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2010年07月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
十日町病院用地問題、現在地に決定、関口市長が小黒沢で陳謝  7月30日号
 県立十日町病院の改築場所を「現在地」に決めた関口芳史市長は28日夜、合併前の滝沢市長時代、建設地として地権者同意を受けた小黒沢地区を訪れた。同地区集会所に集まった住民50人余を前に「説明不足と共に当時関わった者として申し訳なく思っています。何卒ご理解をお願いします」と深く頭を下げ、地権者同意から6年の経過を詫び、現在地決定への理解を求めた。

 

 小黒沢地区は31戸。合併前の滝沢市長時代、中越地震直後、被災した十日町病院を訪れた泉田知事は、「建て替えが必要」と明言。これを受け滝沢市長は建設用地を、地域高規格道・十日町インター予定地隣接の小黒沢地区に決め、当時の関口助役と共に地権者交渉。約7fの地権者23人の同意を取り県要望。だが合併選挙で市長交代。ここから建設用地問題はこじれた。
 28日夜、小黒沢集会所での説明会で関口市長は、この市長交代を「大きな転換点だった」と表現した。合併前、十日町・中魚沼6市町村長、地元県議の合意で小黒沢地区へ病院建設を決め、当時の滝沢市長一任の形で県要望。5月の合併選挙直前の年度末3月31日に知事要望している。
 合併選挙で田口市長が誕生。当選後、知事挨拶に出向いた田口市長は「病院の件は少し待ってほしい」と泉田知事に言ったという。県は戸惑った。その後、十日町市からの病院問題へのアプローチはなく、田口市長の任期切れ1年前になり、急きょ、「現在地での改築を検討してほしい」と県に要請したという。



 28日の説明会では、関口市長への厳しい意見が相次いだ。「現在地の不便さは30年間ずっと言い続けてきたこと。外見などどうでもいい、住民の安心安全の拠点であることが第一。なぜ不便といわれる場所に決めるのか」、「小黒沢地区は病院を必要とする皆のことを考え、同意書に印を押した。なかなか進まない田口市長では駄目だと思い、市長選挙で関口さんを押した。同意書がある小黒沢と他の候補地がなぜ同列なのか」、あるいは「この評価項目は最初に結論ありきの評価だ。現在地に決めたが、付帯6項目が実現しない限り、建設には取りかかれないはずだ」など15人余が発言、特に女性の発言が多く、行政不信の根強さを示した。
 関口市長は、説明不足と同地訪問の遅れを何度も詫び、「現在地に決めた責任のすべては私にある。小黒沢の今後については市総合計画後期5ヵ年計画に、皆さんの声をしっかり聞き、相談し、実現に向け取り組んでいきたい」と約束した。
さらに地域高規格道の十日町インター整備にも触れ、「インター設置は国や県の理解が必要だが、インター周辺開発計画も出てくるだろう。インターを定めることを、本気の事として自信を持って実現に取り組む」と小黒沢周辺への十日町インター設置を強く示唆した。
 

 今回の説明会について地元の小黒沢総代の宮澤幸一さん(63)は「今日の説明で納得しろと言われても、それは無理だが、関口市長は地元の思いが良く分かったはず。(同意書による)訴訟の声もあるが具体的な動きはない。今後さらに地元で話し合い、対応を決めたい」と話している。同意書提出から6年間、行政のトップ交代に振り回された小黒沢地区。行政不審が根強いなか、新たな地域振興策の模索に迫られている。

東京電力48年ぶりの新設発電所、秋山郷栃川に12月発電開始  7月30日号
 秋山郷・栄村上野原の栃川に東京電力が平成20年春から建設を進めている「栃川水力発電所」は、今年12月の稼働に向け急ピッチで工事が進んでいる。同発電所は、国が電力会社などに風力や太陽光など自然エネルギーの導入を義務づけている新エネルギー利用特別措置法の対象となる最大出力1千`hの水路式水力発電所。発電後の水は再び栃川に流され、本流の中津川に結ぶ。栄村には電源三法に基づく電源立地交付金として昨年から5年間にわたり年8百万円、計4千万円が交付される。発電開始後、固定資産税が課税される。
 

 同社の水力発電所は47年ぶりの建設。計画では、栃川から毎秒最大0・73dを取水、左岸側の山斜面を利用し有効落差175b、約1・8`の導水管で発電所に結ぶ。発電量は一般家庭1600戸分にあたる最大1千`h、年間590万`h時を発電。既設の切明発電所の送電線に結ぶ。取水口にはウェブカメラを設置し津南町の送電所で監視、問題が発生した場合に対応する計画だ。
 

 1級河川の栃川は苗場山中腹が水源。通常0・55dの平水量(最大4・12d)があり、発電では毎秒最大0・73dを取水。最小維持流量0・102dを厳守するなどが条件。同河川は地元上野原地区が生活用水・農業用水として、また長野県も道路融雪用水の取水権があり、発電取水より優先される。同社では開発に必要な河川法、森林法、景観法など許認可関係を平成20年に許可。村では自然環境への影響などを村自然保護審議会で協議し、平成19年9月に東京電力と同意書を交わしている。
 

 同社の地域企画グループ・小嶋充代功マネージャーは「年間350世帯分のCO2削減などクリーンエネルギー。トータル的にメリットあるとして開発となった」と話している。

ひまわりウエディング、家族の絆を誓う  7月30日号
 ○…思い出の地、津南で絆を再確認―。津南町ひまわり広場で25日、新潟市の国際ホテルブライダル専門学校企画の第6回ひまわりウェディングを開いた。カップルは新潟市の佐藤喜人さん(24)、智恵美さん(25)、長男の3歳、喜己君。純白のドレスの新婦、タキシード姿の新郎。満開に咲いた15万本のひまわりが祝福。バージンロードで参列者50人余のフラワーシャワーを浴びた。
 

 ○…同校卒業生のふたり。5年前、第1回ウェディングプロデュースを機に交際が始まった。3年前入籍、喜己君が誕生。「ふたりをつないだ津南で家族の絆を新たにしたい」と母校に申し出て実現。「夫婦の縁が生まれた津南で、ずっと式をあげたいという夢が叶った」。喜人さんオリジナルのコロンを智恵美さんにプレゼントするサプライズも。
 

 ○…同校ホテルブライダル科2年31人が2ヶ月余をかけ演出。リーダーの山崎華奈さん(19)は「ふたりにとって大切な地である津南は、私たちも忘れられない思い出の地なりました。私もひまわりに囲まれ結婚式を挙げたい」と瞳を潤ませていた。

第31回津南祭り、手作りで好評、笑いと感動  7月30日号
 ○…夏夜を笑い集う第31回津南まつりは24日開催。町役場第2駐車場で3on3バスケでオープニング。FM新潟人気パーソナリティ・ヤンさんの司会で「FM津南」を臨時開局。インターネット中継で世界にアピール。終盤は参集者全員で『明日があるさ』を大合唱、夏まつりの一体感を演出した。
 

 ○…人気の国道117号での民謡流し、おまつりパレード。沿道は観衆で埋め尽くされた。民謡流し12団体4百人余、仮装パレード6組にヤンヤの歓声。笑いと悲鳴を誘う女装グループの魅惑のダンス、勇壮なよさこいなど、笑いと感動舞台に約5千人が酔った。グランプリと携帯電話投票で決まるオーディエンス賞は町商工会がダブル受賞。準グランプリはよさこい津南、S56だった。
 

 ○…運営主体は20代から40代。「夏まつりは町民のため」と実行委員長は6年ぶりに町長が就き、事務局は町が担当。2ヶ月余り前から準備した実行委幹事会の滝沢一成さん(40、結東)。「この祭の面白さは町民手作りの温かさにある。企画やアイデアがあれば本当に実現できる。みんなで町を楽しく、元気にできれば嬉しい」と津南への熱き思いを話している。

津南独自の認証制度を、上村町長が政策を続々  7月23日号
 津南町の上村町長は地元農産物に独自の認証制度を設置する方針を21日開会の町議会定例会で明らかにした。上村町長は「津南産は味良し、質良しの農産物が多い。さらに高付加価値の産物を生産するため認証制度を独自に設けたい」と話し、津南産農産物をさらにグレードアップするシステムを町独自に設ける方針を示した。
 

 具体的な方針について事務レベルで答弁した石橋地域振興課長は「内容はこれから検討するが、ハードルを高く設定したい。例えば魚沼産コシヒカリの減農薬、減化学肥料などは県や国の基準があるが、野菜関係は基準がない。明確に消費者に(高付加価値を)訴える制度にしたい」と答え、「味にこだわりたい」と従来型の安心安全に加え、食味を重視した独自の認証制度で津南産をさらに特色化、個別化する意向だ。
 

 さらに上村町長は、「津南には魅力的だが、活用されていない素材がまだある。どんな素材があるのか、やはり調査が第一。りサーチィングとプランニングが町づくりの基本になる」と津南産素材を調査する方針を明らかにした。
 

 一方で米価下落への対応策など、セーフテイネット政策についても言及。「(魚沼米)神話にあぐらをかく時代は終った。今年産の米価を注視している。再生産価格が維持できるのかが問題。制度融資は商工業関係は多いようだが、農業分野も制度融資を考えたい。さっそく県信用保証協会と協議する」と町独自の農業分野を対象の制度融資を創設する方針も明らかにした。

新十日町病院、建設地は現在地に決定、来月知事へ報告  7月23日号
 地域医療の拠点となる2・5次医療が可能な中核病院化構想を進める新十日町病院建設場所は「現在地」と答申が22日出された。新十日町病院建設場所検討委員会(中出文平長岡技術科学大教授、委員14人)の第5回の最終会合を市役所で開き、4候補地から適正地を同市高山の現在地とする検討結果を関口市長に提出。関口市長は「4候補地を一本にして欲しいとお願いしていた。泉田県知事には私と県の病院局とで報告に伺いたい。1日も早い病院建設に向かっていく」と述べ、8月に一度市民説明会を開いたのち、泉田県知事に面会する方針。
 

 候補地は現在地、下島、四日町下島、小黒沢の4ヶ所で検討。委員長を除く13人が土地の状況、救急医療、患者の利便性、意思の利便性、地域連携、療養環境、まちづくり、周辺影響、自然災害、建設開始までのスピード、市への財政影響の11項目で点数評価。現在地は9項目で最適性と判断。最高468点の評価点数で現在地391点、下島191点、四日町下島189点、小黒沢185点と大差が付いた。なお騒音や振動の有無など療養環境は小黒沢、電波障害や民間病院の位置など考慮する周辺影響では小黒沢と四日町下島を最適地としている。


 検討委では現在地に対して『病院前市道の渋滞緩和のために約60bのバスレーン設置』、『敷地拡張で駐車スペースの確保を』など6項目の改善案も提出。小出委員長は「4候補地とも百点満点はない。現在地が適正と提案したが、配慮が必要な点も付帯事項として出した。土地取得の容易さ、インフラ整備は現在地が有利。まちづくりの観点でも歩いていける医療施設は重要だ」と当初から言われた現在地有利に検討が進んだ経緯を話した。

 一方、候補地の一つ小黒沢の地元、水沢地区振興会・上村國平会長は「市のやり方には不満だ。これから地元で協議し、対応を考える。市と交わした同意書の法的な有効性についても弁護士と相談している」と今回の「現在地」決定について反発を強めている。

「古道復活」、村の魅力再発見、NPO栄村ネットワークが活動  7月23日号
 いつも通りの生活を送る村民との交流など、あるがままの栄村の魅力、その心地よさを来村者から感じてもらう「むらたび」を企画するNPO法人栄村ネットワーク(樋口利行理事長)。「むらたび」の要素の一つとなる「古道」の復活に取り組んでいる。今月25日、すでに昨年から復活整備に取り組む「小滝古道」をNPOメンバーや地元民で散策し、「むらたび」の事業内容を現場で確認する。


 この古道復活は2年前に取り組んだ「ええとこ探し」活動を通じて始まった。これまでに「志久見街道」、「小滝〜野田沢〜大久保を結ぶ集落道」、「小滝〜箕作を結ぶ集落道」、「青倉〜貝立山の山道(農道)」の4本を調査し、整備を進めている。
 この古道は、最近まで関係集落で草刈などの整備を行っていた。だが集落の高齢化や耕作地の放棄、あるいは車道整備で使用する機会が減り、いつしか原野化が進んだのが実情だ。
 

 課題は復活した古道の整備。同NPOは、この整備作業を大学との連携に見出した。同NPO活動の一つであり、昨年から実施している「山村カレッジ」での体験活動に組み入れた。今春、駒澤大の学生が来村し、小滝古道の整備を地元民と共に行った。他に京都精華大、東京農大などとの連携も進んでいる。


 栄村に定住し、同NPO理事であり同プロジェクト「チーム古道復活」のリーダー・松尾眞さん(京都精華大准教授)は話す。「栄村は自然と人の営みが結びついた素晴らしいところ。『俺たちの村は素晴らしい資源に恵まれ、都市の人々が憧れるような日本一の村だ』という誇りを生み出すことができ、新たな観光のあり方、「むらたび」の要素になる」。さらに「都市部の人との交流で特産の販路開拓にも通じ、さらには地元ガイドの育成により若者定住、また村外からの移住につながる活動に通じる」と古道復活を通じた「栄村再発見」活動に期待を寄せる。この活動は公益財団法人トヨタ財団の地域社会プログラム助成の認定を受けている。

「君たちは午前8時の太陽」、津南中等校インターンシップ、本社で取材体験  7月23日号
 職場体験を積極的に学校活動に取り入れる県立津南中等教育学校のインターンシップ(体験学習)は21、22日の両日、地域の民間企業や役所、観光施設、福祉施設など34事業所へ3年生78人が出向き、さまざまな職場体験を行った。本社にも丸山のどかさん(上越市大町小卒、十日町市野口)と鈴木由紀さん(倉俣小卒、十日町市重地)の2人が来社。今月9日就任の津南町・上村憲司町長(61)にインタビューし、21日開会の町議会を傍聴取材するなど、新聞作りの一端を体験した。以下、2人がまとめた記事を掲載する。


 津南町をより良くするため、多くの人に後押しされ長年務めた県議会議員から津南町長に就いた上村憲司町長に、これからの町づくりについて聞いた。
 上村町長には、津南町だけではなく、県を越えた広い範囲で、めざしている理想があった。
 「市町村の境を考えずに、一つの地域として住民が一番過ごしやすい地域づくりをしていきたい。それに向って、皆で取り組む方が効率が良いと思います。安心して暮せる地域をつくることが一番の願いです」。
 

 さらに津南町を、年齢を問わず、前を向いて生きていける町にしたいという。
「若者には夢が叶えられる町、高齢者には希望が持てる町」。上村町長の町づくりへの熱意が伝わってくる。
 進路を考える私たち中学生へのアドバイスをもらった。上村町長は最初、法学部をめざした。だが、お兄さんの死で家業の土木へ進路を変更し、日大生産工学部に進んだという。
 「その一日、つまり一生をどう過ごすか考えて生きてほしい。それを自分で決めることが、とても大切」。さらに『皆さんは午前8時の太陽、私は午後3時の太陽。皆さんの前には新しい一日があります』と言葉をいただいた。
 上村町長の実体験をまじえた経験談に感動し、自分たちの夢について改めて考えることができた。


 議会前の30分間、上村町長にインタビュー取材しました。私たちの質問に分かりやすく答えて下さいました。議会を傍聴することもでき、津南町の人たちから選ばれた議員の皆さんの生の声が聴かれて、とても貴重な体験になりました。(鈴木由紀)
 
 楽しみにしていた職場体験は、本当にあっという間でした。私は新聞を読みやすくするために、1行の文字数が工夫されていることを初めて知りました。今まで知らなかった仕事を実際に体験することができて、とても楽しかったです。(丸山のどか)

十日町市上野の「第二藤巻医院」、国の登録文化財に  7月23日号
 第二藤巻医院が国の登録有形文化財に―。国の文化審議会は16日、十日町市上野の第二藤巻医院本館(藤巻定則さん所有)と敷地の石垣を登録文化財に登録するよう文部科学大臣に答申した。同市の登録文化財・建築物は川西上野の西永寺、凌雲閣松之山ホテルと合わせ3カ所目。官報公示を持って正式決定となる。
 

 同医院は、小千谷・真人で開業していた院長の藤巻敏太郎医師の弟で力雄医師が昭和9年に開業。子息の定則医師が平成20年まで営業していた。木造2階建て、切妻造り鉄板葺の西洋風建築。現在は休院しているが、内部には病室、診察室、レントゲン室、居室部などがあり、上面の車寄せや玄関アーチは左右対称。「外観のすばらしい洋館として歴史的景観に寄与している」としている。また同医院の敷地を囲む石垣は、信濃川の川原石を使用。仏像の蓮華座のように石を積み上げることから蓮華積とも呼ばれている。総延長は約80b、最大の石は幅1・2b余り、奥に行くほど小さくなり、「地域性を代表する石の積み方といえる」としている。

大地の祭り、津南で滝澤潔さん「風鈴プロジェクト」  7月23日号
 ○…風鈴に悩みや答えを書いてみよう―。アートな妻有の夏を彩る「大地の祭り」の開幕を来月1日に控え、津南町美雪町のアート「津南のためのインスタレーション」(製作・滝澤潔)で19日、「風鈴プロジェクト」ワークショップが開催。津南あ〜と盛り上げ隊が協力。町内で集めた4百個余の空き瓶に、町内小中学校の子どもたちや町民が悩みごとを書いた短冊を付け、来場者が答えを書き空き瓶に入れる相互交流型ワークショップ。会期中にも答えが次々寄せられる仕組みだ。
 

 ○…悩みは『おしゃれをしたいけど、自信がもてません』(11歳女性)『友だちの恋を応援してます。どうすれば長続きしますか』(12歳女性)と言った身近なものから『日本の国会議員はどうして歩み寄らず、国民のための議論をせず相手を攻撃するだけなのか』(39歳男性)など多彩。製作の滝澤さん(31)は「津南の人たちの思いを、来場者が答えることで新たな交流が生まれる。この風鈴の音色は言葉で人の心が響きあう様です」とねらいを話す。31日午後2時からも同ワークショップを開く。開幕の翌1日午後2時からはパーカッショニスト・田宮ガク氏の打楽器パフォーマンスも行われる。

自然を守るメッセージ、秋山郷見倉に人力で木道散策路  7月16日号
 ◎…鈴木牧之の「秋山記行」にも登場し、林道開削前は当時のたたずまいを色濃く残していた見倉集落。同地は県内有数のカタクリ群落で知られる。白樺の林床に広がる群落は、まさに薄紫のじゅうたん。その林間を散策でき木道の散策路ができた。昨年から取り組み、約160b完成。すべて人力で行い、これから夏を迎え、緑陰の遊歩道として人気を集めそうだ。
 

 ◎…津南町観光協会がカタクリ群落の保護活動の一環で県補助を受け取り組む。同協会理事やボランティアなどが休日など活用して取り組んでいる。これまでに中津川の秋山郷渓谷側と樹齢5百年以上の大栃など原生林が広がる山側にそれぞれ80b設置した。同理事で毎回参加し、自分のホームページ『津南まるごと博物館』でも紹介する小林幸一さんは「季節ごとの自然の変化が楽しめる場であり、この木道は自然を大切にしているというメッセージでもあります」と話している。

日本食研津南営業所・初代・室所長、「可能性ある津南の素材」、北海道に栄転  7月16日号
 食品大手・日本食研の大沢一彦会長と津南町の小林前町長との交友関係で3年前に開設した同社津南営業所。「社内でも津南は有名で、おかげ様で『津南の室』と知られるようになりました」。初代所長を務めた室正明所長(38)。定期異動で今月20日付で北海道・帯広営業所長に栄転する。
 

 国内196事業所、アメリカと中国、台湾の現地法人など海外18事業所、従業員3千7百人、年商825億円の日本食研ホールディングス。「全国の事業所で一番小さな町にある営業所」(大沢会長)が津南営業所。当時の大沢社長(現日本食研HD会長)は、20年余り前から取引がある津南町森林組合を『日本一の森林組合にする』と前町長の小林三喜男組合長と信頼関係を築き、その拠点、津南営業所開設。当時、業界紙や日経などで「なぜ津南なのか」と話題になった。
 

 初代・室所長は新潟営業所から就いた。10人体制でスタート。「職場内の風通しの良さを心がけ、情報の共有に努めました」。本社からの情報など毎朝の朝礼で話し、メールでも発信。当初、商品開発の専門員を配置、年間20品の商品開発に取り組む。現在は千葉本社の仕入担当が同組合の商品開発をアドバイスしている。
 

 その支援から津南産「なめこ」、「にんじん」を素材の商品が全国ネットで流通している。「津南の素材は質的にも良いものが多いです。ただ、既存の商品に入れにはコストが課題となり、新商品に活用するには販売量が課題になります。この両面からの研究が必要です」。特産のグリーンアスパラ、トオモロコシなど魅力ある素材という。津南町森林組合に今春、第3工場が完成した。「今後、冷凍設備などが整備されれば、こうした青物も活用できるのでは」と期待感を寄せる。
 

 営業所員は10人。今では7人が地元。「若い職場です。津南は人口に比較し栄えている町です。独立路線が良い影響となっているようです。個性を感じます。これからもこの路線での個性作りを期待します」。

 長男が津南で新入学した。家族を残し、一足先に北海道へ赴任。「家族は夏休みに入ってから来ます。家族ぐるみでお世話になりました。子どもたちにとっては、ふるさとでしょう。私にとっても忘れられない地です」。北海道・美幌町生まれ。出身の地で新たなスタートをきる。

絵手紙通じ世界との交流拠点・栄村絵手紙館   7月16日号
 絵手紙を通じて世界と交流する拠点づくりをめざす栄村の「栄村国際絵手紙タイムカプセル館」の全館完成記念式が12日、同館で開いた。3年前に収蔵館と1号館が開館。今春新たな完成した2号館が公開され、同村の絵手紙活動のきっかけとなった絵手紙作家・山路智恵氏、絵手紙交流する中国や県内外から関係者百人余が全館完成開館を祝い、企画展などを見て回った。中国・蘇州市絵手紙協会顧問の楊逢春氏は「栄村が呼びかけて国際絵手紙協会をぜひ作ってほしい。私たちも応援します」と協力、連携を約束した。

 同館は、日本絵手紙協会(本部・東京)が国内外からの絵手紙1000万通を収蔵し、未来へのメッセージとするタイムカプセル館の建設構想を打ち出し、同協会事務局長・島田幸吉氏(栄村出身)の橋渡しで栄村への建設が具体化。同協会が建設資金を村に寄付し建設した収蔵館。さらに同協会が建設した1号館を村に寄付。同様に同協会が建設の2号館も近く村に寄付する予定だ。建物は栄村所有となり、村は指定管理者制度により、運営を日本絵手紙協会事務局も務める絵手紙用品販売「絵手紙株式会社」(本部・東京)に管理委託している。同開館で地元雇用によりは現在従業員8人体制で運営している。
 

 記念式で島田村長代理の斎藤家富副村長は「絵手紙の栄村と全国ブランドとして知れ渡っている。絵手紙は人の温もりを通じて、感動や癒しを伝え、人と人との絆を深める。この絆がさらに広がってほしい」と期待感を述べた。中国・蘇州市絵手紙協会・倪頌霖会長らは「絵手紙は手書きのすばらしい文化であり、この文化を中国、日本はじめ世界に広める使命がこの栄村国際絵手紙タイムカプセル館にはある。一緒に頑張りましょう」と連携を呼びかけ、大きな拍手を受けた。
 絵手紙活動が栄村で始まって20年余り。村内絵手紙グループ芽吹きの会の初代会長などを務めた同館の滝沢英夫館長。「絵手紙は全国で様々な活動が行われている。この拠点を活用し、さらに様々な企画を立てると同時に、地元に皆さんからも参加していただける企画も行っていき、地元理解を深めたい」と話している。
 
 詳しくは同館ウェブサイトhttp://etegami-goods.co.jp
連絡先0269(87)1920。

ロンドンめざし三宅広実選手、津南で強化合宿  7月16日号
 ロンドン五輪で悲願の日の丸を―。日本ウェイトリフティング日本記録保持者の三宅宏実選手(24、アセットマネージャーズ所属)や全日本女子チーム8人が7日からニュー・グリーンピア津南で合宿し、連日厳しい練習に励んでいる。9月のトルコ世界選手権、10月のアジア選手権に向けた強化合宿。三宅選手は「ご飯、水が美味しく、温泉もある津南。熟睡でき集中できる最高の環境です」と北京五輪6位入賞に終わった雪辱を胸に、3度目の五輪に向け熱が入る。
 

 三宅選手と実父の義行コーチ(65)は同津南を運営する光善会グループとの交友から津南を合宿の地に。同津南は4年前、練習用具を約1千万円で整備。「天然温泉の疲労回復、特別な食事メニュー対応もできる、練習に最適な環境」と全日本や早稲田大など合宿地として高評価。昨年11月には日韓中フレンドシップ大会も開かれ国内外に津南をアピールしている。
 

 12日には叔父で東京・メキシコ五輪金メダリストの義信さん(71、NPOゴールドメダリストを育てる会理事長)も来町。現在全日本女子コーチを勤める実兄・敏博さん(35)を含めアスリート一家4人が揃った。宏実選手は現在53`級に階級を上げ筋力強化。津南合宿では北京五輪の金メダリストを育てた韓国コーチを招き指導を受けた。「今の目標はスナッチ90`、ジャーク115`。後ろの筋肉が弱いので、男性的な瞬発力を作っていきたい」と宏美選手。夢のメダルへの挑戦は続く。

100歳の情熱に感動、高橋勉展に恩師の子息・福沢一也氏来館  7月16日号
 ◎…今月19日で100歳になる津南町出身の現役画家・高橋勉画伯の個展が津南町なじょもん館で開催中だ。独特の心象画・シュールレアリスムを日本に初めて取り入れた福沢一郎氏に師事した高橋氏。東京・世田谷区成城に同氏記念館があり、その財団理事長の福沢一郎氏の長男、福沢一也氏が10日、開催中の高橋氏個展を訪れた。「親しくさせていただいているので、いつも勉ちゃんと言わせてもらっていますが、父を思わせる作風を感じますね」と展示中の28点を感慨深くじっくり見ていた。
 

 ◎…福沢一郎氏は1992年に死去。栃木・富岡市に同氏の作品の多くを収蔵し、成城の記念館で年数回企画展を開いている。10日来館した一也氏。「父との共通点を感じる画風もあり、何か懐かしさを感じます。父も人の暮らしや内面などをモチーフしていました。高橋先生の創作への情熱を感じます」と、福沢一郎氏の作風を思い起こさせる「青の奇跡」や「白っぽい作品」などに関心を示していた。高橋勉個展は同氏ぼ100歳の誕生日、今月19日まで。

「津南丸の全責任は私に」、上村新町長就任  7月9日号
 三つ巴の津南町長選を制し、第5代津南町長に就任の上村憲司氏(61)は9日朝、初登庁した。町内今井の自宅からマイカーで登庁した上村新町長。職員や町民が出迎え、女性職員から花束を受け役場庁舎へ。2階の町長室イスに座り「責任感ということを現実に感じた」と抱負を述べた。
 

 町職員70人余を前に午前9時から初訓辞。「新しい津南の時代へ皆さんと一緒に力強く前進させていただきたい。私は町行政を何も知らない全くの素人。皆さんはその道のプロフェショナル。えり抜かれ、鍛え抜かれたプロと確信し、私自身の大きな誇りとしている」と職員とのチームプレーによる行政運営を強調。
 
 さらに「私が築きたい町は極めてシンプル。強く、どこよりも優しい町。皆さんが持つ力すべてを出していただきたい」と職員に自覚と協力を呼びかけた。「津南丸の責任はすべて私にある。全力を傾注し仕事から逃げることなく、津南丸を明日の道へと導かれるよう願い、全力を尽くしたい」と行政運営の決意を述べた。
 

 注目の副町長など人事について本紙などの質問に答え、「全くの白紙。7月議会には上程しない。『前者の志は継ぐが跡は踏まず』という言葉があるが、どういう体制が今の津南町政に必要か、私自身へのトレーニング期間が必要。必要性を感じた時に具体化したい」と今月21日開会の初議会には人事は提案しない方針。一方で、選挙中に公約にあげていた不登校問題など教育事業は、県との協議を進め、具体的な事業を7月議会に提案する方針だ。

「20年間、ありがとう」、小林町長退任  7月9日号
 津南町政史上、最長の5期20年務め、任期満了で退任の津南町・小林三喜男町長(76)は8日午後4時過ぎ、役場庁舎大会議室で職員に最後の挨拶を行い、庁舎玄関で多くの職員や町民に見送られ、贈られた花束を手に、町職員時代を含め35年間通った役場庁舎を後にした。共に辞職した瀧澤秀雄副町長、根津紘教育長も同日で退任した。
 

 最後の挨拶に立った小林町長。「今日という日は、私の中に強い思い出として残るだろう。老兵は語らず、消え去るのみ」と言葉すくなに語り、20年間の信条としてきた「町政は町民を幸せにするシステムであり、町政は町民のためにのみある」と職員に言葉を送り、座右銘でもある「ふるさとが人を育み、人がふるさとを作る、ふるさと津南への思いをしっかり継続していってほしい」と町長として最後の言葉を伝えた。職員代表から花束を受けると、がっちり握手、「ありがとう」とお礼を述べた。
 

 同時に退任する瀧澤副町長は、「これまでの人生で印象に残っている言葉を皆さんに送りたい。『恋をし、結婚し、母になったこの町で、おばあちゃんになりたい』。自信と気概を持って職務に当ってほしい」と感謝した。根津教育長は「行政は安定性、公平性、継続性、この基本原則を私は常に思ってきた」と49年間の役場勤務を振り返った。

  庁舎玄関には職員や町民多数が集まり、花束を抱え笑顔で庁舎を去る小林町長を拍手で送り、駆け寄った町民が「町長、ありがとう」と握手する姿も見られた。

「津南あーともりあげ隊」結成、芸術祭を地域活力に  7月9日号
 約760`平方bに現代アートが展開する大地の芸術祭の里、妻有地域。第5回開催も決まり、新たな動きが津南町で始まった。上野、穴山など恒久作品のある集落住民を中心に「津南あ〜ともりあげ隊」(津端眞一隊長、15人)が今月から始動した。芸術祭作家協力や作品管理など行うサポート組織は津南初。同隊は「津南では芸術祭を活用した観光や地域発展への取組みが少ない。活用し津南に元気を」と意気込んでいる。活動第一歩として今月19、31日、町内美雪町に作品展開する造形作家・滝澤潔さん(松戸市在住)のワークショップ「風鈴プロジェクト」に協力、参加する。
 

 今年に入り、有志に呼びかけ発足。津南の恒久作品13点の環境整備や独自アートマップ作成、さらに芸術祭関連グッズ販売など計画。第1回同祭作品で世界的アーティスト・蔡国強氏が製作の「ドラゴン現代美術館」をイメージしたユニフォームを作り、活動アピールする方針。津端隊長は「最初は理解されなかった芸術祭だが、この10年で状況は変わっている。地域の活力をアートで高め、津南が元気になるよう協力体制を作りたい」と意欲。協力者は随時募集中。問合せは事務局・志賀孝さんпi765)2214。

  メンバーは次の通り。
◇津端眞一(上野、隊長)◇島田一治(足滝)◇小林寅松(同)◇小林源(同)◇若井加津美(穴山)◇高野敏明(上野)◇石橋優美子(陣場下)◇石沢修(駒返り)◇山岸祐二(田中)◇藤野健(大割野)◇藤ノ木亀栄(同)◇志賀孝(正面、事務局)◇高橋園子(アートフロントギャラリー)◇大木彩子(農舞台)◇中島千寿子(東京)。

「むらたび」で栄村ブランドを、NPOが地域再発見運動で  7月9日号
 「むららしい暮らし」。そこに栄村の存在意義がある―。『むらたび』という旅企画で、あるがままの栄村をブランド化し、栄村の今後の方向性を示した報告集がこのほど発刊された。NPO法人「栄村ネットワーク」(樋口利行理事長)が3年前から取り組む地域再発見活動を通じてまとめた報告提言集「ええとこ探しから むらたびへ」。車社会と共に「見向きもされなくなった」古道の復活整備を通じ、住民が地域の魅力に気づき始めている。にほんの里100選認定を機に企画した栄村の旅を通じた地元ガイド育成も始まり、当たり前すぎた地域の景観、歴史、生活、食材など、すべての分野で「栄村再発見」が始まっている。今夏には「むらたび」を企画。栄村の住民意識が変わりつつある。


 「ええとこ探し」は2008年にスタート。毎月1回、同NPOメンバーらが村内を巡り、カメラで記録。その集大成を09年6月の村公民館大会で発表。「こんな所が村にあったんだ」など大きな反響を呼んだ。この活動を後押しするように同年1月「にほんの里100選」(朝日新聞社主催)に栄村が選ばれる。この認定に関係し、昨年8月に開いた「夏祭りと棚田とブナの森」ツアーに首都圏から数家族が参加。同NPOが行った「ええとこ探し」と連動し、栄村の魅力づくりへの取り組みが始まった。
この取り組み、あるがままの栄村、その魅力に気づくことだった。

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 この活動のキーパーソンは、同NPO理事で事務局長、同村移住5年目の京都精華大・松尾眞准教授。学生に課す年3回の栄村演習体験。これが村民への大きな刺激になっている。報告集にある「古道・志久見街道を歩く」や「秋山郷・雑魚川を行く」、「紅葉の野々海散策」、さらに「小滝の古道整備」、「雪宴2010」など体験プログラムは、住民を巻き込んだ活動になっている。参加住民や古老が「そういえば、こんな話があったな」や「この道は、あっちにもつながっている」など、埋もれていた歴史話しや生活の知恵や技が次々と飛び出している。
 にほんの里100選関係で栄村への旅企画を行い、来訪者の反応や言葉を通じて、村民は「むららしい暮らし」の魅力や価値に、少しずつ気づき始めている。

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 この動きを報告書は「栄村は、日本の(いや、世界の)21世紀社会のモデルです」と表現する。同書では『むららしい暮らしというものは、いわば自給自足的な色彩が濃いもので、市場(マーケット)経済の対極にあるもの』と位置づけている。
 その「むららしい暮らしが続く村」の栄村づくりの基本は、村民の自覚が前提となる。同書は「栄村の地域ブランド」づくりを掲げる。同村手作り味噌が、演習体験に参加の女子学生が企画デザインしたラベルに替えたら、いっきに売上増になった事例など紹介。「むららしい暮らしが続く村をブランド化する中で、『結いのむら』というブランドができる」と提言する。

  同NPOの松尾准教授は「報告書にもあるが、むらの人とのお茶飲みは、都会人にとって最高のおもてなし。何を求めて栄村に来るのか、その魅力に村民がまず気づく必要があり、むらの魅力を語られる人も必要。この『むらたび』は、旅行会社にとっても自社の差別化商品になるはず。栄村の魅力は自分たちの目の前にあることに、先ず気づいてほしい」と話す。今秋には朝日旅行と連携し「むらたび」を企画する方針だ。


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 同書「むらたび」は限定5百部作成。希望者に1冊千円で頒布。連絡先はNPO栄村ネットワークрO269(87)2131、ウェブサイトhttp://www.sakaemura.net/

自然素材で「ぬかぽん」、女性グループ「はつめ舎」が開発  7月9日号
 自然素材を活用した「ホットバッグ」を津南町の女性たちが起業した「はつめ舎」が開発、話題になっている。魚沼産玄米、炒りぬか、天然塩を配合し綿袋に入れた『ぬかぽん』。レンジなどで暖めるとそのままホットバッグ(暖か袋)になる。出産後の母乳促進に役立つと関東地域の助産院などから引き合いもあり、女性4人で立ち上げた「はつめ舎」がホットな注目を集めている。
 

 腰痛や肩こり、消化器系の不調、冷え性など婦人科系トラブルには、身体の要所を温めることが効果があると言われる。女性らはこの効果に着目し、農業地帯で昔からいわれた米糠(こぬか)効用を活用、暖めて身体に当てる「ホットバッグ」を考案。保温効果を高めるため玄米、炒りぬか、天然塩(静岡・平釜塩)を入れ、独自の配合率を研究。これを綿やコットンの自然素材袋に入れ、レンジなどで過熱する用途を開発した。
 

 この商品に、温かみのある愛称を込め「ぬかぽん」と名づけた。今春から本格的に発売を始め、使用した人などから「ジワーと温かくなり気持ち良いですね」と評判を呼んでいる。関東地域の助産院からも問い合わせがあり、さっそく出産後の母乳マッサージ前後に活用し、効果を挙げている。
 

 はつめ舎(瀧澤昌子代表)は同級生や地元のお母さんら4人で起業。すべて自然素材を使い、布袋も手作り。
規格外オーダーメイドも受ける。何度も使えるエコ商品で、温めるだけでなく冷蔵庫で保管後、取り出すと冷却効果にも使える。メンバーのひとり、樋口由美子さんは「自然な温かさが長持ちし、身体の好きなところに使えます。身体の中から温めてくれ、飲み過ぎ、食べ過ぎ、疲れや体の冷えなどに効果があり、じわーと気持ち良くなります」と効果を話している。
 

 同商品「ぬかぽん」はインターネットでも発売中。地域では津南町なじょもん館、竜神の里、まつだい農舞台、十日町市わらべ村などで販売中。рO25(766)2171。

夏を呼ぶ神輿、大井平・祇園祭  7月9日号
 ○…「伝統の祭りを守っていくぞ」と気勢を上げた若者たちが威勢よく繰り出したー。七夕の日の7日、津南町大井平で祇園祭が行われ、名物の六角神輿が地域を練り歩いた。時折、小雨が降る天候だったが、沿道には地域住民が集まり、「頑張って」と声援をおくった。


 ○…元禄時代の3百年余り前に、京都から伝わって始まったといわれる大井平祇園祭。かつての賑わいは姿を消し、引き綱役の子どもたちも10人ほどと少なく見所の引き合いはほとんど見られなくなっているが、それでも若い衆20人ほどが「俺たちが頑張らないと祭りがすたれてしまう」と「ワッショイ、ワッショイ」と盛り上げていた。祇園祭をスタートに、各地区で津南の祭りが始まる。

ハイブリット列車、10月に飯山線にも、「リゾートビューふるさと」  7月2日号
 信濃川沿いを走る飯山線に、展望室付きの新型リゾート列車―。長野・大糸線を中心に10月から営業運転を始める新型リゾート列車「リゾートビューふるさと」が18日、長野市の長野総合車両センターで公開された。8月中にダイヤを発表するが、松本駅経由で長野駅と南小谷駅間を一日1往復するほか、飯山線での運行も予定している。
 

 ディーゼルエンジンで発電した電気と、蓄電池に充電した電気を効果的に利用して走るハイブリット車で、世界で初めて営業運転を開始した小海線と同じシステムを採用しているという。減速時には車輪を回すモーターで発電し、車体上部の蓄電池に電気を蓄えるのが特長だ。
 
 客車は2両編成で定員は78人。運転室の後部には幅1・8bの大型窓と腰掛けやソファーを設けた展望室もある。座席は回転リクライニングシートを採用、間隔も長野新幹線グリーン車より4a広い1・2bとゆったり感を演出。トイレも車イス対応の洋式トイレとなっている。
 
 JR長野支社などが10〜12月に展開する「信州デスティネーションキャンペーン」に合わせて導入したもので、長野支社では「雄大な山々や郷愁を誘う里山など、日本のふるさとを思い起こさせる美しい風景のローカル線で走らせます」と話し、飯山線でも10月中に走行予定だという。

写真・先月18日、JR東日本長野支社での報道公開で

5期20年を振り返る、小林町長「名もなき民の心もて」  7月2日号
 「あの時の女子中学生の言葉が、今も耳に残っている」。市町村の存続をかけた合併問題。津南町は2003年(平成15年)、十日町地域広域合併協議会への不参加を決めた。その年の秋。「何の用で行ったのか、よく覚えていないが、津南中学へ行くと、女子生徒たちが近づいてきて、『町長さん、津南という名を消さないで下さい』と言った。身震いする言葉だった。子どもたちは考えているんだなと、感動したことを今も覚えている」。


 翌16年1月、自立宣言。新潟県112市町村が今は30市町村。「合併しないで良かったのか、そうではなかったのかという検証は、もう少し先になるだろう。私がこれをどうこう言うべきことではない。後の人たちが検証し判断すること」。今回の町長選でも、『自律から自立へ』など、合併しなかった津南の歩みを評価する声は多かった。
 
 町長選初出馬の年の3月、町職員・農政課長を退職。その6月、選挙に押し出された。当時52歳。「国営苗場山麓開発をまとめた責任上、なんとしても完工する必要があった」。三つ巴戦。共に3千票台を取る激戦だったが惜敗。


 4年後、今度は一騎打ちで初当選。「投票日前夜の打上げで、正面地区を歩いた時、お年寄りが泣きながら、何かを訴えるように握手を求めてきた。あの握手は、今も忘れられない」。誕生した小林町政、『弱者優先、へき地優先』を掲げた。
 
 「初めから3期と考えていた」。だが、時代がそれを許さなかった。3期目で市町村合併問題が浮上。さらにグリーンピア津南の地元移管など、町の根幹を揺るがす問題が続出。初当選の「大きな宿題」苗場山録開発は完工を迎えていた。
 

 合併問題は、町民アンケートなどで町の雰囲気は読めていた。だが、あの女子中学生の言葉が背中を押した。町職員の自主的取り組みで「自律プラン」を策定。その手法を視察に全国から視察が相次ぐ。隣の長野県栄村も自立宣言。『小さくても輝く自治体フォーラム』で全国連帯を進めた。その輪は全国の町村へ広がり、民間も関心を示した。食品大手「日本食研」。2歳違いの大沢一彦会長(当時社長)とは「竹馬の友」のように親交を深める。小林町長が組合長の津南町森林組合を通じた信頼関係を築き、「あり得ない津南営業所の開設」に発展。津南の頼もしい応援団になっている。「人と人との思い。その思いをいかに大切にできるか、それが行政の基本だ」。
 
 広大の耕地が誕生した苗場山麓開発。「津南の大きな財産。基盤はできた。これからは活用だ。必ずや、やってくれるだろう」。農業者のチャレンジ魂、不屈の精神に期待を寄せる。「酒蔵も心配だが、個人的にもなんとかしたい」。


 「女房孝行をしなくては」。20年前の初当選、町長就任の頃から「5百円貯金」をしている。退任後「旅行にでも」と思っていた。だが4年前、妻・雅子さんがパーキンソン病を発病。「公務がないのは年末の大晦日くらいだったかな。正月から連日の公務。家族には世話をかけた。せめても、と思っていたが発病してしまい、これからは世話をしたい」。自分も5期中、喉頭ガンの手術。今も2ヵ月に一度、東京慈恵医大に検査に通う。
 
 信条としてきたのは『名もなき民の心もて』。先日、最後の課長会議で「職務に誇りを持ち、イエスマンになるな」と言葉を贈った。毎年千枚を越える年賀ハガキを受ける。20年間の人のつながりの証しだ。
 
 退任の翌日、7月9日。何をするのか。「朝、いつものように森林組合に行く。その後は、そうだなー」。「本当は新聞記者になりたかったんだぞ」。日焼けした顔で笑顔を見せた。

ほくほく線・大熊社長、「無借金経営」、地元自治体に促す  7月2日号
 開業13年目を迎える「ほくほく線」(北越急行経営)の普通列車利用が年間百万人を越えた。先月25日、同社決算報告を十日町市役所で行い、大熊孝夫社長が明らかにした。「ローカル列車の百万人突破は特筆してもいいこと。車両購入費などにあてた借入金は当初70億円あったが、昨年完済した。これで無借金経営に入っている」と述べた。


 主軸の特急はくたか利用は前年比5・8%ダウンしているが、通学利用の増加で普通列車利用が年間百万人を突破した。一日平均利用も2820人と過去最高となっている。特に六日町―松代間の利用が増加。これは県立津南中等教育学校の開校による効果と、松代高校への通学者の増加が要因と見られる。
特急はくたかは昨年262万人が利用し、十日町駅利用は5万1千人と前年比2%増。大地の芸術祭効果と見られ、今夏も十日町―松代間で乗り降り自由の企画キップを発売する。
 

 昨期の営業収益は42億2千4百万円、経常利益は12億千7百万円。同期で当初借入70億円を完済。同剰余金7億8百万円を加え内部留保は68億4千9百万円になる。大熊社長は「(北陸新幹線開通後は)1・5億から2億の赤字が毎年出るかもしれない。だが当社は地元自治体へ毎年固定資産税を3億円支払っている。こういう現実を考える時、原資さえ減らさなければ、継続はできるはずだ」と話し、地元自治体の意識改革を促している。

森づくり運動広がる、JR東日本が津南町で、2年間で3万5千本植樹  7月2日号
 その土地に根付いた自生樹を育て森の再生をとJR東日本が取り組む「第1回信濃川ふるさとの森作り」は26日、ニュー・グリーンピア津南で開かれ、首都圏などから約1200人が来町。同津南の入口ゲート付近約1・5fの町有地に16種約1万7千本の若木を植樹。来年も継続、さらに約2fの敷地に2万本を植え、津南在来種が混在する本来の「津南の森」作りに取り組む。
 

 JR東の植樹は企業貢献活動の一環として福島県安達太良山麓で6年前に開始。今年から水力発電所のある電源地域にと企画、県の紹介を受け津南植樹が決定。冨田哲郎副社長は十日町市宮中ダムの不正取水問題に触れ「地元住民のみなさんと共生していくスタートが津南でのふるさとの森作り。新しいJRがここから始まるではないか。津南町の大地に、新しい命のふるさとを植えて欲しい」と新生JRをアピールした。
 

 樹木は国内外で森林再生に取り組む宮脇昭横浜国立大名誉教授が選別。樹齢1歳未満の苗木を約30a間隔に密集させ植え、自然の競争力を活かす独自方式で実施。苗木は町森林組合から購入。2年間は同組合が管理し、以後は自然の成長に任せるという。宮脇氏は「全世界でその土地独自の森は失われている。電気を使うのは地球環境にはマイナスだが、電気なしはもう考えられない。樹を植えるのは明日を植えること。土地由来の本物は環境に耐え、管理がいらず長持ちする」とねらいを話す。
 

 種類はミズナラ、コナラ、カツラ、ケヤキ、ホオノキなど16種。24班に別れ一斉植樹。東京・世田谷区かの勝又玲子さん(22)は「植樹の経験はなく、来てよかったです。今日植えた樹がどうなるか気になるので、来年も来て成長を確かめますよ」と苗木を手に取り、未来の森に想いを馳せた。

標高1020bの野々海、今シーズンを祈願  7月2日号
 ◎…先人たちの苦労が実り、田畑を潤す「野々海池」が誕生してから55年。標高1020bに広がる野々海。周囲2・6`、136万dを貯水し、山麓一体の6集落、約90fの耕地を潤している。その高原地で1日、野々海大明神祭を行い、今シーズンの安全と豊作を祈願した。会場には昭和24年の着工後、下水内中学時代、工事に使う鉄筋を運ぶ作業に借り出された同中学25年卒業の同級生15人の姿もあった。
 

 ◎…難工事だった野々海池造成工事。下水内中学2年だった同級生ひとり、阿部かつさん(76)は、あの辛い鉄筋運び後、60年ぶりに初めて野々海に来た。「この池を初めて見ました。感動ですね。あの工事の事は忘れない」と感慨深そうに、満々と水を湛える野々海を見ていた。現在の管理は野々海利水組合(広瀬忠雄組合長)。かんがい用水は当時の3分の1、約30fに減少している。快晴に恵まれた1日は、地元や千葉、東京、静岡など県内外から二百人余が参加し、特製竹の子汁サービスを受けた。同地にはキャンプ場も整備され、周辺の湿地帯には本州で3例目の「チシマウスバスミレ」など貴重な植物が数多く確認されている。

雪国郷土食を学ぶ、調理専門学校の学生  7月2日号
 ◎…地域伝統食を未来の料理人が学ぶ―。国際調理製菓専門学校(新潟市)の1年生119人が1日、津南郷土食をマイレシピに加えようと来町。ニュー・グリーンピア津南のレストランを貸切り、約2時間をかけてあんぼやチマキ、そばうちなど6料理に挑戦。津南町なじょもん館体験で伝統食を現代に伝える地域のお母さんや地元そば職人ら17人を講師に、地域の食文化を基礎から手ほどきを受けた。シェフをめざす阿部千尋さん(19、長岡出身)は「おやきは知っていたけど、あんぼは初めて見ました。米粉というのがおもしろい。この経験を将来役立てたいですね」と調理法に見入っていた。
 

 ◎…同校は調理技術に加え食育を学習の重点に掲げ、5年前に創立。毎年松之山で無農薬栽培の田んぼで稲作体験を継続。さらに「地域に密着し、郷土食を学び将来の糧に」と食体験場を求め今春同館を訪ね、今回の初来町が決まった。引率の調理助手・樋口露子さん(33)は「学校では教えられない、貴重な食文化がここにはあります。雪国の食生活の知恵を、料理人をめざす学生が学ぶのは将来に向け良い影響となります。恒例にしたいですね」とねらいを話す。なお来週7、8日は同校パティシエ学科1、2年86人が来町。津南郷土食学習や縄文体験をする計画だ。


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