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2013年05月のねっとわーく

過去のネットワーク
山岸麗好さん 41歳 しなの荘
 信濃川河畔に佇む、純和風旅館の女将となり10年余。「今の都会の方は疲れています。『ほっとする』のが一番。心休まる宿を心がけています」。名前の『麗好』は祖父が付けてくれた名前。「旧姓は『池田』だったんですが、普通の『麗子』だと画数が合わずこの漢字になったそうです。よく外国の方に間違えられます」。笑顔を絶やさず、明るく親切な接客を常に心がけている。

 出身は旧大宮市。高校卒業後、大手スポーツ会社アシックスに5年余勤務。ラグビー観戦にはまり、当時各チームの夏合宿地だった長野・菅平によく足を運んだ。そこで泊まったペンションに憧れた。「家族経営で、自然に囲まれた中でのアットホームな雰囲気が良くって」。自分でも宿をやりたいと強く思い会社を退職。住み込みで菅平のペンションで2年間働く。「今考えると辞めたのはもったいなかったかな」。宿経営の夢実現のため資格取得をめざし再び首都圏に戻り、独り暮らしを開始。バイトで資金を貯め、専門学校に通い調理師免許を取得。ここで夫の祐二さんと出会う。「普通、旅館の跡継ぎと出会う機会なんてないですよね。運命としか言いようがありません」。交際は進み、平成12年12月12日に入籍。「絶対忘れない日にしました。ただ式は挙げていません。苦手なんですよ、派手な格好するのとか」。今は2人の娘に恵まれ、子育てと旅館経営に全力投球中だ。

 津南人となり10年余。様々な繋がりが増え、今年から町観光協会理事に就任。「まだまだ色々勉強中です。方言がすんなり出るようになればもう地元民かな、と思います。津南に腰を据え、本当の津南人となり、お客様をもてなしたいですね」。
(2013.05.31)

河田民子さん 59歳 津南町亀岡
 10代から70代の幅広い世代60人余が参加する、つなん合唱隊。その初期メンバーのひとり。「十日町高で3年間、コーラス部だったんです。待ち望んでいた活動です」。担当はソプラノ。毎週木曜夜の練習はほぼ皆勤賞。「年齢は気にせず、歌好き仲間が集まるので大きな刺激になりますね」。発表の場として老健施設慰問なども増えて来た。「先日、みさと苑で『故郷』を歌ったら入居者の方が涙を見せ、それを見てもらい泣きしちゃいました。おじいさん、おばあさんは自分の親みたいに見えます」。合唱を通じた交流も楽しみの一つだ。

 歌好きは「母からの遺伝です」。幼い頃、家で流行歌など歌う母の姿を見て育った。「だから懐メロは得意なんです」。その母、ちよさんは2年前、92歳で他界。病床で動けなくなり、最後を迎える前、枕元で共に歌った。「もうできることは歌うしかないと思ったんです。懐かしい『りんごの歌』など、気持ちが上向くような明るい曲を歌いました」。母もそれを聞き、口元を動かした。「歌い終えたあと、ちょっと笑ってくれたのが嬉しかったな」。忘れられない母の顔になった。

 ジグソーパズルが趣味の一つ。15年余前から続けている。中心は千ピースのもの。「連休中は娘2人と3人で作りました。大勢でやるのも楽しいですね」。人に頼まれてパズルを完成させることも。「単にじっとしているのが苦手なんですよ。空いた時間にやるには最適」。コレクションは屋根裏にしまってある。
 還暦を迎える今年。「パソコンに挑戦してます」。ただ、まだ電源の入れ方を覚えたばかり。「今まで用途がなく、覚える気もなかったのですが、ネットは使えたら便利なんでしょうね」。
(2013.05.24)

山岸君江さん 光成電気 60歳
 生まれも育ちも上郷。津南高卒業後、一度関東に出たが家庭の事情で生家に戻る。「20歳の時でした。うちは3人姉妹で、誰かが家に戻らなければならなかったんです。津南が好きで元々戻る予定だったから、それが早まった感覚でしたね」。地元に帰りすぐ4歳上の夫・政司さんと出会い、翌年結婚。「自動車学校で出会いました。今思うと早い結婚でしたが、子どもが大きくなるのも早いから今は楽かも」。今年は結婚40周年。「よく続いたと思います、早いですね。主人は私のやりたいことをさせてくれました。本当にありがとう」。今夏8月に母・子まつさんの米寿記念と合わせ、子どもたちがお祝い会を開く。「今から楽しみです」。

 子は1女1男のふたり。長女には12歳と6歳の孫がいる。この孫が可愛い。「連休の3日間、家で一緒に過ごしました。帰ったあとはやっぱり寂しいですね」。長女一家は小田原在住。だが祖父母参観など、孫が関わる行事には欠かさず出席する。「千葉に姉も住んでいるので、小田原に行く時は孫を通して家族が集まる良い機会になっています」。来月2日の孫のピアノ発表会にも駆け付ける予定だ。

 40歳の時はマスターズ陸上で全国大会に出場。「体を動かすのが好きなんです。今は四季の風景を楽しみながらノルディックウォーキングを続けています」。山登りが趣味で、若い頃は長野の中央アルプス、富士山など名山を登った。「今でも山仲間と苗場山に年2回は登っています」。還暦記念で昨年は上郷中の同級生7人とお伊勢参りに行った。「山登りや陸上、同級生など、よい友だちに恵まれていると思います。津南に帰ってきたから繋がった縁。ありがたいですね」。
(2013.05.17)

福原千恵子さん 60歳 秋山郷小赤沢
 日本百名山の苗場山の麓、小赤沢に生まれ育つ。秋山小の同級生は16人。「私たちの頃は全校で百人ぐらい児童がいたんですが、今は4人。少なくなりましたね」。我が子は女の子2人。長女は結婚し、今春3月に男の子を出産。子どもを連れ1ヵ月間、小赤沢で過ごした。「初の孫です。我が家は女系なので、久しぶりに男の子が生まれました。母も私も男を育てた経験がないのですごく新鮮。やっぱり孫は可愛いですね」。離れる時は涙の別れだったとか。
 
 看護師をめざし、高校卒業後に東京の専門学校へ。「手に職を付けようと思ったのがまずありましたね」。3年間の学校生活後、国家試験に合格。そのまま東京に残り、病院で4年間勤務。故郷に戻る契機は、25歳の時。「役場で看護師を募集しているから帰って来ないか、と親に言われたんです。じゃあ帰ろう、と自然に思いました。東京は長く住む所じゃないなって」。秋山診療所、高齢者センターなど経て58歳で退職。今は再任用制度で小赤沢の栄村高齢者いきがいセンターで働く。仕事は居宅のケアマネ、週2回のディサービス、出張診療のお手伝いなど。「高齢化は進んでいますが、秋山郷で介護度が高い人は少ないんです。みんな元気。病院が遠いので、予防医療が一番重要なんです」。地域を見守る、要のひとりだ。

 待望の山菜シーズン。「標高が高い秋山の山菜はアクがなく、凄く美味しいんですよ」。春山で見るのを楽しみにしているのが小赤沢|上野原の林道から山中に入り30分の『樽山の滝』。知る人ぞ知る名所。「獣道を歩くのですが、マイナスイオンたっぷりなんです。行けば必ず感動しますよ」。新緑の秋山郷は心身ともに癒される季節。
(2013.05.10)

島田とも子さん 56歳 秋山郷小赤沢
 古民家の佇まいを残す居間に入ると、目に飛び込んでくる体長2b余のツキノワグマの毛皮。「この辺で採れた熊では最大級だそうです」。家は秋田マタギの血を引く。祖父の山田文五郎さんは熊採りの名人だった。東京学芸大名誉教授の市川健夫氏が書いた『平家の谷』にも登場している。「昔は熊のスペアリブとかも食べたことがあるんですよ」。他にも熊の毛皮を使った敷物が2枚あり、秋山の狩猟文化を現代に伝えている。
 
 雰囲気ある居間は築3百年余。高さ8b余の高い天井、太い柱は囲炉裏で燻され黒く輝く。「あの鈴木牧之もこの家に泊まりました。保存民家みたいなものですね」。江戸時代の面影を体感できる民宿「苗場荘」は昭和47年に営業開始。23歳の時に手伝い始め、もう30年が過ぎた。「あっという間でしたね」。生まれも育ちも秋山郷だが、高卒後一度は上京。「短大に進学したんです。実は英語の教員免許を持っています。もう喋られませんが」。5人兄妹の末っ子。家に戻る気はなかったが、跡継ぎの兄が26歳で急死。「男は兄1人だけ。姉はもうお嫁に行ってたりしたので、私が家に入りました。今はたまに東京に行くと人混みにすぐ疲れてしまいます。もう住めません」。女将を務める宿の名物料理は「山菜の天ぷらが豪快、と言われますね」。草木萌える新緑シーズンは間近。「採れたての山菜を食べられる、一番いい季節ですね」。

 最近は海外からのお客も来る。今年は3月にマレーシア、イギリス、アメリカの外国人が宿泊。「言葉は喋られなくとも、顔と顔を合わせれば何となくわかります。日本人のお客さんと同じですよ」。いつでも変わらない、自然体での対応が人気の秘訣。
(2013.05.02)


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