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2012年02月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
全国で金メダル、次は世界へ、津南出身・石田暖選手がSO大会で  2月24日号
 世界大会に通じる4年に一度開催のスペシャル・オリンピックス(SO)に新潟県代表で出場した津南町の石田暖選手(15、県立小出特別支援学校中学部3年)は、リレーで金メダル、個人で銅メダルを獲得する活躍を見せた。個人で惜しくも3位だったため世界大会出場は叶わなかったが、今後の活躍が期待される。津南出身で同校コーチの瀧澤慶太教諭は、「ぜひ続けて、4年後は世界の舞台に立ってほしい」と期待感を寄せている。

 オリンピックイヤーに開催の同大会。ウィンタースポーツ7種目に全国から5千人の選手、役員が参加し今月11、12日、福島県で開催。クロスカントリースキーは猪苗代湖周辺で行い、石田選手は15歳から20歳までの成年A部門に出場した。

 男子1`スプリントでは、予選でトップと5秒差の2位で決勝へ。優勝が視野に入っていたが惜しくも3位。だが新潟県代表で男子リレー(1`×4人)に出場し、力走でチームを優勝に導き金メダル。石田選手は、「一生懸命に走りました。優勝できて嬉しいです」と、2つのメダルに満足そう。指導する瀧澤コーチは、「抜群の身体能力があり、4年後にはぜひ世界の舞台に立ってほしいし、立てる選手です」と話している。  

 石田選手は、スポーツ以外でも活躍する。昨年と今年連続で、一般参加の新潟県書道展で特選、準特選を受賞、全県の絵画展でも最優秀賞を獲得している。石田選手への支援の輪は、母校の津南小や津南中などからスキー用具などの支援に広がり、それに応える石田選手の活躍に、関係者は大きな喜びを抱いている。

 なお瀧澤教諭は、26日から来月6日までトルコで開く障がい者スキー選手権世界大会に、JOC日本オリンピック連盟の要請を受け、日本チームのコーチ兼ワックスマンで参戦し、ハンディ選手の伴走者選手としても出場する予定だ。

写真・メダル2つを獲得の石田暖選手(右)

津南出身101歳の画家・高橋勉画伯、「子たちの絵を飾りなさい」  2月24日号
 「子ども絵には、素晴らしい感性がいっぱいある。その絵を飾ってやるのが、大人の役割だ」。今年7月で101歳を迎える画家、高橋勉さん。生まれ故郷の津南町の情景が、いつも浮かぶ。今もカンバスに向かうが、最近の子どもたちを取り巻く環境が気になる。特に絵を通じての思いが湧き出る。

 「一般の多くの人は、絵というものに、同じような偏見を持っている。子どもの絵には、大人にはない絵の感性がある」。数年前、ふるさと訪問時、地区の公民館に立ち寄った。「公民館には空間がある。そこに、子どもの絵を飾りなさい。しっかり額縁に入れた絵を。毎月、順番に子どもの絵を飾る。選ぶ必要はない。絵の良し悪しなんて関係ない。その子は生涯、公民館に自分の絵が飾られたことを忘れないだろう」。

 なぜ、子どもの絵か。人が集う地区の公民館。その壁や部屋に子の絵を飾る。「仮に、ピカソの絵を1枚持ってきても、人だかりはするが、それ以上のものはない」。確かに、人が群れるはかりだ。「地元で育った子の絵は、やがて大人の絵に通じる。地域の将来を考える、などとよく言うが、子の絵を地元に飾る方が、どれだけ地域の将来のためになるか。その子の将来のためにもなる。『そうだ、俺の絵が公民館に飾られたことがあったな』、と思い返す時、故郷への思いと共に自信につながっていく。子どもたちの絵は、地域の将来につながるものだ」。


 何を描くか。「子どもは素晴らしい感性を持っている。感じたまま、見たままでいい。できた絵をこれがいい、あれがいいと選ぶほど無意味なことはない。津南はいくらでもモチーフはある。その素材をどう使うか、それが大人たちの役割だ」。

 なぜ、額に入れるのか。「額縁に入った自分の絵を見たら、子どもの意識が変わる。それが、自分が暮らす地の自然を見る目を育てていき、自信を育んでいくことなる。額に入れる、入れないには大きな違いがある。これを津南全域でやったら、津南の美術教育は立派な活動になる。とくかく身近なものに目を向け、接するようにする。それが見る目を育てていく。『あんたの絵は、あんたにしか描けない』、これでいい」。

 新潟師範(現新潟大)で絵を学び、中国・大連美術学校でさらに学ぶ。引揚げの混乱で、大陸で描いた作品はすべて没収。だが、当時から始めた俳句集は持ち帰った。今も創作する。「俳句は、鉛筆一本と紙があればいい。日記代わりだが、その時々の時間と空間を、その句に込めるから、いつ読み返しても、その時のことがよみがえる」。満州時代の創作を「大陸有情」にまとめた。日本に帰ってからの創作は、もう3千を超えている。

写真・「子たちの感性を」と高橋勉さん(19日、東京杉並の自宅で)

竜ヶ窪水問題、守る会が取水計画中止を求める  2月24日号
 竜ヶ窪の水問題で20日、飲料水使用する地元の谷内、岡集落の住民らで作る「龍ヶ窪の水と環境を守る会」(内山緑代表)は、大手コンビニによる取水問題の中止、撤回求める要望書を提出した。関係者5人が上村町長と懇談し、「全国的な観光スポットとなり、神秘的なったずまい、美しい景観、環境に魅かれ、訪れる人が増えている。この環境を守ってこそ、観光的な価値が高まり、地域の魅力が増す」と、今回の取水計画の中止を求めた。

 要望に対し、上村町長は「この自然を守り、後世に伝えなければと思っている私も、その1人だ。その守る方法で意見が分かれている」と話し、竜ヶ窪を守るという基本部分では共通認識であると話した。

 さらに、今回の大手コンビニが竜ヶ窪の最優先に交渉している背景にも言及。「企業は1年余りをかけ、全国調査した結果、竜ヶ窪の水が一番いいという結果を出した。これは嬉しいこと。企業側から、この名水を守るために保全資金の提供を提示している」と、民間企業の環境への取り組み姿勢を述べた。

 さらに、新潟県との関係にも及んだ。今回の大手コンビニの親会社、大手商社は、新潟県が産業振興提携する唯一の民間企業で、「泉田知事も、県としてバックアップすると話している」と、県も今回の大手企業の動向に関心を寄せていることを上村町長は明らかにした。

 要望書を提出した内山代表は、「竜ヶ窪の環境を守る活動は、これまでも、これからも地域とって、津南町にとって必要なこと。竜ヶ窪に関わらず、津南地域の湧水全般に関する勉強会を開いてほしい」と、水資源の保全への町としての取り組み姿勢を求めた。


 津南町の名水百選「竜ヶ窪」から取水し、ペットボトル飲料水販売を大手コンビニが計画している問題で町は、水道水源使用の直接地元の一つ、谷内集落の意向調査を行い、20日、その結果がまとまった。回収率約87・65%、142人が回答。反対50%、賛成と条件付賛成30%、分からない20%という結果になった。上村町長は「当初から地元にも話しているが、地元の意向が第一義であると考えている」と意向調査結果を受け止めている。今月29日開会の町議会3月議会でも、この水問題論議があるため、最終決定は議会後になる見込みだ。

 町が実施した意向調査は、自民基本台帳登録の18歳以上の162人を対象に、区長が各戸配布し回収。結果集計は20日、地元民4人が立会いし町役場で実施。学生など不在者を含むため実質回収率は90%以上。回答のうち取水に反対50%(71人)、賛成11%(16人)、条件付賛成19%(27人)、分からない20%(28人)という結果になった。

 年代別回答もある。31歳から40歳では賛成16%、条件付賛成42%、反対21%、分からない21%、41歳から60歳は賛成8%、条件付賛成31%、反対51%、分からない4%、さらに61歳以上は賛成10%、条件付賛成12%、反対58%、分からない20%と、若い年代層は賛成が多く、年齢が上がるにつれ、反対が多い。

 調査では理由も聞いている。賛成理由で多いのは「使用料で集落の運営が助かる」、「農産物などの有利販売が期待できる」、「雇用の場が増える」などを多く、「津南をPRできる」、「今の谷内集落を変えたい」など。

 一方、反対理由は「竜ヶ窪の環境に影響が出る」、「水量が減る」、「大企業だから工場を建ててからが心配」などが多く、「必ず自然に影響が出る」、「神聖な区域であり、たたりがある」、「金銭面でも雇用面でも見合うメリットがない」など。

 上村町長は、この意向調査結果を谷内集落に、配布する意向だ。「谷内、岡の皆さんに、津南を救ってくれというのが、私の真意だ。今回の事は、津南にとって大きな試金石と思っている。これまでの『何かやってくれる』という意識から、自分たちで何かやっていくという津南町に変わっていける、そういう町になる試金石と思っている」と、意向調査結果を受けた20日、取材に話している。

 来週28日、取水を希望する大手コンビニの担当常務が来町し、意向調査結果を説明を受け、上村町長と懇談することになっている。上村町長は、「議会でも取り上げられているので、結論は議会後になる」と見通しを話す。

連載「忘れない 今春閉校の上郷中学」進む少子化、戻って欲しい  2月24日号
 校舎前を流れる信濃川、その写真が表紙を飾る閉校記念誌を手に取る小林ツギヨ(79、寺石)。昭和22年に誕生した上郷中学の1期生。ページをめくると懐かしい校旗が目に入る。孫の小林公介(15)は、この学校の最後の卒業生。毎朝、「いってらっしゃい」と送り出す。「これも、何かの縁かね」。記念誌を見ていると、あの頃がよみがえる。65年の歳月が流れた。「子どもが減ってしまった。このままだと上郷が絶えてしまう。戻って来てほしいが…」。
 
 「上郷村立上郷中学校」の看板が新校舎に下がったのは昭和22年11月。それまでの7ヵ月は、同村の大井平・宮野原・寺石・上田の各小学校を間借りしていた。「戦後の貧しい時、木の床にゴザを敷いて授業を受けたよ」。50、60人の子たちで教室いっぱい。ツギヨの目に浮かぶ。「誰かの机に恋文が入っていたとか、そんな話は盛り上がったね」。墨塗り教科書、薄紙を生徒が裁断し糸通した教科書。「急に国の制度が変わり、ひとつ年齢が上の人も同級生だった。勉強なんか、まともにできなかったよ」。朝晩は家の畑、食事の手伝い、子どもは貴重な労働力だった。敗戦後の影響を色濃く受けた時代だ。 

 21人の最後の在校生の5倍以上、112人の同級生がいた島田眞之(76、宮野原)の4期生が、初めて新校舎で3年間過ごした。地元に21人が暮らす。同期生で『永友会』を作り、1年おきに同級会を開く。関東の同級生らは毎年1月に新年会を開いている。「閉校は残念、という声が多い。こんなに子どもが減るなんて、誰も思わなかった」。校庭の石拾いを思い出す。3千平方b余の広さを、生徒らが整備した。「川に近いから石がゴロゴロあり、きりがなかったな。先輩も後輩も汗だくでやったな」。
 昨年10月、その校庭には校歌を刻んだ記念碑を建てた。今年の秋には永友会を上郷で開く。幹事役の眞之、「団結力が強いのが上郷魂。今回は校舎を見たり、校庭に来て、思い出を話し合おうと思いますね」。閉校後の校舎は、何を語りかけてくるのか。

 毎朝、越手から自転車で通い、野球に取り組んだ中沢源(61)。上郷中同窓会長を10年余務め、閉校記念事業実行委員長でもある。毎年、入学式や卒業式に出席。年々、子どもの少なさが気になっていた。「統合は仕方がないと感じた」。体育祭、文化祭など校区あげて学校を盛り上げてきた。
 昨年11月閉校記念式。在校生、保護者、同窓生ら450人が集い歌った校歌斉唱。『しら雪の 越後の国原 中わけて 貫き流るる 信濃川…』、歌い出しと共に、思いが胸にこみ上げる。
「学校が無くなる、というのがどんなものか、初めて分かった」。あの校庭で走ったこと、体育館での演劇、同級生の顔、声…。校歌を歌う皆が泣いたあの日、忘れられない1日となった。

ふるさとに役立ちたい、東京栄村会、新たに27人加入し180人に  2月24日号
 「ふるさと栄村の役に立ちたい」と創立28年のふるさと応援団、東京栄村会の新年の集いは18日、東京市ヶ谷の私学会館アルカディアで開き、過去最多の百人が参加して開き、広瀬俊夫会長(横倉出身)は「栄村が大好きな人、栄村ともっと関わり、ふるさとの役に立とうではないか」と集まった参加者に呼びかけた。村からは島田村長、赤津議長らが出席し、震災からまもなく1年を向かえる村の復興ぶりを話し、同会からの義援金支援などに感謝。参加者は懐かしい故郷談義で盛り上がった。

 2年前に大幅な組織替えを行い、3部会(広報部、会員部、事業部)新設による組織活動の活発化をはかり、その部会長に60代を起用し、会員増強に取り組んでいる。23年度には新たに27人が
加わり、会員180人になっている。さらに昨年から「東京栄村会サポーターズ倶楽部」を立ち上げ、活動のふくらみを増している。昨年3月12日の栄村を直撃した県境地震では、いち早く支援に動き、414万円の義援金を村に贈っている。

 部会報告では、年3回発行の広報「とうきょうのさかえ」発行の広報部・上辻旦泰部会長(青倉出身)、新たなサポーターズ倶楽部をスタートさせた会員部会の関谷信一部会長(月岡出身)、村事業への積極参加や独自事業に取り組む事業部会の桜沢一章部会長(今泉出身)が活動実績などを報告。昨年は地震で中止になった7月1日の野々海祭りに参加するなど、さらに栄村との交流を深める計画だ。

 新年会では2代目会長の石澤秀信前会長(志久見出身)が東京栄村会発足からの講演を行い、会報継続のために全会員に順番に、毎号50人に原稿依頼したことなど思い出話を語った。同会には東京栄村会の生みの親、前村長の高橋彦芳さんも出席。さらに会員の紹介で、栄村を訪れたことがある「柳家さん八師匠」のミニ寄席も開かれ、会場は笑いと交友談義に包まれた。

 新年会には毎回、栄村から田舎工房がふるさと特産品出店を行い、石沢一男社長が参加者に特産品などを振る舞い、同会は恒例の栄村歌や信濃の国などを同会監事の油科重光さん(平滝出身)の指揮で参加者全員で歌い、村への思いを募らせていた。

きもの女王決まる、十日町雪まつり  2月24日号
 初代きもの女王は既婚者も―。十日町の観光大使役を務める第1回「十日町きもの女王」本選会が十日町雪まつり最終日の19日、クロス10で開かれ、3人が栄冠に輝いた。
 
 初代女王となったのは加茂市の書家・泉田祐子さん(35)、十日町市高田町出身で独協大3年の藤巻栞奈さん(21)、同市本町7出身で東京・文京区の主婦・中山弥子さん(30)。
 
 昨年まで「ミス十日町雪まつり」を行い、ミス3人を選んできたが、応募者の減少から「きもの女王」に改め、応募資格も既婚、未婚を問わないことにした。応募者は昨年を22人上回る65人となり、うち書類選考で選ばれた12人が本選会に出場した。
 
 選ばれた3人はそれぞれ「本当にうれしい。十日町のきものやイベントを全国にアピールしていきたい」などと抱負を語った。

写真・初代きもの女王に選ばれた泉田さん(左から)、藤巻さん、中山さん

新連載「忘れない 65年の歴史に幕、上郷中学」 声なき校舎「やっぱい寂しい」  2月17日号
 信濃川河畔。3b近い雪にすっぽり囲まれ、生徒の声がしない校舎が建つ。65年の歴史に今春、幕を下す津南町の上郷中学校。昭和37年には395人の在校生が、賑やかに集い、学んだ。昨年3月12日の県境地震で被災し、危険校舎で使用できなくなった。町中央部の津南中学で間借りして学ぶ最後の上郷中学生は23人。生徒の声が聞こえない上郷中学の学び舎。3千3百人余の人材を送り出した「津南町立上郷中学校」の、学校の門が閉じる今をリポートする。(文中敬称略) 

国道117号沿い。上郷中校舎入口の「魚兼本店」。昭和元年創業、道路拡張で昭和56年に現在地に移転、老舗仕出し屋。町内芦ヶ崎から嫁ぎ55年の西澤喜美(71)。「義父の話だと上郷だけで6百世帯もあったんだと。今はほんとに少なくなったねぇ」。旧上郷村役場を転用した2階建て木造校舎の姿が目に浮かぶ。店からは校庭が丸見え。子たちの姿を眺めながらの仕事。亡き夫との会話を思い出す。「下校時間じゃないのに、泣いて帰る子もいて、『体育が嫌いで途中で帰ってきたんだ。でも悔しいんだろうね』とか、そんな話をよくしましたね」。多感な子たちが集い、笑い、泣き、駆けた校庭。歓声が耳に残っている。

  歴史のページは、どこを開いても昨日のようによみがえる。昭和30年代、学校で地元青年会が映画会をよく開いた。白黒映画、人情物が多かった。娯楽の少ない時代、住民の集いの場になった。「板張りの体育館の床に、みんなで寝そべって見たね」。昼は子どもの学び舎、夜は地域の社交場。学校は地域の拠り所。
 
 上郷中で学んだ長男の昌喜(46)。23年前に津南に帰り、我が家で居酒屋『楠乃木』を開業。店の2階座敷は憩いの場。帰省した若者、青年らが集まる。みな上中の卒業生。「先生もよく暖簾をくぐってくれましたね。家族みたいな付き合いだね、みんな」。同級生集まりは、出会いの場にもなり、同級生夫婦も多い。「結婚相談員よりも、取り持ったんじゃないの」。最近はその孫たちが2階に集う。「東京に行った子がお菓子とかプレゼントしてくれる。ありがたいよね」。人と人の行き行き交いの場は、今も変わらない。
 
▽▽▽

 すべてが変わった。昨年3月12日の県境地震。耐震化していない体育館・教室棟は使用できなくなった。「上郷地震の後、耐震化工事ができてれば良かったのにね」。あれから11ヶ月、通学の子たちの声も、学校のチャイムも、先生の声も、聞こえない。2年の孫・克海(14)は、間借りの津南中に通う毎日。
 
 それは、閉校後の姿、と実感した。「孫には、最後の1年、この校舎に通ってほしかったね。人の声がないのは寂しいもんだね」。閉校後の校舎活用は、まだ決まっていない。「高齢者のサロン事業とか何か良い方法を考えて、また人が集まれる場所になると嬉しいね」。

  誰もいない校舎を見上げ、持ち前の明るい笑顔を見せたが、寂しさが漂う。

写真・上郷中学校前で仕出し店を営む西澤さん。上郷中の閉校を惜しむ

新十日町病院、設計予算9300万円予算化、魚沼基幹病院は今年着工  2月17日号
 魚沼基幹病院と同時期の2015年6月開院をめざす地域中核病院となる「新十日町病院」。その基本設計予算が県の新年度予算に計上された。敷地調査と基本設計を含む9千3百万円を予算化した。今後、実施設計、整備基本計画が作られ、本体着工となる。いよいよ新十日町病院の実現に向け動き出した。地元の関口市長は「先日、知事と会談した時、具体的な予算額を聞いた。今度は間違いない」と12日の松代での集会で話し、新病院実現への期待感を話した。

 新十日町病院は、2次医療を提供する地域中核病院として十日町市、津南町、長野県栄村を医療圏にする。建設場所は十日町市が医療機関や住民代表などで検討し、現在地での改築を決めている。さらに、新潟県が国に提出した地域医療再生計画による「地域医療再生基金」を活用することも決っており、新十日町病院の建設資金として100億円を見込み、同基金から10億円の活用が決っている。計画では来年度に本体着工し、魚沼基幹病院と同時期の2015年6月開院をめざすことになっている。

 新十日町病院は、県が国に提出した再生計画では、病床数275床(現病院と同数)、診療科は3科新設に17科(内科、神経内科、消化器科、心療内科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、放射線科、麻酔科、新設=総合診療科、リハビリテーション科、漢方内科)。さらに「地域医療連携センター」、「急性期人工透析機能整備」、「ガン治療・緩和センター的機能整備」、「周産期母子医療センターと連携の地域周産期医療機能の整備」などの施設整備を計画している。

 今回の県予算計上について地元の関口市長は「知事の決断で昨年策定された県地域医療再生計画に基づき、27年度中の開院をめざし十日町病院の建て替えが進むことは、長年、市民や圏域が望んでいたことで大変ありがたく思っている。新病院建設に向けた整備基本計画策定などが進められることになり、今後も県と連携し、協力関係を密にし、1日も早い開院に向け取り組んでいきたい」と話している。
 
 さらに、県議時代、県医療全般に渡る整備事業に関係した津南町の上村町長は「待ち望んだことであり、予定より早まった感がする。従来より私が主張してきたことが実現に向け、一歩動き出した。病人は建物が治すのではなく、医療、医師が治すもの。魚沼基幹病院との同時期開院しなければならないという必然性はないが、地域全体の医療システムアップをするのが基幹病院であり、中核的病院である。予算化は歓迎すべきことだ」と話している。
新十日町病院は、現在地での改築のため、診療活動を続けながらの改築となる。建設方法や入院病棟への騒音対策など課題は多いが、地域医療の充実への、大きな一歩が踏み出された。

写真・今年、本体建設に着工する魚沼基幹病院の完成予想図

次期へ布石、関口市長後援会、組織強化進む  2月17日号
 在職3年目、残任期1年余となっている十日町市の関口芳史市長。市政活動を通じ、課題の旧郡部への浸透を進め、すでに旧市町村すべてで後援会組織が出来ている。12日には松代地区で新春後援会拡大総会を開き、現在の支部組織を独立した「松代後援会」にする運動方針が示され、参加者の賛同で今夏までに独立後援会を誕生させる方針だ。 

 同会には支部役員など90人余が出席。松代支部長の前松代町長、関谷達治氏はJR東の水問題や文化ホール、さらに広域課題の新十日町病院に言及し、同市長の市政手腕を評価。「(新十日町病院で)知事は地元の熱意が大切という。市長が腹を決めれば、津南も同調してくれるだろう。市長の熱意で泉田知事と協議を進めてほしい」と、新病院の早期実現を要望。さらに、「市長は最低でも3期は必要。そのためにも、しっかりした後援会を作りあげたい」と独立後援会への取り組み方針を示した。   

 来賓出席の小堺議長は、震災や豪雨の災害復旧の遅れによる今春農業への影響を上げ、「農業地帯の当地であり、災害復旧を最優先に」と要請。さらに「市長が1期ごとに変わっては信用がなくなる。さらに上を狙うなら別だが、最低でも3期は必要。来年春は改選だ」と出席者に組織強化を促した。

 市政報告で関口市長は、国道252号松代―池尻間が今秋完成、松代中学を拠点とする「小中一貫校」実現と校舎建設、交流体験のさきがけの松代地区の取り組み評価、大地の芸術祭受入れなどを述べ、「日本を代表する中山間地のモデルに、今の松代地区はなっている。世田谷区の教育長が来られ、子どもたちの体験の場を求めていた。統合による空き校舎活用も考えられ、世田谷区立の小学校が松代にできるかもしれない」など、松代への期待感を述べた。

 なお、松代支部の独立後援会は今夏のお盆前に立ち上げ、今年末までに松代地区有権者の6割の組織化をめざす方針だ。

震災地の栄村、復興計画づくりスタート、委員長は信州大・木村教授  2月17日号
 震災復興の中核となる「栄村震災復興計画」の初会合を15日、役場庁舎で開き、委員長に就いた信州大・木村和弘名誉教授は、「栄村にとって一番大事な経過ウとなる。村が一丸となって、全員参加で震災前より栄村が良くなる計画を作り上げたい」と、同計画の重要性を話し、出席委員や村職員に協力を呼びかけた。第2回の3月末の委員会では、国の復興交付金事業を受けるために事業計画を村が提示し、委員会で協議することになっている。

 同委員は、公募で委嘱した村民委員5人を含む13人に、県市町村課長、村の副村長が加わる。初会合では、改めて昨年3月12日の県境地震の被害状況を報告。だが、委員からは「この被害調査は、実態が反映されていない。実態を即した再調査が必要」や「被害金額の算定も問題がある」など、震災被害の全体像を早急に把握する必要の意見が相次いだ。

 さらに、同復興計画と村総合振興計画(10ヶ年計画)との関係も論議された。木村委員長は「総合振興計画の上に立つもの。復興計画は5年間を目途とし、その後は総合振興計画の見直しを行い、復興をさらに進める」と位置づけを話した。また、委員からは「再度、集落懇談会を開くが、女性、若者などグループ別の懇談も必要」などの意見も聞かれた。

 計画では、委員会は5回ほど開き、6月までに計画の骨子を作り、9月までに計画案を策定後、集落懇談を開催。10月に村長に答申する。3月21日予定の第2回では、国の復興交付金を受ける事業計画案を協議する。   

 同委員会メンバーは次の通り。▼委員長=木村和▼委員=村山研一(信州大人文学部教授)渡辺利正(村農業委員会会長職務代理)山田地周(村福祉委員会長)福原初(村商工会監事)松尾眞(NPO栄村ネットワーク理事)相澤博文(栄村復興支援機構結い代表)窪田修治(県北信地方事務所長)加藤彰紀(小滝)広瀬進(横倉)中沢謙吾(小滝)関谷善彦(月岡)渡辺加奈子(青倉)

雪害現場を視察、衆院災害特別委、十日町・津南・栄村へ  2月17日号
 18年豪雪を上回るほどの積雪となっている十日町市と津南町、長野・栄村を衆院災害対策特別委(村井宗明委員長、13人)が13日に視察。地元自治体から除雪費支援など厳しい実情を説明、支援を訴えた。

  同特別委は十日町市役所中里支所で泉田知事や関口十日町市長、上村津南町長から豪雪における被害状況などの説明や「道路除雪費に対する財政支援」はじめ「特別交付税の増額配分」「空き家に対する除雪支援制度創設」など緊急要望を受けた後、雪崩危険地区など見て回った。
 
 JR越後田沢駅前では、屋根の雪下ろし作業などを見ながら「雪が完全に消えるのは5月初め頃になる」などと説明を受けると、「そんなにかかるのか」と驚きの声を上げていた。また津南町辰ノ口地区では、国道沿いの雪庇状態を説明しながら上村町長が「子どもたちは、雪庇が落ちそうなこの道を通って通学している。もう2回雪庇落としをしたがもうこの状態だ」と危険性を強調。「雪庇処理費を国で支援してほしい」などと訴えた。
 
 今回の要望では、道路除雪費支援のほか、問題となっている空き家の除雪に対する支援制度の創設などを特に強調。村井委員長は「今、豪雪対策特別措置法を審議しているが、除排雪の担い手不足や除雪費不足などに対応したい。特に雪庇の処理費や空き家対策についてしっかり検討したい」と述べていた。

 一方、栄村では阿部守一長野県知事、島田茂樹村長が今冬の豪雪被害を村役場で状況説明。一行は県境地震と大雪で落ちた中条橋、横倉の仮設住宅を巡回。阿部知事は今冬、1人が除雪中に亡くなった仮設住宅を県独自に断熱材増や二重サッシなど豪雪地に対応した作りを紹介。「豪雪に合わせ、地震の復旧復興に配慮を」とさらなる財政支援を要望。また島田村長は国道117号の迂回路整備促進の必要性を強調。「地震時もそうだが、長野と新潟を結ぶ主要幹線道路である国道に迂回路がない。県で計画はあるが財源は厳しい。国支援が必要」と求めた。
 
 視察を終え村井委員長は「他の被災地に比べ、復興が遅れている部分もある。国がしっかりと予算を充てて、一刻も早く復旧復興を成し遂げていきたい」と話した。

道祖神に願い、伝統行事に「集う   2月17日号
 ○…夜のどんど焼き―。津南町割野地区(171世帯599人)は12日夜、恒例の十二講を開催。鳥居がすっぽり埋まった鎮守・十二社の境内。ドウロクジンを設置。住民80人余が集い、夜空に浮かぶ火を見つめ五穀豊穣を祈った。
 
 ○…地元活動グループ・割野友野会(桑原公夫会長)が十二講を毎年行う。山の神に祈る「弓引き」神事も7年前に復活させ、伝統行事保存に取り組む。今年は雪壁を彫りぬきキャンドルを添えるなどし、来場者を楽しませていた。

「空き家」危険、私有物で対応苦慮、豪雪で屋根雪危険   2月10日号
 18年豪雪に迫る大雪になっている今冬。国の災害救助法の指定を受けた十日町市、津南町、栄村では、連日、豪雪対策本部が弱者世帯の救済や雪崩危険箇所の巡視、生活道路の除排雪に取り組んでいる。一方で毎冬、問題になる空き家の除雪が、今冬の大雪で、さらに問題になっている。5日、平野防災担当相が上越市などを豪雪巡視し、災害救助法指定の12市町との懇談で、「空き家の除排雪を行政が指導できる特例法を」と共同要望したが、現状での抜本策はない。空き家とはいえ私的財産であり、地元自治体が直接手を出せないのが現状で、十日町市の関口市長は、「災害救助法の指定が出た場合、自治体にそれなりの権限を与えてほしい」と、法整備を求めている。


 津南町の小下里地区。国道117号沿いに集落がある。その中央部に温泉宿だった建物がある。廃業して20年近くになる。茅葺き民家風の母屋は、18年豪雪時に倒壊し解体。だが、玄関部分は、今も残る。「この冬は、一度も屋根除雪をしていない。先日も、道路側の雪が落ち、大変だった」。同建物のすぐ前の住民は、3b近い積雪の屋根の雪を恐々見ている。

 この建物の所有者を、津南町は把握している。「町内の巡視や地元からの連絡を受けて、空き家の屋根雪の危険性などは、そのつど所有者に連絡し、除雪を促している」(町豪雪対策本部)。だが、この温泉宿の建物の所有者には、今冬は一度も除雪要請をしていない。近所の住民は、その危険性を話す。「すぐ前が道路で、先日も屋根雪が落ち、道路をふさぎ、近くの家まで雪が吹き込んだ。建物も古く、雪の重さで倒壊しないか心配だ」。津南町では、今冬の大雪で町や消防が「危険排除」で空き家を除雪した例はない。

 町豪対では「危険箇所の町内巡視のなかで、空き家なども見ているが、個人の住宅で、町としても、そう簡単に手は出せない。所有者に除雪を促すしかない」と話す。町内の危険空き家などの現状把握はしていない。

 一方、十日町市では今冬、これまでに5棟の空き家の屋根雪が危険なため市が費用を出し除排雪した。昨冬も1月、大雪のため建物の屋根雪が危険状態になり、十日町地域消防本部に要請し、空き家の除雪を実施した経過がある。市によると今冬の屋根雪など危険空き家は15棟余を確認しているが、「所有者に除雪要請を再三している」としている。だが、実情はなかなか除雪に応じない場合が多く、「法的な整備が必要」としている。

写真・今冬、一度も屋根雪を除雪していない空き家(津南町小下里で、7日)

栄村村長選、「ビジョンなき島田村政にノー」、村議多数が反旗、新人擁立へ  2月10日号
 任期満了(5月12日)に伴う栄村長選は4月17日告示、22日投票が決まっている。現職で1期目の島田茂樹村長(71)は、これまでに具体的な進退表明はしていない。だが、後援会は「続投」を前提に動きを見せているが、4年前の後援会とは一変している。特に、初当選で支持した村議の多くが、 『ビジョンなき島田村政はノー』と、新人擁立に動いている。だが、この新人擁立も難航し、2ヵ月後に迫った村長選は混迷している。

 先月29日、島田村長後援会(関澤榮市会長)の役員総会を開く予定だったが、急きょ、数人による役員会に変更。だが、その役員会も延期となった。後援会幹部は、「とても開ける状態ではない」と、前回とは後援会が一変している実情を話す。

 何が、変わったのか。島田村長は前回、「高橋村政を継承する」と、前村長・高橋彦芳氏の後継的な候補として出馬し、村議の多くが支持。超党派で作る「村民の会」(保坂良知会長)も高橋村政の継承という政治姿勢に賛同し、支持を打ち出し、対抗の新人、島田伯昭氏(現村議)に圧勝した。

 だが今回、その村議の多くが『見切りをつけた』(村議のひとり)。昨年秋以来、村長選に向けた動きが始まり、先月までに数回の関係者会合を持った。その席には、島田村長も出席した。
「村長、2期目へのビジョンは何か。今後の栄村の方向性は」
「これまで通りだ。公約の70%はやった。できないものは、できない」
「2期目をやるつもりなら、この栄村をどうするか、聞きたい」

 だが、数回の会合では、島田村長の口からは、2期目へのビジョンは、聞かれなかったという。村議は話す。「そもそも、ビジョンなどないのでは」と厳しい。前回、島田村長実現で動いた村議の多くは、その後、新人擁立の動きにシフトを変えている。
 
 前回の村長選で、島田村政実現の後押しになったのが「村民の会」。保坂会長は「もうちょっと待ってくれ。本人次第だ」と言葉少ない。同会関係者は話す。「島田村長は、彦芳さん(前村長)の村政を継承すると言ったから、村民の会も支持に回った。だが、引き継いだいのは事業だけ。肝心の村政への理念や村づくりの方向性は、この4年間を見ている限り、引き継いでない。これでは、我々も村民の皆さんに、なんとも言ってみようがない」。困惑を隠せない。

 村議会3月定例会は3月2日開会予定。その前に、後援会役員総会を開き、2期目への「出馬表明」をするのか。島田村長は、「震災復旧、復興の道半ば」と、続投の意思を感じさせる。だが一方で、「後援会が、もう辞めろといえば、それに従う」とも話している。

 県境地震の被災地で全国ネットに名が乗る栄村。村民からは、さらに厳しい声が上がる。「なにをゴタゴタしているんかね。村あげて震災復興に向かう時なのにね」。

信濃川河川環境、ダム放流と年間流況の検証を  2月10日号
 信濃川の河川環境を継続調査する信濃川中流域水環境改善検討協議会(西澤輝泰・新潟大名誉教授)は8日、十日町クロス10で第23回協議会を開き、JR東日本・宮中ダムの5年間の試験放流による河川環境調査2年目の結果と今年の調査計画、さらに東京電力・西大滝ダムの減水区間の河川環境調査結果と次年度の調査計画などが報告され、委員からは「河川の年間平均流況の評価と試験放流の関係も検証が必要」など、新たな課題が示された。同時に両ダムの魚道改修プランも公表された。

 宮中ダムの試験放流2年目報告では、ダム放流を毎秒50d〜80dの季節変動で実施した結果、魚類など生息場(澪筋、水深30a、幅13・5b)が連続確保されたなど法流効果を示した。一方で、サケ遡上では、水利権取消で全量放流した平成21年(サケ確認数160尾)以降、放流量減少で22年度146尾、23年度135尾と流量減少に比例するように減少傾向。だが調査したJR担当者は「信濃川全体で見た場合、大きな変化は見られない」と説明。委員からは「放流量の変化とサケの確認数が比例し、少なくなっている。放流量ではなく、川全体の平均流量の推移も見る必要がある」(大熊孝・新潟大名誉教授)と指摘。協議会事務局は「実際の流況の変化をどう評価するか、評価方法を研究し、次回までに示したい」と説明。さらに大熊委員は「実際の流況の評価により、試験放流との関係が検証できる」と、5年間の試験放流後の放流量決定にも影響を及ぼすデータと指摘した。同協議会では、23年度の同ダムの年間平均放流量は毎秒189d(前年は160d)と説明。試験放流と年間平均放流量との因果関係が、今後の焦点なりそうだ。

 一方、東京電力の西大滝ダムの減水区間のモニタリング調査結果では、同ダムでのサケ遡上調査で過去最多の35尾を確認。稚魚放流の成果が出ていることが伺える。魚道改修プランの説明では、魚道ゲート隔壁の下流側への傾倒が指摘され、「JR宮中ダムでは傾倒を改修するが、西大滝ダムでは」(十日町市・柴田建設部長)に対し、東京電力は「既設施設を有効活用する」と説明し、大型魚、小型魚・底生魚類用を含む改造プランを示した。

 宮中ダム試験放流検証委員会メンバーである中魚沼漁協・長谷川克一組合長は、5年間の試験放流後の本格的な放流量協議が重要と話す。「サケの遡上は稚魚の放流数とも大きく関係する。漁協では100万尾単位で毎年放流したい。自前産卵に取り組む。放流量の検証は5年程度では、よく分からない部分もある。川は生きているから」と、河川環境のあり方の根底を問うている。
 
 なお、JR・宮中ダムの魚道改修は24年度で終了し、地域貢献事業でもある川を上る魚が観察できる「魚道観察室」が6月頃から一般開放される予定だ。

定数削減、大胆改革で「20」はどうか  2月10日号
 「大胆な改革なら定数20に」―。議員定数の見直しを検討する十日町市議会の議会改革特別委員会(川田一幸委員長、委員8人)は6日、市役所で市内11地域協議会の代表を招き、議員定数と議員の職責について意見交換会を開いた。同協議会長らからは「定数20以下の削減を」や「定数24が妥当」「歳費を減らし、定数は余り減らさないように」「小選挙区制を」など様々な意見が出た。川田委員長は「寄せられた意見を参考に、3月には最終方針を議長に報告したい」としており、来年4月に予定される市議選に反映させたい方針だ。
 
 市議会の定数は現在30。同委員会では昨年9月からこれまでに6回の会合を開き、「議会改革と行財政改革のため、定数削減で質の高い議会をめざすべき」などとして『定数は24〜26に削減することが望ましい』と一定の方針を出している。
 
 会合では、各協議会長らが「あくまでも個人的な意見」としながら「県下20市のデータを基に人口的に割り出すと定数24が妥当ではないか」(下条・生越誠一さん)や「2割というのは軽微な印象。思い切った改革というのなら定数20とか22だろう。ただ大義が必要だ」(十日町・水落明さん)、「これまでの議員活動なら20人以下でいいのではないか」(十日町南・村山幸夫さん)という厳しい意見も出た。一方、「地域の声を聞いて市政に反映するとなると、定数は減らさずに歳費を減らした方がいいのでは」(吉田・佐藤敏夫さん)、「大幅な削減の場合は小選挙区制を」(中里・阿部隆嗣さん)などといった意見が出た。
 
 同市では4月から現在の地域協ごとに地域自治協議会が発足し、地域づくりの具体化を進めることになっており、市議と同協議会との関係も課題となっている。意見交換では「若い人が出やすい環境づくりなども必要。地域代表が定着しており、女性や職業別、年齢別といった選挙の検討も必要では」などといった意見も出ていた。

豪雪で古民家の玄関崩壊   2月10日号
 茅葺き民家の一部が連続降雪で倒壊した。4日午前10時頃、津南町上野の今春解体予定だった築220年余の古民家が雪の重みで壊れた。県境地震被災で全壊認定を受けており、家族は昨年末に新居に引っ越ししたため無事、隣家の住民にもケガはなかった。
 
 建物は雪解け後に取り壊す予定で、屋根雪除雪は5bほど離れた隣家側のみ行っていたという。近隣住民は「前日からメキメキ、と大きな音がして注意していた。でもまさか本当に壊れるなんて」と驚く。屋根の上は2b余の積雪があった。一方、所有者の津端勤さん(79)は「降雪前に解体したかったが、業者が人手不足でできなかった。けが人がでず本当によかった。ただ地震、大雪のせいとはいえ、住んでいた家が潰れるのは悲しいね」と話した。
 
 今冬の豪雪で、9日朝現在、十日町地域の計4件。萌木の里の玄関屋根が落雪で一部損壊。10件の建物被害が発生。津南町は非住家被害6件、うち全壊は倉庫1、空き家1。十日町市は住家一部損壊1、非住家全壊2、一部損壊1。倒壊家屋のなかには自治体が要請しても除雪しない所有者もおり、対応に苦慮している実情がある。なお津南町は今月3日、十日町市は先月29日に国災害救助法が適用、継続し雪害注意を呼びかけている。

お年寄り世帯を除雪ボランテイア  2月10日号
 ○…家を建てるプロたちが立ち上がった。津南町建築協議会(山田廣正会長、138人)は8日、町内大割野の要援護世帯3棟で除排雪ボランティアを初実施。同会メンバーら14人は3b余の積雪で1階部分がすっぽり埋まった民家の屋根や軒下などの雪を取り除き、4時間余汗を流した。独り暮らしの74歳女性は「屋根の除雪はもう5回も頼んだが、きりがない。歳をとって除雪もできないから、本当にありがたいねぇ」と感謝した。

 ○…契機は今月2日夜の会合。上村憲司町長や町内各事業所主らが集い「除雪業者が間に合わず困っている人がいる」と話を聞き、「それならば」と急きょ同会役員に声をかけ初の除雪ボラを組んだ。対象の要援護世帯は町と協議し決定。山田会長(56、山田木工所)は「連続降雪で困っている方は多く、みんなでひと肌脱ごう、と声をかけた。少しでも助けになれば」と話している。

絵手紙で感謝、被災地の栄村が全国の支援者に  2月10日号
◎…あの県境地震からもうすぐ1年。手厚い支援に感謝を込め、栄中(内川雅信校長、48人)が支援の御礼状に添える絵手紙作りを2日に行った。指導するのは栄村と縁が深い、絵手紙作家の山路智恵さん(30)。生徒全員がそれぞれ持ち寄ったリンゴや花、タマネギなど見本に絵を描き、感謝の言葉やメッセージを添えた。同中生徒の絵手紙は全作品をコピーし、礼状と同封し支援者や寄付者に送る方針だ。
 ◎…上手さではなく、伝えたい気持ちが重要な絵手紙。ミカンの絵を描き『雪がちらちら降っています。僕たちは元気です』と添えた1年の藤木健史君。「支援してくれた方のおかげで、凄い地震があってもみんな元気が出てきた。栄村は元気だよと伝えたい」と願いを込めた。新たな歩みをイメージし、自分のスニーカーを描き『大きな一歩』と書いた2年の山本梨乃さん。「震災から1年、新しい家もでき、復興は一歩一歩進んでいると感じています。一晩ずっと考えて出てきた言葉です」と満面の笑み。
 
 ◎…5年前にできたさかえ倶楽部スキー場体育館の山路智恵美術館も被災で休館。地震後、青倉など村内各地を巡り、筆を走らせた山路さん。「大地震後も、みなさんが優しい気持ちで生活しているのは幸せなこと。絵手紙から子どもたちの心が伝わってきました」と嬉しそう。なお同館は4月下旬に再オープン予定。山路さんの新作も展示する方針だ。

2012豪雪リポート  震災地を豪雪が、「頑張ってきたが…」、独り暮らし世帯直撃  2月3日号
 玄関は、屋根に届く雪が積みあがり、1階部分は埋まり居間は真っ暗。2階で寝起きしていると話す津南町羽倉の久保田なつさん(81)。「18年豪雪の時は、もっとすごかったな。家全体が埋まったようだった」。だが、今冬の雪は、11ヵ月前の県境地震が影響している。「ひとりで頑張ってきたが、この雪で、踏ん切りがついたな」。3月から、町内のケアハウスに入ることに決めた。

◇◇◆◇

 7年前に農業事故で夫、政栄さんを亡くす。子どもはいない。以来ずっと独り暮らし。築後150年という家は、夫の曾祖父が建てた古い家。政栄さんは、時間ができると家の修繕を行い、古い家ながら、あちこちに手直しした。「父ちゃんのおかげかな、地震で天井が落ちなかったのは」。

 昨年の3月11日、東日本大震災の東北の被災状況をテレビで見ていた。「あの時は、ここら辺も二回ほど長い揺れが続いた。今度は、こっちにくるかなと思って、寝る部屋の戸をあけて、あの日は寝たんだ」。

 日付が変わった翌12日午前3時59分。「ドーンというすごい音で目が覚め、すぐに家から飛び出した。揺れより、音の方がすごくて、揺れはあまり覚えていないな」。隣の人が、『家の車に入らっしゃい』と声をかけてくれた。   

 夜が明けてから家に戻った。壁は落ち、戸ははずれ、仏壇は倒れ、敷居はゆがみ、食器棚は倒れ、「家の中はめちゃくちゃだった。でも、天井は落ちなかった。父ちゃんのおかげかな、と思った」。
昨年も大雪だった。あの地震がひとつの契機になった。春5月。「もう年だし、踏ん切り時かな、とね」。津南町内の経費老人ホーム「ケアハウス」入居を申し込んだ。

 「本当は、ここでずっと暮らしたいよ。保健師さんにも話してるんだよ。『ここで死んでもいい』と。でも、もういいかな、と思ったんだ」。夫婦で頑張って守ってきた家。思い出が染み込んでいる家。でも、「もう充分、頑張ったよ」。自分に言い聞かせている。
津南町は、独り暮らし世帯などに除雪費支援を毎冬行い、除雪補助券3枚(1枚9500円)を、今冬は2枚増やし支援している。だが、「1日中、除雪してもらうと、すぐになくなってしまう」。

◇◇◆◇

 ケアハウスから連絡が入った。『2月から入居できます』。いざとなると、なかなか腰が上がらない。「この寒い時、引越すのは大変だて。3月からにしようと思っているんだが…」。雪に埋もれた我が家が、やはり愛おしい。真っ暗な1階の居間には、石油ストーブが一つ。持ち物は、最小限に片付けている。田んぼはすべて人に任せ、野菜は自分で作る。「なんせ、農業しか、しなかったから」。越冬野菜はたっぷり備蓄している。

 久々に青空がひと時顔を見せた31日。「これから、玄関屋根の雪掘りをするんだよ。これくらいは自分でしないとね」。政栄さん手作りの丸いカンジキをはき、手ぬぐいを頬かむり、身支度を整えた。「やっぱり、自分の家が一番さ。でもね…」。

 3月からはケアハウス暮らし。春には、家を取り壊すつもりだ。「雪になんて、負けちゃいられないが、独りでは、どうしようもないて」。笑顔が、ちょっと曇った。

写真・一時の晴れ間をみて、玄関屋根の除雪に向かう久保田なつさん。「これまで頑張ってきたが…」(1月31日、津南町羽倉で)

災害救助法適応の十日町市、松代・松之山に集中降雪  2月3日号
 十日町市内で最も多い積雪となっている松之山地区。支所の隣接地にある積雪計は2日朝、353aに達した。健康福祉課ではこれまでの経験から、豪雪予想をもとに先月中旬から要援護247世帯などを巡回。さらに聞き取り調査などを行っている。ただ世帯ごとの除排雪が限度を超す状態になってきていることから同支所では1日、県に対し除雪用バックホー9台の貸与を要望した。「除雪体制は今のところ順調に推移している。しかし雪の量が多いので、家庭の排雪作業を支援していきたい」(地域振興課)と話している。
     
 市内でいち早く災害救助法の適用を受けた松代地区。課題は他地区同様、要援護355世帯の支援だ。先月28日に児童民生委員らを中心に聞き取り調査を行い、今月6日までの屋根雪処理など対応策を取った。ただ「処理業者が間に合わず、優先させてほしいとお願いしている状態」(支所市民課)という。商店街のわき道は4bもの雪壁となっており、31日には交通確保をと圧雪状態となっていた中心街通りの集中除雪も行った。70代の男性は「もう5回も屋根の雪掘りをした。気温が低いので凍っているところもあり大変だ」と話し、小型除雪車で生活道路の除雪に当たっている高野重正運転手は「除雪した後から積もっている状態。屋根の雪下ろしで道も詰まるので苦労する」と悲鳴を上げている状態だ。

写真・4b近い積雪となった松代地区。住民生活に支障が出ている(1月31日)

18年豪雪の秋山郷、「隣近所で巡回、除雪を手助け」   2月3日号
 連日の降雪で3bを越える積雪となり、18年豪雪以来の「豪雪対策本部」を設置した津南町。あの18年豪雪で一時、孤立化した秋山郷地域。今冬はどうなのか。積雪312a(結東)となった31日、現地を訪ねた。地元民は、「18年豪雪より積雪は少ないが、今年は連日の降雪で休む間がない。体が続かないな」と、降る雪を恨めしそうに見ていた。

 深い谷に囲まれた秋山郷結東地区。戸数24戸。集落全体がすっぽりと、山の懐に抱かれたようなたたずまい。滝沢政則さん(74)は、我が家の除雪以外に連日、隣り近所などへ除雪の手伝いに出る。「18年の時は1月中に4bを越えた。今年は、あの時より積雪量は少ないが、降りやまない。休む間がないのが大変だな」。

 結東地区も高齢化が進む。24戸のうち独り暮らしは6世帯。うち2世帯は福祉施設に越した。滝沢さんは時間を見つけ集落内を回り、独り暮らし世帯などに声掛けしている。「これだけ降ると、『わや』が怖いな。雪で山のデコボコがなくなり、40、50aほど降ると、わやが起きるから」。『わや』は表層雪崩。新雪が大量に降ると、雪に断層ができ、その新雪部分が雪崩を起こす。

 18年豪雪時、結東はじめ秋山郷の生活道路、国道405号が集中降雪で通行止になり、秋山郷が一時、孤立化し、全国はじめ世界に流れた。以降、管理する新潟県は同道の改良を進め、雪崩防止策やスノーシェード、道路拡幅。管理体制も増員し12人体制、ロータリー除雪車1台増車している。県では「交通確保に全力をあげている。累計降雪などによる交通規制は設けていない」(十日町地域振興局維持管理課)としている。

 津南町は、集落の除雪を支援するため、オペレーター付の大型重機を各地に導入し、家の周辺除雪や屋根雪処理などに活用する方針だ。急病や救急車両の通行確保にも備えている。さらに、秋山郷地区には全戸に「テレビ電話」が導入されており、町との「ホットライン」がつながっている。

写真・18年豪雪で一時孤立化した秋山郷結東地区。「18年より少ないよ」と住民(1月31日)    

震災地の栄村・中条橋、真っ二つになり落下  2月3日号
 ◎…県境地震の震度6強で橋台から橋梁がはずれ、通行止になっていた被災地、栄村青倉の中条川に架かる鉄骨製の「中条橋」(全長95b、幅7b)が29日午後7時半頃、ドーンという破壊音と共に、ほぼ中央部から真っ二つに折れ、約20b下の谷に落下した。村では、橋には3bを越える積雪があり、雪の重さで折れたものと見ている。

 ◎…橋から30bほどに家がある島田敏子さん(70)は、その時、橋が見える部屋でテレビを見ていた。午後7時半頃、「ガガー、ドーン」と、何かがずり落ちる大きな音を聞いた。真っ暗のため、外を確認できず、翌朝8時前、外に出てみると中条橋が二つに折れて、谷に落下していた。「この大雪、橋には3bを越える雪が積もっていて、いつか落ちると思っていた。いくら使わなくなった橋とはいえ、これまでいっぱい世話になった橋が、あんな無残な姿になり、せつないですね」と島田さん。中条橋は昭和38年建設。昨年の県境地震で橋げたが両橋台からすれ、通行止となっていた。村では新年度から架け替えをする予定だった。

JR踏切事故から1年、清野社長が現場で「安全確認徹底を」、改めて謝罪  2月3日号
 JR飯山線の津南町寺石の大根原踏切で、当時、故障中の同踏切にJR社員が誤誘導した車と列車が衝突し、車を運転していた小千谷市の団体職員の男性(59)が死亡した事故から1日で1年が経過。この日、現場を訪れたJR東日本の清野智社長、同新潟支社・高木言芳支社長は、事故発生時刻の午後12時12分、同社幹部らと共に黙とうし、顕花した。清野社長は取材に対し、「心からご冥福をお祈りし、ご家族の方に深くお詫び申し上げます」と改めて謝罪し、再発防止の徹底を話した。同日、犠牲になった男性方には訪れず、清野社長は「ご家族のお許しがいただければ、ご位牌に手を合わせたい」と話したが、家族との和解協議は、いまだ解決していない。

 1年前の事故は、故障中の同踏切の復旧作業をしていた社員2人が安全を十分に確認しないまま、遮断機を持ち上げ、通りかかった男性のライトバンを通過させ、そこに列車が衝突。車はそのまま列車に押され、男性は脳内出血で死亡。当時、現場付近は3b積雪で、踏切両側も2b余の雪壁で、見通しが悪かった。

 この事故は現場社員の誤誘導と見て、国土交通省運輸安全委員会の鉄道事故調査官が現場に入り調査。一方、県警捜査1課と十日町署は関係者を聴取し、昨年7月19日、誤誘導した『男性社員2人を業務上過失往来危険と業務上過失致死容疑で地検長岡支部に書類送検した。だが、管理責任があるJR東日本の刑事責任は問わず、関係者から疑問の声が上がっていた。

 1日、事故現場を訪れた清野社長。現場を訪れた男性の職場関係者に改めて謝罪した。再発防止策については、「安全策は充分やってきたが、結果として大事故を起こしてしまった。事故後、列車一つ一つを確認し、一つ一つの作業を確実に完全に行うことを徹底し、安全を担保している」、さらに雪でストップが続く同線に対し、「今日は雪で飯山線は動いていないが本来、時間通りに動いているべきだが、こうした自然現象で、こうした(運休の)事態になることもあり、ご理解いただきたい」と話した。事故後、飯山線では全区間、踏切故障の場合、列車を止め、止まっていることを確認し、踏切を通ってもらうなど安全確認の方法を徹底している。

写真・事故現場を訪れ、犠牲になった男性の職場関係者に謝罪するJR東・清野社長(1日、津南町寺石・大根原踏切で)

歴史に学び、楽しんで克雪うを、第27回雪シンポ  2月3日号
 昨年に続き2年連続で災害救助法が適用された十日町市クロス10で1日に第27回雪シンポジウムが開かれ、克雪や利雪など雪国の活用法を地元パネリストら14人が発表。津南町からは上村憲司町長がパネル討議に参加、雪下にんじんや雪室の雪中貯蔵など、120人余の参集者に事例報告。一方、同シンポ実行委員長の関口芳史市長は昨年から続く天災を踏まえ「住民の安全を守るために高規格道、消雪パイプや流雪溝など整備を進める必要がある。豪雪にふさぎ込むのではなく、雪国を楽しむようにしたい」と強調した。
 
 基調講演は元十日町博物館長で神宮寺住職の竹内俊道氏。「雪国十日町の暮らしと文化」を演題に、昭和30年代の秋の冬支度模様や雪堀り、道ふみなど写真を交え語った。「古文書には雪の苦労話や困ったという記述は少ない。雪が降るのは当たり前として受け入れていた。だが今はどうか」と指摘。さらに近隣で定期的に公認市場が立った小千谷、十日町、堀之内に人が集まったとし「十日町は越後縮の産地で、最大の集積地。江戸に売るため問屋が生まれ、家が集まり、いわゆる大旦那も出て俳句など文化両面で活躍し記録を残した」と話す。加えて過疎高齢化が進む現状を「昔は織物と農業があり人が集まった。今は故郷に帰って来たくても帰れない者もいる。やはり雇用の確保が必要だ」と言及した。

職人の技を学ぶ、なわ職人・石沢今朝松さん  2月3日号
 ○…職人同士で伝統技を学ぶ―。県内の優れた手仕事師が認定される「なりわいの匠」たちの技術講習会が先月27日、十日町地域振興局で開催。十日町地域の職人20人が参加し、しめ縄と荷縄、わらじ作りのわら細工で技術交流。参加者は「やり方が違うもんだな」や「初めて作る」などと意見交換しながら、匠の技を学んでいた。
 
 ○…同匠はあんぼやそば打ち、わら仕事、お囃子など、地域に根付いた技術持つ住民を都市と農村の交流指導者として県知事が認定。県内2208人、うち十日町地域252人を認定。技術交流会は初めて。この日の指導は十日町市の庭野忠郎さん(赤倉)と井之川勝一さん(如来寺)、津南町の石沢今朝松さん(駒返り)が指導役。石沢さん(82)は「手仕事は体で覚えるもの。教えて教えられない部分もある。継続が一番。技術伝承のためにもまだまだ引退できないな」としめ縄作りのコツを伝授。同局では今後も技術講習会を開く方針だ。


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