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2012年07月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
大地の芸術祭開幕、里山に360作品  7月27日号
 世界44の国と地域から334組のアーティストが参加する第5回大地の芸術祭は29日開幕。9月17日までの51日間、越後妻有の里山、市街地などで作品展開する。総合ディレクター・北川フラム氏は「21世紀型の美術は、社会と人間の関係を問う美術が出てくる。50年後、ここ越後妻有が21世紀の美術の新しい流れを作った地として、大きく注目されるだろう。だから、世界的なアーテイストがこの地を求めて作品作りに来ている」と、越後妻有が世界的な関心を集める地域になっていると述べる。
 
 3年に一度開催の大地の芸術祭。十日町市と津南町地域の旧6市町村エリアで2000年の第1回芸術祭からの作品が中山間地や市街地で360作品が展開する。豪雪で倒壊した松之山・浦田のオーストラリアハウスは、同国大使館の全面協力で再建し、今回の災害復興のシンボル。拠点のキナーレは越後妻有里山現代美術館に生まれ変わり、JR飯山線・下条駅に「茅葺きの塔」、越後田沢駅に「未来への航海」の作品展開する。

 一方、「東アジア芸術村」が出現する津南町は、前回を上回る24作品を設置。上野では前回設置の公民館を活用したレジデンス・ハウスで「ドラゴン・カフェ」を地元お母さんたちが店開き。初めて町中央部でも作品設置。その場で「大地の市」を毎週末開き、太鼓演奏などのイベントも計画している。

写真・巨匠ボルタンスキーの作品(十日町キナーレで)

連載・芸術祭がやって来る「校舎が交流の場、三省ハウス」
 校舎2階への階段踊り場の窓から、眼下に小谷集落の家並みが見え、目を上げると真正面に黒姫山が見える。飛田晶子(33)は、ここからの眺めが好きだ。

 大学の美術学部3年の時、「友だちに誘われました」、初めて越後妻有を訪れた。2000年の第1回大地の芸術祭。作品制作の手伝いや期間中の裏方仕事など担当する「こへび隊」に参加。2回、3回と妻有に通った。06年、3回目の芸術祭終了後の10月、松之山・小谷集落に移住した。「東京で暮らしていて、考えさせられました」。
 いま、木造校舎が宿泊施設になった松之山・小谷の「三省ハウス」。NPO越後妻有里山協働機構が運営し、飛田は、その管理責任者として働き、芸術祭準備で忙しい日々を送る。

 松之山・三省(さんしょう)地区は小谷、水梨、大荒戸の3集落。戸数59、最盛期の半分以下。1989年(昭和62年63?)、地域の拠り所、三省小学校が114年の歴史を閉じた。最盛期は247人の在校生がいた。閉校後、校舎活用を考えた地元。出身者の協力でTV紹介され、全国から70余の申込みがあった。

 決まったのは東京で調理や製菓、ビジネススクールなど専門学校4校を経営する学校法人。閉校の2年後、セミナーハウスとして再出発。教室が2段ベットの宿泊室になり春夏、新入生百人以上が宿泊。地元お母さんたちが賄いし、食材は地元調達。13年続いた。
閉校時の在校生7人に我が子2人がいた卒業生・相澤正平(61)は、地区役員として松之山町議として、三省小学校の変遷を見てきた。
 「校舎を福祉施設や農産加工所にしようと話し合ったこともあった。専門学校の後に芸術祭の話しがきた。賄い経験があるお母さんたちがいたので、すんなり移行できた」。専門学校時代、地元の経済効果は年間7百万円ほどあった。「芸術祭で使うことが決まった時、地元との関係を大切にしてほしいと要望した」。三省ハウスは食材の大部分を地元農家から仕入れ、賄いお母さんたちの協力を受ける。
 水梨生まれの卒業生、相澤俊子(64)は、学び舎の思い出を抱きつつ、手作り料理に精を出す。「芸術祭をきっかけに、また学校がよみがえった。自分が通った小学校で働けるなんて、考えても見なかったこと。嬉しいですね」。

 これまでの芸術祭で作品展開した、住民全戸が名前を刻み焼いた器作品「名前蔵」(リンダ・コヴィット、カナダ)、小谷集落18戸にラトビアの作家、アイガルス・ビクシェ製作の家具などを今回、三省ハウスに展示。さらに「おてんとさまと+あしあと」(木村崇人)を体育館で作品展開。子どもたちの等身大写真を太陽を使って焼き付けた。

 昨年の東日本大震災。芸術祭事業で昨年から始めた「林間学校」に昨夏、被災地東北の子たちを招いた。今月31日、再び東北の子たちがやって来る。

 通年営業の三省ハウス。芸術祭期間以外にも訪れる人は多く、真冬にも来る。
 「いろいろな方が来られます。まさにハウスです。大きなお家です」。家族連れも多い。「お父さんは図書室へ、子どもは体育館やグラウンドで遊び、お母さんはここで知り合ったお客さんとティータイムなど、ここに来られた方々が自由に、思い思いの時間を過ごすハウスです」。
 三省との関わりも深まっている。「地元の人たちが毎日、上り下りする坂道を、訪れた人たちが行き来し、途中で会うと会話が始まります。ここに暮らす人たちの日常の中に、訪れた人たちが『包まれている』、そんな感じです」。

 広い食堂ラウンジが、ちょっと自慢だ。料理する地元の人たちの姿が見える。自然に会話も弾む。
 「この地に来て、驚き、感動し、感じたことは、自分の感性として持っていたいです。それが、大切なように思います」。芸術祭で生まれ変わった三省地区。芸術祭は人も、地域も包み込み、さらに地域の自然が、すべてを包み込んでいる。
(敬称略)
 「芸術祭がやって来る」は恩田昌美が担当しました。

【松之山エリア】ブナ美人林わきに市立里山科学館「森の学校キョロロ」で森の仲間たち、旧東川小ではクリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマンの「最後の教室」、下蝦池には塩田千春の「家の記憶」、上島にアリーナ・アブラモヴィッチの「夢の家」、豪雪で倒壊したオーストラリアハウスが浦田に再建など人気作品が多い。松之山エリアには45作品ある。

震災復興住宅の入居、いせん疑義が、ようやく条例化を  7月27日号
 昨年3月12日の県境地震で民家など全半壊202戸の大きな被害が出た栄村は、国の震災復興交付金事業などで住宅を失った被災者が入居できる震災復興住宅(災害公営住宅)建設に取り組み、今月2日着工、年内降雪前の入居をめざし、建築工事が進む。同復興住宅入居をめぐり、村と議会、村民との間で認識の溝が埋まらず、村は来月2日までに災害公営住宅の設置条例案をまとめ議会に示す方針。同意後、村は正式な入居募集を行い、中旬までに入居者を正式に決める方針だ。震災から1年5ヶ月が過ぎ、ようやく震災復興住宅の入居者が決まることになり、村民からは「村も議会もこれまで一体何をしてきたのか。被災者が安心して暮らせる家が出来て、ようやく復興への一歩が踏み出せる。余りにも遅すぎる」と取り組み姿勢を批判する。

 災害公営住宅震災は森、青倉、横倉、小滝、月岡、野田沢、大久保、北野に31世帯分18棟(1棟1世帯、1棟2世帯の2タイプ)を建設。総事業費は約8億1千万円。長野県住宅供給公社が建設し、同額で栄村が買い取る。災害公営住宅は国が定める公営住宅法に準じるが、震災被災者の入居条件があり、「住宅滅失者(全壊、半壊で家を解体)」、「住宅困窮者(借家・アパートが被災し住む家がない)」に限定され、さらに公営住宅同様に「一定の所得以下」の条件が課せられる。ただ、所得条件は、自治体の判断で入居資格に含まない場合があり、現在の栄村営住宅条例には、所得条件はない。

 栄村では、従来の村営住宅条例、国の公営住宅法を災害公営住宅には適応できないため、新たな「栄村災害公営住宅設置管理条例」を作り、入居基準など管理運用を決める。ただ、この災害公営住宅は震災発生後、3年までに、4年目以降は一般の公営住宅となる。同村の場合、同住宅入居が今年11月になる見込みで、実質的は同条例の適応は1年3ヵ月余となる。

 この条例制定の方針は24日の村議会臨時議会後の全議員協議会で説明した。条例案は来月2日までに議会に示し、同意後、復興住宅の正式な入居者募集を行う。その後、復興住宅を建設する集落区長からヒアリングを行い、これを参考に最終的には島田村長が入居者を決める。村は「集落コミニュテイの維持を前提に対応する」としており、入居基準を満たしていないなどの声がある対象者への村の対応に関心が集まるが、村は「国に申請した31戸の入居を前提に取り組みたい」としている。

救急医療を考える、センター化が必要  7月20日号
 十日町・津南地域の救急医療を考える「住民の医療参加促進事業講演会」が20日、クロス10十日町で開かれ、休日救急の当番医が開かれているにもかかわらず県立十日町病院への救急外来が年間1800人余りもいる現状を報告。「休日救急のセンター方式」の必要性を強調した。
 
 「地域救急医療再生を考える」をテーマに、会場には医療関係者ら250人余りが参集。十日町市中魚沼郡医師会・富田浩会長が基調講演を行い、特別講演では県立十日町病院の塚田芳久院長と県立小出病院の布施克也院長、さらに講演した3医師によるパネルディスカッションを行った。
 
 富田氏は「住民の意識調査から見えてきた休日救急診療」をテーマに休日救急の実態を説明。「十日町圏域の昼間の休日一次救急患者は年間約4千人。その約半数が十日町病院で直接受診している。これは十日町病院での2次救急診療に支障をきたすおそれがある。休日救急はやはりセンター方式が望ましい」と指摘。8月中には市とセンター化の具体案をつめて、十日町地域医療連携協議会で検討した後、9月中には来年度からのセンター化試験実施に関する件を発表する予定だ。

  この基調講演を受け、十日町病院の塚田院長は「コンビニ受診は少なくなっているが、医師の拘束時間は月720時間のうち392時間もあり、心休まる暇がないのが実態」などと医師の診療実態を説明。「カルテのIT化でどの医院でも患者の状態が分かるようにつなぎたい。また救急車を病院内に常駐できないかと考えている。この地域の救急医療には総合医が必要だ」と医療体制の強化を強調した。
 

中里の市街地開発も、関口市長が集会で方針  7月27日号
 中心市街地の再開発に取り組む十日町市の関口市長。周辺部でも同様な市街地再開発に取り組む方針を明らかにした。24日、中里Uモールで開いた関口市長後援会中里支部(山本茂穂支部長)主催の市政報告会で、同市長は「国道117号と353号の交差点エリア、Uモールを含めた整備が課題。中里支所、総合センター、Uモールをどう活用していくか地域課題である」と、中里地域における中心地開発への取り組み姿勢を見せ、関心を集めた。
 
 市政報告会は、同後援会が支部単位で開いており、支部役員など150人余が出席。同市長は、「中里地域を重点的に話したい」と、先の天皇皇后両陛下が中里支所で休憩し、10分間を時間を得て、豪雪、震災、法豪雨災害の被害・復旧状況を説明。「中里支所に大変の勲章がついた」と受入れ職員や住民に感謝。芸術祭で越後田沢駅で作品展開され、「芸術祭を通じて、この地への自信と誇りが持てるようになるだろう」と作品誘致の効果を述べた。
 
 信濃川、清津川水問題では、「泉田知事の仲介で南魚沼・井口市長と握手したが、災害続きで必要水量の調査の動きが鈍っている。県にしっかり取り組むよう要請し、東京電力にも要請している」と話し、JR東・宮中取水ダムでは「4年目の来年は変動性流量を行う。今後の流量を決める大事な所にきている」と述べ、JR東が来年、津南に続き中里で「ふるさとの森づくり」植林事業を、清津スキー場周辺で実施し、宮中ダム周辺でも人が集い、親水できる周辺整備、さらにラフティング事業の環境整備などをJRが行う方針を明らかにした。

  同市長は、「里山の生活を求めて、この地に来る人が少しずつ増えている。都会へ、都会への振り戻しが来ている。ふるさとに帰る、この動きが始まっている」と、ふるさと回帰への対応の必要も強調した。

 
 来年4月30日、任期満了を向かえる関口市長。市内に90支部を組織し、支部単位で市政報告会を開いている。中里支部の元村長・山本支部長は「合併後、中里地域は、旧中里村における周辺集落と同じように、新生十日町市の中では10分の1に等しい規模。その小さな地区がガタガタしていては、何もできない。不協和が出ては、ますます地域格差を大きくなっていく。議論は議論としても、地域活性化にためには、まとまりがなにより大事だ」と、次期改選への結束を促した。   

 来賓出席の鈴木一郎市議は「1期では、掲げたすべての事業の実現は難しい。2期、3期と行うことで実現し、地域振興に必ずやつながる」と、関口市政の継続の必要性を訴えた。
関口後援会は来月中旬、全市対象の後援会・市政報告会を予定し、来年の改選に向け、基盤を固める。

青色のカエル、数万匹の確立  7月27日号
 ○…「あっ、変わった色のカエルだ」―。津南中等校1年の吉楽志大(ゆきひろ)君(十日町市上山)が23日、自宅裏の畑で青色のニホンアマガエルを見つけた。インターネットで調べると「数万匹から数十万匹に1匹」とあった。同カエルは近く、『めずらしい色のカエル』として森の学校キョロロで飼育・展示される。
 
 ○…動物や昆虫などに興味があるという吉楽君。裏庭の畑からキュウリなどを採っている時に見つけた。体長は2aほど。青色のアマガエルがいるということは本などで知っており、「見た瞬間、これはめずらしいカエルだ」と分かったという。翌24日にキョロロに持っていくと、学芸員らが「初めて見た。とってもめずらしい」と驚き、預かって展示していくことになった。吉楽君は「カエルが長生きして、多くの人たちから見てもらえればうれしい」と話している。

天皇皇后両陛下、被災地を激励  7月20日号
 県境地震の被災地、栄村や津南町、十日町市を19日、天皇皇后両陛下が激励視察した。新幹線で越後湯沢駅に降り立った両陛下を大庭新潟県警本部長、村山湯沢町長、田村議長が出迎え、専用車で国道353号から同117号へ。沿道の住民らに車窓から手を振り応えた。栄村では長野・阿部知事や島田村長が出迎え、同村の被災者が暮らす横倉仮設住宅で被災住民らと直接懇談し、仮設住まいの被災者を激励した。
 
 両陛下の被災地訪問は当初、夏頃に訪問の意向だったが延期となり、12月3日に具体化。だが両陛下の健康上の理由から再度延期。ようやく今回、被災地訪問が実現。十日町市中里支所での休憩では、関口市長、小堺議長が出迎え、津南町では役場前で上村町長が出迎え、そのまま栄村へ。役場前で車から降り立った両陛下は集まった住民に手を振って応えた。役場内で被災状況の説明を受け、昼食会は両陛下が招く形で知事、村長らと会食。料理は地元の吉楽旅館のオリジナル料理が用意された。

  被災者111人(北野含む)が入居する横倉仮設住宅では、入居者に声を掛けながら歩いて懇談会場の集会所へ行き、被災者代表2人、栄村消防団長、NPO代表3人と懇談した。両陛下はこの日、湯沢駅から帰路に着いた。津南町役場前の国道で出迎えた丸山さん(54)は「手を振っていただき感激です」と興奮していた。

三宅選手、メダル期待、津南で練習、支援金贈る  7月20日号
 今月27日開幕のロンドン・オリンピックに、アテネ、北京と3大会連続で出場のメダル候補、女子重量挙げ・三宅宏実選手。7年前からニュー・グリーンピア津南を練習拠点にしており、18日、同津南の経営する津南高原開発・松崎和秋社長が五輪前の練習場、国立スポーツ科学センターを訪れ、津南町と副理事長を務める光善会、同社の3団体を代表し、激励金を手渡した。三宅選手は、日本代表の3選手と共に「津南の皆さんのためにも頑張ります」と笑顔を見せた。

  東京の同センターは関係者以外は入れないが、父でコーチの三宅義行監督、ナショナルチームの篠宮稔コーチなどが迎えた。NGP津南は三宅選手らのために練習器具の整備を行うなど全面的に支援。昨年も練習に訪れた三宅選手ら日本代表は整備された練習器具や「食事が最高です」など練習環境を高評価している。

 同センターを訪れた松崎社長は「津南の皆さんはじめ、全国の人たちが応援しています」と激励。三宅選手は「頑張ります。大会後、津南へ報告に伺います」と松崎社長とがっちり握手。同選手は練習で自己ベストを出すなど好調で、ロンドンでの活躍が期待される。 

連載・芸術祭がやって来る 「ほっとする」「私たちも元気に」、十日町市「うぶすなの家」  7月20日号
 「夏野菜カレー」が好評だった前回2009年の第4回芸術祭。「今回もカレーなんだって。ひと味違った特製カレーを出そうと思っているんだけどねぇ」。藤巻洋子66)は、昼食タイムが過ぎ、ひと段落して囲炉裏に腰を下し、向かいの小宮山マツノ(61)に話した。

 06年第3回芸術祭の空家プロジェクトで、大人気を集めた「うぶすなの家」。十日町市願入(がんにゅう)にある。かつて24戸あったが今は5戸。中越地震で被災し、解体が決まっていた1924年建築の古民家が、5人の陶芸家(澤清嗣、鈴木五郎、中村卓夫、吉川水城、加藤亮太郎)の作品展開で甦った。
 その年、うぶすなの家がTV「日曜美術館」で紹介されると翌週の土曜日、なんと1440人が訪れた。以降、週末や祭日、地元のお母さんたちが交代で食事提供などしている。

 願入を含む「東下組地区」は7集落ある。うぶすなの家は、国道117号から約5`。深い緑の山あいに田が段々状に点在し、その中の家並みをぬうように道路がくねくねと走る。
市町村合併前、新潟県が中山間地の振興策で打ち出した「里創プラン・越後妻有アートネックレス構想」。越後妻有の6市町村から住民委員が参加し、「大地の芸術祭」の実現を協議した。
その一人に願入の水落静子(53)がいた。2000年、03年と芸術祭が開かれ、願入にとって、あの2004年10月23日の中越地震が契機になった。
 
 翌24日の日曜は、東下組小学校の130周年記念式だった。前日の23日、PTAや青年団、老人クラブなど総出で式典の準備。「あとは本番を迎えるだけ」と帰宅し、台所で夕食の準備をしている午後6時ちょっと前、まさにその時だった。
 突然の、経験したことがない激しい揺れ。幸い家族6人は皆家にいた。「祖母が、なみあむだぶつ、と唱えていたのを覚えています」。震源地は、願入の山一つ越えた旧川口町。わずか3`の距離。この地震で被災し住めなくなったのが「うぶすなの家」、水落丑松の家だ。

 地震から2年後の06年、芸術祭の年。残雪が残る3月。東下組小学校で「東下組を考える会」を開いた。子からお年寄りまで2百人余が集まった。ここで初めて、願入など東下組に芸術祭作家が入り、作品展開する説明を受ける。
 
 「私たちに何ができるのか、最初は分からなかった。でも、『いつも食べている、ごっつぉを食事メニューで出してほしい』と言われ、なんとなくイメージが湧いてきた」。静子は、各集落に声を掛け、「東下組おんなしょの会」を立ち上げる。
 各地区から2、3人が出て、夜ごと集まりメニューの相談。だが、作品「うぶすなの家」作りは手間取った。「私たちが料理準備にうぶすなの家に入ったのは、開幕の前日ですよ」。そして芸術祭開幕。どっと人が押し寄せた。毎日12、13人で対応。「もう、てんやわんや。でも皆楽しそうでしたね」。陶芸家・鈴木五郎のかまどで炊くご飯は、極上の味。「4杯もお代わりした学生さんがいましたよ」。
 家は、芸術祭プロデュサー・福武地域振興財団がオーナーとなり、「おんなしょの会」が週末や祭日、当番制で世話、食事提供する。

  なぜ、こんなにも人が来るのか。喧騒の日々が過ぎ、お母さんらは考えた。「最初の年は地元の人たちが多かった。09年は圧倒的に地域外の人。最初の頃はアートを見に来るのかなと思ったが、訪れる人に聞くと、『この雰囲気が良いですね。また来たくなるんです』と話す人が結構いました」。
この雰囲気、とは。

 今月13日、この日の当番は小宮山と藤巻。昼食時、メンバーの樋口タカ子(62)が顔を見せ、そこに孫を連れた静子も訪れた。
『なぜ、こんなにも人が来るのか』。藤巻が、お客さんから聞いた言葉を話した。「ここに来ると、ほっとする、と言っていたね」。うなずくメンバーたち。「私たちとおしゃべりするのが好きという人もいたね」、「ここの食事が気に入ったという常連もいるね」。次々と言葉が続く。
 いよいよ29日、第5回芸術祭が開幕。「それまでに、特別メニューの特製カレーを作らなくちゃね」、担当の藤巻。何種類ものスパイスを取り寄せ、地元の夏野菜など地物を使った特製カレー。「今回、器が新しくなりますよ。29日にお披露目です。お楽しみに」。

 「この山奥で、多くの人と会え、話ができることは、とっても嬉しいね。自分たちが活気づくし、元気になる。みんなの思いがつながっている、そんな感じだね」。おんなしょたちが顔を見合わせ、うなずいた。
(敬称略)

「事故が起きる前に」、国道405号の歩道整備、県が現場視察  7月20日号
 安全通学の確保を訴える県立津南中等教育学校と地元津南町、さらに国道405号・秋山郷国道整備促進期成同盟会は、「事故が起きる前に早急な対策を」と歩道整備などの道路改良を県に強く要望している。昨年10月、同盟会(吉野徹会長)や地元要望で県が初めて現地視察。これに続き17日、同盟会や津南町の要望で県が再度の現地視察。十日町地域振興局地域整備部の藤塚惣一部長は、「危険性は確認しており、地元の意向を受け取り組みたい」と、道路改良と共に歩道設置の具体化などの地元合意ができた段階で、県は取り組む方針を示した。
 
 この通学区間は、国道117号の大割野中央部の交差点から津南中等前を通り、すでに片側歩道が整備されている東京電力総合制御所付近までの約660b(片側関係地権者25人)。特に交差点から津南中等までが危険地帯だ。同校は在校生433人。朝夕時、幅50a余の狭い歩道をはみ出し、大型車などとすれすれ状態で登下校している。特に冬は深刻。消雪道だが、歩道部分は雪が溜り歩くのが困難。車道での通学を余儀なくされている。
 
 このため今年5月、同校の学生代表と沿線の地区代表の連名で、国道の早期改良と共に歩道設置を、十日町地域振興局を通じて県要望している。
 
 17日の県の現地視察には尾身孝昭県議も同行し、津南中等から交差点まで歩いて現状を確認した。歩道幅の狭さや水路のフタの状態などを見ながら、現地確認した。藤塚部長は「歩道設置は県内各所から多くの要望が出ている。ここは、住宅や商店が連なり、改良整備には費用もかかる。通学の状態は承知しているが、まず地元で改良や歩道の形をまとめることが必要」と地元の意向の集約の必要を求めた。

  同行した尾身県議は、「ますます広域からの通学する学生が増えている。特に冬場はさらに歩道部分が狭くなり、危険性が増す。通学の危険性が同校を志望するネックにならないように、安心して通学できる歩道整備を早急に進めるようにしたい」と述べ、同国道協議会の吉野会長は「地元関係者への説明会を開き、協力を求めたい。早急に地元の意向をまとめ、具体的な取り組みに持っていきたい」と取り組み方針を話した。

 この日の視察は、秋山郷の清水川原、結東などの暗所も現地視察し、安全通行のための早期海改良の必要性を強く訴えた。

市長の一番の仕事は、関口市長後援会が集会  7月20日号
 来年4月末に任期満了を向かえる十日町市・関口芳史市長後援会は、各所で納涼会集会を開き、次期への布石を固めている。13日には松之山地区で開き、柳靖司支部長は「市内79番目の支部として2年前の8月に設立した松之山支部。市内全域が活性化するように、関口市政に大きく期待している」と述べ、出席の後援会員150人と共に市内90支部による来春への取り組みを促した。

  関口市長は、紀子夫人と共に出席し、後援会本部からは青柳本部長、阿部副会長、大海幹事長が出席。同市長は、大雪、県境地震、豪雨災害など市内4千ヵ所に及ぶ災害復旧を抱える実態を報告。さらに災害復旧と共に、風評被害対策で友好交流する全国の自治体、民間団体への割引券配布の成果を話し、「5千円割引券を2千枚配布し、約千5百枚が利用された。もっともっと十日町市をセールスしていく」と誘客アピールを強調。さらに「今年4月、組織変えし、交流先の自治体や団体の担当者を決め、さらに交流密度を高めたい」と姿勢を見せた。
 
 今月29日開幕の芸術祭。豪雪で倒壊した松之山・浦田のオーストラリアハウス。「今回の芸術祭の災害復興のシンボル。これは合併前に取り組んだ芸術祭の大きな財産だ」と、オーストラリアとの交流の成果を述べた。同市長は「お金を作り出すのが市長の一番の仕事。新庁舎は作らない。そのお金は市民のために使う。十日町市は中山間地域の先例として、すでに一歩前に歩き出しているのではないか。この地に残って良かった、どうだ、戻ってこないかという地域づくりをしようではないか」と呼びかけ、参加者の大きな拍手を受けていた。

絶滅危惧種を確認、津南町の下島川、ホトケドジョウなど 7月20日号
 津南の貴重な水生生態がまたひとつ明らかになった。太田新田が水源の船津川。陣場下から「下島川」と名が変わる。この約6`の河川の生態調査を町教育委員会がこのほど行い、ドジョウの一種で希少種ホトケドジョウ(環境省絶滅危惧Tb類)とスナヤツメ(同U類)の生息を確認。「貴重な清流を守ろう」とアピールする方針だ。
 
 下島川は幅120a余、水深30a余。かつては水草のバイカモ(県絶滅危惧U類)が生い茂る清流だったが、帰化植物のコカナダモが増加。保全を図り、住民が駆除を続け、バイカモは守られている。下島川が流れる割野地内はほ場整備工事中で、この機に改めて調査。改めて植物や魚類の希少種が確認され、生態系の保全が望まれる。調査に当たった県自然観察保護員の中沢英正さんは「全国で減っているドジョウやバイカモが残る下島川。イワナも確認した。水深が低く、きれいな水が流れる、昔ながらの環境が維持されている。郷土の自然保全にさらに意識を向けてほしい」と呼びかける。今回の調査結果は町なじょもん館で来月19日まで展示。捕えた魚類など水槽で観察できる。

写真・確認されたホトケドジョウ

米輸出、有機栽培米で差別化、津南町・ごはんが台湾企業と出荷契約  7月13日号
 有機栽培や特別栽培で米生産し、独自ルートで流通販売する津南町の「株式会社ごはん」(大島知美社長)は、7年前から米取引する台湾の商社グループと今期、本格的に米取引することが決まった。24年産米を約50d輸出する取引契約が見込め、新潟県内のコメ流通業者はじめ全国の米流通業界の注目を集めている。特に高級米「有機栽培・魚沼コシヒカリ」の輸出販売が実現し、取引価格は従来のコシヒカリでは最高値となる見込みだ。

 先月27日から30日、台北世界貿易センターで「フード台北2012日本パビリオン・第22回台北国際食品見本市」が開かれ、28の国と地域から1020社・団体が参加。日本パビリオンでは、日本貿易振興機構(ジェトロ)がバックアップし、農産・水産加工品・野菜加工品・菓子・アルコール飲料など国内65社が出品。今回の出品はジェトロの公募選考で出品業者が決まった。

 米は、ごはんと福井コシヒカリ産地のJA越前たけふの2社。出店者ブースで試食提供、販売も行い、ごはんコーナーには初日、地元テレビの取材が入るなど魚沼コシヒカリへの関心が高く、同社が用意した1万枚のPRチラシはすべて配布した。
 
 同社は試食と共に来場の米業者3百社余にアンケート実施。その7割近くが他産地米より「旨い」と回答。これを裏付けるように見本市期間中、台北の流通業者2社と30d、終了後に2社から20dの成約申込みがあり、すでに契約書作成に入り、8、9月、ごはんの生産田を視察する方針だ。

 大島社長は「台湾もブランド志向の時代に入っている。人口2千3百万人の約1万人が超富裕層で、食品への関心が高く、高級米への人気は高い。6年前から関係しているが、劇的に経済が良くなっている。魚沼コシヒカリはさらにブランド化し、その中でも有機栽培への関心が高い。最高の品質、最高の食味を求める富裕層の消費動向がポイントだ」と話している。
 
 さらに同社は、現地の3大商社グループ系の企業と合弁企業設立も進める。それは「台湾で米栽培」の事業化。同グループ会社は、ごはんの米作りノウ・ハウを、ごはんは台湾国内での販売シェア確保、さらに台湾から中国などへの米輸出など、相乗効果を期待している。

 台湾での米流通は、店頭価格(2`袋)で魚沼コシヒカリ800元(約2800円)、特別栽培米1000元(約3500円)、有機栽培米1200元(約4200円)。一般新潟コシヒカリは5百元(約1750円)、台湾米は150元(525円)で、同社提供米が高級米取り扱いになっている。ごはんは来月、台北の高級デパート「ウエイフォン」で試食販売会を開く計画で、さらに消費者の関心を集めそうだ。

写真・台湾のテレビ取材を受ける大島社長(同社提供)

芸術祭がやってくるA 「脱皮する家」十日町市峠、日大芸術・鞍掛准教授、学生と交流 7月13日号   7月13日号
「峠」の文字を刻んだ2百`ほどの石。学生と集落の人たちが一緒に担ぎ、ムラを廻る。来月15日のお盆、松代・峠で祭りがある。賑やかな掛け声が、31戸の集落に響く。

 2006年第3回芸術祭の象徴的な作品となった空家プロジェクト。日大芸術学部彫刻コース教授、鞍掛純一(45)と学生の作品「脱皮する家」。峠にある。

 築後2百年の民家。板張りの広い居間、煤で真っ黒な太い柱、天井板、すべてに彫刻の跡。「家の外観はそのまま。内部をすべて彫ることで、家が生まれ変わり、彫る人間も生まれ変わり、峠も生まれ変わる。一つの形を越えて、訴えてくるものがあるはず」。構想から2年半、中越地震の被災地支援ボランティアを経て、峠に通い、制作した。

 十日町峠。地名の通り、山を越えると上越市。斜面に沿って家並みが点在。今は「星峠」の知名度が高い。集落の山あいに、すり鉢状に広がる棚田。明かり一つなく、満天の星が棚田に降る。そこが日本棚田百選の「星峠」。
 夏の早朝、緑一色の棚田に霧がかかる。幻想的なたたずまい。06年の芸術祭で全国デビュー。写真家のビューポイントになった。
かつて64戸が暮らした。昭和59年に閉校した峠小学校には、子たちの声が響いていた。

 昭和25年生まれの小学校の同級生、山岸公男、牧田信二、横尾武雄の3人は、星峠の棚田で米作りに取り組む。3年前、米販売の「峠農産」を立ち上げた。同地生産の米はすべて『星峠棚田米』。芸術祭や棚田効果を感じている。
「最初の芸術祭と2回目にボランティアで出たが、余り気乗りがしなかった」。だが06年の3回目。日芸の鞍掛ら作家5人が峠で作品展開。「脱皮する家」に通う学生らを見守った。

 芸術祭開幕。山岸は人の数に驚いた。「かつて豆腐屋をやっていたので、家にあったステンレス水槽に井戸水を入れ、家の前に置き、提供した。家で採れたキュウリやナスを冷やし、女衆が作った味噌と一緒に出した。喜ばれたな」。食事の場がない。『あのー、おむすびありませんか』。「仕方ない、おむすびを作って提供したら大喜び。いやー、すごかった」。味噌は、地元のお母さんグループの手作り味噌。「自然にムラの人たちが集まり、いろんな事を始めたな」。当時区長だった山岸。峠農産の3人で区長を持ち回りしている。「芸術祭の年は、いつも俺が区長さ」。
 
 『脱皮する家』は冬を除き毎週末や祭日、年間利用でき、地元が世話する。日芸と峠の交流は、年と共に密度が増している。お盆や運動会には、鞍掛と学生が参加。運動会では「おい、年寄りばっかで選手が足りない。ちょっと来てくれ」と連絡すると、すぐに駆けつける。多くの中山間地が高齢化、少子化、若者流失と、同じような歴史を歩み、峠も例外ではない。「いま高校生が1人しかいない。ひとり暮らしも多い」。芸術祭の人の訪れの一方で、こうした現実に、山岸らは向き合っている。
 
 そこに、今年も芸術祭がやって来る。『脱皮する家』を世話するお母さん4人グループ「峠の四っ葉」。毎週末と祭日、当番を決めて掃除と留守番をする。7日の当番は横尾静代(68)。雨で農作業ができず、他のメンバーの牧田ヨシ、牧田保代がお茶飲みに来た。3人は峠小学区の同級生。もうひとりは横尾光子(60)。  
 「わたし、鞍掛先生のファンなんだよ」「あの学生が結婚したんだって」など、彫り込まれた板の間で会話が弾む。「頑張る学生や作家の人たちを今年も応援するよ。野菜も出してみようかな。お盆もまた賑やかになる。あまり気張らず、気楽にやるのがいちばん。自分たちも楽しまなきゃ、ねぇ」。四っ葉メンバーは、顔を見合わせ、笑う。
 
 29日開幕の芸術祭。8月15日。峠は祭一色になる。脱皮の家制作の彫刻の学生はじめ日舞、洋舞、文芸、さらに今回、峠全戸の住民の写真を撮り、各戸に掲げる写真コースも加わり、百人余が祭りを盛り上げる。
 鞍掛は話す。「峠の良さを、我々が出来ることで伝えたい。大学のネットショップで星峠棚田米を扱い、棚田の維持も手伝いたい。一つ一つの積み重ね、人間の力をすごい、と思う」。  
労苦が多い棚田を守り続ける峠の人たちを思う。

写真・「脱皮する家」を世話する「峠の四つ葉」のお母さんたち

県境地震被害調査、信州大が結果発表  7月13日号
 家屋全半壊202件などの被害となった昨年3月12日に発生した長野県北部地震。その地震被害の調査を行った信州大学山岳総合研究所(鈴木啓助所長)の災害調査研究報告会が8日、同村文化会館で開かれた。村民ら百人余りが参集したなか、同大教授らが地中レーダーによる地盤調査や仮設住宅の住環境、さらに畜産業の復興と課題など8テーマの多岐に渡って報告、改めて家屋被害地域の地盤軟弱性などを指摘した。

 『農村集落・農地における被害の実態と復興における課題』をテーマに報告した川内義行助教は、農地被害865箇所、面積62・7f、被害額約5億5500万円などの被害データを示しながら「単なる復旧事業の実施だけでは地域の活力低下は一層加速する。今後のあり方についての計画が不可欠だ」などと指摘した。
 
 地中レーダーを用いた調査では、地中内のレーダー反射パターンをスライドで写した。解説した大塚勉教授は「黒い部分が軟弱な地盤です」などと説明。被災住宅地がぴったりと黒い部分と重なり、改めて地盤の軟弱性を示し「今後、ボーリングによる確認作業を行うことが望ましい」と話した。また『産業動物、伴侶動物の支援方法の検討』で竹田謙一准教授は「災害時における動物対応のマニュアルが必要」と作成した災害時初動フロー案を公表、新ブランドとしての栄牛の提案なども行った。
 
 一方、『地震に伴う地変と栄村周辺地域の活断層』の中で廣内大助准教授は「長野県北部地震は、十日町断層帯の南西端部付近で発生したが、十日町断層には直接連続しない。十日町断層帯は依然として地震の空白域と考えられ、注視する必要がある」と十日町断層帯の危険性を示唆した。

津南出身コーチ・麻績氏指導の女子高生スイマー五輪へ  7月13日号
 津南出身者がコーチで指導した女子水泳選手が、27日開幕のロンドン五輪に出場する。中子出身の麻績隆二さん(49)。葛飾区のJSS立石ダイワスイミングスクールで水泳主任コーチを務め、教え子で日本水泳界の新生として期待される女子高生スイマー・渡部香生子選手(15)が、平泳ぎ2百bで五輪出場する。ヨーロッパ合宿を経て、来月2日の本番を迎える。
 
 麻績隆二さんは、3年前逝去した麻績武司さん、初恵さん(74)の次男。津南中時代は水泳部。津南高、国士舘大学に進学。大学時代にスイミングスクールで水泳コーチのアルバイトをしたのが契機。「オリンピック選手を育てたい」と熱い想いを持ち30年余。渡部選手と出会い、夢が実現。初恵さんは「五輪へ行くのが悲願と言っていました。夫の遺影を持ち五輪出場を賭けた大会をテレビで見て、香生子ちゃんが自己ベストを出し2位でオリンピックを決めた時、大泣きしました」。ロンドン五輪は松本市の長男一家と共にテレビ応援する予定だ。
 
 「コーチに逆らっても水に逆らうな」、「水と仲良くしろ、水が教えてくれる」が理念の隆二さん。水泳専門誌で指導方法が特集されるなど、水泳指導の第一人者。幼稚園時代から渡部選手を指導し、肩を壊した渡部選手に平泳ぎ転向を進め、才能を開花させるなど師弟の信頼関係は厚い。ヨーロッパ合宿中の麻績さんは、電話取材に答えた。「初の五輪、選手はストレスも感じている。本番で、彼女の最高の笑顔が見られるようにするのがコーチの役目。気を引き締めていきたい」と二人三脚で挑む夢舞台に向け、意欲を語った。

写真・麻績コーチとメダル獲得が期待される渡部選手

中学生が職場体験、津南中等3学年、本社で桑原悠町議へ取材  7月13日号
 津南町や十日町市の中学校は職場体験実習(インターンシップ)を積極的に学習活動に取り入れている。県立津南中等教育学校は10、11日、地域の企業や役所、福祉施設など33事業所に3学年77人が研修に出向いた。津南新聞社には、桑原陸君(中津小卒)と古澤知采希さん(鐙島小卒)が来社。新聞作りの基本などを学び、昨秋の津南町議選で、現役の東京大大学院生でトップ当選した桑原悠町議にインタビュー取材した。2人がまとめた記事を掲載する。

 昨年秋の津南町議選で25歳の東京大大学院生でトップ当選した桑原悠議員に、町議会議員という仕事について聞いた。
桑原議員には、この仕事に就いた動機があった。「自分をぜひ、津南町で使ってほしい」という強い思い。だが、いざ町議になって大変なことも多い。16人の議員で意見を調整する時、意見をまとめることが難しいという。責任と義務がある大変な仕事だが、桑原議員はこの町議という仕事に「やりがい」を感じている。

 こんな事があった。住民要望に応え、「灰雨スノーシェードの改修」を改めて議会全体で要望することになった。すると、町民から『ありがとう』と感謝の言葉をいただいた。その時、町議に就いて良かったと強く感じたという。

 桑原議員は中学時代、どんな生徒だったのか。「生徒会本部に入って、体育祭や文化祭の準備、あるいは挨拶運動など、部活(バレーボール)と生徒会活動に熱中していた」。共通しているのは、「人のために、みんなのために」。   

 津南中学から国際情報高、さらに早稲田大、そして東京大大学院。早大時代に1年間アメリカ留学。「3ヵ月ごとに観光ビザの更新が必要で、成績が悪いと強制送還。とにかく勉強した。自信がついた」。この自信が今につながっているようだ。町議になって約8ヵ月。すでに2千枚以上の名刺を交換している。

 津南町は高齢化が進み、若者の都会流失が続いている。どう考えているのか。
 「高齢化はもっと進む。除雪など支援ボランティアを受け入れることも必要。受入れ制度と共に、受け入れる住民側の意識を変えることも大切では」と話す。農業面でも高齢化は深刻。「集落全体で農業が出来るような仕組み、集落営農と言うが、そういう組織・仕組みがこれからの米作りや集落の維持につながっていくのでは」。過疎化の歯止めをどうすべきか、皆で考える時期に来ている。
 
 私たちに近い25歳。休日は何をしているのか。「休みの日は、外から津南を見るようにしている」。十日町や時には東京へ出かけ、交流の場に出て、意見を交わしているそうだ。休日でも津南町の事を考える町議の仕事への情熱が伺える。  

 町議の仕事は、できる限り続けたい」という。理由は「津南が好きだから」。「難しい事もあるけど、やると決めた以上、諦めずに続けたい」。郷土愛と根性は誰にも負けないようだ。
 
 最後に、中高生へのメッセージをいただいた。
 「基礎学力は自分の世界を広げるベースなので、基礎学力をしっかり身につける。同時に津南の自然をもっと体験してほしい」。津南や十日町の未来は、私たち若い世代に託されている。
▽▽
 実際に取材し、記事を書くという経験はしたことがなかったので、最初はとても戸惑いました。けれど、仕事をしていく内に熱が入り、記事を書き終えた時の満足感は、とても大きなものでした。今回の貴重な経験を、将来の自分の「夢の実現」のために生かしていきたいです。(古澤知采希)
◇ 
議員への質問や新聞に私達が書いた記事が掲載されるなど、滅多にできない経験をさせていただきました。今回の体験で学んだことは社会進出への大きな一歩になります。この体験を機に、一皮向けた人間になりたいと思います。 (桑原陸)

夏祭りシーズン到来、大井平祇園祭  7月13日号
 ○…威勢よく若者が担ぐ神輿が繰り出した。津南の夏を告げる大井平祇園祭は七夕の7日に開幕。夕方には町文化財指定の六角神輿が地域を巡行。雨が降る悪天候に負けじと「ワッショイ」の大声が響き、引き綱役の上郷地区の子どもたち20人余と共に五穀豊穣と地域の安全を願った。
 
 ○…約3百年前の元禄時代に京都から伝わったとされる大井平祇園祭。名物の引き綱役の子どもたちと担ぎ手若集との引き合いが見どころの伝統ある祭。沿道は雨の中でも地域住民が集い「頑張れ」と声援を送った。各地域の夏祭りはこれからが本番だ。

「津南の水」販売計画、ファミリーマートが見玉湧水を商品化、地元も期待感  7月6日号
 上信越国立公園の苗場山系や小松原湿原など、手つかずの自然を水源にする津南町見玉集落の湧水。この清冽な水をペットボトル販売したいとコンビニエンスストア大手「ファミリーマート」(本社・東京池袋)は、津南町を仲介し、取水交渉を進めてきたが、今月2日、見玉地区の臨時総会で「事業実現のため協議を開始する」ことを決め、集落内に専門委員会を設け、企業側と事業化実現への協議を始める。津南の水問題は、今春、同じ企業が全国名水百選の竜ヶ窪からの取水を計画したが、地元住民の反対で事業化を断念した経過がある。東京首都圏ではトップの店舗数を持つ同社だけに、「相乗効果ははかり知れない」(地元民)と期待感を増している。


 今月2日夜。見玉公民館で企業と町による説明会を開いた。ファミリーマートからは、社長特命事項担当・常務執行役員の本田利範氏、企画部・新規事業開発室の平田幸雄部長、津南町からは上村町長、石橋地域振興課長が出向いた。見玉は戸数36世帯。ほぼ全戸が出席。説明後、臨時総会を開き、区長、評議役員を含む11人で専門委員会を作り、「事業実現に向けた協議を開始」することを決議した。

 町と企業の説明によると、取水量、買取価格、製造数量、製造工場、環境保全費などは竜ヶ窪の場合と同じ。年間6千dを取水、1d3百円で購入(180万円)、年間製造量千2百万本(5百_g詰)、製造工場敷地約1万平方b(現地雇用5、6人前後)、環境保全費ボトル1本0・1円(年間120万円)。経営は現地法人を設置(ファミリーマートが50%以上出資の子会社)。製造工場で商品用取水のほか年間約2百dの水を使用する。すでに5月10日、同社が水質検査を行い「一般細菌(大腸菌など)ゼロ」、軟水度20_/gで「超軟水」に入る。町の調べでは湧出量は見玉水道水源で毎分約6百g、3bほど離れた別の水源で同約3百g。この両方の水源の慣行水利権を見玉地区が持ち、この別の水源から企業が取水する計画だ。

 ファミリーマートと津南町の関係は、今春の竜ヶ窪の取水断念以降、石橋課長が再三、同本社を訪れ、関係を継続していた。この中で町から『見玉の湧水』を紹介。同社関係者も現地を視察。4月13日には上村町長、石橋課長が本社を訪れ、上田準三社長と直接懇談。上村町長は「竜ヶ窪の断念で、会社側の事業計画に迷惑をかけたので、その思いを使えたかった。だが懇談後、上田社長の津南への関心が高まり、話がいっきに具体化した」と話す。

 さらにファミリーマート側は、石橋課長によると「見玉の景観、さらに手づかずの自然が水源地であり、その湧水が集落はじめ見玉不動尊を育んでいるなど、ストーリー性に大きな魅力を感じており、単なる湧水の事業化という感じではない。企業側は『津南の水』として販売したいようだ」と企業方針を話している。同社は、全国約9千店を持ち、セブンイレブン、ローソンに次ぎ業界3位の大手。東京首都圏では、トップの店舗数を持ち、首都圏でのシェアは大きく、「津南の水」が実現すれば、大きなPR効果が期待できる。


 今回の取水事業化は、5日の町議会全議員協議会で上村町長が説明した。議員からは「冬場など渇水期の水不足の心配はないのか」、「津南の特産販売や農場設置などの可能性は」などの質問が出た。水道水源には影響せず、余水から取水、コンビニ業界全体で契約農場の事業化が進み、津南産流通のビジネスチャンスや契約農場の可能性があるなど説明。
 
 上村町長に代わり説明した石橋課長は「臨時総会で方針が決まるとは思っていなかったが、地元としっかり歩調を合わせ取り組みたい」と事業実現への姿勢を見せた。地元見玉の中沢義一区長(70)は「臨時総会では、事業を前に進めるための協議を始めるということを決めた。地域の発展につなげたい。今後の専門委員会で協議し、企業や町と話を進めたい」と話している。月内に専門委員会を開き、企業が示した事業計画を検討する方針だ。

写真・国立公園エリアが水源の見玉湧水。集落内の水路は清冽な水が流れる(津南町見玉で)

動き出した十日町市長選、関口後援会が各地で納涼集会  7月6日号
 残り任期が1年を切った十日町市の関口芳史市長。3日、後援会水沢支部(中澤武雄支部長)納涼会を二葉屋で開き、参加百人余を前に同市長は14日に当間高原のクラブハウスオープン、29日に芸術祭開幕などを踏まえ「当間の価値は交流拠点としてさらに上がる。つつじ原、なくも原と合わせ多くの人が訪れ、さらに素晴らしいものになる」と語り、「任期残り10ヵ月、みなさんのご恩に全力で報いる」と話した。

  納涼会は後援会本部から大海武夫幹事長、水沢地区振興会・上村國平会長、県商工会政治連盟水沢支部・宮澤克宏支部長が出席。地元の河田一幸、飯塚茂雄両市議も。同市長は「新十日町病院の建設地で小黒沢の皆さんに迷惑をかけた」とお詫び。「平成27年に一部開院、同年に魚沼基幹病院ができる。それに直通する高規格道をしっかりと前に進めるメドが立った」と北陸地方整備局長と会談したことを明かし、「平成29年にトンネル開通と国から内々言われた。局長からはトンネル事故で遅れさせないと言葉を頂いた。一刻も早く通すにはどれだけ皆さんが騒ぐかだ」と話した。
 
 一方、役員から選挙を見据えた発言が相次いだ。「市内91の後援会支部を作り、その中で最も見本にすべきなのは水沢地区。一致団結し支援を」(大海幹事長)。「1年後、皆さんの頭の中にある。体制を整え、準備を進めたい」(中澤支部長)など来春4月に向けた連携を呼びかけた。

芸術祭がやってくる@ ようやく動き出した津南、「大地の市」を交流拠点に  7月6日号
 3年に一度の「大地の芸術祭」が、またやって来る。今月29日から9月17日まで、十日町、津南エリアの「越後妻有」に44の国と地域からアーティスト約320組が作品展開する。「自然と関わるすべてがアート」、「アートを入れることで、新しいものが生み出される」、「学ぶべきは東京にあるのではなく、ここ妻有にある」。過去4回の芸術祭から、生まれている言葉と思いは多い。芸術祭は地域に何をもたらし、何を変え、何を創り出そうとしているのか。29日の開幕まで、津南・十日町地域の今をリポートする。
(敬称略)

 『大地の市 蔡國強』。独特の書体の揮毫が電子データで届いたのは5月中旬。受信の知らせを聞いた津南町の志賀孝(56)。「おー、やっときたか」。旧知の友からの便りのよう。それを見た周りの人たち、「えーッ」と驚いた。それもそのはず、あの蔡國強からだ。世界的なアーティスト。北京オリンピック開会式を総合企画し、世界各地で作品展開する、その人だ。

 2000年の第1回芸術祭。蔡國強はマウンテンパーク津南のブナ林の急斜面に「現代ドラゴン美術館」を制作。中国から登り窯を移築。造園士の志賀が手伝う、それが蔡との出会い。その3年前、志賀は新潟県が中山間地の活性化策で打ち出した「里創プラン・大地の芸術祭」の地元委員で入っていたが、津南は消極的だった。
3年後の第2回、6年後の第3回。十日町や松代、松之山へ、作品制作の手伝いに行く。 

 そこで見た。「おばあちゃんたちが、外国の人たちと笑顔でお茶飲み話しをしていた。『何かが始まっている』、そんな感じを受けた」。一方で足元の津南。限られた人の動きで、町全体の一体感は感じなかった。  

 蔡國強との出会いから12年の第4回。ようやく津南が動いた。「東アジア芸術村」がスタート。関わる地元民も増えた。第4回終了後、志賀は仲間10人と「津南あ〜ともりあげ隊」を立ち上げる。「松代や松之山の芸術祭への取り組みを見て、正直、津南はどうなるんだと思った。仲間と、とにかく何か作ろうとなった。それがもりあげ隊」。

 昨年の夏前、東京に出向き、芸術祭総合ディレクター・北川フラムに直談判した。取れたのは会議休憩の15分だけ。「津南の中央部で作品展開をお願いしたい。そこで大地の市を開きたい」。志賀は思いの丈をぶつけた。北川はうなずき「よし、やろう」。
 
 アーティストの建築家・山本想太郎(46)が決まったのは、そのすぐ後。06年第3回から芸術祭参加する山本は、実は津南を気にしていた。「芸術祭に来る人たちにとって津南は、遠い所のイメージだった」。十日町、松代、松之山に関わりつつ、津南の動きを見ていた。「私には感じる所があった。今回の『大地の市』は地元の皆さんから声が上がった。津南のエネルギーを感じる」。

芸術祭A あ〜ともりあげ隊に若者積極参加   7月6日号
 津南町大割野ふれあいセンター脇の空地が作品展開ステージ。作品は『建具ノモリ』。山本は06年、空家プロジェクトに取り組む。多くの空家に取り残された建具を作品化。「個々の生活が違うように、残された建具は実にさまざま。そこに人の生活のデティール(細部)が現れる。この多いバリエーションは、それが昔から営々と続いた生活のバリエーションでもある」。建具に人の暮らしの息づかいを感じる。「今回その建具に、『大地の市』が融合する」。

 「訪れた人が、アートを通じて違う時間を過ごす。建具の中で買い物や様々な体験、食べるという時間。それは、この地に暮らすということを、一瞬でも感じてくれたら」。日常の中で、もう一つの日常を感じる空間だ。

 市では、期間中の毎週末、野菜や加工品、工芸品など特産の出店のほか土器作り、わら細工など体験プログラムなど提供。さらに芸術祭インフォメーションセンターの拠点にもなる。

 作品作りや作家との連絡調整を担当する、もりあげ隊メンバーの柳沢佐恵子(32)は、06年の第3回、芸術祭実行委員会事務局にいた。作家や作品、地域を取材し、芸術祭のウェブサイト更新を担当。「津南が劇的に変わってきた。若い人の関わりが増え、もっと関わってほしいですね」。志賀たち10人が立ち上げたもりあげ隊、40人を超えている。 
8日の日曜、いよいよ建具ノモリ組み立てが始まる。旧津南原小校舎で制作準備を進めた。メンバー皆が仕事を持ち、夜や休日の会議や作業が続く。「作家や作品など芸術祭が媒体となって、人と人をつなげる、これもアートの大きな効果。地域が元気なる、それがアートなんでしょうか」。柳沢の携帯メールは、日ごと増えている。

 地元大割野商協も動きだした。理事長の風巻良夫(61)も大地の市実行委員会メンバー。「もてなしの雰囲気作りをしたい」。商店街の街路にベンチを出し、日除けパラソルを立て、麦茶サービスをなど考える。「芸術祭への意識ギャップはあるが、我々も交流を楽しむことが来場者も楽しくなることになるはず」。大地の市には商協も出店する。
 
 作家・山本は驚いている。「これまで2回の作品制作では、地域のお年寄りが多かったが、津南は違う。断然若い人が多い。エネルギーを感じる。このエネルギーが大事なのでは」。山本は、手ごたえを感じている。

【津南エリア】蔡國強・現代ドラゴン美術館で世界トップアーティスト「アン・ハミルトン」が「金属職人の家」を展開など3イベント含め津南エリアでは24作品を展開。太田新田では世界的なシューズブランド「KEEN」(伊藤忠商事)が空家活用作品。上郷地域は「東アジア芸術村」がさらに充実。今月14、15日、津南エリアの作品解説ツアーを計画する。

写真・建築家・山本想太郎氏の「建具ノモリ」作品イメージ図

共生事業、JR東・宮中ダムに「魚道観察室」1日オープン  7月6日号
 ◎…「あっ、魚だ」。大きな窓越しに、勢いよく泳ぎのぼる魚を見つけ、子どもたちは大はしゃぎ。JR東の信濃川宮中取水ダムに完成した魚道観察室が1日から一般開放されている。開放初日の式典後、地元宮中の山田さん家族連れらが、魚道の半分ほどが水中に埋まった観察室に入り、90a×180a大の窓から観察。淡いブルー系の「オイカワ」などが時々、勢いよく窓を横切り、そのたびに子たちから歓声が上がっていた。 

 ◎…宮中ダムの地元、宮中の山田真澄美さん(27)は保育園児の2人と家族4人で訪れた。「いつも川を見ていますが、子どもたちに川をお魚さんが上ってくるんだよと話していますが、こうして実際にのぼる姿が見られる所ができたのは、嬉しいですね。秋の鮭が楽しみです」。JR東の信濃川発電所業務改善事務所の佐坂日秀俊所長は「せせらぎ魚道もでき、子どもたちの遊びの場などに活用いただきたい。ガラス越しに川を上る魚を姿も見られる。親水性あふれるいいものができた」と述べ、試験放流3年目に間に合った意義を語った。魚道観察室は11月20日まで毎日午前10時から午後4時まで開放。

首都圏で初の試食会、旭商事「ふのりそば」  7月6日号
 ◎…「うまいねぇ、そばの味がするよ」。東京原宿の新潟館ネスパスで津南町の乾麺メーカーで『苗場そば』で知られる旭商事(鈴木尊雄社長)は3日、今春新発売した「ふのりそば」の試食会を開いた。魚沼産そば粉100%、そば粉割合50%以上という乾そばのゆで立てを店頭でサービスした。小千谷へ単身赴任の経験がある杉並区から訪れた50代の男性は、「小千谷のそばとは、また違った美味しさがある。そば粉が多い分、味わいがあるね」と試食そばを食べ、買い求めていた。

 ◎…「ふのりそば」は、津南・十日町地域の伝統的な製法で作ったそばで、海藻「ふのり」をつなぎに使った乾麺そば。多くの類似品は、そば粉の配合は30%程度で、小麦粉が半分以上入る。だが旭商事の「ふのりそば」は、魚沼産そば粉100%を使い、配合率は50%以上。「津南地域の伝統製法のそばを、原料が手に入れば、ぜひ作りたいと念願していた。ようやく思いを込めたそばができた」と鈴木社長。その思いは試食会への来場者に、しっかり伝わった。中野区から訪れた65歳と70歳の夫婦は、大のそば好き。「山形、山梨、茨城など各地を食べ歩いている。新潟も行った。十日町や津南のそば屋はすべて行った。『へぎそば』というが、あれは入れ物のこと。小麦粉を多く入れ、のど越しの良さ、つるつる感を求めるが、私はあれは『そばそうめん』と呼んでいる。これは違う。乾麺らしくなく、そばらしい。うまいよ」。

 ◎…初めての県外、それも東京のど真ん中で試食会に取り組んだ鈴木社長。「品質表示をよく見る方が多いようです。『そば粉が先に書いてありますね』と言われる方が結構いました。私たちにもとても大切な刺激になりました」。表参道のメインストリート沿いのネスパス。人通りが絶えることがなく、試食のそばが追いつかない盛況ぶりだった。旭商事025・765・2069。

タスキがつなぐ地域の絆、笹沢駅伝30周年大会  7月6日号
 ○…地域の絆をタスキに込め―。第30回記念大会を迎えた津南町三箇・外丸地区「笹沢駅伝」を1開いた。7歳の小学1年から66歳のベテランまで28チーム約270人が10区間13・1`を駆け抜けた。「30年の節目の大会で地域を元気づけたい」とお笑い・よしもとから新潟住みます芸人『バックスクリーン』、『猫デココ・関田将人』、さらに吉本芸人の健脚者チーム『よしもとナショナルドリームス』が住民と共に力走。大会後は漫才など披露、走りと笑いで記念大会は大いに盛り上がった。

 ○・…地元青壮年で作る笹沢会が毎年7月に開く同駅伝。各区間に分け年齢制限など設け、世代を超え参加できる地域総出の大会。第4回から地域外の一般参加を受入れた。最多26回出場の40歳以上男子1・2`区間を走った宮沢保則さん(61)。「小さい子も大人も走る幸せな大会。地域の枠をも超えた駅伝で毎年1回走るのが楽しみ。参加し続けるよ」と笑顔。参加6年目で初めて9歳の長女に親子タスキをつないだ風巻孝行さん(33、押付)は「娘にタスキを渡した瞬間はすごく気持ち良かった。親子で出られる地域の駅伝、来年も親子でぜひ出たい」と満足そう。

 ○…一方、特別ゲストのよしもと芸人。地元小学生との混成チームで走ったバックスクリーン・星野和之さん(小千谷市出身)。「1・6`を走ったが沿道の応援がもの凄い。住んでいる方の深い絆を感じた。ぜひ来年も呼んでほしい」と地域一帯の駅伝に感激。大会終了後、一緒に走った小学生らと共に、地元お母さんたちの手作りおにぎりを頬張り、健闘を称えあった。笹沢会・高橋隆明会長は「30年続いたのは地域の連帯感の強さの表れ。地域の元気を生む笹沢駅伝。少子高齢化でチーム編成が難しくなっているが、年齢枠を変更するなどして今後も続けたい」と話している。


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