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2011年06月のねっとわーく

過去のネットワーク
大口博正さん ユリ栽培 54歳 津南町米原
 今月初め、興農館高時代の友だちと海釣り、それも鯛釣りに行き、3`級の大物をあげた。「ビギナーズラックですね。いやぁー、刺身がうまかった」。高校時代の仲間が県内各地にいる。瀬波に船を持つ友がいて、仲間で年に数回、船釣りに出る。「なかなか忙しく行けないが、6月と12月かな、行けるのは」。季節によりメバル、ソイ、イナダ、さらにアジなどが釣り土産になる。山形・酒田市の海岸近くで育った妻、栄子さんが、釣果を料理してくれる。「美味いですよ」。


 津南町ユリ栽培組合の初代組合長。2期目の最後に日本農業賞の大賞受賞。「当時はバブル期でもあり、津南のユリに高値がつき、ブランド化した。その津南ブランドが今につながっている」。4年前に東京農大卒業の次男が「ユリ栽培をやる」と家に入り、頼もしき後継者を得た。長男はJA津南町職員。今月19日、長女の結婚式だった。「なかなか家を空けられないが、地域のユリ栽培の仲間たちと助け合い、こうした時はお互いに作業を助け合っている。本当にありがたい」。


 今の一押しは写真のピンク系のレクサス。赤ではビビアナ。「きれいな色のユリほど作るのが難しいのがユリ栽培。ただプロとして、その難しさに挑戦し続けたい。それがプロだと思う」。取り組んだ当初、失敗の連続だった。「今は経営を維持するには失敗できない。息子たちには失敗談を聞かせている。ユリ栽培は感覚の世界で、経験を積まないと分からないことが多い」。葉の色の変化、気温や湿度、切る時期など、長年の感覚が出荷商品の価値に大きく左右する。


 花嫁の父。「バスタオルを持っていけと言われたよ。それにしても、娘はきれいだったなぁ」。自慢の娘だ。
(2011.06.24)

大口亜紀さん 32歳 津南町米原
 東京八重洲、東京駅の真ん前のビルで証券レディを9年ほど勤め、津南にやってきた。大学時代のスキーサークルで出会った夫の貴裕さん。ユリ栽培を営む大口家では今、1月誕生の紗奈ちゃんが、4世代家族みんなの関心を集めている。学生時代、サークル仲間と何度か大口家に来ているが、「まさか、自分がここに来るとは思ってもいませんでしたね」。


 東京練馬の両親も、スキーを通じて出会った。「親子二代、スキー関係です」。銀行マンの父に連れられ、小さい頃から長野などへ家族でスキーに行った。高校時代はスキー部で競技選手として大会に出場した。高校1年の時、スキー検定1級に合格。「東京とスキーは結びつかないかもしれませんが、スキーをする方は多いですよ」。


 日大のスキーサークルでの出会いは、先輩、後輩の関係。合宿は菅平や福島、赤倉などへよく行った。「東京都の大会で津南出身の選手の人がいて、津南という名前は知っていましたが…」。その津南で暮らし2年目。今年3月の地震の時は、出産後のため貴裕さんと共に東京にいた。「結構揺れましたね。東京で水不足などいろいろな問題が出てきましたから、早々に津南に来ました。ここの暮らし、リラックスできますね。地域の人たちが気軽に声をかけてくれたり、とても居心地がいいですね」。


 いま子育て真っ最中。練馬の両親も時々、津南にやってくる。「新たな拠点ができたみたいで、スキーにきたり、ゴルフに来たりと楽しんでいます」。家族でユリ栽培に取り組む大口家。家族が増え、賑やかな毎日だ。「この子と一緒にスキーを楽しみたいですね。自然豊かな津南で、季節季節、いろいろなことをやってみたいですね」。
(2011.06.17)

桑原幸枝さん グルーンアース 51歳
 長男の小学6年の卒業文集を最近、偶然見つけた。『将来、ぼくはお父さんやお母さんのように農業をして、会社を作って津南で農業をしたい』。「嬉しかったですね。その通りになっていますから」。長男の健(たけし)さんは来月2日挙式、パートナーを迎える。その式で使う思い出の写真を探していた時、卒業文集を見つけた。両親が農に取り組む姿をしっかり見ていた証しだ。


 時代を読み、17年前に農事組合法人「グリーンアース」を立ち上げる。45f余の魚沼コシヒカリ生産を主体に、カゴメとの契約栽培の加工トマト、スイートコーン、ユリなど畑4fを事業展開する。夫で組合長の健太郎さんは、米食味鑑定コンクールで5年連続金賞。全国に6人、新潟県内は2人だけの殿堂入り、「米食味鑑定士協会殿堂入り 桑原健太郎」の生産者ブランドを持つ。秋の収穫期、収量すべて予約で埋まる。「北海道から九州までお客様がいます。私が顧客担当ですから、いろいろな声を聞くことができますね」。収穫が始まると組合長の健太郎さんは、取引する全国の米屋を1週間かけて回る。「必ずすべてを回ります」。直接のお客さんには「米の梅雨時の保管方法などちょっとしたアドバイスを入れます」。夏には栽培のスイートコーンをサービスで送る。


 グリーンアースは現在9人。長男のパートナーは、同組合で働いていた女性。「かわいい自分の娘ができると思っています。家族が増えるのは楽しみですね」。10日には田植えが終わり、すぐに挙式の準備が待っている。「これからは若い世代に任せたいです」。津南町生活改善グループの会長であり農村アドバイザーでもある。「まだまだゆっくりできませんね」。
(2011.06.10)

関谷ヨミヨイさん 67歳 津南町赤沢
 13年前の長野冬季オリンピックのバイアスロン競技に出場の長男、修一さんは、東日本大震災の捜索活動や復興支援で、自衛隊の指揮官として福島へ定期的に出向いている。「2週間単位で行き来しているようです。大変な惨状のようです」。思い出の長野オリンピック。津南町除雪隊オペレーターだった夫の昭男さんは、冬は早朝から出動。「あの時は、うちの人の弟が体調を崩し、柏崎の病院とオリンピック会場の野沢温泉を行ったり、来たりしましたね」。居間には力走する修一さんの写真が掲げてある。


 長男、長女、二男と3歳違いの子たち全員クロスカントリースキーに取り組み、インターハイなど全国大会に出場している。「うちの人は除雪へ、私も働いていたので、県外大会の応援に行ける状態ではなかったですね。妙高や六日町の時は行きましたが」。3人の子たちは共に結婚し外孫3人、今年は待望の内孫が誕生する。「みんな良いパートナーを見つけてくれたことが一番嬉しいですね」。それぞれが忙しい毎日を送っているが、「お盆の13日には、みんなで集まることにしているんです」。


 3年前、トイレに行くのも不自由になり、子たちと相談し腰の手術を受けた。日常生活は大丈夫だが、田んぼ仕事はやめた。「晴れた日など娘と一緒に畑へ行き、ちょっとした手仕事をしています」。広い畑で若い夫婦が畑仕事しているのを時々見かける。「いいなぁと思いますね。自分もあんな時があったなぁと。若いということが、本当にうらやましいです」。

 地元の花好きや手芸好きと時々、「ひまかーい」と声を掛け合って、花や手芸を持ち寄り合っている。「いまがいちばん幸せだねー」。
(2011.06.03)


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