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2005年07月のねっとわーく

過去のネットワーク
高梨 茂さん  83歳  たきみやシート店
 津南の雄大な自然景観を代表する河岸段丘。なかでも目を引くのが、国道117号や同405号から見える中津川わきの2百b余の切り立った断崖。「ここは上昇気流がいい具合に吹き、風が良い時は1時間以上、空に浮かんでいられる」。パラグライダー歴30年余の高梨さん。この場所を見つけ、仲間たちと小屋を立て、スタート台も造成。ついには地元集落から80eの農地をそっくり求めた。
 この広い農地に季節の野菜やハーブ、ラベンダーなど花も栽培。長年連れ添うクニさん(79)。「空は、お父さんの道楽。おかげで私はここで野菜作りができます。ここに通うのが楽しみなんです」。すぐわきにナラやブナのちょっとした林があり。その中に自然石のテーブルとイス。真夏でも涼風がそよぎ、「昼寝には最高。こんないい場所はないですね」。
 宇都宮市生まれ。「初めて住んだのは松之山。雨が多い地域だと思い、当時は番傘が主流。ならばと扱いやすい洋傘作りを始め、十日町に移った」。50年余り前、事業をスタート。「たきみや洋傘店」から「たきみやシート店」に改称。車のシートや店舗シートなど、時代に乗り事業を伸ばした。
『鳥になりたい』という思いが増し、ついに54歳の時、ハンググライダーに挑戦。マウンテンパークや斑尾、木島平で飛ぶ。沖ノ原に絶好の場所を見つけ、「PB津南&十日町」を結成。今も県内外から仲間が集まる。2年前、その仲間の2家族とニュージーランドへ行き、81歳で空を飛んだ。「最近目が悪くなり、治ったらまた飛ぶよ」。長年連れ添うクニさんは、「まだまだ飛ぶつもりですよ」と笑う。
(2005.07.29)

宮崎 朗さん  34歳  津南町立石
 自宅1階部分の倉庫に、かつて味噌や漬物に使った大きな樽が10個余りある。「この樽を捜しています。『樽ありませんか』と聞くと、『不要になったから処分した』という家が多いです。処分するなら、ぜひ譲ってください」。この樽で味噌づくりに取り組む。「始めたばかりですが、ここは発酵加工に適した気候のようで、うまい味噌ができます」。試作品を知人や千葉・柏市の両親に送っている。好評だ。
 9年前、津南町が全国募集した新規就農者に応募。3年間の研修を経て独立。「祖々父が新潟の小国出身。この山と田んぼの緑のコントラストがいいですね」。
 北海道大では理学部地質学科。「金鉱石など鉱物資源が専攻で、農業とはまったく関係ありません。津南には佐久間象山が銀鉱石の発掘に来たようですね」。農業はナルコランの切花と水田。3年前、長岡市出身の綾子さんと結婚、昨年12月、長女・蕗子(ふきこ)ちゃん誕生。これまで冬は関東への出稼ぎ。「これからは年間サイクルが違ってきます」。そのためにも必要なのが樽。「製造許可を取り、ここで味噌づくりをしたい。冬は味噌づくり、春から秋は農業と年間サイクルができます。樽ありませんか」。
 「恵まれた所がいっぱいある町です津南は。中にいると当たり前と思うでしょうが、外から見るとうらやましいことが多いです。あの雪があるから、この素晴らしい水があるのでしょう」。以前は、フリークライミングに挑戦した。「今は時間がなく、なかなかできません」。結婚前、不要材などを集め、コツコツとマイホームを建てた。「まず住むところですから。実はまだ完成していません」。ガウディのような家作りだ。
(2005.07.22)

藤木金治郎さん  70歳  津南町谷内
家のわきの水路を、全国名水百選の竜ヶ窪の清冽な水が流れる。「ちょっと前まで、この水を生活にそのまま使っていたし、今も汗を流した後、両手ですくって飲む。とにかくうまい」。自宅前には池もある。「以前は、竜ヶ窪にいるカワマスが流れ出し、この池によく来たもんだ。今も年に一度くらい見ることがある」。
 自宅から歩いて5分ほどに   ある竜ヶ窪。昨年まで5年間、津南町の委嘱を受け「竜ヶ窪管理人」を務めた。4月から11月までの土日や休日、夏休み、朝のトイレ掃除、池周囲の巡回、行楽客の対応など管理業務をする。、夏休みは毎日。「水を汲む順番待ちでケンカになったり、家から持ってきたゴミを捨てていくし、車のバッテリーまで捨てていく人もいた。ひまわりシーズンは大型バスが何台も入り、ここ立石の道は車で埋まり、大変な混雑になる」。5年間の管理人業務の記録では、最高入込みは4年前の9万6千人。8月14日は1日に4千4百人が訪れた。「今でこそ竜ヶ窪というが、昔は『立石の池』と言った。林に囲まれ、今のように空が開けず、薄暗い感じだった。変わったもんだ」。
 昭和40,50年代、土木重   機のオペレーターをした。多摩ニュータウンや長岡ニュータウン、津南の苗場山麓開発にも関った。冬場は苗場プリンスホテルの厨房で中華担当を15年務める。社内資格は赤坂プリンスで取得した。「仕事ではやったが、家ではダメだな。まったくしなかった」。
 3歳違いの良子さん。「2人でぼちぼちのんびり暮してるよ。これでいいんじゃないかな。この地では当たり前になっているが、いい水があることはありがたいことだ」。『命の水』、竜ヶ窪のありがたさを実感している。
(2005.07.16)

関谷 精一さん  73歳  津南町赤沢
 18歳から60歳まで、冬は出稼ぎに行った。「ただ途中の10年間は、機屋に行った。だが、不景気になり辞めさせられ、また出稼ぎに行った」。出稼ぎは、埼玉や東京の学校や郵便局の暖房ボイラー技術者。11月初めから3月末まで。「かあちゃんは、雪が大変だというが、こっちは分からない。帰る頃には雪も少ない。その実感が分からなかった。国会の先生方が雪が分からないのと同じだな。この雪があるから良い水がある。恵まれた地域だと思う」。
 忘れられない光景がある。8人兄弟。「母親に抱かれた乳飲み子の妹が、次第に弱まり、母親が悲しそうに『この子は、明日までもたないな』と言った。翌日、亡くなってしまった」。今の恵まれた社会を思う。「昔は、医者に行くこともせず、弱い子は、そのままだった」。芦ヶ崎小高等科で、みっちり農業を学んだ。「とにかく農業を仕込まれた。離れた学校田まで裸足で行く。5百人余りの学校の糞尿を、畑まで2人一組で運ぶ。坂では時々、桶をひっくり返し、頭から浴びた。そんなことが何度もあったな」。
 清冽な湧水、高原地の涼風。真夏での国道117号沿いとは2度余り違う。「災害もないし、これだけの自然がある。感謝の気持ちを忘れてはならない。大変なこともあるが、この地を否定しちゃいけない。住めば都なんていう単純な気持ちではなく、ここに暮せることに感謝する気持ちが大事だ」。4年前から栽培するフキ。1ヶ月で約1d出荷。アスパラ、トウモロコシ、枝豆など出荷している。
 健康づくりの一つは果実酒。梅、かりん、ニンニク、コク、さらに薬酒になるオトギリソウ。「人間はもっと、人間らしく生きるべきだ。便利さに頼りすぎだ」。昭和32年、テイさんと見合い結婚した。「とも白髪」の年齢になった。毎朝、灯明をあげ、線香を上げ、手を合わせる。「人と人との出会い、つながりを大切にしたい」。
(2005.07.08)

関谷今朝次さん 75歳  津南町赤沢
「あの病気のおかげで目が覚めた」。12年前の63歳の時、脳梗塞で倒れる。幸い軽度だったため後遺症はほとんどなく、それまで以上に農業に励んでいる。「神様はよく見ているもんだ。あれは『おまえ、何してるんだ』と一喝したんだろうな」。止められない酒、酒の毎日だった。以来、大酒は止めた。毎朝、家の周りの畑、水田の水見回り、「楽しみになっている。自然と共に生きている、そのままだな」。野菜作りでは、たっぴ市、小学校給食に提供している。
 昭和28年、栄村志久見生まれの千代さんと結婚。その9年後、33歳で津南町議選に初出馬。「何もないので、人が色々持ってきてくれ、背広も借りた。友だち、先輩に恵まれ、今があると思う」。初出馬、初当選。以来5期20年、町議を務める。この間、昭和41年には「田中屋豆腐店」を開店。千代さんは冬でも毎朝4時に起き、豆腐作りに精を出した。「こっちは議員活動であっちこっちと行ったが、一番頑張ってくれたのが、かか(千代さん)だな。うちの経済をみんなやってくれた」。3人の娘に9人の孫、8月18日の赤沢祭りには全員が揃う。千代さんへの感謝の思いは、年と共に大きくなっている。先輩、友人、そして千代さんに感謝し、3年前、金婚式をかねた「生前葬」を開いた。
 今、山羊5頭、名古屋コーチンなど鶏38羽を飼う。山羊乳、新鮮な鶏卵、野菜「うちの健康の元だな」。鶏卵は毎週のたっぴ市で販売している。「農業が好きだ。これからも自然と共に生きていくだろうが、余生をどう生きるか、かな」。『農民の庭』と名づけた自宅の庭。「農家こそ、自然を楽しむことが大切だ」。
(2005.07.01)


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