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2009年12月の妻有に生きる


過去の妻有に生きる
中島正人さん 養豚業 33歳 津南町小池
「津南に来て、いきなりの中越地震と大豪雪。いやぁへっぴり腰で屋根の雪下ろしもしました」…勤務していた埼玉のスーパーで妻・由利さんと知り合い、津南に来て結婚。農業も雪下ろしもすべてが初体験だった。「農業の話を聞くうち、すごく農業に関心が高まって、俺も津南でやりたいという気になったんです。やっと慣れて来たって感じですかね」
 

日本農業賞など受賞の妻有畜産グループの一員。「病気は入れないに限る」をスローガンに掲げ、隔離豚舎など地域ぐるみの防疫体制を確立。健康な豚を育てるため環境を整え、抗生物質に頼らない飼育を行う。「まだまだ新米。養豚はお父さんと二人三脚でやっているけど、やはり病気を豚舎に入れないということに神経を使っています。30年以上の歴史がある我が家の養豚、守っていかねばと思いますね」
 手間ひまかけての養豚。妻有ポークは、脂の溶ける温度が低く甘みがあり、赤味は程よい歯ごたえのやわらかさ。なによりも安心安全のポーク、それに旨味、まさに手づくり。高い評価と人気がある。「腹をくくったせいか、養豚も結構、面白いじゃんって思っています。それにコメとスイートコーン。コンバインに乗るのも初めてだったけど、これは教わるより慣れろだったですね。津南に来てすぐに消防団にも入り、酒は飲めないんですが、よい仲間づくりにもなっています」
 

…かわいい保育園年中と年少の兄妹が、家をにぎやかにしている。
「上郷はユニホッケーに一生懸命。保育園チームの練習も始まるようで、これからは親子してユニホッケーに熱中しそうです」
(2009.12.25)

Jh東が維持流量を初提示、5年間試験放流、「40d基本に60dなど変動制で」  12月25日号
 違法取水で水利権が取り消され、JR東日本の信濃川発電所が完全ストップしているなか、同社の水利権取得の再申請に関心が集まる。十日町市議会「信濃川・清津川対策特別委員会」を21日開き、出席を求められたJR東・信濃川発電所業務改善部の執行役員・中井雅彦部長は、初めて水利権取得後の宮中ダム下流への維持流量にふれた。中井部長はこの中で、国の諮問機関・信濃川中流域水環境改善検討協議会が示した「維持流量毎秒40d以上」を基本に、「40dを基本に、夏場の渇水期、サケ遡上期には毎秒60d」を年間通じて変動放流し、それを実験的に5年間行い、その後に放流量を見直していく方針を示した。

 
同特別委委員会が事前にJR東に求めていた「信濃川のあり方、望ましい河川環境」についての質問に対し、中井部長が答えた。
 「これから信濃川のあり方を考える検討委員会が設けられていくことは承知している。現時点での私どもの考え方であるが、年間通して最低40d(毎秒)以上を確保したい。これを固定するつもりはない。真夏やサケ遡上期には60d余りが必要と思う。この流量40d、60dという川の姿がどういう姿なのか検証をしたい。サケ回帰は3年から5年といわれ、その効果と共に5年間の検証期間を設け、魚道改善と共に検証したい」と現時点と前置きしながらも、維持流量に対する基本的な考え方を、水利権取り消し後、初めて明らかにした。


 この40dについては「10年間かけて信濃川中流域水環境改善検討協議会が議論を重ねたもの。魚類、藻類、川の形態など研究し、学術的ではあるが最低40d以上としている。これは机上の数字であり、実際に流さないとわからない部分があり、5年間の検証を行いたい」と話している。
 
 この5年間の検証は、水利権取得にも関係する。国が定めた再申請期限(来年3月9日)までに最大取水量を申請する。同時にJR東は宮中ダム下流に維持流量40d以上を年間に渡って放流し、夏の渇水期とサケ遡上期には60dを増量放流し、これを5年間続け、サケ回帰や河川環境の変化などを調査・検証するというもの。この検証が水利権取水量に影響すると見られる。JR東・業務改善推進部十日町事務所では「5年間の検証後、最大取水量にも影響するかもしれない」と、水利権取得後、5年間の検証により見直しがあることを示唆している。


  水利権取り消し後、JR東から初めて維持流量への考え方が示された点について、漁業権を持つ中魚沼漁協・長谷川克一組合長は「現時点での叩き台と思うが、40や60の数字では話し合い以前のこと。5年間の検証では100d以上まで様々な検証をしてほしい」と、突然出たJR東側の数字提示に困惑と苛立ちを示している。
(2009.12.24)


 ◎…囲炉裏で焼いたあんぼ。大根菜とヨモギ入りの2種が用意され、さらに芋なます、沢庵きんぴら、ワラビ、雑穀ビラ汁など伝統料理一色。地元青倉・西山田の棚田を耕作する青倉作業班が作ったコシヒカリの塩おにぎりも出され、村井知事は「美味い、どれも本当に美味い。今後の活動が楽しみだね」などと食し、あんぼの家のアットホームさを感じていたようだ。
 

 ◎…この日、同知事は村内各所を見て回り、今年4月赴任した村営診療所・佐々木公一医師とも懇談。午後から役場庁舎で村民懇談を開き、小赤沢活性化倶楽部の福原洋一さんが国道405号や栄林道整備、野生鳥獣対策などを要望。古道復活に取り組む小滝古道物語の樋口利行さんが、古道再生による新たな観光事業を提言、さらに民間・田舎工房の石沢一男さんが雪室の活用などを話し、地域活動への支援を要請した。
(2009.12.23)

「先輩、すごい」、三箇小ようこそ先輩で特別授業、国立音大・樋口マキさん  12月25日号
 ◎…先輩から後輩へ思いをつなぐ津南町三箇小の「ようこそ先輩」第7回特別授業を21日開いた。今回の講師は声楽を学ぶ国立音大4年の樋口マキさん(22)。学友のピアノ科専攻の長谷川千晃さんと共の母校を訪れ、「小学時代、合唱の中のソロを3人で歌った時、校長先生から『あなたの声は良い声だね』と言われ、歌は気持ちよく、楽しいことなんだと思ったことが、今につながっていると思います」と小学校時代の思い出など語り、実際にピアノ伴奏で独唱を披露、子どもたちはその声量と高音の響きに感動していた。
 

 ◎…樋口さんは津南中時代、吹奏楽部の部長を務めるなど、小学での音楽との出会いを続け、国立音大付属高校に進学。さらに国立音大に進み、昨年はイタリアへレッスン留学している。この日は母校の音楽室で特別授業。「小学時代に水泳や陸上、クロカンなどで体を鍛えたことがいま役立っています。声を出すことは全身を使うこと。歌うことが全身トレーニングになり、とても体力を使います」などと声楽の練習を説明。さらに「目の前にあるやらなければならない事を、とにかく一生懸命にやる。嫌なことも好きなことも、とにかく一生懸命にやる。そうすると、何かが見えてきます」。実演では木下牧子作「風をみたひと」と有名な歌曲「蝙蝠(こうもり)」からアデーレのアリア(独唱)を披露。6年小野塚栞里さんは「アリアの曲が良かったです。歌の場面場面が頭に浮かび、とっても楽しかったです」と感想を述べると、的確な感想に樋口さんも驚いていた。最後は小学時代の思い出の曲「カントリーロード」を熱唱。子どもたちの大きな拍手が音楽室に響いた。
(2009.12.22)

サケが戻る川に、十日町・飛渡小が全校で運動、関口市長に魚道改善直訴  12月25日号
 ふるさとの川にサケを呼び戻したいと十日町市の飛渡第一小学校の全校14人が22日、今年取り組んだ飛渡川調査などを関口市長に発表し、サケを呼び戻そうと校区で運動した6百人余の署名簿を提出し、サケ回帰の障害になっている同河川の魚道改善を求めた。同市長は「この川は県が管理しています。皆さんの思いをしっかり県に伝えます。サケが戻る川になるように一緒に頑張ろうね」と呼びかけ、手作りの調査レポートと署名簿を受け取った。
 

 同校は20年前から「ふるさと環境学習」に取り組む。学校前には県100選のブナ林、学校わきには飛渡川が流れる。今年度は「飛渡川のサケ」をテーマに調査活動。かつて飛渡川にもサケが上っていた事実を知る。流域を調べる中で下流にある高さ2・5bの堰堤(砂防ダム)魚道に問題があることを発見。「地震で壊れたのか、魚道の役目をしていない」と魚道修復の必要を感じた。
 

 そこで14人は、「関口市長さんに頼んでみよう」と決め、地元流域住民の署名を集めると共に、調査結果を手作り報告集にまとめた。22日、市役所を全校で訪問。まとめた調査結果を全員発表し、5年の大津慶浩君らが「人と自然が共生できる川にしたい。サケが帰る川の臭いを消さないように、ゴミを流さないように呼びかけています」など活動を話し、要望した。活動に協力する中魚沼漁協は今月サケの卵3百粒を同校にプレゼント、子どもたちがふ化させ育て、来年3月24日の卒業式後、全校で放流する計画。中魚漁協も3月中旬、飛渡川に20万匹を放流する方針だ。
(2009.12.21)

サンタがやって来た、サプライズ訪問、上郷保育園へ  12月25日号
 ★…「サンタがやってきた」―。18日、津南町の上郷保育園(関谷好美園長)に真っ白なひげ、ブルーな瞳のサンタが大きな袋を担いで現れた。32人の子どもたちは「あっ、サンタだ」と大喜び。英語で「赤鼻のトナカイ」と歌い、子どもたち一人ひとりにプレゼントと握手。突然の訪問に驚く園児たち。「トナカイは野菜スープが好きと聞いたけど、どうやってスープを作るの」や「トナカイは羽根がないのにどうやって飛ぶの」など、子どもたちから次々と質問が飛んだ。
 

 ★…カナダからやって来たサンタは質問に答えた。「スープはその国その国で違い、日本では大根、白菜、それに味噌を入れます」、「トナカイもスープを食べます。トナカイはとても足の力が強く、スープを食べるともっと強くなり、強い足でジャンプして飛びます」。サンタはアメリカ・ミシガン生まれのケビン・キャメロンさん。時々、英語で話すサンタに慣れた園児たちは、サンタの大きなお腹に触れる子も。関谷園長は「最近のクリスマスはプレゼントをもらうことだけになっています。もっと夢を持ってほしいと、皆でサンタに手紙を書き、本当に来てもらうことが出来ました」。サンタは保育園近くの宮野原橋を飛び越え、帰って行った。
(2009.12.20)

柿崎和雄さん 25歳 酪農業
「自分の好きな道を進んでいいと言われたんだけど、やっぱり酪農の道を選んでしまっちゃいました」…芦ケ崎と赤沢を結ぶ県道わきにある牛舎。搾乳牛は18頭、他にまだ乳のみの子牛5頭が母牛に寄り添っている。「高校を卒業する時、やはりこの道だな、と県農業大学校の畜産科に進んだんだ。その後1年間、長野県信濃町の酪農家に住み込みで研修したんだけど、ここがまた厳しくて、いやあ、勉強になった」
 

…その研修先の酪農家では、朝4時からの作業が日課。ちょうど津南が全国的に有名になった大豪雪の年で、信濃町も例外ではなかった。「住んでいたプレハブ小屋が雪に埋まってしまって大変だったよ。吹雪のような日でも休むわけにもいかないし、ほんと、厳しかった。こういう酪農のことをもっと世間から知ってもらって、もう少し稼がせてほしい。どこもやっと経営しているような状態だから」…おじいちゃんからの酪農。3代目になる。そのおじいちゃんも、牛舎を訪れ、軽作業に励む。家族4人での経営だ。
 

「理想は1年1産。出産は人間と同じように命がけ。事故を起こすと子牛も母牛もダメになってしまう。一番、神経を使う時だな。それに、我が家ではもう少し頭数を増やさないと経営的に厳しい。地元の人からもっともっと津南牛乳を消費してもらいたい。栄養は満点、飲んで下さいね」…趣味というと、食べることという。
 「津南の米は本当にうまい。自分のとこでは天日干しで作っているんだ。それに野菜も最高だし、津南ポークのうまいこと。痩せていたのに、ガツガツ食べてるから太ってしまった。元気にやっていきたい」
(2009.12.18)

大倉トヨさん 70歳 津南町小下里
…朝起きると、足がバス停に向く。降雪期を除く毎日、自宅近くのバス停の掃除をするのが日課になった。もう9年目になる。「大したことじゃないんです。大げさにしないで下さい。朝昼晩とご飯を食べるように、毎日の行いに過ぎないんです」…「地区の総代になった時、夫の手伝いみたいな感じで始めたのがきっかけ。ゴミを捨てていく人がいるわけでもなく、枯葉などをちょっと掃く程度。夏場は掃除してから朝のラジオ体操に出席しています。日課になっていると、行かれない日があるので、かえって気になって仕方ないですね」
 

…今春、町公衆衛生推進協議会から表彰を受けた。「当日、ボランティア活動があって出席できなかったんですけど、表彰を受けるほどのことはしていないんですよ。ありがたいけど戸惑ってしまいました」…表彰当日出席できなかったボランティアというのが、町が月1回のペースで行っているリハビリ教室。「もう10年くらいになるでしょうか。恵福園を主会場に、町内から参加したリハビリが必要な高齢者が集うのですが、その介助などしているんです。参加者のお年寄りのみなさんが、笑顔で楽しんでもらえると、本当にうれしいです。逆に力をもらっている感じがします」
 

…リハビリ教室では、参加者の血圧や脈拍の測定、けんこつ体操、レクリェーション、茶話会など主に半日かけて行う。「車イスの方がほとんどで、私らのように歳を取ると参加者を車イスに乗せるにも苦労してしまいます。やはり若い力が必要なんだなぁって思います。福祉の町にしていきたいですね」
(2009.12.11)

江口朋義さん 獣医 津南町上段
「津南地域の豚肉もミルクも本当にうまい。津南ブランド、もっともっとPRしていきたいですね」…その風貌と違うのか「話してみるとやさしい印象」と言われる。十日町家畜指導診療所の獣医師として6年目になる。「この地域は優秀な農家が多いですよ。地産地消の輪が広がっていますが、畜産関係でもぜひ地元のものを消費してほしいですね」
 

…出身は新潟市。新潟大農学部を卒業し、環境アセスメント関係の職場に就職したが、一念発起。30歳の時に獣医師をめざし神奈川・麻布大学で学び資格を取得した。「麻布大では5年間学びました。ただ、学校を卒えても仕事がなく、山形で研修を受けていた時に十日町で空きができたという話があって、飛んで来たという訳です」
…中越地震後の十日町赴任で豪雪も体験した。「その時はアパートだったので、それほど苦になりませんでしたね。それに除雪がしっかりしているので、新潟市内より走りやすいと思っています」
 

…趣味は渓流釣りとギター。新潟大時代はロックバンドでギターを弾いていた。「父が渓流釣りが好きだったので、小学生の時からやっていますね。この辺では釜川がいい感じだと思っています。ギターは、大学時代のバンドではホワイトスネークなどやっていました。今はエリック・ジョンソンなんかいいな。家で静かに弾いていますよ」…昨年、十日町市から津南に移住した。「仕事の中心が津南なので、ここで暮らそうと決めたんです。自然も豊かだし、人柄も温かく、ここならいいと。津南の住人になったので、地域のみなさん、よろしくお願いします」
(2009.12.04)


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