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2009年06月のねっとわーく

過去のネットワーク
小堺和久さん 十日町森林組合 51歳
 北アルプスの西穂高(2909b)の西穂小屋で冬4シーズン、働いた。真冬の山は、1週間ぶっ続けで吹雪くことなどざら。「1週間、誰も来なかったこともありましたね。ずっと居るわけですから、二度と見られないような景色にも恵まれる時もありました」。冬山の遭難救助にも何度も遭遇。肺水腫で意識不明者を寝ずで看護し、県警ヘリで搬送。「遭難事故も結構ありました」。


 東洋大で中学と高校の教員免許を取り、卒業後、新潟県採用試験を受けるが、「お呼びでないようでした」。石油会社エッソ本社の社員食堂でアルバイトをしていた時、同社の社員が山に誘ってくれた。「あれが初めての山でした」。八ヶ岳の快晴の赤岳(2899b)からの眺望は今も忘れない。月刊誌・山渓で西穂小屋の冬季従業員募集を見つけ、すぐに応募。夏は上高地山荘で働き、冬は11月から4月まで通年営業の西穂小屋。「夏場は、休日や休憩時間に近くの山によく行きました。上高地周辺の山はほぼすべて行きましたね」。パートナー・佐喜子さんとも山つながりで結婚。十日町山岳グループ・おだまきで知り合う。


 友だちと沢登りや岩登りにも取り組む。8年ほど前、小松原湿原水系の釜川上流での沢登り中、転落しくるぶしを骨折。5月には山スキーに巻機山、平標山などによく行く。一昨年は76歳の母と家族で苗場山に行った。「冥土の土産にしたい、というんですよ。その前にも母は行っているんです」。今年の夏休み、実現した計画がある。小学6年の双子の息子たちと、あの西穂高に行くこと。「中学になると忙しくなるから、この夏、ぜひ連れて行きたいですね」。
(2009.06.26)

桐生正芳さん  桐生板金  52歳  十日町市干溝
 母校の貝野小学校で毎月1回、「ふれあいタイム」が開かれる。校区の技や知恵を持つ人たちがボランティアで、子どもたちと交流体験する。昨年からクライミングを担当している。「貝野小は、学校が新しくなった時、県内で初めてクライミングボードが設置されたんです」。高さ3bほど、手や足をかけるフックを自由にコース設定できる。「子どもたちに人気です。先月は体育館にロープを吊るし、登りましたよ」。野山で遊ぶことが少なくなっている今の子たち。「安全に危険のニオイのする遊び、遊びの楽しさを体感してほしいです。
 

 その遊びに取り組む。フリークライミング。津南の福原吉重さんとの出会いで、その魅力を体感。十日町総合体育館の7b余りのクライミングウォール(壁)相手に毎週挑む。山登り30年以上のキャリア。行く度に魅力を感じる谷川岳、あの絶壁の一ノ倉沢。「谷川は稜線もいいですね。好きな山です」。十日町総合体育館のクライミング。子どもたちも参加する。「もう友だち感覚ですね」。先週、世界的なクライマー・山野井ヤスシさんを招いた研修会が新発田であり、主催者側ながら、大きな影響を受けた。
 

 一方で最近の子たちの変化が気になる。「我慢ができないようですね。若い子たちが簡単に学校や仕事を止めます。子どもの頃の遊びが足りなかったのなか」。野山では、「常に危険を伴い、自然に勝てっこない人間の小ささを知ってほしい」。山は、その我慢を教えてくれる。「文明の利器から離れた時間が大事です」。
 何度も行っている北アルプスの雄・槍ヶ岳。「あの子槍に立って、足を上げてみたいですね」。歌・アルプス一万尺を本当にやってみたいという。
(2009.06.19)

富井文子さん そば処 岳藪 
 5年前の夏。友人らとネパール5千b級の縦走を計画。実行日は10月31日。その1週間前、あの中越地震が発生。「どうしようかと主人と迷いましたが、ここはそれほどの被害がなかったので計画通り行きました。行ける時に行くべきなんですね」。18日間の期間中、すべて快晴だった。『母の首飾り』の名がつく主峰・アマダブラム(6812b)が目の前。4千から5千3百bをトレッキング。「また行きたいですね。自分が行けるうちに、もっといろいろ行きたいです」。
 

 鉄筋業を営んでいた夫・吉三さんと出会い、結婚してから山行が始まった。ふたりで初めて登った山は苗場山(2145b)。「主人は高校時代から登っていました。初めての苗場は確かテント泊だったと思います。小赤沢の1合目から登り、9合目に出た時の爽快感は今も忘れません。私の大好きな山です」。43年余り前の話しだ。以来、苗場山は家族登山や友だち夫婦などとたびたび登っている。昨年7月登った夫婦と来月21、22日、立山への山行を計画している。
 

 国道117号と353号の山崎交差点から津南方向へ2百b行くと「そば処 岳藪(たけやぶ)」の看板が目に入る。そこを右へ。真っ直ぐ行くと白壁の建物。店内は自然木を使ったログ調。山の写真や高山植物の写真が多数。7年前にオープン。「主人は店を開く前、20年余り自己流でそばを打っていました。自分が納得できるものができたので、お店を開くことになったのですが…。一度言い出したら、必ずやる人ですから」。地元そば粉にヤマゴボウとフノリ、思いを込めて打つ。定休の火曜を使い、「また山に行きたいですね」。
(2009.06.12)

鈴木ヨシ子さん 59歳 津南原小学校
 日本百名山、「玉子石」で知られる新潟と群馬県境の「平ヶ岳」(2141b)に昨年8月登った。「30年来、思い焦がれていた山です」。アプローチが長く、山小屋もなく、往復10時間を越えるルートだが、山頂付近は湿原と地溏が広がる絶景。
実はこの山、結婚当初、「ダンナが一緒に行こうと言った山なんです。なかなか行けずに、もう30年が過ぎていました」。夫・和雄さんは「清津山の会」の創立メンバー。同会発足の年は、鈴木夫婦誕生の年でもある。
 

 4人の子との家族山行は12年間続いた。一番下の次女が3歳の時の白馬岳から始まった。「途中から私が娘をおんぶし、ダンナは私の荷やテントなど50`を背負いの登頂でした。あれから毎年行きましたね」。長男が中学3年の夏。次男小6、長女小4、次女小1。北海道・大雪山系を1週間かけて歩いた。「最高の夏休みでした。楽しかったですね」。長男が高校3年の夏、鹿島槍への山行が最後の家族登山となった。「いま子どもたちは山から離れていますが、また家族で行けたらいいですね」。10年前、夫と6千b級のネパールの山々をトレッキングした。「また行こうと言いながら、なかなか行けません」。市議の和雄さん、ますます時間がない。
 

 来春の閉校が決まっている津南原小は5年目。「学校にはいつもユリの花があります。地元の皆さんが持って来てくれます。地域の皆さんの思いがいっぱい詰まった小学校なんですよ。学校がなくなるのはちょっと寂しいですね」。「山は待ってくれますが、自分の体は待ってくれません。行きたいと思った時が、その時だと思っています」。全身運動の太極拳を始め、その時に備えている。
(2009.06.05)


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