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2006年12月の妻有に生きる


過去の妻有に生きる
冨沢亮介さん 27歳 とみざわそば
「年末年始の男」 といってはおおげさか。というのも、年越しそばに大忙しの「とみざわそば」4代目。同時に、グリ ーンピアスキースクールのインストラクターを努めるからだ。「年末はマジ忙しいっス。地方発送の年越しそばも何千食とありますから。ただ冬期間は仕事もぐんと減るので、その分、スキーで頑張ります」スキー、スノーボードとも1級の腕前。中学からのモーグルも得意だ。「中学校時代、美術の先生がモーグルをやっていて、教えてもらったんです。もう夢中になっちゃいましたね。インストラクターは今年で4年目かな」
 
 冬が近づくと、髪形は細かなツイストパーマにする。「毎年、グリーンピアを訪れてスキースクールに入る小さな子がいて、髪形から『ライオン先生』のあだ名を付けられちゃったんですよ。その子のためにもこの髪形は変えられないんです。さすがに店では白い帽子を被っていますが」
 
 調理専門学校を出た後、しばらく柏崎でバーテンを務めてUターン。「そばづくりは、小さなときから手伝わされたので違和感はないですね。こねる事と、包丁は好きなので、切るのも得意です。今はもう大丈夫ですが、ソバを伸ばすのが難しかった。力を入れすぎ、切ってしまうんですよね。コツをつかむまで苦労しました」「津南の味」でもあるそばとスキー。「津南が評価される立場にあるのかも。こう見えても、都会の子どもたちに結構、好かれているんですよ。自分流でやっていきます」
(2006.12.22)

高浪起代実さん 42歳 津南町中子
 クリスマスソングが街中に流れる。忘年会シーズン。そして新年会を迎える。「交通事故は自分だけのことではないことを、しっかり自覚してほしいですね。相手のこと、そして自分の家族にも大変な負担がかかります。飲酒運転などもってのほかです」子どもの同級生の母親が安協女性部員で、誘われたのがきっかけ。今年2年目。「昼間、特に何かやっているわけではなかったので、それならば、と仲間に入ったんです。いい経験になっています」
  
 出身は千葉・浦安市。ディズニーランドまで車で10分ほどの所。「母が津南町田中出身で、父も倉俣出身なんです。ですから、こちらには夏休みなどよく来ていました。でも来たばかりの頃、さすがに冬の雪にはびっくりしました」7年ほど前から、わかば保育園で、延長保育と学童保育の臨時管理人に就いている。「自分の子を持つまで、子どもたちと接するのは正直、それほど得意ではなかったです。でも今は、みんなかわいい。こうした子どもたちを交通事故に遭わせたくないですね」
  
 最近、気になっていることがある。「十日町のスーパーなど広い駐車場がある場所で、子どもの手を引かずに歩いている母親をよく見かけます。見方によっては、道路より危ないです。しっかり手を、いえ、手より手首を持ってほしい。ちょっとした時、しっかりつかむことができます。チャイルドシートなどと同じで、子どもが嫌がっても習慣づけしてほしいです」今年もあとわずか。「事故無縁で新年を迎えたいものですね」
(2006.12.15)

江村大輔さん 22歳 津南町巻下
「自分でも、よく走れたとびっくりしています。半年ものブランクがあったものだから。『打倒上越』を合言葉に頑張ります」10月末に上越―新潟間で行われた県縦断駅伝、エース区間を2日間走った。「この春、愛知からUターンしてきたんです。恩師の品川達平先生から『戻ってきたのなら走れ』と言われ、8月から本格的に練習に取り組んだんです。2月から全く走っていなかったし、体重も8`ほど増えていたので心配だったですね」
 
 津南高1年の時 から駅伝メンバーに。高校3年の時はキャプテンを務め、1級後輩の涌井圭介、涌井勇太選手らを擁して3位入賞した。「小学校の頃だと思うんだけど、テレビで十日町出身の小林雅幸選手らの箱根駅伝を見て、憧れたのが走ることへの動機だったんです。高校駅伝は良い思い出になっています」高卒後、愛知県のトヨタ自動車関係会社へ。「実業団ではなかったんですが、走ることが好きな有志で駅伝大会に出たりしていました。津南には3年後に帰って来るつもりでいたんです」
 
 クアハウス津南で、トレーニングルームのインストラクターを務める。「毎日が勉強です。ちょうど今、高校時代の先輩からトレーニングマシーンの指導方法などを学ぶことができ、ありがたいです」来年の県縦断駅伝、品川総監督から「次はお前がエースだぞ」と。「ありがたい言葉ですが、責任が重いですね。今回の大会が終わった時点で次の大会が始まっているようなもの。栄光に向かって突っ走りたい」
(2006.12.08)

福原ミヨさん 77歳  津南町外丸本村 
 ―八つがしら水栽培の鉢の中芽を出し背伸び自然の力―趣味で取り組んでいる短歌やエッセイを、思いを込めて小さな冊子にまとめた。「短歌の作品や趣味を拾ううちに、こういうものができたんです」77歳の喜寿を記念し、自分史ともいえる綴り集「歩み」を作成した。

 「エッセイは、お母さんのひろばに投稿した今は亡き義母のことを『たまげたばあちゃん』として載せました。自分のやりたいことを精一杯楽しみすごい生涯だったと思っています。もう一度、当時のばあちゃんと語り合いたくて。そんなばあちゃんが、今もすぐそばにおられるような錯覚にとらわれます」90歳でありながら、家族4人の食事当番をし、草履などを自分で作り、野良仕事の裏方としてこ なしてきた。
 
 「ばあちゃんから多くのことを学びました。そんなことから短歌をはじめ、宮苑書道会で書に親しみ、民謡、着付、文化刺繍、木目込み人形なども取り組んだんです」「歩み」には、「万歩計と生活あれこれ」と題し、体調を崩してから、歩くことによる健康づくりも記している。「趣味の世界を広げてくれた人と会ったことで、私の趣味人生に光が差し込むようになったと思います。今は、短歌だけにしがみついている感じですが」
 
 52歳に退職するまで、小学校の教員を務めた。大赤沢、三箇、旧下船渡、そして地元の外丸で退職。「教員時代の思い出は山のようにあります。楽しく子どもたちと過ごさせてもらった地域への感謝を込めて、そんな感じです」
(2006.12.01)


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