お問い合わせへジャンプ!
広告掲載のご案内へジャンプ!
購読のご案内へジャンプ!
トップページへジャンプ! 今週の津南新聞へジャンプ! テーマ別掲示板へジャンプ! なんでも掲示板へジャンプ! 妻有に生きるへジャンプ! ねっとわーくへジャンプ! リンク集へジャンプ!
home > 今週のねっとわーく

2006年01月のねっとわーく

過去のネットワーク
中沢 覚さん  24歳  水沢中学校
来月5日開幕の全国中学校スキー大会。長野県境の妙高高原で開かれる。水沢中では、ただひとり出場を勝ち取った2年の宮沢大志選手と共に、全国の舞台に立つ。「選手としての全国は経験していますが、コーチとしての全国は初めて。宮沢には、ベストの環境を作ってやりたい」。宮沢選手はフリー、クラシカル両種目で、全国の強豪にチャレンジする。
小学4年から始めたクロカンスキー。日体大まで続け、その経験を生かし体育教諭資格を取得し、採用のチャンスに臨んでいる。中学3年の時、全中初出場。「六日町の欠之上が会場でした。スタートの時のこと、走っている時、コースわきからの応援の声、ゴールの瞬間など、あの会場の雰囲気は、すべて覚えています」。その全中では4位と好成績。だが、「先生から言われました。中沢は無冠の帝王だなと。それまで中越も県大会も2位どまりでした」。その中学最後の大会が、今回の全中会場となる妙高高原で3月末にあったフイッシャーカップ大会。みごと優勝。「私にとって最高の思い出の大会です」。十日町高時代はリレー優勝、大学でもインカレ出場など、一貫してクロカンに取り組んでいる。
 全中で楽しみにしていることがある。「大学時代の仲間と全中会場で顔を合わせると思います。福島や山形など各地にいます」。体育教諭をめざす。「私を育ててくれた津南、上郷に帰り、地域の子どもたちを育てたいですね。私が世話になった分、その恩返しをしたい」。
コーチとして心がけている。「生徒と一緒に苦しむことで、生徒はついてきます。続けることの大切さと、自信をつけること、言葉かけが大切です」。全国の雰囲気は、ひと味もふた味も違う。
(2006.01.27)

瀧澤 学さん  24歳 津南町大井平
昨年8月に津南に帰り、6年ぶりの家族との暮らし。待っていたのは今冬の記録的な豪雪。養豚業を営む瀧澤さん方。3棟の豚舎に1千頭がいる。「2棟は落下式ですが、1棟は除雪をしなくてはならず、もう10回、雪下ろしをしました。おかげで体力が少しつきました」。午前中は養豚を手伝い、午後は除雪、そんな毎日が続いている。
 「男子は一般的には法学部や経済学部に進む人が多いが、自分はちょっと、そうは思いませんでした」と、大東文化大の文学部に進む。シェイクスピアなどを教材に、外国の講師などから学んだ。「直接、就職には関係しませんでしたが、おもしろさはありました」。卒業後、在学中のバイト先などで働き、24時間営業店などで働く。いくつかの業種を経験し、その中でテレビ業界関係の会社で働いた。「面接ですぐに決まり、下働きで、一日中、食事する間もなく働くこともあり、結構、ハードな業務でしたが、興味を引かれる仕事でした」。
 東京暮らしの時、同居人がいた。「プリン」という友人のネコ。「実は動物を飼っていけないアパートだったのですが、内緒で飼っていて、契約違反で追い出されました」。小学5年の時、豚舎にいたノラを家に連れてきて以来、家族になったネコが、今も家族となり、親子3匹がいる。その親猫は「ネコ」という名前。「13、14歳になります。最近、ちょっと耳が遠くなり、老化が進んでいます」。その一匹、ナガオといつも一緒に寝ている。「ネコは好きですね。あの気まぐれなところがいいですね」。これからのことを考える時、少しだったが関わったTV業界での経験が、頭に残っている。「自分の可能性にチャレンジしたいです」。
(2006.01.20)

河田 太郎さん  24歳  ユリ栽培
 2年間のアメリカ研修は、「カルチャーショックの連続でした」。父・武雄さんのひと言が、そのきっかけだった。「アメリカにでも行って来い」。米づくりに取り組む父。国際農業者交流協会が毎年募集する研修生に応募。県推薦を受け、全国67人と共に02年から2年間、ワシントン州やカルフォルニア州などの大規模農業の現場で研修した。
 ワシントン州の日系3世・アガン山田さんはダイコン、ホウレンソウを20f経営する。同期や先輩の研修生と一緒の時もあったが、2ヵ月余は1人で研修。「言葉が通じないので、ボスからは叱られ通しでした。父から送ってもらった電子事典は、仕事中に壊してしまい、もう大変でした」。研修にはインド、メキシコなど多国籍から参加。「時々、ホームパーティーに誘われ、日本食好きなボスだったので、親子丼やキンピラゴボウを作って行き、喜んでくれました」。
 アメリカ研修で、農場経営者から最初に聞かれたことが、今も鮮明に残る。『農業で一番大事なものは何か』。「研修生の多くは肥料や土作りなどと答えていました。でも、答えは『水』でした。アメリカには水やり専門の仕事があり、イリゲーターと呼ばれています。この人たちは、職種的にも上級職で、プライドを持って仕事をしています」。研修で得たものは多い。「一番は友だちです。北海道から沖縄までいます。年賀状で結婚したというのが多くあり、ちょっとショックでしたね」。帰宅後、始めたユリ栽培。4万本を栽培、出荷。今年、冬仕事で始めた「アスパラ菜」。出荷目前だったが、この大雪で栽培パイプハウスがつぶれた。「武雄の息子と呼ばれるのを、太郎が作ったユリを言われるようになりたい。まだまだ勉強不足です」。
(2006.01.13)

十二峠新トンネル、調査費を   1月6日号
 年末28日、津南町を視察した自民党の異常寒波・雪害対策本部(本部長・武部勤幹事長)の視察団長・渡辺博道衆院議員は、津南町・小林三喜男町長からの「皆さんが通ってきた十二峠の新トンネルを、ぜひ実現したい。協力をお願いしたい」と要望したのに対し、渡辺団長は「分かりました。調査費をつけましょう」と確約した。
 視察団一行は、旧山古志村長・長島忠義衆院議員、武部幹事長の命を受けて参加した杉村太蔵衆院議員など7人。新幹線で越後湯沢駅からバスで十二峠を越えてきた一行。当日、十二峠は積雪384aで、通常35分ほどで津南に来るが、この日は1時間以上かかって到着。秋山郷入口の町内見玉集落周辺を視察。同行した小林町長は、「ご覧の通り大変な雪。幹線道路としての国道353号・十二峠道路の通行確保は、地域の生命線でもある。ぜひ早期実現をお願いしたい」と降りしきる雪の中、強調した。
 渡辺団長は「十二峠の大変さを見て、体験した。調査費をつけて、進めたい」と実現への取り組みを約束した。現場要望には、高橋正副知事、上村憲司、村松二郎、尾身孝昭の3県議も同席した。
(2006.01.12)

藤木 直人さん  31歳  ユリ栽培
真っ白いカサブランカ、幸せ感を抱くイエローウインなど、ユリ切花栽培に取り組む。10年前、父・正輝さんが始めた。津南町ユリ切花組合青年部のメンバー。研修視察や勉強会などを積む。東京市場で津南産ユリが、どう評価されているか、目で確認し、市場の意見を聞き、品質第一を実感している。「難しいですね。でも、やりがいがあります」。4月から10月まで約4万本を栽培、出荷する。最盛期には18棟のハウスを管理する。鉄骨ハウスは、今は雪の下。「この大雪ですが、アーチ型の鉄骨ですから、大丈夫のようです」。
 夏はユリ栽培、冬はマウンテンパーク津南スキー場で働く。7年間余りスキースクールのインストラクターを務めたが、今はスキー場パトロール隊のメンバー。「4人でスキー場全体を見回っています」。準指導員の資格を持っていたが、更新しなかったため、今はない。休日には時々、野沢温泉などへ行き、スキーを楽しむ。休日が合わないため、3年前に結婚した亜由美さんとも、行く機会は少ない。
自宅の前を全国名水100   選の竜ヶ窪が流れる。記録的な今冬の大雪。流れる名水が雪を消してくれる。昨年掘った井戸が、この冬、大いに役立っている。「この大雪で、スキー場も大変です。リフト管理など、除雪が大変です」。
5歳になる「リリー」。マ   ルチーズとポメラニアンのミックス。来客があると歓迎し、去ろうとすると、引き止める。「いつも、こうなんです。でも、いるだけで話題になります」。新たしい年。「二輪大型免許に挑戦し、春には取りたいです」。亜由美さんとのツーリングも考えている。「心配なのは、春先の雪消え時期です。遅くなると困るんです」
(2006.01.11)


COPYRIGHT (C)2004 TSUNANSHINBUN-ONLINE. ALL RIGHTS RESERVED
!-->