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2012年06月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
県内初「がん緩和ケアセンター」も、新十日町病院、塚田院長が主導  6月29日号
 地域中核病院化に伴う全面建て替えする県立十日町病院の整備基本計画がまとまり、新潟県は7月3日までパブリックコメント(意見)を求めている。25日には十日町市議会と十日町中魚沼医師会、26日は津南町議会に、県病院局の関川憲司業務課長や十日町病院・塚田院長らが出向き、新十日町病院の概要を説明。病床275床、新たに4科(総合診療科、漢方内科、心療内科、口腔外科)を加え17科体制で改築する。来月中に設計業者を決め、基本設計に入り、来年着工に向けて準備が進む。
 
 今回の改築は、「地域中核病院のモデル病院をめざす」が基本方針。その主軸になるのは新医療システムの導入で、2次医療を担う急性期と共に、術後の回復期をカバーする「亜急性期」も対応する。特に、がん治療対応で県内初の「緩和ケアセンター」病棟を設け、さらに術後の回復期をカバーする「回復期リハ病棟」を設置するなど、当初の急性期に特化した中核病院から、地域事情を考えた中山間地におけるモデルとなる中核病院化を実現する。

 さらに最大の課題、医師の確保は、国が25年度から新たにスタートする研修医制度を先取りする形で、『病院から在宅まで学べる研修病院』として「総合医」の育成に取り組む。その地域指定を受け、若いドクターを育成するために、「指導医」の資格取得を勧めている。すでに十日町病院の塚田芳夫院長らが資格取得に取り組んでいる。この研修医制度の導入で、町立津南病院への医師派遣の継続が実現する。この研修システムは県内初の導入で、塚田院長は「研修医を多数受け入れることが、医療の充実になる」と、同研修プログラム導入の意義を語る。
 
 さらに大学医学部との関係作りにも取り組む。現在の新潟大、さらに東京医科歯科大との提携を維持し、「首都圏からの仕掛けに取り組み、独自のチャンネル作りに取り組んでいる」(関川課長)と、糖尿病の研究部門で東京大医学部からの医師派遣を要請している。
 
 今回の新十日町病院の整備基本計画は、「ほとんど塚田院長が作られたもの。公立病院として初の日本医師会の理事となった塚田院長。国の事業を先取りするモデル病院の実現に取り組んでいる」と、県病院局と地元十日町病院の塚田院長と連携し、全国モデルとなる地域中核病院の実現をめざしている。

  なお、県立松代病院は、「一体的な運営」と方針が示され、新十日町病院と一体的な運営で行い、新病院と同様に、緩和ケア、術後の回復の後方支援病院となる連携運営の方針だ。

写真・新十日町病院の整備計画を説明する塚田院長(中央、25日、十日町市議会で)

連載「明日へ」 ものづくりで感じる「津南学」 瀧澤美樹さん  6月29日号
 10年余り前、建設会社の担当者としてフランスで開いたインテリア見本市に行った瀧澤美樹(39)。「道路の不用品収集場のような所に落ちていたんです」。アンティークなランプの傘だった。その傘は今、自分の部屋のインテリアの一つとして飾られている。「古いものが好きですね」。手作り品に人の息づかいを感じる。

 「ブルーのカーテンは、気分を落ち着かせ、眠くなります」、「部屋の照明は、白色系の間接照明のような明るさが、リラックスできます」。16年余り、県外の建設会社でインテリアコーディネーターを担当。外国で開かれる大規模な見本市に行き、仕事のセンスを磨いた。

 「もともと、田舎暮らしが好きでしたから、自分なりに区切りをつけました」。3年前から再び津南暮らしが始まっている。「自然が好きですね。小さい頃からこの自然が好きで、帰ってさっそく自然に親しむ会に入り、いろいろな所へ行っています」。
職場の「農と縄文体験実習館なじょもん」には、津南町自然に親しむ会メンバーが一緒にいて、津南地域内外へフィールドワークを広げている。

 今年5月、長野・小布施に出かけた。花木の苗市と共にクラフトフェアや骨董市が開かれた。学生時代、インテリア専科で学び、実技研修では家具作り、ステンドグラス、彫刻、工芸、陶芸などに挑戦。卒業後、実務経験を経て「インテリアコーディネーター」の資格を取得した。

 「津南には、手作りに取り組む方々が結構いますね。ものづくり、やってみたいです」。毎年9月、ニュー・グリーンピア津南で開く「越後妻有クラフトフェア」を手伝う。創造の分野への関心は尽きない。

 ものづくり、その集大成ともいえる本作りにも取り組む。津南町教育委員会が10年計画で、毎年1冊の刊行をめざす「津南学」。その創刊号編集スタッフのひとり。すでに2号の準備に入っている。
年中行事の「がんがんぼー」、「烏踊りと良寛」、「アンギンの里、津南の編み技術と歴史」、「秋山郷探訪、見倉集落を訪ねて」など、テーマ『五感を通して津南を見る』一冊に仕上がっている。

 「なくしてはならない津南の人の暮らしと歴史、もっと多くの人たちから知ってほしいですね」。人の暮らしを支えてきた民具類。そこに、ものづくりの原点を見る。「今を生きる人たちが、その暮らしの証しとして、残していかなくてはならないのでは」。

 先週23日夜。秋山郷結東の石垣田。千本の灯りが棚田を映し出した。「あの後、地元の人たち、ツアー参加の人たち、それに私たちも加わり、からす踊りを踊りました。地元のお年寄りが楽しそうに、声をかけて下さり、とっても良い雰囲気でした。こういうつながりが、とても大切だと思います」。今夏、大地の芸術祭が開かれる。3年前の前回、2百作品以上を回った。「人と人の出会い、交流で、津南はもっと面白くなると思いますよ」。

(敬称略)
連載「明日へ」、シリーズ「それぞれの一歩」は今回で終了です。

豪雨被害から甦る留守原、松之山の棚田  6月29日号
 ◎…地震崩落の棚田復活、復興シンボルに―。十日町市松之山の絶景スポット「留守原の棚田」。天水島から車で15分余、国道405号沿いの棚田茅葺きの作業小屋と美しい棚田がある、人気スポット。だが昨年3月12日の県境地震で崩落。昨年から復旧工事、今月に入り予定より1ヵ月早く完工。「田植えにぎりぎり間に合う」と26日、地元住民ら30人余が急きょ実施。「念願の復旧。留守原の棚田を震災復興のシンボルに」と2年ぶりの作付けを喜んだ。
 
 ◎…日本の里百選に3年前選ばれた松之山地域。棚田も各所にあり、留守原の棚田は一番人気。所有者は10年前に高齢で耕作を辞めたが「失うには惜しい」と松之山温泉組合(野本淳一組合長)を中心に作付けを継続し景観保全。面積40eの棚田は地すべり予防の復旧工事のため12枚から8枚に減ったが、山中に佇む美観はそのまま。地震で傾いた茅葺き小屋も元に戻す計画だ。この日は20aに伸びたコシヒカリ苗を地元住民で作る同組合、松里生産組合、担い手公社メンバーらで手植え。同組合若手のひとり、高沢平さん(34)は「カメラマンからよく問い合わせが来る場所。人が求める原風景があり、一度無くしたら戻らない地域の宝。守りたいですね」と額に汗し田植え仕事に精を出していた。

経営苦戦、「地元温泉、原点に返り」、竜ヶ窪温泉  6月29日号
 地元民が共同出資し、温泉ボーリングを成功させ、津南町も出資して設立した「竜ヶ窪温泉株式会社」(涌井九八郎社長)の23年度(第17期)株主総会を26日開き、昨年の震災被害のなか前年比1・3%増の総売上9983万円に対し、食堂部門の落ち込みで483万円の損失を出す決算となり、今後さらなる営業努力とコスト低減が求めらる。任期満了で再任された涌井社長は「売上は伸びているが、さらに事業見直しに取り組みたい」と今後の方針を示している。(売上数字は税込)
 
 同社は、町有温泉施設「竜神の館」を経営する第3セクター形態の民間会社で、町有の他の温泉・観光施設のように運営委託費は受けていない。今期売上を見ると、温泉収入2804万円(前年比3・2%増)、食堂収入2968万円(同7・8%減)、売店収入2671万円(同29・7%増)、直売所収入1463万円(同3・3%増)などで、材料など製造コストが高い食堂部門以外は、前年比を上回る業績を上げている。
 直接の経営体制は正社員5人、パート職6人、常勤取締役1人で経営。震災の昨年度は、震災被災者への無料入浴対応する一方、毎週1回、、十日町への温泉バス送迎を行い、名水竜ヶ窪の水のペットボトル販売、さらにオリジナル惣菜を販売するなど、女性主体の経営スタッフの知恵と技を使って、個性を出した経営に取り組んだ。その成果が売店や直売所売上アップに出ている。
 
 一方で、経営経費面では人件費を234万円減少したが、一方で灯油代の高騰で水道光熱費が123万円増加するなど、「ぎりぎりの節減体制」で経営している。

 総会で涌井社長は「地域全体で人口減少が進むなか、それと平行するように入込み客の減少、客単価の減少傾向が続き、これは今後も続くだろう。一方で売上は伸びているが、部門によってはコストが吸収できていない。改めて各部門の事業見直しと共にコスト削減に取り組みたい」と話すが、厳しい経営は続く。

  一方、最大株主の津南町(3千万円、出資率50・85%)の石橋雅広地域振興課長は「観光施設の見直し検討を行うが、竜ヶ窪温泉が唯一、町からの委託費ゼロで経営している。340人余の出資の地元の皆さんから、初心に帰り、地元の温泉施設をいう支援が大切ではないか」と、地元利用の拡大を促した。質疑では「増資は考えられないのか」や「地元の協力体制の見直し」などの意見が出たが、今後の取組み課題となっている。営業面では、今夏の「ひまわり広場」への出店を計画すると共に、地元の竜神の里推進協議会の再編などに取り組み、「まず足元から」経営刷新をはかる方針だ。 なお、初めて取り組んだ軟水「竜ヶ窪の水」販売は、前期2万8200本製造し、期末までに1万7259本販売し、売行きは順調だ。

全国最多出場、写真甲子園、十日町総合高8回目  6月29日号
 写真甲子園に3年ぶり8回目の出場―。第19回全国高等学校写真選手権大会予選会がこのほど全国から454校が参加して開かれ、うち82校が出場した中部・東海ブロックから3校が本選への出場権を獲得。その中に十日町総合高が入った。同校の本選出場は全国でも過去最多。浅見はるか部長(2年)は「とってもうれしい。本選では自分たちらしい写真をめざして頑張ります」と意欲を燃やしている。

  北海道東川町で来月24〜27日に開かれる本選に出場するのは、予選を勝ち抜いた全国18校だけ。同校からは浅見部長はじめ水落萌さん、井川愛香さんのいずれも2年生が出場する。3人1組に大雪山国立公園周辺で撮影会を行い、与えられたテーマに沿った8枚組写真を3回提出。プロカメラマン・立木義浩氏らの審査を経て全国一を競う。

  予選では、歴代の部員が賞品として受けた一眼レフを使い、『時間よ止まれ』をテーマに8枚組を出品した。「めまぐるしい生活の中で、取り残される娘の思いを表現した」作品で見事、本選への出場権を獲得した。
 
 同校は13年前の第6回大会で、初出場で初優勝した歴史もある。写真部顧問の服部久典教諭は「生徒にとって貴重な経験になるはず。当日に課題が出るという難しい大会だが、自分たちの持ち味を出してほしい」とエールを送っている。

輝く石垣田、秋山郷結東で1000本キャンドルを  6月22日号
 ☆…キャンドルが石垣田を浮かび上がらせた―。全国農村景観百選に選ばれている秋山郷「結東の石垣田」で16日夜、千本のローソクを石垣田に並べた『石垣田ともしび鑑賞ツアー』が開かれた。飢饉をなくそうと明治期から地域の農民が石垣を切り出して水田を作った貴重な棚田。田植えをしたばかりの石垣田が闇夜の中で輝いた。
 
 ☆…貴重な結東の石垣田を全国にアピールし保存につなげようと農協観光と連携しツアーを企画。当日は埼玉や横浜などからのツアー客や地元住民ら70人余りが集まった。夜7時近く、7f余りの水田に並べた千本のキャンドルに火が灯されると、闇夜の中に石垣田が浮かび上がり、「うわー、きれい」と歓声が上がった。会場ではキャンドルの光をバックに尺八演奏や秋山郷民謡の踊りの輪もでき、ともしび鑑賞を満喫した。

連載「明日へ」ユリ栽培、新たなライフスタイルめざす、若き夫婦たち  6月22日号
 FMラジオから流れる楽曲が倉庫に響く。早朝5時前から収穫作業に取りかかる。多い日は4百本余りを収穫。午前11時の出荷時間に合わせ、作業に取り組む柳原邦保(36)と光枝(34)。かたわらには、昨年4月から家族の仲間入りしたシェルティーの「エルザ」が寄り添っている。

 山形からUターン。2年間、先輩が営むユリ栽培会社で研修。「何か、ものづくりをしたいと考えていました。研修で手応えを感じました」。邦保は独立。カサブランカを初めて作った。

 その年の9月、順調に育った1万本ほどのユリが突然の雹(ひょう)被害に遭う。「半分以上だめになり、大赤字でした」。だが、初心は変わらない。「もっと良いユリを作りたい、もっと良くしたい」という思いだった。先輩のアドバイスや仲間たちとの勉強研修会など経て、栽培技術を身に付ける。今は、年2回栽培できる耐雪ハウス1棟、露地ハウス14棟を設け、年間約4万本を出荷している。


 毎朝、ユリ栽培ハウスがある沖ノ原へ、一緒に収穫に行く光枝は十日町生まれ。農業は初めて。共通の友だちを通じて出会い、2年前に結婚。谷内集落に空家を求め、2人で暮らす。今年初めて「切り花作業」に挑戦している。「つぼみの色や全体の様子など、切るタイミングが難しいです」。
ユリ切花は出荷後、市場で花が開くと価値は半減する。「お客様が求めてから花が開くように出荷するのが大切なんですが、その時期を考えながら収穫するのは、本当に難しいですね」。
ユリ花が好きだ。18日の初出荷の日、1本を自宅玄関に飾った。

 『雪美人』。津南産ユリのブランド名。市場評価は高い。全国のユリ切花農家をリードする津南。そこには厳しい品質管理があり、組合員の切磋琢磨がある。
 「ピンク系が人気なんですが、出荷率が難しい。いろいろな色を栽培してみたいですが、やはり経営も大事ですから」。百本作り、百本出荷できれば良いが、80本、70本の出荷率では採算ラインが難しくなる。白を主体に代表種カサブランカ、シベリア、クリスタルブランカなど5種を栽培する。

 津南産カサブランカは、芸能界など著名人の挙式などによく使用される。全国に産地は多くあるが、「品質第一」を掲げる津南産の『雪美人』ブランドは業界をリードする。「これは先輩たちが築いてきた伝統。他の産地は後継者不足や栽培者の高齢化が深刻なようで、津南は若い世代の取り組みが増えています」。津南町ユリ切花組合は研究開発、技術研修、販売対策の3部会を作り、津南産地のブランド維持に取り組む。邦保は組合理事であり販売対策部会に所属。日々、情報交換し、販売戦略に取り組む。

 
 目標5万本。「やはり、一番いいものを作りたい」。津南のユリ生産者28人の共通の思い。それが適度なライバル心となり、相乗効果を生んでいる。光枝は時々、十日町の実家に収穫したユリを持っていく。「家にユリがあるというのは、いいですね。香りも好きです。特に玄関に置くと最高です。いかがですか」。
 まだ正式な挙式を挙げていないふたり。純白のユリに囲まれたお似合いのカップルの姿が、目に浮かぶ。
        (敬称略)

写真・ユリを収穫する柳原邦保さんと光枝さん

新十日町病院、整備基本計画発表、275床17科で中核病院化へ  6月22日号
 県立十日町病院の地域中核病院化に伴う改築は、新潟県病院局が今月まとめた「県立十日町病院整備基本計画」により、来年着工が確実となり、27年の開業に向け、大きく前進する。同整備計画は22日に津南町議会、25日には十日町市議会に説明される。県では、同計画への意見を来月3日まで求めている。新十日町病院は、現在地に建設。現有の275床を維持し、総合診療科、漢方内科、リハビリテーション科の新設を含む17科体制となっている。課題の医師や看護師など医療スタッフの確保は、同年開業の魚沼基幹病院との連携で行う方針で、関心が集まる経営母体は、具体的な方針を示していないが、魚沼基幹病院を経営する財団法人などによる見方も出ており、今後の協議に関心が集まる。


 新十日町病院は、地域中核病院のモデル病院となり、急性期を中心として2次救急を担い、3次救急医療を担う魚沼基幹病院と連携し地域医療を充実する。県がまとめた整備基本計画によると、敷地面積2万平方b、施設面積1万7千平方b。一般病床275床程度、診療科は新設の「総合診療科、漢方内科、リハビリテーション科」はじめ、内科、神経内科、心療内科、外科、整形外科、脳神経外科、小児科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、放射線科、麻酔科、歯科口腔外科の17科体制。 

 病室はプライバシーを配慮し個室と1室4床室の2タイプ。4床室は個室的多床室とする。1床あたりの有効面積は8平方b以上を確保し、個室率は30%程度。重症病室はスタッフステーションに近接し、各階に浴室を設ける。各フロアにディルームを設け、患者が病室以外で食事を取り、家族との面接などくつろぎスペースを確保する。
 
 外来は専門外来を設け、外来の受付は総合外来診療受付で行う。初診外来は受診希望科がない場合、総合診療科で受け、再診は原則として予約制とする。

▽▽▽▽

 診療体制は、6部門で行い、「MRI、CT、アンギオなど整備の放射線部門」、「がん診療対応、大腸内視鏡検査の増加に対応する治療室や機器整備の内視鏡部門」、「検体検査部門は採血室、検体検査、救急外来対応など」、「外来部門と近接の生理検体部門」、「高度医療に対応可能に整備する手術部門」、さらに「急性期や亜急性期・外来対応のリハビリセンター」などとなっている。
関心が高いがん医療は、院内に緩和ケア病棟を設置し、がん診療拠点病院と連携し、緩和ケアセンター的機能を整備する。

 さらに電子カルテルシステム導入で「総合的な医療情報システム」を整備。魚沼医療圏の地域医療連携ネットワークを構築し、診療情報の共有化をはかる。患者の悩み・相談・苦情などに対応する医療対話仲介者(医療メディエーター)も配置し、窓口機能を充実する。

 一方、災害拠点病院としてDMAT(災害医療支援チーム)を保有し、地記災害医療センター機能を充実すると共に、臨床医指定病院として研修医にとって魅力あるカリキュラムなど研修環境を整備する。さらに地元自治体が主体で誘致する看護師養成所(看護大学、看護専門学校)の研修・実習できる対応を確保する。

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 新十日町病院の調査設計費9300万円は今年の県予算で付き、プロポーザルコンペにより今月中に設計業者が決まる見込み。建設場所は、現在の駐車場と外来病棟敷地に新病棟(7階建て予定)を半分ずつ年次計画で建設する。今の入院病棟が駐車場となり、現在より百台増となる。建物はすべて免震構造を採用する。ヘリポートは消防本部庁舎のヘリポートを活用する方針だ。

JR東・宮中取水ダムの魚道完成、観察室は来月一般公開  6月22日号
 ◎…信濃川に遡上するサケなど魚を間近で見られる観察施設がJR東日本・信濃川発電所の宮中取水ダムに完成した。2年前の2011年1月から毎冬、改修工事を進め、先月30日完成の同ダム魚道に、魚が川を上る姿が間近で見られる魚道観察室を設け、来月1日から一般開放する。観察室は90a×180aの大窓を3ヵ所設置し、毎秒1・6d流れる大型魚用魚道や同0・13d流れる小型魚用魚道などから、水中を上る躍動的な魚の迫力ある姿が厚さ3aのガラス越しに間近で見られる。
 
 ◎…完成した魚道を18日、信濃川発電所宮中取水ダム魚道構造改善検討フォローアップ委員会(委員長・本間義治新潟大名誉教授)が現地視察。ダム直下からU字型に伸びる魚道あは「大型魚道」(アイスハーバー型)、階段式の小型魚道、全国的にもめずらしい「せせらぎ魚道」の3タイプ設置。観察室は後半部分に設け、魚道内部をガラス越しに見られる。本間委員長は「秋のサケ遡上が楽しみだね。何時の季節にどんな魚が上るか分かる魚カレンダーがあるといい」とアドバイスしていた。
 
 ◎…河川環境が専門の同委員、淺枝隆・埼玉大教授は「せせらぎ魚道など取り組みは評価できる。今後、川全体の中でこの魚道を見ることで、宮中ダムの位置づけや必要性が明らかになるだろう」と今後の調査、記録活動の必要を話した。一方、地元漁協の中魚沼漁協・長谷川克一組合長は「地元漁業関係者の意見を取り入れてくれ、よく出来ている。これだけの魚道は全国的にもめずらしいのでは」とJR東の取り組みを評価している。観察室は来月1日、一般公開する。この時期は体長20a前後のウグイ、アユ、オイカワ、さらにせせらぎ魚道では「ヨシノボリ」が観察できる。

震災の絆、絵本で元気に、「きぼうのかんずめ」  6月22日号
 東日本大震災で大津波の被害を受けた宮城・石巻漁港。瓦礫と化した水産加工会社・木の屋石巻水産の工場から、生産していた缶詰が泥の中から出てきた。全国のボランティアが発掘作業を行い、きれいに洗って売り出した「希望の缶詰」。その取組みを後世に残していこうとボランティアや支援者らが発行した絵本『きぼうのかんづめ』が25日、同水産会社から十日町市に寄贈される。
 
 橋渡し役となったのは、昨年の長野新潟県境地震後、十日町市と津南町の若者ら8人が中心になって全国からボランティアを募り、耕作放棄地で農産物を生産していたサンライズプロジェクト実行委員会。そのプロジェクトに、同水産会社の社員が参加したことがきっかけとなり、県境地震と新潟福島豪雨で被害を受けた十日町市に元気を与えたいと今回の絵本の寄贈につながった。
 
 十日町市では東日本大震災後、市内の小学生らが中身の区別ができなくなった「希望の缶詰」に、思いを込めた手書きの絵を描き込んで「?(ハテナ)缶」として販売したり、同水産会社の復興商品「石巻くじらカレー」を絆商品としてクロス10や十日町雪まつり会場で販売するなど支援活動の輪が広がった。また市内の民間ボランティア団体による心と心プロジェクト活動では昨年から数回に渡って石巻市でボランティア活動を行い、来月14日にはアジサイの植栽も行う予定など、石巻市と大きなつながりが生まれている。
 
 絵本は、同水産会社が、遠く離れた東京の商店街の支援を受けながら立ち直るまでの姿を描いたもの。震災から1年後の今年3月に発刊、5月には日本図書館協会の「公共図書館が備えるのに望ましい本」に選定された。同水産会社では十日町情報館と市内12公民館に寄贈する予定だ。
 
 サンライズプロジェクトの事務局長で中里総合クラブ・YО|BEの永井亮太マネージャーは「被災地をつなぐ贈り物になり、胸を熱くしている。今後も助け合いの絆を深めていきたい」と話している。

写真・「希望の缶詰」に絵を描く子どもたち

国道405号・津南町大割野地区、危険すぎる通学道、歩道設置を直訴  6月15日号
 国道405号と国道117号が交わる津南町大割野地区。7年前に開校した県立津南中等教育学校には、学生や教職員ら450人余が通う。そ通学路の405号には歩道がない。同校や地元地域の要望を受け、津南町や沿線同盟会組織が歩道整備活動に動き、来月19日には新潟県庁へ出向き、県土木部に直接要望することになった。
同405号・秋山郷国道整備促進期成同盟会(吉野徹会長)は先月30日、津南中等校生徒、校長の署名の歩道設置要望書を十日町地域振興局地域整備部に、地元大割野地域の要望書と共に提出した。7日には、秋山郷のよさの里で開いた同会総会の意見交換会でも県や県議に直接要望し、早期実現を求めた。

 同117号大割野交差点から同校を通る405号の約7百bには充分な幅の歩道はなく、歩道設置は20年来の懸案だ。同区間は津南中等校(吉原満校長、433人)の通学路であり、加えて朝夕の通勤車両が多いと通る中、同校学生は幅30a余の狭い白線内の歩道を車とすれ違いながら登下校している。特に冬場はさらに道幅が狭くなり、「事故が起こらないのが不思議なくらい」と地元民は日々の危険性を指摘する。

 同区間の歩道設置、道路改良は昨年10月、地元県議や住民、県職員を交え現地調査し、県も危険性を確認している。吉野会長は「魚沼地域や小千谷しからも生徒が通う通学道路。地元も改良に協力姿勢を見せている。調査費予算を付け、一刻も早い改良を」と切望する。19日の県庁要望は地元県議、津南町建設課長らが行い、予算措置は早期改良を求める方針だ。

 一方、地権者の同意も過大。10年余前に地元で歩道整備期成同盟会を作り、町と共に拡幅用地など対象25戸と協議、交渉したが難航した経過がある。町建設課・石橋亮一課長は「町長も最優先課題としている。以前とは状況も変わり、地元同意はほぼ得られている。秋山郷期成同盟会や地元住民と歩調を合わせ県に要望を続ける」と話している。

残したい方言、9年がかりで2000語収集、津南町の恩田卓茂さん   6月15日号
 生活スタイルの変化やテレビなど情報社会の影響で、時代と共に消えている『方言』。「このままでは、すべてがなくなってしまう」と津南町鹿渡の元小学校長・恩田卓茂さん(73)は、9年前から地域のお年寄りらと方言集中に取り組み、その集大成の「鹿渡弁の研究ー鹿渡弁を残したい」を発刊した。、地元の元小学校長、市町村単位の方言集は過去にもあるが、戸数50戸ほどの集落単位で、これだけの方言集をまとめたのはめずらしく、「ローカルの中の、さらにローカルの方言集」と関心を集め、学術的にも貴重な収集記録になっている。

 信濃川左岸の津南町鹿渡地区。飯山線・越後鹿渡駅を玄関口に、里山が迫る段丘地に集落が広がる。この地には、かつて「東洋一の水力発電所」を呼ばれた東京電力・信濃川発電所があり、昭和11年からの建設工事ですべてが大きく変わった地域である。

 「このままでは、言葉も生活習慣も、なにもかもなくなって、消えてしまう」と危機感を抱く恩田さん。生粋の地元生まれ4人の協力を受け、方言収集に取り組む。方言は生活の中にあった。年中行事や共同作業の場、冠婚葬祭、農作業、茶飲み話など、あらゆる場面で収集。「ノート持参で共同作業は出来ないので、覚えておくのが大変だった」。お年寄りらとの酒の席では、次々と出る。「おっ、また出たという感じで記録した。次々と出るもんで、どこで区切りをつけようか、それに一番悩んだ。それで9年もかかってしまった」。発刊後も方言は次々と出ている。「これも、追記録していく必要がありますね」。

 同集は、五十音順の単語編で千5百語余を収録し、「会話・言い回し編では「いいあんべだのう」、「わりのう、いっぺもらって」など挨拶言葉のほか、「ーぜや」、「ーしょて」など文尾の言い回し、「〜だんが〜」、「〜がんに〜」など言葉をつなぐ言い回しなど、実際の会話例を収録している。

 さらに自分や他人の呼び方、身体部分、家族、動植物の呼び名、あるいは「わっつぁばわり(薪割)」、「あぜなぎ(畦草刈り)など農作業、共同作業の呼び名、雪に関する言葉の「ちっぷちっぷ」(激しい吹雪)、「こつらすき」(軒下の除雪)など、雪国特有の言葉も収録し、全体では2千語ほどになっている。

 方言収集に共に取り組んだ最年長の恩田尚利さん(89)。「やっぱり東電が入ってきたから、この地域は大きく変わったな」。小学校の子どもを通じての言葉の変化を感じている。20代以降、仕事の関係で地元を離れた恩田善夫さん(76)。「ここの言葉は、そうそう、忘れるものではない。よくぞ、これだけ集めてくれた」と感謝。冬の出稼ぎなど地元を離れることが多かった貝沢二良さん(74)、石沢隆平さん(73)。「一つ方言が出れば次々と出る。このまんまでは、いつかここの方言はなくなってしまうだろう」と方言集を喜ぶが、寂しさも感じている。

 この「鹿渡弁」記録集は、言葉だけの記録ではない。方言収集で出てきた当時の暮らし、年中行事、ムラの決まり事など、民俗分野も克明に記録している。さらに、地域独特の「言い回し」なども収集し、貴重な収集資料にになっている。

 恩田さんは、「発電所工事がこの地に大きな影響を及ぼしたのは確かだが、教育も大きい。『方言はよくない言葉』のような教え方があり、すっかり生活の場から消えつつある。発電所工事前の鹿渡弁を記録したかった。どこまでできたか…」と話す。この方言集、言葉集めだけではなく、言葉を通じ当時の人の暮らしぶりが、浮き出てくる貴重な一冊になっている。

「鹿渡弁の研究ー鹿渡弁を残したい」。限定百部作成。希望者には1冊2千円で頒布する。連絡先・恩田卓茂氏025・763・2320。

写真・方言集を発刊した恩田卓茂さん(中央)と仲間たち

明日へ「魅力発信、ラフティングガイド」 庚敏久さん(34、飯山市) 6月15日号
「都心から2、3時間で、こんな場所、そうそうありませんよ」。日焼けした逞しい顔が、自信を見せる。ラフティング事業に取り組み5年。庚敏久(34)は、今シーズンの賑わいが、目に浮かぶ。
 
 千曲川が信濃川に名を変える県境。「不思議ですよね、人間の都合で、県境を堺に川の名前が変わるんですから。実は、これも魅力なんです」。飯山市戸狩温泉の高台。蛇行する千曲川が一望できる場に、「四季の彩りの宿・かのえ」がある。目の前は緑一色の自然。「この何もないのが、魅力なんです」。首都圏の小中高生らが自然体験に訪れる。

 日本リクレーショナルカヌー協会、日本ラフティング協会の公認リバーガイド資格者。5年前のUターン後、「パワードライブR117」を立ち上げ、千曲川や地域の湖沼でアウトドア活動プログラムを提供し、自然体験を受け入れている。

 「川はボートがあれば、すぐにできます。ここに暮らす人でさえ、この川の魅力に気づいていない場合が多いですね」。その魅力の場所。栄村から津南町上郷までの約7`。「関東圏から2、3時間。川面から人工建造物がいっさい見えません。まさに『未知なるフィールド』です」。
 
 震災前、このルートを何度もボートで下った。体験試乗した地元の人の言葉が、今も耳に残る。「50年生きてきて、こんな千曲川の風景は初めて見た」。両岸のそそり立つ断崖、時にはゆったり、時には急流で流れる川面を、ラフティングボートで下る。

 「北海道や東北の奥地でもないと、これだけの景観、雰囲気、スリルは体験できないです。誰もが持つ冒険心、探検心を大いに刺激してくれます。これは、自然が栄村に与えてくれた財産ですね」。すでに今夏の予約や問合せが、ラフティング仲間や観光関係者などから続々と入っている。

 群馬・みなかみ町のラフティング活動はよく知られる。年間10万人、10億円産業に育ち、季節雇用含め250人が働き、定住者人口の増加で子どもたちが増えている。みなかみラフティング事業者も注目する栄村ー津南間ルート。事業化のイメージは、すでに庚の頭に出来上がっている。あとは、地元の理解と協力という。
 
 「すでにいくつかのラフティング事業者が入ってきています。みなかみもそうですが、地元組織の立上げが必要です。そうしないと、無秩序の利用となり、地域との関係性が薄くなってしまいます」。近く、『栄村ラフティングクラブ』を立ち上げる方針。
河川利用の約束事、川までの農道や農地の利用方法、駐車スペースなど利用の約束事を決める管理代表の同クラブ事務局の立ち上げを求める。
 
 「川は誰が利用してもいいのです。ただ地元との関係がとても大切。それをまとめる地元組織が必要です。この最高の魅力ある地には、必ず多くの人たちが来ます。実際来ています。それだけに早急に地元受入れ体制作りが大切です」。地元スポーツ関係者やNPOと連携し、事業の法人化を視野に入れ、取り組んでいる。
 
 今月3日、津南町のクアハウス津南から下船渡本村まで約6`、ラフティング体験を行い80人余が参加。庚もメンバーの千曲川信濃川親水協議会が運営した。「上流と下流の連携でさらにスケールアップできます。ちょっと大きく言えば、産業起こしです。幸い20d放流が決まり、この水量でも充分ラフティングが楽しめます。この魅力、まずは乗ってみることですね。一度乗ると、必ずはまっちゃいますよ」。今夏、モニターツアーを多く計画する。今月30日も、計画が入っている。

 「川面から自分たちが暮らす地域を見ると、価値観が変わりますよ」
          (敬称略)

今月から津南町が給食食材の放射線検査開始  6月15日号
 単独市町村での検査実施は県内初となる津南町の給食食材の放射線検査が今月から始まっている。今月6日と13日に行った検査ではいずれも放射性物質は『不検出』。桑原正教育長は「まだ検査は始めたばかりだが、結果は予想通りで安心している。検査結果はすべて公表し、万一の場合は食材に使わない」と話している。
 
 津南町が実施の給食食材の放射線量調査は、給食センターと小学校5校、保育園7施設の計13給食調理施設の使用頻度が高い食材などを中心に検査する。機材は町内津原の食品加工販売会社「津南高原農産」(鶴巻義夫社長)の高性能機器「EMF211型ガンマ線スペクト路メーター」を使用して測定。放射性ヨウ素と放射性セシウム134、同137を約1時間で検出ゼロから測定できる。
 
 新潟県は4月から県内の地域振興局に放射線測定器を設置し、市町村持ち込みで毎週1回1品の検査に応じているが、コメと牛乳は各出荷機関が検査を行っているとして県検査の対象外としている。また検出基準も20ベクレル以上としている。
 
 町の検査は県の検査では行われないコメや「液体検査」でもある牛乳も調査。検査基準も厳しくし「10ベクレル以上」としている。今月は6日、13日、25日に町内産のコメや豚肉、茨城県産のニンジン、長野県産のジャガイモなど検査。13日分まではいずれも「放射性物質が存在しない」か「測定機器で検出できない低レベル」の『不検出』だった。今後、毎週1回2品を基準にしながら当分の間、検査を続けていく方針だ。

50年の歩み、2年ぶりに栄村で金婚式   6月15日号
 結婚50周年の夫婦を祝う栄村金婚式を13日、町役場ホールで開き、24組が島田村長らから祝福を受けた。同式は昨年は県境地震で中止。今年は2年ぶりの金婚式となった。対象の24組のうち13組の夫婦が出席。島田村長は「一口に50年というが、半世紀、喜びも悲しみも共に乗り越えてきた皆さん。さらにいっそう人生を楽しんでください」と、人生の先輩に敬意を表し、お祝いの言葉を贈った。

 式典は、村文化会館ホールで行い、着物姿の妻とスーツの夫が手を引いて案内する姿も見られ、ステージに揃った金婚式の13組に、会場に集まった老人クラブメンバーらから、大きな拍手が贈られた。金婚式出席を代表し、村議長の赤津安正さんは「いつのまにか50年。自分の顔を鏡で見て、またそんな年ではないと思っていたが、もう80歳目前。ばあさんとよくっこまで頑張ってきたと思う。これからの余生、何ができるか分かりませんが、恩返しをしていきたい」とお礼を述べていた。

 金婚式該当者は次の通り(昭和36年1月1日〜37年12月31日までの結婚者)。月岡美雄・幸代(白鳥)桜沢実・陸子(平滝)油科仲一・友子(同)島田和愛・しず枝(青倉)斎藤勝・かつ子(森)小林一守・洋子(泉平)島田米造・睦子(同)武田利夫・富江(同)保坂治夫・幸枝(箕作)上倉弘・春子(同)上倉一男・ナオエ(同)樋口清人・てる子(小滝)山本達雄・保子(野田沢)宮川正直・エイ子(同)宮川利彦・邦子(同)上倉利郎・映子(雪坪)上倉継男・秀子(同)廣瀬全利・アヤ子(志久見)赤津安正・律子(長瀬)中村敏二・アヤ(同)藤木甚一・幸子(原向)藤木光雄・エミ子(極野)山田由信・良江(屋敷)山田清・京子(同)

関東圏から農村体験、今期750人が津南町へ  6月15日号
 津南農村体験が今年スタートした。今夏は中学6校750人余が来町、その第一陣の狭山市立入間川中学2年生110人が10日から12日の3日間、津南に滞在。初日はニュー・グリーンピア津南に宿泊。翌日は町内卯ノ木で田植え体験、夜は地元33戸で民泊。地元住民の指導で初田植えに挑戦した川口浩輝君は「泥のなかはぬるっとして気持ち悪かったけど、植えるのは楽しい。自分が植えた苗がお米になるのが楽しみ」と田舎体験を満喫した。
 
 6年目の農村体験。民家には3人余が宿泊し、家庭での体験は一任。受入れ2年目、町内大井平の中島芳史さん(62)は昨年知人から譲られた木うすを使って餅つきを企画。津南産こがねもちを2升余用意、男子生徒3人と一緒に杵でつき、できたてを頬張るとみな満面の笑み。「都市の子は素直でみな一生懸命。去年の子は大雪をテレビでみて心配してくれて手紙をくれた。津南を覚えてくれるのは嬉しいこと。受入れはこっちも刺激になる」と中島さん。
 
 津南での農村体験は「人が優しく接してくれる」と評価が高く、来町を希望する学校が増加中。だが一方、受入れ農家は例年50戸余とほぼ横ばいの状況が続く。主催する町グリーンツーリズム室の田中ふみ子室長は「津南の日常生活を共に過ごすのが都市の子にとって一番良い経験。一度来た学校は津南を気に入り、継続して訪れています。興味がある方は協力を」と話す。

 今期は今月28〜29日・墨田区立墨田中120人、来月24〜26日・江戸川区立清新第二中98人、来月31日〜8月2日・同区立小岩第一中140人、8月28〜30日・越谷市立大袋中120人、9月11〜13日・横浜市立老松中150人が来訪。受入れ農家は随時受付。同室пi765)3115。

「40トンは正しいのでは」、JR東・佐坂所長が見解、試験放流途中で、論議呼びそう  6月8日号
 試験放流3年目をむかえているJR東日本・信濃川発電所・宮中取水ダム。昨年度の試験放流調査結果が4日、十日町市議会の「信濃川・清津川対策特別委員会」(山岸角太郎委員長・8人)に報告された。1年目、2年目の試験放流の調査結果を踏まえ、JR東・信濃川発電所業務改善事務所の佐坂秀俊所長は、2年間の調査結果に大きな変化がなかったと説明し、「信濃川中流域水環境改善検討委員会が示した学術的な水量の40dが正しかったのではないか」と、調査途中ながら「維持放流量毎秒40d」(取水制限流量)の正当性を踏み込んで説明し、各委員の関心を集めた。

 5年間実施の試験放流1年目の22年度の放流量は毎秒50d〜100dを年間4段階に分けた季節変動放流。2年目は同50d〜80dを同様に季節変動で放流した。委員会報告では、河川形態や水温、付着藻類、底生生物、河川景観、水質、河川利用など13項目の調査結果を示し、「試験放流初年度の22年度と23年度を比較し、大きな変化はなかった」と説明した。

 佐坂所長の見解は、委員からの質問、「2年間の試験放流をどう評価するか」に答えて述べた。同所長は「21年度は従属発電でかんがい用水取水があったが全量放流だった。試験放流1年目、2年目で大きな変化がなかったということは、信濃川中流域水環境改善検討委員会が10年間の科学的な調査の結果、信濃川の維持流量は40dという学術的な数字を出したが、(2年間の試験放流により)私たちは、その40dという数字が正しかったのではないかと考えている」と、5年間の試験放流の2年間を経て、早くも「維持流量40d」を示した形となり、今後論議を呼びそうだ。
 
 3年目の今年、その40dの試験放流を4月から7月19日と11月11日から3月31日まで実施する。  さらに来年の4年目は、全国で初となる「自然流量変動型試験放流」に取り組む。JR東はこのため宮中ダムゲートの改善に取り組んでいる。

 説明では「従来のゲートは、ボタン手動で吊り上げるが、開閉にはプラスマイナス3aほどの誤差があり、これまでは社員が実測していた。変動型になると毎日の操作が必要で、負担軽減とゲート開閉の精度アップのためプラスマイナス1aの精度にするために、昨年度3門、今年度の冬に3門、合計6門のゲート制御の検知精度アップの工事をしている」と、変動放流への取り組む方針を示した。

 委員からは、「毎日、信濃川を見て、流量が激減する状況を見て、放流量の必要性を実感として感じている。(維持流量を)40dとして流してもらっては困るという印象を受けている」(藤巻誠市議)、さらに「住民にとっては水量と共に川の景観が重要。3年目は年間通じて水量に大きな変化があり、この3年目で変化が出てくるのではないか。夏場80dから60dになる。水温が上がり河川変化が出るのではないか」(鈴木一郎市議)と、2年間の試験放流での判断は早計との見方を示した。

写真・市議会特別委で見解を述べる佐坂所長(右から4人目、4日)

総事業費15億円で建設、中里地区体育館が来年9月感性  6月8日号
 「合併条件」にもなっていた十日町市の『中里地区体育館』建設は先月25日に一般競争入札が行われ、本体工事は丸山・サンウッド新潟共同企業体が11億250万円(税込)で、電気工事は富井・庭野特定共同企業体が1億5540万円(同)で落札。6月市議会で承認を得た後、来年9月30日の完成をめざし建設に着手する。
 新体育館は鉄骨・鉄筋コンクリート一部2階建て延べ床面積約4272平方b。総事業費は約15億円を見込み、合併特例債と地域振興基金を活用、旧中里体育館跡地に建設する。
 
 アリーナは約1371平方bで、中里地区で活発なユニホッケーやバスケットのコート2面分を確保する。2階には376席の観覧席も設ける。さらに地元要望から剣道場(約264平方b)と柔道場(約287平方b)も設け、両道場を仕切る壁の取り払いも可能な計画で、武道の大会を誘致できる予定だ。また1階には事務室や男女更衣室などのほか、約64平方bのキッズルームも設ける。

中里地区体育館建設、老朽化する津南町総合センター、広域行政対応を  6月8日号
 津南町総合センターは今夏、事業費約1億3千万円をかけた大規模な改修工事を行う。町の避難所に指定していることから耐震工事が主で、併せて一部内装工事も行う。「今回の改修は、修繕を繰り返しながら使っていくというサイン。新築はしないという裏付だ」と指摘する声もある。老朽化の進行は避けられないことから今後、修繕費が嵩んでいくのは確実。一方、新総合センター建設構想は、5年ほど前から町体育協会関係者らが先進地視察など行っているが、具体的な計画は町の机上にはない。
   ○
 先月16日、町総合センターでスポーツ関係者と町議会総文福祉常任委員会との懇談会が開かれた。スポーツ団体から「修繕するのであれば、その費用を積み立てて新総合センターの建設を」と新築を望む声があったほか、現実的な問題として「新中里体育館と両方活用できる工夫が必要だ」といった要望も出た。また5月初旬にかけて開かれた議会・住民懇談会では「新中里地区体育館を津南町民も自由に使えるような、連携できる取組みに予算を活用すべき。町総合センターは取り壊すべきだ」といった具体的な提言も出ている。
 
 津南町教委・生涯学習班の高橋隆明班長は「魚沼地域全体での広域連携の話などもあり今後、さらに深まっていくだろう。中里地区体育館の連携について具体的なことはまだだが今後、検討していきたい」としている。

写真は昭和46年建設の津南町総合センター、老朽化で修繕費が増加している

連載「明日へ」 英国で見つけた思い「児童英語教育を」 滝沢朋恵さん 29歳
 「まもなくロンドンオリンピックですね。また行きたいですね」。21歳の時、約1年間、イギリスに語学留学した滝沢朋恵(29)。ケンブリッジでホームスティし、さまざまな国の同世代と交流した。今年の夏、大地の芸術祭がある。「外国の方々と会うのが楽しみです」。父が打つ「そば」を提供する店を手伝うかたわら、「英語の勉強はずっと続けています」。

 ふのり、ヤマゴボウの葉の繊維をつなぎに使う伝統的な「手打ちそば」。2年前に店開きし、その時から手伝う。そば栽培から製粉、そば打ちまで手がける「NPOかねさま蕎麦」の理事長であり、父である滝沢元一郎(61)のパワーに感心する。
 
 「私はなにも出来ません。お客様の接待ですが、『かねさま』については、よく聞かれます」。御品書には、その説明が書いてあり、「私もこれで勉強しました」。
 
 町内はじめ、町外からのリピーターが増えている。NPOでそば栽培し、そのそば粉100%で毎朝そば打ち。そば打ち職人の父は、畑、田んぼ、さらに県内外の広い交友関係で、各地へ行き、毎日時間に追われている。「あのエネルギーはすごいです。とても私はマネできません」。

 1年間の語学留学は、自分のためと共に「児童英語教育」に活かすための勉強だった。高校時代、「大学進学も考えましたが、児童英語教育に関心があり、それなら」と、語学の専門学校へ行き、卒業後、イギリスへ約1年間の語学留学。
 
 「語学力だけでは、自分では納得できませんでしたから、いろいろな所へ行き、いろいろな人たちと出会い話すことで、自分がすこし成長するのかなと思いました」。ホームスティでは、1室2人の共同生活。ホスト・マザーと合わずに退室する人もいて、ルームメイトが次々に代わった。そこにお国柄を感じた。帰国時、ホスト・マザーが『いつでも来なさい』と送ってくれた。「また行きたいですね」。

 児童英語教育。各地で多様な教室が開かれている。「英語の必要性は皆さん感じていると思います。できれば小学生から中学生くらいまでの英語教室を開きたいと思っています」。そのための勉強は帰国後、毎日欠かさないで続けている。
 
 「やはり楽しくないと続かないでしょう。特に子どもたちは。向こうでも児童教育の現場を見てきましたので、自分の中では、こんな教室にしたいというイメージあります。まだ準備段階ですが」。電子辞書を相手に想定会話で練習し、英語の本やニュースを毎日、読み、聞いている。
 
 「この夏、芸術祭があります。きっと外国の方々も来てくれると思います。津南の良さをいっぱいお話ししたいですね」。
       (敬称略)

閉校校舎を村営住宅に、栄村旧東部小学校  6月8日号
 閉校校舎を活用し、定住人口の増加に取り組むため栄村は、昨年3月末で閉校した東部小学校校舎の教室、職員室などを改造し、8室の村営住宅にする。今後、設計を完了し、8月には改造工事に取り組む方針だ。

 東部小学校は、津南との県境を流れる志久見川上流の長瀬地区にあり、昨年の県境地震では地域の避難所になった鉄筋コンクリート建ての強固な建物。校舎の前を県道が走り、階下には駐車スペースがあり、冬季でも安心して住める環境にある。
改造計画は、同校者の2、3階部分の職員室や校長室、教室などを8室の居住室に改造する。計画では2LDK(66平方b〜74平方b)6室、3LDK(90平方b)2室を造成。村では、「若者向け居室と考えている」と、オープンキッチンやダイニングスペース、フロア部分を拡充する方針だ。

 改造事業費は約1・6億円を見込み、総務賞の社会資本整備総合交付金事業を導入し国補助2分の1。他の財源は起債で対応する。議会議決後の8月に着工予定で完成は今年度末。入居料は村営住宅条例に基づき新たに設定する。なお、同校舎の体育館は従来通り社会体育施設として活用していく。

 一方、震災復興住宅は村内8地区に34世帯分18棟を建設予定。建設集落は青倉、横倉、森、月岡、小滝、大久保、野田沢、北野の8集落を予定している。建設は長野県住宅供給公社が行い、今月下旬までに入札し、早ければ月内着工で、年内降雪前の入居をめざす。

信濃川をラフティング、川面から絶景満喫  6月8日号
 ○…「気分は最高」―。 津南地域の信濃川の魅力を体験する第3回千曲川信濃川リバーフェスティバルが3日、クアハウス津南をメイン会場に開かれ、地元から参加の家族連れら総勢80人余りが信濃川・クアハウス―下船渡本村間6`のラフティングを楽しんだ。
 
 ○…県内外のアウトドア業者らを中心につくる千曲川信濃川親水協議会が主催。昨年は県境地震の影響で6月の予定が秋に延び、秋の開催が豪雨で中止になるなど、今回は2年ぶりの開催となった。「雪解けで水量も比較的抱負で新緑が美しいこの時期が一番」と事務局を務める岡村昌幸さん。父に連れられて参加した下条小2年、大渕彩葉さんは「波が立っているところがあったり、とっても楽しかった。毎回参加したい」と大喜びだった。

八箇峠トンネル事故、4人が犠牲、可燃性ガスが爆発、工事全面ストップ 6月1日号
 関越高速道と北陸自動車道を結び、南魚沼・六日町ー十日町市ー上越を通る地域高規格道「上越魚沼快速道」の「八箇峠道路」八箇峠トンネル(全長2・84`)で24日午前10時半頃、坑口から約1・2`付近で爆発事故が発生、坑内にいた作業員4人が犠牲となったほか、トンネル出口で作業中の3人も重軽傷を負った。同トンネルは、冬場や豪雨時の難所、国道253号八箇峠の危険解消のバイパス道として六日町と十日町の両側から掘削工事を進めている。さらに同ルートは地域医療の救急搬送道として期待が高く、地元は早期開通を切望している。今回の事故で両側の工事が全面ストップし、再開のメドは立っていない。開通の遅れを懸念する声が上がっている。

 爆発事故は、六日町坑口から約1・2`入った付近に高濃度の可燃性ガスが充満し、何らかの引火で爆発したもよう。坑内にいた工事業者・佐藤工業社員らの小林大輔さん(37、千葉・市川市)越井幸吉さん(57、富山市)、土田雄史さん(40、横浜市)、大谷雅之さん(39、川崎市)の4人が爆発による外傷性ショックで死亡、即死状態という。発火原因は調査中だ。 
 
 同トンネル工事は、北陸地方整備局が発注し、佐藤工業(本社・東京)が受注。六日町側工区1・6`のうちこれまで約1・43`を掘削。だが昨年7月の異常豪雨で作業道が流失し、以降工事はストップ。約10ヵ月ぶりに工事再開のため

 坑内に入り、排気設備など機器点検に入った4人が犠牲になった。現場は依然として高濃度の可燃性ガスが充満し、現場検証などを妨げている。猛烈な爆風で坑内は、設備機器や鋼材などが山積みでガレキが散乱し爆発の凄まじさを物語る。
     

 同トンネルは2007年、六日町側(工区約1・6`)から着工。十日町側(同約1・2`)が年後の2010年着手。2014年に貫通予定だった。同トンネルは05年、当初ルートの地質問題や可燃性ガス発生の懸念からルート変更。だが今回、何らかの原因で可燃性ガスが充満、爆発した。10ヵ月ぶりの工事再開、その安全確認、ガス検知の作業指示など管理責任が問われている。発火原因と共に警察や国土交通省は佐藤工業などを調べている。

写真・坑口から約1.2`付近で可燃性ガスが爆発し、4人が死亡。26日、救助に向かう消防隊員。この奥に4人が倒れていた(26日、北陸地方整備局提供)

八箇峠トンネル事故、早期開通に影響、原因究明が難航  6月1日号
 今回の事故は、地元が待望する早期開通に、大きく影響しそうだ。八箇峠道路が国の計画ルートに認定された1994年。十日町市議会の議長であり、地元八箇地区振興会長として同計画を進め、現在も地元組織・八箇峠道路促進協議会長として事業推進役の斎木実さん(81)は、事故の影響を心配する。「なにより原因究明が最優先だろう。昨年7月末の豪雨以来、工事はストップしている。なんとか早急に工事再開してほしい」と、爆発事故の影響を心配する。

 同道は地域医療の充実にとっても重要ルート。南魚沼・浦佐に4年後に開院予定の魚沼基幹病院(仮称)への救急搬送道であり、なにより現道の危険性、特に冬場の凍結や雪崩、豪雨災害が過去に何度も発生し、犠牲者も出ている。「これ以上、犠牲者は出せない」と早期開通を切望している。

 同道路は今年度、八箇ー六日町野田地区間6・6`に、国予算33・5億円の事業予算がつき、2年後の貫通が現実化していた。その矢先の今回の爆発事故。関係地元では工事の遅れを懸念する声が上がっている。

写真・八箇峠トンネルのルート地図。

シーズン到来、秋山郷山開き  6月1日号
 ◎…きょう1日、苗場山(2145b)など秋山郷の2千b級の山々は山開き。上信越国立公園に入り、百名山の苗場山、2百名山の鳥甲山(2037b)、佐武流山(2191b)は年々人気を集める。シーズンを前に26日、絶好の快晴の中、山頂センターへの荷上げを行い、東邦航空チャーター・ヘリで約25dの水、食料や燃料などを上げた。燃料担当の島田和栄さん(53、大阪屋商店)が快晴の荷上げを撮った。「思っていたより残雪が少なかった」。シーズン到来だ。

 ◎…山頂の「苗場山自然体験交流センター」(苗場山慣行経営)は、360度のパノラマで北アルプスや日本海が望める。昨年は震災の影響で入山、宿泊者が減少。一昨年は3千7百人余が宿泊し、50代以上のグループが目立った。「山ガール人気」で若い女性もちらほら。山頂センター経営の苗場山観光・中沢茂社長は「順調に予約が入り、10月には三山縦走のツアーも入っている。学校登山が少なくなり残念。山頂で泊まり、山の魅力をもっと感じてほしいですね」と話す。山頂の宿泊予約は025・767・2202(栄村秋山支所)。

写真・快晴の中、25dの物資を荷揚げ。まだ一面の雪景色だ(26日、苗場山頂で、島田和栄さん写す)

民俗研究に生涯尽す、94歳の滝沢秀一さん死去  6月1日号
 「さぁ皆さん、何かひと言でもいいから、話しましょうよ」。温和な笑顔で語りかけると、座が和み、話が出始める。「民俗は、人が生きてきた証しを、次の世代に受け継ぐこと」。お年寄りが集まり、次々と湧き水のように語りが続く。滝沢秀一さんは、聞き上手であり、引き出し上手だった。

 幻の布、縄文の布と形容される「編布・アンギン」。民俗学者・小林存(ながろう)氏と出会い、さらに昭和28年の日本民俗学の第一人者、宮本常一氏との出会いが、その後の歩みを見出した。「越後縮の紡織用具及び関連資料(昭和61年)、「秋山郷及び周辺地域の山村生産用具」(平成3年)、「十日町の積雪期の用具」(同年)の3分野で国重要文化財指定を主導的に関わり、その聞き取り、民具収集調査は、「秀一さんと話したい」と、人生の先達から厚い信頼を受けていた。

 「古い民具は邪魔もの扱いされ捨てられる。だが民具は自然と人間の関わりの歴史であり、人間の生き方を伝えている」(1988年文部大臣表象談)。その語り継ぐ場として『津南民俗懇話会』を立ち上げ、語り、記録する活動を続けた。

 秋山郷をこよなく愛した。何百回となく訪れた。秋山郷のほぼ全戸を歩き、家々を訪ねた。「自然環境が厳しい地域だけに、人間が営々と生きてきた歴史が結集され、にじみ込んでいる地域。今の世にあり、何が大切か、我々は何をしなければならないか、それを考える場である」(1999年叙勲談)。

  滝沢氏の民俗研究、さらにアンギン研究を求め、全国から研究者が訪れた。特に民俗文化映像研究所(東京)の姫田忠義氏、新潟県民俗学会・駒形覐氏とは、人生の3分の2以上の付き合い。秋山郷とアンギンを映像化するため、姫田氏は何度も滝沢氏を訪ね、カメラを回し始めるが、予算などの関係で実現せず、滝沢氏は「いま記録しなければ、もうできないだろう」と残念がった。
 県民俗学会の駒形会長は、
十日町高教諭時代、「谷内の民俗」調査を滝沢氏と共に取り組み、共に秋山郷はじめ地域の年中行事調査など、一緒に歩いた。「かけがいのない友を失った」と悼み、県民俗学会の今月会報に追悼文を掲載する予定だ。
  
 最期は、次女・由美子さんを腕の中で迎えた。「父から、自分の母の最期を母を腕の中で抱きしめてむかえた、と聞いていたので、父の思いを受けとめ、私も父を抱きました。本当に安らかに旅立ちました」。94歳の最期は、娘の腕で眠るように、逝った。
    
 
 5月25日午前11時24分、入院先の町立津南病院で死去。94歳(大正7年1月2日生)、葬儀告別式は27日、故人の意思から近親者による家族葬で實相庵(
津南町赤沢)で執り行った。喪主は次女・由美子さん。自宅は津南町赤沢。

 滝沢秀一氏の代表著書「越後のアンギン」(共著・津南町教育委員会)、「秋山郷」(共著・新潟県教育委員会)、「新潟県中魚沼地方における釜神様」(民具論集・慶文社)、「小正月行事のモノツクリ」(共著・日本常民文化研究所)、「アンギンと釜神さま」(国書刊行会)など。津南新聞コラム「木耳草声」を長年担当。

写真・アンギン研究に生涯を尽した滝沢秀一氏(昭和63年10月)

連載「明日へ」 20歳で地域づくり協力隊へ、東京出身・大庭ひとみさん  6月1日号
 「よく来たの。まぁ、お茶飲んでいかっしゃい」。くねくね坂道を、軽ワゴン車を運転し訪れた大庭ひとみ(21)に声がかかる。清津川の上流、清津峡につながる渓谷地の丘陵にある「西方」集落。通勤農業する人はいるが、暮らすのは小林正知(85)ただひとり。冬場は、住人はいなくなる。日ごと色濃くなる新緑、野鳥さえずり、今月末には蛍が舞う。
「静かですね」。(敬称略)

 昨年4月、「地域づくり協力隊」の全国最年少といわれた20歳で、十日町市の清津峡地区に入る。7集落を担当する。この日訪れた西方も、その一つ。
「東京しか知らないで育ったので、自然への憧れのようなものがありました」。高卒後、C・W・ニコルが必要性を提唱し、19年前に設立の「東京環境保全工科専門学校」で2年間、動物、植物など自然環境のありかた全般を、新潟・黒姫や山梨での実習を通じて学ぶ。卒業時には、屋久島に1週間余り滞在し、「屋久杉」の生育環境などを調査し、まとめた。

 「自然という広い分野の中で、私は里山の大切さを知り、そこに暮らす人たちとの関係に関心を抱きました。特に、おばあちゃんの知恵など、ぜひ後世に残したいですね」。旧清津峡小教員住宅を拠点に毎日、同地区の7集落(角間、葎沢、小出、西田尻、西方、土倉、倉下の約90世帯3百人)を回り、住民らと「お茶飲み談義」し、情報を集め、地域の課題や地区活動のヒントを得ている。
全国に先駆けて十日町市が導入した「地域づくり協力隊」。これまでに17人を受け入れ、市内各所で援農や行事企画、高齢者支援などで活動している。

 この夏、大地の芸術祭がある。清津峡地区でも多くの作品が展開される。旧清津峡小では劇団サンプルが作品発表する。8月6日に旧小学校に入り公開練習を行い、最後の3日間(24、25、26日)同校で公演。最終日の26日、「地域の人たちとお祭を開こうと、地元の人たちと企画づくりを始めています」。

 高齢化が進む地域。だがお年寄りは元気だ。「いろいろ教えていただいています。やはり、畑仕事などが元気の源になっているようです」。今年初めて畑にチャレンジする。「そうですね、キュウリやトマト、ナスでしょうか。先生はいっぱいいますから」。小学校の活用、集落行事の維持や復活、若い世代や女性、高齢者などの集いの場づくりなどを住民と共に考えている。

 1年の暮らしから、将来の自分の姿が、見えてきている。「ここに来る前は、この3年間が自分のレベルアップになればと思っていましたが、こうした暮らしの大切さを感じています。普通の会社員などにはなりたくない、そういう思いがより強くなっています」。田舎暮らしへの期待感が、1年を経て、確信に変わってきている。
専門学校時代の友だち、東京の両親も、ここに来た。『ひとみ、変わったね』と言われる。地元の「清津山の会」に入り、小松原清掃登山にも参加。「自分でも、積極的になってきているように感じます。毎日が発見です。生きている、と感じますね」。

10年計画で「津南学」発刊、今月創刊号を  6月1日号
 津南町教育委員会が10年計画の壮大な文化事業に取り組む。「五感を通して津南を見るー津南学」を今後、テーマを決めて毎年1巻ずつ発刊していく。創刊号は今月発刊し、「烏踊りと良寛」(村杉弘氏)や先月25日死去したアンギン研究の第一人者、滝沢秀一氏の「日本海の民芸」などを収録し、さらに巻頭グラビアでは、貴重な民衆の年中行事写真を載せるなど、失われつつある津南の民衆文化、生業など貴重な記録となる。すでに来年の発刊準備に入っている。
 
 『津南の文化を支える礎(いしずえ)になるもの』。この津南学創刊の思いを町教育委員会の文化財専門員、佐藤雅一氏は語る。毎1巻、10年間で10巻を発刊し、津南地域の民衆文化を多様な切り口でまとめ、各巻にテーマを設け、地元の研究家、地域に関係する研究者など、それぞれの専門分野を記述する。同時に、津南町なじょもん講座の収録など、「10年間の発刊で、津南の文化の集大成がまとまる」と期待が集まる。
 
 創刊号では、このほか「植物繊維を編むーアンギンの里、津南の編み技術と歴史」、「津南周辺の薬草あれこれ」」、「アンギンに出会ったころ」、「外から見た津南町の縄文時代」、さらに「太井平和紙の今昔」、「秋山郷探訪、見倉集落を訪ねて」など、津南の基層文化を興味深く記している。

  同書は1千部発刊。6百部は東販を通じて全国書店に置かれ、4百部を町教委が購入し、町内観光施設などに置く。同書は税込1575円。問合せは最寄の書店や津南町なじょもんрO25・765・5511。

パラリンピック金メダリスト・新田選手、津南中で講演「不可能は可能性」  6月1日号
 幼少の頃に左手を失いながらも高校2年の17歳の時、長野パラリンピックに出場し、以降4大会連続で五輪出場のクロスカントリースキー選手、新田佳浩選手は「嫌だと思った事でもやれば、何かに気づく、それが自信になっていく」と選手経験を振り返り語った。先月28日、津南中学(鈴木正校長)で開いたスポーツ講演会で生徒219人に熱く訴えた。

 岡山生まれの新田選手は3歳の時、米収穫のコンバインに挟まれ左手を失った。「あの頃は、また手が生えてくると思っていました」と振り返るが、父親は「手がなくても自分でやりなさい」と厳しく育てた。小学ではソフトボールに取り組み、中学でクロカンに出会う。中3の時、岡山代表で全国中学スキー大会に出場。この全中がパラリンピックとの出会いになった。

 『パラリンピックに出ないか』と誘われた。「あの全中出場がなければ、今の僕はないかもしれない」。高校2年で長野パラリンピックに出場。以降、ソルトレーク、トリノ、そして29歳でバンクーバー大会に出場し2種目で金メダル。4大会連続出場中だ。
 講演では、「運動靴の紐を片手で結べますか」、「片手が使えないで縄跳びを飛べますか」と、生徒に問いかけ実演した。「できないと諦めたら、そこで終り。視点を変えて、どうしたらできるか考える、これはスポーツに限ったことではない」。 
トリノでは「金メダルが取れる」と臨んだが転倒。トリノの失敗から自分の状態を数値化した。「陸上などではタイムだが、クロカンでも数値化することで、目標が分かり、次に何をすべきか明確になっていく」と具体的にアドバイス。

 2年後のソチをめざす。「あと650日余りバンクーバー以降、目標を見失っていたが、障害者スポーツの現状を見る時、その競技環境の改善が必要で、自分が勝って、主張することで障害者スポーツの環境を良くしたい」と語り、オリンピック出場選手は、ウェアなど全額が国補助。パラリンピックは個人負担。「そのためにもソチで2連覇したい」と明確な目標を語った。

 中学生には、「不可能を可能と信じる心」を最後に述べた。「不可能とは自らの力で世界切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ」、「不可能とは現状に甘んじるための言い訳に過ぎない」、「不可能とは可能性だ」。講演後、郡市大会壮行会や部活動にも参加し、実技アドバイスを行った。

全国へ一歩、県大会優勝、津南中等校野球部  6月1日号
 春の県大会で県立津南中等校・高校課程軟式野球部(新井翼主将、18人)が初栄冠を勝ち取った。先月23、24日、新潟市のハードオフエコスタジアムでの北信越大会県予選に出場。県内4チームで争い、1回戦で大会10連覇中の新潟商業高を5対4の接戦で征し、勢いに乗り決勝の直江津中等校を12対0の7回コールドで撃破し春大会初優勝。2日から新潟市で開く北信越大会でも優勝をめざし、猛練習に励んでいる。
 
 同校高校野球部は昨年高野連に初加盟。昨春は準優勝、秋は県大会初制覇、さらに北信越大会で準優勝するなど着実に実力がアップ。今冬は豪雪の影響で5月までグラウンドが使用できず、週3回と少ない練習時間などのハンデを乗り越え、春大会初優勝を成し遂げた。

  創部からチームを支える6学年・新井主将は「一番のライバルの新潟商に勝てたのは嬉しい。全国に繋がる夏大会を前に、皆と楽しみながら北信越で勝ちたい」と話す。新潟商戦で3打点を取り勝利の原動力となった5学年・鈴木諭選手は「ピンチでも声を出し合ったのが県大会を勝てた要因。気持ちの強さはどこにも負けない」と意気込む。なお新井主将は北信越大会開催地代表として、開会式で選手宣誓を行う。


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