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2007年09月のねっとわーく

過去のネットワーク
松村圭人さん 36歳 県立津南高教諭
 県立津南高、在職7年を迎えている。「着任当時は15クラスあり、5百人近くの生徒がいました。その高校が…、まさか、ですね」。来年3月で59年の伝統に幕を下ろす。「さみしさを感じますが、この高校への愛着を残すことで、人材が残り、人材が育つ可能性があったのでは、とも思います」。着任以来、就職担当で生徒をアドバイスしている。


 高校生にとって「就職氷河期」といわれた2002年。就職が決まらずに卒業した生徒もいた。「求人がなく、本当にどうしようもなかった。いま就職希望の4割が地元希望。あの2002年頃から親御さんの意識が変わってきたように感じます」。それは『親元から通える職場』への傾向。「本当は親元を離れ、自分で生活する体験が必要な時期でもあるんですが…」。それは、「とても人懐こい生徒たち。好きですね」との親心からのアドバイスだ。


 東京・千代田区九段にある二松學舎大卒。在学中、先輩などの影響で高校教諭に。新潟市の巻高校時代から続ける演劇活動に取り組む。「舞台の裏方が多かった。高校の時、オリジナル脚本を書いた同級生は、いまも脚本の仕事をしています」。大学でも演劇を続け、卒論は「谷崎順一郎」作品と映画をテーマに書き上げた。一方で学生時代見た「田宮二郎」作品に魅かれ、以来田宮ファン。テレビ作品はほぼすべて揃う。映画は「マイナー作品が多く、DVDになっていないです」。あの名作『白い巨塔』は原作本を揃える。

詳しくは9月28日号で
(2007.09.28)

滝沢富子さん 十日町市荒屋
 大地の芸術祭作品「ポチョムキン」(中里・倉俣)で今月2日、『大地のお茶会』が開かれ、地元茶道グループ若葉会メンバーとしてお客さんを迎えた。百人を超える参加があった。「前が公園で、いい雰囲気でした。人前に出るのは苦手でしたが、とても勉強になりました。こうしたもてなしも、いいもんですね」。3年前に始めた茶道。毎月2回、水沢公民館の茶道教室「火曜会」に通う。メンバーは14人。今年、会長を務める。講師は、地元中里の上原弘子先生。「上原先生は、『お茶は総合芸術』と言われます。戸の開け閉めから歩き方、花や掛け軸、茶道用具など、奥が深いです。とてもそこまでは行けませんが、お茶を立てるのが好きです。自分なりに楽しんでいます。この抹茶が好きですね」。
 

 同い年の夫・一郎さんが昭和40年に創業した「滝沢建材」。何度移転し、国道117号沿いの荒屋に移っても、国道拡幅でさらに移転。今の住居になるまで「9回も普請しています。自分でも信じられませんね」。平成10年火災に遭う。2年後、会社を整理する。「火災では本当に多くの皆さんに助けていただきました。ありがたかったですね」。5年前、一郎さんが「腱友舘なかさと整体院」を開業。自宅前の旧作業所を改造し、看板を下げている。「時々、私にもしてくれるんですが、時間が短いですね」。会社経営時代から今の生活。「本当にいろいろありました。二人とも元気ですから、これが一番ですね」。アパートも経営し、その管理が富子さんの仕事。
 

 健康関連の仕事関係でアメリカ、ヨーロッパに4回ほど行っている。「非日常の体験が、気持ちをリフレッシュしてくれますね」。茶道と共に、人との出会いを楽しみにしている。
(2007.09.21)

涌井英子さん 58歳 わくい美容室
 中津川に架かる穴藤橋。「あの頃は渡るたびに、ゆらゆら揺れる吊り橋でした。それでも並んで歩けるくらいの幅があり、自転車でよく渡りましたね」。今の橋より少し下流に架かり、冬は当番で除雪をして、住民が守った。高校卒業まで穴藤で暮らす。戸数も25世帯余りあり、東電の社宅もあった。「小学生の頃は、自分の学年だけで10人余りいました。小学校は見玉にあった秋成小学校でしたが、発電所の建物の壁に幕を張った映画会やスキー大会、盆踊り大会など、見玉や太田新田から人がいっぱい来て、それは賑やかでしたね」。
 

 地元の人たちは、「下穴藤(しもけっとう)」と言い、上流の上結東と区別している。穴藤への思いは、尽きないどころか、84歳になる母・栄さんともども、時々、穴藤通いしている。10年ほど前、「下穴藤へ行くために原付バイクの免許を取りました。あそこに行く時しかバイクには乗りません。母は元気ですよ。見玉まで車で行き、そこから歩いていきます。私もそうですが、あそこに行くと元気になりますね」。生家もあり、畑もある。最近覚えた草刈機での畑仕事など、「リフレッシュできますね。あそこは私にとって、時間が止まったような空間です」。


  高校時代から家族や近所、の人の髪を切っていた。3年の時、高校の先輩が行っている東京の美容院5店に『美容師になりたいです。働かせてください』と直接、手紙を出し、3店の返信のうちの葛飾区の美容院で6年間働く。「もうこの道に入り、今年で40年目です。ここにお店を出して30年です。お客さんやお店のスタッフ、家族に支えられてやってきました。本当に感謝の思いでいっぱいです」。
(2007.09.14)

石沢信子さん 津南町子種「とまり木」
 9年前の開店当初、お客さんから言われたアドバイスを忘れない。『下手でもいいから、手作りなんだよ』。以来、お通しはすべて手作り。それも1品ではなく4、5品出す。「ですから、つまみを取らないお客さんもいますが、喜んでいただけたら、それでいいですね」。料理本や母の手料理などを参考に、じっくり手作り。「お酒を飲まない方や女性、お年寄りなど、気軽に来ていただきたいです。近所のご夫婦や女性だけで来られたりしています」。お客さんの言葉を借りれば、「居心地がいい」お店になっている。
 

 開店3年間は無休で営業。今は毎週水曜が定休。週末は女性スタッフを含み3人、平日は2人で切り盛り。国道117号沿いの「とまり木」。定期便が昼夜走る。『一度、寄ってみたいと思っていたんだ』。会津若松や名古屋からなど、休憩時に立ち寄る便運転手もいる。口コミで伝わり、飯山や野沢温泉、長岡や小千谷からのお客さんも寄る。だが、なんといっても利用が多いのは栄村の人たち。「ここが津南と栄村の方々の交流の場になっています。気軽に寄っていただき、おしゃべりしていただける、そんな場でありたいですね」。ママの辛口トークも人気だ。
 

 15年前に仲間入りした中野市の長嶺温泉歌謡会。毎月集いがあり、毎年大会がある。2年前、グランドチャンピオンに選ばれた。お店でも時々、リクエストに応えている。実家の父は肺気腫を患う。年に数回お店に招く。「お客さんと歓談したりすると元気をいただき、父も気分転換になっています」。自身は母の手作り料理とサウナ、それに歌。「お客さんとは家族のような付合いになっています。本当に皆さんのおかげです。感謝しています」。
(2007.09.07)


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