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2007年12月のねっとわーく

過去のネットワーク
宮沢ハツエさん 67歳 津南町卯ノ木
 全国有数の規模のキャンプ場として人気の無印良品津南キャンプ場。「けんちん汁やチマキ、笹団子などが人気なんですよ」。地元郷土食インストラクターとして10年余り前から関わる。夏休み期間などに集中。伝統食体験はニュー・グリーンピア津南でも増えている。「子どもたちの体験講座に招かれ、チマキ作りをしました。喜ばれましたね」。国道わきで地元産野菜など農産物直売する「よらねぇかい」にも関わる。「訪れる人が増えましたね。来られた方との話が楽しいです」。安全・安心の新鮮野菜はもちろん、訪れた人たちとの会話も楽しい。夏は、スケジュール手帳が次々と埋まっていく。
 

 この時期、20年の歴史を持つJA津南町女性部の「ふれあい味噌」造りで忙しい。無添加の手作り味噌。「保育園から小学校、中学校の給食に使われています。やはり食は大事ですね」。地元産の野菜などと共に食提供に取り組んでいる。
 4年前に開館した「農と縄文実習体験館・なじょもん」。地元卯ノ木地区は、開館前から地元で盛り上げる活動を始めた。その一つが縄文の布・アンギンの復活と技術伝承活動。体験講座を開く「ならんごしの会」のメンバー。野草カラムシの繊維で編み糸を作り、小物や袖なしなどを作る。「小学生の体験が多いですね。町外からの体験などにも講評です。できれば、なじょもんで、郷土料理などの体験も出来ればいいですね」。
 
(2007.12.21)

上村つね さん 73歳 津南町今井
 栄村青倉生まれ。18歳から結婚する24歳までの6年間、東京のそば屋へ出稼ぎに。その時の苦労談を当時の水内村公民館報に書いたことがある。「あの頃の公民館の担当が今の高橋村長。その体験談が載った公民館報は今も持っています」。青年団活動を活発にしようと公民館報を発行。その仲間が犠牲になったのが、昭和36年2月発生の青倉大雪崩。11人が犠牲に。「仲良かった友だちも亡くなったんです。村議だった父親はその時区長で、大変だったことを覚えています」。


  今年、金婚式を迎えた。夫・勉さんは冬場、静岡など各地へ出向き、土木の重機オペレーター。身重の時も、子2人が小学に上がるまで連れて夫について行き、現場作業員30人余の朝、昼、晩の食事を作り、同じように現場仕事もした。「冬場、17年間しました。新潟の中ノ島に行った時は、入学前の娘と1歳にならない息子を連れて行った。現場30人のご飯作りを1人でやった。今考えると本当によくできたと思いますね」。長女が入学後も、長男を連れて出稼ぎした。家に帰ってきたある日。「引出しの中に娘の作を見つけました。『母が出稼ぎに行く日の朝は、布団の中で泣いていました』と書いてあったんです。涙が止まりませんでしたね」。


  とにかく現場仕事が好き。農協女性部が20年前に始めて「ふれあい味噌」造りも、そのスタートから関わる。シルバー人材センターも、人が人を呼ぶように『つねさんが行く所、人が集まる』といわる。昨年のシルバー20周年大会で表彰を受けた。「自分が何かしたわけではありません。みんなのおかげ。とにかく『仲良く一生懸命』です」。新年1月、その仲間と氷川きよしコンサートに行く。
(2007.12.15)

桑原ミサ子さん 72歳 栄村中条
 漢方の一つ、熊笹を夏場、採取している。奈良に本社を持つ「和漢薬研究所」は20年前から栄村の国有林「カヤノ平」で、営林局の許可を受け、熊笹の採取を行っている。桑原さんは地元の15人と採取の仕事を受け、真夏8月の30日間、標高千2百b前後の高原地で熊笹採取を行う。今年、長年の実績が評価され、和漢薬本社から15年表彰を受けた。
 

 わが子は三姉妹の娘たち。長女の結婚相手は北海道・小樽生まれ。転勤族だったが、昭和62年、夫婦揃って栄村に帰ってきた。「ありがたかったですね。北海道に親戚が出来ました。孫やじいさん(夫・初友さん)を連れて、5回も行きましたよ。良い所ですね」。孫は4人。今春までは8人が食卓を囲んでいた。長男が県警に入り、家を出た。「だんだん孫たちも大きくなり、頼もしくなっている。家族が多いのは賑やかでいいね」。
 

 7人兄妹で育ったミサ子さん。だが、父を中学1年で亡くし、38歳の時、母を亡くす。「7人を女手一つで育てた母は、本当に苦労したと思います。今、この村には自分しか住んでいないが、兄妹で集まると、親の話しになります」。今、餅つきで大忙し。自宅近くの栄村加工センターで毎日取り組む。今シーズンは2百件の申込みがあり、7人のもち加工クラブで受けている。年末28日までかかる
(2007.12.07)

桑原ソヨさん 86歳 栄村中条
 先日も5升のアンボ(約75個)を作り、知り合いに配った。「こうして元気でいられらんも、皆のおかげ。人にあげらんが趣味かな。喜んでもらうだけで、嬉しくなるて」。近くの温泉トマトの国などに、友だちとよく行く。「とっても87には見えねぇ、なんて言われるが、へえぇ、いくつかわかんねぇて」。張りがあるツヤツヤ肌、笑顔は、とてもその年には見えない。「いっつも笑ってらんそ。くどかない、しゃべっちょばっか、してらんそ」。
 

 津南町中子生まれ。父を18歳の時に、母を22歳の時に亡くす。長女として4人の弟たちを養った。忘れられない事がある。長男が19歳で海軍に志願。舞鶴にまだ6年生だった四男を連れて、長男に会いに行った。だが、京都演習で会えなかった。「このままでは、もう一生会えないかもしれない」と上司に懇願。新潟出身のその上司が、京都まで一緒に行ってくれ、長男に会うことができた。「必死だったな。あの新潟の人の名前を聞いておかなかったのが、悔やまれるな」。その長男、昨年、80歳で他界。家がある東京で添う葬儀し、津南でも葬儀を挙げた。「中子の同年代の人たち10人が、弔辞を上げてくれた。ありがたかったな」。
 

 21歳で栄村中条に嫁ぐ。病弱だった夫に代わり、夏は他の農家の手伝いに出て、冬は東京の蒲鉾工場。「家にいたことがなかったな。働いて、働いて、働いたな。おかげで、どこへ行っても、友だちができて、今も顔を合わせれば、さべっちょが始まる」。そんなソヨさん方には、茶のみ客が多い。毎日、日記と金銭出納簿をつけている。「人の気持ちを大事にする、それといつも笑っていることかな」。元気、元気のソヨさんだ。
(2007.12.03)


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