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2011年04月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
農地被害深刻、米作りできず、激震で田が地滑り、亀裂  4月29日号   
 直下型激震で長野、新潟県境では家や道路に大きな被害が出ているが、雪消えと共に水田や水路など農業分野の被害の大きさが次第に明らかになってきている。農業時期を迎え、関係者は対応に追われている。


 津南町は、国営苗場山麓開発など大規模な農用地整備を進め、特に水路関係では、かんがい用水ダムからのパイプラインを張り巡らせた。そのパイプラインの被害が雪消え共に出始めている。所平と太井平地区で水漏れ報告が出ており、町は雪消え後、各所で通水して確認する方針だ。

 一方でここ10年ほどの間に農地整備、主に田んぼの区画整理を行った場所などで地割れ被害が目立つ。上野地区はじめ上郷地域に被害が目立ち、町では、国の災害復旧事業を適応し、地元負担を極力少なくし、復旧に当たる方針だ。

 一方、激震の直撃を受けて栄村は、中条川上流の大規模な土砂崩落で水田地への導水管が破壊され、地中に埋まった。このため同水路が、かんがい用水の森地区の「森の開田」約14fは、今期の米づくりは絶望的。同地では1120俵の収量が見込め、約千4百万円余の減収となる。多くが兼業農家だが、家計経済への影響は大きい。


 さらに千曲川沿いに棚田が広がる小滝地区は各所で田に地割れが走る。志久見川の段丘地、原向では幅1b余の地割れが田んぼを縦断している。

 村では、全村が激甚災害指定地のため災害復旧で対応する方針だが、事業基準があるため個別対応の難しさに直面している。ただ「田の地割れや畦割れなど、村独自の田直し事業で対応し、農家負担は3割以下にし、さらに負担軽減をめざしたい」(産業建設課震災復興第2班)としている。

 さらに、「とにかく田の作付けができるよう水路確保を行う。6月10日が田植えの期限。ぎりぎりまで作付けを広げたい」と話す。津南からオペレーター付重機を導入し、地割れ田などを早急に直す方針だ。

 一方、観光要素でカメラマンなど多数が訪れる十日町市松代の清水地区で、大規模の土砂崩れが発生し、人気の棚田景観だった一体が幅百b、長さ5百bに渡り崩れ、棚田2fが土砂埋まり、人気の景観は一変した。市ではさらに土砂崩れ発生が予想されるため、警戒している。

写真・激震で1b余の地割れが田んぼを縦断する栄村原向(27日)

シリーズ連載 3・12長野新潟県境地震「復興のシンボル、全国からの寄付で仮設公民館」  4月29日号
「バキバキーッ」。3月12日未明、震度6強の激震で2階部分がつぶれた栄村の青倉公民館。約30分後の震度6弱の余震で、持ちこたえていた屋根が崩れ落ちた。地区総会や共同作業後の慰労会、老人会の集まりなど、集落の中央にあった公民館は、青倉の住民たちの拠り所だった。
無残な姿をさらす公民館の前に、新たな集いの場が先週できた。2階建ての仮設公民館だ。

◇◇
 
 県境震災で、地区公民館やお宮も大きな被害を受けた。十日町市松之山の赤倉。6戸10人が暮らす。小高い丘に建つお宮(十二社)。激震で東川に土砂と共に崩落。春を迎えた今も、お宮は落ちたまま。「ご神体は社屋に入ったまま」という。地元の村山里志さん(81)。「地区はみんな無事だった。お宮が身代わりになってくれた。地元だけでは再建は難しいが、皆さんの力を借りてなんとか再建したい」。

 県境の志久見川上流、栄村極野のお宮(十二社)は、土台が部分崩落、社屋全体が傾き、支柱で支えている。8月第3土曜の秋祭りの舞台は無残な姿に変わり果てた。「家も被害を受けたが、地区の拠り所のお宮がこんなになって、せつない。秋祭りまでになんとか再建したい」。藤木八十治さん(69)は話す。地元民は震災の大きさを、今さながら感じている。

◇◇

 『公民館は住民の絆の拠点』。青倉公民館再建の呼びかけは震災から1週間後に始まった。栄村に魅力を感じ、栄村の良さを独自企画『むらたび』で全国アピールするNPO栄村ネットワーク。村外から移り住んだメンバーらが主体で呼びかけた。「日本の里100選の栄村を再生してほしい。住民の心の拠り所、公民館の再生は震災復興のシンボル」。かつて栄村を訪れた人たちに発信。「青倉公民館基金」の協力呼びかけがスタート。

 反応はすぐに返ってきた。百万円、2百万円を超えたある日、1通のメールがNPOメンバーに入った。『東北の被害は大きいが、長野県北部の被害も大きい。住民が集まる場がなくなり、それを再建しようという運動にぜひ協力したい』。そこには300万円寄付の申し出が、実名と共にあった。同NPOが毎日発信するレポートを、その人はブログで読み、栄村被害を知り、公民館基金の存在を知った。

◇◇
 
 「仮設でもいいから集うの場が必要」、「あの場所はどうか」、「資材が東北に回り品薄。価格が高くなりそうだ。早く決めよう」…。仮設公民館は、仲間が顔を合わせるたびに具体化。先週22日、2階建て仮設公民館ができた。崩れた公民館に入り、台所用品など持ち出し仮設に移した。小さい物置と洗濯などできる場も一緒に作った。

◇◇

 29日、ひと月遅れで開く青倉地区総会が、仮設公民館の初使用。今年度区長の島田秀夫さん(67)。「基金の呼びかけは大変ありがたい。こんなに早く仮設公民館ができるとは。皆が集まれる場がないと、皆の思いがばらばらになってしまう。皆が顔を合わせる場があれば、皆が元気になる」。青倉58戸、だが8戸は長野県内や県外に避難。29日の総会では「震災復興委員会」と「公民館再建委員会」を立ち上げた。畳を入れ20畳ほどの広さ。被災のお年寄りから、夜はここに避難しよう、という声も出ている。

 「この震災で、お年寄りがどれだけ心細くなっているのか、村は本当に分かっているのか」。基金呼びかけの事務局を務める広瀬明彦さん(52)。自宅は大規模半壊。飯山市の公営住宅に避難、毎日青倉に通っている。「青倉のコミュニテイーを守る、これが最優先。公民館がなくなり、その存在の大切さを区民みんなが感じている。多額の寄付、本当にありがたい」。青倉では、追加の見通しの、仮設住宅の設置場所を用意している。

 本格的に公民館の再建。災害復旧事業など村と連携し、「震災復興のシンボルになるような公民館を」めざすつもりだ。

写真・全国からも寄付で集まった基金で設置した青倉の仮設公民館

シリーズ連載 3・12県境地震 復興の足がかり  「学校被災、子たちに影響」、避難先からの通学支援を
 校歌の額も、校章もない津南町総合センターが入学式会場だった。「地震で校舎には入れません。同級生は4人と少ないですが、最後の上郷中学生の誇りを持ち、思い出に残る中学生活を送りたい」、石沢優亜矩さんは胸を張った。会場に並んだ満開の桜草は、上郷中から前日、先生たちが運んだ。上郷中は来年3月、閉校する。



 信濃川河畔に建つ上郷中学。玄関に地割れが走り、体育館天井パネルが崩落、窓枠がゆがんだ。被害調査で「危険」、いまも立入禁止。「校舎の敷地被害が残雪で分からない。雪消え後、早急に調査し地元説明したい」。津南町教育委員会の小野塚均次長。「生徒の気持ちを考えると、一日も早く校舎で授業再開したい」。構造設計士や地質の専門家を招き総点検する方針だ。

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 上郷中学から上流約4`。被災の体育館以外は使え、避難所に使った栄村の栄小学校。北信小と東部小が統合、4月に誕生した。
計画した栄小学校開校式は、震災で大きく変更された。祝いの企画はすべてなくした。新入学関係者に限られた参加で、ランチルームで開いた。

 「…未来へ歩む栄小」、新しい校歌は謳う。初めての全校合唱。先生の伴奏が途切れても、子どもたちはこの日のために覚えた校歌を歌いあげた。

 3月まで東部小校長だった大日方秀康氏。4月から栄小学校の初代校長。北信小67人、東部小19人。全校86人の栄小。「北信小の卒業生は633人、33年の歴史。東部小は908人の卒業生、52年の歴史。新しい栄小は1541人の卒業生を持ち、85年の歴史がある。一つになって、新しい校風を作ろう」。村の木、桐の花をデザインした校章が初披露された。

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 震災は子たちの通学に影響を与えている。飯山市や津南町、十日町市などへ家族と共に避難している16人の小学生。同地から通学。飯山市の県営住宅などで避難生活する11人の子たち。村は飯山市まで送迎バスを走らせている。だが、「飯山線復旧後は送迎バスはなくなります」。親たちの不安は大きい。

 村外避難には新入学の1年生もいる。列車通学は朝早く、夕方遅い。飯山市に避難の小学生2人の母親。「送迎バスが続くならここでいいですが…。村は親同士で共同送迎をと言いますが、人の子を乗せるのは心配です」。住む家がないから県営住宅に居るのに…。
宮川幹雄教育長も、頭を悩ます。「飯山市だけでなく津南町や十日町市に避難し、通学している子がいる。飯山だけを特別扱いできないが、なんとか手助けしたい」。飯山線定期換算の費用助成し、親同士の送迎ができないか、話を持ちかけている。


 仮設入居申込は今月27日まで。村は入居基準を「住む家がないと緊急度を最優先」とする。県営住宅への入居者などをどう見るか、村の被災者救済の姿勢が問われる。やむなく村外へ避難した家族。震災は、子たちの学びの場にも影響している。
『子どもは地域の宝』。皆が、そう思っている。

写真・4月12日に行われた新設統合で誕生した栄小学校入学式。

被災の栄村、住宅半壊以上は181棟、仮設住宅不足、入居基準も課題  4月22日号
 住宅再建など国の震災復興支援交付金の基準になる栄村の被害判定調査は18日終了し、21日から罹災(りさい)証明と仮説住宅入居申込みを配布、発送した。仮設申込み締切は今月27日。被害判定に伴う住宅再建相談会を25日から来月2日まで村役場で開く。

 
 被害判定調査では秋山郷の除く全村の住宅、車庫、倉庫など1480棟を対象に実施。住宅は約7百棟。村職員と県職員の30人で2週間に渡り行った結果、住宅では全壊33棟、大規模半壊18棟、半壊130棟の被害判定となった。村では仮設入居は半壊以上を対象にし、この181世帯が入居対象となる。


 仮設住宅は14日から北野天満温泉駐車場(5戸)、18日から横倉の栄小学校わき農村広場(35戸)の設置工事を始めている。
今回の判定調査で対象が181世帯あることが判明し、6月入居で進む仮設40戸では不足する状況。村は27日の入居申込を受け、不足の場合、早急に県に申請する方針だ。


 さらに課題になっているのが入居選定。「いま住む住宅がない被災者が最優先」(震災住宅対策係)としており、すでに県営住宅や公営施設に入居する被災者なども仮設申込みした場合の選定基準など、村では県などと協議し、不足分は早急に仮設設置を申請する方針だ。

写真・18日から横倉で始まった仮設住宅設置工事。ここには35戸設置する

24時間体制で復旧、震災の飯山線崩落現場  4月22日号
 ◎…震災で線路が宙に浮き、路盤が崩落したJR飯山線。栄村青倉と横倉間では、千曲川に沿って走る同線の3箇所で路盤が崩れ落ち、線路が宙吊りになった今回の県境地震。3月12日の地震発生以降、十日町駅ー戸狩野沢温泉駅間は今も不通。24時間体制のJR東の懸命な復旧作業で、今月末の前線復旧がメドがついた。地元自治体などへの非公式連絡では28日に復旧する見通しという。これだけの被害を受けながら、50日以内に復旧させるのは、JR東の同線への強い思いを感じる。


 ◎…震災被害は、栄村内が大きなダメージを受けたが、津南町側の越後足滝駅―越後田中駅間も土砂崩落など大きな被害を受けた。信濃川(千曲川)に沿って走る飯山線。同駅間は山側は急峻の崖、すぐ下は信濃川という厳しい地形の場所を通る。今回の地震で山側の数箇所から樹木と共に土砂崩落し、川まで流れ出た。部分的には路盤を損傷し、レールの取替えなど、復旧工事を進めている。


 ◎…同線では今年2月1日。積雪2bを越える豪雪の津南町寺石の故障中の踏切で、JR職員の誘導で踏切を車で渡った会社員が列車にはねられ死亡した事故が発生。さらにJR東・信濃川発電所の宮中取水ダムでの不正取水など、JR東にとって地域の信頼回復が「至上命令」の中での震災。復旧工事は24時間体制で2百人余な懸命の復旧工事にあたった。連休前の28日頃には復旧する見通しだ。

国道353号わき崩落、国道まで7b、迂回路新設へ  4月22日号
 十日町市宮沢地区の国道353号山側で土砂崩れが発生。震災の影響と見られ、土砂は国道に迫り今も片側交互交通が続く。余震が続き「強い地震が来れば道路が川に落ちるのでは」と不安が高まっている。
 

 崩落現場は中里の宮沢地区。先月12日の県境地震や以降の余震で道路側面で土砂崩れが発生。崩落防止面ごと高さ約60b、幅50bで崩落、国道まで約7bに迫っている。県はワイヤーセンサーを設置し、異常時に回転灯やサイレンで周知する体制で監視。さらに水抜き工事も行い応急対応している。
 

 同所は6年前の中越地震でも崩落し、コンクリートの法枠で補強。だが今回の震災では、その補強部分ごと川に落ちた。近隣に住む古高新蔵さん(77)は「地震の度に土が川の方に引っ張られている。余震が続き、これから梅雨などで大雨になった時が心配。抜本的な解決が必要だ」と早急対応を求めている。

写真・左上の集落を国道が通る。右下は清津川。百b以上の断崖だ

津南町婦人会、45年の活動に幕、新たな活動の場求め  4月22日号
 津南の歴史にまたひとつ幕が下りた。津南町婦人会(半戸ヨシイ会長)の解散総会が15日、町文化センターで開かれ、45年の活動に終止符を打った。昭和41年の発足当初、730人を数えた会員も現在は34人。半戸会長は「最近は若い世代の興味の多様化などで新会員の入会もなく、この閉塞感の中では解散はやむを得なかった」と話し今後、これまで活動して来た斎場の花壇づくりや県婦連との交流などは継続していくという。
 

 同婦人会は発足当時から「明るい家庭づくり運動」や「母と子の料理教室」、「ゴミ減量を考える町民大会」など女性の視点で地域活動を進めてきた同婦人会。「マイはし持参運動」や「レジ袋減らし隊」「津南斎場花壇づくり」などでは地域から大きな関心を集めた。また平成8年には県婦人連盟50周年記念大会をグリーンピア津南で開いて大きな注目を集めたほか、17年には40周年記念事業として「津南の暮し今昔」を発刊するなど幅広い活動を行って来た。今年度は県婦連との連携は継続していくという。
 

 母親も会員だったという宮沢ケン子さん(卯ノ木)は「唯一の婦人の学舎で、色々な場所に研修や見学に行かせていただき楽しく勉強させてもらいました。私の財産である多くの仲間、これは婦人会があったからです」と感慨深そうに話している。

写真・津南町婦人会の最後の役員メンバー

雪消えで現れた激震の爪あと、栄村の国道117号沿い、道路陥没  4月22日号
 ◎…雪消えと共に、激震の爪あとが姿を現した。3月12日午前3時59分。県境の栄村、津南町、十日町市を襲った局地的な激震。震度6強の栄村は、役場庁舎がある森、青倉、横倉、千曲川対岸の小滝、さらに県境の志久見川流域の東部地区などが大きな被害を受け、一時は千8百人近くが避難した。国道117号青倉トンネルを抜け、横倉集落に入る村道入口。これまで残雪で被害が覆われていたが、雪消えと共に、激震の激しさが姿を現してきた。


 ◎…この道路は旧国道。青倉トンネル開通前は、長野と新潟を結ぶ重要なルート。同トンネルの長野側出口付近、横倉集落へ下りる部分の山側が大きく陥没。路面のアスファルトがずたずたに崩れ、路面下の土砂が流出。1b超える段差ができ、道路川側へ崩れている場所もある。この旧国道沿いには、何箇所か水田地があり、この激震で水路損壊などが心配される。

手掘り井戸職人、30年のベテランが津南に  4月22日号
 大雪により津南地域の田畑にはまだ1b近い雪が残っている。豪雪時だけでなく、雪消えが遅れている春先にも融雪の大きな力となっているのが井戸水による消雪だ。井戸の掘削作業は今ではすっかり機械掘りに替わって来ているが、津南町にその手掘り井戸を続けている人がいる。津南町船山の高橋和典さん(63)だ。「体力勝負だからいつまで続くか分からない。が、要望があれば応えていきたい」と話している。
 

 高橋さんは町内では手掘り井戸の「老舗」だった外丸本村の福原工業で4年間の修行を経て昭和58年に独立。2人1組で作業するいわゆる「掘り抜き井戸」だ。当時は井戸ブームもあり、「1年中、仕事があった」という。しかし最近はエアー掘削など機械掘削が主流となり、20年ほど前に町内で6組ほど数えられた手掘り井戸職人も、現在は高橋さんだけという。福原工業も代表の福原長八さんが平成5年に亡くなり手掘り井戸に終止符を打った。「仕事の依頼も年に数えるくらいしかなくなったが、それでも途絶えることはないなあ」と高橋さん。最近は南魚沼地域からの依頼もあるそうだ。
 

 今月に入ってからは、町内正面の「カードック島田」から8年前に手がけた井戸の掘り下げ作業の依頼が来て作業した。井戸の深さは約15b。ウインチを使って底まで降り、削岩機を使って岩盤を削る。出た土砂は専用バケツに入れてウインチで吊り上げ、井戸口でもう一人の作業員が受け取るという工程だ。
 
 「手掘りでは一般的には深くても10bほどだが、34b掘ったこともある。それが俺の最高記録だな」。体力勝負の手掘り井戸作業、「まだまだ若い時にも負けてはいないさ」、そう元気に話し、地中の岩盤と「格闘」している。

シリーズ連載「3・12長野 新潟県境地震 復興の足がかり」  残雪が阻む被害調査  4月15日号
 こんな巨大地震が起るのかと、東日本大震災の被害を映す映像を見て休んだその夜。13時間後の3月12日午前3時59分。長野県と新潟県の県境地域を襲った大地震。震災から1ヵ月が過ぎ、震災復旧から復興へと動きが、少しずつ動き出している。住む家を失い、いまだ避難生活を送る人が90人余りいる栄村。住民の動きを中心に、復興への足がかりを探る。   (敬称略)


 まだ暗い早朝、突然襲った震度6強の激震。明るくなるにつれ、異様な景色が雪原に広がった。震源地に近い津南町穴山地区も、集落前に広がる雪原に、いく筋ものヒビ割れが走った。「中越地震では、こんな雪割れはなかった」。2b余の雪がひび割れた。住民は揺れの激しさを思い知った。

 あれから1ヵ月。まだ雪は1b余り残る。「この雪の下は田んぼ。被害がなければいいが」。和牛を飼い、コシヒカリも作る涌井益夫(57)は、雪消え後の田んぼが気になる。
     

 青空を一日も見ないほど集中降雪が続いた1月。「18年豪雪の再来か」と住民は不安になった。集中的に降った雪がぎゅっと圧縮され、硬くなった状態で残っているのが、いまの雪。消えにくい。
降り積もった分厚い雪を大地と共に激しく揺すった今回の「長野新潟県境地震」。復興への足がかりを始めて住民にとって、雪の下が気になる春を迎えている。
       

 震源地とされる栄村。今月11日、栄村の棚田や水田に詳しい信州大・木村和弘教授、地滑り研究者の新潟大・丸井英明教授が被害が大きい青倉地域などを踏調した。木村教授は先月25日も来村し、被災状況を見ている。雪面のひび割れが地表のひび割れ(クラック)に通じている箇所が見られた。その日、木村教授は飯山市の県北信建設事務所と北信地方事務所へ出向き、対策を申し入れ、県は監視と調査実施を約束した。

 積雪期における震災被害の把握。「その分野の専門家の知見を集め、被害状況の全容を、的確につかむことが、復興への足がかりになるはず」とアドバイスする。

 
 雪面のひび割れは、県境地域全体で見られる。津南町は震災被害をまとめたが「農地、農道、水路は雪消え後でないと分からない」と、被害額には含んでいない。震災住宅の被害判定は、来週18日から町内3百戸を対象に行い、全壊から一部損壊までの4段階判定を行い、再建への支援策を決める。

 一方、栄村は今月4日から全村での被害判定を始め、18日以降、判定に基づく罹災(りさい)証明を発行する。村では「住宅の基礎部分が雪の下で、不明部分があり、必要に応じて再度判定し直す」としている。さらに、判定への不服申し立ても受付、そのつど再度判定を行う。
       

 積雪期における震度6強の激震は、県境地域にとって昭和期では初の経験だった。7年前の中越地震は10月23日。3b近い積雪の中での激震。住宅や土砂崩落など目に見える被害。雪原のひび割れから想像する農地など目に見えない被害。雪国の積雪期震災の特徴だ。

 中越地震で融雪後の農地被害を調査した大学研究者の言葉が耳に残る。「雪の下で地割れがあると、雪融け水が地割れから入り、地盤を軟弱化する。積雪期の地震は、春に大きな災害発生の危険性がある。春先は要注意」。今週から急激に気温が上昇し、雪解けが進んでいる。積雪期の激震、その被害は雪解け後に、本当の姿を現す。
 
写真・雪原に不気味なヒビ割れ(12日、津南町穴山で)        

解説・県議選  最低の投票率、「投票所へ行けない」、女性投票率は過去最低  4月15日号
 今回の県議選、津南町では記録的な低調ぶりだった。特に女性の投票率の低さが際立った。関係者は「ついに女性は、今の政治を見限ったのか」と、冗談とも本気とも、ため息が聞かれる。


 津南町の投票率は68・34%(男70・88%、女65・99%)。町選管によると昭和58年以降のすべての選挙(09年3月町土地改良区選挙を除く)で、平均も男女も最低の投票率だった。同年以降では、昭和61年衆参同時選で行った最高裁判官国民審査70・84%が次に低い。女性は同審査の66・91%が次に低く、男性は平成2年12月参院補選71・08%が次に低い記録。


 今回のこの低投票率をどう見るか。町選管はこう見ている。「男性より女性が低いのは、津南町の最近の傾向。高齢化が関係しているかもしれない」。つまり投票所に行けない女性が増えている。
昨年7月の参院選。平均投票率71・03%(男73・95%、女68・32%)。男女で5・6%の差が出ている。60代の女性が、この真相を話す。「投票所が統合されて、歩いて行けない人が増えています。投票所の統合は、投票に来るなと言っているようなもの」と投票所統合に厳しい意見だ。津南町は3年前の県知事選から従来の30投票所を16所に統合している。


 一方、今回の県議選への関心度の低さも要因のようだ。40代の女性。「現職が先行し、告示直前に出馬を決めても、とても勝負にならないと多くの人が見ていた。出るなら、なぜもっと早く名乗りを上げなかったのでしょう」。結果が見えていたということで、投票所への足が遠のいたようだ。

 だが一方、別の見方もある。50代の男性。「民主党が政権を取ってからの迷走ぶりに、あきあきしている人は多い。国政のどうしようもなさが、政治への不信感を生んで、津南の女性は今の政治を見限ったのでは。そうならば、この投票率の低さは、意識の高い表れだ」と見ている。

 さて、今回の投票率の低さをどう見るか。津南町では秋に町議選がある。過去7回の町議選の最低投票率は4年前の前回84・49%。政治不信、魅力ある政治家の不在など、要因を探せば多様だが…。さて、秋風は突風か、凪か、すべて有権者の意識にかかっている。

写真・連続5選の尾身氏(投票10日夜10時過ぎ、尾身選対で)

解説・県議選、民意が示した同意、「県議とは」も問う  4月15日号
解説
 争点に乏しい県議選だった。だが、現職が政策を絞って訴えたことで、地域課題がより具体化した県議選だった。その一つ、「新十日町病院改築問題」。現在地改築を決めた関口市長。再選した尾身、村松の両氏は、共に関口市長方針を支持。「お年寄りが公共交通機関を使って行かれる場所に」(村松氏)、「現在地で改築し、周辺整備をしっかり進める」(尾身氏)。

 だが、民主系の樋口氏は医療の質的充実から疑問を投げた。「現在地改築で、検討委員会が提言した医療体制が本当にできるのか」。限られたスペース、高層化の病棟、診療しながらの建設工事など、医療の質的な充実の観点から再考を求めた。結果は現在地改築が支持を集めたが、課題を残す形となった。
地域代表の県議と市町村の関係も表出した。最近、市町村行政は直接、国に要望、要請をする場面が増えている。県議を介して、という形が減少している。「ならば、県議とは」。今回の県議選で問われた。


 「県との太いパイプで地域要望を実現する」(尾身氏)、「市町村行政が仕事をしやすくするのが県議の仕事」(村松氏)。言葉では理解できるが、具体的な姿が見えなくなっている現状は、十日町市・津南町選挙区に限ったことではない。8千の支持を集めた樋口氏。「毎月、県議や住民、市議や町議、もちろん一般住民が一堂に会し、意見を交わす場が必要。地域課題を共通理解する場が必要」。理想論に聞こえるが、こうした場こそ、実は住民が求めている場である。

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 投票率が約10%下がったなか、津南町で村松氏は得票率10%余り上乗せした。驚異的な伸びだ。村松支持者がしっかり投票した証ともいえるが、この高得票率は何を意味するか。
4年前、村松氏はそれまでの上越市区から鞍替え、十日町・津南選挙区に移った。前県議・上村町長後継者として。この経過から見て津南町の村松票の出方は、依然として「上村選挙」の存在を意味するといえる。

 今回の結果は、今秋予定の津南町議選に少なからず影響するだろう。「非上村町長派」と見られる町議が多い今の津南町議会。今秋の改選期は、上村町長派から見れば、それを「是正する」好機となる。その意味で今回の村松票は、秋の町議選への大きな圧力となりそうだ。と同時に、過去最低の投票率をどう見るかだ。「笛吹けど踊らず」。まちづくりへの課題が残った選挙結果だ。

写真は連続6選当選の村松氏(投票日10日夜10時過ぎ、選対事務所で)

水泳で健康づくり、マスターズ優勝者も  4月15日号
 クアハウス津南の水泳教室が今年度から新体制でスタートした。これまでの水泳振興会から、個人レッスンを行っていた日本水泳連盟水泳教師(文科省公認)の佐藤厚さん(52、正面)が委託を受けて引き継いだ。同レッスンに参加していた涌井れい子さん(70、十二ノ木)は昨年、新潟市で開かれた日本マスターズ水泳大会2百b自由形で優勝。また90歳を迎える本山あい子さん(反里)は1時間で延べ千bも泳げるようになるなど成果が出ている。佐藤指導員は「楽しんで水泳が上達し、健康づくりにも最高です。子どもたちから高齢者まで、ぜひ参加を」と呼びかけている。
 

 個人レッスン9年目を迎える佐藤指導員。水泳でインターハイ出場、大学では指導方法なども学んだ。そうした実績が評価され、クアハウスの一部運営変更と共に水泳教室の委託を受け、新たな体制でスタートした。
 
 佐藤指導員の個人レッスン経験がある小山洋美さん(59、上山)は当初、顔を水につけることさえできなかったが、今では「クロールが得意で来年はマスターズに挑戦したい」という。なお、教室は幼児や児童の部もある。問合せはクアハウスпi765)3711。

卯月の表情「緑の子たち、すkすくと」  4月15日号
 ◎…雪国・津南の里は、まだ一面の銀世界。しかし春の足音は確実にやってきている。ここ船山地区のハウスの中では、葉たばこの育苗作業が始まっている。「早く雪が解けて畑が出てもらわないと困る。苗を定植できないからな」。半年もの間、水墨画のような雪景色を見続けて来た目に、葉たばこの苗の緑色は新鮮でまぶしいほどだ。
 

 ◎…嫌煙運動の高まりで、葉たばこの生産は年々減少傾向。平成元年に生産者は110戸ほど数えられ販売額は4億円にも上っていたが、現在、45戸の生産者によって販売額も1億3千万円程度に落ち込んでいる。それでも春一番の作業として取り組める葉たばこは、コメ作りを始める前の農作業として津南地域には欠かせない工芸作物だ。発芽して3週間ほどの苗。生産者のひとり田中直之さん(45、船山)は、苗床から一本一本手作業で摘みポットに植えていた。「今月下旬には畑に定植したい」。春よ来い。

新潟県議選 十日町市・津南町区 5選果たす尾身孝昭氏 「病院問題に全力で」  4月10日
 尾身氏は、午後10時半の選管発表直後に支持者ら150人余りが詰めかけた選挙事務所に姿を現し、大きな拍手を受けながら駆けつけた関口市長や上村津南町長らとともにバンザイを行い、当選を祝った。
 

 尾身氏は「5期目を当選させていただき、改めて身の引き締まる思い。震災で自分の思いがどれだけ届いたか心配だった。この被災地の思いや県立十日町病院の建設、高規格道路の推進に積極的に取り組んでいきたい」と豊富を語った。
 

 西方勝一郎選対本部長は「前回票の死守が目標だったのでほっとしている。旧支部で原票した分、旧郡部で伸ばすことができた」と分析。津南町の前回票223票から1230票に伸ばしたことについて尾身氏は「津南を含め、旧郡部に4年間足を運んで訴えたことが応援してくれることにつながったと思う」と話している。

写真・連続5期を果たした尾身氏。関口市長や上村町長と共にばんざい(4月10日午後10時過ぎ)

県議選 6選の村松氏 「思い通りの選挙ができた」  4月10日
 「自分がやりたかった選挙を、存分にできた選挙だった。ほぼ全集落の300箇所で街頭演説した」。当選が決った10日夜10時過ぎ、6選果たした村松氏は、真っ黒に日焼けした顔で、喜びを語った。


 開票待ちは十日町市本町の選対事務所で行い、支持者70人余りが集まった。村松氏は選対本部に最初からおり、午後9時には津南町の開票結果「村松4438」「尾身1230「樋口775」が報告されると、「よーし」と大きな拍手。投票率が昭和58年以来、最低となった中での得票率67・7%は、実質的にも前回票を大きく上回る得票となった。午後8時過ぎから選対事務所に来ていた上村憲司町長とがっちり握手を交わした。支持者からは「いよいよ議長だ」と声が飛び、6期連続当選を祝った。


 今回の選挙では、村松氏は十日町、津南のほぼ全集落で街頭演説をした。「選挙は名前を連呼して地域回るのが選挙ではない。自分の考えを住民に直接訴える、これが選挙。今回はこの選挙をしたいと思い、その通りの選挙ができ、選挙期間が終わった時は、満足感でいっぱいだった」と6選達成の喜びを語った。関口市長も祝福に駆けつけた。

写真・6選を果たし、上村町長らと当選を喜ぶ村松氏(4月10日午後10時頃)

県議選 樋口氏およばず  「これから4年間、皆さんと共に政治に関わる」  4月10日
 自民の議席独占に異を唱え、告示10日前に急きょ立候補した樋口氏。結果は8096票。現職の壁は破れなかった。樋口氏は「全ては私の力不足」と参集の25人余に深々と頭を下げ「この経験を次に繋げたい。もう4年間、皆様と共に政治に関わらせて欲しい」と次期に向けた活動を示唆。23日午後6時、同市事務所で公開会合を開き具体化する方針だ。
 

 政権与党の民主、国民新党推薦を受け、連日50ヵ所余でマイクを持ち街宣。森裕子参院議員が3日間応援に入り、最終日は筒井信隆農水副大臣も駆けつけたが及ばなかった。「市民は自民独占の是非に判断の最優先順位を置かなかった」と敗戦の弁。緊急の課題に掲げた十日町病院問題を「完成像が見えない。駐車場、改築のハード、人材などソフト面に明確なプランを」と要望。今後の活動方針を「応援できるものは協力し、そうでないものは対案を出す。この選挙で得た8千票の思いを途中で辞めたら自粛と同じ。動かねばならない」と決意を述べた。
 
 一方、樋口氏を支えた羽鳥昭宏選対本部長(43)は「政策を浸透させる時間がなかった。もう一度仕切り直し、現状の閉塞感打破を探っていきたい」と話した。

写真 4月10日号午後10時過ぎ、樋口利明選対事務所で

シリーズ連載 明日へ  政治学を学ぶ24歳 桑原悠 「直感です」  4月8日号
 通りかかった津南町役場前で、この日告示の県議選候補が街頭演説していた。立ち止まり、聞いた。「うーん」。そうかな、と感じた。


 アメリカ大統領選の民主党代表選の真っただ中、2008年春、州立オレゴン大で政治学を学んでいた。
ふたりの演説を聞いた。オバマ氏は大学の体育館で、ヒラリー氏は地元の公民館で。熱気あふれる演説は、今も桑原悠(24)の耳に残っている。「学生たちは、それぞれの候補者の政策を比較する議論を教室で行うなど、日本の大学では見られない光景でした」。
東京大学大学院2年の講義が5日から始まっている。    
(敬称略)


 「私は、理性で動くより、直感です。行くべきだ、と直感でした」。社会科学専攻の早稲田大3年の時、交換留学の選抜に挑戦し、1年間のアメリカ留学を実現。日本から20人余り留学したが、政治学を選考したのは悠と数人だけ。アメリカの学生3人と一緒にルームシェアでアパート暮らし。

 「単位をしっかり取るために、一日12、13時間、勉強したでしょうか」。大統領代表選のオバマ氏とヒラリー氏の演説は、そんな時に聞いた。「あなたは誰に投票するの、とストレートに聞いてきます。生活の中にしっかり政治が入っていると感じました」。
もっと政治学を。帰国後の昨年4月、東京大学大学院へ。専攻は『公共政策学』。「政治から経済、医療、福祉など広い分野です。私は政治学です。政治は他の人のことを思いやること、これだと思います」。


 小さい頃、祖父や両親が日常の話題の中で、当たり前のように社会のこと、世界の出来事などを話していた。  

 「そんな小さい頃からの影響かどうか分かりませんが、自分は世話好きだと思います」。津南小時代に児童会に入り、津南中学では生徒会副会長。「なにか、人のためにと思っていたのかな」。
多感な高校時代。国際情報高で3年間の寮生活。「親から離れたことで、直感で動くことが、さらに進化したようです」。

 春休み。家に帰り、家族で話題になったのが原発問題。「原発をなくし、自然エネルギーだけでは全く足りません。でも原発を必要としないエネルギー政策が必要です。この点では家族の意見は一致しましたが、TPP問題は、意見が分かれました」。アメリカで感じた日本の産業構造などから、国情の違いを感じている。


 州立オレゴン大留学が、政治学への関心を増幅させた。東京大大学院での公共政策学。「あと1年です。医療や福祉の分野を勉強します。特に予防医学。津南病院の石川院長が取り組まれている分野です。『かかりつけ医』、ホームドクターのことなど関心があります」。
 
 津南へ帰るつもりだ。「津南のために役立ちたいです。私の家は農家です。農業ビジネスの分野も考えたいです。いまは机上の論理ですが、社会経験を積みながら、実践したいです」。
今、ある「直感」がある。津南町など、この地域に役立つ「直感」を抱いている。


「シリーズ連載 明日へ」は恩田昌美が担当しました。

東日本大震災エリアに入るのか、長野・新潟県境震災、国へ要望  4月8日号
 東日本大震災。ようやく今回の大震災の名称が統一されたが、その震災地域については、国は明確な定義を作っていないことが明らかになった。筒井信隆農水副大臣を経由した内閣府防災担当企画官によると、「東日本大震災の名称は決ったが、定義が決っていないので、エリアも不明」として、「長野県北部地震の地域が支援の対象となるかどうか、それぞれの支援内容によって決るのではないか。義援金も義援金を渡す組織や人によって異なってくる」と、今月4日時点での見解を明らかにしている。


 国の災害救助法、激甚災害地指定を受けているが、新潟、長野両県知事は、先月末までに国へ今回の局地的な地震被害への支援、救済を要請している。今後、震災復興基本法など、地域限定の支援法を国は制定し、集中的な支援策を出してくるが、東日本大震災のエリアに入るかどうかで、その支援内容は大きく変わってくる。地元からの実情訴えが、さらに必要になっている。


 東日本大震災は太平洋側の東北沿岸部、岩手、宮城、福島の3県の被害が大きく、今回の震災地エリアは、同地区が集中的な被害を受けているため、支援の多くが集中している。だが、今回の震災による被害は関東圏にも及び、地震による死者は12県におよび名称り東日本全域に渡っている。さらに長野県北部、新潟県南部の地震は、東北沿岸の地震から13時間後に起きているため、東日本大震災と同一地震と見るかどうかで判断が分かれる。


 この東日本大震災エリアに新潟、長野が含まれるかどうか。被災地の十日町市の関口市長は「含まれると認識している。国や県への支援要請も行っている」と、国会議員や国の省庁への働きかけを行っている。津南町の上村憲司町長は「当然、含まれる。東日本大震災は、東日本全域であり、長野、新潟が含まれないほうがおかしい」としている。県議時代の人脈を使い、県や国へ支援策などを強力に要請している。


 だが、先の内閣府の判断でいくと、今後、東日本大震災の定義が作られ、それに基づき義援金配分や震災復興基本法などの法整備が行われるため、この定義づけが大きな要素となる。ただ国の災害救助法、激甚災害地指定を受けているため、相応の国支援が行われる。復興支援の特別立法が今後制定されるが、この適応地になるかどうで、今後の復興支援は大きく違ってくる。

写真・3月12日未明の震度6強で大きく傾いた住宅(3月13日、栄村横倉で)

福島からの子たちも一緒に新学期、津南小で入学式  4月8日号
 ◎…震災で使えない体育館から会場を移し津南町は4日、小学校入学式を開いた。原発事故の福島県から避難した家族20人余が津南にも移り住む。町中央部の津南小は、津南中体育館で入学式。福島からの子どもたち4人も一緒に式に臨み、全校297人と一緒に新学期を迎えた。


 ◎…3校統合2年目の津南小。今期の新入学は42人。入学式では吉野孝則校長のサプライズが飛び出した。赤、黄、青の3本のロープを持ち出し、それぞれで輪を作り、「この三つの輪が、心を一つにするとつながります。ワン、ツー、スリー」。なんと三つの輪がかけ声と共につながり、子どもたちから歓声。吉野校長は「心のあたたかい子になりましょう。いろいろな向かい風が吹いていますが、元気にしっかり、ゆっくり、みんなで立ち向かっていきましょう」と呼びかけると、新1年生は「はーい」と元気に答えていた。

栄村で被害判定始まる、阿部知事「豪雪、過疎、高齢化」復興モデルを  4月8日号
 震度6強の激震の直撃を受けた栄村は、震災からまもなく1ヵ月を向かえるが、いぜん村内3ヵ所に97人が不便な避難生活を送る。4日、阿部知事が震災後二度目の来村し、仮設住宅と共に恒久的な住宅(震災公営住宅)建設に積極姿勢を示した。 

 一方、島田村長は、仮設住宅40棟設置を知事に要請。栄小学校わきの横倉農村広場35戸、北野天満温泉5戸を設置。入居時期は東日本大震災へ物資が優先されているため、開設見通しは不明だ。島田村長は7日に、長野県東京事務所長や赤津議長、宮本県議らと国へ出向き、震災復興の支援要請を行った。


 阿部知事はこの日、大規模な土砂崩落があった中条川上流、トマトの国を視察後、3ヵ所の避難所を訪問。役場避難所では住民と共に夕食を食べ、困っていることなどを聞いていた。住民からは「一体いつになったら仮設住宅に入れるのか、村からは全く情報がない」や「早く前に進める支援策を出してほしいです。このままでは、一歩も踏み出せない」など、県が主導しての復興支援を求めていた。


 さらに阿部知事は、仮設住宅は2年間の期限があるため、「恒久的な住宅、公営住宅を考えたい。県が支援の考え方をまとめ提示したい」と踏み込んだ姿勢を示した。さらに「過疎、豪雪、高齢化の地域モデルになるような復興プランを作り上げたい。そのためには村民が思いをしっかり一つに固めてもらいたい」と、栄村復興への県の強い姿勢を示した。阿部知事は震災後、国の震災対策本部の副本部長の片山総務相と会い、栄村の被害状況を見せ、支援を求め、今後法制化される東日本大震災特別支援法(復興基本法)の中に、栄村を入れるように要請した。


 一方、島田村長は7日夜、震災後初めて仮設住宅について住民説明会を開いた。仮設住宅は6坪タイプ(12畳、単身用)7戸、9坪タイプ(18畳、2〜3人)24戸、12坪タイプ(24畳、4人以上)9戸を予定し、栄小わき農村広場に35戸、北野温泉に9坪タイプ5戸設置する。


 住民説明会では、参加村民から「飯山市の県営住宅に入っているが、子どもの通学関係で栄村に帰り、仮設に入りたいが」や「一体いつ仮設に入れるのか」、あるいは「震災から1ヵ月になる。村はまだ仮設に入る人の数さえ把握していないのか」など、これまでの震災対応の遅れと不備への不満の声が続出した。島田村長は「4日から実施している被害調査でようやく全壊認定数が分かる。不足分は追加でお願いしていく」と述べ、対応の遅れには触れなかった。

写真・今月4日から始まった被害判定。18日頃から罹災証明は発行する予定だ

県立津南中等校、6学年揃う、来春一期生卒業に関心  4月8日号
 6期生80人を向かえた県立津南中等教育学校は、開校以来ようやく6学年体制が整い、来春には初の卒業生を送り出し、その進路先は今から関心を集めている。一方で津南町に誘致し、地元への教育効果に期待しているが、今期の地元津南町の入学数23人(28・8%)と過去最低。一方、十日町市は42人(52・5%)と増加傾向。さらに出身小学校数は過去最多の28校と広域化が進み、中高一貫校への関心はさらに高まっている。


 5日の入学式は同校体育館で行い、初めて全6学年(全校434人)が揃い、開校時に広く感じた体育館が狭く感じる。本田雄二校長は「全学年が揃った。高い志ある先輩と共に輝かしい伝統を作ってほしい」と1学年に呼びかけ、「失敗を怖れることなく、自分の可能性、夢の実現に向け進んでほしい」と語った。

 県議時代に津南中等校実現に取り組んだ上村町長は、東日本大震災の惨状にふれ「こうして入学式を迎えられる幸せ、今日を生きている尊さを」を語り、在校生代表の5学年の高橋一生君も「いつも通りを考える出来事が起きている。入学氏ができ学校へ行け、勉強ができるありがたさを忘れないで、この日本を立ち直らせる立役者になるように」と呼びかけた。6期生を代表し櫻澤日奈子さんが「責任と自覚を持って夢の実現に向け、頑張りたい」と述べた。


 同校の学年別数は1学年80人(男子35、女子45)、2学年80人(同34、同46)、3学年79人(同32、同47)、4学年72人(同29、同45)、5学年54人(同30、同24)、6学年69人(同26、同43)。


 1学年の出身小学校入学数は次の通り。【津南町23人】津南13、中津4、外丸3、上郷2、芦ヶ崎1【十日町市42人】田沢6、十日町6、西5、東4、中条3、水沢3、馬場3、倉俣3、川治3、鐙島2、貝野1、松里1、孟地1、松代1【南魚沼市、魚沼市14人】塩沢4、藪神3、上関2、赤石1、中之島1、六日町1、五日町1、北辰1【長野県】秋山1

春を呼ぶ「サンヨ」、津南町伝統の多聞天祭  4月8日号

震災で不明の猫、22日ぶりに戻る  4月8日号
 「メルちゃん、元気でよかった」―。長野県北部地震直後に行方が分からなくなっていた十日町市室野の米持善一さん(70)の飼い猫・メル(オス4歳)が22日ぶりに近くの倉庫の屋根裏で見つかった。「孫のようにかわいがっていた」と近所の評判で、黒猫のメルを抱き上げた善一さんの妻・初子さん(67)は「生きていて本当によかった。私の生きがいでもあるんです」と喜んでいる。
 

 同地震発生前の11日夜、いつも通りメルは初子さんの布団の中で寝ていた。午前3時59分、ガタガタと大きな揺れに驚いたメルは一目散に逃げ出した。玄関の戸はカギがかかっていたが、地震で玄関戸が外れ、その隙間から外に飛び出したのだった。
 

 米持さん夫婦は毎日のように探しまわり、吹雪の夜も玄関戸を開けたままにして帰りを待った。そんな時、東京に住む娘から「その猫の習性は、家の近くで何も食べずにじっと身を潜めている」と連絡があり、期待をかけていた。
 

 そして今月3日、倒壊しそうになった倉庫の改修工事の人が鈴の音を聞いたという話が入り、行ってみると屋根裏でじっとしているメルを初子さんが発見。22日ぶりに再開した。「痩せちゃったけど元気でよかった」。抱き上げると「ニャー」とひと言。家に連れて帰ると、いつものメルに戻ったという。
 
 メルを飼う以前にも交通事故に遭ったシャム猫を12年間、看病しながら飼ったことがあるという米持さん夫婦。地震で家の壁や土台が崩れたが「猫は私たちの家族と一緒。励みになっています。かわいくて仕方ないですね」と戻って来たメルに元気をもらっているという。

「明日へ」 二人の「かなこ」 この地に移住、 思いは通じている
 「助けてー」。かろうじて開いた2階の窓から叫んだ。3月11日午前3時59分。栄村を襲った直下型激震。4年前、大阪から青倉の民家に移り住んだ渡邊加奈子(28)。1階居間の2階部分が抜け落ち、階段をふさいだ。2階の隣り部屋で寝ていたため、命拾いした。

 「近所の方がすぐに来てくれました。それからが、すごいと思いました」。道路に集まった住民。『おっ、あの家がいないぞ』。すぐに手分けし、独り暮らしやお年寄り世帯の安否確認。「都会では考えられないですね。改めて自分の居場所はここだ、と思いました」。

 7年前の中越地震で被災した十日町市池谷。2月20日から暮らし始めた坂下可奈子(23)は、東京から移り住んだ。長野県北部地震で被災した松之山、松代の避難所のひとつ浦田小学校へ、発生の翌日から支援ボランティアに行った。(敬称略)


 青倉と池谷。道路距離で約29`。ふたりは昨年12月、東京ビッグサイトでの「2010エコプロダクツ」で、実は顔を合わせている。全く面識がないふたり。この取材を通じて、初めてその事を知った。渡邊加奈子はNPO栄村ネットワークのブースで蓑を着て、菅笠をかぶり、栄村産コシヒカリの穂がついた稲わらを、持参の「はざぎ」にかけていた。
 
 毎年、エコプロに行っている坂下可奈子は、会場で目についた稲のはぜかけと、「栄村」というムラの存在が気になり、ブースに立ち寄った。「パンフレットと稲穂をいただきました。えっ、あの方が加奈子さんですか」。


 2月20日。旅行ケースとバッグ一つで雪道を、旧池谷分校「やまのまなびや」に到着した可奈子。十日町市中心部から約11`。棚田の中に6戸の家並み。可奈子は17人目の住人。「池谷で暮らす」と、25日の立教大卒後式は欠席。まもなく2ヵ月。生まれた四国・松山とは景色も、空気も違う。

 UNHCR(国連高等弁務官事務所)の難民支援サークルに入り、ケニアやルワンダへ。「現地へ行き、感じることができました」。戦場ジャーナリストになり、現地の惨状を写真で伝える、そんな思いが現地へ行き、変わった。「日本で出来ることがあるのでは」と。そんな時、NGO組織JEN(国際ボランティア)のニュースレターが手元に。


 『草取りボランティア』。場所は十日町市池谷。2年前の8月、真っ暗な道を池谷に向かった。「この先に何があるのかなと思いました。翌朝、山と田んぼだけの風景が広がっていました」。うだるような真夏の草取り。夕ぐれと共に、心地よい風が吹く。  
夜の交流会。初めて聴く『天神囃子』に涙が出た。「限界集落と言われている池谷の人たちから、このムラで生きていく、そんな強さを感じました」。頬を伝った涙。なぜ涙が出たのか。

 「この地で、この地にあるもので生きていく」。言葉にすると伝わらないが、池谷に暮らし、その意味を少しずつ実感している。和牛の「みすず」と「さつき」の世話も日課。「言うことを聞いてくれません。牛は話さないですが何か伝わってきます。なんともいえない存在ですね」。

「明日へ」  感じる住民力 このムラで暮らす    4月1日号
 市町村合併が全国的に進み始めた2003年。一冊の本と出会った加奈子。『自立をめざす村』。著者は高橋彦芳。長野県栄村の村長とある。「自律する村とは、どんな村なのか」。京都精華大の3年の時。校外演習のテーマに決め、村を訪れた。


 大阪・寝屋川市で育った加奈子にとって、栄村が持つ雰囲気はカルチャーショックだった。「人と人との関係、自然と暮らしの関係など、とても自然で、人を包み込むようなものがあります。これは何なんだろうと、ますます興味がわきました」。
この思いは、卒業後も自分の深層部分にあった。『いつか栄村で暮らしたい』。


 一報は突然来た。「空家が見つかったよ」。独り暮らしのお年寄りが家を空けることになった。家の前に小川、田んぼに囲まれた茅葺き民家。「蛍が飛び交い、春の田んぼ仕事が始まるとカエルの大合唱。自分が包み込まれるような心地よさです」。08年4月、住民票を移した。


 あっという間の4年。NPO栄村ネットワークの事務局を務め毎週、東京青山の国連大学前で開くファーマーズマーケットに栄村物産を持参、販売。同NPOの独自企画「むらたび」準備や受入れなど、多忙の日々。


 そこを襲った激震。借りた民家は危険の赤紙が張られた。役場庁舎で避難所暮らし、もう20日になる。この地震で、村の住民力を思い知った。「地震の翌日から『炊き出しをしよう』となり、おかあちゃんたちが動き始め、あっという間に食事ができ、お年寄りたちに配りました。その自然な姿に、またまた感じ入りましたね」。
震災復旧から復興へ。同NPOなどで立ち上げた「栄村復興支援機構 結い」の事務局を務め、ボランティア受入登録など朝から夕まで多忙な時間が流れている。


 震災で変わり果てた栄村。だが、加奈子は『住民力』を感じている。「むらの人たちは、この栄村が好きなんです。その気持ちが、今度の震災でよく分かりました」。
加奈子と可奈子。思いは29`を飛び越えて、通じている。

栄村震災、4日から被害判定、秋山郷除く全村で  4月1日号
 直下型激震の被災地、栄村。4日から国県の支援金の判定基準となる「家屋被害調査」を行う。県や県建築士会、近隣市町村の応援で、村職員など30人体制で2週間かけて行う。「全壊」、「大規模半壊」、「半壊」、「一部損壊」の4段階、さらに災害危険状態が続く「長期避難」に判定。住宅再建に最高300万円の支援金が出る。だが、その認定が問題だ。中越地震でも判定をめぐる問題が起き、再三再四の判定やり直しが続出、再建が大幅に遅れた被災者もある。今後の住宅再建の命運を分ける判定作業となり、地元栄村の主導性が問われる。


 住宅被害が続出した青倉地区。鉄骨3階建て住宅の増築部分が被害を受け、応急判定で危険となった島田昭栄さん(52)。自宅裏の倉庫も赤判定。補修費用は相当かかりそうだ。「被害調査でどう判定が出るか。見た目と実際に生活した感覚は全然違う。実態に即した判定をお願いしたい」。さらに「この倉庫はもう使えないだろう。解体費用だけで数百万円かかる。家の補修を合わせればかなりの出費。村の方針を早く出してほしい。解体など一括発注すれば費用節減になる」と解体処理費の村負担など、具体的な村の方針を求めている。


 村は先月末までに中越沖地震などで実績がある柏崎市から担当者を招き、村職員研修会を3回ほど開いた。被害調査は基本的な項目を点数評価し、その合計点で4段階に判定する。
この制度は「被災者生活再建支援制度」。建て替えに関係なく支給される基礎支援金(家族世帯)は全壊100万円、大規模半壊50万円。半壊、一部損壊はゼロ。さらに家族世帯の場合、全壊判定で再建や購入の場合、200万円が加算され、合計300万円の支援金。大規模半壊では、やむを得ず解体の場合、50万円を加算、再建すると2百万円加算、全壊と同様に合計300万円の支援金となる。中越地震では一部損壊の判定が多くなり、「実態に合わない」と判定やり直し要求が相次いだ。

 同じ青倉で、昨年1千万円余をかけ家内リフォームした島田さん(62)も大きな被害を受けた。玄関柱が動き、家の柱の揺れでリフォーム部分の壁やクロスがはがれた。「外観より中がひどい。リフォームと同じくらいかかいそうだ」と落胆。被害判定に関心を寄せる。「年寄り世帯が深刻だ。今さら建替えや多額をかける修繕は難しいだろう。村は早急にそういう人たちへの方針を示すべきだ」と高齢被災者を案じる。

 村道の中条橋は通行止め。不便を強いられる島田助一さん(62)方も被害を受けた。「家全体が前に傾いている。先日来た建築士は、少し直せば大丈夫と言った。年寄り世帯の救済が先決。村外へ出てしまう人も出る」と村の取り組みを求める。


 村議会は30日、全員協議会を議会事務室で開いた。議員からは「被害調査は見た目だけではなく実態に即した判定を」や「村民への情報がなさ過ぎる。村の復興策へのメッセージがない。村民はそれを待っている。村外移住者が増えてしまう」と危機感の意見も聞かれた。
 村は今後、復旧から復興への取組みが求められる。1日付人事異動で村は総務課内に「震災住宅対策係」を新設、産業建設課を29人体制に拡充し、農地、導水路、上下水道、交通網復興の分野別チームを作り、集中的に業務を行う方針だ。

春、スタート。津南中、上郷中陸上部が合同練習  4月1日号
 ◎…春、スタート。とはいえ、当地はいまだ1bを越える残雪。朝夕は冷え込み、氷が張る気温だ。新学期が始まる4月。すでに新たな目標に向けスタートしているグループがある。直下型地震で被災した津南町の上郷中学は先月16日から被害が少ない町中央部の津南中学に全校が移り、学校運営をしている。両校の陸上部は、これを機に合同で練習している。28日早朝、前日の雪が歩道に残り、路面が凍結するマイナス4度のなか、国道117号でいつものロードトレーニングで、部員みんなで走る姿があった。
 

 ◎…震災で校舎が使えない上郷中学。3年生が卒業し、陸上部は3人。唯一の女子で3年になる若井悠理さんは今年のキャプテン。「上中では、女子は自分だけでしたから、津南中は女子が多く、一緒に練習するとやりやすいし、楽しく練習できます」と津南中女子と一緒に走る。「今年は800bと1500bで自己ベストをめざします」。中学最後の1年、津南中の仲間たちとの時間を大切に思っている。
 

 ◎…「引っ張ってくれた先輩が卒業し、今度は自分たちの番です」。津南中の陸上部長距離ブロックのメンバーは17人。今年のキャプテン、藤ノ木祥真君は目標を秘めている。「2年続けて県駅伝で2位。先輩たちの悔しさも含め、今年は絶対に全国へ行きたい」。新1年生を迎えるのはこれから。真っ白な信越国境の山々を背に、両校の部員たちの新しい年は、すでに始まっている。

震災地にきのこ支援、津南町の栽培農家  4月1日号
 津南産キノコで力をつけて―。津南町のキノコ生産者24軒で組織する「津南町特産協議会」(涌井義雄代表)が長岡市に避難して来た福島県の被災者を支援しようと先月末まで週2回のペースでナメコやエノキなど各10`余りを送っている。涌井代表は「東日本大震災や計画停電で市場からの注文も減っており、経営は厳しいが少しでも支援できれば」と話している。
 

 長野県北部地震の影響で、出荷できなくなったエノキなどの有効利用をと、「鹿渡きのこ組合」(石沢巧組合長)が長岡市の知り合いを通して送る事にしたのがきっかけ。同競技会では先月22日に役員会を開き、「キノコ生産者全員で支援しよう」と対応を決めた。当面は4月いっぱいまでだが、要望があれば協力していきたいという。同協議会事務局рO25(765)2510(津南町森林組合内)。

世界一の吊るし雛、来春、クロス10へ、サンプル登場  4月1日号
 ◎…ギネス記録認定が確実な世界一の「吊るし雛」が十日町市に寄贈されることになった。きもので同市の関係深い北野晟氏(京佑会長、京都)が改修して来春リニューアルオープンする十日町クロス10に寄贈する。高さ11b、直径3b、約5千個の雛人形が吊るされる壮大なもの。人形は、人の煩悩の数といわれる108種類作られ、素材に十日町産の明石ちぢみ、十日町紬が使われる。


 ◎…28日には北野会長が市役所を訪れ、関口市長に高さ1・8b、52個の人形が吊るされた展示用サンプルを贈った。北野会長は「前からお世話になっている十日町にぜひ贈りたいと考えていた。ギネス記録は夢への挑戦です」と話した。関口市長は「とてもありがたいこと。また一つ世界一が誕生する」と北野会長に感謝した。


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