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2011年03月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
絆の拠点、全壊の青倉公民館再建、村外から支援「復興のシンボルに」  3月25日号
 震度6強の直下型激震を受け、大きな被害が出ている栄村。村中央の青倉地区(65世帯)は住宅や倉庫の全壊が多く、21日の避難指示解除後も多くの住民が避難所の村役場で不便な生活を送っている。さらに集落の拠り所、青倉公民館が地震で崩壊し、住民は大きなショックを受けている。『公民館は住民の絆の拠点』と、青倉を訪れ、交流するなど交友ある大学関係者や青倉米を求める東京在住者などが、支援に立ち上がり、青倉公民館再建への支援活動を始めている。関係者は「東日本大震災に隠れ、栄村被害は余り知られていない。日本の里100選の栄村を再生してほしい。その震災復興のシンボルは、住民の絆の拠点、青倉公民館」と、地元に事務局を設け、活動を広げている。


 今月11日未明の長野県北部地震で、青倉公民館は2階部分が押し潰される形で崩れ、屋根が道路に崩落、無残な姿を見せている。来月からの新年度、青倉区長の島田秀夫さん(67)によると、同公民館は戦後まもなく農作業の共同作業所として建設し、その後増築し民館に。築後70年近く老朽化が進んでいた。4、5年前には新築話しが出たが、「もう少し使える」と積立資金を活用し部分改造。一昨年、区長資料など整理、まとめた資料は公民館に保存。祭道具一式も保管。住民の思いと青倉の歴史が詰め込まれた館、それが崩壊した。

 『公民館は住民の絆の館。震災復興のシンボルに』と同地区を訪れた大学関係者や学生、ジャーナリスト、青倉米購入者などが公民館再建活動に立ち上がっている。この支援活動を地元事務局として受け、広める広瀬明彦さん(52)。「不便な避難生活を通じて、青倉の人たちのまとまりが強まっている。これを震災復興のエネルギーにつなげたい。住民自ら行動することが集落の絆をさらに強め、震災からの復興につながる」と支援活動に感謝し、地元事務局として連絡調整に動いている。


 こうした動きに勇気づけられているのが青倉地区の人たち。今年度区長の島田哲さん(62)は、被災した住民安否や被害状況、行政との連絡など区長最後の仕事に奔走する。「この27日が総会の予定だった。村内でも先駆けで建てた公民館。皆の拠り所。それがこんな無残な姿になって残念。なんとか再建したい。協力支援の動きがあるのは、とてもありがたい。住民は自分の事で精一杯。住民みんなの絆を保つためにも、できれば早く再建したい」と話す。

 壊れた我が家の後片付けに通う70代の女性。「新年の集まりや老人会、おてんま(共同普請)の慰労会、子どもたちの遊び場など、みんな公民館に集まった。こんな姿になって切ないなぁ」と落胆している。新年度4月から区長の島田秀夫さんは「みんな青倉が好きなんだ。仕方なく今は村外に避難している人もいるが、みんなここに帰りたがっている。そのみんなの心の拠り所が公民館。再建はみんなを元気づけることができる。支援活動があると初めて聞いたが、本当にありがたい。ぜひ再建したい」と援活動に感謝し、再建への期待感を話している。

 支援協力金振込の金融機関口座は「北信州みゆき農協栄出張所、普通0006465 青倉公民館基金 広瀬明彦」、連絡はメールで。aokura@sakaemura.net

写真・激震で崩壊した青倉公民館。「復興のシンボルに」と村外からの支援が始まっている

シリーズ連載「明日へ」  18歳までの一度、世界の遠くへ  ウィリアムみさこ   3月25日号
 巨大地震被害は、アメリカでも報じられている。15年余り続く津南訪問。地震と福島原発事故の影響で、毎年3月に行う12日間の日本体験旅行は、参加予定学生10人がキャンセル、自分だけの訪問となった。

 「地震と原発事故はアメリカでも大きな関心を呼んでいます。私は日本の友だちや知人に聞き、関係機関へも問合せし、私たちが行く所は安全と確認できましたが、学生の親が情報に過敏になり、残念ですが今回は私だけです」。だが6月には学生10人余りと来日、再び津南を訪れる。    (敬称略)



 東京・太田区生まれ。神奈川・江ノ島での出会いが、運命を変えた。23歳の頃。海軍所属の夫の帰国と共にアメリカへ。1971年に結婚。ノースカロライナ州のチャペルヒルの大学に復帰した夫。日本語学校に通い、『君も英語学校に通いなさい』とアドバイス。この学校で生涯の恩師であるモニカ・マーチン先生と出会う。「アメリカでの生活、習慣など、すべてを教えていただきましたね。特に『自分から話さないと、だれもあなたに関心を示さないし、理解されないわよ』と言われた言葉で、自分が変わりました」。
英語学校に通い、自宅で洋裁リフォームを行う。近所の大学教授の紹介で、小学校で日本語を教えることに。今も続く日本語教師。江ノ島で出会った夫を交通事故で亡くす悲劇も。新たなパートナーとの生活は、新たな出会いを生んだ。



 出会いは、突然だった。16年前、新潟県教育委員会が研修でノースカロライナ州のみさこが住むローリー市を訪問。小学校で日本語を教えるみさこのクラスを見学したのが、当時の県立津南高の遠藤登志弘校長。みさこの家で夕食交流し、若い世代の国際交流の必要など熱く語り合った。

 『それでは、交換留学を』。話しはすぐに決った。その年、ローリー市から学生が津南高に短期留学。「今度は津南から」と翌年、津南の高校生2人がサウスローリー校へ。以来、毎年3月か6月、みさこの公立サウスローリー校から津南訪問が続き15年。
 
 「日本の親とアメリカの親の、子どもへの関わりの違いを感じます。家庭環境や社会的な環境の違いはありますが、日本の若い世代にもっと自立心というのか、独立心を持ってほしいですね」。
15年間余り学生を引率、日本体験旅行の経験から感じる。「日本は親が関わりすぎる面があるのでは。『可愛い子には旅させよ』という言葉の通り。18歳くらいまでに一度、家からなるべき遠くに旅をさせる、こういう経験が大人になって、とても大切な経験になります」。


 訪れるたびに津南の良さに感じ入っている。「ここの人たちの素直さというのか、温かさがとても素敵です。学生たちも12日間の日本滞在後、みんな津南が良かったよねと話します。とてもリラックスできます。これは他の外国の人たちも感じていると思います」。
ひとつの提案。「この地域にも外国の英語教師が来ていると思いますが、夏休みなどの帰国時、その先生と一緒に先生のお国に学生も一緒に行けばいいんです。きっと先生も楽しいし、学生にとって素晴らしい夏休みなるはずです」。

 21日、15年来の付き合いの「元さんの手打ちそば」を堪能、帰国の途に着いた。「6月には学生を連れてきます。地元の学生など皆さんと交流したいですね」。

写真・「可愛い子には旅させよ、ですね」とウイリアムみさこ(20日、ニューグリーンピア津南で)

被災乗り越え、学び舎卒業、今春で閉校の栄村東部小  3月25日号
 ◎…被災した体育館が使えず、ランチルームで最後の卒業式を行った栄村東部小学校(大日方秀康校長・26人)。21日の避難解除後、ようやくいつもの学校生活に戻ったが、卒業式を予定していた体育館は天井板が落ち、使えないなか、卒業生7人は応急会場となったランチルームで大日方校長から一人ずつ卒後湯証書を受けた。自宅も被災した赤津有美さんは「大きな被害を受けた中、卒業式ができて良かった。中学では勉強や部活に頑張りたいです」と笑顔で話した。


 ◎…東部小は今月末で52年の歴史に幕をおろす。卒業式には父母や校区の人たち30人余が参列し、最後の卒業式を見守り、校区の拠点だった東部小のフィナーレに立ち会った。大日方校長は「大変の震災を受けたが、私たちの東部小は、恩返しをしてくれるように被災した人たちを温かく包み込んでくれた」と校舎に感謝し、卒業生には「自分を信じて、自分に正直にまっすぐ進んでください」と語りかけた。21日まで避難生活をしていた藤木健史くんは「最後の卒業式が体育館でできなくて、ちょっと残念です。運動会が一番の思い出です」と通いなれた学び舎を後にした。なお新生・栄小学校の開校式は来月12日に行い、入学式は12日を予定している。

震災で体育館使えず、別会場で卒業式、外丸小学校  3月25日号
 ○…地震をバネに変え未来へ―。津南町5小学校の卒業式は24日開催。震度6弱の地震により町内5小学校すべての体育館が使用できなくなるなか、多くの学校が会場を移して実施。町内84人の卒業生たちは通い慣れた母校の被災に思いを馳せ、新たな道を一歩踏み出した。
 

 ○…外丸小(竹内直一校長、41人)は総合センターで式典。児童全員で育てたパンジーとサクラソウのプランター36個を学校から運び花道を作り、卒業する6人の門出を祝った。丸山智博さんは「でっかい地震だったけどみんなケガがなかったのが一番嬉しい。地震に負けず中学でも頑張ります」と卒業生一丸となり『旅立ちの日に』を熱唱。PTA会長の福原浩太郎さん(42)は「母校以外での開催に違和感はあるが無事に式ができて嬉しい。子どもは地震を怖がりながらも家の片付けを手伝ってくれた。天災に負けず元気でいてくれれば」と卒業生で愛娘の理歩さんを見て目を細めていた。なお入学式は町内全小学校とも、卒業式と同会場で行なわれる。

震災復興、栄村復興支援機構 結いがボラ受付で復旧支援  3月25日号
 直下型激震に襲われ、大きな被害が出ている栄村に、近隣から多くのボランティアが駆けつけている。その受入団体が18日発足し、これまでに359人が崩れた住宅の片付けや家の周囲の除雪、あるいは震災ゴミの搬出などを支援している。


 村役場、NPO栄村ネットワークや津南と同村の地域づくり活動グループで作るNPO雪の都GO雪共和国、信州みゆき青年会議所、さらに中越防災安全機構など8団体で「栄村復興支援機構 結い」を結成し、役場庁舎2階の事務局にボランティア受入や支援要請受付、人員の配置などを早朝から夜遅くまで運営している。

 集落までの道路が寸断され、一時孤立状態となった千曲川の対岸、小滝地区にも19日から「結い」メンバーが入った。中沢日出男さん(74)方は、応急判定で要注意の黄色判定。だが、家の中はあらゆる家具が倒れ、壁が落ち、激震のすごさを見せるように散乱状態。「何かから手をつけていいか分からない状態だが、ボランティアの協力はありがたい」と地下の片付けなどを依頼した。


 大阪出身で長岡科学技術大の大学院2年の藤澤良太さん(24)は、大学入学後、中越防災安全機構に入り、全国各地の災害ボランティアに参加している。「被災された方々は、すぐにはなかなか動けない。我々にできることは、なんでもやりたい」と村内各所を回った。

 同支援機構結いのGO雪共和国理事長の相澤博文代表は「大きな被害が出た栄村だが、全国的には東日本大震災に目がいっている。栄村の被害状況を発信することで、多くの支援者がきている。ありがたいことだ。これを震災復旧から復興へとつなげたい」と話している。

写真・被災した住宅の片付けなど支援する「結い」参加ボラ(小滝で)

「子たちを守る」、守る会が緊急要望、福島原発の放射能汚染で  3月25日号
 東日本大震災の大津波の直撃を受け、冷却施設が機能不全となり、放射能拡散が懸念される福島第一原発。近隣県へ避難が続くなか、同原発から80`圏の十日町・津南地域への影響を問題視するグループ「妻有のいのちとふるさとを守る会」(大嶋利子、小木曽茂子共同代表)は22日、十日町市の関口市長に、放射能汚染から市民を守る緊急申し入れを行った。


 同グループは、十日町・津南地域の放射能測定の実施、保育園・小中学校の緊急避難方法の周知徹底など4項目を要望した。大嶋共同代表は「対岸の火事ではない。住民不安が広がっている。最大の原発基地、柏崎市の隣の市として危機感を持って、早急に対応してほしい」と強く要望した。


 同会メンバーは十日町、津南地域の71人。22日は代表8人が市に要望。「関口市長は重点政策の中で『災害に強い安全安心なまちづくりを勧める』と示している。放射汚染問題は一刻の猶予も許せない重大問題」と、放射能測定、緊急避難方法の周知徹底、さらに甲状腺がん誘因の放射性ヨウ素を予防する安定ヨウ素剤の緊急配備、食品の放射能汚染測定の準備など要望した。
 

 対応した市防災安全課の桾沢伸司課長は「冷静な対応が必要であるが、市として全く無防備だった点はある」と市独自の放射能対策の不備を話し、「(柏崎原発の)隣の市として対応を考えなくてはならないと同時に、周辺自治体から声を上げ、アクションを起こす必要を感じる」と放射能被害への取り組みの必要を示した。
25年間、反原発活動に取り組む小木曽共同代表は「ウクライナから取り寄せた放射能測定器で観測を始めている。住民不安が広がり、一番の気がかりは子どもたちへの影響。待ったなしの対応が求められる」と地元行政の早急対応を求めた。同グループは今後、学習会や相談会を開く計画だ。


 相談電話は、原子力資料情報室共同代表の山口幸夫工学博士(十日町市出身)のアドバイスを受け、毎日午後1時から6時頃まで受付。対応はノー・ニュークス・アジアフォーラム・ジャパン共同代表で「さよなら刈羽柏崎プロジェクト事務局」の小木曽茂子さん(津南町相吉)рO25(765)4890

写真・十日町市に放射能測定などを要請する女性たち

かねさま蕎麦、全国蕎麦協会長受賞  3月25日号
 フノリとヤマゴボウ使用「津南かねさまそば」を全国アピールするNPOかねさま蕎麦会(滝沢元一郎理事長、30人)が「全国そば優良生産表彰・日本蕎麦協会長賞」を受賞。メンバーは「全国表彰を契機にさらに津南に美味いそばありとアピールしたい」と意気込む。
 

 同賞は社団法人・日本蕎麦協会(鵜飼良平会長)の認定。設立3年の同NPO、約16fの休耕地でそば栽培。秋山郷原産そば栽培の地産地消、狭山市や大学など関東圏との交流活動が評価され、新潟県が推薦、全国表彰が決まった。滝沢理事長(59)は「新たな津南ブランドを作る活動が評価され嬉しい。さらに作付面積を増やし交流事業も広げたい。震災に負けず津南そばをアピールしたい」と意欲。津南駅店は18日から営業再開した。
 

 同表彰は昨年、川西農業生産組織連絡協議会(柄澤和久代表)が「全国蕎製粉協同組合理事長賞」を受賞。表彰式は来月25日、東京日本教育会館で行なう。

写真・協会長賞受賞のかねさま蕎麦会の滝沢理事長

震度6強、直下型激震、栄村を直撃、津南町も震度6弱  3月18日号
 東北の青森、岩手、宮城、福島の太平洋側を大津波が襲い、1万人を超す犠牲者が予想される国内最大の巨大地震、東日本大震災(マグニチュード9・0)が11日発生。その13時間後の12日午前3時59分、長野と新潟の県境、栄村と津南町の境が震源地のマグニチュード6・7の激震が発生。栄村で震度6強、津南町震度6弱、十日町市震度6弱を記録。この3市町村を直撃する直下型局地地震となった。栄村は震源地に近い村中央の森、青倉、横倉地区で民家全壊、道路陥没、水道断水など大きな被害が発生。

 津南町も県境地の上郷、川西地区を中心に民家半壊などの被害。十日町市は松之山、松代で民家全壊など被害が続出。栄村では地震発生後、7箇所の避難所に最多1787人(13日、人口の77%)が避難。17日朝現在も1700人を上回る村民が不便な避難所生活を送る。津南町では地震発生後、12箇所に191人が避難し、今も田中地区に避難勧告が出され、4世帯15人が避難。十日町市は14箇所に310人避難したが15日、避難勧告を解除。17日現在、松之山、松代で8箇所に118人が自主避難している。だが、ライフラインの水道断水が深刻。松之山、松代では2千世帯、5千人以上、栄村では全村の9割近い8百世帯、2千人以上で給水生活が続く。いまだ余震が続き、住民はこれからの生活再建など不安な日々を送っている。JR飯山線は、青倉地区で線路下の路盤が3箇所で崩落、復旧の見通しは立っていない。14日から越後川口駅と森宮野原駅間でバス、タクシー送迎を始めている。


 栄村は地震発生直後、島田茂樹村長を本部長とする「3・12栄村震災対策本部」を設置、被害把握と共に住民の避難、復旧作業に全職員あげて取り組んでいる。秋山郷を除く全村民の7割を上回る村民が7箇所の避難所に、余震が続くなか不便な避難所生活を送っている。  

 14日からは近隣のニュー・グリーンピア津南、飯山市の湯滝温泉、地元箕作の百合居温泉などへ入浴送迎を始めた。15日には地震発生後、初めての一時帰宅を実施。30分を限度に1世帯1人を原則に消防団員同行で行った。対策本部では「余震や気象状況などを見ながら一時帰宅を継続したい」と話し、15日以降、ほぼ毎日、時間制限で一時帰宅を行っている。


 深刻な状況は、ライフラインの水道の断水。秋山郷を除く全村の9割近い15簡易水道(804世帯、2042人)のすべてが断水している。14日から村職員が現地調査に乗り出し、断水原因の究明を急いでいるが、2b余の積雪があり、水源確認、貯水タンク、配管断切などの調査や断水箇所探しは困難を極めている。
 
 村では給水車3台で一日3回、7箇所の避難所を回り、給水している。食料物資はようやく行き渡る量が入り、毛布、衣料品も届いている。
 13日には、阿部守一知事は来村。避難所や被害地を視察し、村役場避難所では避難村民に「なんでも要望して下さい。県が全面的に支援します」と話していた。

写真・激しい揺れで家全体が道路に傾いた民家。栄村中央部の被害が深刻だ(13日、栄村横倉で) 

震源地近い青倉地区、危険住宅多数、住民のより所、公民館ぺしゃんこ  3月18日号
 栄村対策本部では、地震発生と共に全国からボランテ ィア問合せは入り、当初は「受入準備が整っていない」と断っていたが、14日から登録受付を始め、同本部で「受け入れ態勢ができ次第、ボランティアを受け入れていきたい」と話している。


 一方、長野県派遣の応急危険度判定士による被災家屋の危険度調査は12日から15日まで実施。秋山郷を除く27集落の住宅、倉庫、車庫など1230戸を調査した。震源地に近い青倉では全戸58世帯の住宅、倉庫など80棟を調査。余震などで倒壊の危険があると判定された「赤」は、住宅、倉庫含め32棟。多くの住宅が含まれる。
 

 全27集落では、危険の赤は住宅、倉庫含め290棟。うち住宅は152棟。被害が大きい青倉、横倉地区に目立つ。要注意の「黄色」は全体で408棟。今回の判定は、余震などに備えた危険度の調査判定。今後、国支援や税金の減免などの基準となる統一基準に基づく「家屋被害調査」は、改めて行うことになる。
13日の阿部知事来村時に島田村長は、「百戸余りの仮設住宅が必要になる見込みで、県の支援をお願いしたい」と要望。家屋の危険度調査では「危険」判定は住宅152戸あり、さらに「要注意」判定も、実際には住めない家が多い。さらに断水状態の上水道の復旧見通しは立たず、避難生活の早期の解消と共に仮設住宅の建設が求められる。


 一方で、水道の復旧、雪消えによる融雪災害、さらに農地への被害など、同本部はすべてを同時進行で取り組まなければならないなど、村職員の取り組みにも限界があり、県や他自治体への協力要請と共に、ボランティア協力が求められる。島田村長は「とにかく水道の確保が重要だが、この残雪で調査にも困難性がある。仮設住宅も早急に取り組みたい。一箇所集中ではない方法で仮設を設置したい」など県の支援を受け、早急に取り組みたい方針だ。

写真・2階が押しつぶれ倒壊した青倉公民館(13日)

山崩落、あわや温泉施設直撃、栄村トマトの国  3月18日号
 震源地に近い栄村中条の温泉施設「トマトの国」裏山で大規模な土砂崩れが発生。天水山系の山頂(967b)直下から標高差3百b余を大量の土砂がいっきに下り、東入沢川に沿って流れ、隣の中条川に流れ込み、同施設まで3b余に迫った。土砂は谷を埋め尽くす大量で、今後の雪消えによる融雪土石流災害が心配される。


 東日本大地震で宿泊キャンセルがあったトマトの国。当夜、宿直だった樋口雄大さん(29)は、その時、1人で同施設にいた。13時間前に発生した東日本大震災の情報収集のため、朝方3時半まで起きその後、寝た。まもなく、「ドーン、ドーンと大きな音がした。激しい揺れに襲われたが、電気はついた。転がり落ちたテレビをつけ、栄村が震源地だと知った」。


 夜明けを駐車場の自分の車の中で待ち、薄明かりのなか土砂崩れを知った。国道までの村道は雪崩で通れず、約1・5`歩いて役場へ。その日の午後、再び同僚と同施設に向かう途中、裏手の山が崩れているのを初めて知った。道路も各所でひび割れ、今も交通止めだ。同施設の温泉再開のメドは立っていない。

写真・大規模な崩落で大量の土砂が谷を埋めた(13日、トマトの国=右の建物)

震度6弱の津南町、上郷中学体育館天井が崩落  3月18日号
 震源地に近い津南町の上郷中学校(中川久男校長、28人)は、校舎全体に大きな被害を受けたため、町教育委員会は同校の使用は危険と判断し、来年度統合予定の8`離れた津南中学校の空教室を使い、1、2年生19人が16日から4日ぶりに授業を再開している。
 

 両中学校とも卒業式は7日に終わっている。上郷中の教務室は1階会議室に置き、電話もそのまま移設。部活動は体育館スペースが限られているため当面休止の方針。新たな教室で授業再開した1年の鴨井滉世君は「上中はあと1年。皆で一つになり、悔いのない上中生活を送りたい。早く直ってほしい」と話した。
中川校長は「最後の1年、できるだけ上中校舎で過ごさせてやりたい。せめて閉校式などの記念行事までには修復が間に合ってほしい」と思いを話している。津南中通学は町補助で路線バスなどを使っている。

写真・体育館天井パネルが崩落した上郷小学校。

ようやく授業再開、震源地に近い津南町の上郷中学校  3月18日号
 震源地に近い津南町の上郷中学校(中川久男校長、28人)は、校舎全体に大きな被害を受けたため、町教育委員会は同校の使用は危険と判断し、来年度統合予定の8`離れた津南中学校の空教室を使い、1、2年生19人が16日から4日ぶりに授業を再開している。
 

 両中学校とも卒業式は7日に終わっている。上郷中の教務室は1階会議室に置き、電話もそのまま移設。部活動は体育館スペースが限られているため当面休止の方針。新たな教室で授業再開した1年の鴨井滉世君は「上中はあと1年。皆で一つになり、悔いのない上中生活を送りたい。早く直ってほしい」と話した。
中川校長は「最後の1年、できるだけ上中校舎で過ごさせてやりたい。せめて閉校式などの記念行事までには修復が間に合ってほしい」と思いを話している。津南中通学は町補助で路線バスなどを使っている。

写真・被災し津南中学校の空教室で授業を再開した上郷中学

震災ゴミを無料処理、津南広域組合清掃センター  3月18日号  
 津南地域衛生施設組合は焼却施設に異常なく、震災ゴミ処理を休日13日から実施。被災地住民のゴミ持込は無料で対応している。
 

 崩れ壁、破損タンス、液晶テレビなど家電など15日までに約6百台、百d余の震災ゴミが持ち込まれている。町内上野の石沢重吉さん(73)は近隣の震災ゴミも軽トラいっぱい持ち込んだ。「上野はほぼ全戸で食器棚が倒れた。今は掃除だけで精一杯。家の修理はまだ考えられない」と疲労感。
 

 同組合の小野塚和夫次長は「被害が大きい栄村、松之山も対象地域。今後さらにゴミ持込みが増えるだろう」と話す。当分、無料化で受け入れる。
 
 ライフラインの水道断水が深刻だ。上郷地区を中心に一時25集落で発生。積雪で配管の故障箇所の調査が困難で、町は調査と修理を急いでいる。17日現在、反里、下足滝の24世帯、(80人余人)で断水し、魚沼市の協力で給水車により1日1回行っている。

製造業を直撃、震災で工場破損、修復に数千万円も  3月18日号
 局地地震は、地元の産業にも大きな被害を与えている。上郷地区の製造業のリコーキハラ、ネオックスは14日から営業を再開しているが、震災で大型機械が動き、作業ラインに影響が出るなどしている。散乱した部品整理など従業員総出で行なっている。
 

 震源地に近い子種新田のネオックス(羽場崎富秋社長)の被害が大きい。メッキ工程を行なう工場配管などがはずれ、柱も地震でゆがんだ。壁の一部が落ちるなど被害も。メッキ工程復旧には時間がかかる見通し。羽場崎社長は「溶接や組立ラインは動くが、メッキ工場の稼動は未定。外壁もはがれ、復旧は何千万円単位になるだろう。親会社の前田建設も状況を把握している。何とか早急再開したい」と話している。

写真・震源地近くのシリンダー製造のネオックスも被害を受けた

震度6弱の十日町市、松之山で土砂崩れで民家崩壊  3月18日号
 十日町市では、12日午前4時頃、松之山中尾で土砂崩れが発生。住宅2棟と作業小屋などが崖下に滑り落ちた。この土砂崩れで農業、高橋英一さん(76)方の木造2階建て住宅の半分が引きちぎられ、壁や床材が崖下に散乱。隣の無職、高橋豊俊さん(60)方の住宅も20b余り下に押し流された。
 
 「ゴゴー」という不気味な音と共に異変に気付いた地区住民らが駆けつけ救助活動を行った。英一さんは自宅トイレの窓から外に脱出。妻のカズエさん(72)は床材と共に転落したが、顔を切るなどの軽い傷で済んだ。また家ごと滑り落ちた豊俊さんも自力で外に出て、地区住民からロープで引き揚げられ無事だった。
 
 一方、松之山赤倉では13日未明、神社の裏山が崩落。十二社が約15b下の東川を塞いだ。近くの住民によると、「朝6時頃、なにげなく周囲を見回してみると神社が消えていた。まさか崩落していたとは」と驚いていた。

 地震発生時から松之山や松代の広い地域で断水が続いている。ピーク時に比べ183世帯(404人)が解消されたものの15日現在、依然として松代地区1249世帯(3240人人口比88%)、松之山地区747世帯(1880人同74%)が断水しており、地域住民は厳しい生活を余儀なくされている。
 この断水で妙高市や聖籠町、長岡市などからの応援もあり15日現在、給水車が松代地区に5台、松之山地区に3台の計8台が巡回を続け、他に松代病院と松代保育所に給水車を横付けし給水を続けている。
 断水は、松代の松代簡水、松之山の松里簡水、西浦田簡水が全域で断水。また松之山簡水、浦田第1簡水、湯之島簡水などで一部断水している。地域は2b余りの積雪があり、配管が畑や住宅裏などにも通っていることから断水箇所の特定が難しく復旧の見通しは立っていない。
     ○
 ケガ人は、同市松之山地区で倒れたタンスで女性(79)がけが。中里地区では男子中学生(15)がガラスで足を切るなど9人が軽傷を負った。
     ○
 建物被害は、住宅が3棟全壊、10棟が半壊、一部損壊は25棟にのぼり、作業所などを含めると全壊12棟、半壊1棟、一部損壊78棟となっているが、余震や雪崩などの影響で被害はさらに増えることも予想される。
    ○
 休校となっていた松之山地区の松之山、松里、浦田の3小学校と松之山中は15日に授業を再開した。

シリーズ連載 明日へ 100歳の画家、自分と向き合う日々  3月11日号
 毎日、カンバスに向かう。戦後まもなく杉並に建てた家の2階居間から、満開の白梅が見える。ときおりメジロが姿を見せる。ソフアーわきに30号の絵。右下に「―49 T Takahashi」のサイン。昨年7月19日、100歳を迎えた高橋勉。(敬称略)


 新潟師範で絵を学び、中国・大連芸大でさらに学ぶ。だが終戦。引揚げの混乱をくぐり、昭和21年(1946年)、生まれ故郷の津南へ。ふるさと十二ノ木の自宅から見える信濃川対岸の風景。1949年の春。この30号の絵が、いま手元にある一番古い絵だ。「敗戦の混乱で、描いた絵はすべて没収された。日本に持ち帰ったのは、ポケットに入っていた絵の具のチューブ数本だけだった」。その持ち帰った絵の具で、ふるさとを描いた。


 毎日、1、2時間、絵に向かう。1階のアトリエでは絵画教室を開いた事もある。そのアトリエに、一枚の自画像がある。
 その顔は、自分であり、自分ではない。「ただ、絵の具で対象を描くというのは絵ではない。何かを描きたくなり、描かなくていられないということが、必ずあるはずだ」。自分と向き合う時間だ。
 
 
 日本にシュルレアリスムを持ち込んだ画家・福沢一郎氏(1992年没)とは大連で出会った。引揚げ後、偶然、東京の中央線の電車内で再会した。『おまえ、生きていたのか』、『一緒にやろう』。同志で獨立美術協会を結成し、美術文化協会、さらに今も続く新象作家協会を立ち上げる。「人はある時、無茶をする時がある。がむしゃらに何かに向かう、そういう人間が少なくなっている」。
 
 高橋は昨年、「次代を担う子たちのために」と、自作の76点(30号〜120号)を津南町に寄贈した。誕生月の昨年7月、100歳記念展を津南町で開いた。
 ふるさとに贈った絵には、原爆を思わせる黒い雨、三島由紀夫の自死に寄せた作品、津南の先人たち縄文人を思う「縄文幻想」など、前期のシュルレアリスム作品、具象をとことん追及し、見る者にストレートに訴える作品など、高橋の生きざまがそこにある。
 
 
 いま、「オニ(鬼)」を描く。「親の子殺し、子の親殺し。人の中に潜むオニ、だれでも持ちえているオニ。自分の内なる不可解さと向き合う、その一面がオニだ。人間そのものがオニ。社会現象の一つを自分の潜在意識に結びつけることで、どんでもない自分に出会う。そのために、自分と向き合う」。

 世情への感覚は、いちばん弱い存在、子どもにも向く。
世界各地での災害、紛争が起き、多くの子たちが犠牲になっている。4年前、その思いを描いた100号の大作『天災一過』は、新象作家協会第50回記念展に出品、大きな反響を呼んだ。
子たちへの思いは強い。「子どもの描くものは面白い。描きたくなるものがあるから、子どもは描く。だから子どもの絵は面白い。優劣をつけてはだめだ。描いた絵を飾る、人に見てもらう、これが大事なことだ」。

 
 昨年3月、長年連れ添った妻、壽満子さんを亡くした。「つねに生死。死というものから生を考える。自分の人間的な内なる部分考えることになる」。
毎日、アトリエでカンバスに向かう。「健康のためだな。自分の未知なるものが引っ張り出される、これが絵の面白さ。我が人生、小説よりの奇なり、だな」。
           
写真・毎日カンバスに向かう高橋勤。「自分と向き合う毎日だ」、100歳の画家は熱い(2月末、東京杉並の自宅で) 

門出、手作り結婚式で祝う、全6戸の十日町市池山   3月11日号
 ◎…「農村に人を還したい」と戸数7世帯、住民16人の十日町市池谷に、2年前に茨城・日本農業実践学園から移り住んだ籾山旭太さん(30)は、今月末で同学園に帰る。その新たな門出を結婚式で祝う会が5日、いまだ雪深い池谷で、住民やボランティアなど150人余が集い、パートナーとなる金子千鶴さん(27)との門出を手作り式で祝った。籾山さんが育てた和牛2頭に引かれ、祝宴会場の分校に向かい、色とりどりの風船を住民全員で春近い空に放した。


 ◎…まず現場へと、籾山さんは2008年9月、NPO棚田ネットワークを紹介で池谷へ。池谷分校に住みながら農業や地域行事を手伝い、翌年「山清水米」ブランドで米販売、さらに黒毛和牛の飼育、鶏の平飼いなどを実践。池谷の全戸で作る地域おこし実行委員会の山本浩史代表(59)は「籾山さんが来てから池谷は変わった。彼に続く人たちが来ており、活気が出ている。後継者となれるような若い人が集まっている」と話す。先月と今月、新たなに女性2人が池谷に移り住んでいる。


 ◎…「池谷始まって以来の祝い事だ」。区長の庭野功さん(71)は喜ぶ。池谷集会所で神前式を挙げた2人。約8百b先の高台にある分校が祝宴会場。籾山さんが育てた和牛「みずす」と「さつき」が紅白をまとい先導。2b余の雪壁の道を白無垢の千鶴さん、袴姿の籾山さんが牛に続く。祝いの化粧まわしをプレゼントした嵐主税さんは「弟のような人。嬉しいね」。1年先に十日町市に入った地域おこし協力隊。福祉施設「しぶみの家」の人たちと製作した。同地出身の大渕ノリさん(75)は「ここを出て50年。若い人たちが来てくれて元気が出てきた。ありがたいこと」と2人を祝福。籾山さんは「本当に家族同然の付き合いをしていただいた。この恩返しをしたい。農村に人を還す運動に取り組みたい。最高の想い出になりました」と池谷の人たちに感謝していた。

 

「学びの場」、全校100規模継続、十日町高定時制  3月11日号
 存続が危ぶまれ、住民運動で継続募集が続いている県立十日町高校定時制は、新年度も定員40人に対し27人が入学を希望し、前年に続き全校で100人を超える規模となる。4日の卒業式で同校を支援する振興会の庭野雅弘会長は「必要とする人がいる以上、この学校を残したい」と、同定時制の必要性を強調し、4年間通った20人の卒業生に参列した保護者など共に大きな拍手を送った。
 

 同定時制は、県教委の高校再編計画で5年前に廃止の方針が出された。関係する保護者などが「守る会」を作り、街頭署名運動や地元市町が議会への協力要請、さらに県教育委員会に出向いて存族を直接要請するなど行った。
 
 これを受ける形で県教委は募集継続を打ち出し、一一昨年は36人、昨年28人が入学、今春は27人が入学を希望し、同数が入学した場合、全校113人となり、昨年の106人を上回る多数の在校生数となる。
 

 4日の卒業式では、担任の三浦俊亮教諭が卒業生一人ひとりへの思いを語り、名前を呼んだ。「一番私に叱られたね。その行動力を生かしてください」、「卒業できるか心配した。友の支えが大きかったね。これこそ人生の財産です」などメッセージを伝え、上村栄市校長が卒業証書を手渡した。
 
 存続運動を支えてきた同定時制振興会の庭野会長は「この4年間の経験が皆さんの心の支えになる。多くの人たちの運動でこの定時制は存続している。県教育委員会も必要とする入学者がいる以上、学校は存続させると方針を示している」と同校の存続を強調し、「ロマンを持って」と卒業を祝った。
 
 なお同定時制の新年度志願者は27人、現1年28人、2年36人、3年22人となっている。

信濃川西大滝ダム、総放流量変えず、変動放流を 大熊教授が提言  3月11日号
 東京電力西大滝ダムの水利権更新で、許可申請に対する国の地元への意見聴取に関心が集まる。西大滝ダムから十日町地域間の多雪地帯流域が信濃川に供給する水量は、信濃川全体の6、7割にのぼると、水環境研究の第一人者、新潟大の大熊孝名誉教授は語った。
 今月5日、栄村で水問題を考える勉強会を開いた。大熊氏は「飯山市立ヶ花の流量から小千谷の妙見堰の流量を引くと、この県境地域からの流入量が分かる。立ヶ花では年間150億dという。おそらくこの多雪地域は信濃川全体の6、7割の水を供給しているはず」と研究データなどから指摘した。
 

 さらに放流量は、「毎秒1dという水量は人口20万人の生活をカバーする。(東京電力が申請の)毎秒20dの放流量は400万人をカバーする計算になる。電力関係者にとって水を流すのは札束が流れているようなもの。それだけに流量について敏感だ」と、川の水を電気に変え、さらに金に変える電力事業の実態を話した。
魚類の遡上の意義も述べた。「サケの回帰率は0・3%だが北海道は1%前後と高い。日本の川は短い。サケ、アユ、ウナギなどが海と行き来する。生物往来の場が川という認識が大切」。さらに「遡上魚が海のミネラルを上流に運び、熊などが食し、排出物などで樹木が育つ。世界的な調査で、サケが遡上する上流域の樹木は育ちが良いという。調査すると樹木の成長に海のミネラルが作用しているという結果が出ている」と魚と川の深い関係を興味深く説明した。
 

 水利権更新問題に関係しJR東・宮中ダムで行う5年間の試験放流について、「私は『みためし』と呼んでいる。東京電力西大滝ダムも自然の流量に近い状態の放流が求められる」と話した。先の信濃川中流域協議会でも「総放流量を変えずに夏場やサケ遡上期に放流を増やす変動的な放流を行うべき」と大熊教授は指摘している。国もこの方向で協議に入っている。

大わらじ、見玉不動尊に奉納、津南ワラ工芸部  3月11日号
 ○…長さ2b50aの長ーいワラジを仁王様に―。津南わら工芸(高橋清作代表)では、見玉不動尊の仁王様にワラジを奉納しようと6日から3日間かけ、長さ2b50a、幅45a、重さ約45`の「奉納ワラジ」を2足作った。同工芸では初めて作る巨大なワラジ、製作にあたったひとり、石沢今朝松さんは「飾られてある十日町市の神宮寺に何度も見に行って作った。全て模索しながらの手づくり。地域の住民にご利益があるように」と話し、来月28日の同不動尊縁日に奉納する予定だ。
 

 ○…奉納ワラジは、同工芸の新年会で話が出、見玉不動尊に問い合わせたところ「ありがたくお受けします」との返事。「それでは作ってみよう」と取り組んだ。会員ら15人ほどがそれぞれワラを持ち寄り、実習館なじょもんを作業場に取りかかった。「ふつうのワラジを大きく作ればいいだろう」と向かったものの、同様の作り方ではよじれてしまうなど無理があることが判明。急きょ、神宮寺に奉納してあるワラジの「視察」も行い、見よう見まねながら苦心して作り上げた。同工芸会委員らは「見玉の仁王様は水に付けたちり紙を投げて、あたった所がよくなるという伝えがあるありがたいもの。大ワラジでいいことにつながってもらえれば」と話している。

イチゴを作り、ジャムで試食 上郷小学校  3月11日号
 ▽…「わたしたちが育てたイチゴを使ったジャム、とってもおいしい」。総合学習の一環として1年間にわたって栽培して来たイチゴを調理して味わってみようと上郷小3年生(11人)が9日、イチゴジャムとクレープづくりに挑戦。「よくできて最高の味になったよ」とパクついていた。
 

 ▽…地元のイチゴ生産者との交流から、昨年の春に分けてもらったイチゴの苗をプランターに入れ、学校で育てて来た。今回は、収穫したばかりのものや秋に収穫して冷凍しておいたものを材料に、イチゴジャムの販売も行っている早河史恵さんを講師に招いてさっそく調理。できあがったジャムはクレープに乗せ、バナナやクリームのトッピング付きで試食。「甘くておいしい」と大喜びだった。

シリーズ連載 明日へ  「夜学で得た仲間たち」   3月4日号
 一歩を踏み出す。その瞬間、自分を取り巻いていた空気、時間が動き出す。戸惑い、たたずみ、振り返る。そんな繰り返しをしながらも、さらに踏み出す。夜学に通い、ようやく見い出した明日。毎日カンバスに向かう百歳の画家など…。それぞれの一歩を連載する。(敬称略)


 学年末試験の最終日。1月28日が最後の試験日だった。最後の試験科目は3、4年の担任だった三浦先生の日本史。「これで終わりか、さみしいなぁと、ちょっと感傷的になりました」。松本季実子(19)は今日4日、卒業式を迎える。
 4年間、飯山線で十日町高定時制に通った。学校を休みがちだった小学、中学時代。人とのコミュニケーションが苦手だった。夜学のクラスメイトは21人。「年齢も、立場も、価値観も違う人たち。いろいろな人間がいるんだなぁ、という感じでした」。  
入学後、すぐに生徒会活動に加わった。一日、また一日と新たな学校生活が積み重なる。「苦手だった人とのコミュニケーション、それを自然に学んでいったという感じです」。生徒会を通じ、先輩、そして後輩との絆ができた。


 小学4年の時。カマキリの飼育をした。どうしても分からないことがあり、NHKラジオ「夏休み子ども相談室」に電話した。「理科のようなことが好きでした。ラジオで何を話そうか、シナリオを書いて、電話したんです」。学校は休みがちだったが、本はいつも手元にあった。
居ながらにして、自分を別世界に連れて行ってくれる本。中学時代、そして高校。月10冊余り読んだ。「物語ものが大部分でした。今は月3冊程度かな。最近は、その人の体験記などをよく読みます」。
一冊の出会いがあった。秋田のりんご栽培農家、木村秋則さん著『りんごが教えてくれたこと』。後に「奇跡のりんご」と言われ、全国的な注目を集めた一冊。
昨年夏、卒業後の進路を決める時期。「私の中に、卒業後のことは何もなかったんです。自分が何をしたいのか分かりませんでした。もがきましたね。でも、ふと考えた時、木村さんの本を思い出しました」。
りんご栽培を、生き物としてのりんごの立場で土作りから取り組み、全く農薬を使わず、不可能といわれた無農薬、無施肥でりんごを結実させた木村さん。
「人間も生き物の一つ。生き物としての人間が元々していた生活、そんな分野に進みたいと考え、農業の道に決めました」。新潟県農業大学校に進む。専攻は「野菜」。2年間学び、その後、専門コースをめざす。「専門コース進学は難しいようですが、頑張って進みたいです」。


 兵庫出身の父、東京出身の母。自然の素材で染織し、着物などを作る。「とても自然な形で、両親は楽しそうに毎日を送っています。自分たちが好きでやっている生き方が、とてもいいなぁと感じるようになりました。身近な存在すぎて、小学、中学では感じませんでした。自分も、両親みたいな生活を続けたいんだと、進路を決めた時、改めて思いました」。
4月8日。新潟県農業大学校の入学式。新たな出会いが待っている。「とてもアットホームな時間の4年間でした」。夜学で出会った仲間たち。今日4日、別れの時を迎え、それぞれが、新たな一歩を踏み出す。

江戸期の雅なお雛様、津南町の芳流閣で展示  3月4日号
 ◎…趣きある純和風の部屋に、江戸期から伝わるお雛様が飾られ、時代を感じさせる雰囲気を出している。津南町上郷逆巻の「芳流閣」。県境の地、宮野原橋の架け替えで移築、現在の場所に。その時、玄関と居間をそのまま移築した。その雰囲気ある部屋に、明治期から伝わるお雛様は鎮座する。


 ◎…先月末、代々伝わる桐箱から出し飾った。このお雛様、20年余り前に東京に移住した実兄が、「兄嫁が持っていたものを、もっと広い所に飾ってほしいと、ここに持ってきたものです」。桐箱などから「享保年間」とみられ、3百年以上前。隣には昭和初期の5段ひなもある。


 ◎…芳流閣の田邉佑さん(75)は、「昨年、16年ぶりに箱から出しました。顔のあるものは、箱に入れておいては可愛そうですからね」と、床の間にきれいに飾った。男ひなは太刀を差し、女ひなは唐衣(からぎぬ)を着ている。今月末まで飾る予定だ。

東京福祉大学生と交流、津南町の芦ヶ崎小  3月4日号
「好きなことを一生懸命やって、自分の夢をみつけてね」。総合的な学習で「福祉」を学ぶ津南町の芦ヶ崎小(内山恵子校長)の5年9人。介護施設職員講話や施設訪問などを行うなか、総仕上げに東京福祉大の学生を招き25日に交流会を開いた。大学生5人と福祉や自分の夢、なりたい職業などを語りあった。
 

 5年生は研究成果をまとめたポスターを製作、群馬の同大学に昨秋掲示。「福祉を学ぶ皆さんのお話しを聞かせて下さい」の呼びかけに、カウンセラーや養護教諭をめざす5人から手紙が届き、交流が実現。学生のひとりで町内結東出身の瀧澤有加さん(19)は精神障害をサポートする精神保健福祉士を志望。「中学まで将来の事は考えなかったが、大学で福祉を学び、弱い立場の人を支援する職に魅力を感じています。いろんな体験を通じて将来の夢をみつけて」とアドバイス。
 

 一方、先輩の話しを聞いた涌井ダニエルさんは「人のことを思いやる気持ちの大切さを改めて感じました。おばあちゃんが近くで独り暮らしなので支えてあげたい」と目を輝かせていた。

「光の畑」、雪原に輝く まつだい農舞台  3月4日号
 ☆…宝石をちりばめたような色とりどりの光の花が雪原に輝いた―。大地の芸術祭の冬版「雪アートプロジェクト2011」が26、27日、「まつだい農舞台」周辺で開かれ、初日の夕方には色とりどりの発光ダイオード(LED)1万個余りを使った『光の花畑』が出現。幻想的な雰囲気に訪れた人たちから感嘆の声があがっていた。
 

 ☆…作品は、光のアーティスト・高橋匡太氏(40、京都)が制作。日が暮れ始めた午後6時頃になると当日の入場者も参加して埋め込んだ青や赤、白色などのLEDの光が雪原に輝いた。小千谷市から訪れた20代のカップルは「とってもステキです。いい思い出になります」と盛んにカメラのシャッターを切っていた。

ふるさとを想う、東京津南郷会、今秋ふるさと交流  3月4日号
 50年余の伝統を持つ東京津南郷会(江村菊男会長)の新年総会の集いは26日、東京新宿の鍋茶屋で開き、新会員含む50人余が参加、懐かしいふるさと談義で盛り上がった。任期を迎えた役員改選では現体制の継続が決まり、江村会長は「若い世代の新会員を迎え、皆さんの協力で、さらに活気ある活動をしい」と語った。今秋はふるさと訪問を行い、故郷で交流を深める計画だ。
 

 津南雪まつりと同日だったが津南から草津進副議長、高橋政徳商工会長が出席。親交深い東京松之山会の高橋秀夫会長、ニュー・グリーンピア津南首都圏センター本部長の石橋正光執行役員、吉池本店長の小林英典常務なども出席。事業報告では昨年7月の「沖縄宮古島クィチャーとからす踊り交流」で、4千人を前に松之山会と共に出演、恒例の8月からす踊り大会への参加呼びかけなどを行った。集いでは帝国劇場公演などに出演の津南町大赤沢出身の女優、藤ノ木ゆいさん(坂下久代さん)が新春の舞を披露、大きな拍手を受けた。
 

 津南から駆けつけた草津副議長は「皆さんは津南町の頼もしい応援団、これからもご協力、ご支援を」と呼びかけ、高橋会長は津南町建設業協会製作の過去30年の積雪図表と大倉トンネルパンフを持参し、「ふるさとの雪を思い出してください。大倉トンネルは今秋のふるさと訪問の10月には開通する見込みです」などと話し、1時間余り懇談後、津南雪まつりへ帰郷した。
 
 役員改選では現役員の続投となった。会長・江村菊男、幹事長・藤ノ木辰三郎、事業部長・滝沢壮治、会計部長・野村英夫、監査役・丸山喜英の各氏。


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