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2013年04月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
十日町市議選 「改選のたびに議員がいなくなる」、郡部住民の切実な声  4月26日号
 「定数削減のたびに、郡部の代表が減る」。21日投開票で決まった十日町市議の新しい顔ぶれを見て、中里地域で聞いた住民の声が耳によみがえる。4人定数削減し、26議席を31人で争った今回の市議選。議席を失った現職は松代と川西の2人。有権者の7割近くが十日町地域。定数削減により当然、当選ラインがあがり、基礎票が少ない郡部地域の候補は、削減のたびに厳しさが増している。今回、中里が2議席、川西4議席、松代2議席と改選前より1議席失った。十日町も17が16議席となったが率的にはわずか。松之山が変わらず。市議選を通じて、郡部住民の思いを聞いた。

 投票前日の20日、松之山・上鰕池(かみえびいけ)の公民館前に、集落の人たちが集まった。拍手で迎えられたのは、旧松之山町議時代から連続6期務める高橋洋一氏(62)。
 「有権者2032人の松之山。もし議員定数が20人になったら、松之山から1人出せるか、どうかだ」と危機感を訴える。さらに「十日町中央部の人たちがきちんと周辺地域のことを把握できるのか。必ずしも地域の実情を理解できるとはならない現状にある。それだけに地域の代表をしっかり出すことが重要である」。

 昨年の第5回大地の芸術祭で 『上鰕池名画館』で人気を集め、多くの来場者があった上鰕池。だが普段は戸数20戸、58人がひっそりと暮らす。独り暮らしのお年寄りが亡くなると、住人を失った家は廃屋となる。そんな地域事情と住民感情は、市中央部に伝わるのか。

 住民の60代の男性は話す。「改選のたびに議員定数が削減され、そのたびに周辺部の議員が少なくなっている。さらに定数が少なくなると、周辺部から議員が出せなくなる」。前回もそうだったが、今回の市議選を通じて、再び感じている。「ここまで来てくれる候補は、地元と政党関係者だけ。市中央部の候補は街宣にも来てくれない。これが合併後の実情だろう」と嘆く。

 今回の改選では、定数削減論議で6人削減の「24」と4人削減の「26」が拮抗し、結局、段階論として26で改選し、その後、再度検討することになっている。議員のひとりは、「最終的には小千谷市や糸魚川市のように定数20人の時代になるだろう」と見ている。
 定数20は、実は合併前に旧十日町市議会の定数と同じ。「結局、大票田の地盤を持つ旧市部の議員が生き残るのだろう。これは自明の理だ」。

写真・山間地の実情は市中央部の代表では把握できないと高橋洋一氏(4月26日号、松之山・上鰕池で)

2013年4月21日執行 十日町市長選 開票結果
 当26,939 関口芳史 54 市長   無現A
   9,059 樋口明弘 65 不動産業 無新


2013年4月21日執行・十日町市議選 開票結果
(マル数字は合併前からの当選回数)
当2038 宮沢幸子 54 十日町・党県役員 公現C
当1778 福崎哲也 40 十日町・建築業  無新@
当1706 遠田延雄 63 十日町・農業   無現A
当1598 吉村重敏 62 十日町・会社役員 無現A
当1551 涌井 充 61 十日町・農業   無現D
当1505 安保寿隆 72 十日町・振興会長 共現C
当1492 庭野茂美 52 十日町・小売業  無現D
当1349 川田一幸 61 十日町・会社員  無現D
当1309 太田祐子 60 十日町・NPO局長 無現D
当1265 鈴木一郎 61 中里・建材業   無現D
当1261 大嶋由紀子40 十日町・自営業  無新@
当1233 村山邦一 72 松之山・農業   共現E
当1231 小嶋武夫 64 川西・農業    無現C
当1222 庭野政義 65 十日町・織物加工 無現E
当1199 飯塚茂夫 62 十日町・農業   無現D
当1190 鈴木和雄 65 中里・農業    共現C
当1163 羽鳥輝子 62 川西・社協評議員 無現C
当1151 近藤紀夫 72 十日町・元会社役員無現B
当1134 仲嶋英雄 73 川西・高校後援会長無現B
当1109 高橋俊一 58 川西・団体副会長 無新@
当1011 高橋洋一 62 松之山・会社員  無現F
当1000 小林弘樹 51 十日町・食品販売業無現C
当 996 村山達也 43 松代・会社役員  無新@
当 981 小林 均 56 十日町・会社役員 無現A
当 964 小野嶋哲雄64 松代・会社役員  無現E
当 944 藤巻 誠 66 十日町・元市職員 無現A
  903 山賀子平 68 松代・農業    無現C
  757 小林正夫 65 川西・電気工事業 無現C
  489 重野順司 57 十日町・建設業  無新
  384 小柳 勤 58 中里・元市職員  無新
  273 徳永貴広 37 十日町・会社役員 無新   
 
当日有権者数 48,239人(男23,357、女24,882)
投票率76.20%(前回83.76%)

十日町市議選 「さらに定数削減。地域代表がますます重要」  4月26日号
 そんな周辺住民の声を確実につかみ、市議選で郡部候補の最多得票で当選10位に入った中里・鈴木一郎氏(61)。旧中里村議から連続4期、議員活動を続ける。選挙戦では合併時の約束事項を掲げ、その実現のためにも住民代表が必要と力説した。

 「合併して8年、市議会に入り8年間。周辺地域をどうしたら守れるのか、どうしたら活性化できるのか、これを第一に活動している。合併時に決めた選定率は中里14・9%。果たして守れるのか、十日町にすべて行ってしまうのではないか、そんな周辺地域の心配を背負って、そのことを集中的に8年間やらせていただいている」。市議となり2期8年の議員活動の基本姿勢を改めて訴えた。

「8年間、事業は順調に進んでいる。だが、まだ十日町に入るお金の方が多い。格差を解消しなければならないこの時期でも、まだ予算面で不均衡を感じる。この状況をなんとか変えて行きたいと、日々取り組んでいる」。訴える鈴木氏の言葉に、うなずく住民たち。

 70代の女性は、前回も感じた思いを話す。「やっぱり地元の代表は大事。市になったのはいいが、ますます行政が遠くなるようだ。議員選挙は、その度に山間地の代表が少なくなっている。いずれ十日町の議員ばかりになるだろう。困ったもんだ」。地元と密着していた村議時代の議員像を知るだけに、合併後、議員改選ごとに疎外感を感じている。

□□■□

 市中央部に近い旧川西町地域は今回、改選前と同じ5人が立ったが、旧川西町時代から4期連続当選する現職がはじき出され、議席を失った。  
 新人で初当選した高橋俊一氏(58)。合併後、地域振興会に入り、合併後の川西地域の振興策づくりに関わった。選挙戦ではその経験を踏まえ、市部との格差解消のための住民代表の必要を力説した。

「今後さらに定数削減が行われるだろう。今しっかりと住民代表を出しておかないと、この川西から議員が居なくなるかもしれない。合併から8年、地域格差はなかなか埋まらない。今しっかり代表を出すことが、将来も代表を出し続けることにつながるはずだ」。

□□■□

 今回の市議選。当日有権者数は4万8239人。十日町地域が67・08%を占める。川西12・26%、中里9・47%、松代6・24%、松之山4・18%と、郡部4地域を合わせても32・92%と、十日町の半分以下が実態。
「いまさら旧市町村ごとの小選挙区制に戻すことはできないが、選ばれた市議は、しっかり全市の住民の声を聞いてほしい」。残雪が残る山間部で、住民が強い口調で話した。

写真・地域代表の必要を力説する鈴木一郎氏(4月20日、中里・倉俣で)

関口氏市長、3倍の大差で再選、だが25%の批判票、十日町市長選  4月26日号
 3倍の大差で2選を果たした十日町市の関口芳史市長(54)は、「一定の信任をいただけたと思う」と再選でこれまでの4年間の市政が信任され、2期目への自信を見せた。一方で、9千票を超える25%の批判票について、「市民の判断だ。しっかり考えながら、市政に生かしていきたい」と受け止める。さらに「生活への不安があった。市町村合併で自分たちの生活にどういうメリットがあるのかと、疑問を持っている人が多いのではないか。次の4年間で考え、そうした不安を解消する取り組みを実現していく」と、選挙結果を受け止め、地域格差を感じない新市づくりを、さらに進める姿勢だ。

 任期満了(4月30日)に伴う市長選は今月14日告示、21日投開票で実施。現職・関口市長と不動産業・樋口明弘氏(65)の一騎打ちは告示と共に過熱。新十日町病院を含む地域医療体制のあり方や市民文化ホール建設をめぐる争点などで選挙戦を展開。関口選対は全市100支部がフル稼働し、連夜の個人演説会などで徹底した浸透をはかり、3倍余りの大差で再選を果たした。

 75%の得票率で再選した関口市長。今回の選挙戦の争点について、「見つけにくかった。合併後、職員数や支所機能など形が早く変わった。その変に漠然として不安があったようだ」と25%の批判票の要因をあげる。
 
 ただ一方で、対抗候補の主張に疑問を抱く。「昔のステレオタイプの批判が並んでいた。その年代の人たちが理解できない価値観を今の若い人たちが持ち、今の十日町にとってその存在価値が重要。この4年間で地域は大きく変わってきている。新しい価値観で創り上げていこうという議論ができなかったことは残念」と話し、実現しなかった公開討論会は、「価値観を直接ぶつけ合う場があってもよかった」と話している。

 一方、新人の樋口氏は「文化ホールより働く場を」、「地域医療があぶない」、「合併後の地域格差の解消を」など、郡部地域を中心に訴え、短期間ながら9千票(得票率25%)を得た。
20人余の市民グループが主体の選挙を展開。中山間地対策では無農薬野菜の栽培工場など豪雪地振興を掲げたが、及ばなかった。

 選挙結果について樋口氏は「(十日町病院は)残念ながら今よりひどい状態となるが、市民が選んだのだからしょうがない。ていねいに説明したつもりだが理解されなかった」と話す。さらに、「十日町の心配する会」と「十日町を再生する会」の2つの政治団体は存続させ、「市政をチェックし、政策提言していきたい」と活動継続するする方針だ。

写真・再選を選対スタッフを喜ぶ関口市長(4月21日夜9時50分、十日町市で)

リポート「震災復興、『結い』の活動評価、孤立無援の相澤氏当選」 、栄村議選  4月26日号
 「これから復興に向かう村の選挙が村長選に続き無投票になるのはよくない」。12日夜、悩んだ末に再出馬を決めた相澤博文氏。住民の足である軽トラックを街宣車に、「孤立無援」の選挙戦をスタート。急な出馬でポスター用写真は間に合わず『がんばれ栄村、がんばれあいざわ』と書いただけの選挙ポスター。「出馬は独りで決めた。独りで動く」。

 だが、立候補を聞き、思わぬ所から協力者が出た。相澤氏が代表を務め、震災直後からボランティア受け入れなどで活動の「復興支援機構・結い」を通し知り合った仲間2人が関西から車で8時間余かけ駆け付け、17日から共に全村を巡った。「震災を機にボラで訪れた人は継続支援を願う人が多い。復興に向かうなか、力強いサポーターだ」。改めて外からの力の大切さを確信した。

 2年前の3・12以後、栄村には全国から4500人余のボラが訪れ、被災で住宅内が散乱した高齢者宅などの整理を手伝った。その後も時おり顔を出し、お茶飲みするなど心のケア活動にも重点。街宣活動中に住民から『あの時はお世話になったね。またお茶飲みに来てくんねかい』と頻繁に声をかけられた。「大きな励ましの声だった」と相澤氏は振り返る。

 「ボラが再び訪れるとお年寄りたちは喜んで迎えてくれる。住民とボラの繋がり継続が、高齢化が進む村にとって復興への大きな力になる。今後は心のケアが重要となるなか、栄村には4500人のサポーターがいるのと同じだ」。結いの活動は継続し、議員と二足のわらじを履く。

 地盤はなく、組織も持たない選挙を続けた相澤氏。4年前は65票で最下位落選。だが今回、初当選を決めた平成9年改選の145票に迫る114票を獲得。結いの被災者支援活動が票を押し上げた。「住民目線、弱者目線の復興活動を、村は行っているのか。地震の栄村は全国で注視されている。震災の村は元気だぞ、と村民自ら発信するのが支援してくれた方へ恩返しだ」。4期目となる議員活動は、すべて復興に捧げる心構えだ。    (石沢修一)

写真・告示3日前に出馬を決め、村内を街宣する相澤博文氏(20日、村内当部で)

栄村議選開票結果
4月21日投票、定数12
当 173 南雲 成一 62 無現A
当 143 上倉 和美 62 無現B
当 140 石澤  正 72 無現A
当 137 阿部 伸治 50 無現A
当 137 福原 和人 51 無現C
当 123 樋口 武夫 61 無現A
当 123 桑原 一富 58 無現A
当 122 島田 伯昭 66 無現C
当 114 相澤 博文 65 無元C
当 112 赤津 安正 77 無現E
当 101 鈴木 敏彦 66 共現C
当  87 山本千津子 64 共現A
84 上倉 敏夫 61 無新   
 
投 票 率83.96%(男 88.00%、女 80.36%)
有権者数1,908人(男 900人、 女 1,008人)
(無効6票)

念願の川西後援会、市長選通じ実現へ、関口後援会  4月26日号
 現職が圧勝した十日町市長選は、2期目の関口市政を支援する後援会組織をさらに全市に広める布石となった。同後援会の組織作りが遅れていた旧川西町地域。4年前の前回、現職の旧川西町長・田口直人氏との一騎打ちで勝利し、関口市長が誕生。その「後遺症」が残り、この4年間、川西地域は「なかなか手がつけられない状態」(後援会幹部)だった。だが今回の市長選で、関口選対が田口氏に急接近。それまであった川西地域の関口後援グループを一新し、告示前、引退市議の呼びかけで川西総決起集会を開き、今回の市長選への川西地域の姿勢を明確にし、今回の圧勝で関口後援会念願の「川西後援会」設立に大きく前進した。 

 市長選投票日の前々日の19日午後4時過ぎ。関口選対は川西・上野地域で街宣。その聴衆の中に田口氏の姿があった。現在同氏は建設会社社長を務める。関口市長の街宣終了後、街宣車に駆け寄り、関口市長と握手。マイクは握らなかったが、聴衆にアピールした。田口氏は「次の世代の人たちから、さらに良い地域を作ってもらう、そういうことでしょう」と話している。

 関口後援会の大海武夫幹事長は、川西後援会の組織化を進める方針だ。街宣の場に来て、握手してくれたことに感謝し、「思いは十二分に伝わった」と話す。念願の『川西後援会』は、今夏までに具体的な動きを始める方針だ。関口後援会は、川西後援会ができると、全市の旧市町村すべてに支部組織ができることになる。

写真・市長選の街宣で握手する関口市長(左)と田口氏(中央)=4月19日、川西・上野で)

レスリング存続署名、4万6千余、国際連盟に提出  4月26日号
 レスリング五輪復帰への熱き思い、4万6225人に―。レスリング競技が2020年五輪から除外候補に上っている問題で、女子レスリング強化合宿の地として世界に知られる十日町市の全日本女子レスリング十日町後援会(馬場文之会長)が中心になって展開してきた存続署名は、予定していた5千人の9倍に上る4万6225人に達し24日、市役所で馬場後援会長が全日本女子レスリング連盟・丸山秀二会長に署名簿を手渡した。丸山連盟会長は26日に東京の全日本レスリング協会を訪ね、福田富昭会長に手渡す方針だ。

 存続署名は、十日町後援会の役員ら10人余りで始めたところ、商工関係者やJA、建設業協会など次々に協力の輪が広がった。地元のちびっこレスリングクラブのメンバーも街頭で署名活動を行うなど、3月5日から今月20日までの1ヵ月半に十日町市と津南町で約2万人、県内外から約2万5千人の署名が集まった。馬場後援会長は「ロンドン五輪などメダルを持って選手が市民や地元の子どもたちと交流している。レスリングへの市民の思いが予想を大きく上回る署名数につながったと思う。感謝したい」と話した。

 同署名は東京に本部を置く「レスリングを五輪競技に復帰させる会」(樋口郁夫代表・スポーツライター)が全国に呼びかけ、十日町後援会もそれに応えた。全国署名は30万人に上る見込みで、十日町で集めた署名は全国署名と共に、今年9月に方針を決定するIОC(国際オリンピック委員会)に提出する計画だ。

笹団子作りで交流、先生は津南の母ちゃん  4月26日号
 ○…笹団子作りでコミュニケーション―。ニュー・グリーンピア津南に11、12日、狭山市の西武学園文理高の1年生423人が春の宿泊合宿に来訪。新入生オリエンテーションに加え、県特産品の笹団子作りを体験。津南の母ちゃんを指導役に、顔を合わせたばかりの同級生と料理交流。小平市に住む須田圭佑君は「料理はたまに作りますが、同級生と一緒に作るのも楽しいですね」とにっこり。

 ○…同校は昨年に続き連続来訪。「郷土料理で新入生の親睦を」と要望があり実施。町生活改善グループ(大口フミ代表、47人)を講師に招き開いた。材料のもち米とうるち米は津南産。こね鉢で生地を作り、手慣れた手つきで餡を包むと生徒たちは感嘆。「津南の料理体験が心に残る思い出になってくれればいいですね」と大口代表。この日は同グループがカボチャサラダや雪下ニンジンゼリー、しょう煮いもなどの手作りの逸品を持ち寄り試食交流。都市の子どもたちは津南の味を満喫していた。

津南醸造、三菱食品と契約、小田急とも  4月19日号
 ロンドン酒チャレンジで金賞受賞し、先月の「新潟酒の陣」で売切れの人気を集めた「津南醸造」(古澤有三社長)。今期、食品流通最大手の三菱商事系「三菱食品」」との契約が成立したほか、今夏の中元商戦では大手デパートと契約を結び、古澤社長の営業戦略が次々と実現している。社長就任から1年余り、国内外で実績を上げる同社長の手腕で、酒米農家や津南町農協、津南町が共同出資する津南醸造の前途に明かりが見え始めている。

 三菱食品との契約は、社長就任時からアプローチし、今期成約となった。同社との流通取引の実現は、裾野が広い系列社への幅広い流通が実現することになる。「今期は630石、来年は830石、2年後は1200石を製造する計画。営業面で多少の明るさが見えてきている」と話す古澤社長。今夏の中元商戦では、首都圏の大手デパート「小田急」と契約が成立し、清酒部門ではトップクラスで展示される。銀座松屋とも中元商品の契約が成立。さらに年末ギフトでは通販大手との取引が実現している。
 
 三菱食品との提携の背景には、昨年のロンドン酒チャレンジ金賞や新酒鑑評会の連続入賞などの実績で評価を高めており、特に酒造界で若い杜氏として知られる存在に成長している40歳になったばかりの同社・滝沢昌哉杜氏(40)の存在が大きい。酒米・五百万石を使った酒造の第一人者に育っている。大手が『山田錦』など銘柄酒米を使うなか、「津南が育てる五百万石にこだわりたい」と取り組み、その成果が鑑評会連続入賞につながっている。

 同社の新酒利き酒会が15日、津南町の綿屋旅館で開かれ、小売関係者や同社株主など70人余が火入れ前の生酒を試飲した。株主の冨沢信さん(64)は「いい酒ができている。滝沢杜氏は若いが実力がある。バックアップしたいね」と語り、津南町森林組合の女性代表で出席した太田夕子さんは「なんと表現していいのか、ひと口でも、濃い旨みと、すっきり旨みが味わえます。いい感じです」と感想。この日は普通酒、本醸造、純米、純米吟醸の4種が提供された。
 酒の陣で売切れの濃ピンクの箱、ラベルと旨味が人気の「ユキグニモノガタリ」は、夏まで熟成し、売り出される。
                       (恩田昌美)

写真・今季の新酒を試飲する参加者(15日、綿屋旅館で)

十日町市長選21日投票、現職・関口市長「新病院、県も知事も協力」 4月19日号
「政策論争か、批難合戦か」―。任期満了による十日町市長選は、前回同様、現職と新人の一騎打ちだが、様相を一変している。新人が争点にあげる改築計画の県立十日町病院に関係する地域医療問題、さらに現職が公約に掲げる中心市街地活性化事業の実現、その核的な施設となる市民文化ホール建設の2つが選挙戦終盤に入り、絞られた争点になってきている。

 14日告示、21日投開票の十日町市長選は、現職で再選めさす関口芳史市長(54)に、新人の不動産業、樋口明弘氏(65)が挑戦している。樋口氏は告示後、徹底した郡部回りを行い、数戸の小集落でも車から降り街宣。現職の中心部重視の政策、さらに地域医療問題を上げ、「決められない政治は住民の不幸を招く。政治は形にすること」と痛烈に現市政を批判。一方、全市100支部体制できめ細かに街宣、連夜2会場で個人演説会を開く関口市長。「年間8万人が使う市民会館。文化ホールと共にさらに市民は元気になる。新十日町病院は7階にレストラン、地階は駐車場になる。県が積極的に作ろうとしているのに、なぜ水をぶっけるのか」と、新人候補の批判を突っぱねる。前回の現職・新人の政策論争をメインとした一騎打ちとは様相を異にする、熱き戦いになっている。

 再選めざす関口市長は、大票田の中心部をきめ細かに回る一方、郡部の山間地も時間をかけて街宣。郡部エリアでは地域事業をあげ政策を訴える。中里では建設中の中里体育館(仮称)の完成後の活用策や2つの国道が交わる山崎地域の再開発、さらに清津峡など観光振興などの実現を強調。松之山・松代では大地の芸術祭効果を上げ、さらなる流動人口の増加策、さらに定住促進の中山間地対策への取り組みを。川西地域ではJR食品工場の誘致や農業振興策などを強調し、「合併後、郡部地域と中心部の差が出ている」とする郡部住民の声に応えている。

 一方で、市長就任後に真っ先に取り組んだ市役所改革では、市職員5百人台を実現し、「職員知恵出し会議」や大学生アイデアの事業化などに取り組み、「市長ふれあいトーク」、「サタデー市長室」など市民対話を重視し、市民派をアピール。街宣では、女性や子育て世代にもアピール。県内初の小学校と発達支援センター、養護学校の一体化の実現で「将来的に医師を常駐させ、現在の臨床心理士、作業療法士との連携で全国モデルの子育て支援を実現する」、さらに小中一貫校を全市に導入し、教育効果をあげる。

 選挙戦の争点になっている市民文化ホール建設。「年間8万人が利用する市民会館。建て替え要望を受け、中心市街地活性化事業の中で建てる。今なら国の50%支援がある。5年間の事業の中で作る。いつ作るか、今しかないでしょう」と、市民文化ホールより働く場をと主張する新人をかわす。 

 さらに改築する十日町病院問題では、『看護師が7割もいなくなる。中条病院精神科が小千谷へ行く』などの新人候補の指摘に対し、「泉田知事も塚田院長のびっくりしている。ありえないことを述べ、不安を煽っている。改築後の十日町病院で働きたい看護師はたくさんいる。中条病院は県と厚生連と常に話し合っている。県には『今度の十日町市長選は、そんなレベルの選挙なのか』と変に見えているようだ。県はしっかりした病院を建てようとしている。それに水をぶっかけるようなことは、すべきではない」と新人候補の批判を一蹴している。

写真・全市100支部組織がフル稼働する関口選対(16日、市内高山で)

十日町市長選、樋口氏「文化ホールより働く場を」  4月19日号
 「文化ホールは要らない。働く場がほしい」。郡部の街宣では、この言葉から入っている樋口氏。現職市長が主軸に掲げる中心市街地活性化事業を取り上げ、「中心市街地もいいでしょう。市民ホールもいいでしょう。いま本当にそれが最優先なんですか」と、市事業の優先順を問題視。「市民ホールを30億円で建てるというが、子や孫が安心して十日町で暮らせる、そのために30億円使うならいいでしょう。優先順が違う」と指摘し、現職の市政姿勢を批難する。
さらに中山間地対策では、豪雪地を逆手に取った事業を掲げる。

 「ここは世界有数の豪雪地。この特性を活用し、国の特区認定を受け、年間稼動できる究極の無農薬野菜の栽培工場を建てる。松之山、松代、中里、そして川西。それぞれのコミュニティを大切にしながら工場を建て、雇用の場を作る。こういう所に財政投入すべきではないのか」と中山間地の地域振興策を訴える。

 特に力説するのが十日町病院など地域医療問題。4年前の田口市長時代に県知事要望した『厚生連が運営、建設場所は下島地区』を再熱させ、「なぜ進まなかったか。今の市長が2年間、何もしなかったから。4年前の田口さんがやり残したことを、不肖、私樋口がやり通してみせます」と、川西地域では田口氏の名を出し、支持を訴える。さらに、魚沼市の太平市長の取り組みを上げ、「魚沼基幹病院の開業に合わせ、太平市長は知事に、小出高校に看護科を設置するよう申し入れている。十日町の市長は、知事が作ってくれると言って、何もしていない」と手厳しく批判する。

 20年前、心筋梗塞で倒れた事を述べ、「最優先は医療問題」と強調。「もう65歳、いい年になった。こんな人間が表に出るべきではないが、このままでは地域医療の将来はない。政治家は形にしなければ政治ではない」と、現市政の取り組み姿勢を手厳しく批判し、支持を訴える。

写真・街宣で支持を訴える樋口明弘氏(17日、川西で)

絵手紙作家・山路智恵さん、栄村に暮らし、お年寄り描く  4月19日号
 「絵手紙のむら・栄村」の広める契機となった絵手紙作家・山路智恵さんが、栄村に常設の「山路智恵絵手紙美術館」の館長に今月1日就任し、15日の今シーズン開館式に出席。「これから毎月10日間ほど栄村で生活し、お年寄りの皆さんとお話し、皆さんを描かせていただきます」と、年間通じて栄村の人たちを絵手紙で描く活動に取り組むことを明らかにした。

 山路さん(31)は東京・三鷹市在住。18年前、栄村で開いた「山路智恵絵手紙展」が契機となり同村で『絵手紙のむら』活動がスタート。絵手紙世界展、中国との交流など全国ネットの知名度になっている。2007年に「栄村国際絵手紙タイムカプセル館」、スキー場多目的ホールに「山路智恵絵手紙美術館」が開館し、全国から多数が訪れる人気スポットになっている。

 山路館長が誕生した同館では、昨年から今年の新作を多数展示。なかでもこれまでで最大の畳6枚大の絵手紙「稲泉寺の大賀はす」(木島平村)や畳4枚大の「素桜神社の神代桜」(長野市)など大作も展示。さらに山路さんは今年、「宝さがし栄村」を年間テーマに、村内のお年寄り(85歳以上)と交流し、顔を絵手紙で描く。「人生の大先輩の方々とのお話を通じ、心の豊かさや生活の知恵などから、私の創作のヒントが得られれば嬉しいです」と話している。今期の作品は来年、同館で展示する計画だ。    (恩田昌美)

写真・自作の絵手紙作品を説明する山路智恵さん(15日、栄村で)

中子の桜、名所に手作り看板、地元民が  4月19日号
 ○…毎年全国から多くのカメラマンが訪れる春の観光スポット「中子の桜」。観光者にわかりやすい道案内をとこのほど地元有志が手書きの看板を製作。合わせて集落案内図をリニューアルし14日に中子の池わきに設置。「見に来た人が桜を守る集落にも興味を持ってくれれば」と願いを込めた。中子の桜の見頃は今月末になる見込みだ。

 ○…昭和32年に農業用水確保のため作られた中子の池。景観整備の一環で桜を植樹。近年は樹勢が弱ったのを受け、3年前にも新たに桜を植樹するなど地元で保存活動。今回の看板は町観光協会が「中子の桜をアピールしたい」と製作を依頼。20万円の補助を受け、残雪と桜が彩る幻想的な風景を地元の関沢隆さん(55)が手描きで再現。集落独自で作り直した案内図には『野あり花あり情けあり ここはいつでも自然流』のキャッチフレーズを新たに入れた。「自分が好きな桜景色を描いた。毎年桜を見に来る人は増えている。看板で観光客が地元や津南に興味を持つきっかけになれば嬉しい」と関沢さんは思いを話す。なお現在、NHK新潟が中子の桜のドキュメンタリー番組を製作中。来月10日午後5時半、「きらっと新潟」で25分余放映される予定だ。

シリーズ連載・明日へ「震災で深まった家族の絆、『千本の家』で家族を守る」 栄村・広瀬さん  4月12日号
 新入学の野乃美さんは4日、3年の岳人くん、5年の海人くんの2人のお兄ちゃんと元気に栄小学校へ向かった。入学式では、今年度のPTA会長の広瀬健一さん(44)がステージに上がって新1年生を歓迎した。野乃美さんは、ちょっと笑った。いつも一緒のお父さんが、スーツ姿で挨拶していたから。

 今年の1月1日。栄村青倉の広瀬さん家族は、特別な正月を迎えた。「これまでで一番正月らしくない正月でしたね」。長野新潟県境地震で被災し、村内横倉の仮設住宅で暮らし、独自再建のマイホームが完成したのは12月のクリスマスの頃。仕事納めの28日、家族総出で引越し。その慌しさのまま迎えた新しい年。「荷物だらけの中での正月でした」。
 2年前の3月11日の東日本大震災の翌日、12日午前3時59分、震度6強の激震が栄村を襲った。住宅全半壊202棟など全村で被害が発生。国道117号の北沢橋の近くの広瀬さん方。数b離れて両親と健一さん家族の家が隣接。両親が居た昔ながらの家は全壊、リフォームした健一さん方は半壊。両家とも住むことができず、仮説住まいを余儀なくされた。
 
 震災後、健一さんは「とにかく地震に強い家」と再建するマイホームを決めていた。そんな時、栄村が建設を計画した震災復興公営住宅の施工業者に応募した「柱千本の家」の堀尾憲市社長(65)の存在を知る。栄村森林組合勤務の健一さんは、興味を持った。
 『命を守る家』。在来工法の木造住宅の常識を覆す建築方法だった。厚さ10a、幅20a、長さ3bの杉材で面を作りながら組み合わせ、その厚い木材を面的に立ち上げる。すべて柱で作る「柱千本の家」と呼ばれる工法。堀尾社長は工学系エンジニアで、同工法は名古屋工業大で実験済み。「在来工法のように柱が動き倒壊する心配はなく、厚い柱が面で支えるため対震度は相当強い」。さらに耐雪度もあり、木特有の柔軟性が耐雪度を増しているという。使用する木材は家2軒分以上になる。

 家の中はすべて木。「子どもたちはこの階段を気に入っています。いつもここで遊んでいます」。登る角度が低く、幅が広く、クの字型に曲がり2階に通じる。
 震災前。「一緒に暮らせるようにリフォームしたんですが、隣りの昔ながらの家が良いと両親は暮らしていました。この震災をきかっけに家族みんなが一緒に暮らせるようになり、子どものためにも良かったと思っています」。12年前に発病し、次第に足や腰の神経が圧迫されていく難病指定の病気にかかる父・豊八さんさん夫婦が1階、健一さん家族は2階。食事は1階で家族みんなで。「ほとんど皆、1階で過ごし、子どもたちも寝るまで1階で遊んでいます」。

 木が好きで、仕事も木に関係する森林組合に。再建した自宅には、新たに木材を燃料とするペレットストーブを入れた。家全体が心地よい暖かさ。家族の団らんは、そのストーブの部屋に自然と集まる。
 「木の中で暮らすのが夢でした。私もおばあちゃん子でした。子どもたちも祖父母と暮らすことが、いろいろな面でいいと思います。この家、子どもたちが一番喜んでいますね」。
 実は、まだ引越し荷物が借りてある倉庫に入っている。「晴れたら、今度の休みは、また片付けですね」。
                      
写真・家族の団らんは、1階の居間。「子どもたちが一番喜んでいます」
                 (恩田昌美)

十日町市長選 「選ばれて住み継がれる十日町市を」・関口市長  4月12日号
 任期満了(4月30日)に伴う十日町市長選は14日告示、21日投開票で行う。現職で2選めざす関口芳史市長(54)と告示2週間前に出馬表明した不動産業、樋口明弘氏(65)の現職と新人の一騎打ちとなる今回の市長選。関口市長は「選ばれて住み継がれる十日町市」を、樋口氏は「みんながワクワクする街をつくる」を掲げ、後援会や政治団体による集会や街宣活動を行っており、いよいよ14日から7日間の選挙戦に突入する。
 
 関口後援会は告示前の組織固めとして7日、ラポート十日町で千人集会を開き、関口市長は「山も元気、里も元気な十日町市を、次の4年間で作り上げる」と決意。『首をかける』と意気込む中心市街地活性化事業による中央部再生、さらに大地の芸術祭効果を里山再生に結びつける事業などを述べ、全市100支部の総動員体制で再選をめざす。
 
 集会には今夏の参院選に臨む自民・塚田一郎氏、佐藤信秋氏、地元尾身・村松両県議が応援に列席。さらに全国市長会長の長岡市・森民夫市長も激励出席し「十日町市と長岡市は縄文火焔街道でつながる。この縄文文化を世界遺産にしたい。一緒にやろう」とパートナーシップを見せ、「関口さんは私より政治センスがある」と参集者に再選への取り組みを促した。

 関口市長は「人にやさしいまちづくり」を強調。8日開校の十日町小併設の発達支援センター、養護学校ふれあいの丘分校に「専門の臨床心理士、作業療法士を置き、将来的には医師を置き、全国モデルとなる子育て支援を実現する」。さらに小中一貫校の実現により「9年間通して教育できることで、子どもたちはさらに幸せになる」と来年は全市で実施する方針を述べ、子育て・教育環境への取り組みを強調。芸術祭による地域振興、特に中山間地再生では「全国の自治体が見に来て、話を聞きに来ている。これは一つの成功モデル」と自信。同市長は「次の4年間、『山も元気に、里も元気になる十日町』をスローガンに取り組む」と再選への強い姿勢を見せる。

写真・14日の告示前に組織固めの1000人集会を開く関口後援会(7日、ラポート十日町で)

十日町市長選、「30億円あれば働く場ができる」・樋口明弘氏  4月12日号
 昨年から意見チラシを市内配布し、現市政へ問題提起する樋口氏は、先週末から旧郡部を中心に街宣活動。政治団体「十日町を心配する会」(大熊悟会長)と「十日町を再生する会」(樋口明弘会長)で取り組み、9日、樋口氏は松之山の街頭で訴えた。

 「市民文化ホールはいらない、働く場所を作ってほしい、皆さんからの多くの署名が集まっている。30億円という膨大な金をかけるなら、皆さんが笑顔で働ける街を創ろうではありませんか」と文化ホール問題を前面に出す。具体策では、地域資源を活用した起業・福祉施設を提案。「松之山温泉を使ったリハビリ施設を作りたい。長野・教鹿温泉のような施設。厚生連が運営している。ここ松之山でもできる。厚生連も協力すると言っている」、さらに首都圏の老人施設誘致など、具体的プランを次々と表明。「政治がしっかり動いていれば、私のような者の出番ではない。だが現市政はどうか。今の状態は、政治をしてこなかった証し」と対抗姿勢を鮮明する。

 特に県立十日町病院問題を強調。「2年後、魚沼基幹病院開業で十日町病院の看護師の7割が持っていかれる。なぜ我々にそれを知らせないのか」と指摘。さらに限界集落の再生では「この豪雪地は世界的な場所だ。それを逆手に取り、国認定の特区を受け、国の金を引き出し、松之山、松代、川西、中里に究極の無農薬栽培工場を作る。雇用の場となり安心した生活が送れる。30億円はそういう所に使うべきだ」と郡部再生を訴えている。

写真・郡部から街宣をスタートしている樋口明弘氏(9日、松之山で)

10代のまなざし「樋口七海さん」津南が好きです  4月12日号
 3歳違いの姉は空を彩る「あかね」、母という字に思いがこもる「七海」。この空と海を結ぶのが虹。中学3年の弟は「虹至(にじちか)」。親の、子への思いを感じる。学生生活を送る姉と今月28日、EXILE(エグザイル)の東京ドーム・ライブに行く。翌日の29日は、19歳の誕生日。バースディ記念のライブになる。

 「高校1年の時、ファンクラブに入り、毎年、姉や友だちとライブに行っています。ライブの時間は夢の時間です」。
 新年度が始まった1日。津南町森林組合で社会人としての一歩をスタートした。今は仕事がすべてだが、それ以外の自分は「100%EXILE」。28日のライブは、リーダー・HIROの最後のライブ。チームを抜ける。3時間のライブは、熱球的だ。その場に行かなければ体感できない臨場感、一体感。異空間をみんなと共に共有する。「EXILEのライブに行くことが、自分のリセットになり、リフレッシュになっています。それが今の私のエネルギー源です」
ステージのダンス・パフォーンスに魅かれる。リード・ボーカルの脇で踊るダンサー・NAOKIに夢中。今回のライブは1月1日発表され、すぐにチケット予約。幸い2枚入手。姉と行く。友だちも一緒だ。

 『七海』。とても気に入っている名前だ。母なる海がいつも自分の中にある。言葉の響きも気に入っている。自然の雄大さと優しさを感じる自分たちの名前。
 「小さい頃から家族でキャンプなどへ行くアウトドア派でした。保育園の時から苗場山に家族で登り、海や川などいろいろな所にキャンプに行きました」。
 その体験が、『津南が好き』という言葉となって、素直に口から出る。地域の人たちとの交流も好きだ。親が手本になっている。地域のまとまり、一体感を親の姿を通して感じている。

 「津南の人口を減らしたくないですから。なにかリラックスして毎日を過ごせます。それに、私の母校の中津小学校を残したいですから。なにより津南が好きですから」。
 1日からの社会人生活。自宅から歩いて通う。日々変わる残雪の雪形、中津川のヤナギの木がうっすら緑になってきた。自然の変化を毎日感じている。
 
どこまでも続いているよ
夢へとつながる道
苦しみや痛みさえ生きている証だから
いつまでも進んでいくよ
終わりなんてないのさ
叶えていく心に決めて未来へ
EXILE/DreamCatcher

いま一番の気に入っている歌のフレーズだ。 
                     (恩田昌美) 

秋山郷を世界で上映、ベルギーの監督がロケ  4月12日号
 秋山郷が世界デビューする。ベルギーの映画監督のステファン・リベルスキー氏が撮影中の長編映画「東京フィアンセ」(ベルギー・フランス・カナダ合作)のロケ隊20人余が4〜6日、秋山郷に来訪。日本の原風景が残る見倉集落、結東の石垣田、清水川原の観音堂などを舞台に撮影。映画は来年完成予定。日本での公開は未定だが、欧米などで上映。各国映画祭に出品予定で、残雪の秋山郷が世界のスクリーンに映る。

 物語はベルギーの人気作家アメリー・ノートン「イヴでも、アダムでもなく」(07年)が原作。日本人男性とベルギー人女性の恋を描く。秋山郷での撮影シーンはヒロインが突発的に雪山に飛び出し遭難、自然に包まれたなかで溜まった感情を解放する場面。リベルスキー監督は雪山が広がる適地を求め、3年前に秋山郷を視察。製作が決まりロケ地の一つに選出。同監督と交流ある今冬の芸術祭に参加した三田村管弦楽団の森本アリさん(神戸市在住)を通し、かたくりの宿・渡邊泰成管理人が案内役を務め撮影に入った。

 ベルギーでコメディアンとしても活躍、長編作は3本目のリベルスキー監督(58)。今回の作品は2時間余の作品となる予定だ。秋山郷の魅力を「これだけの豪雪地帯に人が住み、里と山の距離が近い。渓谷、森、雪、民家など景観豊かで、小さいエリアに映画に適した要素が集中している。今回の雪山で少女の心の変化が生まれる重要なシーンにふさわしい」と語る。ロケ隊は1ヵ月間日本に滞在。佐渡や群馬、神戸などで撮影を続ける。

 秋山郷の見所を案内しスペイン滞在経験もある渡邊さん(31)は「外国の方は自然と人が共生する世界に関心があります。日本の原風景が残る秋山郷が海外映画に出るのは嬉しい。日本でもぜひ観たいですね」と期待している。

全国初、小学校・発達支援センター・養護学校を一体化、十日町小学校  4月12日号
 障がいの有無に関係なく、子どもたちの健やかな成長をと、十日町市立十日町小学校と市立ふれあいの丘支援学校、市発達支援センター「おひさま」の開校・開所式と入学式が8日、体育館などで開かれた。3施設が一体化した校舎は全国初のケースで、児童生徒や保護者、市教育関係者らとともに新たなスタートを祝った。

 校舎には、十日町小児童(295人)と支援学校(小中学部28人)の子どもたちがお互いに交流できる共有スペース「ふれあい広場」があり、言葉や心身の発達に遅れがある未就学児を主な対象に相談や訓練にあたる支援センターや放課後児童クラブも開室。また車イスで利用できるプールを教室棟の屋上に設けた。

 式典で関口芳史市長は「全国でも初めての共生教育施設として迎えることができた。共生社会の理念にのっとり、子どもたちの発達と成長を図る拠点として愛される施設になってほしい」と話し、支援学校の小林圭介校長に校旗を手渡した。
 十日町小には平成14年から県立小出特別支援学校ふれあいの丘分校が併設。改築に合わせて県は川西高校への移転を検討したが、併設維持を求める保護者らの要望で市立の支援学校として存続した。

県内外の小学校24校から8期生80人入学、県立津南中等校、富山県からも  4月12日号
「夢の実現」を開校理念に掲げる県立津南中等教育学校の8期生を迎える入学式は5日行い、県外を含む小学校24校から80人が入学。吉原満校長は「与えられるのを待っていては夢が実現できない。皆さんはダイヤの原石。磨かなければ輝かない」と自覚を促し、「この学校には夢を実現する最高の環境があります」と緊張気味の1学年に、主要教科の少人数授業や英検、漢検など検定チャレンジ、国内外への研修など教育環境の充実を語った。

 8期生の出身小学校では今回、富山県や新潟市からの入学が見られ、同校の充実した学習環境が広く知られる状況になっている。開校以来、生徒の保護者会が主体となり独自に送迎バスを運行する南魚沼市から今期は昨年の倍の13人が入学し、昨年同様、小千谷市から2人が入学し、さらに広域化が進んでいる。 

 入学式では、浦佐小から入学した横山陽(みなみ)さんが1学年を代表し、「自分で選択した進路。自己責任の自覚を持ち、夢の実現に向け、何事にも果敢に挑戦していきたい」と述べ、津南中等6年間の生活をスタートした。

 1学年の出身小学校の入学数は次の通り。【津南町26人】津南16、外丸5、芦ヶ崎3、中津1、上郷1【十日町市36人】十日町7、西6、水沢6、川治5、東3、千手3、田沢2、吉田2、倉俣1、鐙島1【南魚沼市13人】北辰5、六日町3、塩沢3、浦佐2【小千谷市2人】小千谷1、東小千谷1【栄村1】栄1。新潟市・南青山1、富山県滑川市・田中1。

連載・明日へ「福島・南相馬市から長野・千曲市へ」、佐藤秀夫・由起子夫婦「命が大事」  4月5日号
 東日本大震災で水素爆発を起こした東京電力の福島原発(第一発電所)が大気に放出した大量の放射性物質の影響などで、自宅に住めない福島県民はいまなお約6万人いる。原発から24`離れた南相馬市の佐藤秀夫さん(69)、由起子さん(69)夫婦は、いま、長野県千曲市で暮らす。「津南の美味しくて安全な野菜などを毎月2回ほど買いに来ています」。福島から長野へ。佐藤夫婦は、いま何を思っているのか。

「まだ、こんなに雪があるんですね」。由起子さんは津南観光物産館わきの雪の山を見て笑った。直売所・津南食彩館は、2人にとって「安心安全の食べ物」を確保する大事な場所。「この雪下にんじんが出るのを待っていたんです」。買い物籠いっぱいに求めた。「東京の知り合いや福島から避難している友だちに送るんです。みんな待っているんですよ」。あれから、2年の時間が流れている。

 3月11日午後2時46分。それは、いきなり来た。ちょうど自宅近くの大手スーパーで買い物を終え、レジで会計の最中だった。ドーンという大音響と共に、激しい大きな揺れ。「店の天井や壁が落ちてきた。運よく自分たちの所には落ちてこなかったが、スーパーはめちゃくちゃになった」。幸いけがはなく、すぐに自宅へ。家は海岸から約8`、南相馬市役所の近く。「津波が来る」という情報があり避難したが、幸い海から3`余りを走る国道6号で止まった。だが、津波より怖かったのは、「原発が爆発した」だった。

 「市役所に連絡しても、何も教えてくれなかった。これはもう逃げるしかないと思った」。便りになる情報はラジオだった。原発の爆発後、国は「屋内避難」を呼びかけた。『窓を開けない。水道水を飲まない』。あの時の枝野官房長官の言葉を、佐藤さんは忘れない。『ただちに影響が出るものではありません』。なにを言っているんだと14日夜、着の身着のままで、ラジオで聞いた山形・米沢市の避難者受け入れ所を自分の車でめざした。自宅を出て、山越えの道路に入ると大渋滞。「みんな、避難しようとしているんだと思いましたね」。

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 上杉鷹山の米沢市。避難先は体育館だった。5百人ほどの避難者。3月中旬はまだ冬。支給の毛布だけでは防寒にならない。避難先に入る前、地元保健所で放射線量検査を受けた。「ヒバクシャ扱いでした」。3月14日から3週間の体育館生活は、人の優しさ、助け合いの大切さを痛感する一方で、人の醜さも目の前で感じた。
 「体育館の入口を毎日地元の高校生が雑巾がけして、きれいにしてくれるんです。本当に頭が下がる思いでした」。だが一方で「会社ぐるみで非難してきた民間会社の一団は、支給される食料を何度も列に並び、大量に確保していた。一日おにぎり一個の子どももいるのに、自分たちさえよければ、という感じでした」。避難所という共同生活の運営の難しさを痛感した。「だからこそ、非難するときは集団やグループで行うべきです。個人の力には限界があります。グループだと、役割分担ができ、大きな力となり、他を助けることもできます」。非難生活で得た大きな教訓だ。

 3週間の米沢生活。「いつ南相馬に帰れるのか」、全く先が見えない状態だった。体育館に設置のパソコンで夫婦でよく行った長野県が非難者を受け入れていることを知る。「南相馬市役所に連絡しても必要な情報はなく、役所に頼るのはもうやめようと思った」。4月初め、米沢を後にした。

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 長野市の県職員センターで滞在後、アンズの里で知られる千曲市(旧更埴市)の教員住宅に移った。「自然がいっぱい。ここまでくれば放射能の心配もないだろうと。脇の空き地を耕し、野菜作りを始めていますよ」。長野生活の中で津南町の直売所の存在を知る。以来毎月2回ほど、津南観光物産館の直売所に通う。同所の宮沢金作さんとすっかり顔なじみに。

 長年の教員生活は、夫婦ともに転勤が多かった。退職後、南相馬市の家を4年かけ大幅にリフォームした。オール電化、広いキッチンとダイニングルーム、総2重ガラス窓、幅1bの廊下と階段。「余生をゆっくり暮らそうと考え、全面的にリフォームしたんです。その直後の原発事故。あの除染作業を見ていると、帰る気はしません」。放射能汚染の除染は多くが人海戦術。民家の屋根に上り、放水か雑巾で拭くだけ。表土は水で流すだけ。「あんな除染で、本当に元のきれいな南相馬になるんでしょうか。公表されていませんが30`圏内でかなり線量が高い場所がまだかなりあるようです。役所の発表は誰も信用していません」。元請の大手ゼネコンが4次、5次孫請けに出している除染作業の実態を知っている。

 先日、こんな連絡が東京電力から届いた。「30万円出すから帰ってほしいというんです。除染費用らしいです。命が大事か、自分の家が大事かです」。長野行きは、由紀子さんの一言で決まった。『家より、命が大事だよ』。退職金をつぎ込んだマイホームは捨てた。

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 佐藤さん夫婦は、いま強く感じている。「何が大事なのか、ということです。あの震災を経て、人としての原点に戻ったように感じています」。
 いま、福島原発から30`内外圏の住民に、医療機関などから多くのアンケートが届いている。健康状態のアンケートという。「私たちはモルモットになっています。原発事故により放射性物質の拡散が、人にどう影響を及ぼすか、そのデータ取りです。それでも国は原発を再稼動し、さらに原発増設まで考えています。この国は、何を考えているのでしょう」。
 先月29日。久々に津南を訪れた佐藤夫婦。「きれいな空気と水、最高の財産です。津南はずっとこれを守ってほしいですね」。春の山菜が直売所に並ぶの楽しみにしている。
                     (恩田昌美)

写真・津南の直売所で雪下にんじんを求める佐藤さん夫婦(3月29日、津南食彩館で)

十日町市長選、再選めざす関口芳史市長「新たなチャレンジの十日町」  4月5日号
 任期満了に伴う十日町市長選は今月14日告示、21日投開票で行う。現職で再選めざす関口芳史市長(54)は、全市97支部を持つ後援会が主体となり活動を本格化させている。一方、告示2週間前に出馬表明した新人で不動産業代表、樋口明弘氏(65)は、2日に正式表明し、改築される十日町病院のあり方や文化会館ホール建設への問題点を指摘し、現職との対抗軸を示している。市長選は両氏の一騎打ちが濃厚で、同時選の市議選と共に、十日町市は21日の投票日まで選挙一色となる。


 関口市長は29日、報道機関の要請による記者会見に臨み、市長選出馬への姿勢や選挙戦での公約を表明した。「十日町市にとって、これまでにないチャレンジになっている」と、任期をまたぐ事業となる中心市街地活性化事業や子育て支援、中山間地支援事業、新規就農など産業起こしへの取り組み姿勢を強調した。
 「中心市街地事業は首をかけてやる。靴屋が戻ってきたり、若者の集いの場となる店も開業し、変化の兆しを嗅ぎつけ、商人が動き始めており、この事業が呼び水になることを期待し、人の流れを作り出す」。

 一方、争点の一つ新十日町病院問題では、「泉田知事や県病院局と協議を続け、安心安全の拠点づくりを進める。(魚沼基幹病院との関係から)高規格道路の重要性が増し、今夏の参院選がポイントになる。八箇峠から先、十日町インターへの絵を描く」と決意を語る。さらに文化会館ホールは「市民に役立つものは新しくする必要がある。市内公民館は年間6万人が、市民会館だけでも2万人が利用。文化ホールの活用でさらに十日町は元気になると確信している」と話す。

 県や市町村共通課題の医師や看護師確保では、「医師不足の厳しい状態は脱していると思う。看護師確保のためにどうすべきか。問題意識を共有し、市としても動く。(新十日町病院の運営母体は)県は十日町病院に関しては必ず関与すると言
みっている。受け手が決まらないうちは県立でやることになる」と当面は県が関わる形態で運営が継続される方針を示している。なお、関口市長は4年前の前回同様、近く政策マニフェストを発表する。

写真・再選に向けて政策などを表明する関口芳史市長(3月29日、関口事務所で)

十日町市長選、新人・樋口明弘氏「政治は結果。指導性を問う」  4月5日号
 新人の樋口明弘氏は2日、記者会見で出馬表明した。冒頭、「あの下島地区は私が95%作った。年間数億円という固定資産税が市に入り、千人規模の雇用を生み出している。形にできなければ政治じゃない」とこれまでの市政のあり方に疑問を投げかけた。

 特に、最大の問題として上げたのが市民文化ホール。「30億円かけて作るという。そんなお金があったら、皆が楽しく暮らせるために使うべきだ。今の市政からは限界集落のげの字も聞こえてこない。周辺部の皆さんは、我々は捨てられたと思っている」と話した。

 新十日町病院問題では、心筋梗塞で救急搬送された経験を話し、「新設される魚沼基幹病院は医師80人、看護師250人が必要という。どこから集めるのか。十日町病院からでしょう」と医療スタッフ対応への取り組みの必要を強調。さらに、「厚生連でいくはずだったが、十日町市は2年間動かなかった。その結果が今の状態だ」と指摘し、再度、厚生連との協議の必要を強調している。

 政策では、豪雪地の特性を逆手に取り「特区指定し、限界集落を国の資金導入で無農薬野菜の水耕栽培工場を作り、全国のモデル地域にする。キナーレとクロス10を5百人規模のファッション系大学を作り、ヨーロッパのファッションブランドを買収した産業起こし。南雲原にLNGの火力発電所建設し、ほくほく線で燃料輸送など19項目の政策を発表している。

写真・出馬表明する樋口明弘氏(4月2日、サンクロス十日町で)

10代のまなざし「内山幸神くん・津南小学6年」ヒップホップダンス、最高に楽しい  4月5日号
 マライア・キャリーやマイケル・ジャクソンなど世界的アーティストのバックダンスで一躍、若者の間に大流行したヒップホップダンス。日本で有名なのはエグザイル。若者の間では知らない人はいないほどだ。そのヒップホップに挑戦している。
 「お母さんの友だちがヒップホップダンスをしていて、小学2年の時に見に行ったんです。あ、かっこいい、自分でもやってみたいと。それからずっと十日町にあるそのスクールに通って練習しています」

 スクールは、5年ほど前から十日町サンクロスを会場に開いているDSS(ドリーム・サンシャイン)。当初、数名だった小中学生も今では百人に上るほどに。それほど子どもたちに人気を広げている。ビートの効いた音楽を流し、細かなステップと流れるようなブレイクダンス。
 「とっても楽しい。難しいフリほどやってみたいという気がおきてきます。毎月、どこかのイベントでステージに立っています」
 昨年11月。千手中央コミュニティーセンターでの発表会で、初めてセンターに立って踊ることに。ソロダンスもあった。しかしその前日、学校で跳び箱に失敗し左手親指を骨折。それでも包帯をしっかり巻いて出場、踊り切った。
 「すごく痛くて、終わったらすぐにまた病院にいきました。でも最後まで踊れてよかった」

 夢はもちろんダンサー。中学に進んでからもさらに練習を積み、将来は本格的なヒップホップダンサーになりたいという。今、あこがれているのは、マドンナなど世界的スターの専属ダンサーを務めた経験があるケント・モリ。
 「長岡のワークショップでケント・モリさんと一緒に踊ったこともあるんです。すごくかっこよかった。感情を出して踊っているのがすごいと思います。ボクも指の先までとか、細かなところまでしっかりしながら踊れるようになりたいと思っています」
 小学校では吹奏楽部でドラムスを担当。自宅にもドラムセットがある。リズムを体感することでダンスにも生かせるという。
 「指を骨折した時に発表会があり、スティックを左手に結び付けて叩きました。ドラムも面白いです」

 5月のゴールデンウィークから今年の本格的なステージ活動が始まる。春まつりや地区の行事など様々なイベント会場に出向き、ダンスを披露する。月1回ほどあるという。
 「大勢の人の前で踊るのはとっても楽しいです。うまく踊れたときはスカッとします」
 

生き方の原点・映画「風の波紋」、津南で小林茂監督が  4月5日号
 「地に足を付けた、自然と共にある生活とは何かを映像にしたい」。2年前から豪雪地の津南町、十日町市、上越市などの豪雪地の住民にスポットを当てたドキュメンタリー映画「風の波紋〜雪国の村から」(仮)を撮影中の小林茂さん(58、長岡市在住)。来年の完成をめざし先月末に津南町でロケを行った。小林監督は「人は独りでは生きていけない。住民同士の繋がり、心の豊かさが残る豪雪地の生活を次代に映像として残したい」と話している。

 下田村(現三条市)出身の小林監督。同作は宮沢賢治の童話『雪渡り』に着想を得て、雪国で暮らす住民の日常生活を記録。農業人口の激減、少子高齢化、地震や水害など災害が続く豪雪地を「日本の現代におけるすべての問題が集約されている地」と捉える。さらに「3・11以後、当たり前は当たり前じゃないと改めて気付かされた。生活を見つめ直すチャンスが今。災害があっても負けず、自然と共に暮らす生活が残る豪雪地の住民を撮り、地に足を付けた生き方の原点を表現したい」と構想を話す。今回は町なじょもん館雪原で地元児童10人余の雪渡り(凍み渡り)、さらに童話にある『子狐の幻灯会』をイメージしたシーンを撮影。映画導入部で使う計画だ。

 小林監督は世界で賞賛された長編ドキュメンタリー「阿賀に生きる」(92年)の撮影を担当、日本映画撮影監督協会第1回JSC賞を受賞。監督として重症心身障がい者の生活を描いた「わたしの季節」(04年)で文化庁映画大賞、毎日映画コンクール記録文化映画賞など受賞。今回の「風の波紋」は6作目。11年前に脳梗塞で倒れ、現在は透析治療を受けながら撮影を続けている。
    ☆
 映画製作資金のカンパを求めている。一口5千円。郵便振替口座00550|3|25169、北越銀行殿町支店・普通・635839。「小林茂の仕事」Oタスケ隊。連絡先は同隊・目黒秀平さんрO258(36)6323。

デフパペ津南公演、魔術的な世界に引きつけられる  4月5日号
 ◎…アフリカ・ナイジェリアの作家、エイモス・チュツオーラの原作「やし酒飲み」の魔術的で自由奔放な世界を人形と人がコミカルに、時にはミステリアスに演じるデフ・パペットシアター・ひとみの「森と夜と世界の果てへの旅」の津南公演が30日、津南町文化センターホールで開かれ、親子ずれなど2百人が、真っ白の舞台で赤や青に場面し、次々に登場するユニークな人形が展開する演劇に引き付けられていた。

 ◎…このデフパペ劇団は、耳の不自由な人と一般聴者が作る人形劇団で、あの」ひとみ座」のグループ劇団。今回の作品は、同劇団結成30周年作品。これから本格的に全国上演に回る作品で、津南で先行上演された。やし酒が大好きな主人公が亡くなったやし酒造りの名人を、あの世に訪ねて行くストーリー。道中で様々なユニークなおばけと出会い、なんとか再開する。参加した小学3年生の女の子は「変なおばけがいっぱい出てきて面白かった」と、終了後におばけと記念写真と撮っていた。劇団メンバーは同日夜のニュー・グリーンピア津南でのスカイランタンにも参加し、「すごーいきれいだね」と感嘆の声を上げていた。

写真・雰囲気たっぷりの世界を演じるデフパペメンバー(3月30日、津南町文化センター)

2013地域課題を探る栄村議選の行方」震災で問われる議員・議会  3月29日号
「まさか、定員割れ?」と懸念が広がっていた栄村議選は、新人複数の出馬が確実となり、選挙戦突入となる見込みだ。背景には長野新潟地震後の議会、議員の震災対応への不信感が内在していると見られる。「震災後、議員の動きが全く見えなかったし、行政の後手をしっかりチェックできていない。被災地の議員としての自覚が不足している」と厳しい声が聞こえる。昨年10月、震災復興計画が完成し、復旧から復興への取り組みが重要視されるなか、村民からは「村長の言葉もあいまい、それを指摘できない村議は何をしているのか。村民代表をもっと意識すべきだ」と改選期が迫るにつれ、厳しい声が増している。

 今月22日、村議選説明会が開かれ、定数12に対し、候補未定を含む13陣営の関係者が出席。11人の現職は全員が再出馬の方針だが、選挙準備は多くの現職がノータッチ状態だった。説明会後、「候補未定」の関係者は津南新聞の取材に対し「今月中に具体化する」と、31日の地元地区総会などで決定するものと見られる。

 現職の顔ぶれは1期議員6人、2期1人と定数の半分以上を占める。4年前の改選を思い出す50代の男性は話す。「フレッシュな顔ぶれになり、何か変えてくれると期待したが、この4年間を見ると期待外れの印象だ。議会全体に言いたいが、震災での村議の動きが見えなかった。作った復興計画をどう進めるか、村民が何を求めているか、もっと議会や議員が村民の中に入り、生の声を聴くべきではないのか」と厳しい。

 一方、70代の男性は、震災後の行政対応に疑問を抱く。「村議も被災者だが、村民の代表だ。後手後手で動かなかった行政に対し、議会はどう働きかけたのか。人材不足なら県からもっと派遣を受け入れ、復興に積極的に取り組むべきだ」震災復興への取り組みを今度の村議選で検証すべきと話す。あるいは50代の女性は「村議は大変と思うがそれが仕事。村議選の無投票は良くない。もっといろいろな人が出れば『さすがあの栄村』と、さらに被災地の知名度が上がるのでは」と、さらなる新人の出馬を期待する。

 現状は、志久見川沿いの東部地区に複数の新人の動きがあり、近く具体化する見込み。一方、議員1人が辞職した秋山郷地区は、現状のまま現職1人の出馬になりそうだ。さらに白鳥地区で動きがあるが具体化は微妙。村中央部の森地区には待望論があるが、具体化は難しい情勢だ。一方で、「もっと女性が出てほしい」の声が聞かれる。現状は共産の現職1人。「栄村は女性でもっている」との声もあり、待望論が高まっている。同村議選は4月16日告示、21日投開票だ。

写真・4年前の前回の村議選の様子

津南町、保育園統合で2園に再編、検討委員会が答申  3月29日号
 「将来保育園は2園に再編を」。少子化で定員割れが続く津南町の保育園の適正規模、保育行政を考える「保育園等のあるべき姿検討委員会」(委員長・杉浦英樹上越大准教授)は21日に第7回会合を開き『現状の7園を段階的に2園に再編』と明記した答申書を策定し上村町長に提出。答申を受け町は具体的な再編計画など決める検討委を新年度に立ち上げる方針だ。

 委員は保育園保護者、地域代表、民生児童委員、現役保育士など25人。昨年9月から会合を重ね、上越市の大規模保育園視察なども実施。年齢に相応しい遊びと学びのため、異なる年齢が共に過ごす混合保育の解消を重視し『1園当たりの入所児童数は百名程度が望ましい』と適正規模を判断。2園への統廃合を促し、うち1園は子育て支援センターや一時保育、学童保育所などと併設した多機能児童福祉施設の検討など提言。さらにニーズが高まる居残り保育の30分延長、土曜保育の全日実施、各園に若手職員育成を担う指導保育士配置など盛り込んだ。

 町内7園は総定員460人。平成24年度は入所園児235人で、入所率は平均51・1%。うち最小は外丸37・5%、最高のひまわり71%。混合保育は園児減少により5園で4・5歳児を1クラスとしている。一方で1年間の出生数は60人余。進む少子化を受け杉浦委員長は「小規模園はアットホーム等のメリットはあるが、周りの仲間が少ないのは社会性を鍛え、自然な遊びを通し学ぶことが困難。今回の検討委は7園を2園になど方向性を出した。再編は組織再編を含めた様々な観点から考えるべき」と指摘する。

 施設の老朽化も進み、7園中4園が築25年以上。最も古いわかばは築33年の新耐震基準前の施設で、耐震検査は未実施。比較的新しいひまわり・こばとでも築16年。一方、6年前に休園した三箇、津南原は未だ活用方法は具体化せず、遊休施設のまま。再編による統廃合は、将来の空施設活用も同時に検討する必要がある。

新組合長に滝沢完治専務、津南町森林組合、小林組合長は退任  3月29日号
 7代目の組合長は津南町森林組合の歴史そのものの人。任期満了に伴う理事改選で25日、新組合長に滝沢完治専務(64)が就任。滝沢組合長は昭和42年の同組合設立時からの職員で、組合46年の歴史と共に歩む「根っからの津南町森林組人」。滝沢組合長は「歴代の組合長が築いてきた歴史をしっかり引き継いでいきたい」と語る。

 滝沢新組合長は、平成7年3月まで常勤組合長を務めた山田佐内氏(平成13年3月非常勤組合長退任)以来、18年ぶりの常勤組合長。同組合長は6年前から代表専務を務め、日本食研ホールディングス担当など組合運営を担ってきた。
「津南町森林組合の屋台骨は食品加工。これまで以上に日本食研ホールディングス様との信頼関係を築き、さらに取引を伸ばしていきたい」と話す。
 滝沢組合長は、新年度事業として新潟県内の森林組合では初の取り組みで、全国から関心が集まる「カーボン・オフセット」(co2排出量取引)に本格的に取り組む。新年度には新たに「KEENジャパン」(伊藤忠商事子会社)との提携が決まっている。先月1日には連携協定を結んでいる。

 滝沢完治(たきざわ・かんじ)組合長=昭和23年12月8日生まれ、県立津南高卒。昭和42年の津南町森林組合設立時に就職。組合業務全般と担当し、平成7年から常務理事1期、同19年から代表理事専務。津南町寺石、64歳。

 国際的な食品安全認証「FSSSC22000」の取得に、津南町森林組合は3年計画で取り組む。24日の第46回通常総代会で小林三喜男組合長が明らかにした。同認証は同組合の最大取引相手、日本食研ホールディングスが昨年取得した認証資格で、食品業界では安全基準の最高ランクとされる。同組合では日本食研のアドバイスを受けながら、3年計画での取得をめざす。

 同組合の前年度総取扱高は約22億6410万円。日本食研との取引高は約11億6千万円で、同取引含め新年度の食品部門は14億5千万円を目標にしている。このため新たに5人の職員を増員し、さらに専任理事として前年度まで参与を務めた涌井九八郎理事が日本食研の担当理事に就任した。新年度は、日本食研との連携をさらに深め、総取扱高24億4千万円を目標にしている。

 総代会では、今期で退任する小林三喜男組合長が最後の挨拶をした。「大沢会長の英断で津南町に営業所を開設していただき、貴重な雇用の場になっている。さらに年間5百人の社員を全国から津南研修に送り込み、地域経済を後押ししてくれている。大沢会長と約束した『日本一の森林組合に』という目標に、さらに邁進してほしい」と後進への期待感を込めた。小林組合長は25日朝、同組合全職員に挨拶し、花束と大きな拍手を受け、新組合長の滝沢完治氏とがっちり握手を交わし、参与・理事・副組合長・組合長を連続12年務めた組合を後にした。

 新理事・監事は次の通り(◎は新任、無印は再任)。理事=大口友一(米原・66)、涌井義男(割野・69)、中澤幸男(上段・75)、山田龍一(結東・61)、草津進(赤沢・64)、◎涌井九八郎(相吉・63)、◎桑原高三(十二ノ木・76)、◎高橋誠一郎(小島・59)、◎桑原幸司・73)、滝沢完治(寺石・64)。監事=清水迪男(田中・70)、◎根津長徳(陣馬下・61)、◎小島隆夫(芦ヶ崎・65)

10代のまなざし「石澤真琳さん・津南中2年」もっともっと交流を  3月29日号
 なごり雪なのだろうか、3月下旬というのに雪が舞った。再び秋山郷にもうっすらと白銀の世界が広がった。毎日、1時間をかけバス通学。まだ中学2年、高校進学後も自宅からの通学は続く予定だ。
 「いろいろ不便なことはありますけど、育ったこの地は好き。一度は都会に出るかもしれないけど、いずれは戻って来たいです」
 中津小学校大赤沢分校の最後の卒業生2人のうちのひとり。
 「3年生の時からずっと2人だけだったんです。それが当然と思っていたので、違和感などありませんでした。週に2、3回は本校に行っていましたし。ただ、中学に入学したら、確かに生徒が多いと感じました」

 大赤沢には高齢者も多い。小学校までおじいちゃんたちもいた。胸の底に、そんな高齢者への思いもあったのだろう。
 「昨年度のオリエンテーションで生徒会の奉仕委員会の紹介を聞き、人助けできるんだなあと入ったんです。年に数回、みさと苑に行って、入居者とレクリェーションや一緒にお菓子づくりなど行っています。うれしそうな顔に接すると、こちらまでうれしくなります」
 お年寄りの知恵に感心した。忘れられないのがお菓子づくり。牛皮やレーズン、リンゴなどの材料をうまく使って上手に作っていくおばあちゃんの技術。まったく知らなかった手づくりのお菓子が出来上がった。
 「とってもおいしかったです。上手に作るのでびっくりしました。いろんなことを知っているんだなあともいました。昔の遊びも知っているし、もっともっと私たちの世代が交流して、そうした技術や遊びを継承していかなくてはならないのでは、と思っています」

 奉仕委員会では福祉施設への訪問のほか、募金活動も行っている。恒例になっているのが赤い羽根、緑の羽根の校門募金活動だ。
 「なかなか目標に達成しません。そうした反省もあって、『積極性を出そう』『あいさつでは大きな声を出そう』など、基本的なことをちゃんとやっていこうとメンバーで話し合いました。さらによりよい委員会にしていきたいです」
 絵を描くのが好きという。イヌやネコなど、特に動物が。奉仕活動も絵も、自身の内なる優しさに通じているのかも知れない。
 「津南町も少子高齢化が進んでいると聞いています。仕方ないことなのかもしれませんが、年代層での触れ合いがどんどん少なくなっているようで心配です。今度、福祉施設入居者の絵を描いてみようかな」


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