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2009年11月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
「過去の償い」30億円を十日町市へ、JR東日本・清野社長が謝罪  11月27日号
 違法取水問題で動向に関心が集まるJR東日本の清野智社長は25日、十日町市を訪れ、同市税収(約62億円)の半分に当たる30億円を「過去の謝罪」として寄付することを表明した。
同日、市議場で開いた「市民に対する謝罪及び説明の会」には市議や市民30人、JR東問題に取り組む市民協議会など同席の中、清野社長は「一連の不祥事に対する市民の皆さんの声に真摯に対応してこなかったことに対してお詫びいたします」と、2月に次ぐ来市で改めて謝罪し、過去の不正取水などの「お詫び料」として30億円拠出を表明、同席の小縣方樹副社長らと深々と頭を下げた。これに対し関口市長は「30億円はJR東の誠意の形であり、あくまでも過去の償いを形で示したもの。これからの水利権再申請とは関係ない。これからが本格交渉になり、条件闘争となるだろう」と話し、30億円が今後の水利権再申請交渉に影響しないことを明言した。


 謝罪と説明の会の会場となった市議場。地元紙やテレビ全社はじめ共同通信、時事通信など配信社などほぼ全社がつめかけ、関心の高さを示し、傍聴席は30席満席などJR東・清野社長の言葉を注視した。
 不正取水はじめ信濃川の河川環境への対応について清野社長は、「不充分であり、一連の不正取水などにより信頼感を決定的に失ってしまったということを、身にしみて感じた」と述べ、「JR東日本は変わったんだと認められるよう行動で示したい」と謝罪した。
 関口市長が5月就任当初から示す「過去の清算と謝罪」に対して、「河川環境への取り組みが不充分だったと深く反省し『信濃川の河川環境の維持向上、環境との調和を図る』ことを目的に」と、十日町市が設ける基金に30億円拠出を明言。流域の小千谷市に20億円、川口町に7億円を、同様に拠出する。
 さらに取水停止中、かんがい用水供給により信濃川発電所(小千谷市)で発電した相当分も十日町市に還元する方針だ。この拠出金は寄付金扱いで、地方交付税算定には影響しない。
 注目の水利権再申請については、「信濃川中流域改善協議会の提言を踏まえ、北陸地方整備局が示した期限内(来年3月9日)に、発電再開への申請手続きを進めたい」と話し、期限内での再申請の姿勢を見せ、同中流域協議会が示した「維持流量40d以上」が念頭にあるも思われる。


 一方、関口市長は、清野社長の二度目の来市、その説明について「踏み込んで市民にメッセージを発してくれた。違法ではないが合法的に信濃川河川環境を破壊し続けてきたJR東の行為に対し、それが申し訳なかったと明確に表明したことは、これまでと違うと感じた」とJR東の変化を指摘し、謝罪を受け入れた。
 30億円の寄付金については「過去の謝罪を形にするという面では、当然そういうこともあり得ると思う。数字はともかく、この基金は過去の賠償、補償という性格の物ではない。河川環境に対するJRの対応が不充分だということを反省してのもの」と判断。同市長はさらに、過去の清算と謝罪は「今日で終了した」という認識を述べた。


 この30億円をめぐり市民に賛否が起っている。水利権取得で同意が義務づけられている河川利用者の漁協関係者は「ここで30億をもらっては、これからの水利権交渉に影響しないわけがない。外から見れば、30億で水利権を売ったと受け取られかねない。金銭交渉はもっと先であるべきだ」と見ている。25日、清野社長の謝罪を間近で聞いた市議のひとりは「30億という数字がいきなり出てきて驚いた。金で解決というJR側の姿勢が早くも見えてきた。来年3月の期限内での水利権再取得をめざす姿勢が、ありありと感じられる。30億はありがたいが受け取るのは尚早ではないか」などの声も聞かれる。
 こうした声を見越して関口市長は、30億円受領は今後の水利権交渉へ影響なしと明言した。「(30億円は)過去のことに対すること、これで過去の清算は終わり。ようやく水利権をまともに協議するパートナーになっていただいたということ。この基金拠出が水利権取得ありきではない。これから条件闘争となるだろうが、どんな結果になるか分からないが、(JRは)それでも結構という意味での拠出であり、純粋な気持ちのものであると理解している。これから新しいステップに上って交渉が始まる」と30億円の性格付けをしている。12月市議会で基金創設の議案を提出する意向だ。



 JR東にとって信濃川の水利権取得はゼロからの取り組みとなる。法的に同意が求められているのは「河川利用者」。今回の場合、漁業権を持つ「中魚沼漁業協同組合(長谷川克一組合長)」、独自に農業かんがい用水の取水権を持つ「十日町土地改良区(須藤誠也理事長)」、さらに中里土地改良区、川西土地改良区などの農業かんがい用水や市流雪溝用水の取水利用権を持つ「十日町市(関口市長)」の3者。最終的には県知事の意見聴取により、問題なき場合、水利権は国から交付される。
 その河川利用者のひとり中魚漁協の長谷川組合長は「我々は水利権交渉を市に一任しているわけではない。10団体の市民協議会が一本化して窓口になっているわけでもない。水利権取得には河川利用者の同意が絶対条件。今回の清野社長の謝罪、説明には、その河川利用者への言葉がまったくなかった。これからが本番であり、市長に全権を委任しているわけではなく、JR東の今後の態度を注視したい」と厳しい態度を示している。

津南出身・荒井甫さん(長野大4年)、日本学生支援機構で奨励賞  11月27日号
 学術分野で全国優秀学生に―。車イス生活で肌の反射特性などの研究に取り組んでいる津南町赤沢出身の長野大4年、荒井甫さん(21)が5月に開かれた第40回日本色彩学会全国大会で奨励賞を受賞。その成果が認められ、日本学生支援機構の平成21年度優秀学生顕彰事業の学術分野で奨励賞を受賞した。
 

 荒井さんは同大産業社会学部産業情報学科に在籍し、現在4年生。津南高2年の時に、自宅近くの町道でバイク事故を起こし脊髄を損傷、以後、車イス生活を余儀なくされている。
 優秀学生顕彰は、日本学生支援機構が学術、文化・芸術、スポーツ、社会貢献などの各分野で優れた業績をあげた学生を奨励し「21世紀を担う前途有望な人材の育成に資する」ことを目的として実施している。荒井さんは「人間の肌の汗の出方など反射特性を計測し、データに基づいて数学モデルとして定式化。個人個人の肌の反射特性の定量化にも成功した」研究が高く評価された。同大では他に学術分野で2人、社会貢献で1人が優秀賞に選ばれた。
 

 荒井さんは「車イス生活でも研究面で支えてくれた大学、教授のお陰。今後はさらに計測データのCG化に取り組みたい」と話し、大学院に進んで研究を深めたいと話している。

最後のタスキ、思いをつなぐ、北信越中学駅伝出場の津南男子  11月27日号
 最後のタスキが、2人の手から手にしっかり渡った。   
「がんばれ」、志賀文也の声は集団にかき消されたが、「志賀の思いは、しっかり伝わった」。宮澤圭太はうなずき、タスキを握り締めた。

 勤労感謝の23日。第3回北信越中学駅伝大会が長野・松本市の松本平公園陸上競技場で開かれた。新潟、長野、福井、石川、富山の5県から各県上位チーム36校が出場。石川と新潟以外は全国出場校も参加。昨年全国出場した津南男子。県大会準優勝で北信越大会出場となった。
 インフルエンザ流行で学級、学年閉鎖が相次ぐ津南。「今日のスタートラインに立つことが第一だった。自己管理にしっかり取り組み、ベストオーダーで臨むことができた。全中出場チームと互角に競い、1、2年は来年につながる経験になったはず」。学級閉鎖の津南中。高橋哲成監督はここ数週間、眠れない夜が続いた。
            ◇◆◇ 
 昨年、2年生ながら全国中学駅伝に出場した2人。今期はチームリーダー。県大会連覇をかけた津南男子。「最高のレース」をした津南を十日町吉田が上回り、全国キップを取られた。
小学3年。2人は初めて顔を合わせる。クロカンスキー・スポーツ少年団の入団式。大会ごとに競い合い、そのまま同じ中学へ。「陸上部は決めていました。駅伝を走りたかった」。昨年12月、全国中学駅伝。先輩と共に全国舞台を経験。
 時間があると箱根駅伝や高校駅伝のビデオを見る宮澤。「選手の走りや言葉、監督の言葉などが勉強になります」。3年男子は2人だけ。志賀がキャプテン。「志賀が行動でチームを引っ張り、僕は言葉でチームを元気づけようと、2人でチームを引っ張ってきた」。大会で緊張感を感じさせない2人。「圭太の冷静さが、みんなを落ち着かせた。最高の仲間」と志賀は話す。
               ◆◇◇
 松本平陸上競技場。真っ白なアルプスを背に走る。1区2年山田大地はトップと15秒差。10位でタスキを受けた2区志賀。1週間前にかぜを引き、体のだるさが抜けないなか7位まで上げた。「最後はもうばてばてでした」、だが「頑張れ」のひと声を3区宮澤にかけた。「自分はつなぎ。トップに立たなくては」。宮澤は区間2位の力走で富山県大会優勝の雄山に1秒差に迫る3位に上げた。
「今日は、特別の日だった」。宮澤が大会後、話した。「中学で陸上もクロカンも終り。駅伝は今日が最後。志賀とのタスキリレーも今日が最後」。志賀、宮澤の思いを後輩の4区2年高橋開、5区1年藤ノ木祥真、アンカー2年山田凌がつなぎ、長野、富山の全中出場校に次ぐ新潟準優勝の実力を見せ、上位3校が大会新記録、津南は大会新に19秒と迫る健闘を見せた。
           ◇◆◇
 津南チームは全員が冬はクロカンに取り組む。「最後のクロカンです。高校では切り替え勉学に集中します」と宮澤。志賀は「高校では長距離1本で行きます。僕も最後のクロカンです」。今期、中越大会から北信越大会まですべて2人のタスキリレーがあった。最後のタスキをつなぎ、2人はそれぞれ最後の思いでスキーシーズンを迎える。

 第3回北信越中学駅伝大会結果(上位3位、新潟県はすべて)
 【男子】@福井・中央A富山・雄山(全中出場)B長野・駒ヶ根東(同)C新潟・津南D佐渡金井E五泉愛宕I分水
 【女子】@長野・戸倉上山田(全中出場)A福井・鯖江(同)B新潟・燕D十日町吉田G小千谷O広神。

「ありがとう」に喝采、全国ナイスミドル音楽性出場のHAS  11月27日号
 秋山郷の宿屋の主人とお客の交流で誕生したバンドが全国ステージに立った。トヨタやヤマハが協賛の「ナイスミドル音楽祭」全国大会は21日、東京JCBホールで開き、関東甲信越地区で特別出演となった「Hasan All Stars」(ハサンオールスターズ、HAS)は、千人余の聴衆を前にオリジナルの「ありがとう」を熱唱し、大きな歓声を受けた。
 

 同音楽祭は全国7ブロックで予選会を開き、平均年齢35歳以上で構成する全国8百バンドが参加。関東甲信越地区で最終選考に残ったHASは、同音楽祭審査委員長・宇崎竜童さんの「なぜ音楽をやっているのか、その思いが伝わるバンドも全国に呼びたい」との思いから、HASの全国大会への特別出演が決まった。
 HASのメンバーは、リーダーでギターとボーカルの相澤博文さん(秋山郷ひだまり館主)、ボーカルとギターと山田龍一さん(秋山郷萌木の里支配人)、会社員のリードギター・山田洋樹さん(秋山郷結東)、ベースの伊藤彰一さん(川崎市)、ドラムスの高田直弘さん(江戸川区)の5人。平均年齢51歳で全国出場では最年長バンド。


 全国ステージでは、山田龍一さんが菅笠をかぶり、メンバーがいつもの感じで盛り上げ、ブロック大会で評価を受けた「ありがとう」を熱唱、会場をわかせた。リーダーの相澤さんは「よくここまで来たと思う。楽しく演奏できた。来年も来て下さいと言われたし、再チャレンジしますか」と話していた。(同大会の詳細は本紙新年号に掲載)

環境活動を支援し10周年、妻有SC環境大賞  11月27日号
 環境美化などに取り組むグループや団体、個人の活動を表彰する「住み良い町づくり・妻有ショッピングセンター(SC)環境大賞」は活動10年を迎え22日、記念式典と共に今年度の環境大賞表彰を開いた。同賞創設の初代同友店会長・関口純夫・木村屋社長は「地域で地道に取り組む人たちにとって認められることが励みになる。そうした場を作り応援したかった」と同活動の思いを語り、10年の歴史を振り返った。
 

 同大賞は、妻有SC同友店会が地域貢献活動として10年前に始めた。大手ジャスコ(現イオン)を取り組んだ地域活動として注目を集めた。年間の広告費を出し合い、同賞の奨励金に当てた。現会長の高橋俊之ミヤコヤ社長は「地域に密着したSCとして地域貢献したいと始めてこの表彰活動。今後も地域の皆さんの活動を応援したい。地域に欠かすことのできないSCとしていきたい」と述べている。記念式では関口市長、津南町長代理の山田課長らが出席。席上、同友店会から10周年記念事業として十日町市(ペレットストーブ)と津南町(プロジェクター)に要望品を贈った。
 

 今年度の環境大賞は食器などリサイクルに取り組む「NPO法人なかまたち・星野景子理事長」。環境賞は空き缶回収で車イス寄贈の「宮幸酒店」(宮入和美社長)、「二千年蓮を育む里、二ツ屋集落の会」(俵山慶策代表)、清掃活動に取り組む「川西にいがたライオンズクラブ」(涌井純会長)、花植栽活動の「清津会」(大口哲雄代表)、廃油石鹸でリサイクルに取り組む「とみざわそば」(富澤晧一代表)、
花いっぱい活動の「松代町商工会女性部」(瀬沼洋子部長)、環境美化の「松之山地区老人会連合会」(田邊進一会長)。

100年の歴史に感謝、津南原小で閉校式  11月27日号
「地域の思い出がいっぱいつまった校舎、ありがとう。力強く新しい一歩を踏み出していきます」―。今年度で百年の歴史に幕を閉じる津南町立津南原小学校(若井泉校長、児童11人)で22日、閉校式典が行われ、歴代の教職員や卒業生、校区住民ら250人余りが参列。しかし児童の新型インフルエンザ感染で同校は前日の21日に学校閉鎖措置がとられ、在校生は録画映像での出席となった。
 昭和46年、当時の津南小米原分校から独立した同校の歴史は、明治42年の旧倉俣村立倉俣尋常小学校雑水山雪途派出分校(冬期間)の開校に始まる。分校開設から百年、昭和63年には現在の新校舎が完成、校章も一新した。昭和34年に89人いた児童も、過疎の波に洗われて年々減少。今年度は11人となり、来年度から三箇小、津南小との統合が決まった。
 

 式辞で小林町長は「思い出は尽きないが、新たな出発、旅立ちに向けての決意の日。より充実した学校へのスタートであることをしっかりと見守り、総力をあげて期待に応えていきたい」と述べた。若井校長は「地域に支えられ、216人の卒業生が巣立ちました。地域の方々の熱い思いや願いは決して消えることはありません。校歌に込められた願いを受け継いでくれるよう願っています」と思いを語り、藤ノ木常雄後援会長は「今後、地域に大きな声援を寄せていただき、多くの子どもたちの声が聞こえることを願っている」と話した。
 

 同校では新型インフルエンザ感染を考慮、全校児童が揃った3日前に、校舎への思いを語った映像をDVDに録画。その映像を式典で写した。「地域の思い出がいっぱい詰まった1年を振り返ります」と運動会やクリスマス行事などが次々に映し出され「楽しい学校生活を過ごして来たことは忘れることはありません。ありがとう津南原小学校」との呼びかけが流れた。児童らの思いを綴った記念誌は来月末までに作る予定だ。
 第1回卒業生で3人の子どもも同校で学んだ桑原一さん(50、米原)は「学校がなくなると寂しさはあるが、統合後も地域行事など行い、子どもたちとふれあいながら活気ある地域になってもらいたい」と話している。

JR清野社長、25日来市、水利権再申請の協議テーブルへ  11月20日号
 JR東日本の清野智社長は25日午後4時から、十日町市議会議場で今回の違法取水に関しての謝罪をすることになった。当日は一般傍聴(定員30人)でき、市役所議員全員協議会室でTVモニターを設置するほか、市内各支所でもモニター映像を流す。JR東からは清野社長ら4人が来市、議場で謝罪する方針だ。謝罪後、関口市長、清野社長が個々に記者会見する。


 違法取水で水利権が取り消され、再申請への交渉、取り組みに関心が集まるJR東日本と十日町市との本格協議が始まることになった。16日、関口市長が記者会見で明らかにした。『過去の謝罪と清算』に対するJR東の態度変化や河川環境への理解の深まりなど、JR東側の取り組む姿勢の「変化と感触」を感じたと同市長は語り、「次のステップに進んでいいだろう」と表明。同日、行政や市民団体で作る協議会の合意を得て、JR東が求める水利権の再申請協議のテーブルにつく方針を表明した。
 

 市民団体、行政で作る「JR東日本発電取水総合対策十日町市民協議会」は非公開で16日開き、その後関口市長が会見。同市長は「次のステップに進む」ための3項目をJR東に提示していたことを明らかにした。

 同市長はJR東との協議の前提として「過去の清算と償い」を当初から示した。3項目は『清野社長自身が市民への謝罪を直接する』、『JR東の河川環境への視点を変えてほしい』、『十日町市が被ってきた不利益に対しての償い』。会見では「清野社長の謝罪実現と共に、魚道改善の取り組みなど、JR東の姿勢に変化を感じ、次のステップへ進む感触を受けた」と述べた。先月末、同市とJR東の事務レベル協議で、3項目について方向性が合意されたものと見られる。
 
 『過去の償い』については「基金造成などの形で出てくることも考えられる」とJR東側から「補償金的な性格」の基金造成などの意向が示唆されたもよう。
 市民協議会メンバーの長谷川克一中魚漁協組合長は「清野社長はしっかり謝罪し、市民理解を得る必要がある。再申請はその次のステップ。魚道改善など姿勢は見えるが、再申請では維持流量が最大課題になる」と今後の展開を話している。

写真=今年2月16日、清野社長(左)が十日町市を訪問。右は田口前市長、市役所で

120年の伝統、思い出語りつくせず、三箇小来春閉校   11月20日号
 明治22年創立の津南町・三箇小は来春、津南原小と共に町中央部の津南小と統合する。15日、その120年の伝統に終止符を打つ閉校式「三箇小学校の歴史を振り返り、新たな時代へ歩み出す会」を同校で開いた。歴代の教職員や卒業生、校区住民など370人余参加し、長い歴史の思い出を語り合い、在校生19人のリコーダー演奏や「ありがとう三箇小」の劇に参列者の多くが涙し、感動の記念式となった。
 

 全国出場の伝統を持つリコーダー演奏で始まった記念式。児童代表の福原有佑君の言葉に、新たな歩みへの決意が込められた。「たくさんの思い出が心に残っている。仲間たちと力を合わせ前進できた。これも地域の人たちの応援のおかげ。感謝の思いを抱きながら、新たな歩みを始めたい」と述べると大きな拍手が送られた。式典で小林町長は「統合という結果は断腸の思い。新しい出発が希望に満ちたものにすることを約束する」と校区の願いに応えた。
 校歌2番にある通り、同校は東京電力信濃川発電所と関係深い。昭和29年に郡市初のプールが誕生、同35年にはこれも郡市初の完全給食導入など、校区の教育への熱い思いが先進的な取り組みを生み、その支援を東電が行った歴史があり、最多278人(昭和12年)の児童数は東電発電所建設時であり、以降も一定の児童数を維持できた。
    

 記念式は体育館で行い、飲食を伴う思い出を語る会も、「思い出の場所で語ることがこの校舎への恩返し」と町教委に直談判、校舎内での飲食許可を受け、手作り懇談会を実現。歴代教職員や卒業生が次々と思い出披露などを行い、語りつくせない時間が流れた。

  同校の今年のテーマは「つなぐ」。総卒業生は来春最後の卒業生5人を含み2085人。記念事業でタイムカプセルを全校児童で校舎わきに埋めた。20年後の2029年11月に開封。メッセージや記念写真や絵画などを入れた。6年の石澤星矢君が「夢や目標に向って、これを開ける日まで頑張っていこう」と呼びかけ、全員で土をかぶせた。閉校後の時間は、タイムカプセルがつないでくれる。

国内初、江戸期の女性からの離縁状確認、十日町情報館所蔵  11月20日号
 男尊女卑の江戸期には、夫からの離縁通知が一般的と見られていたが、十日町市情報館所蔵の資料から17日、妻が書いた離縁状が国内で初めて確認された。同館の高橋由美子学芸員は「江戸期にも夫婦による協議離婚があったことが証明され、十日町でその資料が初めて確認されたのは驚きです」と話す。この離縁状、29日まで同館ギャラリーで一般公開している。
 

 この離縁状は、江戸期に縁切寺と認めていた「満徳寺」(群馬・太田市)資料館長の高木侃・専修大法学部教授が確認。「江戸時代の幕府法では離縁状は夫だけが書くものとされ、まれに婿養子で養母や養父が書いた資料があるが、今回の離縁状はまぎれもなく妻本人が書いたもの。残っている古文書はその写しだが国内初の画期的な発見」と資料の重要性を指摘している。
 
 この資料は、和紙に「離縁状之事」の表題と共に「安政三辰年二月」(1856年)とある。十日町市安養寺(旧貝野村・前中里村)の娘「ふじ」が婿養子の夫「萬平」あてに書いた。それを資料保存のため当時の役所人が原文通り書き写したもので、そのため原本を示す印がない。
 
 差出人の筆頭に「ふじ」とあり、以下に本家、親類総代などの名が連なる。8行の本文では「病気で婿養子の務めが果たせなくなった」と離縁理由や「離別之験(しるし)」として100両を萬平に渡したと記されている。当時、農家1人前の食事付奉公が年間3両程度というだけに100両は相当な高額。同資料発見の報道後、同館に多くの人が訪れ、マスコミ関係者、全国各地の研究者からの問い合わせが相次いでいる。

山城復活、地位資源に整備、保存会設置  11月20日号
 戦国期、時の主権者により城主が度々代わったが、その自然地形から不落城として要所の一つとなっていた栄村月岡の「千当(せっと)城」の城址保存に、地元住民らの呼びかけで保存会が発足し15日、城址までの古道や城跡一体の草刈整備などを行った。同保存会では「貴重な地域の資源であり、この地の生い立ちを探る歴史的な場所。整備を進め、本格的な調査にも取り組みたい」と、この城址保存活動を契機に、地域資源の掘り起しを行っていく方針だ。
 

 「千当(せっと)」は地域の小字名。千曲川(信濃川)右岸の月岡集落(46戸)。その山側、大巻川と二ノ入沢の上部、標高400から450b付近の急峻の尾根部分の平地に城群があった。戦国期(1467年〜1573年)の市河氏の要塞城として築かれたが、戦国末期には上杉勢の支配下に入り、その後さらに市河氏は支配するなど、動乱の戦国期を象徴するように城主が代わった歴史を持つ。
 

 保存活動は、地域再発見活動の中から生まれ、村づくり支援金事業を導入し、事業費助成を受けて取り組んだ。15日は保存会メンバーなど30人余りが参加し、集落からのルート「三ノ坂」の復活整備や城跡がある尾根上部の平坦地の草刈などを行った。城跡はこれまで畑などに活用した以外は原野状態。保存会事務局では「途中に水飲み場もあったという。城への斜面には何本も堀畝がある。これを機会に本格的な学術調査をしてみたい」と方針を話す。保存会長である初代城主は地権者でもある関谷敏夫さん(74)。「地域のためになるなら、役立って生きたい。これを機会に歴史的なことをもっと知りたい」と話している。

白寿、米寿、夫唱婦随の歩み、津南町河田さん夫婦   11月20日号
 白寿(99歳)と米寿(88歳)の夫婦が元気で記念の日を迎え、家族らから祝福を受けた。津南町亀岡の河田辰三さんは明治44年11月15日、妻・道さんは大正11年8月27日生まれ。辰三さんの誕生日の前日14日、親族らが集まり林屋旅館で祝う会が開いた。当日朝、辰三さんは歩いて2`離れた床屋さんへ行き、身だしなみを整えたほどの元気ぶり。「なかなか迎えが来ないのー」と辰三さん。「でもね、この人は頑固なんですよ」と道さん。夫唱婦随の歩みを重ねている。
 

 津南町農協の副組合長など75歳まで公職を務めた辰三さん。94歳で富士山に4度目の登頂を果たすなど健脚ぶりは健在。「タバコと酒は、一生やらずに済みそうだな」。早寝、早起き、3食をしっかり取る。この食事の内助の功が大きい。「うちのかあちゃんは、ムラ一番の料理上手だな。肉や生魚は使わずに、自分で作った野菜料理がとにかく上手だ。ここまで生きられたのも、まさに内助の功だな」と感謝している。
 
 「でも、この人は頑固なんですよ。自分で一度決めたことは絶対に曲げないんです。それに今も国会中継が好きで、見ながらいろいろ言っています。草取りが好きですね」と道さん。自家野菜の漬物、煮物など野菜料理が健康の源になっている。「二人三脚というが、まさにその通りだな」と、99歳の辰三さんの言葉からは教えを感じる。
 
 孫10人、曾孫3人。我が子は4人だが、2年前に長男を失う悲運に。次男の滝澤達夫さん(58)は「病気ひとつせずに白寿を迎えた親父。家族の誇りです。長男を亡くした時は、多くは語らなかったが、ショックだったと思う。親父は山登りが好きで94歳の富士登山は、兄を含め孫たちと山頂に立ち、いい想い出になっている」と話す。来年一〇〇歳、今日も家の周りで外仕事をしている。

JR宮中ダム魚道改良、改善委が「環境重視に状況にない」   11月13日号
 JR信濃川発電所に関わる違法取水で、水利権取り消し処分を受けたJR東日本は、十日町市の宮中ダムの魚道改良に関係し「信濃川発電所宮中取水ダム魚道構造改善検討委員会」(委員長・本間義治新潟大名誉教授、委員9人)を設置、河川環境改善の一環として魚道改良に取り組んでいる。12日、第2回委員会を長岡市のホテルニューオータニ長岡で開き、魚道改良の方向性などを示した。委員からは「改善する魚道流量が問題と共に、ダムのオーバーフローによる魚道専門の新たなゲートはできないか」や「JRとして宮中ダムに関わる魚類調査がされていない。実態把握が必要だ」などの課題が出された。
 

 初回委員会は先月、同ダムの現状視察を行い、今回が実質的な初の協議。JR側から魚道の改善プラン候補が説明され、委員が課題や疑問点、提言などを述べた。浅枝隆埼玉大教授は「魚道は流量や流速により、多能な魚類が上る。流量コントロールによる実態調査が必要」、国土交通省・澤野久弥信濃川河川事務所長は「魚道は魚にとって何が必要で、その機能は何かを基本に整備する必要がある」、さらに陸旻皎長岡科学技術大教授は「魚道の呼び水確保に新たなゲート設置はできないか。ダムのオーバーフローで対応できるはず」、また「魚道に親しめる工夫がほしい。親水性を持たせ、地元の子たちが喜ぶものを」など、専門の立場から意見が相次いだ。
 注目されたのは本間委員長の指摘。「宮中ダムに関わる魚類がどういう実態なのか、そのデータがJR側から出てきていない。全国的に環境重視の傾向の中、ここはまだその状況にない。あらゆるケースの検討が必要」とJR側に大きな宿題を提示した。JR側は「今日いただいた課題、意見を次回までに研究、検討したい」としている。


 委員でもある長谷川克一中魚沼漁協組合長は「JR側も詳細部分まで検討している印象を受けたが、本間委員長も指摘していたが、魚類調査をJRとしてぜひやってほしい。維持流量の関係もあるが、それにより魚道構造も決まってくるはず。今後も強い関心を示し参加していく」と話している。なお第3回は来年1月中旬を予定している。

教育jへの熱き思い、秋山小学校独立50周年    11月14日号
 約130年前の1880年(明治13年)に寺子屋が秋山郷屋敷に開設されたのが、秋山郷地域における学び舎の始まり。昭和34年に独立した栄村立秋山小学校は今年独立50年を迎えている。7日、同校で校区あげて記念式を開いた。在校生7人が同校の歴史や民俗的価値が高い「熊曳き唄」を劇で上演するなど、地域総出で50年の歩みを振り返り、新たな歴史作りを誓い合った。
 

 屋敷に寺子屋を開いたのは飯山の教育者・高橋庸徳氏。同氏の顕彰碑が屋敷に立つ。明治26年に小赤沢尋常小学校が開校し、分教場、分校などを経て昭和34年に待望の独立。開校時141人の児童数。式典では全校7人が調べた秋山小の歩みをPCプロジェクターを使って説明。5年の福原翔君は「僕たちを見ると必ず地域の人たちが声を掛けてくれる。あいさつで元気な心ができると地域の人たちから教わった。この学校で学んだことを誇りにしたい」と話していた。
 

 6年前から同地に通い、子たちや住民生活、歴史、四季の自然をビデオ記録する兵庫・芦屋市の堀場俊和さん(76)。50周年記念DVDを制作し校区全戸などに寄贈した。堀場さんは「秋山の人たちの教育への熱心さに感動した。ぜひ次の世代に伝えてほしい。今の1年生が卒業するまで通いたいですね」と話す。50年間の同校卒業生は389人。多くが地域外に暮らす。「この記録を地域外で暮らす人たちからぜひ見てほしい」と話し、同校に50枚ほど寄贈している。同DVDの問合せは秋山小学校рO25(767)2204。

モリクラフト・山田和雄さん、新潟県工芸展入選  11月13日号
 ◇…伝統工芸技術の発展と技術継承をねらいに開く第4回新潟県伝統工芸展に、津南町の木工家・山田和雄さん(57、モリクラフト)が入選した。作品は『楓短冊箱』。山田さんは「県の工芸展が始まり、久しぶりの作品展出品で入選。木の声を聞き、もっといい作品を作りたい」と喜ぶ。同展は県内作家62人が受賞。審査員は佐渡出身の人間国宝・伊藤赤水氏ら5人。十日町市では村山大介さん(陶芸)、市村久子さん(染織)が入選。受賞作は23日まで新潟市西区の雪梁舎美術館で展示する。


 ◇…19年前に東京デイリーアートコンペ展赤井賞受賞、同年に工房モリクラフトを町内卯ノ木に立てた山田さん。作品展応募はこの年以来。「あまり入賞とかに興味がなかったけど、せっかくの県工芸展、たまにはね」。独学で木彫や木工を学び20年余。木のスプーンからインテリア小物、神社仏閣の修復など仕事は幅広い。「まず木がどうすれば一番輝くか考え、木の声を待つ。2つの部位を合わせる仕口(おしくち)がピタッとそろう瞬間がいいな。この入選でまたいいものを作らなきゃと強く感じたね」とにっこり。樹と向き合う毎日を楽しんでいる。

収穫祭に集う、津南町愛吉地区で110年祭   11月13日号
 ○…新鮮野菜などすべて地元産で賄った収穫祭を8日、津南町相吉で開いた。地元の相吉神社110年祭をかねた集落総出の集いは地元芦ヶ崎小学校の竜神太鼓や歌謡ショーなどで盛り上がった。この日がちょうど米寿の誕生日だった金子正寅さん(88)は「今も一部が残る神社は、親父の熊蔵が棟梁で昭和12年に作った。その時、俺も初めて大工仕事に参加した。懐かしいな。昭和24年の50年祭では、4月だったが雪の中に舞台を作って、歌舞伎を呼んでやったな」と110年を迎えた相吉神社の思い出を語っていた。
 

 ○…同祭は、地元産野菜などのおでん、豚汁、焼き鳥などすべてサービスで振舞われ、同地区80戸ほか地域外からなど4百人余が参加。竜神太鼓や十日町の「ちんどん屋」、榮太鼓などが盛り上げ、秋晴れの一日を地域総出で楽しんだ。明治24年建立の同神社。110年祭実行委員長の涌井進氏子総代は「相吉の熊野神社と今新田の十二社を昭和42年に一つの社にした。地域みんなの拠り所である。今日は皆で楽しみたい」とあいさつ。津南ゆかりの京ヶ瀬美由紀さんらの歌謡ショーに歓声が飛んでいた。

津南と狭山、国際交流12年、山下さんハーモニカ好評  11月13日号
 ○…外国から津南へ嫁いだ女性らの交流場「ことばのキャッチボール」(山下克利代表)。恒例の友好交流・狭山市国際交流協会との「ふれあい交流会」は7、8日に開催。津南から小さな子を連れた9組の親子29人が狭山を訪ね、同地の外国出身ママらと総勢60人余で子育て談義や懇親会でのカラオケ合戦などで親睦を深めた。


 ○…相互交流は狭山と友好交流都市提携を結んだ12年前に開始。中国・大連から雪国に嫁ぎ7年目、2人の愛息子を連れ初参加の滝沢佳志恵さん(38、十日町市如来寺)は「狭山の人たちがみんな笑顔で迎えてくれて感動。子どもの面倒も狭山の人が見てくれたので、来年津南に来た時は同じように迎えたい」と笑顔。
 

 ○…韓国、中国、フィリピン、インドネシア、スリランカ、ペルー、タイ、ポーランドと発足14年で8ヶ国の出身者を迎えいれた同キャッチボール。現在の登録者は136人。「日本のお父さん」役の山下代表(75)は狭山交流に毎年ハーモニカを持参。「ふるさと」や「赤とんぼ」など日本の歌を必ず吹く。「歌はみんなの気持ちをひとつにする。言葉、肌の色が違っても同じ人間。良き心は誰もが持っている」と熱演、今年も大合唱を演出した。

初雪に野沢菜収穫交流、津南町相吉地区で  11月6日号
 ○…「えーっ、こんなに雪がー」。今秋一番の冷え込みとなった3日朝、高地は真っ白。気温1度の寒風の中、津南町相吉地区で恒例の野沢菜収穫体験を実施。町内外から2百人余がマイ包丁持参で15a余り積もった雪の中から緑の野沢菜を次々と収穫。「こんなに雪があるとは。毎年来ていますがここ野沢菜は良い」と雪から掘り出していた。

 
  ○…地元の相吉直接支払委員会(金子松太郎会長)が10年前から取り組む交流事業。22eの野沢菜畑をメンバーが管理し毎年秋に一般開放。年々参加者が増え、昨年は天候にも恵まれ3百人余が参加。「9年前にもみぞれが降ったが、これほどの雪は初めて。それでもたくさん来てくれた」と金子会長。3回目という長岡市小国からの高橋真知子さん(54)は夫婦で来た。「この雪にびっくりです。美味しい野沢菜漬ができそうです」。同委員会メンバーが前日、山から採ってきたカタハなど具沢山のきのこ汁サービスもあり、時ならぬ多い初雪の中、野沢菜漬け談義で盛り上がった。

わさび栽培、津南で産業化へ、静岡の鈴木さん(津南出身)が協力  11月6日号
 全国わさび生産者協議会の会長を昨年まで務め、全国のわさび栽培技術の基礎を作り、普及させた静岡県の伊東市湯ヶ島の鈴木丑三さん(77・マルウわさび郷社長)は、実は津南町相吉生まれ。19歳で全国有数のわさび産地の天城湯ヶ島に行き、57年間に渡り、わさび栽培一筋に歩んでいる。今秋の叙勲で黄綬褒章を受章。わさび加工会社も経営し、全国のわさび栽培者の目標になっている。「生まれ故郷の津南は、湧水に恵まれている。なんとか恩返しをしたい。竜ヶ窪の名水はわさび栽培に最適。産業になるはず。協力したい」と話し、来春津南を訪れる予定。津南の名水を活用したわさび栽培が実現する。

 
 全国協議会長を6年務め、昨年10月任期満了で勇退した鈴木さん。長年の取り組みで「畳石式わさび田」の造成技術を確立し、わさび組織培養苗の開発、さらに栽培技術を研究し、通年栽培、出荷システムを確立。全国普及させた。現在、鈴木さんの会社では約2・5f栽培し、年間約7dを出荷。平成10年には加工会社「天城わさびの里」を設立。わさび着け、のり、味噌、漬物など生産を伸ばしている。
 

 鈴木さんは昭和26年、同地のわさび・しいたけ生産農家に短期援農したが、同年にその経営主が急死し、経営を任された。以来、台風や集中豪雨などにより壊滅的な被害を度々受けながらも、栽培技術の研究に励み、独自栽培法を確立。さらに北海道の士幌バイテク研究所と共同研究で「分根苗利用技術」により、「夏まき実生菌栽培法」を確立し、不可能をされた夏まきを実現し、年間通じて苗植え付けを可能にした。この技術を全国のわさび栽培農家に普及するため、北海道から九州に出向き普及し、生産者のリーダーとなっている。
 

 こうした功績により平成15年には国の農事功績者表彰を受け、一昨年、昨年と連続で林野庁長官賞を受けるなど、その活動実績が大きく評価されている。現在、日本特産農産物協会認定「わさびマイスター」として全国指導にあたる。「こうして今の自分があるのは、あの雪深い津南で育てられた不屈の根性のおかげと共に、私を今日まで支えてくれている多くの人たちのおかげ。感謝の気持ちでいっぱいです」と鈴木さん。今年4月、待望の孫も生まれ、後継者も育っている。長年連れ添う妻・久江さん(74)は、同じ津南町赤沢出身。
 

 「生まれ故郷に恩返ししたい。竜ヶ窪の名水は、わさび栽培に最適。すでに実証して素晴らしいわさびができている。雪国でも栽培は可能だ。なんとか津南でわさび栽培を産業に育てたい。私が持つ技術など全面的に協力したい。津南に恩返ししたい」と話す。来春、津南に来る予定だ。津南の自然資源を活用した産業化への期待が膨らむ。

おやじバンド全国へ、今月21日東京で   11月6日号
 おやじバンド、全国舞台へ―。結成21年、秋山郷を拠点に活動する「Hasan All Stars」(HAS・ハサンオールスターズ)は先月25日、原宿クエストでの「ナイスミドル音楽祭・関東甲信越大会」に長野県代表として出場、みごと審査員特別賞を獲得。応募285組のうち出場10組に選ばれ、持ち前の個性派演奏でベスト3相当の特別賞に。こなれた演奏は宇崎竜童同祭実行委員長の目に止まり、特別枠で今月21日の全国大会出場が決まった。メンバーは「まさか、まさかの全国出場。全国では秋山郷バンドの個性をもっと出したい」と驚きの全国舞台へ。全国大会は3千人収容の水道橋JBCホールで開く。
 

 HASはメンバー5人。秋山郷和山の相澤博文さん(62、ギター・ボーカル)、津南町結東の山田龍一さん(58、同)、同所の山田洋樹さん(リードギター)と関東に住む高田直弘さん(49、ドラムス)、伊藤彰一さん(44、ベース)。関東甲信越大会の審査員得票はなんと上位3位まで同点。なかでもハサンは『豪雪地である秋山郷に暮らす住民の力強さと雰囲気が出ていた』(審査委員・御領博MTV社長)などと高評価。惜しくもグランプリには届かなかったが、審査員に強いインパクトを与え、全7ブロックで唯一の全国特別出場枠を獲得。審査対象とはならず、エキシビジョン出場となる。


 作詞作曲を担当するリーダー相沢さんは「秋山小文化祭で演奏を始めたバンドが3位、自分でも驚きだ。全国大会で他の代表と縁を作り、毎年演奏する日本橋さくらまつりで全国のおやじバンドを集めライブするのもいいな」と嬉しそう。全国大会は21日午後3時開演。入場無料だが13日までに事前受付。同音楽祭ホームページから申込める。

信濃川花火、県境の津南から日本海まで  11月6日号
 ★…「信濃川を花火でつなぎ、新潟を盛上げよう」。その思いが31日夕、実現した。津南町宮野原橋から新潟西港まで信濃川155`を1020発の光柱花火「虎の尾」でつなぐ「信濃川プロジェクト」が開催。信濃川の始まりである津南町で午後6時、一本の花火が上がると約3百b間隔で1秒ごとに次々に光柱が昇り、日本一の大河を立体化。わずか8分30秒間の信濃川アートが秋夜に鮮やかに浮かび上がった。
 ★…すべての始まりは3年前の河岸段丘花火。アーティストの景山健さん(47、鎌倉市)が企画。「新潟の象徴である信濃川を花火で表現し、大河がもたらす関係性を改めて感じる契機に」と構想。津南・栄村有志のNPO雪の都GO雪共和国(相澤博文理事長)が真っ先に賛同、約1年前から流域11市町に呼びかけ協力者を募り、当日までにスタッフ約1千人が集り、壮大な花火アートの原動力となった。
 

 ★…実現へ向け不安な側面も多くあった。経費、地権者の許可、花火申請など。初めての事業、すべてが手探り。総事業費約1千5百万円。震災復興基金や各市町村シンポジウム開催で協力者を募った。同NPO辻本和男事務局長は「8割以上の人に無理と言われた花火が実現。この一歩は新潟全体の交流にとって大きな一歩。信濃川を通し、新たに住民の気持ちを繋げる基礎ができたと思う」と話す。同プロジェクトの詳細はhttp://www.go-setsu.com/ page_bbs/keijiban.php

「村正」に感謝、津南町名誉町民の町葬   11月6日号
 津南町名誉町民の村山正司氏の町葬は5日、町文化センターホールで行い、町内外からの4百人余が村山氏に最後の別れをした。ホールステージに真っ白な菊8百本に囲まれた村山氏の遺影。参列者が次々を献花の菊を捧げ、津南の基礎づくりに献身的な努力をした村山氏に感謝した。
 

 町葬では村山氏を偲び昭和42年放送のNHK「現代の映像・豪雪との闘いの記録」を上映。5・4bの豪雪で飯山線がストップ、陸の孤島と化した津南の実情を当時の国鉄に直訴する村山町長、全国初導入の道路の機械除雪で陣頭指揮する勇姿など、懐かしい映像が映し出された。参列者の中には当時を思い出し、目頭を押さえる人もいた。 


 村山氏を師と仰ぎ、慕った小林三喜男町長が町長時代、農協中央会長時代などの功績を称え、「高潔な人柄、卓越した指導力、好んでいつ買った「均てん」という言葉。等しく憂い、利を分かち合う。まさにその言葉通りの歩み。敬慕の念を捧げ、長く後世に伝えていきたい」と述べ、遺影に向かい「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。町葬には近隣市村長、県議、県中央会長や町内外から4百人余が参列。全員が献花し、村山氏の偉業を称え、感謝の思いを表した。なお町葬は、名誉町民で昭和62年死去の元新潟県会議長・禰津文雄氏以来となる。

「ようこそ先輩」三箇小版、子供たちに夢と自信を、国内外の卒業生招き  10月30日号
 「ようこそ先輩」―。来年3月で閉校の津南町の三箇小(高橋しず子校長)は、国内外で活躍の卒業生による特別授業を毎月開いている。「子どもたちの自信と刺激になれば」と多分野の卒業生講師を招き、すでに5人の先輩が19人の在校生にメッセージを送っている。

 26日の5回目の特別授業講師は、鹿渡新田出身で日立研究所長で群馬大、九州大の客員教授を務める恩田謙一さん(59)。ヨーロッパやアメリカ、アフリカなど国内外に出向き、先端技術研究に取り組む多忙の日々。母校の子たちを前に地球温暖化や環境負荷が少ないエネルギー発電など専門分野はじめ、日常生活の中の環境問題など分かり易くパソコン・プロジェクターを使って説明した。
 「なぜ温暖化が起きるのか。世界で使うエネルギーの大部分は石油、天然ガス、石炭。その半分が電気を作るために使われている。このため年間64億dもの二酸化炭素は排出。森林や海がこの半分を吸収するが、残る半分が地球に貯まり、年々増えている。これが地球温暖化を招いている」と図解で説明。「私の仕事は二酸化炭素を出さない発電システムを作ること。世界には太陽光発電、風力圧電、太陽の光熱発電など研究が進むが、まだ研究中。皆さんが大人になって、私たちの研究を引き継ぎ、地球と人類を救ってください」と呼びかけた。
 

 質問タイムでは、将来の夢が科学者になることという3年の小野塚匠君が「地球の温度が0・6度上昇したと聞きましたが、まだ上昇するのですか」と専門分野を質問。具体的なデータの質問に恩田さんは驚きながらも、「よく知っているね。この0・6度の上昇は、東京が鹿児島に行ったようなこと。数字は少ないが大変な変化」と話すと子どもたちは驚きの声を上げた。
 45分余の特別授業。恩田さんは「この三箇の自然で健康な体を作り、思いやりを学んび、おや?あれ?なぜ?を常に持って下さい。それが夢・目標へのスタートです」と疑問を持つ大切さを語った。


       
 三箇小の特別授業。これまでに米国ニューヨーク在住の恩田茂人さん、津南町職員の高橋隆明さん、本紙の恩田昌美社長、書家の高橋清勝さんなど多分野の先輩が教壇に立っている。今後も声楽家めざす音大生、地元事業家、元校長でそば作り名人など来年3月まで開催する方針。高橋校長は「自分たちにつながる同じ三箇小出身の先輩の話を聞くことで、自分の夢や生き方を持つことにつながるはず。子どもたちはとても興味を持ち、学校生活の刺激にもなっています」と話す。同校の今年のテーマは『つなぐ』。文字通り、先輩から後輩、子どもたちへ、創立120年の伝統がつながっている。

雪害救助員が冬の支え、栄村の独り暮らし世帯の支援で  10月30日号
 65歳以上の高齢化率が44・91%の栄村で、大きな行政課題になっているのが独り暮らしやお年寄りだけの高齢者世帯の支援体制。同村では毎年秋、全村の独り暮らしのお年寄りに呼びかけ、懇談交流会を開いている。今秋の29日、村内の長瀬温泉・村老人福祉センターで開き、70人余の参加者は久しぶりに顔を合わせた知人同士で歓談し、ボランティアの芸能ショーなどを満喫した。
 

 同村の10月初め現在の人口は2336人。うち65歳以上は1049人(高齢化率44・91%)。同年齢以上の独り暮らしは217人(福祉施設入居者含む)で、全戸930世帯の23%余を占めている。さらに、同年齢以上のだけの2人世帯は178戸あり、これらを合わせると338世帯となり、全戸の36%余となる。村社会福祉協議会長の斎藤家富副村長は「お年寄りだけの世帯は3戸に1戸の計算となる。日頃、顔を合わす機会が少ないなか、今日は存分に楽しみ、村への要望、聞きたいことなど、なんでも話してください」と懇談交流会であいさつした。


  同村の高齢者世帯の最大の課題は、冬期間の支援体制。昭和52年、当時の高橋彦芳村長により全国からも注目される「雪害救助員制度」をスタート。12月から3月まで村臨時職員として、雪処理専任の職員を採用し、高齢者の要請を待つのではなく、集落内の巡視により、対象世帯の屋根や家周りの除雪を行う。全額村費用で対応する。この制度がスタートし、「できれば行きたくないが、冬場は関東の子どもの所へ」という『雪国脱出組』が急速に減少。雪害救助員活動が、高齢者世帯の大きな支えになっている。
 この日の懇談会でも、冬場の除雪や生活道路などについて要望が相次いだ。毎回出席する島田茂樹村長は「困ったことがあったら、なんでも村に言って下さい。独り暮らしは心細く、笑うことも少ない。独りで悩まず、なんでも相談して下さい」と参加のお年寄りらの間に入り、歓談していた。
 

善j国農村景観100選の秋山郷石垣田、改修で論議噴出  10月30日号
 全国農村100選の秋山郷・津南町結東の「石垣田」が原型改修かコンクリート改修かで揺れている。地元津南町は「水田を作り作り続けることで、この棚田が保全される。最低限のコンクリートは必要」と先月末から改修工事に着手。一方、「この景観の保全こそ大切。なるべき石積みすべきで、コンクリート改修はそぐわない。歴史的な遺産が台無しだ」と観光協会関係者は嘆く。すでに改修工事は進み、石垣田上部の道路開削に続いて、これから段々の棚田への導入道路の改修に入る。


  29日午前。紅葉に彩られた秋山郷に、続々とマイカーやマイクロバスが入る。結東集落から徒歩で入る石垣田。この日も行楽客の一行が、石垣田の散策に訪れていた。軽トラック1台がやっと通れる道に驚きながらも、「この石組み、すごいですね。どうやって作ったのかしら。春もきれいでしょうね」と女性グループ。
 改修工事は、石垣田入口から山側に道路開削している。その入口の開削側面は、すでにコンクリート壁になっている。開削道路幅は約3bで、これまで車で行けなかった棚田まで行けるようになった。今後の工事は、その開削道から、段々の棚田に下りるように従来の小道の幅2bの道に改修する。計画では、この開削道すべてをコンクリート道にする方針だ。この景観保全の問題は、9月議会でも取り上げられた。町は「コンクリート道にしないと農耕トラクターなどが入れない。あの棚田を耕作し続けるためにも、ある程度の道路整備は必要。コンクリートは年月と共に黒くなり目立たなくなる」と棚田耕作の最優先に進めている。
 

 だが一方、観光協会理事からは、観光要素としても重要性を強調する。「耕作の継続は大切だ。だが、一度コンクリートにすると、それだけでイメージダウンになり、歴史的な遺産の価値が半減以下となる。手間はかかるが、石組み、石積みでの改修が、これまで、この石垣田を守ってきた先人たちの労苦に応えることになるのでは」とコンクリート化に大きな疑問を抱き、町に工法の変更を継続要望している。

フリーカメラマン・山本治之さん、津南に移住し写真集発刊へ  10月30日号
 「秋山郷の自然、渓谷、人、みんな素晴らしい。ここで写真を撮りたい」―。プロカメラマンが今月12日から津南に移住、ベストショットを求め秋山郷に入っている。兵庫・三木市の山本治之さん(62、JPS日本写真家協会会員)。「都市部では失われた自然、生活が残る秋山郷は私にとって大きな宝石箱。美しい自然、人の暮らしなど宝石をカメラに収めたい」。山本さんは1年間津南に住み、4年後の写真集発刊をめざす。


  山本さんは関西電力在職中の45歳からカメラを始め、奈良・大台ケ原に10年余通うなど風景写真に没頭。京都造形芸術大の通信教育でさらに学び、写真に専念するため56歳で会社を退職。初写真集「四季大台ケ原〜魅せられし山」(光村推古書院)を5年前に自費出版。次のテーマを柱状節理(溶岩岩石柱)と決め全国行脚。秋山郷屋敷の布岩、中里の七ツ釜や清津峡にも来訪。「切り立った渓谷、地形、住民の優しさなど特に秋山郷に惹かれた。この地に住み、自分の足でスポットを見つけ撮りたい」。第2集「大地の鼓動〜柱状節理の四季」(同書院)は今年6月に完成。次作の舞台を迷わず秋山郷とし、移住を決めた。
 

 津南生活のスタート写真は紅葉真っ盛りの秋山郷。早朝から撮影に入る日々。日本の原風景が残る見倉集落、苗場山のブナ巨木、小赤沢の炭焼き、大秋山村跡など興味の対象は尽きない。最近は鳥甲山(2037b)に感銘を受けた。「夜が明け、頂上からどんどん照らされていく朝陽の一瞬がいい。秋山郷はまだ詳しくないけど、どの写真にもこだわり、満足行くまで撮り続けたい」。愛機ペンタックス67で秋山郷と向き合う。

小中学教育連携のさきがけ、上郷地区で合同文化祭  10月30日号
 小中連携教育のさきがけを行く津南町の上郷小(竹内紀夫校長・46人)と上郷中(鈴木省平校長・34人)の秋恒例、小中地域合同文化祭は25日、上郷小体育館で開き、校区内外から3百人余りが参加。劇や合唱、合奏など子どもたちの熱演に大きな声援と拍手が飛んでいた。毎回力作を演じる小中合同劇はオリジナル作品「上郷アドベンチャー」。限られた練習時間の中、中学生が小学生を指導するなど連携教育の実践の場となり、終了後のカーテンコールでは、一段と大きな拍手が送られた。
 

 「1+1を3にしよう」と11年前に始まった小中合同文化祭。両校あげての準備は大変だが、放課後など活用、役割分担で取り組んだ。呼び物の小中合同劇は、小学校を練習場に中学生が訪れ演技指導。今回は、修学旅行帰りの飛行機が無人島に不時着。食料をめぐる仲間同士のいさかいや原住民との交流などを通じて、仲間意識を取り戻す感動巨編。演技、衣装、大道具、映像、音響などすべて生徒等の手作り。
 

 全校34人をまとめた中学の山田涼太生徒会長は「限られた準備の時間で、小中学ともによく頑張ってくれた。自分たちも中学生と一緒にやってのが良い思い出になっている。この伝統をぜひ引き継いでほしい」と話す。初めての合同劇に参加した4年の粉川向日葵さんは「ダンスや劇の演技を中学生から教わりました。とても楽しかったです」と話している。
 すっかり両校の伝統になっている小中地域合同文化祭。この日、中学2年の孫の演技を楽しみに来た中島あささん(67)は「地域皆で盛り上げている感じが良いですね。合同劇もとっても良かった。小中学が一緒に取り組むことは、良いことですね」と熱演に拍手を送っていた。


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