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2011年04月のねっとわーく

過去のネットワーク
涌井光子さん 51歳 津南町宮野原
 津南暮らし22年目。歴史あふれる栃木・大田原市生まれ。同市にある大型店の職場で知り合ったのが正夫さん。転勤で福島・会津若松市へ。次女が生まれたのを機に夫のふるさと、津南町宮野原へ帰った。「大田原も少し雪が降りますが、津南ほどではありません。津南で暮らし始めた頃は、雪が降ると嬉しくなっていましたが、ここ数年、たくさんの雪が降り、ちょっと、という感じですね」。


 特に雪道の運転。勤務先の栄村へ行く途中、大雪で除雪が間に合わず、じっと待ったこともある。「安全第一ですから、トロトロ走りますが、一度、トラックに追突されたことがあります」。22年間、雪道を運転しているが、「慣れませんし、もう安全第一ですから、不安な時は20`くらいで走っています」。


 震度6強の激震を受けた県境地域。川を隔てた所が栄村。「すごく揺れましたが、家は幸い大きな被害はありませんでした」。それでも食器棚が開き、半部位上の食器が落ち割れ、冷蔵庫のドアが開き、食材が飛び出るなど、激しい揺れだった。


 2人の娘は東京と新潟で働く。「最近はお盆と正月くらいしか帰ってきませんね。メールもしますが、それなら電話で話した方がいいですよね」。自分の時間はペーパークラフトに取り組む。平たい紙ひもなどを使い、籠や置物などを作る。「すぐにできるのがいいですね。できたものは友だちにあげています」。

 自己分析は典型的なO型という。「おおざっぱというか、余り細かいことにこだわりません」。最近ちょっと運動不足。「体を動かすのが好きなんですが、なかなか、よしっと動かないんですよね」。バレーボールが好きだ。
(2011.04.28)

島田初美さん 51歳 津南町宮野原
 雪消えが遅れ、農作業も遅れがちだ。会社勤務の夫、政敏さんに代わり、平日は田作りの準備に取り組む。「今年の雪は、下がカチカチに凍っていて消えませんね」。特に一段上の上郷原の残雪はまだ1b余りある。約2fの田と自家野菜の畑など、大地と向き合っている。


 冬は時間ができ、大好きな読書タイムだ。「最近は内田康雄です。以前は江戸川乱歩や横溝正史などでしたが、娘と回し読みなどをしています」。子どもたちが小さい頃は、親子でジグソーパズル作りをよくした。「ミッキーの絵などですが、作る過程が楽しいですね」。


 家族揃って推理小説好き。「テレビでサスペンスドラマをやっていると、じっと2時間、見続けますね。見ながら、あれが犯人だとか、いや違うなど言いながら見ています」。これから農業が忙しくなる。「でも雨の時は時間ができますから、また好きな本が読めます」。まさに晴耕雨読の生活だ。ただ、「私は外仕事が好きです。時間を気にすることもなく、自分のペースでできますから」。農を通じた自分のライフスタイルを作っている。


 23歳の結婚までは東京で看護助手をしていた。所属は耳鼻咽喉科。「あの時からなんです、この花粉症。もう、この時期は我慢、我慢です。家族みんな花粉症ですから、ティッシュがあっという間になくなります。今年は特に花粉が多いように思います」。あと半月余りの辛抱だ。


 上の2人の子たちは県外へ。十日町勤務の二女が一緒に暮らす。「高校時代は余り話さなかったんですが、今はよく話しますね。友だち感覚になってきています」。ちょっと甘いかなと思いながらも、夫の弁当と共に娘の弁当作りを楽しんでいる。
(2011.04.22)

涌井豊美さん 51歳 上村病院看護師
 31年ぶりの津南暮らしが始まり2年が過ぎた。「50歳までには中子に帰り、両親の世話と共に、自分の仲間作りをしたいと思っていました」。長年の東京での看護師経験を生かし、上村病院では高齢者医療などに携わる。「インターネットで上村病院さんを知り、その医療理念に自分も役立ちたいと、お世話になっています。スタッフの皆さんに恵まれています」。


 18歳でふるさとを離れ、看護師に。小児科、内科の慢性期、急性期、社会保険医療、津南に帰る前は2百床ほどの病院で、消火器外科でガン患者の緩和医療のターミナルケアを担当する一方、看護師教育チームに入り、後輩を育てた。「後輩がスキーに来たり、今も交流しています」。


 大田区で会社経営する夫、長男、長女も独立。ふるさと津南へ『単身赴任』の形。「両親の世話もありますが、自分たち家族のためでもあります。子どもたちに田舎を作ってやりたいですね。この自然豊かな津南、東京にはない時間の流れです」。
 

 困惑もあった。31年ぶりの中子での暮らし。「浦島太郎状態でした。幼なじみからいろいろ教えてもらい、ようやく地域の行事にも参加できるようになりました。中子は最近、子どもたちが増えているようです。もっと若い人たちが増えてほしいですね」。津南暮らしに備え、48歳で車の免許を取得している。


 津南暮らしを始め、以前から思っていたいたことを実現した。「津軽三味線をしたかったです」。初代高橋竹山の弟子、小竹勇三氏に師事を受けるため旧能生町に自宅まで半年通った。「あの音色が好きなんです。でもちょっと遠くて…」。少し休んでいるが、「続けたいです」。
(2011.04.15)

山本光一さん 44歳 津南町中子
 背後の雪原が湖面、前方の数本の木が桜。ここが絶景変わる。湖面にうっすらと広がる朝霧。濃緑の木立を背に、淡いピンクの桜が咲き、波一つない鏡のような湖面に、その風景が映る。刻々と共に変わる趣を求め、5年ほど前から多くのカメラマンが訪れている。「そうですね、いろいろな出会いもあります。今年は、雪と桜が撮れそうですね」。地域の湧水を溜めたかんがい用水「中子の池」。半島のように突き出た陸地が、また雰囲気をだす。その半島に部分に家がある。「自分の庭のようですね。高校の頃までは、当たり前すぎて、なんとも思わなかったですが、6年前に家に戻り、このロケーションの素晴らしさを感じています」。


 今月末からの連休。ちょうど桜のシーズン。連日、早朝から、あるいは前泊組もあり、多くのカメラマンが「絶景」を狙う。「毎年、地元で桜の手入れをしています。昨年は町の協力もあり、桜の苗木を30本ほど受けました。もともと、この池の周りには3百本ほどの桜があり、もう50年以上の樹齢です」。家の前で苗代を作り、自家用の野菜栽培もする。「この池の間近にテーブルを出します。存分にこの景色を満喫してほしいですね」。


 北海道の札幌でサントリー系のレストランシェフや重機会社のクレーンオペレーターなど20年ほどの札幌暮らし。「阪神大震災の時、2日後には現場に入り、復旧作業を行いました。今回、何かできないかと思っています。募金はしています」。中子も中越地震を上回る激しい揺れただった。


 春耕はもうすぐ。田んぼ2・5f、野沢菜栽培4f。標高480bから5百b以上で栽培。田んぼは種を取る採種栽培。「雪消えが遅れています。農作業のすべてが一緒になりそうですね」。
(2011.04.08)

金子正規さん 44歳 野沢菜栽培
 運命的な時間の流れを感じている。7年前の中越地震。東京で証券マンとして働いていた。地震発生は10月23日。その1週間後の30日、7歳違いの兄がクモ膜下出血で急逝した知らせが届く。「あまりにも突然でした」。翌年、津南に帰る。30年ほど前に父が始めた野沢菜栽培を父・恒一さんと共に始める。5fの契約栽培。栽培ノウハウは父からすべて学んだ。「この残雪が心配。いつもなら5月の連休明けに種まきができるんだが、今年は遅れそうだ。それに地震被害が心配。畑や田んぼに被害がなければいいが」。野沢菜畑は、まだ2b近い残雪に埋もれている。
 

 外資系証券会社など20年間、金融関係で働く。「好景気もバブル崩壊も経験しました。私が辞めた年の前年がリーマンショック。友だちから『いい時に辞めたな』と言われましたよ。当時、年収1千万円以上は当たり前の頃。使うお金も多かったですね」。津南に帰り、180度転回の生活。「ストレスがなくなり、煩わしい人間関係もなくなり、その点では良かったです」。野沢菜栽培が盛んな相吉地区。「契約作物ですから収入の安定はありますが、天候具合や作物の病気など自然相手だけに、毎年が真剣勝負。自分と向き合う農業です」。その農業の師、父は昨年、肺ガンで他界。3年前に家を新築し、「少し親孝行できたのかなと思っています」。
 

 地元相吉の40代から60代で作る「相酔会」、4月から会長職。地域行事などを企画、開催する。「飲み仲間なんですが、いいメンバーを揃っています」。毎月集まる。「飲み会なんですが」
 
(2011.04.02)


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