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2008年03月のねっとわーく

過去のネットワーク
音羽昭夫さん 美容室ソワン  津南町正面
 美容師など150人余のスタッフを抱える埼玉の美容院本店店長を8年間務めた。そのポストを辞め、妻・幸子さんの出身地、津南に移り、12年前、十日町市に美容室「ソワン」(フランス語で美容の意)を開店。その6年後、自宅をかねた美容室を津南小学校近くに開店、忙しい日々を送っている。「一度決めたことは、それをやり通していくことが大切」。


 音羽(おとわ)のいう姓。「親族以外、同じ姓に出会ったことがない」。京都の流れをくむ苗字のようで、「実家は工務店で、兄貴は10代目」。千葉房総の大多喜町生まれ。最初から美容師をめざしたわけではない。「人見知りをする子だったようで、接客業をやるタイプではなかった。自分を変えたいと思って、ある会社に入り、寮生活を送る中で人間関係を学んだ。サービス業には関心があったので…」。住込みで働きながら通信教育で国家資格を取り、美容師の道へ。埼玉県内に10数店の美容院を持つ会社に入り、その本店店長を務めた。『カリスマ美容師』と呼ばれた時代もあり、「セット面の10面すべて自分の指名客などの時もありました。時間追われる毎日でした。今の方がじっくりお客さんに関われ、いい仕事ができていると思います」。


 最近の美容院は『癒し系』という。「健康のことや食べ物、精神的なことなどに、お客さんの関心は高いようです。自分も野菜中心の食事が好きですし、話しが盛り上がりますね」。
(2008.03.28)

中山勝好さん 56歳 津南町正面
 東京で学生生活を送る次男は、いま就職活動の真っ最中。「ゴミ屋敷なんですよ。もう、言葉も出ないほど。ほんとにすごい」。昨年、1年ぶりに妻・達子さんと訪ねて絶句した。「よくこんなになるもんだ、ですね。どこに寝てるんだか、まさにゴミ屋敷。そろそろ行かないと、また大変なことになっていそうですから」。今月中に行く予定だが、夫婦でカレンダーを見ている。次男は4月から4年生。「すべて本人しだい。自分の好きな道に進めばいい」。
 

 仕事柄、休みがない、というより、「働いている人がいるのに、休んでられない」。JA津南町生活部の部長。長年、営農部で米や野菜の販売を担当。「我が子と遊んだ事が少なかったな」。息子2人、長男は昨春卒業し、上越市で社会人1年生。「そういえば、最近4人揃ったことがないな」。母校である小学、中学、高校がすべてない。木造校舎が懐かしい下船渡小、水泳部で頑張った下船渡中学、そして津南高校。「自分の母校がすべてなくなるのは、なんともいえない感じだな」。その旧下船渡小が統合後、誕生した津南小近くに13年前に家を建てた。新築の時、「薪ストーブを入れたい」と決めていた。十日町市の友人方で見た本格的な薪ストーブが、ずっと頭に残っていた。
 

 「運が良かった」。知人を通じて、3年しか使っていない薪ストーブの話が来た。「本体から耐火煉瓦、煙突などすべて譲り受けました。ラッキーでしたね」。以来、薪作りの日々が続いている。「薪割りしていると、知らない人が来て、話が弾むんです。けっこう薪ストーブを入れている人がいるな」。外国製の本格的な薪ストーブ。「温かさが違うと言うのか、なんともいえない温かさがいいですね」。
(2008.03.21)

滝沢拓也さん 22歳 津南町田中
 日本有数の河岸段丘。小学時代、スキーが好きな父親に連れられ、マウンテンパーク津南によく行った。吹雪の日でも、車で送ってもらって行った。「前が見えないくらいの吹雪でも滑りましたね。晴れた時のあの雪景色、最高です。河岸段丘が良く分かるのは冬です。一番好きな景色です」。学生時代に過ごした千葉・松戸市。「雪がなく、こんなの冬じゃない、と最初は思いました。なにか変な感じでしたね。雪国で育ったせいか、雪があると落ちつきます」。


  昨年3月、今の会社に入る。2月から新潟市での仕事が続いている。家に帰るのは月に一度くらい。会社の宿舎から仕事場に通う。「自炊なんですが、ほとんどコンビニです。食事を作る人もいますが、やはり面倒ですから」。そんな息子の生活ぶりを知るお母さん。『早くお嫁さんをもらえばいいんだよ』とアドバイスするが…。2年前に成人式を迎えた。「同級生の女の子がきれいになっていましたね」。だが「今は仕事です。毎日が勉強です。業務など少し安定したら、自分のことを何か始めたいと思います。それと、やはり体力が大事で、筋トレなど始めようと思っています」。
 

 高校まで津南で暮らした。「津南は今のままでいいと思います。ただ、高齢化しているので、お年寄りの足となるバスなどの交通機関が、もう少し充実したらいいのでは」、「それと、大倉トンネルが早く開通してほしいです。あの中では、対向車が真ん中を走ってきます。一日も早く開通してほしいです」。母校・津南高が閉校。「自分の時、中等校があったら、行きたかったですね。母校がなくなるのは寂しいですが、一つの進化ともいえます」。
(2008.03.15)

清水亀弥さん 62歳 津南町田中
 日本一高所を走る県道の乗鞍スカイライン。標高2千7百b余。その舗装工事を担当した。「35年くらい前かな。結婚まもない頃だった。山小屋を貸し切り、2ヵ月間泊り込みだった。最後は雪のなかの工事だった。おかげで最高の景色を見ることもできた」。天然記念物の雷鳥が近寄ってきたり、ご来光、一面の雲海、雪景色など、長期滞在だからこそ見られた山の絶景を堪能した。
 

 山好きは、長野・松本勤務時代に始まる。富士山から南、中央、北アルプスの多くの山に仲間と登った。「花のシーズンがやはりいい。実は一番好きなのは地元の野々海高原(標高1100b)。年に10回は行く」。春のブナ新緑から秋の紅葉まで、山の幸をいただきながら、高原を散策する。「あそこにはいい湧水がある。今でも水を持ち帰り、お茶や水割りに使っている」。
 

 18歳入社の日本鋪装(現NIPPOコーポレーション)。入社の昭和39年、新潟地震発生。「本社に居たが、その日のうちに新潟へ行った。水や物資を積んだトラックの荷台に乗って行った。大きな石油タンクから黒煙が立ち上っていた」。17年前の阪神大震災の復興にもかかわり、復旧作業を担当。4年前の中越地震でも道路など普及に関わった。「地震で始まり、地震で締めくくったようです」。退職後、グループ会社の社長に就き、県内現場を駆け回っている。
 

 業務上、全国各地に勤務。「人との出会いが良かったな。今は、その人たちと物々交換交流だな」。魚沼米を送るとミカン、お茶、りんご、鮮魚などが全国から届く。「ずっと家を開けていて、おんぶに抱っこだった。今度はおっかー孝行だな」。妻・寿子さんと夫婦旅行でもと思っている。
(2008.03.07)


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