーシェッドが崩落した事例をあげ「灰雨の上も山崩れで土砂が積もっている。柱の破損は98ヵ所あり、大地震が来れば同じことが起きる可能性がある」と早期改良の必要性を訴えた。

 灰雨スノーシェッドは全長322b、27年前に完工。車道幅は5・5bと狭く、大型車の接触事故が頻発。特に危険な津南側入口では今年6月にはオートバイと大型車が衝突。バイク運転手は重傷を負う事故も発生。改良を求めて上郷地区振興会(島田福男会長)が先月県庁に直接要望するなど、住民運動が活発化。なお県では昨年度460万円、今年度1200万円の予算付で地質調査など行い、バイパス化に向け動き出している。

新年は手作りしめ縄で  12月20日号
 〇…新しい年を迎えるまであと12日。昔ながらの手作りしめ縄飾りで新年を迎えようと15日、津南町大割野区民会館で講習会を実施。雪が降る悪天候のなか15人余が集い、わらの香りが漂う部屋で一心不乱に縄ない。町内小島から初参加の70歳男性は「幼い頃はやったものだが、すっかり忘れていた。無性に懐かしいね」と集中し取り組んでいた。

 〇…町老人クラブ連合会主催で毎年開くしめ縄作り講習会。教えるのは伝統の技を現代に伝える津南わら工芸部(高橋清作部長)。ベテランたちが教える技を学びに、常連者の姿も多い。高橋部長(79)は「どうきれいに作るか考えなければやれない作業。冬に1年中使う履物や道具を作ったものさ。手も頭も使うし、認知症予防にぴったりだな」と慣れた手つきでコツを伝授していた。

津南町・上村町長、後援会は再選モード、来年7月任期満了  12月13日号
 任期満了(来年7月9日)に伴う津南町長選は来年6月末に予定されるが、任期6ヶ月を残す上村憲司町長(64)は12月の12月定例議会初日の11日、一般質問に答え、「来年のことを言うとオニが笑うという。(進退について)念頭には一抹もない。今は町政の執行に全力を尽くしている」と、現時点での思いを述べた。だが後援会周辺では2期への取り組みを始めており、周辺は再選モードで動き出している。
 上村町長は、「公約の実現に向け、全力で取り組んで来た。当初の予定より少しの遅れを余儀なくされているが、目標に向って着実な歩みを出来ていること、町民の皆さんか感謝したい」と3年半を振り返った。

 11日の議会一般質問では、草津進氏が「強くてどこよりも優しい町づくりを進める上村町政の2期目に向けた今の気持ちは。気力体力は。選挙公約はまだ道半ばである」。さらに「この年末、来年の町長選が話題になる。住民の中には『上村さんは来年もう出ない』 という声もあるが、全町民が次期を期待している」と続投を促し、再度姿勢を迫った。
これに対し上村町長は「私は気の弱い人間であり、それを考えると意識がそっちにいってしまい時間が取られる。もったいないと感じる。今は町政執行に全力を尽くす。来年、しかるべき時に後援会などと話し、(進退を)処していく」と、時期尚早と退けた。
 前回4年前の町長選は、20年間県議を務めた元県会議長・上村氏と元町職員で町議を辞し出馬した半戸哲郎氏、三度目の出馬となった高橋孝男氏の三つ巴戦となり、上村氏が231票差で初当選を果たした。

 この4年間、前回出馬者はどう動いたか。3250票(得票率41・7%)の支持を受けた半戸後援会は、組織そのものは存続しているが、後援会幹部によると「後援会ほ存続しているが、総会などは開いていない」という。また高橋後援会は前回の選挙後、後援会は解散し、活動を停止している。
 一方、動きが注目されるのが前々回の町長選で当時の現職・小林三喜男氏に33票差まで迫った滝沢元一郎氏の動向が浮上している。すでに8年近くが経過するなか、前回の町長選では終盤、半戸氏の支援に動き、街頭でマイクを握っている。現状では動きは見られないが、関係者間では「現職の再出馬は確定的で、対抗勢力の結集が課題。この3年半、上村町政は公約の『域内所得の向上』に、なんら取り組んでいない。逆に住民の所得は落ち込んでいる。公約が公約になっていない」と疑問視している。 

 今後、半戸氏、滝沢氏の「連携共闘」が誕生するのかどうかは全くの未知数。現職の再出馬が濃厚のなか、合併に寄らない自立路線を歩む津南町にとって、どう町づくりに取り組むのか、その具体策の先に、来年の町長選が、さらに具体化に見えてくる。

JR東・宮中取水ダム、5年目の試験放流「JA素案」棚上げ  12月13日号
 全国注視の「変動流況型放流」に取り組むJR東・宮中取水ダムの試験放流4年目は、あと3ヵ月ほどで終了。この変動放流検証の中間報告が18日行われる。これを受け試験放流最終年・5年目の放流方法の協議が本格化する。迫る水利権の期間更新に大きく影響する。重要性が増す5年目の放流方法について今年9月、JR東が「素案」を示した。だが、協議する「信濃川あり方検討委員会」専門部会は「説明を受けただけ」と、これまで協議のテーブルに上げていない。一方、JR東はここにきて「5年目は白紙状態」という。今月20日の第6回専門部会では、18日の検証委員会の中間報告が協議のべースになる。だが、5年目の放流方法は、その先の期間更新にも影響するため、「試験結果の試験」的な放流方法も視野に入れているようだ。

 先月、JR東は監督官庁の国土交通省・信濃川河川事務所へ相談に訪れている。「当面は静観」(JR東・信濃川発電所業務改善事務所)と、今年9月の素案提出から、一歩後退という姿勢だ。
JR東の素案は『放流量毎秒40d・50d・60d』という一つのラインを示した。その前提は「3年目の試験放流では大きな変化が見られなかった」とする検証委員会の報告をベースにしており、今回の変動型放流で、同様な中間報告がされた場合、JR東の素案が再び浮上することになる。ただ、JRでは「白紙状態」として5年目の放流方法については全くコメントしていない。

 一方、5年目の放流方法を協議する専門部会では、「すべては検証委員会の中間報告を受けてから」とする。全国注視の変動型放流を検証委員会がどう評価するか、大きな関心が集まる。
十日町市では「4年目の変動型放流の検証結果が18日に中間報告されるが、それを受けて5年目の流し方の協議に入る」(建設課)と、JR素案が第6回専門部会の協議対象になるか明言していない。一方、JR東も「5年目の流し方については白紙状態。信濃川河川事務所にも相談しているが、当面、静観したい」(信濃川発電所業務改善事務所)と事実上、素案撤回とも取れる姿勢。試験放流の最終年が迫るなか、水利権の期間更新への思惑も交錯し、「十日町方式」とも呼ばれる試験放流のあり方に、大きな関心が集まっている。

津南町、伊藤園と災害応援協定  12月13日号
 大手飲料メーカー・伊藤園(本社・東京渋谷区)と津南町は6日、「災害時における飲料水の提供に関する協定」を締結。地震などの緊急災害時、同社は町内に置かれる災害用自動販売機の在庫を無償提供。さらに町からの要請を受け飲料水を早急に送るなどの取決めを結んだ。協定の有効期間は締結日から1年だが、解除の申し入れが無い場合は自動延長される。同社の災害用自動販売機は年内に町指定避難所で最大級の総合センターに第1号として設置。今後も随時増やす方針だ。

 伊藤園は今年9月の町防災訓練に、停電時でも使える手回し自家発電ができる災害用自動販売機を用意し参加。さらに秋山郷県境付近の国道405号が崩落した台風18号被害時には280_gペットボトル240本を提供するなど関係を深めて来た。同社との災害協定を結ぶ県内自治体は津南町で8例目。魚沼地区では南魚沼と締結。他に新発田、妙高、燕、阿賀野の5市、関川村、弥彦村の2村と結ぶ。増井勝見上越地区部長は「自販機は災害時に有効な飲料水の備蓄となる。町民の方の安心に繋がれば。県全体で取組みを進めたい」と話す。上村町長は「災害対応力の強化は行政の喫緊の課題。協定を契機により密な連携を取りたい」と語った。
 なお津南町の災害時飲料水応援協定は3年前にペプシコーラ社とコカコーラ社と調印。伊藤園で3社目となる。

明日へ「渡貫和美さん・手織りに魅せられ」  12月13日号
 温かみのある、世界にひとつだけの布。ショールやマフラー、バッグなど手織りならではの味わい。十日町のきものから新たに編み出す『裂き織り』など、観光客意外に地元住民から「自分でも作ってみたい」と徐々にファンが広がっている。
 今年、十日町と津南の手織り職人や機織機の製作職人ら4人に呼びかけ、「手しごと屋」を立ち上げた。作品を持ち寄って活動をPRしようと10月にキナーレで「織カフェ」を開いたほか、今月7、8日には十日町本町通りの「ふらっとステーション」で手織り教室など開いた。その呼びかけ人が渡貫和美さん(49、十日町市)。メンバーのつなぎ役でもある。「メンバーの気持ちは一緒。織物の町ならではの手織りのよさを広く伝えていきたい」。
    ○
 出身は旧南魚・六日町。大学卒業直後に青年海外協力隊の一員として中南米のコスタリカ、サン・ホセ市に飛んだ。2年間、小学校を巡回し児童らと一緒に野菜づくりなどに取り組んだ。「買う」というより「作る」生活を重視するコスタリカの国民性に触れた。直接の影響はないというものの、帰国後「思いついたように手織りをやりたくなったんです」と、今は閉校となっている十日町テクノスクールに入学し「織物科」で1年間学んだ。「級友は東京や大阪などみんな、地元以外でした。すごく刺激しあえる、よい経験になりました。ここで学び、地元に住みついた人も多いので、こういう学校こそ必要なのでは」と、今も同スクールへの思いは熱い。
     ○
 「作家になろうなどという気はまったくないんです。あくまでも生活のひとつのパターンということ。とても稼ぐなどとは言えませんが、つくった製品を使ってもらえる人が少しでもいるということがうれしいです」
 織機は、十日町で探したが見つからず、たまたま友人のつてで塩沢紬を織っていたと思われる織機を手に入れることができた。ほぼ同じ時期に結婚。十日町の住民となり、自宅を「拠点」に本格的に製作を開始。もう20年余になる。クロス10でみやげ物として販売している一方、クラフト展などイベント会場での販売が中心。「クラフト展では同じ思いを持った人たちが集まるので、よい交流になります」
    ○
きもの生地を裂いた紐を横糸に見立て、コトンコトンと織っていく。絵の具なら、多くの色を混ぜると黒になっていくが、織物はそれぞれの色が消えることなく、1本1本の色が様々な表情を見せる。柔らかな風合いだ。「この楽しさをもっともっと地元の人たちに伝えたいんです。織物の街でもあるのだから」。

都市軸で街の雰囲気を、宮崎緑さん講演  12月13日号
 「街づくりには都市軸が大切。それは景色であり、歴史であり、伝統文化であり、そして一番大事なのが人情です」。女性初のニュースキャスターとしてメディアで活躍し、現在は大学教授の宮崎緑氏を招いた「あてまフォーラム」講演会を7日、十日町クロステンで開いた。外国の街並みの都市軸の歴史や成り立ちの背景などを述べ、まちづくりにおける都市軸の重要性を強調した。
 「その街の形を見たら、そこに暮らす人たちの心の有りようが分かります。街とは自分たちの価値観を外に向け発信していくもの」。パリ、ウイーン、ニューヨーク、ロンドンなど主要都市の街の形を歴史的に検証、さらに京都などと比較し街の価値観を歴史的に話した。
 特に、価値観の時代的な変化を指摘。「20世紀は、グーとパーの世界だったが、そこにチョキが入ったのが21世紀。多様な価値観の時代になっている」。街づくりで犯罪が減少した事例も紹介。住宅街の道路を従来の直線から曲線に、両側に幅広い歩道を作りミニパークも。「それまでは車が優先の道路で人の気配がなかった。直してから人が歩道に出るようになり、地域社会のコミュニティーが復活した。それまで多発していた空巣などの犯罪がなくなった。街並みが変わり住民の暮らし方が変わり街の表情が変わったのです」。

 さらに、「今を生きる私たち。過去・現在・未来の中で、この今の一点に生きるものとして、私たちが未来に向って何を発信していくのか。時代が社会を作ります」。これを宮崎氏は『ハートウェア』と表現。「私は4百年周期説を唱えています。今、大きな転換期です。これまでになかったパーソナル・メディアを私たちは持っています。画面に向う人が受信者であり発信者。さらに国境も越え、時間も空間も越えている。今を生きる私たちは、そういう時代に生きています」と、街づくり論から時代観まで、幅広い分野で語った。
 ニュースキャスターらしい一面も。「フランスとイタリアで、ワイン論争があった。フランスの言い分が良い。『イタリアのワインは不当に安い。だが、安いくせにうまい』と。摩擦を作らない外交のセンスを感じます。日本の外交も、もう少し学んでほしいですね」。

明日へ「木と向き合う手仕事師、山田和雄さん・モリクラフト」  12月6日号
 ウルシ・ホオノキ・チャンチンなど60種の木を使った『森の引き出し』。色合いや木肌感など木の個性が、独特の雰囲気を作り出す。クラフト展での受賞作品。「名刺代わりの作品かな」。木と向き合い35年余の山田和雄さん(61)。自然木の形そのままを椅子やベンチにした作品など、工房には山田さんの手により、新たな息吹を感じさせる作品が並ぶ。
 来春4月、さいたま市で個展を開く。これからの冬は、じっくりと木との対話の時間。昨年は鎌倉、今年は九州・福岡で作品展を開いた。今冬、出番を待つ約百種の素材の木たちと向き合い、逸品づくりに取り組む。

 ちょっとした出会いだった。明治大卒後、運送会社に入ったが、1年で退社。「脱サラというより、脱落してきた、という感じかな」。生れた地に帰り、私設の学習塾を開き、その後、津南町森林組合へ。趣味的に通った木彫教室で、木と出会った。
 コツコツ取り組むのが性に合った。木彫から木工へと自然に移り、1990年に独立。この独立は、まさに自立となった。鉄路の枕木3百本を使って、3年がかりで自力で工房を建てた。
ブナやナラの落葉樹の森が広がる丘陵地。国道117号、清津大橋を過ぎ、津南町卯ノ木に入ると、右の丘陵地に、森を背にした手作りの工房『モリクラフト』が見える。基礎柱の穴掘りから木組み、棟上、塗装などすべて自前。「最高に楽しい3年間だったな」。
手作りの戸を開くと、木との対話で生み出された作品のベンチ、テーブルなどが雰囲気ある空間に並ぶ。作業室、作品展示室など3室ある。40aの緩い傾斜地の敷地には、約3百種の木や花、野草が植わる。米国「ターシャの庭」や北海道・富良野の『風のガーデン』がイメージ。時には森からの来客、カモシカやキツネなども姿を見せる。

 「自分がいいと思うものは、どこかで、いいと思う人が必ずいる。自分で満足したものを作り続けていく」。これまでも、これからも、これが手仕事師としての思い。カンナ、彫刻刀、ノコギリ、ノミなど職人道具は300を越える。
 工房「モリクラフト」。今日も、カーン、カーンと木を削る音が聞こえる。百種ある木の素材の中でも桜とイタヤカエデが気に入る。「桜は木肌感がいい。イタヤは硬い木だが、丈夫で色合いと木目の模様がいい。木にはそれぞれ個性があり、向き合う中で、何かが見えてくる」。
 来春、作品のテーブルやイスなどを、そのまま活用した憩いの場を作るつもりだ。「好きな時間を過ごしてもらえる場になれば、と思っています」。
        (恩田昌美)

10代「石澤陸斗くん、津南中等1年」ピアノで創造力を 12月6日号
 ライバルの演奏を聞き、「うまいなぁ」と感じた。文化祭のクラス対抗の合唱コンクール。皆で選んだ曲「COSMOS」(ミマス作詞)。ピアノ伴奏の希望者を募ると2人が手を上げた。音楽教諭の前でオーディション。音楽教諭から「陸斗に決まった」と聞かされた時は、嬉しかった。
 「何が違ったのか、自分ではよく分かりませんが、僕は楽譜を暗記しました」。女の子は、楽譜を見ながらの演奏。努力の結果だった。

 本番は10月19日。「ちょっと納得がいかない部分もありましたが、すごい緊張感でしたが、達成感は大きかったです」。5歳から通うピアノ教室。「音楽はずっと続けたいと思っています」。その音楽が役立つ分野を見ている。
 小学6年での職業調査でコンピュータークリエーターを知る。コンピューターゲームにも関心があるが、「僕の家では朝起きてから6時までならゲームをしてもいい決まりで、以外は禁止です」。小学時代からずっとこの決まりで、寝坊でなかなかできないのが現実だ。
 
PCプログラマーへの道を考える。「人の暮らしに役立つコンピューターソフト開発にも関心があります」。さらにゲームソフトなどに使う音楽の作曲も考える。COSMOSの通り、壮大な宇宙へとイメージが広がる。
 「まだ具体的な進路は決めていませんが、受験に臨む先輩たちを見ていると、すごいと思います」。そこに将来の自分の姿を見ている。

どぶろく王国、津南から発信、新潟県の蔵元一堂に  12月6日号
 どぶろく王国を津南から発信―。新潟県内の「どぶろく特区」で蔵元が一堂に会し、自慢の逸品を提供する「第3回新潟県どぶろく博覧会」を30日、ニュー・グリーンピア津南で開き、関東圏からなど2百人余が参加。先着150人を大幅に上回る人気で、その9割が関東エリアから。地元妻有地域は8席しか確保できない盛況ぶり。11の蔵元が手作りどぶろくを製造者本人が直接提供するとあって、参加者はグラスを手に、蔵元めぐりをしていた。

 新潟県は長野県の11特区と共にどぶろく特区最多県。「旨い米、良質な水、だから旨い清酒ができる。当然、どぶろくも最高のものができる。ならば一堂に会し、新潟県どぶろくを丸ごと味わおうと始まった博覧会。「新潟県どぶろく研究会」事務局を務める県地域政策課・土田豊樹参事も参加。県イベントに定着している。

 人気ぶりは3回の参加数に出ている。初回120人余、前回150人余、今回は2百人を上回った。仕掛け人は国内外で酒類取引する越路商事・古澤有三社長。「旨い米と良い水。新潟県は酒の旨さは高い評価を受けている。特区によるどぶろくは、さらに新潟県の酒の付加価値を高め、新たな特産になりつつある。一堂に会することで、大きな発信力につながるはず」。東京都各区と保養所契約するニュー・グリーンピア津南の交友の広さと結びつき、3回で定番イベントに。今回もキャンセル待ちが出るほどだった。

 3回とも参加の上越市の石井有さん(40)。「県内外の酒イベントに出ていますが、これだけのどぶろく蔵元が揃うのはそうありません。なにより作った方と直接話せるのが、またいいですね」。東京・国立市から夫婦で参加の重野和夫さん(78)は2回目。「子どもの頃、戦時中、十日町に疎開したので時々、来ているが、新潟県のほぼ全てのどぶろくが揃うのはここだけ。とにかく旨い。この季節に開くのもいいね」。

 県どぶろく研究会の佐藤健一会長(越の白峰蔵元)は「これはとても良い企画。この場から新たな情報発信もできる。特に直接消費者と話せる場となり、我々の最大の発信の場になっている。さらに旨いどぶろくを造る元気につながっている」と話す。
 今回は長野県栄村からも出品され、新潟と長野の交流の兆しを感じさせた。なお、今回に出品のどぶろくは、ニュー・グリーンピア津南や越路商事に問合せを。

「おんなしょの会」、地域を元気に、松之山・下布川で  12月6日号
 女性たちが、過疎が進む自分たちの地域を盛り上げている。子育てがひと段落し、仕事を持ちながらも、「何かやりたいねぇ」と声をかけ合って誕生した松之山・下布川地区「おんなしょの会」。先月23日、同地に入った地域おこし協力隊と連携し、収穫感謝祭を開いた。協力隊メンバーが音楽仲間を招き、即席の生バンドが誕生。日頃はカラオケだが、この日は「おんなしょの会」が用意した手料理を囲み「生オケ」で自慢の一曲を歌った。「ちょっとずつですが、皆の思いが同じ方向に向き始めています」と、おんなしょの会メンバーは思っている。

 松之山・下布川地区は、国道353号・高館トンネルの上部で、東山・五十平・坪野・赤倉の4地区に38戸。高齢化が進み、今では小学生は6年生1人だけ。地域外から嫁いだ女性が多いのも同地の特徴だ。
 3年前の1月。十日町市里山センターの小野塚建治さんが女性たちに声をかけ「おんなしょの会」を立ち上がった。10人が顔を揃えた。その2ヵ月後、長野新潟県境地震が発生。地元赤倉では神社が脇の川に地盤ごと崩落するなど大きな被害が出た。
 「地震で皆の思いがまとまり、前に出るようになったみたい」。韓国から25年前に嫁いだ渡辺淑子さん(50)は感じた。その年の秋、長らく途絶えていた下布川地区の収穫感謝祭を復活させた。同じく韓国からの女性たちも「おんなしょの会」に加わり韓国料理を振舞った。今春、地域おこし協力隊の女性が赴任。家族で来た音楽家・小野彩さん(45)の協力で、収穫祭に「音楽祭」を加え、地域に参加を呼びかけた。

 先月23日。下布川コミニュティセンターには、ほぼ全戸から50人余が集まった。おんなしょの会が伝統料理作り、夫たちは餅つき。音楽祭は小野さんの友だち音楽家など6人で生バンド。「生オケのど自慢」には日ごろ歌など歌わないお年寄りがマイクを握り、「北国の春」や「さざんかの宿」などを熱唱、会場は拍手喝采となった。
 おんなしょの会メンバーも歌い、静岡出身の佐藤松枝さん(50)もマイクを握り「なだそうそう」を歌った。「楽しかったですね。生の音楽がとても良かったです。高齢化する地域を盛り上げたいとスタートしたおんなしょの会です。皆が同じ思いで地域を盛り上げたいと想っています。ほぼ世代ですから何かできたらと思います」。韓国からの渡辺さんも「女性グループが活動する地域に視察にも行っています。地域の人たちが喜んでくれる姿で地域が元気になります。何ができるかまだ分かりませんが、望みを持って将来を見ていきたいです」と話す。

 2ヶ月に一度開くおんなしょの会。協力隊の米澤健一さん(35)、小野さんも加わり、話が弾む。「とても良い雰囲気で、次につながると思います」と米澤さん。音楽祭を仕掛けた小野さんは「音楽の魔力ですね。音楽は人が一つなれる瞬間です。来年もの声が届いています」と話す。戸数38戸の山間集落で、女性たちの活動で元気が出始めている。

苗場ジオパーク実現へ協議会設立  12月6日号
 新潟長野県境の津南町と栄村が一体となり、「めざせ!苗場山麓ジオパーク振興協議会」が3日設立した。9段の河岸段丘、火焔型土器に代表される縄文文化、秋山渓谷の地質や植物など総合的に捉え新たな魅力ある「物語」を作り、地域教育と観光振興に活用。今後は住民周知を進め、来年3月に日本ジオパークネットワークに申請。認定の可否は9月になる見込みだ。

 同会は両町村の商工観光、行政、民間など30人で構成。今後「ジオ」「エコ」「カルチャー」の3点を軸に、ガイド養成、ジオパーク散策マップ作成、主要ジオサイト(景勝地)案内看板設置、さらに火焔型土器モニュメントを栄村道の駅、千曲川が信濃川に名を変える宮野原橋付近、清津大橋付近に作り「火焔のクニ」の入口としてアピール。来期の予算は1600万円余を想定。活動資金は両町村が補助、新年度予算に組み込む。モニュメント設置は住民から浄財も募り、寄付者は台座に芳名を記入する方針。なお現在ジオサイトは7エリア57地点を想定。今後研究を重ね、随時増やす。公式パンフレットは町なじょもん館、町観光協会などで配布している。

 ジオパークは「ジオ」(地球)を知る「パーク」(公園)の意味。現在日本ジオパーク26ヵ所、世界6ヵ所を認定。県内の糸魚川は世界ジオパーク認定を受ける。津南町は2年前から有識者を集め地域の魅力を再検討。さらに今春に教育委員会に推進準備室を立ち上げ、年内の協議会設立をめざしていた。会長に就任した上村町長は北陸新幹線が開通する2015年問題に触れ「団塊の世代がリタイアし交流人口の中核となっている。その際『知る』というのは欠かせないアイテム。我々の持つ地域の本質的な力を世に出し、県境地震から復興に向っていく一翼を担えれば」と意欲。一方、副会長の島田茂樹村長は「津南、栄村には貴重な資源があると改めて感じた。北陸新幹線の開通に合わせ認定が降りれば強みになる。村内でも活用できる場を探し、足並みをそろえたい」と語った。
 次回協議会は来年1月を予定。これまでジオパーク構想を検討してきた「津南郷歴史自然環境活用検討委員会」(会長・島津光夫新潟大名誉教授、6人)と合同会議を行う。

 同協議会メンバー。
 ◆会長=上村町長◆副会長=島田村長◆監事=中山弘(町議)福原和人(村議長)【津南町】村山昇(副町長)桑原正(教育長)橋政徳(商工会長)瀧澤勝(農協組合長)滝沢完治(森林組合長)尾池三佐子(観光協会長)本山佐利(ふるさと案内人代表)山岸博之(森宮交通社長)山田龍一(萌黄の里支配人)渡邊泰成(かたくりの宿館主)石沢哲(山源木工代表)松崎和秋(津南高原開発社長)吉野徹(川津屋代表)橋廣幸(見玉公園管理代表)内山義幸(パラドックス代表)小林幸一(なじょもん友の会)藤野健(雪国観光圏ブランドマネージャー)田中ふみ子(石垣田保存会けっと代表)高橋一彦(ジオエッグ代表)【栄村】宮川幹雄(教育長)安藤勇(商工会長)佐藤重雄(北信州みゆき農協組合長)桑原重雄(栄村森林組合長)相沢博文(栄村秋山郷観光協会長)福原洋一(栄村振興公社事務局長)

世界とつながっている、ネットが縁で国際交流  12月6日号
 〇…「アメリカから帰り、新たな友人が増えました」。津南町正面出身の山田克美さん(49)は嬉しそうに語った。3年前からアメリカ・ウィスコンシン州ミルウォーキーに在住。今回、妻のトリシャさん(42)、3歳の長女の恵美子ちゃん、1歳の次女由美子ちゃんを連れ3年振りに帰省。津南では、SNS・フェイスブックを通した、顔を知らない友人たちが歓迎してくれた。

 〇…ディズニー系の玩具デザイナーの山田さん。米国でフェイスブックを閲覧中、ウェブ上で地元の津南を情報発信する人を見つけ連絡を取ると、続々とネットを通し友人が増えた。1ヵ月前に山田さんが帰省することをウェブ上に書き込むと「めったにない機会。皆に呼びかけて交流会を」と津南住民が呼びかけ、十日町や長野市などから15人余が駆け付けた。全員、直接山田さんと会った経験はない。企画者の岡村昌幸さん(53、大割野)は「初対面だったが、いつもやりとりしているから他人の気がしない。ネットで人や世界が近くなっていると実感するね」とにっこり。

 〇…交流会は先月30日、山田さんの実家近くのぽぱいで実施。全員、直接の面識はないが、すぐに打ち解けた。「元々は初孫を父に会わせ、娘たちに故郷を見せるための帰省でしたが、思いがけず新たな友人が増えました。津南も世界と繋がっているのを実感します。故郷の良さをアメリカでも伝えたい」。ネットを通じた縁は現実の友人を増やし、さらに広がりを見せている。

震災復興の日、栄村小滝が制定  12月6日号
 2年10ヵ月前の県境地震を忘れず、地域づくりに再スタートする住民の思いを象徴する「復興の日」を12月1日に昨年制定した栄村小滝地区。震度6強の激震で大きな被害を受け、復旧が進む今月1日は2回目の復興の日。全戸が公民館に集まり、お茶会でこれからの小滝を語り合った。

 小滝地区は、JR飯山線横倉駅の千曲川(信濃川)対岸の集落。震災前には17戸あったが、住宅損壊や震災後の病気などで戸数が減少。震災復興住宅が昨年11月完成し、避難生活の2世帯が集落に戻った。「いよいよ本格的な復興を」と区切りよく12月1日を「小滝復興の日」に定めた。
 2年目の今回、かつて長野県農業普及センターで同地を担当した普及員が、仲間と手打ちそばを振舞った。この日は、今年生れた子どもから80代まで、住民や地域外で暮らす若夫婦など50人余が参加。地元の女性たちの手作り料理を囲み、参加者は「世帯数は震災前より減ったが、皆の小滝への思いは強くなった」と笑顔で歓談した。

 今年度の区長、樋口武夫さんは「震災を機にさらに集落の結びつきが強くなった。皆で小滝を盛り上げるためにも、この日を大切にしていきたい」と話す。なお小滝地区は独自に「小滝震災復興計画」を作り、村当局に提出し、実現を求めている。

国道クロスに「道の駅」構想、中里地区、Uモールエリアを再開発  11月29日号
 中心市街地の活性化が課題になり、十日町市は市街地の再開発を国認可事業を導入して進めるが、同様な中心市街地活性化を合併前の旧町村でも実施する方針が明らかになっている。旧中里村の国道117号と国道353号が交差する山崎地区。ここにある商業集積施設「ショッピングセンター・Uモール」を含むエリア一体を国土交通省の「道の駅」として建設し、直売所や農産加工施設、レストランなどにより再開発する計画が実現性を増している。地域自治組織「中里地域まちづくり協議会」内に計画実現の専門部会を先月21日に立ち上げ、来月5日には3回目の会合を開き、実現に向け具体的に動き出す方針だ。

 今年1月の中里地区年賀交歓会で関口市長は「二つの国道が交わるこの地域を、玄関口としてどう開発するか。食べて、泊まって、買い物ができる中里地域の拠点にしたい」と、中里地区の活性化策を打ち出した。その前年の9月市議会で鈴木一郎副議長が「合併前の旧町村でも、その町村の中心市街地活性化と取り組みが必要」と定言したのを受ける形で関口市長が表明した。一方で地元も昨年12月、オープン20年が経過し、売上が暫減傾向のUモールの再興を研究する取り組みを始め、中里商工会・杉谷清六会長が委員長の「中里中心地域活性化検討委員会」を立ち上げ、外部コンサルタントを加え、再開発策を研究。今年8月まで再興プランを作りあげ、そのメインとなるのが「道の駅」の建設構想。

 再開発プランでは、国道117号と国道353号の交差するUモール側のエリアを構想する。同地区に農産物直売所や農産加工所、さらに農家レストランなどを予定し、立地条件の良さが誘客効果を上げると見ている。一方で、地元への密着度が高いUモールは、内部改修を視野に入れ、さらにショッピングゾーンとして拡充したい方針。

 立地条件を活かし、道の駅エリアは外部誘客の要素で、Uモールは従来通り地域のショッピングセンターとして充実するなど、同エリアが相乗効果を生むスポットにしたい考えだ。
 同プランは、中里地域まちづくり協議会の専門部会で今後協議、研究されるが、来月5日の3回目の専門部会で具体的な今後の取り組み方針が決まる見込みだ。構想では4年後の2017年秋のオープンをめざしたいつぃている。担当の中里支所・地域振興課では「市では公設民営考え方で取り組み、ハードは市が作り、運営は地元主導で行う考え。住民主体の取り組みにより、より地域が持ち上がるはず」と同プランへの期待感を示している。

明日へ「高木千歩さん・地域おこし協力隊」 この地で生きがい、新たな一歩を  11月29日号
 「お台場から煙が上がっている。東京タワーが揺れているよ」。東京青山のIT関連会社の4階オフィス。高木千歩(40)は商談相手と向き合っていた。同僚が見ている携帯ワンセグの画面には、津波で流される民家、真っ黒な津波にのまれる田畑が映る。
「この仕事、一生やる仕事なのか」。映像に映る現実と、自分が今いる現実のギャップに戸惑いを感じた。2011年3月11日午後4時過ぎ。この時の思いが、豪雪の地・十日町市飛渡地区を担当する「地域おこし協力隊」につながっている。

 両親が十日町市生まれということもあり、小さい頃から祖父母の家に遊びに来ていた。転勤族の父の影響で、新潟市、兵庫・伊丹市、そして東京と転居。だが、「出身はどこ、と聞かれると、十日町ですといつも答えていました」。
 3・11の翌日、長野新潟県境地震発生。「ニュースでほんのちょっと出ただけ。夏の豪雨被害もちょっとだけ。何か恩返しをと思って十日町のホームページを見たんです」。そこにあったのが『地域おこし協力隊募集』。8月に応募、9月に面接、10月採用。「これもめぐり合わせですね」。担当地は5集落に166戸が暮らす飛渡地区。今春協力隊に入った2人と担当。その最奥、東枯木又に民家を借り、自活している。

 豊かな自然の飛渡地区。山菜や野菜など「ひと味ちがう美味しさ」を実感。地域特産にできる、「やってみよう」の掛け声でスタートした『食と農を考える飛渡の会』。3ヵ所の無人販売所で直売、市街地の飲食店への直接行商。さらに飲食店から出る野菜残さを回収し、堆肥作りや家畜の餌などに巡回使用。その事務局も務める。
 先日、嬉しいことがあった。出荷野菜の売上を渡した夫婦から電話が。『こんなにもらえるとは思ってもいなかった。あのお金で、夫婦で食事をしたんだよ。美味しかったな』。

 音楽家の顔も持つ。兵庫・伊丹市に転校した中学1年の夏休み。隣家に同級生の女の子。吹奏楽部に入っている。「友だちができるかなと不安だったんですね。夏休み後、登校してすぐに吹奏楽部に入りました」。楽器は初めて、譜面も読めない。でもアルトサックスを担当。「楽しかったですが…」、クラシックは性に合わず、中学校の音楽鑑賞で出会ったジャズ・ビッグバンドに心酔。高校でも吹奏楽、大学では他大学のジャズバンドに入り、4年間みっちり取り組んだ。

 協力隊の赴任にも当然、サックスを持参。隊員でドラムやピアノをやっていた人がいて、ならばと協力隊バンドを結成。市内の敬老式や公民館祭りなど地域行事に出向き演奏活動。「音楽もライフワークの一つにと考えています」。
 協力隊は地域のサポート集団。「後継者問題や地域の高齢化など、この地で暮らすことの大変さは確かにありますが、なにか生きがいがあれば、この地で頑張られるのだなと実感しています。今度は私が地域に貢献したいです」。

 来年9月の任期満了前の来春、退任するつもり。「この十日町で、飛渡地区など市内の皆さんに恩返しをする活動を始めるつもりです」。十日町生まれが、各地を周り、たどり着いたのが、ここ十日町。根を張る覚悟だ。     (恩田昌美)

妻有リポート「議員定数を考える」 特別委で研究する津南町議会  11月29日号
 議員定数特別委員会を設け、2年後の任期までに結論を出すことになっている津南町議会。今年4月の改選で4人削減した十日町市議会だが、前議会で6人削減案と拮抗した経過から、今議会は「宿題」を背負っている。一方で、定数12ながら「少数先鋭」で議会運営する栄村議会。三者三様の事情を抱えながらも、議会活動は続く。定数問題を切り口に、議員定数とは何かを考える。

 「減らしすぎた」。視察に行った津南町議会の議員定数特別委員会メンバーは、耳を疑った。市町村合併に加わらず、津南町同様に自立の道を選んだ出雲崎町。同町の山ア信義議長は訪れた津南の議員に、定数削減後の議会運営の問題点を話し、本音とも言える言葉を吐いた。「減らしすぎた」。
 出雲崎町は、近隣と合併せず、自立のための財源確保として定数16を、いっきに10人に削減。「合併せすに自立で行くことを決め、思い切った改革と財源確保がねらい」だった。だが、「報酬アップもできず、議員数が限られているため常任委員会構成も大変で、議会運営に支障が出ている」。山ア議長は『あと二人増やしたいが…』と、本音を漏らした。

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 十日町市議会は改選の前年、2012年2月、議会改革特別委員会主催で、地域協議会の代表を招き意見交換会を開いた。各協議会長は『個人的な意見』と前置きしながら、かなり突っ込んだ意見を述べた。
 当時、市議会は「現行定数30を24から26に削減することが望ましい」と一つの方向性を出した。だが、24か26か、あるいは25など意見が分かれた。そこで協議会代表の意見を聞くことになった。
 「県下20市のデータを基に人口的に割り出すと24が妥当ではないか」(生越誠一さん)、「思い切った改革なら定数20か22だろう」(水落明さん)、あるいは「これまでの議員活動なら20人以下でいいのではないか」(村山幸夫さん)など厳しい意見。一方で「定数を減らさず、歳費を減らした方がいい」(佐藤敏夫さん)、あるいは「大幅な削減の場合は、小選挙区制に」(阿部隆嗣さん)など、地元の地域協議会事情を反映した意見が聞かれた。
 結局、市議会は先に提案の26案を採決し、市議30人のうち17人が賛成、「4人削減、定数26」で決着。だが次期議会への「宿題」を残した。6人削減が多数意見として残り、議会内には「次期議会で決着を」としている。

 5月スタートの市議会の新メンバー。若返りを果たしたが、スタート当初から会派、政党議員のグループ化など「市民不在」の動きに、市民は「何も変わっていない」と、削減効果の薄さを感じている。
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 十日町市議会の削減取り組みを間近で見た津南町議会。「町議会と市議会は違う」というが、住民が見る議会は共通している。どう考えるか「議員定数」。リポートでは、住民目線で議員定数を考える。

「住民の命を守る」、上郷地区協議会が灰雨改良を直訴  11月29日号
 住民主導で地域自治組織を昨年8月立ち上げた津南町の「上郷地区振興協議会」が活発な活動を見せている。同地区19集落ほぼすべてが会員となる同協議会。集落ごとに地元要望をまとめ、同協議会が町に要望する形だが、今月21日には「地域住民の命に関わる問題」として、いっきに県への直接要望を行った。地元行政と同町議会と共に新潟県庁に出向き、懸案の国道117号「灰雨スノーシェード」のトンネルバイパス化の早期事業化を要望した。一方で同協議会は、自主防災組織のモデル地域の飯田市や上郷地域と同じように県境を接する類似地域への視察などを行い、地域振興策を模索する活動を始めている。

 灰雨スノーシェードのトンネルバイパス化は、これまでも行政や議会、住民レベルで要望していたが、地元が直接要望するのは初めて。同協議会の島田福男会長ら協議会代表と町議会・河田議長、町建設課などで県庁に出向いた。県会・尾身副議長の案内で建土木部・田宮強志部長に要望書を手渡した。

 県の説明では、今年度予算で設計に入っており、新年度の予算状況でさらに具体化する見込みという。灰雨スノーシェードは、2年前に開通した大倉バイパスと共に同117号の難所になっている箇所。今年6月には同地で大型トラックとバイクが衝突し、バイク運転手が重傷を負っている。特に難所は、同スノーシェードの十日町側の抗口。直線道路からいきなり急カーブしてスノーシェードに入るため、事故多発箇所になっている。さらにスノーシェード内はセンターラインがなく、車同士の接触事故も多発している。

 要望した同協議会・島田会長は「国道とはいえ地域住民の生活道路であり、特に冬季間は路面凍結など危険性が増す。早期のトンネル化を求めたい」としている。県としても地元組織が一致しての要望は大きな意味があると受け止めており、新年度予算に期待が集まる。

バスケで交流、プロバスケリーグも評価、津南カップ  11月29日号
 住民のもてなしが好評―。津南町バスケットボール協会(恩田輝次会長)主催の第27回津南カップは23、24日に津南中等教育学校で開き、町内外32チーム3百人余が出場。夜の懇親会は過去最多の180人余が参加。今年もプロバスケ・bjリーグの中野秀光社長も姿を見せるなど、スポーツを通した交流の輪が広がっている。

 当初は「グリーンピアカップ」の名称で始まり、同協会が引き継ぎ27年目。今回は上越、長岡、新潟市、長野市、さらに東京から1チームが参加。閑散期に180人余が津南に宿泊、さらに賞品を町共通商品券にするなど地域経済の刺激にもなっている。この日は上越でbjリーグの試合が合ったにも関わらず津南に駆け付けた中野社長(小千谷市出身)は「バスケの大会は山ほどあるが、地域密着型で、おもてなしの心が津南は根付いている。これはbjリーグの精神と同じ。何度も来たくなる大会となっている」と高評価する。

 大会参加者は20代から70代と幅広い。元高校教諭で長岡市から参加の笛木弘さん(71)。第1回から仲間と共に出場の皆勤賞。「バスケ仲間と再会できる場になっており、毎年楽しみな大会。季節の風景、住民の人柄など、津南に来ると心が温かくなる。身体が動く限り来るよ」と笑顔を見せた。

 受入れ側も年々増加する参加者に驚きながら、大会運営に充実感を覚えている。恩田会長(59)は「田舎のバスケ大会では350人余の選手が集まる、最大規模になっており、津南ファンが大会を通し広がっている。今後ももてなしの心を忘れず、誰でも楽しめる大会として続けたい」と話している。

清津峡トンネルで「かんぱーい」、ボージョレワイン  11月29日号
 ○…「雰囲気は最高です」―。ボジョレー・ヌーヴォの解禁日に合わせ、清津峡渓谷トンネルで21日、樽出しで飲める直輸入のボジョレー・ヌーヴォを味わうジャズの夕べが開かれ、70人余りの青年らが参加、幻想的な雰囲気の中でのパーティーを楽しんだ。

 ○…中里に行きたくなるイベントをと、中里商工会青年部が企画。生バンドによる甘いジャズの調べが流れ、テーブルに置かれたキャンドルの灯りの中で解禁されたばかりのワインの香りがトンネンル内に広がった。参加者のひとり、高橋美香さん(津南町)は「とってもいい雰囲気。この場所で夏の生ビールパーティーもぜひ行ってほしいです」と話していた。

清津川分水問題、「好ましくない」と県は見解  11月22日号
 清津川の分水問題で20日、十日町市議会の信濃川・清津川対策特別委員会(藤巻誠委員長)は担当する新潟県土木部河川管理課を呼び、これまでの経過と今後の取り組みについて説明を受けた。県土木部の渡邊和敏課長は「(分水は)好ましくないという考えであるが、(大正12年の)当時、どう判断するかは難しい問題だ」と、現在の分水問題に対する見解を示した。県担当者が地元に出向いての説明は初めてで、地元への説明責任を問う厳しい意見も聞かれた。

 同特別委は、平常流量案が固まったことを受け、県担当者を招き、現状説明を受けた。この中で県の渡邊課長は「分水先の南魚沼地域の水利用に大きく影響する問題で、慎重な協議会審議が求められる。清津川、十日町市だけの問題ではなく、魚野川・南魚沼市の両流域の合意がなければ進まない問題だ」と県の基本的な姿勢を示した。

 一方、委員からは「現実的に清津川流域で水不足が生じている現状をどう受けているのか」、「時間がかかりすぎている。示された平常流量案を見ると、全量戻してもいいのではないか」、さらに「清津峡の上流域で流量が少ないために土砂堆積し、洪水などの時、下流への影響が心配される。早急に対応を」など質問が相次いだ。

 県の渡邊課長は「(清津川の水量は)充分とは思っていなし、清津川流域の利水が充分とは思っていないことは承知している」と見解。さらに「暫定量をどうするのかということで検討を進めており、少しでも改善できないかと暫定流量という形で取り組んでいる」と、試験放流を継続するなかで、清津川への放流量の増加を視野に取り組む意向を示した。土砂堆積は「現状は承知しているが、場所が場所だけに対応に苦慮している。緊急度の高いところから手を入れていきたい」と方針を示した。

写真・初めて地元で説明する県の担当者(20日、市役所で)

高級魚「トラフグ」を温泉養殖で特産化、中里・川西の商工業者が起業  11月22日号
 遊休施設を活用し、高級魚「トラフグ」を温泉養殖して特産化をめざす取り組みが十日町市で始まる。中里の温泉施設「ミオンなかさと」の使用中止しているプール棟を改修し、年間約3千7百尾の養殖に取り組む方針。中里商工会が全面的にバッアップし、地元や川西商工会などの商工業者が共同出資し、新会社を設立して運営する。構想では来年12月に初出荷する計画だ。すでに商品ネーミングも内定し『とおかまち温泉トラフグ』としてブランド化をめざす。

 中里商工会は今春、全会員に「トラフグ温泉養殖」の計画を説明し、今月11日は中魚郡市商工会の会長合同会でも説明し、事業化のプロセスを説明した。計画では、2年前に使用中止したミオン・プール棟を改修し、養殖水槽5基を作り、温泉水をオゾン滅菌した水に塩分を加え調整して養殖。来年8月にはトラフグ研究の近畿大学から稚魚2千4百尾、中間魚千3百尾を仕入れ養殖をスタート。同年12月に初出荷する計画だ。

 事業化には国の6次産業化事業を導入。事業費は水槽改修など約2千万円を見込む。新会社は地元商工業関係者を中心に共同出資して設立。中里商工会では近く再度出資を会員に呼びかける方針。十日町市とミオン経営の「株式会社なかさと」は出資しない。中里、川西の両商工関係者で「とおかまち温泉トラフグ研究会」を立ち上げ事業化に取り組み、来年2月に新会社設立、12月初出荷をめざす。

 今回の事業化について中里商工会経営支援室・児玉幸一室長は「まさに無から有を生むこと。海の産物を雪深いこの里山で生産する。観光面でも産業面でも、もう一つのストーリーが作れる魅力ある事業で、商工会としてもバックアップしていきたい」と話す。

 今回の事業化は、栃木・那珂川町の「株式会社夢創造」(野口勝明社長)の「里山温泉トラフグ」などを視察し、トラフグの温泉養殖の適応性や加工販売による収益性などの状況を得て、昨年7月から温泉施設での事業導入を研究。使用していないミオンのプールでの事業化を決めた。ミオンの温泉は塩分がないため、養殖では塩分調整を行う。
 豪雪の地で「トラフグの温泉養殖」。商工業者の新たな挑戦に、大きな関心と期待が集まっている。

写真・トラフグの温泉養殖に取り組む計画のミオン・プール棟


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